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プロフィール
コメント数 204
性別 男性
年齢 46歳
自己紹介 専門は邦画とヨーロッパ映画(特にフランス)。気に入った監督や俳優がいればひたすら観つづけるので、どうしても同じジャンル・国に集中してしまうようです。(だからあまりハリウッドを観ない。)

最近引っ越してしまい、なかなか映画を気軽に観ることができなくなりました。撮りためたビデオとDVDばかりになりますが、観たものは書き込んでいこうと思っています。

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21.  とらばいゆ 《ネタバレ》 
この映画を観ていて思ったのは、「間」を完璧に作り出しているなということです。監督の手腕なのか演じての技量なのか、とにかく間が完璧でした。特に唸らされたのが最後に麻美と一哉が将棋を指しているシーン。考え込む麻美に対して一哉は「将棋に未練がある」「麻美を抱擁しなきゃいけない」という小さな葛藤で悩みます。この、小さな演出が巧い。このワンシーンで一哉の性格の一端をスパッと描いています。残念だったのは、ちょっと将棋の描写がお粗末だったかなということです。麻美と里奈の対局を熱戦にしたいのはわかりますが、10秒将棋ってのは熱戦の描写としては違うんじゃないかと思います。1分のギリギリまで考えて秒読みの10秒ギリギリで指すのが熱戦ってもんでしょう。しかも最後の詰めが笑っちゃうし。あれじゃ50手の局面だーね。瀬戸朝香、これはキャストの勝利。自分勝手な外面のいい美しい勝気な女といえば、彼女は適役。塚本晋也、文句ナシ。市川実日子、村上淳も十分すぎるほどの演技を見せてくれました。男二人を気の弱い好人物に仕立てた事がこの映画のいい所かも。このメンツじゃなければこんだけ単純なプロット、先の読めすぎる展開は弛緩しきってしまったんじゃないかと思います。途中に挿入される橋の画はコミュニケーションのメタファー?抑えた演出で良し。
6点(2004-03-14 17:06:54)(良:2票)
22.  ジェイン・エア 《ネタバレ》 
これで何本目かのシャルロット出演映画かわからないけど、ここに来て初めて王道のエンタメ映画という作品です。これだけお金がかかってて、シンプルなプロットな作品は彼女の出演作には他にないと思われます。まったく考える部分がないほどシンプル。善悪の判断もシンプルだし、ハッピーエンドでまとまっているし、結局ロチェスター卿と仲直りという筋も古典的だし、そんな内容なのに最後まで楽しく観ていたのは僕がシャルロットファンだということ以外に説明つかない。映像に凝った部分もないし、作品的に見所もないし、なんとも言えません。手紙を読ませる手法も安直だし、牧師が夫婦じゃなく兄妹だったのは何の意味があるの?(というか物語省略した?)、叔母の死の床での改心もありきたりだし、その後のジェインにローウッドの影響もほとんど見受けられないし、シャルロットのフランス語も活かされてないし、ヘレンの死亡も反映されないし、テンプル先生も後半で出てこないし。そういえばー!ジェインの画の才能は何だったんだ?あれだけ大きく告知しておいて実際に何の影響もナシ?こういうデカイスケールの映画って小さい所を観ていったらまったくダメ映画にしちゃうんだよな。僕の映画の観方は小さな事柄を少しずつ拾っていって、その小さなベクトルの加算で映画の示したい方向が見えてくるって思っているから、こういう映画って苦手です。とりあえず、何が言いたかったんだろうな?
4点(2004-03-10 13:27:45)
23.  ルナティック・ラブ/禁断の姉弟
まず一番最初に言いたい。邦題最悪。そしてこの作品を輸入した奴ら、お前らが映画に携わるんじゃねー!僕は怒っている。なんでこの作品がアマゾンで検索すると年齢認証を受けにゃならんのだ!オイコラ、映画なめとんのか!この作品はベルリンで賞とってんだぞ!しかも監督賞、今で言う銀熊賞だ!それをポルノにしやがって。くそー、泣けてくるぜ。そんなんでこの作品が世に出れないんだぞ、近所のレンタル屋さんソフトエロスのコーナーに置きやがって。さらに「LOVE etc.」なんて18歳未満禁止のコーナーに置きやがる。くそー、こんな奴らのためにシャルロットの日本の評価が低くなってんだよ!下手糞なハリウッドスターなんかの下にしやがって、ベッドシーンなのに下着つけたままセックスする根性のないアイドル女優の下にしやがって。もう怒り心頭だ。   ここまでは感情で書いたからここからは冷静に書くが、これをポルノにするのなら、日本はあまりに文化水準が低いと言わざるを得ない。それは、映画を真面目に作っているスタッフ、真面目に演じている俳優に対する冒涜に他ならない。この作品は、近親相姦という少々難解なテーマを一つの軸としているが、もう一方で郊外の一戸建てに住む人々の閉塞感や愛する者を失った幼少ない者の迷走、それを受け止めることの出来ない姉、兄の弱さなど、実に難しい問題を取り扱っている。それを暗くジメジメとしたものにせず、一部颯爽とさえもしてしまうあたりは、話す言葉が英語であること、子供たちが制服を着用していることも重要であるが、何よりイギリス映画の持つ(フランス映画にない)明るさがあると思う。この作品では一人一人が本当に苦悩にのた打ち回ることはなく、ジリジリと焼け付くような重い空気の中にも、一瞬爽快な風の吹くシーンを設けている。それが、この映画に良いリズムと心の余裕を与えてくれて、観るものにその異常さを忘れさせてしまう。もちろん、その事柄の重さは変わらないのだが、観ていてその世界を普通に受け入れざるを得ない心境にさせてしまうあたりは、監督の巧みな演出によるものであろう。シャルロットとジュリアンに共通する、大人と子供の境界、その大人側に立つシャルロットの純粋さ、子供側に立つジュリアンの汚らしさは、絶妙のバランスを保って、観ている者に溜息を漏らさせるはずだ。邦題に惑わされず、是非観賞を薦める作品です。
7点(2004-03-08 11:59:08)(良:2票)
24.  ボーイ・ミーツ・ガール
正直、しんどかった。まだ汚れた血・ポンヌフの恋人を観ていないので理解できていない。しかし、この映画を「難解」と切り捨てるつもりはない。ドニ・ラヴァンの演技の凄まじさと、ミレーユ・ペリエの透明な美しさはわかったが、それ以外は3部作を全て観てから判断したいと思う。
7点(2004-03-07 18:58:05)
25.  日曜日の恋人たち
これはセックスを通して愛、そして生と死を描いた作品です。エロディが熱演しており、ジャン=マルク・バールも非常に巧みな演技をしていて、見応えのある作品になっています。しかし、この映画を観ると「死」が少々乱雑に扱われている事が気になります。屍姦や検死所でのセックスが死への冒涜だと感じる部分もありますが、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、僕が言いたいのはこの映画は「死」に対する定義付けが甘いんじゃないかということです。この作品は「死」というデリケートな要素を間近に置く事によって、生や愛を描こうとしていますが、その「死」が曖昧だとどうしてもあやふやな感じがします。「死」については人間は長い間、宗教的にも科学的にも考えつづけてきたわけで、いくつもの「死」観がありますが、それを踏まえて映画を作る上での思想が欲しかったと思います。エンディングでは突然「生きるもの」と「死に行くもの」を対比させてしまいますが、それまで死を即物的に扱っていたのが、急に観念的に扱われているので面食らいます。 それに、この映画では「死」と「生」を対比させているように見えますが、本来「死」と「生」はセットにはなっても反対語ではないわけで、時には類義語にさえなるという不思議な関係なので、なんだか浅いなぁといった感じがします。それとは関係ないのですが、この映画を観ていて、エロディはまだまだロマーヌ・ボーランジェには敵わないと思いました。作品としても「野性の夜に」の方が数段上だと思います。さらに話は飛ぶけど、もう解散してしまったサニーデイサービスというバンドの1枚目のアルバムに「日曜日の恋人たち」という曲があって、それはまったく関係ないんだけど、観ていて頭の中で勝手にBGMになって困った。  
6点(2004-03-02 23:25:53)
26.  アカルイミライ 《ネタバレ》 
「浮遊するポストモダン」この映画に解説をつけるのならば、さしずめこんなタイトルにするだろう。日本のポスト近代への移行が、共同体の解体に伴い、規範を壊し続けているとしたら、そこに生み出されるものは何であろう?その答えが、真水に生きるクラゲと、街を闊歩する少年達だ。フワフワと漂うクラゲ、そして、フワフワと生きる少年達は、一見してただ流されるだけの存在でしかない。社会から外れ確固とした意思を持つわけでもなく、気分だけで生きる彼ら。それが日本のミライだと言われれば、多くの人は戸惑うに違いない。海でしか生きられないはずのクラゲは、水槽という閉じた系から、あるとき外界へ流れ出す。それはこれまで淘汰さてきたはずの存在が社会に溢れだしたこの10年を模している。宮崎勤、宅間守、数多くの不可解な事件が世を騒がせた。オタク、トラウマ、家族崩壊、、、メディアは理由を探し社会は憎むべき者を探して彷徨った。「責任能力を有する」つまり「正常」な彼らがなぜ平然と「異常」な犯罪を犯したのか。そのパラドキシカルな問いに向かい合えない我々は、「不可解」の一言で片付けてきた。しかしクラゲの毒に理由があるだろうか?クラゲの心がわかるだろうか?それは、完璧なる断絶である。守のように社会の規範や価値観から離れたアウトロー(宮台真司は『脱社会的存在』と呼ぶ)は、我々の言葉では語ることができない。これは村上龍の示すような、楽観的アウトローの姿ではない。真水の東京で生きる力を獲得しても、クラゲ(=アウトロー)は危険で駆除されるべき存在でしかない。しかし未来を予言する仁村は確信を持って答える。「彼等はきっと帰ってくる」と。アウトローと共生することのできる唯一の存在である少年達の胸には、戦いの中で死んだゲバラがイコンとして刻まれている。彼らは「アカルイミライ」を支え歩き続ける。(それがエンディングで示されたようにフィクションだったとしても!)黒沢清の提示したミライ。それは日本のポストモダン像に他ならない。過去を生きる者達は傷つきながらも「許す」のだろうか。それとも、徹底的な駆除を試みるのだろうか。この映画のタイトル「アカルイミライ」は近代批判、または、ニヒリズムではない。我々はそれを受け入れるしかない。黒沢は淡々とそれを描いている。
[DVD(字幕)] 9点(2004-02-29 06:12:52)(良:1票)
27.  気狂いピエロ
「ゴダールは映画を壊した」とはよく言われることである。僕はほとんど彼の映画を観ていないが、既成概念を打ち破ったヌーヴェル・ヴァーグの中心人物であることくらいは知っている。しかし、残念なことに78年生まれの僕は、彼の打ち破る前の映画概念を知らないのである。だから、この作品に新しさを感じないし、革新的だとも思わない。僕は映画に哲学や思想を持ち込む必要性を(今のところ)持ち合わせていないようである。だから、この「気狂いピエロ」の評価も保留にしておこう。これからもっともっと映画を観てみたら、この作品の新しさがわかるようになるのか?楽しみでもあり、この著名な作品の面白さをついにわからなかったらということが恐ろしくもある。
6点(2004-02-24 21:34:03)
28.  ベティ・ブルー/インテグラル<完全版> 《ネタバレ》 
これはゾルグとベティの愛の物語である。ゾルグの受難でもベティの破滅でもない。ゾルグはベティを受け止めたのではなく、ベティは自己崩壊を起こしたわけでもない。そんな事じゃない!ベティはゾルグを愛する事で生きた。そして、それと同様にゾルグもベティを愛する事で生きた。ベティと出会うまでのゾルグはゾルグではなかった。アドルフの回想録を書き、人生に横を向いた傍観者でしかなかった。そんな彼が、ベティを愛すことで人生に真正面からぶつかってゆく。それまで道なりだった人生は一変する。人々はみな善良で、滑稽で、愚かである。日々は退屈で、虚無に満ちている。そんな中で、ベティとの愛だけが輝いている。しかし、その至高の愛はその純粋さ故に食い荒らされ、朽ちてゆく。ベティは心を病む。3人の警官、雇い主、白皮症のボブと妻、さらにリサとエディでさえも、彼らの愛を食い荒らす愚かな人々に過ぎない。そして、ゾルグは気付く、自らもその愚かな一人に加わっていたことを。ベティの純粋さと、自らの愚かさの狭間でゾルグは悩む。ベティはあまりに純粋で、張り詰めて、二人の愛にはどんな夾雑物も許されない。この愛は内側から崩れたのではない。全ての愚かな物が二人の愛を朽ちさせたのだ。ゾルグは自らの手で、愚かな人々に汚されたベティの息を止める。しかし、決して後悔はしない。何故なら、それをベティが望んでいることを知っているから。"信じる"とは別の次元で、彼は二人の愛が永遠であり続ける事を"知っている"から。だから、彼は自らの命を絶ったりなんかしない。彼は虚無から立ち上がり、ベティに捧げる小説を書き始めることができる。ベネックス監督は愛の対極に「愚かさ」を置いた。そして、ベティは、あまりに純粋すぎた、それだけである。
10点(2004-02-23 21:34:25)(良:1票)
29.  カンフー・マスター! 《ネタバレ》 
「ジェーン・バーキンにしかできない映画」という言葉は、一面では正しいし、一面では間違っているようにも思える。この映画を観る時、多くの人がその中にセルジュ・ゲンズブールの影響を読み取るだろう。フレンチロリータの巨匠セルジュ。ジェーン自身も彼に見出されたロリータの一人であり、この映画の着想はセルジュのロリータ(中年男性の少女への愛)が反転されたものであることは容易に想像できる。しかし、そうでありながらもこの作品はセルジュのそれとまったく違うベクトルを持っている。それは、セルジュがロリータを絶対的な女神、自分を受け入れてくれる存在として描いたのに対し、ジェーンが母親としての視線を捨てず、庇護すべき対象として描いた事だ。それは、そのまま相手から自分へ注がれる愛に反映される。ロリータはセルジュを愛するが、そこに理由はない。あえて言えばセルジュの理想を実現させたに過ぎない。少年はジェーンを愛する、しかしそこには打算と性への憧れが隠れている。(エンディングでドライに語る少年の言葉がそれだ。)この映画は徹底したリアリシズムで進行しており(キャストも含めて)、セルジュへのアンチテーゼともとれる結末で終わる。セルジュとは違ったロリータ観を立ち上げたことは理解できるが、それによってセルジュの達した頂へ到達していないことも確かなのだ。これが、ジェーンでなければならず、そうでもないとも言える理由である。ここまで読んで、ドワイヨンの影響を考察せずに何を言う!と思われた方も多いだろう。まったくその通りである。浅学な自分はそこまで到達できていない。この時代のフランス映画はやけに奥が深いなと思う次第である。
8点(2004-02-20 22:15:48)(良:1票)
30.  いちばん美しい年齢(とし)
とりあえずいちばん最初に書いておくことは、デルフィーヌ役のエロディの”いちばん美しい年令”はこの映画の撮影時じゃないということです。「スタン・ザ・フラッシャー」であれだけ輝いていたエロディを思い起こすと、悲しい気分になってしまいます。「あの時、なぜ彼女を調教できなかったのかい?セルジュよ、君は致命的なミスをしてしまったようだ!」と心の中で考えました。(こんなこと口に出したら変態だし。)そりゃヴァネッサにも負けちゃうよ。それにこの映画は、残念ながらフレンチ・ロリータというジャンルには適さないようです。どちらかと言えばサスペンスがかった青春映画と言うべきでしょう。ここもちょっと不満な原因になっています。と、ここまでは批判ばかりでしたが、きちんと評価してやると、そう悪い映画とも思えません。デルフィーヌには不満が残りますが、相手役のアクセルがなかなかいい演技をしています。彼のキャラクターがシニカルで、若くて、カッコいいのでそれで緩衝されている感じです。(関係ないが、カウボーイビバップが実写化されるのならスパイク役に彼を推薦したい。)ストーリーとしての面白さもありましたし、そこに方向性もはっきりしていて、良く出来た青春映画だと思います。もう少し、画としての美しさにこだわりが欲しかったところですが、全体として若い映画と言えるでしょう。しかし、この映画から感じる「もう一歩」は決定的に遠いのかもしれませんね。
6点(2004-02-15 21:25:09)
31.  天空の城ラピュタ
ラピュタの世界には、スルリと冷たさが潜り込んでいる。エンディングのドーラたちとの再会は幸福な結末でさえあるが、「ソドムとゴモラを滅ぼした天の火」は地上に壊滅的な打撃を与えているのである。陸上への一撃であれば、半径数キロが焼け野原。海上へのものなら周辺の海域には致命的な津波が起きているはずである。想像するだけで凄惨な様子だ。そんなことを考えていたら、ムスカの言葉が蘇った。「君はラピュタを宝島か何かのように考えているのかね。」一筋縄ではいかない話だ。
6点(2004-02-15 20:25:45)
32.  髪結いの亭主
ルコントの女性に対する想い、もっと言えば信仰のようなものが感じられた。彼にとって女性は太陽であり、蜂蜜であり、何より闇である。そして愛しく感じながらも、決して理解できないブラックボックスのようなものだと考えているのかもしれない。だから、手を入れて触るのだ。彼は女性の服を脱がせたりしない。目を瞑って服の下に手を差し込む。そこにあるのは柔らかな、丸みをおびた体。目を瞑って、その手に感じられる世界がその全てである。マチルドを失ったアントワーヌはどうやって生きていくのだろう?シェーファー夫人が亡くなったとき、彼には新しい髪結いの女性を探す夢があった。しかし、今の彼には10年という長いマチルドとの思い出ばかりしか残されてはいない。ルコントは何も語らずに物語を終える。語るべきことは何もないと言わんばかりに。この映画は、まさに傑作と呼べる作品であろう。
9点(2004-02-15 19:20:17)(良:2票)
33.  アデルの恋の物語
この映画を観ると、アジャーニが「可愛いだけじゃダメかしら」な女優でないことがよくわかる。彼女の演技はまさに鬼気迫るものがある。20年以上もキャラクターを変えずにフランス映画界のトップの位置をキープしている事も、当り前のように感じてしまうから不思議だ。それにしても、アデルという”振り切れた”女性を演じるとアジャーにはスゴイ。といっても、振り切れていないただの可愛い女性を演じさせてもスゴイからなんとも言えない。とにかくスゴイと感嘆させられてしまう。しかも、ピンソン中尉というそう上等ではなさげな男に絡めとられてしまっているところが悲劇というか喜劇だ。誰の言葉も聞かない、相手のことも理解していない、将来のことも考えない、頭の中は愛という名のもとに放出され続けるドパーミンで飽和している。そんな彼女の喜劇的な行動がいとおしくもあり、ピンソンの側にたてば憎らしくもある。実際に起きた事で本屋の男という妙なキャラクターを登場させてしまいよくわからない部分もあったが、総じて面白い映画だったと思う。
7点(2004-02-15 18:55:00)
34.  極道修行 決着(おとしまえ)
韓日共同制作のこの作品、なかなか面白いです(たぶん)。主役は(たぶん)韓国の役者さん。舞台はほぼ日本。それで笑いあり、痛快あり、愛ありのいいストーリーなんですよ。哀川のアニキだとか、大杉の親分だとか、日本側のキャストもなかなかのもんです。ここで僕が(たぶん)を連発しているのは、ひょんなことで韓国語で観てしまったから。日本語には字幕つきで、韓国語はとうぜんわからない。もっかい日本語字幕で観たいんだけど、なかなかビデオもみつからないんだよな。
6点(2004-02-15 18:02:16)
35.  夜ごとの夢 イタリア幻想譚
短編3本がそれぞれ素晴らしいプロットを持っていて、予想以上に楽しめた映画です。特に気にいったのが「青い犬」で、主役の靴修繕屋さんが最後に嬉しそうに悪態をつきながら走っているのが印象的です。青いシミを「ゴルバチョフみたい」と表現するのにも笑ってしまいました。犬と人間ですが、愛って素晴らしいなと思った映画です。
6点(2004-02-05 14:57:25)
36.  白い婚礼
ゲンズブールのお目付けロリータというわけで、期待して観てみたんですが・・・ヴァネッサ疲れてません?冒頭は設定として「暗いなー」と思っていたんですが、恋が成就して幸せ一杯ってシーンでもまだ暗い。フランソワに対する愛が感じられないのよ。これじゃ、ジェーン.b、シャルロット、エロディと比べて見劣りするような・・・。肌の張りなんかはいいんですがね、ちょっと目の下にクマがあるし。なんかしょんぼり。ストーリーは典型的なロリータですね、こんなお話しあるんでしょうか?オヤジの夢想ですね。教師とロリータ。しかも女は悪女。ストーカーまがいっていうか、まんまストーカーだし。とりあえず邦題の「婚礼」ってどこが婚礼なんざましょ?美しい肢体に6点。
6点(2004-02-01 22:44:21)
37.  イヴォンヌの香り 《ネタバレ》 
パトリス・ルコントという著名な監督の作品を今まで観ていなかったということに、ちょっと後悔しました。冒頭からの緊張感のあるスタート。音楽が効いていて、始まった瞬間から熱中してしまいました。しっとりとしたイヴォンヌとの湖畔での情事、はっとするほどのヴィクトールの冷たい笑いと顔を照らす炎、また繰り返す甘いイヴォンヌの体の描写。何度も繰り返す現在と過去の映像の断層が、こちらを麻痺させるような力を持っています。そして、何よりのエロス。服の中に手を入れる感覚は、驚くほど官能的です。ラストは、驚きとともに予定されていたかのごとき悲しみで秀逸です。イヴォンヌという女性の性癖を上手く表現して、「悟った男」リシャールに語らせるという方法も粋です。ルコントの力をまざまざと見せつけられました。
8点(2004-02-01 22:16:27)
38.  人間の條件 第四部 戦雲篇 《ネタバレ》 
最近の戦争をテーマとした作品を観ていると、戦局を冷静に判断して「生きる」ことに重点をおいているクレバーな人間を主役にしている事が多い。この『人間の條件』という作品もそうだ。この物語は戦争に翻弄された男の悲しい物語である。しかし、もっと悲しいのは「大日本帝国」を本当に信じ込んで、自分を守ることも出来ずに「軍国主義を信じた愚か者」になってしまった人々なのかもしれないな、そんな事を思った。そういう観点では、梶はまだ幸せなのかもしれない。たまに、僕の田舎には今でも戦時の武勇伝を語る老人がいるが、見ていて暗澹たる気分になる。今回の梶は、初年兵を教育する事に努力する。しかし、それは上手くいかず空回りだ。敬礼の不備によって古兵から懲罰を受けるシーンなどは、その空回りが如実に出ていて哀しくなる。梶の思想は完全に偏りすぎていて、青臭くて、正直馬鹿らしくなる。純粋であるよりも愚直、つまり愚かさが先にくる。それは、沖島や影山などの平衡感覚を持った人間をそばに置く事により際立ってくる。それが、梶の背負った悲哀ともいえるかもしれない。梶の、上官を絞め殺すシーンはこの人間の條件という作品でも屈指のハイライト。戦争の悲惨さをダイレクトに伝えるエピソードとして重く、考えさせられるシーンだ。美千子はどうしているだろう?左遷された沖島は?老虎嶺ではまた岡崎の搾取が再開されただろう。王はちゃんと逃げおおせただろうか?人間の隣りには人間がいるのか?悲しい第四部であった。
9点(2004-02-01 21:45:24)(良:2票)
39.  ガラスの墓標 《ネタバレ》 
まず一番最初に書いておきたい事は、この映画が名作であるということです。音楽、美術、演技など、映画としての素晴らしさに溢れています。ストーリーも、冒頭のコメントにあるように純愛とアクションを完全に語り尽くすこのプロットは、本当に美しいものでした。それにしても、各アクターの存在感が凄まじいほどですね。特にセルジュは、音楽・監督業だけでなく、俳優としてもこれだけの力を持っている事に、奇才の名を欲しいままにしている理由が伺えます。ジェーン.b、ポール・ニコラスも、男と女ですが、違う色の愛で満たされていて、感動的ですらありました。ラストシーンは、二人が憎み合うのではなく、ひたすらにセルジュの死を悲しんでいたことに、その愛がひしひしと伝わってきました。カット割や音楽なども最高で、絶妙のタイミングを保っていたと思う。印象的だったのが養鶏場でのシーン。鶏の中をかき分けて打ち合い、隣りの棟の男を狙撃するシーンや、両手に鶏の屍をぶらさげて肩を組むシーンなど、そうスタイリッシュでも、泥臭くもないが、新しさに溢れていて、カメラワークの見事さが溢れていた。カーチェイスでも、徹底的に3人の表情を追っていて、アップでしつこく写しつづけている所など、心情描写に徹していて気持ちがよかった。最後に、この映画が70年に製作されていることに驚きを感じます。まったく色あせないこの感性には、各スタッフの力とともに、文化大国と言われるフランスの度量を感じます。
9点(2004-01-27 20:39:40)
40.  不機嫌な果実
昔話題になったよね?誰も観てないのかな、それともレビューする価値さえないと感じているのか?なんだかね、この映画は不毛だね。観ていて哀しくなってきた映画。それが狙いなのかもしれないけど、哀しい感じだね。(観た人ならわかると思う。)南果歩の演技はなかなか好きだと思うんだけど、根津甚八・美木良介・鈴木一真の3人の演技が重たいんだよね。それも狙いなのかもしれないけど。もしかして、完全に俺は作者の意図にはまってるのかもしれないな。
4点(2004-01-26 22:05:39)
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