281. 四月の魚
絶対映画にならないテレビ番組は、ってのをかつて考えたことがある。クイズ、天気予報、事件・事故の現場中継、ナマのスポーツ、などを考えて、料理番組も思った。そしたら「在日外国人夫人の人気番組」って雑誌の記事で「料理番組」があった。実用番組としてでなく美術鑑賞として日本料理を楽しんでいるらしい。料理というのも社交芸術のひとつなのだった。そんなことを考えていて本作。料理映画というジャンルと呼べるかどうか。料理図鑑で見る美しさを越えた何かが動画で表現された、とは思えません。もっと官能性というか、秘めやかさというか、隠微な悦びみたいなもの、が料理にはありそうなんだけど。着眼点のみ評価します。あと、大林映画で大人しか出ないドラマというのも珍しい。「バイオレンスやセックスを嫌ってちゃ駄目だよ」という説教に、クシャミで応えたのは監督自身か。丹波哲郎が登場しただけで、場内は大受けだった。 [映画館(邦画)] 6点(2013-06-08 09:21:21) |
282. メルシー・ラ・ヴィ
ジョエルがみなに非難され、ある種の聖女伝説みたいな輪郭が見えたときに、この映画つかまえられた、って気になったが、ナチが出てきて「やっぱりよく分からない苦手なフランス映画」の様相を呈する。戦争の時代とエイズの時代とが重なってたみたいなんだけど。「いつでも困難はあるけど、だからこそ喜びが」ってな感じのラストシーンになって、おろおろする。あの憂鬱顔の車椅子のお父っつぁんが自力で坂道を走り降りていくラストにしてくれたほうが、気分が良かった。白黒とカラーが混ざるの、あんまり意味はなかった。作中の人物が「白黒のときにヤなことが起こる」って言ってたけど。医者と組んで街中に病気を撒く女の話のほうが面白いなあ。 [映画館(字幕)] 5点(2013-06-07 09:43:42) |
283. オスカー(1991)
スタローンのコメディ、って線で宣伝してた記憶があるけど、古風なカッチリした喜劇としてよく出来ていた。ある日の朝から昼まで、ひとつの屋敷に限定し、人の取り違えや鞄の入れ替えなんかで見せてくれる。冒頭人形の歌うフィガロで作品の質を保証してくれる。スタローンはシュワルツェネッガーほど器用でなく、慣れない世界で固くなっているのがかえって「いい奴」って感じがありました。またちょっと周囲にナメられてるようなところもあって、ギャングよりカタギののほうが向いてるんじゃないか、いう感じも合ってました。どういう順で作られたのか知らないが、まずスタローンのコメディという注文があってから出来た映画なら、成功だったと思うけどなあ。昔のコメディをなかなか超えられないと思っているのなら、ときどきこうやってキチンと復習することも大事だろう。 [映画館(字幕)] 8点(2013-06-06 09:16:23) |
284. ツルモク独身寮
浜田光夫的勤労青年がスクリーンから姿を消してだいぶたつが、家具工場で働く地方出身者の独身寮物語ってのにちょっと興味をひかれた。でもどうだろう、「歯車には歯車のプライドがある」ってだけで結論にしちゃってたみたいで、歯車の交換可能な悔しさとか、こんなことやってていいのか、という苛立ちとかがここにはない。けっきょくこの設定はモチーフではなく味付けでしかなかったのか。ブスの描き方も、なんかヤだった。フロントガラスに顔押し付けなくてもいいんじゃないか。竹内力が、二枚目を差別すんなよ、って叫ぶのはちょっとおかしかったけど。 [映画館(邦画)] 5点(2013-06-05 09:11:13) |
285. ザ・タウン
アイリッシュマフィアは『ミラーズクロッシング』なんてのもあって、イタリアより体温の低そうなギャング世界が広がっている(どちらもカトリック国っての、関係あるのか)。『ミラーズ…』では、A・フィーニーがいかにもボスって感じだったが、善人の記憶が強いP・ポスルスウェイトがこちらでは酷薄な元締めを演じていて、イギリス系の役者は懐が深い。登場時間は短いのに彼の存在感が濃いので、主役のB・アフレックスが損。ハリウッド映画では主役はこうスッキリしていればいいというのかも知れないが、もうちょっと内側に屈折を感じさせるキャラクターであってほしい。血族の縁が・地域自体が、もう犯罪組織で固まっていて、日本ではやたら「絆」と持ち上げるが、こういう鬱陶しい拘束としてまず「絆」は存在していた。それへの抵抗ってことで、マフィアもの映画は普遍性を持つ。そういう至って正しい話なんだけど、主役がノッペリしていて、屈折は「そういう役をやってます」と外側にレッテルで貼られてるだけという印象だった。アクションシーンで、ときどき無音を挟むのが(モニター映像や、爆発音で耳がツーンとしたり)いい緊張を生む。凶暴な仲間ジェムの存在がいい。主人公が彼の刺青を恋人の目から手で隠す。最期、道に落ちていた紙コップの飲み残しを、ひとくち吸うこの世への訣別も忘れ難い。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2013-06-04 09:34:28)(良:1票) |
286. テルマ&ルイーズ
いつもヨーロッパの影を引きずっているような監督が、アメリカの中のアメリカ、西部を描いたというのがまず興味。広い空。ちょっとした週末の冒険旅行、馬鹿亭主からの逃避を兼ねたバケーションのはずが、男どもによって延々と延長されていく。馬鹿な男によって回転され続け、やがて静止したような澄んだ世界に入っていく独楽のような女たち。それにしても女二人で旅に出ると、出会う男はみんなこんなどうしようもないのばっかしなんだろうか。なんか女性からの「交渉打ち切り宣言」みたいな映画で、ラストはもうちょっと交渉の余地を残してほしいとも思うのだけど(男は指輪くれたしさ)、良かれ悪しかれ、このキッパリ感が記憶に残しているんだろう。 [映画館(字幕)] 7点(2013-06-03 10:06:23) |
287. 自由学校(渋谷実監督作品)
説教臭のないファルス。全員均等に裁きながら、裁き手が不在であること。時代批評とはこうでなければならない。登場人物の動きも豊か。冒頭の佐分利信のゴロゴロ、樹に揺れる佐田啓二、歌舞伎座でひょいと飛び出てくる淡島千景、などなど。みんな少しずつ動きが過剰。軽い。その合い間にネットリした重さが不意に現われ(元軍人の現代風俗への嘆き、笠智衆の岡惚れ男が手当たり次第に家のものを投げ散らす)、その釣り合いがかなり納得いくのだ。カップルを襲う強盗ってのが出てきたけど、あれは重さより軽さのほうだった。同時代を描くにあたって、あまり深刻すぎず、かといって楽観もすぎず、結論は未来の人に委ねましょうという謙虚さがある。 [映画館(邦画)] 7点(2013-06-02 09:41:31) |
288. ディーバ
全体は青。稀薄な澄明な空気に満たされてる感じ。ベトナム少女がローラースケートで光の中を横切りつつ滑る部屋なんかね。ほとんどのカットで何らかの動きが続いており、近寄っていったり、横移動したり、回り込んだり、迷宮感というか、不思議な世界を作っていく。決して人間を描かない。生臭さを異常に怖れている。監督を含む、現代都市生活者の心象風景なんでしょうか。社会心理学で解説しようなんて押し付けがましさがないのがいい。ただ淡々と自分の世界を描いていったという感じ。それで感動したかっていうと、物足りなさのほうが先に来てしまったのが映画の難しいところ。廃工場の取引のシーンなんかはドキドキした。わけもなく人形の楽隊が置いてあったりして。 [映画館(字幕)] 7点(2013-06-01 09:38:37) |
289. 怒りの河
《ネタバレ》 西部開拓史の情景が網羅されている。幌馬車の旅、外輪船のゆったりとした航行、馬が川辺を走る水しぶき、あるいは、ポーカーテーブルや酒場での不意の銃撃、インディアンの襲撃を予想させる鳥の鳴き真似。つくづく西部劇ってのはあの国の神話なんだと思う。旧約聖書的な、家畜も連れての新天地を求める旅になぞらえていて、自分たちが原住民を迫害しているなんてちっとも考えてない。「改心したならず者」が「改心しそこなったならず者」を懲らしめる世界観が貫いていく。立ち直る側には農業のコミューン(地道)があり、立ち直らなかった側にはゴールドラッシュの誘惑(軽佻)がある。映画見てる間は、この旧約聖書的世界観を受け入れておこう。このコールの内心が不明なあたりがドラマとしての緊張になっている。そもそも首を吊られそうになっていたコールを主人公が救ってドラマが動き出す。その後主人公の危機を救ってくれたかと思うと変にふてぶてしかったり、この男は改心したのかどうか、というJ・スチュアートの内面の期待と疑念が交錯するドラマになっているわけだ。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2013-05-31 09:46:14) |
290. 絶叫屋敷へいらっしゃい
《ネタバレ》 金曜日に見るにふさわしい映画で(土日だったらもうちょっと歯応えがほしい)、二日たてばきれいに忘れてしまい、次の週に引きずらない。お化け屋敷もの。落とし穴あり、滑り台あり、迫り来る壁あり、でも庭にジェットコースターがあるのは珍しい。テーブルにおもちゃの汽車がまわる仕掛け。仕掛けのある家の面白さってのは何なんだろう。初めて招かれたよその家に対するある種の緊張を具象化するとこうなるのかな。ブラジル人二人組はなんか中途半端でした。若者グループと警官がピストルを突き付け合うとこ、彼らが老判事を見てワッハッハと笑うとこ、結婚の誓いをもぐもぐと口ごもるとこ、再度乗り込んで警官たちがニッコリ笑って「判事」というとこ、などなど。アメリカは麻薬に対してはほんとに厳しい。 [映画館(字幕)] 6点(2013-05-30 09:47:45) |
291. ガープの世界
《ネタバレ》 もっとハチャメチャにやればもっと笑えるのに、と思わせながら、それが出来ないのが現代なんだなあ、とすぐに言い訳の理屈が出来てしまうのが、本作の利点。現実のほうがそれだけハチャメチャになってるからだとも言えるし、なかなか自分の「病気」を笑い飛ばすことは難しいとも言える。いわば現代の診断報告。テロが3回、性転換あり、少女強姦あり、夫婦の乱れあり、そういう時代。一度飛行機が落ちた家にはもう落ちない、という考え方にすがって何とかしのいでいる。一つ一つの災難をすごろくのマス目と思って歩いていくしかない。暴走車を二度出しておいて、けっきょく自分の車で子どもを殺してしまう皮肉。笑えるのだけど、笑っていいのか、という後ろめたさがつきまとう笑いで、とにかくそういう煮え切らない・はっきり出来ない時代だということははっきり分かった。老成しているような・幼稚なような主人公にふさわしい。少年のときの夢をラストで成就させるまで、とことん皮肉。当時メアリー・ベス・ハートは美しく、現在ポール・マッカートニーは64歳を越えている。 [映画館(字幕)] 7点(2013-05-29 09:55:24) |
292. アンディ・ウォーホル/スーパースター
スーパースターってのは、ウォーホルの造語だったそうだ。なんか意味が違ってきてる。今はスターの中のスターって感じだけど、この人のは、スターを超えて、って感じ。ウォーホルのドキュメンタリー映画。この人の表情はヤク中だとばかり思ってたけど、ああいう表情で防御しなければならない立場に自分を追い詰めていった、って感じもある。自分から大衆=マスコミと関係を持ち続け、彼らがそうしてほしがる「微笑」の対極へ対極へ押されて行っちゃった、っていうのか。微笑も駄目だが奇人を装うことも陳腐になってしまう、そういう恐ろしい時代を、彼も加担して作ってしまったのだ。芸術家は奇人を装って大衆から隠れていればよかった、たとえばダリなんかの時代はまだ牧歌的だった。家族とファクトリーの連中とは会わせなかった、っていうとこ、なんか痛ましい。 [映画館(字幕)] 6点(2013-05-28 09:57:55) |
293. 歌っているのはだれ?
《ネタバレ》 いろいろな人が乗り合わせてバスは行く、いうよくある設定だけど、よくある映画にはなってない。非凡。このバス、親父が絶対権力者として君臨し(他の乗客は諦めている)、軍隊やらテロリストやらが絡んできたり、ジプシーや喀血男が心理的に排斥されていったり、政治風刺的にも見えるが(1941年セルビアからベオグラードにバスは向かっている、ってのはドイツ侵攻とかち合うとピンと来るらしいんだけど)、そう見ちゃうよりブニュエル的コメディと思いたい。回り道をすると、なぜか道を耕している、とか、紳士が落下して泳いで帰ってくる、とか自由奔放(追放された猟男も再登場するんだったっけ? 常に乗客を回収するバスだ)。こういう自由さがドイツの侵攻という歴史と吊り合っていたのかもしれん。川辺での宴はラストを知ってから思い返すと哀切。運転手青年の笑顔が忘れられませんなあ。 [映画館(字幕)] 8点(2013-05-27 09:56:54) |
294. 幕末純情伝
前半はいいんです。沖田総司が人や格子を斜めに切り裂くところとか、喜八や清順を心の師にしているのか、新人監督の気合いが感じられます。牧瀬里穂の二本差し姿もりりしいし。でも彼女が娘姿になってから勢いが落ちた。別に史実を守る義務なんかまったくないんだけど、せっかく沖田が女だったという嘘を一個入れたのなら、その回りは出来るだけ史実で固めたほうが、その嘘が輝いたんじゃないか。つかこうへいの原作はどうなってたんだろう。全共闘がダブって、変革とか挫折とか、そういうモチーフも入ってたな。町人たちのなかにチョイ役で漫才がいる(「ピンクの電話」って言ったか)のが、なんか懐かしかった。むかしは鳳啓助・京唄子あたりが顔出してた。ちっとも面白くないし、映画作品としてどういう効果が出てたのかは分からないけど、あの「賑やかし」の気分は、寄席の演芸で落語の合い間に色物芸が入るようなもんで、嫌いじゃない。ポスターなんかで無理におどけた顔して隅っこに写ってて、ああいう伝統しばらく絶えてたんだけど。 [映画館(邦画)] 5点(2013-05-26 10:02:25) |
295. キッド(1921)
終わり間近「夢の国」の場になる。登場人物たちが羽根を生やして失楽園を演ずる。いちおう子どもを失ったチャップリンの内面世界ととれるが、ジェラシーとかイノセントとか、それまでのストーリーからは浮いていて、現代人の目にはとてもヘン。これは活動写真が見せ物だった時代の名残りと思うのが一番いいのではないか。ワイヤーアクションで舞台の芸人が飛びかっているような見せ物。古いミュージカル映画のラスト近くにも、筋から自由になった長めのダンスの見せ場がよく置かれる。私は勝手にカデンツァ(協奏曲のコーダ近くにある独奏者の見せ場)と呼んでいるのだが、あれも映画が見せ物だった時代の名残りではないかと想像している。映画がストーリー(筋)に屈伏させられないよう抵抗しているようでもあり、ああいう無意味が氾濫する場を終盤に用意するのは、もと見せ物客だった観客に対するサービスだったのではないか。日本の昔の村芝居では義経が人気だったので、ストーリーに関係なく「さしたる用はなけれども」と言いながら義経が舞台を通り過ぎた、という話はよく聞く。決して無意味が無価値ではなかったかつての演劇の活力を、映画は受け継いでいたはずなのだ。舞台が意味に覆われてしまったイプセン以後の近代演劇のほうが異常なのである(いま思ったのだが、植木等の「およびでない」のコント、大好きだったが、これと関係してないか)。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2013-05-25 09:36:48)(良:1票) |
296. トイ・ソルジャー
だいたい立て籠もる話はその設定だけで好きになっちゃうんで、『わらの犬』あり『狼たちの午後』あり『ダイハード』ありと、永の年月見てきたもんだが、これはあんまり立て籠もった甲斐がなかった方。ワルモノがコロンビアから逃げ出して来るんだけど、ずっと追跡されててヒョッコリ学園にやってこられるもんかな。あるいはラスト、軍の突入となれば犯人側はまず人質を固めると思うんだけど、外を走り回って死んでっちゃうのがトンマ。そういうのはいいとしても、不純な要素が死んでいって、アメリカの純潔な部分が残るように見え、古めかしいヒロイズム讃歌が聞こえてくる。ま、黒人が残っただけでもヨシとするか。こういうので多いのが、有色人種がしばしば尊い犠牲になってみんなに哀悼されつつ消えていくパターン。それはなかった。内部情報を伝えに外に出た主人公が、軍隊にとどめられるあたりちょっとハラハラした。ああいう仕掛けをもっと欲しかった。 [映画館(字幕)] 6点(2013-05-24 10:37:55) |
297. 就職戦線異状なし
情報もの的な青春群像もの、ってことになるのか。バブル期の優雅なリクルートの記録になった(『大学は出たけれど』と二本立てで上映すると昭和平成における学生の就職比較を学ぶ講座になるでしょう)。「なりたいものより、なれるもの」になっていくことより、「なりたいもの」が外部から決定されていくとこに、この時代の問題点があったんでしょうな。若者たちが社会を手玉にとってるようでいて、実は嬉々としてシステムの中に飛び込んでいく、ようなところがあって、こういう方向にはより強固な「社会」が存在する気がして、いささか不安を感じたが、その未来が今になってるわけだ。会話が弾むところは脚本協力の坂元裕二か。本田博太郎の不快感をもっと大きく扱ってもよかった気がする。ラスト近くの「楽園の終わり」の感覚は悪くない。仲間っていいもんだ。でもそれ本来「社会」と拮抗させるべきものなのでは、と思うのは、バブル時代を謳歌しなかった者の僻みか。 [映画館(邦画)] 6点(2013-05-23 09:42:02) |
298. 気違い部落
日本に紹介されるトルコやアフリカの映画では「土地の掟」の苛酷さがしばしばテーマになる。日本にはなかったのかっていうと、正面からぶつからなかっただけで、曖昧に受け入れたナアナアの民主主義の裏で、「因襲」は「世間体」などと姿を変えて生き続けた。『青い山脈』だって『砂の女』だって、けっきょくその日本の社会の閉鎖性を描こうとしており、渋谷実もそれをたびたびテーマにした。戦前の『母と子』の男性社会批判の視線は、本作でも主人公の妻である淡島千景にある。ただせっかく森繁の解説者を導入するという秀逸なアイデアを用いたのだから、村の渾沌をドキュメンタリー的に提示した前半の手法で全編を貫く勇気が欲しかった。後半は伊藤雄之助が裁き手になって、分かりやすいドラマになってしまう。ま、そうなりそうなところで、ストレプトマイシン売ってしまうなんて展開になり、あそこらへんの持って行き方はいいんだけど。チョボイチやってるとき父の死の知らせが入った中村是好の反応や、死んだバアさんの入れ歯を使う藤原釜足のギャグで笑う。奥様と呼ばれたくてアッパッパを着て階段の上に立つ三好栄子がやはり凄い。葬式のあと庭で踊るとこも。 [映画館(邦画)] 7点(2013-05-22 09:59:35) |
299. スリーメン&リトルレディ
フランスのコメディをハリウッドでリメイクしたののさらに続編だって。だから新しい家庭のあり方を探るっていうほどの意気込みがある話ではなく、もっぱら大の男たちが子どものゴキゲンを一生懸命とる、っていうのの笑いばかりで、つまらない。せっかく特異な、性を基盤にしない寄り合い家庭を設定したのに、生きてない。そういうのはやっぱり無理だね、って話に落ち着く。イギリスの寄宿学校長が協力していく展開はいい。アメリカ人のイギリスに対するコンプレックスの深さなのか、こうまで単純な悪役に出来るっていうのは。 [映画館(字幕)] 5点(2013-05-21 09:39:32) |
300. いばら姫またはねむり姫
岸田今日子の奇妙な童話が原作。「眠りの森の美女」の新解釈もの。情熱に突き動かされて、うつろになってしまうってところが監督の好きな女性像なんだ。息を荒げている人形ってのがけっこうエロティック。つまりこの人は人形にふさわしくない「過剰な情熱に翻弄される女性」ってのが好きなのよね。それを無表情な人形のなかに封じ込めることに、妖しい悦びを感じてしまう人らしい。けっこう不健全なんだ。そもそも人形を動かして悦びを得る「人形アニメーター」ってのに、変態の要素があるんだが、子どもの遊び初めは、だいたい手で持って動かす人形遊びなのではないか。人形とは、ただ眺めるものでなく、「動かないはずのものを動かす(アニメートそのもの)」悦びの最初の道具なのだろう。変態の目覚めとして。 [映画館(邦画)] 7点(2013-05-20 09:55:47) |