261. 歩いても 歩いても
《ネタバレ》 限られた場面で面白みを繋いでいく演出が立派である。この人がなんで『空気人形』なんかを撮るのかわけがわからない。 [映画館(邦画)] 6点(2011-03-19 11:14:11) |
262. 愛怨峡
《ネタバレ》 フィルムセンターでついに観ることができたときは嬉しかった。期待通りの凄い作品であった。映画館という「暗い部屋」でこの映画の暗さに包まれなければならない。ほんとうに暗い。だがこれは克服されるべき暗さであるというのが溝口の仕掛けなのである。堕ちたときから強くなる女性という溝口パターン。 [映画館(邦画)] 10点(2011-03-19 10:32:04)(良:1票) |
263. 用心棒
《ネタバレ》 まずは映画館を思わせる飲み屋の暗い空間からの「覗き」、次に火の見やぐらからの「高見の見物」をしていた三船が、やがて渦中の人となり危害を加えられ「目も当てられない」姿になる。やがて傷も癒えた三船による大掃除。クロサワの長所は、視のテーマが明確なことにある。 [映画館(邦画)] 8点(2011-03-19 10:07:57) |
264. ピクニック(1936)
《ネタバレ》 見上げるカメラと見下ろすカメラという区別。見上げるカメラは被写体の背後の空を呼吸し、晴れ上がった空の幸福が、画面いっぱいに広がる。ブランコという宙吊りの媒介の威力がそのとき驚異的である。ピクニックをしに田舎にやってきた家族の娘をどう誘惑すべきか、当地の二人のナンパ青年たちが策を練っており、窓をバンと開けると、ブランコに乗る当の娘の姿がある。なんとも美しい刺激的なシーンである。そして、寄りの見上げのカメラのなか、ブランコの娘は凧のように上に上に昇るかのようで、瞬間上へフレームアウトしたりする。男たちの関心は、娘のスカートのなか、猥雑な見上げ。 娘とナンパ男は、川岸にあがり、草上に腰をおろす。娘は「無垢に」見上げる。樹にとまる小鳥の姿が、娘の見た目ショットとしてカットインされる。「無垢な」見上げに小鳥は、苦笑を誘うほどに、いかにもふさわしい。その娘を彼が押し倒す。「無垢な」見上げが押し倒され、カメラは今度は濡れ場を見下ろすというわけである。 [映画館(字幕)] 10点(2011-03-18 22:27:33) |
265. 黒い罠
《ネタバレ》 ウェルズのローアングル手法(まさにこの作品で炸裂)が巨大な体積の「悪」ウェルズを見上げる。ジャネット・リーがいい。 [映画館(字幕)] 6点(2011-03-18 15:41:39) |
266. エデンの東(1955)
《ネタバレ》 あの問題のエリア・カザンである。赤狩り時代の汚点がアカデミー賞授賞式で再燃したのであった(アカデミー賞という環境もなかなかしぶとい、忘却しない、水に流さない)。本作品は、家父長制の甘ったるい美化である。家父長制に積極的に従うジェームス・ディーンという役柄(かっこわるい若者像である!)は、『理由無き反抗』にもある(監督は違うが、父親からエプロンを剥ぎ取るシーンの反動性)。カザン監督の作品は四つ観ただけだが、『アレンジメント』がいちばん良い(あとは『欲望という名の電車』と『草原の輝き』)。 [映画館(字幕)] 5点(2011-03-18 14:24:35) |
267. 突然炎のごとく(1961)
5点台という評価には本当に驚く。こういうかつては名作中の名作と目されていた作品が、その時代的文脈、その時代の映画館の暗闇から離れると、博物館のひからびた陳列物のごときものになる。すぐれた黒白映画というものは、映画館の暗闇に包まれてこそ輝く。 [映画館(字幕)] 8点(2011-03-18 14:01:52) |
268. キートンの探偵学入門
《ネタバレ》 キートンの最高。「探偵もの」の分、知的な仕掛けもある(身体能力についてはいうまでもない)。ラストの映画内映画のシーンは観客を翻弄する野心的な試みであるが、これは映画館にいないと実感できない。私はキートンに「ほとんど」見つめられていると感じてしまった。俳優と目が合ったとき映画が終わるのは、ありふれていようが、この作品こそが白眉なのである。 [映画館(字幕)] 10点(2011-03-18 13:42:22) |
269. キッスで殺せ!
《ネタバレ》 フィルム・ノワールのきわめて切れ味鋭いタイプと言おうか、暗く淀んではいない。核爆発で終わる映画の「The End」のマークは、まさに「一巻の終わり」。私は映画館の中で「被曝」して、この恐怖をしっかり味わった。公開当時「原爆で殺すな、キッスで殺せ」という標語も生まれたそうだが、いまや、「原爆」のかわりに「原発」で、「原発で殺すな、キッスで殺せ」。 [映画館(字幕)] 10点(2011-03-18 13:34:56) |
270. 東京の合唱
《ネタバレ》 失業の身でかつての先生と出遭う。先生と合同の見た目で「カロリー軒」の暖簾が揺れている、これが素晴らしいのだ。見た目(主観ショット)をサイレント期では小津はけっこう使用している。ロマンティックな甘めのエンディングだが、名作だ。 [映画館(邦画)] 8点(2011-03-17 23:48:48) |
271. 天国と地獄
《ネタバレ》 警察が列車の中から撮っていたフィルムを上映するシーンがぞっとするほど素晴らしい。このドキュメンタリー的なものが「つくりもの」のクロサワ調のなかに突如侵入してくるという希有な瞬間である。 [映画館(邦画)] 9点(2011-03-17 20:04:37)(良:1票) |
272. 人のセックスを笑うな
この欄の低評価には驚く。映画館ではかなり充実感があった。こういう何気ない感じつまり「存在」が大切な映画は、事柄に対する「知識」でしかないDVDではたいしたことがないだろう。DVDは矮小化する。 [映画館(邦画)] 6点(2011-03-17 10:48:31) |
273. 武士の一分
アイドルはいつでも同じ、何に出ても同じ。同じく空虚。ストーリーもよくない。『たそがれ清兵衛』が良かったので、期待してしまった。 [映画館(邦画)] 2点(2011-03-17 07:25:06) |
274. 浪華悲歌
《ネタバレ》 なかなか観るチャンスに恵まれなかったのが、ついに望みが叶った日は特別なものだった。照明だけでも凄い。山田五十鈴が無力な恋人と歩く薄闇の移動撮影のなかでふと顔が浮かび上がったりするのが哀しい。見終わったとき完璧だと思えた。 [映画館(邦画)] 9点(2011-03-16 19:24:31) |
275. 放浪記(1962)
《ネタバレ》 シネマスコープという条件が、例えば高峰秀子が宝田明と初めて出逢うシーンに面白く作用する。高峰が画面前景左端に大きく、宝田の方は画面後景右端に小さいサイズで位置する。にもかかわらず、「面食い」の高峰は目ざとく宝田を見出したのである。というのが、もう15年くらい前にわざわざ大阪まで行って観たこの映画の記憶である。良かった。 [映画館(邦画)] 9点(2011-03-16 14:48:11) |
276. マリア・ブラウンの結婚
《ネタバレ》 ファスビンダーの傑作。戦時中から戦後期にかけて女性が社会に進出する余地が開かれたのはパラドックスである。戦後期に主体的に働いたヒロインの死(事故死なのか自殺なのかが曖昧なのが巧妙)と、男社会の再来を象徴的に告げる1954年のワールドカップ優勝を重ねる。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-03-16 12:49:33) |
277. グリニッチ・ビレッジの青春
《ネタバレ》 教養小説的な成長発展物語に憑かれる青春時代が、誰しもある。個人の成長発展には付きものの別れ。主人公が都会に出てあれこれの経験をして、一旦帰郷したのちまた旅に出るところで終わっているが、バイオリンのエレジーが野心を燃やすこの主人公を送り出すところに奥深さがある。故郷喪失の哀しみはこの先けっしておさまることがないということ、それが人生だ。思い出の映画である。 [映画館(字幕)] 8点(2011-03-15 21:32:46) |
278. 祇園囃子
《ネタバレ》 完璧。今で言えば芸能事務所のシンドイ話を見せられる感じ。ラストシーンだけでも素晴らしい(という言い方は、濃密な作品世界のラストシーンについにいたった感慨でもある)。新入り若尾文子の身代わりで辛い務めを引き受ける木暮実千代の笑みで終わる。乗り越えた笑みなのである、凄い。 長回しの溝口(宮川一夫カメラ)だが、畳の座位から立ち居への移行にアクション繋ぎが例外的に二三あってメリハリが導入される。日本家屋の襖や簾などの上下の線がフレーム内フレームとして頻繁に画面を、閉じられた謀略・欲望・権力の空間として現出させる。 [映画館(邦画)] 10点(2011-03-15 19:34:31) |
279. Love Letter(1995)
《ネタバレ》 ラストシーンが微妙にいい。二人居るヒロインを一人二役、かつそのうちの一人の役を二人の俳優が演じることの意味。高校時代の自分への(死んだ樹君が描いた)似顔絵が出てきたのが届けられるという感傷的なシーンなのだが、中山美穂にではなく酒井美紀に似た似顔絵なのである。つまり中山美穂(樹役)にとって自分に似ていない(博子役の中山美穂にとっては似ていてはガッカリなのである)のが似ていることの証であるというこのちょっとしたズレが、観客にとっての戸惑いでもあり感傷を強めることにもなる。『花とアリス』と双璧の岩井俊二の傑作。 [映画館(邦画)] 9点(2011-03-15 01:04:16) |
280. 田園に死す
《ネタバレ》 売りに行く柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯れ野行くとき。家の換喩である柱時計にも実は未練がある(家出をすすめる寺山は家らしい生活をしたことがないという哀しい逆説である)。中年の「私」が少年時代の(母を乗り越えた)「私」を待ち受けるが、来ない。これはいいシーンだ。結局、幼年期というものを卒業できない人間のモンダイなのである。いい映画だと思う。 [映画館(邦画)] 8点(2011-03-15 00:11:40) |