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21.  タイム・アフター・タイム 《ネタバレ》 
低調な映画。凡作といわれても仕方がない出来。つじつまが合わないことが多い。歴史上の切り裂きジャックは1888年に犯行を行ったが、本作のスティーブンソンは1893年に娼婦殺しをする。彼が犯人と判明する経緯が何ともあっけない。警察が偶然彼の荷物を調べて、証拠品を発見するだけである。何の推理やサスペンスもない。探偵役のウェルズは相当なおバカである。タイム・マシンに同時気化装置なるものをとりつけているのだが、それをつけた意図が不明である。鍵をはずすと中にいる人間が永遠の彼方へ飛んでいってしまうという物騒な機能は必要だろうか?自分が乗っている間に、誰かがいたずらするという可能性を考えないのか。あるいは運転中に衝撃ではずれるとか。鍵を車外に付けていれば、当然その可能性はあるだろうに。また逆転ロックをかけておけば、マシンは常に元にいた場所に戻るという。だがそれはトラベラーが外にいた場合、永遠に戻れなくなることを意味している。うっかりミスを想定しないのか。極めつけは、犯人を追って1979年に飛んだことである。犯人を捕まえたいのなら、マシンで数時間前に戻ればよいだけじゃないか。それから博物館のタイム・マシンだが、鍵がなくても動くはずだ。「連続して旅行をを続けたい場合は鍵を使う」とウェルスも説明している。事実犯人は鍵なしでタイム・トラベルしている。犯人も犯人で、ウェルズを殺すとか、他の都市にさっさと移ればよいものを。ウェルズの恋人が殺されたと観客に思わせるトリックがあったが、あれは反則だ。どう見ても実際に死んだ恋人の友人は部屋にはいなかった。犯人は、「鍵を渡さなければ恋人を殺す」と手紙で脅すが、そんなことをすれば避難・潜伏されてしまうのはわかりきったことである。誘拐して脅かさなければ意味がない。恋人を避難・潜伏をさせられないウェルズは犯人より低能である。そもそも犯人は何をしたいのか、そこが見えてこない。人間が描けていない。タイム・トラベルや切り裂きジャック事件に対する情熱も、H・G・ウェルズに対するリスペクトも見られない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-11-21 08:12:17)
22.  春琴抄(1976) 《ネタバレ》 
春琴は大店の娘だが、盲目故に甘やかされて育てられたせいか、自尊心、気位が高く、誰に対しても高圧的な態度を崩さない。好きな琴の修練には熱中し、師匠の跡取りと目される腕前だ。その身の回りをしているのが奉公人の佐助だが、その献身ぶりは度を過ぎている。春琴を思慕するあまり自ら芸の道に入り、春琴を師匠と仰ぐ次第となった。佐助は春琴を思慕しており、彼女の身の回りの世話をすることに限りない歓びを感じているのと同時に、彼女にわがままに命令されたり、いじわるされたり、痛い目にあわされたりすることに快感を覚えているようだ。それで春琴はますます増長し、佐助への指図、言動は苛烈を極めていく。サディズムとマゾヒズムの共依存関係が成立しているのだ。或る日事件が勃発、春琴が何者かに顔に熱湯をかけられるという災禍にみまわれる。醜くなった顔を見られたくないという春琴に対して、佐助は自ら針で目を付いて盲目になるという選択をする。ここが愛のクライマックス、純愛、献身、自己犠牲の極致というべきか。これにより、二人の更なる共依存関係が完成。二つの魂はひとつとなった。しかし、この異常な行動を驚嘆すべき愛の行動として肯うのには躊躇される。というのは、佐助が視力を失えば、春琴の世話を以前のようにはできなくなり、必然と第三者の介入が必要になるからだ。「健常者と盲人」という優劣の関係を「主人の娘と奉公人」「師匠と弟子」という関係を結ぶ事で逆転させていたのだが、このバランスが崩れる。もう一つ気に掛るのは、春琴が佐助の子供を産んでいるという事実。二人は否定するが、赤子の父親が佐助なのは疑いようがない。奉公人風情と性的関係を持ったことが春琴の自尊心をずたずたにした。だから佐助と示し合わせて赤子の父親については口をつぐみ、赤子を余所へやることに決めたのだ。だから二人の関係は純愛ではない。やがて二人の関係に綻びが広がってゆくのは目に見えている。奇異な形態の恋愛だが、明治というまだ封建制度が残る時代なら、成立する余地はあると思う。
[DVD(邦画)] 7点(2012-09-12 06:25:28)
23.  テス 《ネタバレ》 
類まれなる美貌の持ち主「超美人」というのはある意味罪作りな存在。異性を惹きつけて止まないのだ。恋愛の対象、欲望の対象、嫉妬の対象として情念の渦に巻き込まれてしまう。金持ちですけこましのアレックにしつこく追い回される主人公テスの様子は気の毒そのもの。拒絶できればよいが、父が怠惰な貧農で、弟妹たちの面倒を見てやらなければならないという負い目、足枷がある。結局強姦めいたことになり、アレックスの情婦となる。そんな生活に嫌気がさして逃げ出すが、お腹には新たな生命が宿っていた。赤子は短命に終るが、私生児故に洗礼も受けられず、教会墓地に埋葬も許されない。アレックスに何も知らせず、赤子を自分で育てるところに、気高く自立した女の側面がみれる。新たな働き先の農場で初めての恋をするが、相手はよりによって牧師の息子エンジェルで、厳格なキリスト教上の足枷がある。求婚されたとき、過去を告白した手紙を渡そうとするが、行き違いとなる。結婚後、彼女の過去を知ったエンジェルは痛撃を受けて、家を出てしまう。彼女も実家に帰るが、父が死亡して借家を追い出される。やむなくアレックスの援助を請うて、再び情婦に。そこへのこのこ妻の過去を許して受容できるようになった夫が迎えに訪れて、悲劇が起る。惨劇の場面は省略されるが、主人公の生きざまを赤裸々に描くのが作品の主旨であり、非常に不自然。逃亡する二人はストーンヘンジで逮捕されるが、これは興味深い。ストーンヘンジはキリスト教以前の古代遺跡で、太陽の運行など天文に関係する施設で、夏至には特定の石柱の間から太陽が昇る。彼女の魂が救済され、再生するためには、キリスト教という足枷のない場所が必要だった。朝日が石柱から昇りはじめる象徴的な場面で映画は終る。◆せっかく「自立する女」「紆余曲折を経て辿り着いた真実の愛」を描いても、殺人、絞首刑で終わっては後味が悪すぎる。彼女の不幸や悲運が心にもたれ、うまく消化できない。夫役の男優に魅力がなく、彼女と釣り合わないのも難点。監督は主演のナタキン15歳のときより性関係を持っていたというから、アレックスと被って見える。性的に早熟になった彼女は、その後恋多き女として浮名を流すことになる。それでも輝き続けるナタキンはテスそのもの。監督の妻が殺害され、一方で少女への淫行疑惑の十字架を背負うという人生も意味深なものだ。やはり美貌が罪を呼ぶのだろうか。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-11 13:11:28)
24.  八つ墓村(1977) 《ネタバレ》 
なかなかの力作で観る価値はある。 事件の因縁の発端となる戦国時代の落武者謀殺の陰惨な場面、32人殺しの狂気の殺戮場面、犯人が洞窟で辰弥を追いかける心胆を寒からしめる場面等、映像的に凝った場面が累加され、感動的な音楽と相まって大作感さえ醸し出す。400年前の落武者伝説と28年前の大量殺人事件と現代の連続殺人事件を巧みに融合させて提示する手法は敬服に値する。しかし脚本の方向性に瑕瑾がある。名探偵もののミステリー範疇の筈なのにホラーに転化してしまっている。結局、犯人は洞窟内で土砂崩れによる圧死、空いた穴から蝙蝠の群が飛び出て旧家を襲い、蠟燭の火による出火で最後まで生き残った老婆が焼死、こうして落武者の復讐が完結、犯人は落武者の子孫だったというオチ。これでは推理の入る余地が無い。謎解きが終わってもすっきりしない。いくつかの疑問が残るのだ。 ①洞窟で犯人に遭遇した二人の老婆のうち一人は絞殺されたが、どうして一人は無事に帰って来れたのか。老婆の死体はどうして遠くにあったのか。死体は鎧武者の近くにある筈。 ②金田一は洞窟内で辰弥と遇い、二つの殺害死体を発見し、自分だけ戻った。その後どうして警察と一緒に引き返して遺体を回収、辰弥を保護しなかったのか。この時点で金田一は犯人が誰かを知っていた。なのに犯人を確保しないのみならず、犯人に辰弥の世話まで依頼する。どうして? ③洞窟の「龍のあぎと」で辰弥と犯人は結ばれる。真の闇の中、しかも辰弥は村人に命を狙われているという緊急時にそれはあり得ないと思う。そこは自分の出生の場所、母とのつながりのある場所である。 ④辰弥の義姉春代は洞窟内で殺される。虫の息で「村人に追われて夢中で洞窟に入り」と説明するが、春代が村人に追われる理由はないし、そのような場面もない。 ⑤久野医師はどうして洞窟内で殺されたのか説明されない。そもそも久野医師が犯人というミスリードが不十分。 ⑥金田一は辰弥に実父の事を偽って報告した。実父は成功した実業者で東京に健在。偽る理由が無い。 ⑦犯行動機は単純な財産横領。そのためには本家一家5人殺害、次に財産を得る久野家殺害の必要がある。犯人に本家を憎む基因が無い限り動機として不十分。それが落武者の怨念と言いたいのだろうが、納得はしかねる。
[地上波(邦画)] 7点(2012-08-07 01:39:23)
25.  どですかでん 《ネタバレ》 
貧民街で暮らす人達の姿を赤裸々に描く群像劇。爪に火を燈すようなぎりぎりのどん底生活では、良くも悪くも人間性が浮き彫りになる。トラウマになるほど悲惨な挿話もある。性にまつわる問題が多い。挿話の束ね役は、いつも超然としている彫金師の長老。泥棒に財布を進上するちゃめっ気があり、六ちゃんの電車ごっとに付き合い、偽薬で自殺志願者を救い、刀振り回す男をさばき、病気の乞食父子を援助しようとする。大活躍だ。一見救いのない話が多いように見えるが、微かながら光明はある。妊娠した娘は、元凶である叔父と別れることができ、傷害罪は問われず、勤労青年とも仲直りできた。生物学上の父親が違う家族では、父子の絆が確認できた。夫婦交換の夫婦では、夫婦の絆が確認できた。無愛想の妻の家では、妻との絆が確認できた。自殺志願者は、生きている意義を知った。六ちゃんの家は、母が知恵遅れの子を心配をしているが、子は母の心配するほど成長してきている。不義の妻の家では、夫と十分な和解は叶わなかったが、夫は妻の作った食事を食べるなど妻を許す兆しを見せ、妻は夫と別れて新しい人生を踏み出すきっかけを掴む。乞食の親子は異色。子はあっけなく死ぬ。施された食べ物で食あたりを起こすという皮肉。しかしこの子は幸せであったと信じたい。父の為に物乞いの毎日。父の空想に付き合う日々。それでも愚痴一つこぼさなかったのは、父のことが好きで、一緒の生活が幸福だったからだろう。監督初のカラー作品で、監督の敬愛するゴッホの絵のように荒々しく、色がどぎつい。ストーリーはおいておくにしても、力強く生命感溢れる映像は心証深い。ゴッホが監督したかのような内容と仕上がり。後に「夢」でゴッホを描いているのも偶然ではないだろう。ゴッホは自殺し、監督も公開の翌年自殺未遂を起こす。芸術家は”狂気”を持ち合わせている。六ちゃんの運転する電車は空想。乞食の建てる家は想像。空想や想像だけの世界で生きていれば苦悩はない。だがそれは現実逃避に過ぎない。”映画という現実”を創り上げるために監督がどれほど苦悩し、苦労したか。生身の監督の悶え、もがく姿が投影されている気がする。ある意味自画像といえるかもしれない。ラストでは電車の絵に光明が射す。最後まで希望を失わない姿勢に感動。大阪万博の年にこの映画を創るとは何と不器用な。時代設定を戦後すぐにすればもっと感情移入できた。
[DVD(邦画)] 6点(2012-07-12 07:25:54)
26.  ミツバチのささやき 《ネタバレ》 
生と死の狭間に揺れる少女の無垢な魂の成長を極力言葉を排した映像詩で綴る。 母は内戦前の過去に生きる人物。友に安否を尋ねる手紙を出すが、返事は芳しいものではなかったようだ。 父は社会や家族には無関心で、養蜂にしか興味がない。その蜜蜂に嫌悪感を持っている。 アンの魂は幼く、蜜蜂のそれのように未分化で、人間と精霊の中間にある。精霊は人間(生者)と死者の中間に位置する。 映画のフランケンシュタインの怪物は、水辺で一緒に遊んだ少女を誤って殺してしまい、最後は村人に殺される。アンは死に対して強い興味を抱く。質問された姉は、怪物は実は精霊で村はずれの廃墟に住んでいると出まかせを言う。また精霊は友達になるといつでも呼び出せるとも。廃墟を訪ねると大きな足跡があるだけだったが、ある日そこで脱走兵を見つける。脱走兵が懐中時計を消す手品を見せて、アンは精霊と確信する。次に行くと脱走兵は消え、血痕がある。父が殺したと誤認したアンは父から逃げ出す。夜の森の水辺で精霊と遇う。友達になれたのでアンは危うく死を免れる。 ◆暗喩が多いのが特徴。窓の六角形の格子=家は政府の監視下にある硝子の蜜蜂の巣。死=怪物の映画、解剖人形、鉄道での遊び、絵画の髑髏、毒キノコ、猫の首を絞める、死んだふり。火を飛び越える=大人への通過儀礼で、アンは見ているだけ。圧政=汽車の青年兵、村人、父の無表情と無言。水辺=精霊と会う場所。蜜蜂=政府に飼いならされた民衆。 ◆少女と怪物の対比が印象的。無垢な魂の前では、どんな怪物も本来の無垢な姿に立ち戻る。人間の本質を見ることを大人達は忘れがちだ。解剖人形も最後に目が入って完成した。蜜蜂の社会は管理社会で、個々の蜜蜂に自由や独立はなく、魂も未分化状態。圧政下の重苦しい状況にあえぐ民衆になぞらえているのは明白。「怪物=政府」と「少女=無垢の魂=民衆」が友達になれたときに明るい未来が約束されるだろう。だからアンは最後まで対話を求め、精霊を呼ぶ「私はアンよ」と。フランケンシュタイの映画を自家薬籠中の物として見事に取り込んだ手法に驚嘆。他に類を見ないのではないか。脱走兵は母の元恋人であったかもしれない、脱走兵を殺したのは村人等、深読みが可能で楽しい。映像詩の美しさの多くは子役の演技に負うところが大きい。人間は子供時代があるから素晴らしい。怪物にも子供時代があったから共鳴するのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-07-07 20:03:58)
27.  暗黒街のふたり 《ネタバレ》 
前科のある男が出所し社会復帰をめざすが、刑事のストーカー紛いの干渉と不運が重なって殺人を犯し、死刑になるという不条理な話。だがその不条理よりも、一貫性のないストーリー構成に不条理を感じてしまう。思うに死刑という結末ありきで、悲運と不条理を訴えたい場合、次のような設定にすれば理解されやすい。①男が過去の罪を悔やみ、社会復帰しようと奮励している。②刑事が男を疑っており、監視し、生活に容喙する。③強盗仲間から執拗に誘われる。④職を得るのが難しいなど、社会復帰に困難が伴う。⑤妻とは深く愛しあっている。⑥保護観察司など一部の人からは信頼されている。⑥不幸な偶然が重なり殺人を犯してしまう。この中で②だけは成功している。誰もあの刑事には怒りを禁じ得ないだろう。しかし他の設定はゆるがせである。冒頭、刑務所の作業中に煙草を盗み吸う場面があるが、全く余計だ。更生している人とは思えないからだ。強盗仲間の勧誘は中途半端。新参者が男につっかかる場面があるが、その後登場せず、伏線が回収されない憾みがある。そして社会復帰があまりに簡単に行き過ぎる。経営者からは共同経営を持ちかけられるほど信頼され、刑事より多額の給料では恵まれ過ぎている。妻が事故死してしまうが、これもいただけない。男の不運を強調するのが企図だろうが、すぐに恋人が出来てしまうのでは効果が薄い。観客の同情も、妻と恋人の二人に分散してしまう。一貫して深い夫婦愛を描いた方が、より感情移入しやすかっただろう。脚本の意図としては、恋人を銀行員にして、刑事に銀行強盗を匂わせたかったのだろうが、失敗している。保護司との関係だが、二人にどういう因縁があるのかはっきりしない。のみならず、刑事との因縁もよくわからない。刑事が男をあれほどまでに警戒する理由を示してほしい。さらに言えば、男の家族が一切登場しないので、男の人物像はよくわからないままだ。殺人だが、あっさりしすぎている。短気を起こして刑事を殺すのでは同情が得られない。もっと殺すに十分な理由が必要だし、あるいは偶発的な事が重なって冤罪に近い形で殺してしまうというような展開が望ましいかった。最後にこれは最大の欠点と思うが、それは不用意なナレーションにより、結末が判ってしまうこと。法廷場面で、男が死刑になるのは明らかなので緊張感がない。男が淡々と運命を受け入れ、陳述もしないのは奇異に感じる。
[DVD(字幕)] 6点(2012-07-04 01:06:53)
28.  ゲッタウェイ(1972) 《ネタバレ》 
犯罪ロード・ムービーの形を借りているが、本質的には、妻が不貞で夫婦中に亀裂の入った夫婦が、再び絆を取り戻してゆく話。妻が不貞を働いたのは、裏取引で夫を刑務所から出すための方便。頭では理解できるが、心では消化できずに妻を愛しているが許せない夫の感情の揺れが主題。カットバックを多用した刑務所での息苦しいまでの抑圧された場面、刑務所を出て、あまりの自由さにとまどい、自分を取り戻すまでの場面が丁寧に描かれるのもそのため。逃走の緊張と夫婦間の緊張の相乗効果が、映画を魅力的にしている。ゴミ収集車に閉じ込められるというアイデアは秀逸。二人は自分たちをゴミのようにしか感じられないところまで転落したが、落ちるところまで落ちたことで今度は上昇に転じる。汚れたことで心の虚飾が払われ、歩み寄ることができたのだ。妻の傷を気遣う夫の姿はけなげだ。「傷は浅い、跡は残らない」は夫婦の絆の傷のことでもある。映画の常道をわざとはずした意表を突く展開には目を見張る。監督は「人生はささいないこと、小さな偶然によって大きく影響される」という人生観の持ち主に違いない。コイン・ロッカー詐欺師が札束を一つ胸ポケットに入れたことから、巡り巡ってドクの人相が警察に知れる。カー・ラジオが故障したことから、ラジオ店の主人に素性を見破られ、警察がやってくる。また観客を驚かすことが多い。最たるものが悪者に脅されて同道を余儀なくされた獣医の妻が夫を裏切り、悪者に寝返るところ。大した意味はないのに、ドク夫婦のパロディのようにつきまとい並列展開する意外さ。獣医は耐えきれず自死するが、おばか妻はそれを歯牙にもかけない。悪者もドクに撃たれた時、とどめまで刺されているので誰もが死んだと思ったが、生きていた。防弾チョッキを着ないと思わせた伏線が効いているのだ。この男がボスに連絡すると思いきや単独でドクを追う。ドクもドクで、どこにでも逃げればよいのに、律義に計画通りにエルパソという国境の町に向かう。案の定そこには敵の手下が待っている。最後のシーンも面白い。「一万ドルで車を売れ」「二万にしてくれ」「三万でどう」この掛け合いで夫婦の仲が完全に修復されたことがわかる。男はひょんなことで三万ドルを手に入れた。こんな事があるから人生は面白いし、いつでもやり直せる。監督のそんな声が聞こえてきそうだ。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-01 07:49:12)(良:3票)
29.  不毛地帯 《ネタバレ》 
・元陸軍参謀の壱岐が主人公。終戦時の満州、負傷した川又を自分の代わりに飛行機に乗せて救ったが、その代償として11年間もシベリアに抑留。川又はその間壱岐の家族の面倒を見た。壱岐は軍に係りを持たないという条件で商社に入社するが、自衛隊に川又がいて、次期戦闘機決定に関わっていること、また機種選定が政治家の利権のみで決定されている事に義憤を感じ、自ら権謀術数の世界に飛び込んでいく。 ・陸軍時代の人脈と賄賂を駆使した政治家の取り込み、ライバル商社の賄賂を外為法違反の疑いで大蔵省に検査させる、賄賂で防衛庁からライバル商社の見積りを入手、戦闘機墜落事故の記事を新聞社に餌(土地)をチラつかせ封じる、大統領極秘親書をもった飛行機会社社長の総理大臣訪問等、汚いことのオンパレード。この辺りの終始緊張感のある応酬が、最大の見せどころ。 ・結局希望通りに機種は選定されるが、防衛庁への工作がバレ、関係者が逮捕される。警察の取調に対して壱岐は白を切るが、会社は政治家と密約して証拠を提出、逮捕社員と川又を切り捨てる。シロだが責任を押しつけられた形の川又は諸事情を考慮し、鉄道自殺。壱岐には虚しさだけが残った。 ・戦争責任者としての天皇をかばう場面と会社をかばう場面とがオーバーラップ。前半の冗長とも思える回想場面が活きて、構成としてうまいと思った。 ・壱岐の娘に、「戦争なんていや。戦闘機なんて誰も欲しがっていない。新安保条約反対運動に対して行った政府の弾圧は許せない。お父さんは軍に関係することはしないと言っていたのに、もっと汚いことをしている」といわせ、壱岐の良心をゆさぶる。壱岐には義憤と友情から出た行動であっても、娘には理解できない。 ・疑問がある。川又が自殺(表向きは事故死)したことで、警察の追及が防衛庁に及ばず済んだという設定だが、そう簡単にはいかないだろう。まず自宅と反対方向の轢死で、自殺と推量される可能性が高い。秘密漏えいがあったことは事実で、本人も自白、証拠書類も挙がっている。マスコミや国民が黙っている筈がない。誰もが納得できない中途半端な終り方だ。壱岐も商社も落ちるところまで落ちなければカタルシスは得られない。もっともこれは原作の途中までの作品なので仕方がないという事情は承知しているが。作品としては弱い。 
[DVD(邦画)] 7点(2012-03-02 16:15:55)
30.  ドラゴン危機一発 《ネタバレ》 
敵役のやることなすことが、すべておバカですね。子供の売る饅頭を食べて金を払わない。氷の中から袋が出てきたらそれがヘロインだとすぐばらしてしまう。目算もなく仲間に誘い、断られらたら即刻殺す。遺体を氷づめにして倉庫に放置。あとさき何も考えていません。それを3度も繰り返している。そもそも氷の中にヘロインを入れて運ぶっていうのはどうなんですか?そんな馬鹿な、でしょ。途中で氷が溶けたり、割れたらすぐにばれてしまう。それにそんなに大量のヘロインがあることが不思議です。挙句の果てに失踪した四人の行方をごまかしきれなくなって、一家殺害に及ぶ。娘は拉致してラスボスに提供。行き当たりばったり、無闇やたら、支離滅裂、無軌道すぎです。こんな組織が存続できたのが奇跡。個人による復讐、勧善懲悪型の映画の場合、適役が強くて、悪賢い程盛り上がるのですが、この映画は途中で投げ出したくなります。 ◆主人公のチェンですが。この人もおバカです。警察に相談すれば良いものを敵側の策略にまんまとひっかかり、籠絡されそうになります。武闘型英雄が酒に弱いというのはダメでしょう。刃物を多用するというのもいかがなものか。刃物を持った相手に対して拳で立ち向かって勝つというのが英雄の常道でしょう。子供も殺してしまい、後味が悪いです。 ◆ラスボスが武術の達人という設定ですが、どうみてもそこいらにいるおっさんにしか見えない。もうちょっと何とかならなかったのか。首をかしげます。これでタイトルが「唐山大兄 THE BIG BOSS」ですからね。ずさんとしか思えません。恋愛パートですが、チェンは屋台の女が好きだったのか、メイが好きだったのか?すっきりしないですね。ちなみにすさまじいほどの怪鳥音はオリジナルには無くて、死後に世界配信するときに挿入されたもの。
[地上波(吹替)] 5点(2011-10-26 13:32:35)
31.  そして誰もいなくなった(1974) 《ネタバレ》 
豪華なディナーを食べたり、ワイン飲んだり、連続殺人事件が起きているのにみんな妙に落ち着いているのが気になる。最初が毒殺なのにみんな飲み食い平気なんだね。みんなが同じ部屋に集まって監視し合えばよいのに。銃殺が起これば手の硝煙反応調べるとか、ピストルは誰も使えないようにどこかへ置いておくとか、それくらいの事はしてほしい。死体もどう処置したのやら。謎解きもお粗末。最後毒をどうやっていれたの?「そして誰もいなくなったと」という原作は、そして誰もいなくなるから面白いのに、そして誰もいなくならないこの映画、これを観て面白いと思う人は、そして誰もいなくなった。 追記:この映画は戯曲版を元にしているようだ。戯曲版では最後はインディアンの寓話は「首をくくる」ではなく「結婚する」となる。発売当初の原題は「Ten Little Niggers」で米国では差別用語であったため「And Then There Were None」と改題され、やがて原作者もそう改題した。戯曲版を書くにあたり、生存者を残すことにした。原作者にとっては、全員がいなくなる事が重要ではなく、寓話に基づいて殺人が起こることを重要視していた事がわかる。以上の事が判ったからといって映画が面白くなるわけでもない。監督がどうして小説ではなく戯曲を元にして映画を作ったかを理解するものは、そして誰もいなくなった。
[地上波(吹替)] 2点(2011-09-25 05:49:39)
32.  田園に死す 《ネタバレ》 
母を否定することが物語の原点。母は毎日小言を言い、狂った時間で拘束し、東京(外界への憧れの象徴)行きの汽車に乗ることを許さない。父は不在。イタコの口を借りて会話はできるが、母はそれも否定する。華やかな見世物小屋(理想的な世間の象徴)があるが、その実態は不健全で変態的なものだと知ってしまう。隣の人妻と駆け落ちをするが失敗。母がいる限り自由は無く、成長も無い。貧しくて、猥雑で、因襲に縛られた東北の寒村に縛られ続けるのだ。それから20年。男は大人になり、東京に出たが、依然として母親と暮らしていて、拘束は続いている。男は自分の惨めで汚れた過去を変えることが出来ないかと、理想的に脚色した自伝映画を作ってみた。それでも過去は変わらなかった。あるとき「3代前のおばあちゃんを殺したらどうなる」という知人の言葉から、母殺しを連想する。だが現実に母殺しはできない。母が存在しなかったら自分も存在しない。それならば昔の自分にやらせればよいではないかとう発想で、男は恐山で昔の自分と対面する。恐山は死者と生者、過去と未来が交差する賽の河原。「過去を改変するには二人の共同作業が必要だ」言葉巧みに母親しをけしかける。だが昔の自分は東京帰りの女に童貞を奪われ、汚れてしまい、女と東京へ駆け落ちしてしまう。変な風に過去が改変されてしまった。仕方なく男は母殺しを決意。実家にいくと、母は何の疑念も見せず、未来の息子を受け容れる。息子のことなら何でも受容してしまう圧倒的な存在感。男は母殺しは到底出来ないと悟る。母と自分は一如、血と呪縛は断ち切れない。次の瞬間、時代は現代に戻る。二人は現代も未来もこうして生活(食事)を続けるのだ。母を否定した男は田園(過去の故郷)に死す。【象徴】①3人の女は母の女性性の象徴でもある。共に不幸であることが特徴。隣の人妻は貧しくて、愛なき結婚をし、昔の男と再会して心中する。儚い女だ。間引き女は父無し子を産み、村の因襲に抗えず、子供を川流しにして失踪する。悲しい女だ。空気女は夫が浮気しても、嘲弄されても、誰かに殺されそうになっても許してしまう。愚かな女だ。間引き女と交わったことは、近親相姦を暗示する。②赤ん坊を流したとき、雛流しの発想から雛壇が流れてくる。雛壇は鎮魂の象徴。③白粉は恐山(時空の交差する超空間)の住人であることを表している。④原色=思い出は醜く、美しく、エロティック。
[DVD(邦画)] 7点(2011-09-18 23:59:11)(良:1票)
33.  刑事コロンボ/忘れられたスター<TVM> 《ネタバレ》 
刑事が鬼の首を取ったように断言する「フィルムが切れたせいで映写時間が伸び、犯人のアリバイが成立しない件」は、本人が意図的に巻き戻したとすれば説明がつく。例えば、再び見たい部分があったとか、トイレに行っていたとか、うとうとしていたとか、言い訳はいくらでも可能。詰めにキレが無い、というかバカバカしいほどだ。裁判で一蹴されること請合いである。物証なら硝煙反応のついた犯人の手袋。 ◆犯人は認知症なので、責任能力はなく、逮捕しても起訴は不可能。記憶を喪失する病気で、余命二ケ月となれば万人の同情を買う事必死である。友人がかばって犯人の名乗りを上げるのはわかるが、寄り添ってあげた方が親切かもしれない。◆犯人の夫はいつ妻グレースの病気、動脈瘤のことを知ったのか?知っていたのなら医者なのだし、当然治療に専念させるべき。知人たちにも内内に話し、妻がゆめゆめ舞台復帰など本気で考えないように差し向けるべきではなかったか。少なくとも妻のパートナーには打ち明けるべきでしょう。又本人に告知するという選択もあった。世界一周の旅を計画していたそうだが、病気のことを思えば論外で、妻の舞台復帰をやめさせるための方便と推量される。それにしても妻が重篤というのに、ユーモア冒険譚「マクトウィグ夫人の変身」をわざわざ求めて読むなんて、どういう神経をしているのか。◆グレースは帰宅してすぐに睡眠薬をくすね、運動しやすい黒服に着替えた。その時すでに夫殺害の意志があったのは確実。それならあらかじめ車庫から拳銃を持ちだしておけばよかった。これも脳障害の影響?◆犯行動機は表面上「舞台復帰を反対する夫を殺害し、資金を調達するため」だが、認知症のためどこまでが本気で、どこまでが妄想なのか判断できない。しいて動機を忖度すれば、スターだった若く輝かしい日々への過度の憧憬と脳の病気が重なり、自己中心的な考えに憑りつかれたというところか。それで愛する夫を殺害してしまったのだから、悲劇である。翻って犯行はアリバイ考察、拳銃による自殺偽装と非の打ちどころがなく、用意周到さを窺わせる。このあたり脚本の矛盾を感じる。咄嗟的で幼稚な犯罪だったが偶然の産物により、プロと見まがう犯行に見えるようになったとする展開ならリアリティが増しただろう。◆二ヶ月は持ちこたえてみせる⇒三日程度。◆木を伝うシーンは二人ともスタントマンが行っている。残念。 
[地上波(吹替)] 6点(2011-07-31 21:27:16)
34.  刑事コロンボ/ロンドンの傘<TVM> 《ネタバレ》 
妻の色仕掛けでプロデューサーを籠絡し、マクベス公演を実現させるとはさもしい俳優夫婦です。相当おちぶれていたのでしょうね。その割には良い暮らしぶりですが。 ◆被害者であるプロデューサーは明日初演の公演を中止させるとわめくが、それならこそこそ誰にも見られずに楽屋裏からやってくる必要はないと思う。 ◆女優の投げたクリーム瓶があたっただけで死ぬのは不自然。心臓発作か? ◆楽屋番の男は、女優の楽屋に置いてあった被害者の高級傘を何故自分のものと間違えたのか?女優の楽屋に自分の傘を置いておいたのか?それに傘は入口の傘立てに置くものと思うが、あのホールには傘立ては無いのか?イギリスでは部屋の中に傘を持ち込む習慣があるのか?刑事はどうして傘が部屋にあったと考えたのか? ◆被害者はどういう方法でホールまでやってきたのか?歩きでは無理な距離。車は家に置いたまま。タクシーを利用したのか?それならタクシー運転手が名乗り出ると思うが?執事の話では被害者宅付近では雨は一滴も降らなかった。が、車には雨の跡があった。勘案すると被害者は自分で車を運転したことになる。そして車は犯人が元に戻した?細かいことを言えば、車体に雨の跡があったというが、それは埃などがつもった車体の話であり、毎日洗っている車に雨の跡など付かないと思うがどうだろうか? ◆階段から転落したと思われる被害者のポケットの老眼鏡が壊れていなかったことが事故死を疑うきっかけとなったが、老眼鏡はそんなに簡単に壊れるものではないだろう。死体は仰向けに倒れているのだし。 ◆なぜ長年脇役専門だった俳優夫妻の蝋人形ができてるの?さんざんモデルをやらされたと女優が言っているが、舞台で主役を務めたのはつい数日前。舞台の影響はそんなに大きいのか? ◆被害者の蝋人形は何故傘を持っているの? ◆最もロンドンらしいと感じたのは、パブの中が中流階級用と労働者階級用とに仕切られていたこと。そして上流階級の憩うクラブ。高級感あふれる室内、天井は高いし、ティーセットは豪華。階級社会を垣間見た。 ◆執事が夫婦を恐喝するのは絶対にコロンボの仕込みと思ったが違った。長年仕えた主人を殺した犯人に仕える気分はどうだろう? ◆刑事のスーツケースが一週間も経ってから見つかるのはなぜ? ◆刑事の傘のトリックは自白を引き出すためのご愛嬌。二人も殺しているのだから仕方が無い?
[地上波(吹替)] 6点(2011-07-31 11:50:06)
35.  刑事コロンボ/美食の報酬<TVM> 《ネタバレ》 
事件のあったレストランで、コロンボが犯人と初対面する場面でゴッド・ファーザーのパロディをしている。遊んでますね。◆あの魚は河豚じゃなくてハリセンボンで毒は無い。◆被害者があのワインを飲むとは限らない。犯行方法が杜撰。◆犯人は有名人で金はあったはず。レストランを脅してまで金を取る必要があるのか?◆警察は組織で動いているので、刑事を殺しても意味はないと思うが、どうだろうか?刑事の態度と風貌のせいで、たった一人でぼんやり捜査しているように見えてしまうのだろうか。状況証拠のみで物証がないのに、わざわざ物証を持って出かけてゆく心理がわかりません。◆被害者が厨房の引き出しをバタンバタン開け閉めしたのは何故だろうか?小切手の控のありかを知らせているのなら締める必要はないはずだが。あんな場所に無造作に置いておくのも無造作すぎる。◆犯人は最後の対決シーンでワインの栓抜きを取り替えた。抜け目なく栓抜きに印をつけておいたコロンボにバレてしまったのだが、どうしてすぐに栓抜きを元に戻さなかったのだろうか?いくらでも隙はあったはずである。それにあの場合栓抜きなど使う必要もなく、直接ワインに毒を仕込むことも可能だった。◆栓抜き(ワインオープナー)はガス噴射式のものだろう。針がコルクを貫通して、ガスを送り込み、内側からコルクを持ち上げるもの。その知識がないとトリックがわからない。「CSI」だとCGを駆使して微に入り細に入り説明するが、コロンボシリーズでは口頭で説明するだけ。◆刑事はカートリッジが怪しいと睨み、鑑識に検査を依頼する。でもどうして針を検査しないのか?そもそも机の上にあった料理に関係するものは全て持ち帰り、鑑識に通すのが常道である。それなのに料理を作った調理人は容疑を晴らすため料理を食べまくり、コロンボも食べる。ワインオープナーは持ち帰らない。こんな杜撰な捜査がありますか?だから犯人は翌日やってきて栓抜きを交換できた。◆刑事は犯人が警察から被害者が毒で死んだと聞いて、医者にも行かず、まっすぐ店にかけつけてきたので怪しいと気づいたと高言する。しかし警察から詳細を聞かされているはずもなく、1時間以上も経過しており、それで体に異常がなければ医者になどいかなくて普通だろう。料理評論家であれば普通の人より中毒などの知識、経験も豊富であるはずだ。◆何故銀行員が刑事にケーキを出すんだ。
[DVD(吹替)] 6点(2011-07-31 00:47:02)
36.  刑事コロンボ/自縛の紐<TVM> 《ネタバレ》 
被害者の紳士靴が紐を結んだままロッカーにあり、 運動靴には誰かに結ばれたとわかる結び目。 これが被害者が何者かにより運動着に着替えさせられた動かぬ証拠であり、犯人しか知りえない秘密。 何故なら被害者はたった一人でオフィスに遅くまで残っていたのだから。 一方で犯人のアリバイ工作。 犯行後自宅に戻った犯人は、被害者の録音テープを使って自宅の別の電話にかけ、電話に出た秘書にその時点で被害者は生きているとみせかける。だかここで犯人は決定的なミスをおかす。「運動着に着かえてトレーニングしているそうだ」などと、客に余計な一言を加える。 捜査により、被害者が何者かによって運動着に着替えさせられた事実が判明した時点で、犯人が明らかになる。鮮やかで爽快感のあるエンディング。 犯人は墓穴を掘ったわけだが、被害者も墓穴を掘っているようにみえる。 まだ不正経理の調査が終わってないのに犯人に内容をぶちまけ、罵詈雑言を浴びせ、集団告訴すると脅している。そして今日から会社にたった一人残って調査を続けるとも。これじゃあ殺してくれと頼んでいるようなもの。普段には電話の会話を録音させている用心さはどこへいったのやら。 それにそんな調査は専門家にまかせればよいのに。後悔先に立たずである。 性急な行動が死につながった典型的な例。 原題「an exercise in fatality」は「死のエクササイズ」。これは「exercise in futility」(無益な行い、徒労)の語呂合わせだろうか。「無益な行い」は被害者にあてはまりそうだ。 ミステリーとしてはシンプル、1ボディ(死体)、2トリック。大部分は刑事のコミックショー。
[地上波(吹替)] 6点(2011-07-30 19:12:47)
37.  刑事コロンボ/パイルD-3の壁<TVM> 《ネタバレ》 
これは典型的な「死体無き殺人事件」。 トリックは無きに等しく、せいぜい空港に被害者の自動車を運んだだけ。 これは乗客名簿や監視カメラを調べればすぐにばれるもの。 このせいで、第三者の介在が証明され、殺人事件の様相を呈することになった。 愚策弄するに価わずである。 犯人にとっての正解は車も隠しておくことだった。 捜査の焦点は死体がどこにあるのかの一点のみ。 シンプルなだけに捜査は難航する。 死体があるかどうかも不明であれば、捜査の士気も上がらない。 犯人は隠し場所を刑事の「大きなビルの下に死体を埋めこんでおけば百年経っても見つからんでしょう」という言葉からヒントを得る。 ところでパイルなんていくらでもあるのだから、犯人は一度掘り起こされたパイルに固執する 必要はなかった。適当な時期に適当なパイルに放り込んでおけばよかった。もっとも死体も腐敗してくるから、急ぐ必要はあったが。 最後に「わからなことが一つだけあった。死体はどこに隠していたんだ?」って刑事は訊くけど、 そもそも探してないじゃないか。警察が被害者の関係各所を徹底的に家宅捜査して、犯人を精神的にあぶりだす展開であればよりリアリティがでた。 【疑問点】 ①失踪事件は、殺人課の刑事が担当することじゃない ②建築家は、実業家(資金提供者)に内緒で勝手に都市計画を実行しようとしているが、ありえないことだ。ヨーロッパに居たからといって、電話くらいはできただろうに。実業家の妻に建築計画のに対しての何の権限もないのは明らか。犯行動機にあたるこのあたりの描写が弱い。建築家の不用意と思える行為に必然性を持たせる必要がある。妻がどうしてもやりたい計画だったとか、建築家に何らかの野心があったとか。 ③夫から何日も連絡がないのに妻が心配しないのは不自然。まして夫は長期に渡るヨーロッパ滞在から戻ってきたばかり。文化の違いだろうか。 ④元妻が警察に捜索願いの電話をして、警察が勘違いして現妻に事情を聴きにやってくる。捜索願いには書類が必要で、元妻が警察に出かける展開の筈。 ⑤パイル(杭)を掘り出して、コンクリートを掘削しているが、その必要はなく、パイルが露出した段階で、レーダースキャンすればよい。 ⑥現妻より、元妻の方が美人で被害者のことを心から案じている。これは新鮮な演出だった。
[DVD(字幕)] 7点(2011-07-30 11:51:32)
38.  刑事コロンボ/逆転の構図<TVM> 《ネタバレ》 
ユーモア・ミステリーとして秀逸。ユーモアは、教会の救済所で浮浪者に間違えられたり、灰皿がなくて葉巻の灰をポケットに落とすところなど傑作。 【疑問】 ①「良く練られた計画殺人」の筈なのに、事件当日に奥さんを待たせて、暗室で1時間もかけて脅迫文を作っていたのは何故だろう?わざと奥さんを怒らせているとしか思えないのだが。 ②そもそも殺人動機が不明確。性格の不一致で離婚すれば済むのに。それに夫婦不和は、犯人の浮気が原因では? ③犯人は共犯者の借りているモーテルの鍵をどうやって入手したのか? ④モーテルで共犯者のカメラを盗んだのは犯人。そのカメラで誘拐写真を撮る必要があったから。でもそんな手のこんだことをする必要はないだろう。普通に返してもらえば良いのだから。 ⑤犯人がモーテルに入ったときの鞄は黒だったのに、廃車場では茶色に変わっている。鞄の中には紙幣も入っており、代える理由が不明。 ⑥犯人は共犯者との約束の時刻にどうして30分も遅れたのか? ⑦犯人は共犯者に脅迫状を見せて巧妙に指紋をつけさせるが、元となった新聞にはつけていない。少し考えれば脅迫状に指紋をつける犯人などいないのだから、逆にすべきだったのだ。カメラには共犯者の指紋がついている筈で、これは正解。 ⑧刑事が共犯者の周囲を洗わないのはどうしてか?洗えば、簡単に犯人と交友関係が出てくる筈。また金の出どころも洗わないのはどうしてか?農場など買えるお金がある筈もないのだから。それに農家を買うお金があれば誘拐など行う必要がないので不自然さに気づくはず。農家を買ったのにモーテルに住んでいるのも変である。死体を始末しないで放置するのも不自然。普通は隠す筈。 ⑨殺害部屋は太陽光が差し込んでいるので影で時間のトリックが判明すると思う。 ⑩刑務所の写真集なんてあるの?肖像権の問題があるはずだが。 ⑪最大の欠点は死体がすぐに発見されるように仕組んだこと。どこかに隠せば、死体無き殺人で、捜査は困難を極める。 ⑫刑事の仕掛けたトラップは証拠としては弱い。プロカメラマンであれば、印画紙からそれを撮影したのはどのカメラか、ある程度察しがつくのではないか?あのカメラは特殊で、その場で印画できるタイプであり、メーカーも限られているだろう。
[DVD(吹替)] 6点(2011-07-28 01:25:41)
39.  刑事コロンボ/別れのワイン<TVM> 《ネタバレ》 
原題の "Any Old Port in a Storm" は、慣用句「Any Port in a Storm(嵐の中の港=窮余の策)」と「Old Port(古いポルトガルワイン)」をかけたもの。オールド・ポルトは具体的には、刑事がレストランで一芝居打ったときに使用したオールド・ヴィンテージ・ポルトのこと。つまりここでの窮余の策とは、刑事が捜査に行き詰まって用いた策のこと。又「結婚の申し込みに困っての窮余の策(犯行自白)」という皮肉な意味にもとれる絶妙な題名になっている。 【犯行】 刑事が犯人のデリケートな舌を使って確認したのは、ワイン蔵の空調が止まり、蔵の温度が40度以上になったことがあるという事実。無類のワイン愛好家である犯人にとってワイン蔵の空調をとめるなどあるえない行為。にも関わらず、そうせざるを得なかったのは余程の非常事態が発生したと推量される。例えば殺人など。犯人は空調をとめたことを秘密にしていた。それは駄目になったワインをこっそり捨てていたことからも窺える。何故秘密にするのか?それは何か秘密にしなければならない出来事があったからだ。それ故に種々の状況証拠と合わせて勘案すると、秘密の暴露は犯人の自白に等しい。 ところで「蔵の空調を切ったら窒息死するのか?」という疑問がある。高度に密閉されているわけではないので、窒息はしないだろう。この事件の場合、偶然に部屋の温度が45度以上になったことにより、熱中症にかかり、窒息死したのだと思う。死体現場の様子からして、被害者は一度は意識を回復したようだ。少し暴れた様子が見て取れる。  犯人の意図は一週間水・食料なしで衰弱死させることだった。 初見では「空調を切ったのではなく、電源を切った」だった。電源を切れば扉が開かなくなり、閉じ込められると考えた。これは見直して間違いと判明。 【犯人と刑事の関係】 たいていの犯人は刑事を小馬鹿にするか毛嫌いする。だが今回の犯人は、刑事がワインを勉強をしていることで、それなりの敬意を払っている。レストランのシーンで刑事のワイン知識をほめているが、あれは本心からだ。刑事も犯人に悪意は抱いていない。犯人の事情に同情し、ワインに対する熱意、デリケートな感覚を理解しているからだ。だからわざわざ別れのワインを用意した。最高のデザートワインで別れにふさわしいもの。ワインの芳香が漂ってくるような余韻の残るエンディングに乾杯。
[DVD(吹替)] 7点(2011-07-27 19:53:47)
40.  赤い影 《ネタバレ》 
怖くも面白くもなく、楽しめませんでした。ジョンとローラの夫婦の物語。赤い服を着た娘が、池で水死する。ジョンは教会の修復の仕事でベネチアに来ており、妻も同行。妻は盲目の霊媒師と出会い、亡き娘とのコンタクトに成功。霊の世界で元気にしていることを知り、娘の死のショックから立ち直る。霊媒師が言うには、ジョンに危険が迫っているのでベネチアから立ち去りなさいと亡き娘が警告しているとのこと。ジョンはそれを信じない。一方周囲で不思議なことが起る。赤い服の影が現れては消え、連続殺人が発生。寄宿学校の息子が怪我をして妻は帰国。ジョンは修復作業中、空中物見台から落下しそうになる。その後いない筈の妻が霊媒師と一緒にいるのを目撃。警察に依頼して探すが、結局人違いと判明。妻は戻ってくる。ジョンは警察にいた霊媒師に謝罪し、家まで送る。ジョンが帰ると霊媒師は急変し、「彼を行かせてはだめ」などと叫ぶ。そこへローラ登場。ジョンを探す。ジョンは赤い服を来た人物を発見し、追跡する。追い詰めるジョン。向き直った人物は気味悪い老婆の顔。刺殺。◆解釈。ジョンに自覚はないが、未来を見る能力があった。書斎でスライドに無い筈の血があるのを見て、娘の死を予感。その血は自らの死ともつながっていた。ではジョンを死に至らしめたものは何か?赤い服の人物の正体は?連続殺人と関係があるのか?妻の幻の意味は?何の説明もないまま物語は終る。細かいが、ジョンが赤い影追跡中、わざわざ門の鍵を閉めるシーンがある。これによって妻が追跡できなくなるのだが、どう解釈するか。無意識に妻を守ったのか、無意識に助けを遮断したのか。いずれにせよ妻は鍵を開けようと思えば開けれたわけだし、追跡の最中にわざわざ鍵をかけないだろうと揶揄する意見もある。ジョンは妻がいるのを知らなかったのだし。◆オカルトものとは知らずに観るとがっかり。霊媒師はフェイクで、牧師が連続殺人の黒幕と思っていた。演出は趣味が悪い。意味無く長いベッドシーンや水中から引き上げる死体然大音量と共にくどいフラッシュバックの大袈裟さ。登場人物をみな薄気味悪く見える。唯一良かったのはジョンが空中物見台にいるときに材木が落ちてきてぶつかるシーン。これは迫力があった。衝撃のラスト?一目で血糊と分るんですが。帰国せず、ベネチアで葬儀を上げるのも解せないなあ。
[DVD(字幕)] 4点(2011-02-13 00:34:29)
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