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 > 目隠シスト さん
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プロフィール
コメント数 2303
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 53歳
自己紹介 お世話になっております。
今年もよろしくお願いします。


※映画とは関係ない個人メモ
2025年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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21.  ザ・ピーナッツバター・ファルコン 《ネタバレ》 
タイトル『ピーナッツバター・ファルコン』とは、ダウン症の青年ザックがプロレスラーになれた暁に着けたいリングネームであり、旅先で購入した食料品に由来します。ピーナッツバターは我々日本人にとっては単に「パンに塗る甘い(甘過ぎる)食べ物」ですが、欧米人にとってはもっと特別な意味(価値)を持つ気がしました。子どもの頃から慣れ親しんだ味。ハイカロリーなソウルフード。貧乏旅の道中なけなしの金で購入した唯一の食料と考えればその重要度が窺い知れます。旅を人生に喩えるならば、ピーナッツバターが指し示すのは「夢」と考えられないでしょうか。「活力の源」であり「なくてはならないもの」。ザックにとっては“プロレスラーになりたい”が旅の原動力でした。ただしこの夢はピーナッツバターのように甘い見立てだったと言わざるを得ません。目指したプロレス道場は廃業済み。うらぶれた野外リングに思い出作りに立たせてもらうのが関の山。夢みた輝かしい未来は其処にはありません。でもだから“叶わぬ夢などみるだけ無駄”なのでしょうか。いいえ。そうは思いません。ザックは勇気をもって一歩踏み出したからこそタイラーと出会い、エレノアと共に旅する機会を得たのです。 結末は3人揃ってフロリダへ。彼らは新天地でどんな生活を望むのでしょう。観光客相手に舟を出し悠々自適に生活する?じゃあ資金は?住まいは?3人で暮らせるの?タイラーの夢もまたピーナッツバター。甘過ぎます。見通しは明るくありません。ただし夢が叶う可能性はゼロではありません。1パーセントくらいはあるかもしれない。ならばGOです。「人生のチャレンジは肯定されなければならない」から。ただし「チャレンジのみが肯定される」ではありません。ライフステージごとに「出来ること」「出来ないこと」「したほうがよいこと」「しないほうがよいこと」は存在します。「チャレンジ」と同じくらい「諦める」にも価値があります。私は夢へ向かってGOと言いましたが、無理と見切ったら素早く切り替えることが肝要です。意識すべきは時間。時間とは命そのもの。一番の悪手は時間を浪費することです。タイラーは地元で金縛りでしたが(そうなった経緯や心情は理解しますが)もっと早くコミュニティを離れていたら半殺しにされる事も無かったでしょう。ザックもプロレスラーへの夢を早い段階で諦めたからこそ、新たな道が開けたとも言えます。おっとプロレスラーになる夢を諦めたかどうかは不明ですね。失礼しました。 プロレス技・通称「デッドリードライブ」(劇中では別の呼称。相手を両手で頭上に掲げ投げ捨てる荒技)はカメラアングルを用いた演出(ヤラセ)との告白がありますが、あれはザックにやらせない為の方便。実在する技です。でも素人には到底出来るはずがないのも事実。しかしザックはやってのけました。場外へ投げ捨てる非人道的アレンジではありますが(苦笑)。さてあの事象をどう捉えましょうか。 多分ファンタジーと考えるのが一般的だと思います。ピーナツバターのように甘い嘘。結末も含め集中治療室のベッドでタイラーがみた夢と解釈すれば腑に落ちます。でもそう考えて何の得があるの?とも思うのです。奇跡が起きたと素直に捉えた方がワクワクする。本作の場合それでいい気がしました。ザックにあんな大技が繰り出せるのなら、この先3人にどんな奇跡が起きようと不思議ではありませんし。繰り返しますが「チャレンジは肯定されなければならない」です。「もしもあの時ああしていたら」と振り返る人生は切ないです。それはもう本当に辛い。だから結果はどうあれ挑戦するのです。後悔をひとつでも少なくするために。全ては今際の際で笑うために。きっと私たちの手にはピーナッツバターがひとつあればいいのだと思います。
[インターネット(吹替)] 9点(2024-09-25 19:11:43)(良:2票)
22.  キラー・ナマケモノ 《ネタバレ》 
『チャイルド・プレイ』が公開された1980年代であれば、そして河崎実監督であれば、ぬいぐるみ感が否めないナマケモノの造形も奇想天外な能力もさほど違和感は無かったかもしれません。いや違いますね。珍品映画界の盟主・河崎実監督であってもナマケモノを殺人鬼に仕立てるなら、それ相当の言い訳を用意したはずです。突然変異、DNA操作、悪魔の憑依とか。スマホを操作し、自動車を運転し、真剣白刃取りまでしてしまう殺人ナマケモノを、何の説明も無く提供してしまう映画がクレイジーなのは言うまでもありません。ただ逆に考えるなら言い訳一つあればこの無茶な設定は成立しました。例えば「ナマケモノは宇宙人だった」としてみましょう。あら不思議。前述した数々の「そんな訳ねえだろ」から疑念が消え去ります。この辺の「味付け」はお客様次第と言われるなら別に腹も立ちません。好き勝手に解釈します。しかしナマケモノ(名前はアルファでしたっけ)が犯した殺人の数々が明るみにならなかったのは何故でしょう。自動車を運転できるなら殺人の隠蔽くらいお手の物でしょうが、学生が突然居なくなった事実は消せません。どうして誰も騒がないの?10日程の間に4、5人は殺された気がしますが。このあたりの事情はアメリカの大学生文化が分からないとちと辛い。学生が突然消えるなど日常茶飯事。「どうせボーイフレンドとしけ込んでいるんでしょ」(言い方が古い)と判断されたと推測しました。少なくとも大学の寮長を決める選挙に躍起になる感覚や謎の伝統儀式、あるいはスクールカーストを懐かしんだり嘲笑できたりする人向けの映画なのは間違いありません。やはり映画を楽しむには「教養」が欠かせません。そういう意味で本作を楽しむ素養が私には足りませんでした。河崎実作品で「珍品」は結構勉強したつもりなんですけど。
[インターネット(吹替)] 4点(2024-09-23 14:51:54)(良:1票)
23.  人狼ゲーム 夜になったら、最後 《ネタバレ》 
「全米初登場第10位!」というあまり見たことない控えめな(でもよく考えると十分凄い)煽り文句に心動かされて鑑賞。停電!道路遮断!繋がらない携帯電話!雪山のホテルに館詰め!さあ人狼ゲームの準備は整った!との予告編はなかなか魅力的でしたが、実際のところ出鱈目とは言わないまでもJARO案件の匂いがプンプンします。自然災害と何者かの工作により孤立する町。一度は住民全員でホテルに泊まると決めたものの、被害者が一人出た時点でもうバラバラ。みんな自宅に帰ってしまいます。そりゃそうだ。殺人鬼が宿泊者の誰かと疑われる状況ならば、一緒に泊まるメリットはありません。このあたり設定がゆるい。せめて外は猛吹雪で帰宅不可にしないと。もっともソリッドシチュエーションが過ぎるとこの後の展開が続きません。「人狼ゲーム」の名が付いているものの実際は「ゲーム」ではなく「ルール」もありません。怪しい住民を順番に吊るす事は出来ませんし、殺人鬼も厳戒態勢下では容易に獲物を狩れません。ある程度人を流動させるのは仕方がないかと。ただ折角閉鎖空間で高まった緊張感が、フィールド開放と共に霧散してしまったのは残念でした。「人狼ゲーム」とはあまり関係なく、何人か殺され何人か事故死。終盤にきて急にストーリーが渋滞した気がします。結局「人狼なんて居なかった」じゃなかった点は評価しますが、サスペンスとして楽しめるかというと微妙。ブラックコメディと割り切って観た方が良さそうです。
[インターネット(吹替)] 6点(2024-09-21 16:51:31)
24.  コールド・スキン 《ネタバレ》 
「むかーし昔ある島に気象観測員の男がやってきました」から始まる『まんが日本昔ばなし』のようなお話。いや舞台が外国だから『まんが世界昔ばなし』でしょうか。昭和のお子さんならご存じかと。さしずめタイトルは『冷肌女房』。 冗談はさて置き、設定だけみると「孤島で異形のクリーチャーと戦うサバイバルアドベンチャー」です。実際物語序盤はそのような展開でした。風向きが変わったのは一人の女クリーチャーが登場してから。彼女は灯台守オズナ―に飼われていました。例えばゾンビ映画でもゾンビを飼い慣らすパターンはあります。しかし彼女の待遇は別格。服を着せられ性交渉あり。オズナは否定するでしょうが彼女に「情」を寄せているように見えます。え?どういう関係?私たちは一体何を見せられているのでしょう。 本作は孤島が舞台。住人は赴任してきた主人公(フレンドと呼ばれますが実質名無し)と先住していた灯台守オズナ―の2人のみ。いわゆる「無人島漂流もの」の体裁です。ただ一般的な無人島漂流ものと違うのは、彼らが孤独に苛まれていないこと。主人公がこの島に来たのは人間社会から逃がれるため。有り体に言うなら「社会不適合者」でした。オズナも同じ。彼らにとっての「社会」とは何かを考えると、自ずとクリーチャーの正体(何の比喩か)が見えてきました。冷たい肌。襲い来る集団。生命を脅かす敵である一方、本当は心を交わしたい相手でもある。「クリーチャー=人間」「集団=社会」と見立てて差し支えないでしょう。 さてクリーチャーは本当に存在するのでしょうか。いやそれより重要なのは、主人公は何者か?かもしれません。終盤灯台守グルナーの正体は、前任の気象観測員であることが判明します。さらに灯台守が死に主人公が新たな灯台守に。新たに赴任してきた後任の気象観測員に対し主人公はグルナーとして振る舞いました。見た目も先代グルナーと同じ髭面に。おそらくこの現象=「グルナーの代替わり」がこの島では繰り返されてきたのです。劇中「グルナーの泉」が出てきますが、島自体が「グルナーの島」だったのでしょう。これをどう読み解きましょうか。 灯台守が入れ替わる点に着目するなら「輪廻転生」「生まれ変わり」と解釈したいところ。クリーチャーはその為の試練でしょうか。隣人を愛せなければ生まれ変わりは不可とか。島は魂の待機場。しかし「生まれ変わり成功例」が何か分かりません。先代の灯台守は生まれ変わりに失敗した気がしますが、クリーチャーとの共存を選んだ主人公が成功したようにも見えません。後釜が来たのでこれから生まれ変わるのかな?クリーチャーを一人でも殺めていたら駄目とかだったら無理ゲー過ぎます。 グルナーという名前を襲名する点を重視するなら「アイデンティティ獲得までの葛藤を描いた物語」と捉える事も出来そうです。この場合島は深層心理の世界です。自我確立に他者との関わり合いは必須。集団の中で個を揺るがぬものとします。先代は素っ裸(=社会性なし)ですが、主人公は服を着ていたので自我確立成功か。多少難はありそうですが。 いずれにせよサバイバルアドベンチャーと捉えるより、人生訓を多分に含んだファンタジーと受け止める方が自然な気がします。ちとグロいですけど。 私は冒頭『まんが世界昔ばなし』を引き合いにしましたが一般的には『世にも奇妙な物語』の方が馴染み深いかもしれません。リメイクするなら、主人公は山田裕貴、灯台守に杉本哲太、女クリーチャーは古川琴音で如何でしょう。30分程度の尺でまとめたら案外良さそうな気が。なおドラマ『ペンディングトレイン』のキャストで固めたのは偶然です。
[インターネット(吹替)] 6点(2024-09-20 18:59:33)
25.  スクリーム(2022) 《ネタバレ》 
まずお詫び。『スクリーム』シリーズは「多少知識はあるがガッツリ観ていないこと」また「本作を第1作目のリメイクと勘違いしたこと」何なら「スクリームとワイルドシングスシリーズを混同していたこと」。以上かなり誤った認識で本作を鑑賞してしまいました。申し訳ございません。シリーズ映画なのに前提となる知識が欠けていることをご容赦ください。ちなみに本作のシリーズナンバリングは『5』。そう付けなかった理由は観て分かりましたが、そう書いてくれたら間違わなかった(観なかった)のに。なおネタバレしていますのでご注意ください。  劇中キーワードとして度々出てくる『スタブ』なる単語は、スクリームの生存者が実体験に着想を得て執筆したホラー小説だそう。要するに『スクリーム』=『スタブ』と見立ててよく、いわゆる劇中劇スタイルでした。でいきなりネタバレですが、本作は『スタブ』の熱狂的ファンが引き起こした連続殺人。動機は『スタブ』続編の出来があまりにも酷いから。犯人は「スタブシリーズとはこうあるべし」との見本を示したかったようです。理念は原点回帰。だから本作のタイトルからもあえて『5』を外した訳です。うーん。動機が糞。穿った見方をするならば「ホラー映画マニアなんてとち狂った奴らばかり」とも言えます。これは『スクリーム』の続編に寄せられた苦情に対する制作サイドからのアンサーかもしれません。評判悪かったんでしょうか?いずれにせよ大切な顧客に対して酷い物言いと言えましょう。映画愛溢れる『ニューシネマパラダイス』とは真逆であります。 『スクリーム』はやたらと“ホラー映画のお約束”を気にします。「こんな言動はするな。殺されるぞ」と。まさに本作の被害者もこのルールに則り殺されており思わずニヤリとさせられます。だからこそ本シリーズは人気なのでしょうが「あんなお面付けていたら人殺しなんて出来ないだろ」とか「銃なんて持ち出すなよ。興ざめじゃん」は言わないのですか?シリーズに対する見識が不足している為分かりかねますが、個人的に気になるポイントです。このあたり私の持論は『サンクスビギンズ』内で真面目に述べておりますので併せてお読みいただけると幸いです。 ミステリーとしての出来はどうでしょうか。体型を隠すファッションゆえ殺人鬼の性別は不明ですが、殺害方法で腕力を使用している為「犯人=男」は確定でした。それなら何故クライマックスまで男性容疑者を複数人残しておかなかったのでしょう。私はてっきり昨今のジェンダーレス化の影響を受け「見た目は女。でも遺伝子的には男」なサプライズキャラがいるとばかり思っていたのに。このあたりの「手抜かり」は単に脚本の欠陥なのか、あるいは「素人脚本家(=スタブファン=犯人)の考える事なんてどうせこの程度のものだ」という裏メッセージでしょうか。真相は測りかねますが、メタ構造ならではの「面倒くささ」を感じずにはいられません。 ところで本作の主人公は誰でしょう。普通に考えればお姉ちゃん=サムでしょうが、ビジュアルイメージではシリーズのレギュラーメンバーの顔の方が大きく写されています。原点回帰のテーマにも沿うので、彼女らがやはり主役だったのでしょうか。うまく世代交代できれば次作で残りのオリジナルメンバーが殺され有名俳優のギャラが削減できそう。『太陽にほえろ』方式ですな。ホラー映画で殺人鬼の方が交代し被害者側が固定というのもなかなか斬新なシリーズだと思います。
[インターネット(吹替)] 6点(2024-09-18 18:24:42)
26.  新・三茶のポルターガイスト 《ネタバレ》 
以下は私の受け止めであり、あくまで「個人の感想」です。予めご承知おきください。  前作では霊の「手」が出現しましたが、本作では「頭部」「上半身」も姿を現しました。続編らしく現象がちゃんとスケールアップしています。中でも衝撃だったのは『オカルトセブン7★』なるアイドルちゃんのステージに突如として現れた「仮面の男」でした。11人グループなのに「1人増えている!」と現場は騒然。失礼ながらこの時点で爆笑です。と同時に「ガチ」の看板が跡形もなく消えました。この件も含め「不可思議な現象」に対して科学分野の専門家が現場検証を行いましたが、超心理学者も物理学者も見解は「やらせ」で一致しました。「物理学とはあらゆる可能性を排除し構築されてきた理論。もし覆るような発見があれば即ノーベル賞だ」という物理学者の言葉は重いと感じます。 ここで注目したいのは「超常現象」の定義です。科学者は先の言葉のとおり「あらゆる可能性を排除して残った事実」を指すのに対し、オカルト支持者は「不思議な事はオカルトに違いない」でした。印象的だったのは「仮面の男」が消えた跡から「枯れ草」が見つかった件。現場に居合わせた者の共通認識は「多少臭うかも」でしたが、角由紀子氏のみ「あの臭さは異常。ジップロックを何重にもしないと漏れ出てしまう」と語っており「認知バイアス」の存在が伺えました。「呪物は臭い」がオカルト界隈の常識です。あるいは「息を吐くように嘘を付く」症例かもしれませんけど(失敬)。この件に限らずオカルト支持派の主張は主観ばかり。「あんな狭い場所に長時間人が潜むのは困難だ」「この現象を人為的に起こすなら一体いくら経費がかかるのだ」「仕込みがバレたら恥ずかしい。だからヤラセは無い」「スタッフを心霊騒動に巻き込むのは道義的にありえない」などなど。仕舞には「霊が居ないことは証明されていない」です。私の耳には「ギブアップ」に聞こえます。 「客観」の科学VS「主観」のオカルト。双方仮説止まりで誰も核心(物証)へ踏み込もうとしません。武士の情け?ビジネスにおける阿吽の呼吸?いずれにせよイニシアチブは施設所有者&映画制作サイドが握っているため、不完全決着が彼らの意思です。いわば「両者リングアウト」。昭和のプロレスでした。なお今回「水が噴き出る鏡」については完全スルーでした。鏡を外せばトリックの有無は一目瞭然なのに。この一点からも本現象の正体が垣間見えます。 さて、ここからは私が推測する【騒動の顛末】です。【発端はプロモーションも兼ねたオカルト好き社長の些細な悪戯。次第にエスカレートしていき世間にも知れ渡り引き返せなくなった。噂を聞きつけたオカルト界隈や映画制作会社はビジネスチャンスに乗っただけ。真相を知るのは事務所関係者の一部。真相を知らぬ(どうでもよい又は知らぬフリを含む)取り巻き多数。洒落が通じなかった一般人(陣内、デニス含む)が大多数。なお明らかに“やりすぎ”な「仮面の男」は、社長からの「消極的なやらせの告白」ではないか】以上。最後の一文は「匙加減を間違えた過剰なサービス精神」な気もしますが。 前作の私の投稿をお読み頂けると分かりますが「ガチ」であることを少しでも期待した自分を恥じています。「オカルト」に「ガチ」なんて概念は無い事をすっかり忘れていました。UWFでもあるまいに。やはりポイントは「仮面の男」と考えます。あれは「この作品はフィクションです」宣言。街裏ぴんく氏の「女芸人としてやらせてもらってます」と同質のボケです。つまり前作の感想で私が提示した「選択式回答」の答え合わせをすると④が正解でした。ぴんく氏の場合ピン芸人なのでツッコミ不在ですが、映画では科学者がツッコミ役です。しかしながら学者先生は芸人ではないため、まるでキレがありません。だから観客は戸惑うのです。いっそカミナリのたくみ君を連れてきて「こんなのオバケな訳ねえな!」と角由紀子氏の頭をはたけば分かり易くコントが成立しました。東京ホテイソンの「い~や普通にアイドルファンの男子」でも良いでしょう。 冷静に振り返ると最初から「ガチ」の看板など掲げられていなかったのかもしれません。「映画はフィクション。ドキュメンタリーはノンフィクション」という先入観がいけなかった気がします。今回私は劇場鑑賞こそしなかったものの、普段は手を出さない新作レンタルをしています。お値段500円也。社会勉強代としてはリーズナブルと思います。「自分だけは絶対に詐欺に引っ掛からない」は「あり得ない」が身に染みた貴重な体験でした。流石に本作で打ち止めだと思いますが、万が一にも続編で「あらゆる可能性を排除した本物の超常現象」が確認された場合は陳謝して考えを改めると共に点数を変更します。勿論その時はノーベル賞受賞も併せて御祝い申し上げます。
[インターネット(邦画)] 0点(2024-09-16 16:27:56)
27.  帰ってきた あぶない刑事 《ネタバレ》 
『トップガン』『マトリックス』少し前だと『インディージョーンズ』。不思議なタイミングで制作される人気シリーズ映画の続編。本作もそんな映画のひとつです。前作公開から実に8年後。劇中でも同じ月日が流れていました。当然キャストの皆さんもその分御歳を召す訳で、ダンディ鷹山もセクシー大下もはっきり言えばお爺ちゃんです。だって実年齢70オーバーですもの。しかし文句なくスタイリッシュ!期待値を遥かに上回る見事なアクションを見せてくれました。郷ひろみにしてもそうですが、ファンの理想を裏切らぬプロポーションを維持しているだけで本当に凄いと思います。これぞ「スター」で間違いありません。 物語の方は良くも悪くも『あぶない刑事』としか言いようがなく、本来昭和のエンタメ刑事ドラマのスタイル(または様式美)を令和で再現しようとするとこうなるんだろうなという感じ。こう言っては何ですが脚本家の方はさぞ頭を悩ませたことでしょう。元刑事に銃を撃たせるだけでも無理難題どころの話じゃありません。ですから私は二人に銃を渡した力技に対し「そんな訳あるかい!」とは言いません。よくぞ鷹山刑事に「単車ショットガン」シーンを用意してくれたと素直に感謝したいと思います。もちろん浅野温子さんも仲村トオルさんも「らしさ全開」の熱演ありがとう御座いました。 さらなる続編は無いとは思いますが、もし制作されるのであればいっそ「ゾンビもの」へシフトしては如何でしょうか。この世界なら倫理観とかリアリティなんてものに縛られず、自由に銃が撃てますし、あぶデカドラマも違和感なく展開出来るのでは。これ冗談に聞こえるかもしれませんが、割と本気で提案しています。ちょっと想像してみてください。マジでハマると思いませんか? 以下余談。作中若かりし頃のタカ&ユージが出てきますが、当時のTVドラマの映像素材ではなくAI生成CGが使われていた気がしますが気のせいですか?特にミドル鷹山に違和感があったのですが。多分ハリウッドあたりでは当たり前になりつつある技術だと思いますが、いずれ年齢差を理由とする配役吹き替えが無くなるんでしょうか。そうだとすれば正直ちょっと嫌だなと思います。似たイメージの俳優で吹き替えたり、直接顔を映さない演出だったり、今まで培われてきた技術や工夫が失われていくようで少し寂しく感じるのです。究極的には俳優さんも要らなくなる理屈ですし。
[映画館(邦画)] 7点(2024-09-05 19:45:28)
28.  ヒットマン・ロイヤー 《ネタバレ》 
「裏の顔は殺し屋」といえばご存じ『必殺仕事人』。『ファブル』もそうかな。洋画だと『デス・ウィッシュ』でブルース・ウィルスが外科医の処刑人を演じています。殺し屋も社会生活があるので表の顔があって当然ですけども。さて本作では「ロイヤー=弁護士」と「ヒットマン=殺し屋」2つの顔を持つ男が主人公です。もっとも「殺し屋」の方は“人斬り以蔵”こと岡田以蔵の末裔だからそう呼称しているだけ。大袈裟な物言いです。実際は証人に刀を突きつけて有利な証言を引き出す程度。その結果、裁判は連戦連勝だそう。公式HPでは「己の正義で悪を裁く」とあります。どうです?やばいでしょ。近年稀にみるヤバさでした。 例えば『必殺仕事人』で留飲が下がるのは、法の裁きが及ばぬ加害者に対し被害者側から正当な罰を与えるから。「公」の機能不全を「私」が代行するとも言えます。あるいは弁護士業とは別件で人殺しをビジネスで請け負うなら犯罪映画として楽しめそう。しかし弁護士の顔で半端な暴力を振るわれても困惑します。どこの六法全書に「暴力を振るっていい」と書いてあるのでしょう。裏金を使う悪徳弁護士と何ら変わりません。そう、主人公は裁判に勝つためなら手段を選ばぬ極悪弁護士でした。それならそのように描けばよいものを「正義」や「悪」なんて言葉を持ち出すからややこしくなるのです。弁護士は依頼人のために働きます。そこにあるのは「利」のみです。あえて「正義」を使いたいなら「依頼人の利益を守ること」でしょうか。じゃあ対立する主張が「悪」ですか?そんな馬鹿な。その都度変わる「正義」を「己が信条」に置き換えるなど土台無理な話です。古美門研介なら白目を剥いて笑うでしょう。「己の正義で悪を裁く」のであれば、依頼人に左右されるロイヤー=弁護士ではなく、ジャッジ=裁判官の方が適任です。ただし弁護士よりずっと害悪な気がしますが。おっと「遠山の金さん」を悪く言うつもりはありません。あれは検事と判事の兼任ですから。 主人公はジェネリックGACTというか、ワイルドつんくというか、要するに眉毛キリリのホスト顔でした。とても弁護士には見えません。というか輩です。やから。と思っていたら案の定物語後半はヤクザの抗争劇にシフトします。何だそりゃ。夜の市街地でひとり悦に入り日本刀を振り回す主人公。銃刀法違反で捕まりますよ。法廷劇も驚きのクオリティでした。ずっと歩きながら論述しますし、常に傍聴人に訴えかけています。単に取材不足というよりもっと本質的な誤解。法廷劇の意味を履き違えているのでは。『リーガルハイ』は土台となるドラマやキャラクターが秀逸だからこそ成立するエンタメですよ。裁判官の許しも得ず延々と弁護士同士で公判を進める様はまるでコントでした。通常ここまでダメ出しを重ねると「でもアクションシーンは良かったですよ」と褒めてバランスを取る良識派の私ですが、本作については言えません。アクションは普通です。伊能昌幸(ラーメン屋)の格闘アクションスキルが高いのは確認済み。彼を有効活用しないなんてホント勿体ないです。よってトホホなVシネマのつもりで「ネタ映画」として鑑賞することをお勧めします。「ネタ映画」としてなら楽しめる(面白がれる)方もいるはずです。
[インターネット(邦画)] 3点(2024-09-04 18:58:31)
29.  ぬけろ、メビウス!! 《ネタバレ》 
元服はおよそ15歳。高校卒業なら18歳程度。「巣立ち」は重要なライフイベントのひとつですが、大学進学が過半数の現在そのタイミングは概ね「後ろ倒し」となっています。主人公は24歳。巣立つ年齢として遅くはないですが、彼女はすでに社会人でした。普通なら当該イベントは終了済みのはず。しかし彼女はまだ巣の中に居ました。 タイトルにある「メビウス」とはご存じ「メビウスの輪」のこと。進んでも元の位置に戻る特殊構造を、進路が定まらず停滞している現状に喩えています。また主人公が好意を寄せるイケメン帰国子女エイト君も8を横にしてメビウスです。よってタイトルは「足踏みしている現状とイケメン彼氏から抜け出せ!」という意味です。因みにエイト君パパ&ママのキャラクターは完全に「アメリカンホームドラマ」を揶揄しており、その会話劇は作中随一のお笑いポイントとなっていました。皆さん一緒に「欧米か!」と突っ込んでみましょう。 「全て母親に従って生きてきた」この思いが主人公の自立を阻む根本要因です。彼女自身でそう分析済み。ですから主人公に必要だったのは「自分で決める」という経験でした。本来ならアドバイスを参考に「決断」すればよい話ですが、精神的に未熟だと「従った」のか「自身で決めた」のか判別出来ません。でもアドバイスに反する選択であれば「自分の意思」と実感できるでしょう。往々にしてこの論法により若者は間違うのです。主人公の場合も同じ。彼氏の選択を誤りましたし、たぶん大学受験も・・・。しかし繰り返しますが重要なのは「自分で決めること」です。結果より過程。これは結果が全ての現実社会と正反対の案件。だから物語も受験の合否を見せません。必要ないから。そもそも人生の正解なんて何でも知っている神様でもない限り分かるものですか(あれ?でもカウンターに神様が居ましたか??)何なら誤答を正答に変えるのも自分次第だったりします。だから人生って面白い。 母親は正しく母親でしたし、娘の振る舞いも何ら問題ありません。「このままだと行き詰った時、お母さんを言い訳にしてしまう」と理解しているなら大丈夫。勉強は出来ないかもしれませんが賢い子です。全ては人生を悔いなく終えるために。どうぞ沢山足掻いてください。なお母の言葉「自分のコンプレックスを好きだと言ってくれる人と結婚しなさい」は金言なので、しっかりと心に留め置くと良いでしょう。個人的には元彼に100回土下座をすればよいと思います。彼以上の伴侶を見つけるのは東大合格より難しいでしょう。 巣立ちのドラマとしては大してドラマチックではありません。また主人公のキャラクターも俗物的です。でもだからこそ「自分ごと」として捉えられるのでは。冒頭で「社会人なら巣立っていて当たり前」と書きましたが、本当はそんな事ありません。経済的にも精神的にも自立するのは大変なこと。ある意味「自立しなくても生きていける」のが今の日本社会とも言えます。 多様性の時代ではありますが、ライフイベントには適齢があり順番があります。少なくとも母親はそう考えているでしょう。だから反抗する娘に対し諦めたように「好きにしなさい」と言ったのです。これは「後悔しないのであれば好きにしなさい」という意味。見放したわけでも何でもなく本心だと思います。私も我が子に対して「幸せになって欲しい」と同じくらい「なるべく悔いなく生きて欲しい」と願っています。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-09-02 18:22:01)
30.  マッチング 《ネタバレ》 
一応「真相」と「犯人」は明かされていますが、不明な個所が多々あります。よって想像も交えながら物語を整理してみます。ネタバレしていますので未見の方はご注意ください。  テーマは「マッチングアプリなんてロクなもんじゃない」ではなく「不倫ダメゼッタイ!」でした。これが殺害動機でもあります。指示役は幼少期に親の不倫で家庭を壊されたマッチングアプリ会社社長。実行犯は特殊清掃員のトムでした。社長はアプリを介して登録者の不貞情報を入手したと思われます。殺された者たちはいずれも不貞を働いていたのでしょう(そんな人間性だから直前にブーケを取替させたり、会食直前にアレルギー情報を伝えたりする)。顔に大きく×を刻まれ、手を固く握り合った状態で殺されたのも不倫の罰という意味です。これら一連の殺人事件のうち、主人公の「恩師夫婦」と「女性同僚」殺害のみ社長自ら実行しました。前者はトムに断られたから(運命の彼女の恩師は殺せない)。後者は口封じのためと推測します。同僚殺しのみ動機が異なりますし、何なら事前に彼女が警察に相談していたらスピード解決していたはずです。もっともトムから決定的な証拠や言質を得ていた訳ではないでしょうが。 社長の憤りの矛先は、原因者たる母の不倫相手=主人公の父親だけでなく、主人公にも向けられました。彼女に罪が無いのは明らかなので、父親の不倫を知らずに真っすぐ育ったのが憎かったのでしょう。彼女に対しては明確な殺意があった訳でなく、トムに邪魔された勢いで凶器を振り上げただけかもしれません。ところで社長は不倫を取り締まる為にマッチングアプリを開発したのでしょうか。それならまるで「ゴキブリ〇ホイホイ」の開発者と同じです。 指示役(首謀者)が逮捕されれば事件は終わり。でも連続殺人は止まりませんでした。そう社長逮捕後の殺人はトムの意思によるもの。動機も同じ「不倫憎し」という気がします。社長の周辺を探るうちに自身のルーツにも辿り着いた捨て子のトム。彼もまた親の不倫の犠牲者であったことを知りました。真相を知ったトムは、社長、いや兄の思いを受け継いだのでは。因みに社長は実行犯について自供しないでしょう。罪は重くなってもなろうとも軽減はあり得ませんから。むしろ「不倫者への罰の執行」をトムが継いでくれるなら好都合とも言えます。社長はトムが弟だとは知らない気がしますがどうでしょう。以上私が考える「一番面白そうな」解釈例でした。社長からトムへ殺人の依頼があった証拠はありませんし、殺害動機についても単なる「猟奇殺人」の可能性もあります。あくまで解釈の一例ですのでご留意ください。 本作を観て「不倫の罪の重さ」がよく分かりました。不倫をした本人よりも家族が苦しむということ。本件の一番の被害者は主人公の母親でした。長年にわたり地獄の苦しみを味わう羽目に。何という理不尽な仕打ちでしょう。この真実を目の当たりにした父親はショックのあまり自ら命を絶ったほど。赤いドレスの女も初めは騙されていたのかもしれません。そういう意味では当時「出会い系掲示板」など無ければ不幸な事件は起きなかったとも言えます。いや悪いのは道具ではなく、使う人ですね。ですから冒頭に戻りますが本作は決して「マッチングアプリ」を否定していません。正しく上手に使えば有益な道具。WEB掲示板もアプリも、幸せになった人は沢山いるでしょう。ただし不幸になった人と天秤に乗せた場合、どちらに傾くかの検証は必要だという気がしますけども。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-08-26 18:17:16)
31.  DOGMAN ドッグマン(2023) 《ネタバレ》 
最も相応しいタイトルは『DOG MOTHER』と思われます。もちろん読み方のイントネーションは『ゴッドファーザー』と同じ。タイトルロゴに付随する「操り棒」は「犬のエサ入れ」に替えてください。挿入曲からもかの名作をオマージュしているのは確定でしょう。かといってパロディなどでは断じて無く、荒唐無稽な寓話的体裁を取りつつも、ヒューマンドラマとしての凄みを有していました。圧巻だったのは主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。観る者を虜にする圧倒的な人間力を見せつけました。犬たちの演技も驚異的!もしかしてCGですか?もし本物のアニマルアクターならば、とびきり上等のドッグフードを与えてください。冗談抜きで並みの俳優では太刀打ちできない名演だったと思います。本作は優秀主演男優賞なりモスト・ヴァリュアブル・ドッグなり、何か映画賞は取っているのでしょうか。もし取っていないのだとしたら何かの手違いに違いありません。事務局は至急確認をお願いします。前述したとおり『ゴッドファーザー』を彷彿とさせる作品ですが唯一無二の素晴らしいオリジナリティを有していました。観終えてから監督名を知り、はたと膝を打った次第です。同じ設定、同じ脚本でも河崎実監督だったら真逆の評価になったことでしょう。当たり前か。
[インターネット(吹替)] 9点(2024-08-25 20:55:51)
32.  ラストマイル 《ネタバレ》 
ドラマ『アンナチュラル』『MIU404』と繋がるシェアード・ユニバース・ムービーだそう。うーん何このオシャレカタカナ。要するに同一世界線ということです。両ドラマのサブキャストが申し訳程度に出演しているのかと思いきや然にあらず。石原さとみや星野源にも台詞ありの出血大サービス!(注:慣用句です)特に『アンナチュラル』チームの方はストーリー上重要な役回りを担っていました。「まさにTBSドラマのアベンジャーズや〜」と彦摩呂風の軽口を叩きそうになりますが、そんなフザケたノリでは全然無くて。極めてシリアスな骨太社会派ドラマでありました。それでいてエンターテイメント性にも優れています。ミステリーとしてもサスペンスとしても上質ですが、何よりヒューマンドラマとして見応えがありました。敬意をもって「人」が描かれており好感。主人公が容疑者を検索で絞り込み特定した際「ビンゴ!」ではなく「見つけた」と静かに口にした時点でこの映画を信用してよいと判断しました。 企業と顧客。発注元と下請け。会社と個人。そして加害者と被害者。立場が変われば正義も変わる。いや正義ではなく「免罪符」あるいは「言い訳」かもしれません。もちろん利益を追求するのは悪ではありません。勝つ事も大事。ですが勝ち過ぎはいけません。人類が選択すべき最高の戦略は「共存共栄」に違いありません。この事件を通じて主人公が感じたこと、企業人としての決断にどうぞ胸を熱くしてください。彼女の服色の変化にも注目です。そして爆弾テロの最終的な死者数とその内訳にも涙してください。私は『MIU404』は観ていませんが、少なくとも『アンナチュラル』が好きな方なら大満足出来るはずです。正直タイトルも舞台設定もイマイチ分かり難く地味な印象がありましたが、本当に良い映画でした。シネコンで「時間が合うから」で選んだのが申し訳無いくらい。皆さんはこの映画を観るために劇場へ足をお運びください。
[映画館(邦画)] 8点(2024-08-24 08:53:50)(良:1票)
33.  ミンナのウタ 《ネタバレ》 
ネタバレしています。未見の方はご注意ください。  都市伝説的に有名な『暗い日曜日』や邦画ホラー『伝染歌』など、歌うと死ぬ系のギミックは既に存在しますが、本作の場合「歌うと消える」でした。とはいえホラーですから「消える=死」だと理解していましたが、一件落着後「現れる」というミラクルな着地を見せます。そのため作中現在進行エピソードでの死者数はゼロでした。これは『GENERATIOS from EXILE TRIBE』という人気アーティストを本人役で主演に配した影響であり、完全にネタバレですがGENERATIOSのリアルライブシーンで終幕します。そう所謂『アイドルホラー』ジャンルの作品。これは冒頭に記した『伝染歌』(AKB48)や本作出演の早見あかりが在籍したももいろクローバーの『シロメ』と同ジャンルということ。そもそもファン向けのアイドル映画ですからファンが納得すればそれで良く、あまり外野がとやかく言う筋合いはありません。ですが、とやかく言います。そういう趣旨のサイトなので。 一言でいってしまえば「トンチキホラー」です。決して正統派ホラーではありません。でもこれが「面白い」のです。この「面白い」には「笑える」と「ホラーとして楽しめる」の2通りの意味があります。前者については何といっても「劇中リアルカラオケ」が挙げられるでしょう。唐突に始まるGENERATIOS楽曲のカラオケ風ムービー。主演はマキタスポーツ。ホテルの夜景。ちゃんと画面に歌詞まで出ます。このスカシ(ギャグ)が秀逸でサスペンスで重要とされる「緩和剤」の役目を果たしていました。当然「こんなのフザけてる!」と立腹される方が居るかもしれませんが、そもそも「トンチキホラー」なので言うだけ損です。それよりも一人だけドラマ不参加メンバーが居ることを問題視しましょう。スケジュールの都合かな?ゴネたのかな?理由は分かりませんがライブシーンのみの出演でした。私は逆に滅茶苦茶ウケましたが、そのメンバーのファンだったらどう思うのでしょうか。気になるところです。後者については意外と言ったら失礼ですがホラーとしてちゃんと怖かったのです。演出面で際立っていたのは「はーい」のところ。これは同監督の『呪怨 白い老女』でも使用されているフォーマットで、その構造を理解していても鳥肌でした。掃除機のコードにしてもそうですが、日常風景の些細な違和感に由来する恐怖に私自身殊更弱いようです。設定面ではタイトルに隠された真の意味に震撼しました。これは相当にエグいでしょう。呪いの歌のメロディはキャッチ―で覚えやすいものの、すぐに忘れられるのが有難い。実生活に影響しません。もっともこれは私の加齢による効果かもしれませんけど。 「そもそも呪いのトリガーって何?」「みんなちゃんと歌を聞いていましたか?」「弟はどうやって殺されたの?」「呪い殺すより時空を歪ませる方がずっと大変な気がしますけど」等々。疑問点を指摘し出したらキリがありませんが、そこは「トンチキホラー」なので言ったら負けです。「トンチキホラー」最恐ではありませんが最強かも。 観終えてみればショッキングシーン控えめのマイルドな仕上がりで、デートムービーとしての実用性もあり。ホントか?GENERATIOSのファンは勿論、それ以外でも「トンチキホラー」を笑って許せる御方であれば(そこそこ)楽しめる映画ではないでしょうか。少なくとも私は嫌いではありません。ところで「みんなのうた」だと某SASの楽曲が思い起こされますが、カタナカ表記にすることで著作権的な話はクリアになるのでしょうか。いっそエンディングテーマに採用してくれたらアッパレだったと思いますがLDHが許しませんか?点数は4点~6点が妥当だと思いますが、本作についてはももクロちゃん加点が適応されます。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-08-20 18:15:37)
34.  忌怪島/きかいじま 《ネタバレ》 
記載したのは「こう考えると面白いのでは」な解釈の一例です。決して正答ではありませんのでご承知おきください。またネタバレしております。未見の方はご注意ください。ちなみにこの手の長文解釈作品は「すごく面白くて興奮した」か「いまいちなので自力で楽しんだ」のいずれかのパターン。どちらに該当するかは点数でご判断ください。  私最大の関心事はラストの解釈でした。「少女は何故自死したのか」ということ。この点を念頭に物語を整理してみます。 チーム・シンセカイが創り上げた仮想空間は、実在する離島をスキャンして作り上げたもの。視覚だけでなく風や匂い音など全てが完全再現されていました。リアルさを追求するため島のあらゆるデータを隅々まで取り込んだのでしょう。その中には島民(協力者)の脳内データも含まれていました。主人公の仮想空間での登録ナンバーが「4」であることから協力者は「3人」と推測できます。冒頭で死んだ園田、お世話係の老人、そして女子中学生。老人の脳内データ(記憶、知識、感情等)が元となって忌女(漢字だとこうですよね)が顕現したと考えられます。注意したいのは「霊があの世から戻ってきた」ではなく「脳内データから再構築された」ということ。シャーマンが話す「あの世」が仮想空間と酷似していることから前者と錯覚しそうですがミスリードと感じました。老人がこの「違い」を理解していたかどうか不明ですが、少なくとも自身が忌女を出現させた自覚はあったはず。だから彼は厄災を引き起こした自責の念に駆られて自殺したのでしょう。 さて、ここで冒頭の「少女の自死」に戻ります。作中自死したのは老人と少女のみ。なら理由も同じでは。つまり彼女も責任を感じて自殺したのでは。いみじくも老人と同じ唄を歌った直後の出来事でした。更にこの説をエピローグが裏付けます。フェリーに乗船する2人の背後に忌女の気配。でも女は鳥居を焼いた際に消滅したはず。しかし別の忌女が居たとしたらどうでしょう。忌女が脳内データで再構築されるのなら、老人以外の脳内データで再構築されていても不思議ではありません。少女もまた厄災の発端となったひとりかも。とここまで書いておいてなんですが見当違いです。というより少女は自死していません。少なくとも自殺したのはアバターでした。現世で焼失した海中鳥居が存在しているので仮想空間の出来事。もちろん現世の少女が仮想空間に再入室した可能性は否定できませんが、手引きする人はもう居ません。よってラストに自殺した少女のアバターは「読み込み済み過去データ」と推測します。この時点で少女は忌女の厄災を知らぬはず。彼女のアバターが死を選んだ理由は何でしょうか。 ここで主人公が理想とした仮想空間とはどんな世界だったのか振り返ってみます。其処は他人と関わらなくてよい場所。見る景色は変わらないのに、人だけが居ない町。初対面の主人公に物おじせず話しかけ、村八分の老人と交流していた「人間大好き」な少女にとって地獄では。そう彼女(のアバター)は孤独に耐えられず自殺したのではないか。そんな馬鹿なという気もしますが、彼女にはウイルソンが居ないのです。たとえば『あつ森』にもう何年もログインしていないなんて人はいませんか。〇〇島の「あなた」はちゃんと生きていますか。 最後に、エンディングで2人が向かった先について。これはかっぱ堰さんがご指摘のように「あの世」と解釈するのが正しい気がしますが、もしかすると「現世」かもしれません。いずれにせよフェリーに乗り込んでいたのはアバターであり、彼らが今いる世界は仮想空間です(海中鳥居と腕のナンバーで判断)。仮想空間とはおそらく現世とあの世の中間に位置する世界。アクセス良好なのは忌女が証明済み。彼らが向かった先が「あの世」と考えるか「現世」と捉えるかで物語の余韻は大きく変わります。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-08-16 18:20:49)
35.  サンクスギビング 《ネタバレ》 
聞けば『マチューテ』同様のネタ映画だそう。マジレスするのもどうかと思いますが「王道スラッシャーホラー」に対する雑感として記載します。 ご存じ『13日の金曜日』のジェイソンはホッケーマスク、『ハロウィン』のブギーマンはラバーマスク。殺人鬼は顔を隠すのがデフォルトです。理由の第一は顔バレを防ぐため。そして何より不気味だから。身も蓋もないですけど。でもちょっと考えれば分かるようにマスクは不便です。視界は遮られ、息もし難い。命のやり取りをする修羅場でマスクを着用するのは不合理です。そう彼らのマスクは“ハンデを負ってでも着用する意義がある必需品”ということ。いわば殺人鬼としてのアイデンティティ。本作では復讐の発端となった惨劇「感謝祭」を象徴するお面が選ばれました。これは分かり易い。納得できます。でも現実に祭りのお面を付けて人殺しが出来るでしょうか。答えはNO。正対しないと相手を視認できないのではお話になりません。もっともこれはジェイソンにだって言えること。しかし本作ほど違和感がないのは、彼が大男だからです。ブギーマンやレザーフェイスも然り。歴代のメジャー殺人鬼は基本「大男」でした。マスク着用のハンデがあろうとも“揺るがない戦闘力(殺人力)”を感じさせるキャラクター。その観点から本作の殺人鬼は「体格不足」でありました。ミステリーであるがゆえの弱点。本来「中肉中背」では殺人鬼としてのポテンシャルに欠けるのです(ちなみにこのタイプの殺人鬼には『スクリーム』のゴーストフェイスも該当します)。となると“揺るがない戦闘力”を体格以外で示したいところ。そう武器。武器で殺傷能力を示せばいい。本作の殺人鬼は斧以外に銃を使用しました。銃なら問答無用の殺傷能力です。でもこれはスラッシャーホラーの様式美に反する行為では。詫びも寂もありません。「あえて皮肉った」可能性もありますが、ネタ映画であるなら尚のことスラッシャーホラーの「様式美」や「流儀」に拘って欲しかったと感じます。では飛び道具以外で、かすっただけでも絶命させるような強力な武器は何でしょう。ずばり「毒手」がおススメ。マスク系中肉中背殺人鬼は全員「毒手」をご利用ください。「毒手」って何?な常識人は「柳龍光」で検索ください。ただし殺人鬼はいつも手袋をしているキャラクターにならざるを得ないので「タクシー運転手」か「手タレ」に限定されてしまいますが。 さて、本作の殺人鬼もご多分に漏れず死体が見つかりませんでした。続編及び不死身キャラのフラグが立ちました。もう犯人は特定されたので顔を隠す必要はありませんが、きっと次回もお面を付けてくるでしょう。でも前述したように様式美無視の無粋な真似は勘弁願いたい。と言う訳で続編では「毒手」採用を希望します。あるいは「骨延長手術」で2mオーバーの大男になってください。「骨延長手術」が不明の場合は「ジャック・ハンマー」で検索ください。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-08-07 18:31:31)(笑:1票)
36.  夜明けまでバス停で 《ネタバレ》 
時代設定がコロナ禍の作品は観たことがありますが「コロナ禍」自体をテーマとした映画は初めてでした。職を失い、住むことろを失い、追い詰められた主人公が辿り着いた境地に身震いしました。どんな善人であろうと「貧すれば鈍す」ということ。柄本明が言う「社会の底が抜けた」は弱者だけでなく全ての人にとっての「緊急事態」を意味しました。「私が幸せならばそれでいい」は通用しません。「情けは人の為ならず」とはよく言ったもの。多くの人が幸せに暮らせることが、結局は自分自身の利益に繋がるのだと思います。そういう意味で本作の主張は政治批判も含め共感出来る部分はありました。ただ両手を挙げて賛同はできません。主人公の罪は窮地に助けを求めなかったこと。友人に、家族に、政府に、何故助けを求めないのでしょう。弱みを見せられない性格?プライドが邪魔をする?それが理由になるのは精々未成年まで。「神は自ら助くる者を助く」とは言いますが、助けを求めることは恥でも何でもありません。助けてもらった分、次は助けてあげればよいだけ。この世は持ちつ持たれつですから。「黙って動けぬ者も含めて困窮者は全員助けるべき」が理想かもしれませんが、よほど社会に余力がない限り無理な話。そんな余力があるなら、そもそも底は抜けていない訳ですし。ただ最後に物言わぬ主人公が救われたのは奇跡ではありません。あれこそ「情けは人の為ならず」の成果。かけた情けが戻って来たと捉えて良い気がします。さて大切なのは「機」を逃さぬこと。彼女が手にした(たぶん)30万円は、人生を立て直すに可能な原資と考えます。作るのは爆弾ではなく「居場所」です。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-08-05 00:13:37)
37.  ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー 《ネタバレ》 
物語の構成は前作とほぼ変わりません。【起】掴みはアクション【承】ゆるゆる日常生活【転】敵との抗争【結】ド派手な格闘で決着。何なら決め技まで同じ。『男はつらいよ』と見紛う定型文です。でもよく考えてみれば『ミッション:インポッシブル』だって似たようなもの。ここは洗練されたフォーマットと捉えましょう。 一般的に続編は「パワーアップ」を旨とします。本作も例外ではなく、コメディと青春ドラマが強化されました。しかし反面、敵のグレードはダウン。これは「駆け出し殺し屋兄弟」をメインゲストに迎えた影響ですが、一部要素とはいえ弱体化したのは意外でした。もっとも敵の戦闘力ばかり追求し出すとインフレを起こし、いずれ行き詰まります。敵の「強さ」ではなく「タイプ」に着目した判断は賢明だったと考えます。事実アクションは見応え十分でした。動き続ける銃撃戦や格闘ムーブは、リアリティを放棄したからこそ辿り着いた境地。胸が躍りました。エンタメ至上主義の“魅せる”アクションが『ベイビーわるきゅーれ』の生命線であります。 強化ポイント、コメディと青春ドラマについても触れておきましょう。まずコメディから。もともとナチュラル脱力系の笑いでしたが、本作では主役2人の役割(ボケとぼんやり)が明確になり積極的に笑いを取りに行く姿勢が示されました。手薄であったサブキャラにも新顔を入れシリーズ映画としての体裁を整えた感があります。コメディセンスが万人ウケするとは思えませんが、個人的には渡辺哲に『ビジュ爆発』と言わせただけで優勝でした。青春ドラマについては、まひろの台詞『私に賭けろ。杉本ちさと』に痺れましたが、大部分は「ビギナーアサシンブラザーズ」のお手柄と言っていいでしょう。喧嘩、いやスポーツ感覚での殺し合いは、不謹慎ながら「青春」そのもの。大変な良キャラで殺してしまうには惜しい逸材でした。少年マンガなら敵から味方への鞍替えするパターンかと。結末の表現をみるにその可能性はゼロでは無さそう。リアリティよりエンターテイメント性を重視している作品ゆえ、密かに彼らの復活を期待しています。 総じて前作より観易くなったと感じました。つまり娯楽作品として大衆性を身に着けたということ。これは前作の感想で指摘したポイントであり歓迎すべき変化ですが、前作が「思わず10点を付けかけた8点」であるのに対し、本作は「7点以下にはならないが9点10点にもならない8点」とニュアンスに違いがあります。喩えるなら前作が「球速160㎞の荒れ球投手」で本作が「制球力ある150㎞投手」。後者の方が優秀ですが、浪漫があるのは前者だったりもします。贅沢なお願いで恐縮ですが、本シリーズには制球力ある170㎞投手を目指して頂きたいです。 TV連ドラ『エブリデイ!』に劇場3作目『ナイスデイズ』も控えており、ビジュならぬ人気爆発している本シリーズ。嬉しい限り。ナイスデイズのキャッチコピーなんて無視してじゃんじゃん続編をつくってください。期待しています。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-07-29 20:56:13)
38.  ザ・プロジェクト 瞬・間・移・動 《ネタバレ》 
ネタバレ厳禁映画です。未見の方はご注意ください。  瞬間移動実験で起きた予期せぬエラー。「どうして起きたか」の説明(光の反射理論)は実はよく分かりませんが、「何が起きたか」はすぐに理解できました。というより多くの観客が真相を予想できたのでは。それくらいこのSFジャンルでは使い古されたネタでした。主人公の実験記録を盗んでいった人物の描き方は明らかに「見せ過ぎ」であり「そりゃそうだろう」としか思えません。しかしネタに新鮮味がないから不可ではありません。見せ方、そしてテーマ次第。監督の手腕が問われる「定番」SFだったと思います。 ワープ実験により記憶障害を負った主人公。彼女が苦難の末真相に辿りつくまでが「見どころ」であります。記憶に質量はあるのか。記憶は電気信号か。では魂はどう定義される?科学とも哲学とも言えるアプローチは興味深く、前述したように理論は理解できずとも真相は十分腑に落ちました。そして彼女の立場に我が身を重ね絶望する訳です。あの解決方法しかないのは理解しますが、これを「当たり前」と捉えるなら劇中非難されていた「動物実験」と何が違うのかという話。「動物実験は殺人と同じ」という活動家のトンデモ理論が俄然正当性を帯びてきます。科学技術の進歩に犠牲が付き物だとしても、どこまでが許容範囲かということ。動物愛護活動家の主張も、科学者の態度も、どちらも私には受け入れ難い。しかし瞬間移動が本当に実用化されたならどうでしょうか。事故を理由に自動車を否定する人が居ないように、瞬間移動技術がもたらす莫大な恩恵の前には相当な犠牲が社会的に許容されるでしょう。おそらくこの価値観の変化こそがラストカットの「繭」で暗示される人間社会の「メタモルフォーゼ」。それは人が魂を捨て去る世界と言えるかもしれません。 念のため最後に1点確認を。主人公と母親の通話シーン。まるで引っ越し前後のような何もない白い部屋に母親がひとり。違和感と共に得も言われぬ恐怖を感じさせました。これは「背景が無い=主人公の記憶が無い」という意味で捉えてよろしいのですよね。もしそうでないなら、パラレルワールドとかマルチバースの可能性も考えなくてはいけないので。もうちょっと深掘りして解釈を試みたい気もしますが・・・。もし本作が面白いと感じられたなら『プライマー』(2004)の鑑賞をお勧めします。ただし考察に要する時間は本作の比ではない超難解映画ですので時間に余裕のある時にご鑑賞くださいませ。
[インターネット(吹替)] 7点(2024-07-23 20:54:52)
39.  Pearl パール 《ネタバレ》 
牧歌的な“古き良き”田舎暮らしにそぐわない鮮烈かつ容赦のない殺戮描写。A24ブランドの名に恥じぬハイセンスなサイコホラーが展開されます。聞けば3部作の2作目とのこと。1作目『X』より出来が良いと思いました。何といっても主演のミア・ゴスが素晴らしい。鬱屈した心情、爆発する狂気。圧巻だったのはエンドクレジット越しの「長すぎる笑顔」でしょう。もはや「顔芸」ですが、これを見せたいが為の映画だったとさえ思えます。絶品でした。だからこそ一瞬といえども予告編でこのシーンを使うのは悪手では。必殺技は出し惜しみしてください。 やはり気になるのはパールの「幼さ」「未熟さ」でした。夢を見るのは構いませんが、夢の中から出てこないのは困ります。相川七瀬(織田哲郎)の言う通り。彼女の犯した「殺戮」は「現実逃避」と同義。だから事後、必死に「いつもの生活」を演じたのでしょう。でも自分で自分を騙している自覚はあるから前述した「長すぎる“苦しみの”笑顔」になったと。恐ろしくも哀れです。『X』をみるに彼女はこの精神のまま年老いた様子。それは彼女の現実逃避を容認した者がいることを意味しました。夫=ハワードの罪は、パールの犯した罪と同等です。 得てして「若さ=正義」とされる風潮がありますが、精神が未成熟であることはむしろ悪です。ソクラテスの『無知は罪』ならぬ『未熟は罪』。パールの残虐性は幼さの裏返しでもありました。子どもが戯れに虫を殺すのと同じ。もちろん、同じ生き物を殺すにしてもグラデーションはあります。虫は殺せても小動物は殺せません。これが一般的に共有されている「越えられない一線」でしょう。そういう意味でタイトルバックにもなった「ガチョウ殺し」は、彼女が「こちら側」ではなく「あちら側」の人間であることを示唆しています。あるいはクロコダイルダンディもびっくり無類のワニ好きかもしれませんけど。 ところで今頃気づいたのですが『X』の年老いたパールもミア・ゴスなのですね。主役のマキシーンもミアですし二役でしたか。つまり本シリーズはミア・ゴス祭り。大したものです。でも大嫌いだった上司に似ているのでミア・ゴスは嫌いです。
[インターネット(吹替)] 7点(2024-07-19 18:22:46)(笑:1票) (良:1票)
40.  ルックバック 《ネタバレ》 
ネタバレ厳禁映画です。「評判良さそう、どんな感じかな」で本サイトを開いた方は速やかに閉じることを強くおすすめします(管理人様勝手なことを言ってすみません)。すぐに劇場でご覧ください。劇場公開が終了している場合は、DVDでもサブスクでも構いません。観てください。観終えてから再度ご訪問いただければ幸いです。  ※劇場鑑賞後すぐに勢いで「推敲なし」で投稿しましたが、文才皆無のため「何を言いたいのか分からない」状態でした。申し訳ございません。『嫌われ松子の一生』で懲りたはずなのに同じ過ちを犯すとは。面目ない限り。鑑賞後数日経ち、少し落ち着き思考も整理されてきたので改めて投稿し直します。  本作で激しく心を揺さぶられたポイントは3つです。ひとつ目は「努力が報われたこと」そしてふたつ目は「理解者を得たこと」。この二つは同時にやってきました。藤野と京本が初めて顔を合わせた場面。まさに盆と正月が一緒に来たとはこのこと。そっけない態度とは裏腹に藤野の心は狂喜乱舞しました。この時の「表現」は日本アニメ史上に残る名シーンであります。生涯忘れえぬ感動は、漫画連載が決まった時より、アニメ化が決定した時よりずっと大きなものだったでしょう。この「思い出」だけで生きていけるほどに。恥ずかしながらもらい泣きです。何故これほど感動的なのか。それはこの二つを得るのが至難の業だからです。一度も手にせぬまま人生を終える人も多いはず。残念ながら今の私もその一人であります。勿論この感動は京本にも当てはまりました。あるいは彼女の場合は藤野以上かもしれません。「人生の転機」となる出会い。固く閉じていた未来への扉が開いた瞬間でした。陳腐な表現ですが「魂の片割れを見つける」とはこういう事かもしれません。 3つ目に心揺さぶられたのは言わずもがな。京本を襲った悲劇です。私はかねてより「人が死ぬから悲しい物語」は嫌いでした。その思いは基本今でも変わりません。しかし年を重ねて少し心境が変化した気がします。それは「死」が決して「特別なもの」ではない事を知ったからです。今日と同じ明日が来る保証など誰にもありません。死は唐突に訪れるものであり、往々にして理不尽なもの。これが世の道理です。物語だから死を避けるのも不合理では。 藤野は当初京本を外に連れ出した自分を責めましたが、彼女に非が無いのは言うまでもありません。もちろん彼女も頭では理解しているでしょう。でも心が追い付かない。そんな彼女に見せた幻が「ifの未来」でした。藤野が漫画を諦め、空手に勤しんだ未来。京本を襲った悲劇を回避できた未来。もしかしたら本当に「別の未来」が存在するのかもしれません。それは誰にも分からないし、知る術もありません。「死期」と同じ。だから私たちに出来るのは、真摯に自分の生と向き合うことのみ。自分がやれること、やりたいこと、やるべきことをする。それだけ。京本もそうして生きてきたのです。 良き人との出会いは「幸運」であり、別れは悲しいですが「必然」です。断言できるのは「努力が報われ」「理解者を得た」人生が「この上なく素晴らしい」こと。これだけは、絶対に、間違いありません。
[映画館(邦画)] 10点(2024-07-15 13:01:06)(良:5票)
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