361. ザ・コミットメンツ
《ネタバレ》 「青春に乾杯」もの。いろんな奴がある期間イキイキした時を一緒に過ごし散っていくってのに弱く、ましてそれがアイルランドだったりすると、もうたまらない。ひなびた味わい。何が何でも栄光ってんじゃなく、とにかくこの沈滞した空気を撹乱したい、っていうのがまずあって、これが青春なんだな。ダブリンってのを一言でいうと、馬のいる町。画面の隅にごく自然に馬が立ってる。エレベーターに乗ろうとしてる奴もいる。強盗の流れ弾で死んだ馬が、思えばグループ解散の予兆だったんだ。馬はそこらにいるんだけど、ついに走らない。オーディションに並ぶいろんな奴、行列があったからヤクの密売かと思った、とか。エルヴィスと法王の写真(エルヴィスを上にして)を掲げるおとっつぁん、カトリック国アイルランドの風土をサラッと見せる。彼らが分裂していくのも金がらみでないのがよく、青春を汚さない。 [映画館(字幕)] 8点(2013-03-20 09:23:03) |
362. グレイストーク/類人猿の王者ターザンの伝説
これは綺譚なんですな。興味本位で語られた話。登場人物は話を面白く進めるためにのみ奉仕し続けるんだけど、じいさんだけが飛び抜けて「人間」が描かれてしまって綺譚の枠をはみ出してしまう。作者の思い入れでしょうか、最後の貴族の風格があって。おそらくアイデアとしては、そういった洗練された貴族趣味と原始のターザンとを衝突させる面白さみたいなものを狙ったんだろうが、こっちの貴族趣味のほうに惚れてしまってる(光抑え目で美しい)。どちらかと言うと否定したく思ってたんじゃないかな、でもそっちに傾いてしまう。否定しなくちゃいけないと思いつつ惚れ込んでる、ってのが一番面白いんだ。『炎のランナー』の監督なら仕方ないだろう。猿の表情がやっぱり微妙に人間の表情。母猿の慈愛とか、矢が刺さったときの驚きと苦痛とか。 [映画館(字幕)] 7点(2013-03-19 10:23:13) |
363. 恋する人魚たち
シェールとボブ・ホプキンスの、家族観の違いが面白かった。シェールは娘たちと一対一であろうとするが、ボブは家族ワンセットで愛そうとする。そのズレ。あとは母と娘の葛藤もののモチーフがあり、ソツのない映画ではありました。ケネディ暗殺の日ってのが、アメリカ人にとっての共有体験確認日のようで、あの時どこで何してた? ってのが知り合ったときの会話になるんだろう。偉大な大統領だった、ってののほかにカトリックの大統領ってことも印象強いみたい(おそらく未来ではオバマも同じように特異な大統領として歴史の刻み目の目印とされることとなろう)。ウィノナ・ライダーのおでこの血管が気になったが、彼女より牧瀬里穂の十年前のような妹が気になる(なんてロリコンチックに当時記録してたが、クリスティーナ・リッチである)。 [映画館(字幕)] 6点(2013-03-18 09:53:44) |
364. 悲しみのミルク
恐乳病なんて具体的なイメージがいかにも南米的で、じゃが芋で貞操を守るなんてのも、あちらのマジックリアリズムみたいなんだけど、よく知らない国の話で困るのは、こっちが奔放なイメージと思って感心したものが、あんがいあっちでは「普段」だったりすることがあり、あのじゃが芋はどうなんだろう。暴力の時代の、女性の苦難史の伝承が、あるいは母乳に託され、あるいは歌に託されていたよう。それをどんどんさかのぼっていった果てに、母の村にたどり着くのだが、この海が見えてきたところでかなりハッとした。映画で海が出てくると、だいたいハッとするものだが、この場合海は、さかのぼる旅がどんどん進み、まだ生物が肉食を始める前の、さらには有性生殖を始める前の、闘争のない穏やかな世界まで髣髴とさせてくれたよう。そういえばこの映画、結婚式シーンが繰り返され、有性生殖を始めて以後の生物の雌すべての物語として、悲しみの歌が連綿と続いているとまで受け取れないか。この手の映画は「そう理解したもの勝ち」だと思っているので、大風呂敷を広げてみた。あと好みのシーンは、結婚式での引出物のパレード。奔放なイメージと言うより、あちらでは「普段」なのかな。 [DVD(字幕)] 6点(2013-03-17 09:52:20) |
365. 浅草の灯(1937)
人間模様もの。昭和初期が大正を回顧しているのを現在の私(昭和末期でしたが)が見るんだから、ちょっとややこしい。映画製作時の彼らが抱いた懐かしさと、映画製作時への私の興味が複合して。娯楽の中心が銀座へ移ってしまった時代に、大正の娯楽の中心だった浅草を描いてるの。もっと風俗が織り込まれてるかと思ったが、大震災で壊れた十二階の内部がセットで見られたぐらい。ちょっと乱歩っぽい。肺病男が、伝染るといけないからとひげをあたってもらうのを断わって皆に歌を歌ってくれと言うあたり、浅草の滅びそのものが重なっているのか。杉村春子が歌って踊ります。島津監督としてはほかの代表作より若干劣るかと見えたのは、単純に高峰三枝子がヒロインだったせいかもなあ。 [映画館(邦画)] 6点(2013-03-16 10:08:33) |
366. ハートブルー
悪役のキャラクターがちょっと不統一。人を殺さない銀行強盗とサーファーグループってのはいいんだけど、女を人質にしてFBI青年を強盗に誘い込むのは、ズレがある。一応弁解みたいなこと言ってたけど。大統領の面をかぶり蝶ネクタイを締めたスタイリッシュな銀行強盗団。車での追っかけよりも、走って人のうちを突き抜けていくほうが興奮した。追跡の基本は「人間の走り」。サーフィンシーンは爽快だが、スカイダイビングのほうが楽しそう。泳いだり、もたれかかるような感じになったりの浮遊感。圧倒的に重力に支配されながら、無重力状態の解放感があって。 [映画館(字幕)] 6点(2013-03-15 10:15:06) |
367. ブリキの太鼓
オスカル君の気味悪さは映画ならではのストレートで迫ってきます。ずっと生き続ける祖母をポーランドに残したまま、成長を再開するオスカルは西へ行ってしまう。これはどう考えればいいのか。ポーランドに残って成長していくってのなら分かりやすいが。彼の太鼓は、軍楽隊のリズムをワルツに変えもするが軍隊の慰問にも使われる。不快に思っても政権から離れられない「芸術」と見てそう間違いではないと思うが、母の死以後の部分がよく分からない。でもそういう“分からなさ”が寓意の豊かさで「きっと深いんだ」と思わせられるのが、芸術映画の得なところ。 [映画館(字幕)] 7点(2013-03-14 10:00:50) |
368. トゥルー・グリット
《ネタバレ》 世の東西を問わず、父親の仇を討つのはもっぱら息子の役割りだった。その姉なり妹なりが、留守の間の家を守っていた。しかし娘が仇討ちに出たっていいだろう。男の時代だった西部劇の中に家長意識の強い少女を投げ込んでみた旧作(私は未見)のリメイク。少女の「けなげ」は、もっぱら家の中で描かれていたのが、ここではほとんど「したたか」と紙一重に社会の中で描かれる。縛り首の罪人が揺れる町で、大人と同等に権利を主張する。父のような大人を雇い、仇捜しの旅に出て行く。その一種のロードムービーで、旅の途上のあれこれに、西部劇時代末期の、無法者の時代が終わろうとし、同時に自由な時代の終わりでもある索漠とした空気がある。少女は父の仇を撃ち、その反動で穴に落ち込むという、初めて子どもらしいしくじりを経験する。それまで家長代理として気張ってきた彼女が、無力な子どもとなって穴ぼこの中で助けを求め、ジェフ・ブリッジスが父のように救出する。蛇に咬まれていた彼女を運ぶシーンが、本来あるべき西部劇の本当の父娘の幻想のように美しい。ずっと旅を共にしてきた馬は、西部劇の時代が終わったのを告げるかのように力尽きて倒れ、鉄道の走る味気ない近代に入る。そんな段取りの映画だからアクションの陶酔はあまりないが、女子どもをはなから脇役にイメージしがちな西部劇ってものに疑問を呈してみたみたい。 [DVD(字幕)] 6点(2013-03-13 10:09:55)(良:2票) |
369. クリスタル殺人事件
《ネタバレ》 最近ニュースで風疹流行のことがしばしば語られ、この映画をぼんやり思い出していた。津村記久子の新作読んでたら、この映画の原作についてちょっと触れた部分があった。何か周囲からさかんに促されているようで、レビューを書いとこうと思った次第。あのころクリスティの映画が流行って、だんだん粒が小さくなってきたころの一本。私は名画座で『殺しのドレス』の付き合いで見ている。いまキャスティング眺め、一昔前のスターをそろえた「あの人は今」的な興味狙いの映画だったのかと思ったが、ともかく私が初めてリアルタイムでエリザベス・テイラーを見た作品だった。このオバサンが昔の絶世の美女だったのか、と眺めた。何が起こっていたのかを了解する場面での彼女の透明な瞳に、かつてのスターの凄味を見た気がし、おそらく彼女にとっては本作なんかで思い出されても困るだろうが、私にとってはE・テイラーというとけっこう思い出される映画になってしまった。ロック・ハドソンの演技などしっかり一昔前のもので、おそらくそういう味を狙った映画だったのだろう。ブラックなところもあるが、イギリス式ユーモアで、女優同士のののしり合いなど、まあまあ楽しめた記憶。殺人の動機がユニークで、それが印象に残っていた。妊娠している方の周辺では風疹にご注意。 [映画館(字幕)] 6点(2013-03-12 10:07:25) |
370. いとこ同志
《ネタバレ》 うまくいく奴とうまくいかない奴の話。うまくいく奴にとっては何でもないことが、うまくいかない奴にとっては大障害であったりする。それぞれの人生ってことで、しょうがないの。“ヌーベルバーグ”と構えていた想像よりは、しみじみしたいい映画でした。まじめ男が初めて思い切った行動に出たのは(ロシアンルーレット)不発に終わり、彼の命は「うまくいく奴」の遊戯の中に終えられてしまう。このバックに延々とワーグナーが流れることで、つまらん事故が荘重な運命悲劇の様相を帯びるんだ。神話のなかの兄弟の相克って感じで。なぜピストルに弾が入っていたのかを理解していく長回しが素晴らしい。 [映画館(字幕)] 7点(2013-03-11 09:45:39) |
371. 大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇
この国で地獄は長らく死とセットになった恐怖の場所であった。現代日本人はついにそこまでレジャーの対象にしたか。この夫婦、帰ってこられるのは当然と思ってちょっととしたエスニック旅行気分で旅立っていく。そのあっけらかんぶりには、地獄への怖れは感じられない(アリスの不思議の国への旅立ちをなぞったような段取り。時計うさぎの代わりにジャーを盗んだ柄本明、うさぎ穴の代わりに屋上のバスタブ)。この「あっけらかん」が本作の笑いのツボで、夫婦の緊迫感のない会話が面白い。鬼にやるチップの相場はこれくらいだろうか、とか。だからあくまで観光旅行であったほうがいいので、赤鬼の襲撃や温泉での事故など「身の危険」を感じさせる出来事は余計な気がしたが、なにせこういう話なので、まあどうでもいい(タイトルでも「たのしい旅行」と断わっている)。最初の森の道で「後ろがパレードみたい」ってあたりが個人的にはウケた。ホテルやナイトマーケットになると、エスニック旅行への「なぞり」が、少しハッキリし過ぎて膨らみがない。死者が最後に行く場所というより、これから生まれる者の待機所でもあるようで、そういう輪廻に日本人の死生観がうっすら残っていたか。ともかくリアリズム好きの邦画界では貴重な作品でした。森の道のシーンで二人を追ってカメラの上下がひっくり返るところ、中川信夫の『地獄』への挨拶と見た。 [DVD(邦画)] 6点(2013-03-10 09:20:00)(良:1票) |
372. ターミネーター2
《ネタバレ》 本作のあたり、90年代の前半、SFX技術は急速に進歩した。昔の合成の、ふちが緑に光ってたころから特撮映画好きだった者として、ほぼ完成の域に達したなと感慨無量であった。下水溝のチェイス(トラックが跳び下りてきて追っかけちゃうんだもん)などアクション映画の基本的な見せ場もシャカシャカいうリズムに乗せて身を乗り出させるが、液体金属ロボットの動きに力を入れていて「ここまで来たか」感が強かった。床の市松模様がムクムクと起き上がったり、格子を通り抜けてもピストルは引っかかったり、と芸が細かい。見せ物として本道を行っている。エレベーターの天井からブスバスと刺してくる。せっかく液体金属の身体ならもっとほかの襲い方もあるんだろうが、まいいか、と思わせる。液体窒素で凍るとこも細かい。足がボロッ、ついた手がボロッ、でも細片が融けてまた戻っちゃうの。この監督は女性に重火器持たせて戦わせるのが好きみたい。 [映画館(字幕)] 8点(2013-03-09 09:51:28)(良:1票) |
373. 風の中の恋人たち
とんでもない邦題にもかかわらず、なかなか良作、とりわけ前半。原題は「ナヌー」、ヒロインの名前。フランスを旅するイギリス娘。列車の中で沈黙のまま、パン、卵、塩(!)などを交換し合っていくあたりの演出のきめ細かさ。その村に降りるかどうか迷ってコインを投げ、それでも走りかかった列車から飛び降りてしまう(カメラを忘れてそれが後の伏線となる)。男の無骨さが、いかにもフランスの地方人なのか。外国を一人旅する女性のスケッチとして味わえる。後半政治が絡んできて、ちょっとトーンが濁るんだけど、ラストがまたいいんで印象は良。男の不器用さに好感が持て、どこか幼さの残る若者の恋のドラマとして良。この女流監督、その後どうしてるのか。 [映画館(字幕)] 8点(2013-03-08 10:19:11) |
374. オーメン4<TVM>
《ネタバレ》 2、3見てないので、分かるかなあと思ったけど、でもこれは3から10年ぐらい跳んでるので、独立したものとして見てもいいだろうと思った次第。アンチ・キリストが少女という発想がミソなのか。父・母・娘の三角関係に重なるような構造。仲のいい父と娘に嫉妬する母の妄想ともとれる描き方をしたほうが面白かったのでは、とちょっと思ったが、このころのアメリカは相対主義に疲れてて、邪悪なものはとことん邪悪という絶対主義で憩いたかったときなんでしょう(たとえばイラク)。その邪悪なものに囚われた少女の叫びみたいなものがあれば膨らんだんだけど、やっぱ絶対主義はつまらない。アメリカにとってのカトリックを考えるサンプルにはなる。あの宗教の長い歴史には「恐れ入っちゃう」ってところが、ヨーロッパから逃げ出した者の末裔であるアメリカ人にはあるみたい。 [映画館(字幕)] 5点(2013-03-07 10:23:01) |
375. スミス都へ行く
《ネタバレ》 アメリカ映画で優れている部門は、スラプスティックやミュージカルやいろいろあるが「民主主義とは何ぞや映画」というジャンルもある。あの国は絶えず民主主義を問い返し、そういう映画の伝統がずっとあって、それには素直に頭が下がる。私が知ってる範囲では本作が一番好き。日本でも「社会派映画」というのがあり、同じように政治の腐敗を描くのだが、それはただ野党的に「けしからん」と言ってるだけなのが多く、差は歴然(日本における「野党的なもの」ってのには、文句垂れるだけで善しとしてしまう無責任体質があるのが問題なんだけど)。そこいくとアメリカはリアリズムの地平から少し離れて分析し、ペイン上院議員なんてキャラクターも生み出す。若いうちは理想に燃えていただろうがやがて「それが現実さ」という諦念に呑み込まれ、今や理想に燃える主人公をハメていく。スミスのまぶしさへの嫉妬も感じられ、厚く造形された人物。そして何より議長が素晴らしい。特別な意見を言うわけでなく、議長としての限られた発言をするだけ。喋り続けるスミスの対照のように。しかし若者の熱意を大きく包み込む擁護者として、彼は議長席から見守っている。本作はこの二人のセットで健全な民主主義というものを考えている。理想家を賞揚し過ぎず、また青臭いと冷笑せず、二つの芯を持った運動体として見ている。これがアメリカの民主主義の理想なんだと思う。この映画、政治の暗部を御用マスコミやそれに簡単に動かされる大衆、つまり今この映画を見ている我々にまで広げて見せ、ただ「けしからん」と言って済ますわけにはいかなくしてある。喋りすぎる映画はだいたい駄目なものだが、本作は別。だってこれは「言いたいことを言うことの重要さ」がテーマなんだから。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2013-03-06 10:03:10)(良:3票) |
376. 愚なる妻
シュトロハイムが自信持ってるなあ、という表情って分かる。ヨーロッパの表現主義を引きずってる。たとえば空涙を流して手の陰で目を光らせてるとことか、鏡で女を盗み見るとことか、きっとああいうとこに自信があったんだと思う。今から見るとクサいんだけど、でもこういうヨーロッパ風・悪の粘着的魅力ってのが新鮮だったに違いない、アメリカでは。そこらへんの「アメリカに渡ったヨーロッパ人の映画」ってことの表現のあれこれに興味は湧くが、現在残っているフィルムで(オリジナルから見ればほとんど断片)何か言ってはいけないような気もする。セットと知らなければそれほどお金掛けてる映画に見えません。 [映画館(字幕)] 7点(2013-03-05 09:18:13) |
377. ハリーの災難
実に礼儀正しい死体なんだな。一番日常の対極にあると思われているものが、美しい田園風景の中にあることのおかしさ。しかも誰もびっくりしないの。絵描きがスケッチに描き込んでから気づくユーモア、船長のいろいろな独白も面白かった。とにかく語り口のうまさね。みながシャベル持ってぞろぞろ歩いている楽しさ。あるいはオールドミスが告白すると決意する中に含まれている“自分だって男に襲われるのよ”と公言したい気持ちの微妙さ。そして無駄のなさ。靴を盗んでいった浮浪者も、気づかぬ医者もちゃんと役立つ。開いてしまうドア、子どもの言い間違い、まで。ここまで丁寧だと窮屈に感じそうなのに、そこがイギリス生まれの人の根っからの体質なのか、品の良さなのか。 [映画館(字幕)] 8点(2013-03-04 09:47:29)(良:1票) |
378. 瀬戸内少年野球団
《ネタバレ》 敗戦後の地方小都市における風俗カタログという感じで、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、ああこういうことあったな、とか、こういうの知ってる、とかうなずきながら観る映画。それはそれでもいいが、篠田監督ならもっと何かを加えてくれても良かったんじゃないか。登場人物がみな泣きすぎる。こんなにメソメソしていられた時代だったんだろうか。亭主の帰還や再会でいちいち泣くのはまあ理解できても、ラストで加藤治子が貰い泣きするのは、不必要に思えた。これまでの篠田作品はちょっとスマしたような感じが鼻に付くとこがあったんだけど、その反動か、これでは真面目な人間が無理に冗談言ってるようなぎごちなさがあって、けっきょく寛げない。月夜の砂掘りや、室内で少年たちがスイカ食べてるシーンなど美しかった。こんなにノスタルジックに語られるほど昔のことになってしまったのか。 [映画館(邦画)] 6点(2013-03-03 09:36:33) |
379. サンダウン
《ネタバレ》 パロディの形を採らないと、もう西部劇は描けないのか。しかも吸血鬼もの。パロディの枠の中で何か「マジ」なものも匂うのだが(たとえばこのころのD・リンチなんかそういう感じだった)。吸血鬼がコロニーを作るんなら、もっと薄暗いところに作ればいいのに、陽光さんさんの西部劇の世界に作ってサングラス掛けている。つば広の帽子かぶって。ドラキュラが保安官の役回り。神に祝福されて十字架でも融けないところで場内爆笑。木の杭の代わりは木製の銃弾となる。傘を突き刺したところでパッと開くなんてギャグもあった。やっぱパロディだけだったかなあ。音楽は完全に西部劇。かなりザツなコウモリが三匹飛行の図もおかしい。 [映画館(字幕)] 6点(2013-03-02 09:46:23) |
380. あの夏、いちばん静かな海。
恋愛ものに特有の「気分の波立ち」は描かれない。言葉の必要のないカップルとして登場し、あとは恋愛の安定した幸福感を描き続け、しかし実は男は少しずつ海に吸い寄せられていっていた、ってな話。耳の聞こえない恋人同士ってのがよく、『非情城市』をちょっと思い出したが、さらに遠くサイレント映画時代の恋人同士にも通じていたか。Tシャツを畳むだけで幸せな恋人。人が通過した後の風景をしばらく押さえておく余韻の効果がよく、視線と対象との間の距離をちゃんとわきまえてますよ、という礼儀正しさを感じる。対象を追いすぎないで、ちょっと目をそらしたり伏せたりしてる感じ。サーフィン大会で男が呼び出しに応じられないところで、本作で唯一障害がクローズアップされ、それだけに効果満点。静かに仲間外れにされてしまう。そこには悪意さえもない。こういう角度から障害者の痛みを描けたのが発見。その後もこの監督はしばしば障害者を画面に登場させるが、本作が最初だろうか。 [映画館(邦画)] 8点(2013-03-01 12:31:29) |