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コメント数 307
性別 男性
自己紹介 直接的に「内容」に向かうのではなく、「スクリーンへの現れ方」を語る言葉(技法論的な言葉)をなんとかめざしたい。

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281.  白いドレスの女(1981) 《ネタバレ》 
人間関係が、物象化というか結局は金銭的なものに従属する事態。したがって、見えた人間関係が信用できない。観客は何を観るのか。
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-14 21:09:10)
282.  人間蒸発 《ネタバレ》 
「探す映画は探される」というのは、私の持論である。探す主体がやがてまさに探される客体となるのは、何もこの映画に限ったことではない。この映画作り自体がはじめからそれを意図していたであろう、探すことをやめた時、見つかる重大なこと、があった!
[映画館(邦画)] 8点(2011-03-14 20:43:50)
283.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
3Dの値打ちは、怪物に実際に襲われたとおもえたことくらいかな。人間の代表が白人で、人間は自然破壊の権化なのだが、悪い人間(白人)ばかりというわけではない(良い白人もいる)という話。これで人間=白人の罪滅ぼしとなるかなのだが、なるのだなこれが、なんと便利な白人中心主義。
[映画館(字幕)] 5点(2011-03-14 20:29:10)
284.  熊座の淡き星影 《ネタバレ》 
ヒロインのカルディナーレが親の屋敷に帰る。ざわめく庭園、地下空間での弟との絡み、それだけで絵になる。エレクトラ系の物語への仄めかしもあるが、決定的な次元には至らない(踏みとどまっている)。こういう堂々たる美しさの映画はぼーっと映画館で眺めているだけで(正直一回目は居眠りをしたが、その後映画館で二回観た)満足できる。
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-14 17:12:18)
285.  バック・トゥ・ザ・フューチャー 《ネタバレ》 
べつに期待もせず、空席の目立つ京都の大きな映画館(京都スカラ座、後にあの『タイタニック』もここで観たが、その時は超満員だった)で観た。「未来に帰れ」という台詞に出会った瞬間のウレシサ、これにつきる。ところでこの大きな映画館の方は今はもはや無い。ならばこの映画館の「未来」はたいして無かったのだ、悲しいことだ。
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-13 21:02:47)
286.  ふるえて眠れ 《ネタバレ》 
映画館で凍えるほどの怖さであるが、日常的なレヴェルと繋がった怖さだからである。父の反対する恋路に執着したせいで父が殺されたことがヒロインを強烈な罪意識のなかに収監する(こういう罪意識は程度こそ違えそこらじゅうにある)。精神的に寄る辺のない状況にあるヒロインの家に侵入する者との闘争、これまた息苦しいまでにリアルである。
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-13 20:22:46)
287.  フェリーニのアマルコルド
こういう映画は映画館の中で居眠りしたとしても、意義ある居眠りというか、スクリーンとの楽しい同調ということになろう。充実した足し算の回想。
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-13 15:15:55)
288.  熱い夜の疼き 《ネタバレ》 
クラッシュ・バイ・ナイトのこの邦題はどうかな、誤解を呼びそう。フリッツ・ラングのアメリカ時代作品の白眉。ひょっとしたらフィルム・ノワール作品よりもこういう恋愛ドラマのほうが得意だったのかも知れない「ドアの映画監督ラング」。人妻バーバラ・スタンウィックの住居の中のドアを押し開けて観客の目に触れるのが、間男ロバート・ライアン、もうそんな仲だったのかという完了形をふりまいて。抑圧の心のドアを押し開ける欲望。
[映画館(字幕なし「原語」)] 9点(2011-03-13 14:55:06)
289.  砂の女 《ネタバレ》 
「映画化」というものの貴重な成功例である。原作に夢中になり、映画館(リバイバル上映だった)でも映像世界に入り込んだ。岸田今日子の鰻のような(?)存在感がいいし、岡田英次も観客の代行をそつなくこなしてくれる。
[映画館(邦画)] 9点(2011-03-13 14:35:25)
290.  隣りの八重ちゃん 《ネタバレ》 
「松竹小市民映画」つまり松竹モダニズムのエース「島津おやじ」の傑作。原題「隣り」で動詞的送りがな「り」がついているのに(もちろん旧送りがなということでもあるが)いまや「り」なしでこの作品を扱う向きがある(DVD版なども)のは実に「わかっていない」。モダンな消費社会の郊外において買われた「隣り」、昭和初期の動詞的に隣り合う二つの文化住宅、の快適な付き合い。「り」は例えば冒頭のキャッチボールにおいて暴投されるボールである。「隣りの窓ガラス」というものはよくわれるのであって、われた窓ガラスは幸福な「隣り」の換喩なのである。そこに波風、結婚に破れた(八重ちゃんの)姉岡田嘉子が帰ってきて主人公恵太郎に迫る。だが岡田嘉子は「隣り」には似合わずまた隠喩的に「蒸発」する。岡田嘉子はどこへ行ったか。それはともかく、快適なモダンな「隣り」の付き合いは、やがて来襲する陰気な「隣組」(「り」はない)の時代に踏みにじられたのであった(とは、この映画の外である)。 
[映画館(邦画)] 10点(2011-03-12 13:05:00)
291.  リンダ リンダ リンダ 《ネタバレ》 
際立ちを抑制したタッチが成功した映画である(こういうタッチで二匹目のドジョウを狙うとうまくいかないのかもしれない)。ドアのフレームの中に練習中のメンバーたちを収めたショットが良い。
[映画館(邦画)] 6点(2011-03-12 12:45:45)
292.  エロス+虐殺 《ネタバレ》 
みなさんのあまりに低い評価には驚きます。当時映画館で観たときには「乱調の美」に魅了されました。いまさらいうまでもなくDVDで観るのは映画の「内容」を正確に「知る」には適しているでしょうが、映画を「体験する」のにはほど遠いですから、ロングヴァージョンとかのDVDを私はこれからも観ることはないでしょう。
[映画館(邦画)] 9点(2011-03-12 12:31:00)
293.  欲望(1966) 《ネタバレ》 
緑の公園の木々のざわめきのなかでシャッターをきりまくる。写真の中に映り込む殺人事件。引き伸ばし(Blow Up)作業だけで見せる映画は、いうまでもなく、コギト主義的な認識のあり方に対する根本的な反抗(こういうナイーヴな表現も似合う時代の映画)である。
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-11 22:59:37)
294.  日本春歌考 《ネタバレ》 
安保などをめぐる政治の季節の敗残兵世代に、60年代後半の新しい世代が対置される。当時この映画の宣伝の文脈で、荒木一郎が共演の「新感覚の」若者たちと共に「スター千一夜」でじゃれ合っていた。このインタビュー番組の「コミュニケーション」にろくに応じず、じゃれ合っていた、大人の理解をまったく超えた新しき存在として。それがなんともかっこ良かったのである。この映画が原点なのである、私の場合。ところで、大島渚の不幸な点は、この映画でも露呈したような、今やジェンダー論的に生き残れないような女性観にある。同じ松竹ヌーヴェルヴァーグでも吉田喜重とそこが違う。
[映画館(邦画)] 9点(2011-03-10 22:55:31)
295.  8 1/2 《ネタバレ》 
映画館で数回観た。なんという美しい黒白映画。なんという豊饒さ。映画監督役マストロヤンニにもはや映画は作れないとなり、セットが壊され始めて地面に落ちる鉄パイプの無粋な音、それさえも映画の夢の側に加担する。風が強いなか、マストロヤンニが記者会見の席でテーブルの下に逃げるのがなぜか無性にいい。そして「人生は祭りだ」は万感胸に迫る。この映画は「映画の映画」の社会学的なスタイルをとっておりその分だけフェリーニ・ワールド噴出に程よく歯止めが掛かっていて、最高の味となっている。
[映画館(字幕)] 10点(2011-03-10 19:01:26)(良:1票)
296.  男の子の名前はみんなパトリックっていうの 《ネタバレ》 
この切れ味!スピード。諧謔。目の覚めるような出来。付き合っている二人の女の子と(つまり三人一緒に)同じフレームに入らないかぎりは大丈夫の二股男、ということは、これはまさにモンタージュという映画の持ち前をフル活用ということである。しかし、モンタージュ方式の嘘もやがて命数尽きる、ヌーヴェルヴァーグの基本手法が長回しなのだし。
[映画館(字幕)] 10点(2011-03-09 17:32:56)
297.  白夜行 《ネタバレ》 
隠された謎をめぐるミステリーは映画向きではないというのは、あのサスペンスの巨匠ヒッチコックの言葉だが、それは、映画は見せてナンボだから。それをよく承知してこの映画は、謎解きをする船越がつねに画面を占めるというふうにはしないで、むしろその姿は画面から消えていく。そして、ほんらいの物語が展開したのち詰めの段階で、その物語の展開をすべて観ていたかのように事情に通じている船越がまた登場するというかたちにしている。なるほど「見せて」はいるのだが、サスペンス(宙吊り)のハラハラ感が足りない感じだ。以上ミステリーとサスペンスの違いを言おうとしたのだが、この作品は適例ではないのかも知れない。さて、問題はもっと別のところにあって、ミステリーが映画向きではないのは、人間描写に厚みがないからだ、と言っておこう(そもそもあの松本清張のヒロインたちが機能化されたものだった)。機能化された平板な人間像をミステリー小説的にはゆるせても、映像的には生身の人間として映る分いかにももの足らないことになってしまう。
[映画館(邦画)] 4点(2011-03-08 22:24:23)
298.  気まぐれな唇 《ネタバレ》 
ゆきずりの恋の映画に「なってしまった」というように見せて、不思議な充実感を放つ。映画館に足を運ぶというあたりまえのことが報われる典型例の映画。ホン・サンスの作品のなかでも白眉。
[映画館(字幕)] 8点(2011-03-06 22:13:03)
299.  この窓は君のもの 《ネタバレ》 
典型的な長回しの映画。松葉杖の彼の家の二階が気持ちの良いパノラマで、そもそも撮影技法のパンにはうってつけというわけだ。長回しのなかでアイスクリームは溶け始めるし、西瓜の種も周囲へと威勢よく吹き散らされなければならない。彼女が運転する自転車のショットすら、それに同乗するのが松葉杖の彼なので、緊張感のある長回しのスペクタクルとなる。緑蔭、青い空、白い雲、良い感じの映画だが、松葉杖から「一挙に」(これが嘘っぽい)解放されるや彼が彼女を追いかけ回すくだりは馬鹿らしい。惜しいことである。
[映画館(邦画)] 6点(2011-03-06 17:37:00)
300.  トスカーナの贋作
観客に向かってのメイク直しは、観客を鏡役割にしているのであるが、通常の関係を逆転している。通常は、スクリーンが観客の同一化のための鏡であり、そんなふうに例えば『トリコロール、青の愛』に引きつけられたのだった。いまや人としての厚みの方で勝負していそうなビノシュのカメラ目線すれすれの眼差しを、観客が受け止める番なのである。
[映画館(字幕)] 6点(2011-03-06 00:34:46)
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