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21.   《ネタバレ》 
源氏物語の若紫巻に少女を略取し、理想の女性に育てて妻とする話があるが、それの老人版。南方浄土をめざす補陀落渡海も連想させる。弓は曲線で女性、矢は直線で男性器及び男性、弓矢で夫婦和合の象徴となる。弓は、昼は少女の守護をし、夜は音楽を奏でて少女を慰撫する。弓占いは、少女が神性の宿る巫女であり、同時に少女が老人に全幅の信頼を置いていることの証しだ。 船は仏画が描かれ、いわば神殿である。絶海にあるのは俗世間と隔絶する意味と水の浄化作用が必要なため。少女が大人になるには十年の歳月が必要だが、同時に水による浄化も必要。 老人の祈願は聖少女と夫婦になることだが、その本質は若さを取り戻したいという願望。若さとは永遠の命のこと。 老人は日々少女を慈しみ育て、結婚の日を心待ちにしていた。が、思わぬ邪魔立てが入る。少女が釣客の青年に恋をし、青年も少女を連れて行くという。老人は青年を射殺そうとするが、少女が身を挺して庇う。諦観した老人は自死を図るが、それに気づいた少女に助けられる。老人の純粋な愛を知った少女は老人との結婚を決断する。 小舟で結婚の儀式が執行される。老人は天に矢を放ち、海中に身を投じる。永遠の命を得るには肉体は滅びなくてはならない。老人の霊魂は天上に昇り、矢と融合して小舟に還ってきた。少女はその霊魂と交合し、初夜を終える。処女で無くなった少女は神性を失い、俗世間に帰ってゆく。そこで新しい人生が始まるのだ。 多義的解釈のできる寓話に満ちた内容で、現代の神話である。永遠の若さを求めるのは古くからの人類の欲望だ。それを監督は「ピンと張った糸には強さと美しい音色がある。死ぬまで弓のように生きていたい」と表現する。神話といってもきれいごとばかりではない。老人は決して聖人ではない。嫉妬深く、暦をごまかし、青年を殺そうとし、自死の時もナイフを隠して、苦しさのあまり綱を切断しようとしたことを少女に分からないようにする。少女も排尿姿をさらけ出す。純粋で美しいな部分も、利己主義で醜い部分も。清濁併せ持つのが人間の本来の姿だ。老人が本来の姿をさらけ出すことで、思いが生も死も超越して少女に届き、結婚の願いが叶った。青年の登場は、実は老人の宿願達成には必要だったのだ。青年が少女の両親を探し出す部分は不要だろう。両親がすぐに乗り込んでくる筈だから。相手が老人だけに感情移入はしにくい。 
[DVD(字幕)] 8点(2014-10-28 20:50:18)
22.  サマリア 《ネタバレ》 
【バスミルダ】聖娼婦をきどり、無垢な笑顔をふりまき売春をする女子高生ジョヨン。親友のヨジンはジョヨンを理解できない。不潔な男に抱かれて彼女の肉体が汚れていくと案じ、銭湯で体を洗ってあげる。そこに肉体は確かにあった。ジョヨンは窓から飛び降りて重態になる。客の一人に会いたいという彼女の願いを叶えるため、ヨジンは体を提供して客に病院に連れていくが、彼女は亡くなっていた。【ソマリア】親友の死を乗り越えるため、ヨジンは売春を決意する。映画「悪い女」と同じ構図だ。「悪い女」では女子大生が売春婦のまねをして売春婦を理解するが、ヨジンもジョアンのまねをすることで彼女を理解しようとする。但し、お金を貰うのではなく、ジョヨンの受け取った報酬を返すのだ。ヨジンは、売春は汚い行為ではなく、無償の愛で男を癒す聖なる行為だと理解し始める。仏頂面の多かった彼女が、ジョヨンが同化したかのように笑いが絶えなくなる。聖書のソマリアの女がイエスに出会ったことで生き方を変えたのと同じで、ヨジンも変った。ジョヨンはイエスだ。家族がいないのは当然。イエスは復活のために死を選んだ。だからジョヨンも笑顔で飛び降りた。ヨジンはジョヨンの精神を纏い、復活の準備をする。【ソナタ】ヨジンの父親は、娘の売春を知り衝撃を受ける。怒りは娘ではなく客に向けられた。石を車に投げて糾弾する姿は、聖書の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけがこの女に石を投げなさい」に対応する。姦通罪の女を糾弾する人々に対してイエスが放った言葉だ。怒りで殺人まで犯してしまった父親は気付く。自分には客や娘を断罪する権利はない。自分も汚垢の社会に生きる罪人なのだと。会話は無いが、娘は父が自分の売春を知っているのを知る。父の嘔吐に対して娘は嗚咽で答える。娘が、父に殺される夢を見るのは娘にも罪の意識があるから。ヨジンが車の妨げとなっている石を取り除くが、これは石を投げた父親の罪の贖罪を表現している。父親にとって娘はイエスだ。かくてイエスは復活した。ソナタは車の名前で、運転は世渡りの象徴。父は、娘に世渡りの方法を教え、自首する。父の乗った車を娘の車がよろよろと追うが、ぬかるみに嵌って立ち往生してしまう。まだ若いヨジンには、前途に乗り越えるべき障害がいくつも横たわっているのだ。黄色い塗料には警鐘の意味がある。聖書を現代に翻訳した、残酷で美しい幻想映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-10-28 11:27:33)
23.  受取人不明 《ネタバレ》 
映像を象徴的に表現にする超凡さは映像詩人と呼ぶにふさわしい。主題は朝鮮戦争の心的傷と米軍基地問題だが、真の主題は、暴力や無知、差別などの人間の持つ悲劇性だろう。虚飾を排し、人間の暗部を冷徹な眼で抉り出し、人間の真の姿を歴々と提示して見せる。この監督の独断場だ。少女は碧眼の劣等感で屈折し、自分をからかう子供を威嚇し、愛犬で自慰行為をし、覗き人のの目を鉛筆で突き、目の手術と交換に米兵の恋人になるなど打算的だ。少年は貧困で学校に行けず、又気弱な為、いじめを受ける。少女に恋しているが、純愛ではなく、夜に忍び込んで部屋を盗み見する淫靡さを持つ。混血児は差別されて他に職業が無く、母の愛人の犬屠殺業を手伝っている。母は黒人兵相手の娼婦だった。米国に渡るのを夢見て手紙を出すが、いつも宛先不明で戻ってくる。娼婦故に差別され、村人と諍いが絶えない。戦争が暗い影を落とす。少女の父は北に亡命、少年の父は足の障害者、混血児は戦争の落し子だ。片目は偏見の象徴。差別の目で見られるということ。少女と目を負傷した少年と混血児の三人が揃う場面は印象的だ。少女は身の保全の為、治癒した片目を潰すという二重の悲劇にみまわれる。犬は下層民の象徴。犬を虐待し、食べるのは、同族相争う意で朝鮮戦争のこと。犬たちが縄を引いて人間の首を絞めるのは、三人の反逆を意味する。土は祖国の象徴。混血児の死は自殺だろうが、混血なので半分しか土に埋まらない。母は遺体を掘り出し、それを食べることで息子を誕生以前の状態に復し、火の浄化で魂を土に還元することを願った。異形の愛である。銃は暴力の象徴。木製銃でも悲劇の引き金となる。土中から拳銃が堀り出されのは戦争の再現を意味する。少年は銃で膝を撃たれ、父親と同じ下肢障害者となる。弓は非力の象徴。戦争の前では誰もが非力だ。刺青は束縛の象徴。混血児が母の刺青を削ったのは、母を開放する意味があった。米兵は少女を束縛しようと刺青を刻もうとした。溜まりに溜まった怒りの暴発とその反作用と悲劇の連鎖で物語は終焉する。全員が不幸となる救いのない物語だ。だが、絶望でない。愚かだが、利己主義ではなく、一種緊急避難的意味があり、魂は救済されるだろう。手紙が届く。混血児の父の知人からで、蓋し黒人兵の死を告げるもの。兵士がその手紙を読む場面の朝靄の美しさに仄かな希望が暗示される。人間の本来の姿はかくも醜く、美しい。
[DVD(字幕)] 8点(2014-10-27 16:14:58)
24.  リアル・フィクション(2000) 《ネタバレ》 
日常における現実と虚構、映画における現実と虚構の問題を扱った作品。・不愉快な事や理不尽な目に遭っても不平や不満は口にせず、ひたすら忍従忍辱し、表面上は平静を装っている自分と、感情を剥き出しにして憎憎しい相手を抹殺することを想像する自分と、どちらが本当の自分か?映画は役者が演じる虚構であるが、役者にとっては演じることが現実であり、出来上がった映画もまた現実である。人が夢を見ているときは夢が現実であるように、観客が映画世界に浸っているときは映画の世界が現実である。映画は現実と虚構の境界が曖昧である。その面白さを実験的に表現した作品。主人公の画家が似顔絵を描くが、本人に似ているかどうかは主観による。本人にとって似ている絵は現実で、似ていない絵は虚構。絵を破った女は虚構を破ったわけだが、画家にとっては破られた絵は現実。矛盾が生じる。画家は女に誘われ、舞台に入りこむ。舞台で演じられる演劇は虚構だが、役者の誘導によって、もう一人の自分と出会う。理性を拭い去った、暴悪で凶猛な自分。虚構と現実の境界が曖昧になる。映画の中に男を撮影する女が写り込み、その撮影した動画が時折挿入されるという入れ子構造になっている。女の撮影した動画こそが現実とも考えられるが、男は女を殺してしまう。現実には殺人は行われないので、女も虚構だと知れる。絵を破った女、恋人、刑事、軍隊仲間、暴力団らに対して復讐が行われるが、復讐が終わって戻ってくると、現実は元のまま。全ては虚構だった。そこに暴力団と市民の騒動があった後、カットの声がかかり、エキストラやスタッフが混入する。観客はここで虚構から現実に戻される。蛇、薔薇、肉はそれぞれ、凶暴な自分、虚飾、堕落の象徴であり、相変わらず小物の使い方が秀逸だが、実験映画としては凡庸である。斬新なものはない。早撮りに拘泥するより、映像表現に拘泥すべきだった。より幻想的に、より意識下に訴えるような独創的なものであれば、主題と似つかわしい表現となっていただろう。手振れの粗い画像など陳腐でしかない。観客に、意識下に隠れている本当を意識させるような、一種の恐怖に似た体験を起させない限り、成功したといえないだろう。映画はあくまで虚構であり、観客の反応こそが現実なのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2014-10-21 01:16:54)
25.  君のためなら千回でも 《ネタバレ》 
アミール(A)は、自分出生後の母の死への負い目もあり、屈折している少年だ。ハッサン(H)とは親友だが、H父子はAの父の使用人で、被差別民という微妙な関係にある。HはAにひた向きに尽くすが、Aは年長者から被差別民と友達なのをなじられたことから、Hを疎むようになり、遂には、彼に時計泥棒の濡れ衣を着せて家から追い出す。卑劣な少年だ。ソ連がアフガンに侵攻すると、A父子は米国に亡命する。ここから物語は糸の切れた凧のように、アミールの恋愛や作家になる話や父の死など、緩慢な展開に移行し、21年が経過する。ソ連侵攻下のアフガンの様子など一切出ない。ある日、恩師を見舞う為パキスタンを訪れ、Hがタリバンに殺されたこと、実はHはAの父の隠し子で、AとHは母違いの兄弟ということを知る。Aは衝撃を受け、罪の意識に苛まれながら、Hの息子ソーラブ(S)の救出に、危険なカブールへ向う。ここからが臆病で卑怯者だったAが生まれ変わる転換場面で、最大の山場となる。廃墟と化した故郷、タリバン圧政下で苦しむ民衆、生命を賭けた救出劇、相応に見応えがあるが、不満も残る。Sを「稚児」に男が、かつてHに性的凌辱を加えた男と同一である偶然。SにHと同様、パチンコを持たせる作為。車で逃走するAらをタリバンが追走しない上、検問所に連絡もしないというお粗末さ。一本道なので容易に補足可能。救出劇が困難であればある程、AのHに対する贖罪の意味が増し、観客の溜飲も下がるのを理解していないようだ。AはSを米国に連れ帰り、養子にするが、幸福な家庭ではない。凧揚げで、はしゃいでいるのはAだけ。Sは「自分は汚れて」いると感じているし、Aの妻は別の男との同棲の経験があるし、舅は固陋で気難しいし、隠し子発覚でAの父の高潔さは失墜した。Aは今後も慙愧の念に堪えないだろう。凧合戦は平和の象徴だ。しかし、凧揚げは広場でするものだ。電信柱の林立する町中では上手く揚がらないだろう。道路には車の往来があるし、柵の無い屋上は危険だ。Hがどうして凧の落ちる場所を知悉している「Kite Runner」なのかは不明のままだ。Hが父親から、風向きを読む術を習うような場面がほしい。アフガンで「七人の侍」が人気があったのは驚きだ。60年代のアフガンを再現して見せたくれたのは嬉しい。鑑賞後感はすっきりしないが、それがアフガンの現状なのだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-15 13:32:06)
26.  悪い男 《ネタバレ》 
ガラスは傷つきやすい心の象徴で、同時に凶器でもある。ハンギは何度も怒りにまかせてガラスを叩き割り、ガラスで刺された。これは心が傷ついたままということ。マジックミラー越しに見ることは、傷ついた不安の心で見ること。ソンファがミラーを破ったとき、心は癒され、二人の魂は結ばれた。男は女を思い遣って出逢いのベンチで別れた。海に入水する女は、ソンファが過去を捨て去ったことの象徴。シーレの絵は、恋愛願望の象徴で、女は体を求める恋人ではなく、魂が結び付く真の恋愛を欲していた。顔の欠けた写真は、結ばれた男女の象徴で、女には、未来に誰かと結ばれる予感があった。それがハンギと分かったとき、写真のパズルが完成した。現実と虚構の入り混じった独特の表現方法だ。男の心は深く傷ついており、もはや底辺でしか生きられない。言葉を発しないのは、意志を伝えられないことの象徴。男は、女が穢れ、自分と同じ底辺にまで堕ちないと愛しあえないと思っている。女は男を憎んだが、男が死刑判決を受けた時、男が自分のことをずっと見守っていてくれたことに思い当たり、男を愛していることに気づいた。手下のジョンテだけが二人の気持ちを理解しており、殺人を名乗り出て、男を救った。キューピット役である。ハンギは手下のミョンスに刺殺されたのか、蘇生したのかはっきりしない。その後の展開が無理算段なので、死んだと考える方が合理的だろう。二人の魂が共同で夢を見ているという解釈だ。二人が目を合せないのもその証左。結ばれた二人は売春稼業で暮らす。これが、二人にとって最も自然な形、底辺としての暮しだ。女は男と同じで言葉を発しなくなっている。色彩に意味があり、白が純潔で、赤が穢れ。トラックは赤い幌で覆われる。女を売春婦にして純愛を完成させるという奇想天外な恋愛幻想劇で、絵力や演技力があり、ある程度成功している。底辺の男が高嶺の花と結ばれるところに妙味がある。しかし、女優に華がなく、退屈だった。綺麗な花が落ちてこそ見甲斐がある。男を一瞬にして魅了する美しさが必要条件。平凡な容姿では成立しない。映像表現には長けているが、脚本が甘い。女が売春宿に沈められる過程で、親や警察が出て来ない。自首してすぐに死刑実行。女が男の愛を知るには、自己犠牲が必要で、女を守るために刺されるような事件が欲しい。とってつけたような悪徳警官。ナイフは埋めずとも海に捨てればよい。
[DVD(吹替)] 6点(2014-09-14 04:32:48)
27.  うつせみ 《ネタバレ》 
無断で留守宅に住みつく男が主人公。原題の「空家」は心の空虚を意味する。男は社会との接点を持たない。その象徴として彼は“無言”。彼は留守宅に侵入すると、音楽をかけ、洗濯をし、料理を作り、風呂に入り、寝る。人が居ないと寛げるのだ。壊れものがあれば修理する。これは男に“癒す力”があることの象徴。ある家で、心に空家を持つ女と出逢い、一緒に行動するようになる。男と居ることで女は癒される。始めは言葉を失っていたが、最後は言葉を取り戻す。愛の言葉だ。英題の「3-Iron」はゴルフクラブの3番アイアン。低い弾道で長距離を飛ばせるが、扱いが難しい。この映画の隠れた命題は「暴力」だ。3番アイアンはその象徴。クラブは護身用、凶器にもなる。この世に暴力はなくならない。女が心を喪失したのも夫の暴力による。ボクシングも一種の暴力で、男が修理した子供用ピストルも使い方次第で暴力となる。警察の取り調べでも暴力が横行する。男は護身用としてクラブを持ち、常に技を磨いている。心の防御を固めていたのだ。が、時には凶器としても使われる。男が女の夫と刑事に、夫が男に痛打を加えた。暴力の危険性を知っている女は男にゴルフの練習を辞めさせようと邪魔をする。しかし、男の誤打した球が車のフロントガラスに当って事故が起る。落ち込む男。今度は女が癒す番となり、二人の心は接近した。冒頭の揺れるゴルフネット越しの女神像は、暴行される女を表現する。洗濯物を手洗いするのは、洗濯機の音や動きが暴力的だから。家庭には温かみが必要だ。が、実際には諍いや暴力が絶えない。だから男は留守にしか入り込めない。長椅子のある家は夫婦仲が良い。温かみのある家庭だ。だから、女も自然に入っていけたし、夫婦も受け容れた。あの家は「理想の家」の象徴である。世の中が理想の家になれば男にも住む場所ができる。暴力のある家に入るには、不可視になるしかない。男はその術を身につけ、夫には見えない人物となり、女の家に侵入した。そして二人は結ばれた。お互いが相手の心の家に住みついたので、二人合わせても体重はゼロだ。恋愛の姿を借りて、暴力ある社会を批判した眩い幻想譚。その奇想と整合の取れた脚本、映像の美しさには瞠目する。消極的な解決策に異論もあるが、口にするのは無粋だ。雰囲気を楽しめばよい。男が納棺士の技術を持つ。女がアナログ体重計を操作する。この二点は不要と感じた。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-13 05:39:42)(良:1票)
28.  父、帰る 《ネタバレ》 
突如、12年ぶりに姿を現した父に驚くアンドレイとイワンの兄弟。母と祖母の態度から歓迎されていないことが知れる。二人とも父の顔を知らない。写真で確認すると、戸惑いながらも嬉しさを隠せない。しかし父も母も事情を一切説明しない。三人は、翌日から二日の予定で旅に出る。二人は釣りを楽しみにしていたが、父親は行先も告げない。道中、父は横柄で、命令口調なので両者の関係は険悪となる。予定が三日間伸び、修理した舟で島に渡った。父親は隠していた何かを掘りだしたが、子供はそれを知らない。父子で諍いがあり、父親は物見の搭から墜落死した。父の遺体を舟で運んで帰ると、車の中に三人が映った写真を発見する。父親の愛情に触れたと感じたが、舟が死体と共に流された。「パパ!パパ!」初めて心から「パパ」と呼べた瞬間だったが、無常にも死体は沈没する。 奇妙な味わいの映画だ。父子の断絶を描いており、父の死という悲劇で終るが、子供にとっては、最後の最後で父の愛情を確認できたという皮肉な結果となる。この解釈では、父が掘り起こしたものは「親子の愛情」を象徴するものだ。一枚の写真を示せなかった悲劇である。その前に、イワンを追いかけた場面で、初めて父親らしい行動を見せた。だが、それは子供には通じなかったようだ。服役を終えて帰った父が、島に隠匿していた盗品を掘り出すとも解釈できる。わざわざ隔絶した島の土中に隠すのだから、こちらの解釈の方が妥当だ。家族に関するものなら念入りに隠す必要はない。お金と車を持っているので、服役ではなく、単に出奔していたのかもしれない。いずれにせよ、大切なものなら、掘り出してから帰ってくればよかったのだ。妻と母から疎まれている人物なので、死なずに戻ったとしても、喧嘩の絶えない家庭になっていただろう。 父子の断絶が平行線のまま進むので見ていて苦痛だった。宝箱の中を開けずに終った感じ。子供の行動も、レストランを探しに行って三時間も戻ってこないとか、出された食事を食べないとか、舟釣りに出て四時間も遅れて帰るとか、異常行動が目立つ。子供がもっと素直であれば、肩入れして見れたのに。父親がイワンを心配して搭を登る行動は唐突に感じた。放っておけばよいではないか。イワンが最初に「飛び降りて死んでやる」と宣言していればよかった。搭の場面は、冒頭の飛び込み台から海に飛び込む場面が伏線となっている。感心した。
[DVD(字幕)] 5点(2014-09-07 07:39:37)
29.  U-571 《ネタバレ》 
独軍の暗号機エニグマの解読は、英軍のUボート鹵獲等の功績によって行われた。それをあえて、米軍が行ったことにするという意味が分からない。強引に史実を変える理由や必要があるわけでもなく、単なる娯楽映画に興を添えるために史実を拝借した程度のことだろう。浅慮である。 航行不能となったUボートが救難信号を発する。それを傍受した米軍はエニグマ獲得を目的に、潜水艦をUボートに偽装し、救助と思わせてUボートに乗り込み、敵艦を拿捕する作戦を立てる。作戦は予定通りに運び、艦内に乗り込んで占拠に成功するものの、独軍駆逐艦が現れ、偽装潜水艦を撃沈されてしまう。敵艦に乗り込んだ米兵達はUボートを操作して、帰還しようとする。これが前半だ。奇抜な発想で興味を引く。これに並行して兵員の絆、自己犠牲、副艦長の成長物語が描かれる。そつのない脚本で、合格点はつけられる。が、洗練されてはいない。副艦長の成長物語を描くのに急で、とってつけたような印象になってしまっている。駆逐艦との戦闘は御都合主義が目立つ。仕様を超えて深く潜るとか、魚雷が発射できないとか、捕虜がモールス信号を送るとか、死体と油を放出して沈んだと偽装するとか、手垢がついた演出だが、見せ方が上手く、悪くはない。艦砲一発で無線設備を粉砕する。魚雷一発で駆逐艦を撃沈する。この二つが気になる。戦艦は鋼板が厚く、二重壁構造で、艦内部も複数に区切られているため容易には沈まない。沈むにしても時間がかかる。商船と勘違いしていると思う。また爆弾が誘発しない限りあんなに爆発炎上しない。潜行可能な潜水艦を使っての撮影が功を奏して、写実的に描かれていたのに、爆発場面だけは現実味に欠ける上、CGも粗雑で残念だ。それに、真正面に進んでくる敵艦に対して魚雷を当てるのはとても難しい。船同士が無線で通信する場面が全く無いのも不自然。無線に答えられない時点でバレてしまう。無いものねだりを言うようだが、敵軍に対する尊敬が感じられないのが遺憾だ。名作「Uボート」にはそれがあったから、評価が高い。「勝った、万歳」で終っては底が浅い。戦争の凄惨さが描けていないということだ。英雄の影にも悲劇が付きまとうのが戦争だ。 
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-04 23:41:43)
30.  キング・アーサー(2004) 《ネタバレ》 
有名な「中世のアーサー王伝説」ではなく、その伝説の雛型となった、まだイギリスがローマ帝国の支配下にあった時代の騎士達の創作物語。 騎士達がローマ帝国の傭兵だったという仮説を基に、騎士達が南進してくるサクソン人を駆逐して、アーサーがブリトン人とピクト人(ウォード)の王となる話。「時代考証はそこそこに、ただ話が面白ければよしとする」という製作姿勢なので、内容は粗雑となる。 ランスレットが傭兵となる場面で始まり、「語り」も彼だが、彼は途中で死んでしまう。生き残ったものが語るのが当然と思うが。 アーサーはペラギウスの弟子で「人は皆自由に生きる権利がある」などと近代的な思想の持ち主。異端を許さず、師を死に追いやったキリスト教に怒りを感じている。 アーサーの両親がウォード人に殺されたので、彼等に対しては強い憎しみを持つ。故にウォードの族長マーリンからサクソンとの共闘を持ちかけられても拒絶した。しかし、最後はいつの間にか、当たり前のように共闘している。この辺りは説明不足だ。作品は騎士達がサクソン人を駆逐する話だが、史実ではサクソン人がイギリスに定着して、中世になってアーサー王伝説を作った。つまりアーサー王伝説を作った人たちを否定するような内容になっている。矛盾は感じなかったのだろうか。氷河での戦いだが、氷が割れそうなら、氷の厚い川の端を通ればよいだけの話。誰だってそうすると思うが。騎士が遠矢でサクソンに味方する裏切り者を射殺するあたりから漫画的になってくる。裏切り者が木の上にいるとどうして知ったのか。 バドン山の戦いで、敵方の罠を察した族長が先遣隊を送り出すが、案の定全滅させられる。しかしその後、何の対策も立てないで全隊を突進させる。よくわからない展開だ。指関節を折られて衰弱しきっていたグィネヴィアが、急にアマゾネス化して勇猛な女兵士に変貌して、言葉を無くした。戦いに勝利し、アーサーとグィネヴィアが結婚して大団円だが、結婚式はストンサークルの中でというおまけつき。ストンサークルはケルト人以前の古代の遺跡だが、アーサー王伝説にも登場するし、見栄えがよいので使用したのだろう。政策姿勢がよく表れている。真面目に史劇に取り組むつもりは最初からないのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2014-09-03 16:35:47)
31.  アレキサンダー 《ネタバレ》 
アレキサンダーの幼少からその死までを丁寧に描き、知られた挿話をほとんど盛り込み、大王の足跡を辿るだけでなく、心の内面にまで迫ろうという姿勢には好感が持てる。CGによりガウガメラの戦い、バビロンの街並み、インドでの密林戦などが見れただけでも満足で溜飲が下がる。特に鷹の目線を交えて大俯瞰で描いたガウガメラの戦いは見応えがあった。しかしながら人物像に関しては違和感があった。大王の言動があまりにも現代的過ぎるのだ。「自由、人種の融合」など理屈っぽい上に、よくしゃべり、よく悩み、よく泣く。人物像の真に迫ろうとするあまり、表現に力みがあるように思える。新解釈で描きたいという気持ちは分るが、所詮古代の人物である。数少ない資料から人物像を掘り下げるのには限界がある。現代の価値観で解釈を加えたところで説得力に乏しい。両親の愛に餓え、腹心の裏切りに怯えるという英雄の弱みを強調するより、英雄は英雄らしく描いた方が受け入れられやすいのは自明の理だ。蛇信仰に熱中して夫を憎む母の狂気や暴力的な父に対する反抗心や男色趣味を殊更強調しても意味はほとんどなく、混乱をもたらすだけだ。大王の東征が「人種の融合と調和」なのか「征服と支配」なのかを映画の中で解釈する必要もない。東征の遠因を「母から逃れるため」「父を乗り越えるため」と精神分析的に捉えるのはよいが、それは示唆する程度に留めておけばよい。一義的な解釈を押しつけても反発されるだけだ。こういう人物だと決めつけても、畢竟詮無いことだ。曖昧模糊たる「アレキサンダー大王伝説」を多元的に描き、笑いを交えるくらいの余裕が欲しかった。描き方に余裕が無いので観ていて疲れる映画だ。事実を羅列するにとどめ、解釈は観客に委ねるのが好ましい。各地に築いたアレクサンドリアの様子や如何に統治したかが描かれていないのが不満だ。軍事面だけでなく政治面も描いて欲しかった。大王の妃やペルシャ王妃をわざわざ醜女に描く意図が不明だった。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-03 05:09:43)(良:1票)
32.  ヒロシマナガサキ 《ネタバレ》 
ナレーション一を切排除し、当時の写真、映像資料を交えてインタビューをつなぐ。シンプルだが力強い。映像の中には貴重なものが含まれていて、資料的価値は高い。 被爆体験は思い出したくもなく、当然語るのは苦痛だが、被爆を知らない人達に真実を知ってもらいたい、反戦を伝えたい、原爆の被害者は自分で最後にしてもらい、また死者は語ることができないのなら、その分まで生き残った者が語るしかないではないか、という様々な思いが、彼らにカメラの前で証言するという選択をさせた。 努めて淡々と語っているが、被爆者達の証言は重く、鬼気迫るものがある。 被爆者であると告白しても何一つ善いことはなく、差別や偏見としてはね返ってくるだけだ。 原爆で即死した者よりも、生き残って「被爆者」として生きてゆく者の方がずっと苦しい。 醜い姿を人前にさらすのは毛頭嫌だが、醜い姿をさらすことにより、被爆者の現実を知ってもらい、戦争の悲惨さが伝わるなら、あえてそれをやる。そんな証言者の思いが切々と伝わってくる。 内容は重く、決して容易に人に語れるようなものではない。それは何十年もの苦悩と悲しみの果てに、ようやく絞り出されるように吐き出されてきたものだ。 例えば中沢啓治氏。爆風で潰れた家の下敷きとなった父と姉と弟が目の前で生きながら炎に焼かれていくのを見た。そんな体験は誰にも話したくはないだろう。思い出したくもないだろう。思い出すたびに、怒り、憎しみ、悲しみ、罪悪感等の感情がないまぜになって、氏をどれほど苦悶、懊悩させたのは想像すらできない。その体験を「はだしのゲン」という作品に昇華させた氏の強靭な精神力には頭が下がる。彼らの証言は、原爆の悲惨さを伝えるだけではなく、人生に絶望した人間が、生きる希望を見いだして再生してゆく物語でもある。彼等が絶望の果てに見出した希望にこそ人類の未来がある。そう思いたい。 記憶は歳月と共に薄れていくものだ。冒頭のインタビューにあるように、8月6日が何の日か知らない日本人も増えていくだろう。しかし日本が唯一の被爆国である以上、被爆の真実と悲惨さを世界に知らせていく義務があるだろう。そのようなことを思わせる一編だった。
[DVD(邦画)] 8点(2014-01-18 13:13:11)
33.  アイガー北壁 《ネタバレ》 
ドイツの山岳猟兵で登山家のトニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーの二人が主人公。山岳猟兵とは山岳部の国土防衛隊。アイガー北壁は未登頂で、ナチスは国家の威信を誇示するため、登頂者にはオリンピックの金メダルの授与を約束、登頂争いはいやが上にも盛り上がる。アンディは楽観的で挑む気満々だが、トニーは悲観的で登頂は不可能と断定する。そこへルイーゼが登場して、二人を説得する。彼女はベルリンの新聞記者で、二人の幼馴染。トニーとの間に淡い恋があったようだ。トニーは最初は否定するが、最終的に挑戦を決断、「自分のために登る」と言い切る。ここにこの二人と、ライバルである二人のオーストリア人との登頂レースが開始される。登山の描写、殊にロック・クライミングの描写は圧倒的な迫力で、この映画の魅力はここに尽きる。過去の山岳映画を寄せ付けない、最高峰だ。現地ロケと大冷蔵庫を使用したスタジオ撮影の融合は観る者を惹き込む、実に見事な仕上がり。まるで自分が主人公になったかのような寒気を覚えた。自然の美しさと、人間に牙を剥いたときの残忍さとが対比。精も根も尽き果てて、宙吊りになって息絶えていく姿は悲劇の影そのもの。荘厳な気持ちにさせられた。映像力の勝利だ。 映画は登頂レースの他に、ルイーザとトニーの恋、ルイーザと上司の関係、命より話題を優先するマスコミ、登山レースを見学する観光客等を挿入し、登頂レースの意味を浮彫にし、文明批判めいた奥深さを出そうとしているが、成功していない。トニーとルイーザの過去の描写がほとんどなく、どんな関係だったか、想像するしかない。だから最後にルイーザが上司から冷たい言葉を言われて会社を去る決意をしても心に響かないし、彼女が一人で救出に向かうなどの無理な演出もマイナス要因だ。 もう一つ。登頂の最中に、ライバルであったオーストリア人との友情が芽生えるのだが、この演出もいただけない。オーストリア人は最初から雑魚扱いなのだ。彼等に対するリスペクトがあれば、名作の類になっていただろう。
[DVD(字幕)] 8点(2013-11-24 17:32:07)
34.  オアシス 《ネタバレ》 
ジョンドゥは、軽度の知的障害を持つ社会不適応者。車でひき逃げ死亡事故を起こして、2年6ヶ月の刑期を終え、出所してきたばかり。他に暴行と強姦未遂の前科がある。実はひき逃げしたのはジョンドゥの兄だが、兄がいなくなると家計が困るので、ジョンドゥが身代わり出頭したのだった。家族の犠牲となったのに家族は冷淡で、彼の出所の出迎もしないし、引越した事も教えない。つまり、面会にも行っていないのだ。それは彼が数々の問題をひき起こし、家族から愛想尽かしされていることを物語る。コンジュは、ジョンドゥの兄の起こした交通事故で死亡した被害者の娘で、脳性まひ由来の全身痙攣がある重度身体障害者だ。兄夫婦と暮らしていが、兄夫婦は環境のよい障害者住宅に引っ越してしまい、行政の調査があるときだけ彼女を呼び寄せる。彼女の世話は謝礼をもらって隣夫婦がしているが、セックスを見せつけるなど、とても親身とはいえない。ジョンドゥの不幸は自業自得の面があるが、コンジュの不幸は底なし沼のように深い。動き回る自由はなく、絶対孤独の中に棲む。コンジュにとってジョンドゥは親の仇で、とても憎いだろう。その上、押しかけてきて、強姦されかけて失神する。普通なら憎悪と嫌悪の対象でしかない。しかし、強い見捨てられ感のあるコンジュにとって、相手が誰であれ、気にかけてくれることが生き甲斐となる程嬉しいのだ。いつしか交流が始まり、逢瀬を重ね、二人は恋仲となる。はた目には美しくなく、食堂でも拒否されてしまうが、二人はさほど気にしない。もう慣れっこだ。そんな時最悪の事件が出来する。二人が初めて結ばれている最中に発見され、強姦事件にされてしまう。二人が事実を話せば済むのだが、何故か話さない、話せない。悲劇を盛り上げるための映画的方便だ。逮捕の瞬間は劇的である。コンジェはかねて壁のオアシスを描いたタペストリーに木の影が映るのが怖いと訴えていた。ジュンドゥは警察署を脱走し、影を作っている木に登り枝を切り落とす。声の出せないコンジュはラジオの音量を高くしてこれに応える。なんと切ない愛情表現だろうか。だが冷静に考えて、カーテンをすれば影は消えると思うが。愚か者の恋、恐るべしである。結局ジョンドゥの無実は証明されず、収監の憂き目に。二人は文通するが、将来は暗い。ジョンドゥは出所しても無反省で、きっと何か不始末をしでかすであろうから。
[DVD(字幕)] 5点(2013-09-13 04:34:25)
35.  プリズン211 《ネタバレ》 
スペインの刑務所暴動もの。意外の拾い物だ。 物語の端緒は卓抜だ。翌日に勤務を控えた新任看守フアンが刑務所の見学に訪れ、天井落盤事故で頭を負傷する。そのとき不運にも暴動が発生し、ひとり監房に取り残されてしまう。生き残るためには囚人になりすますしかない。そう判断した彼は、機智とはったりで刑務所のリーダーに取り入り、脱出の機会を伺う。いつバレるのか、サスペンスが持続する。冒頭の囚人が腕を切って自殺する場面とあいまって、今後の展開を期待させる。実にうまい。 異国ゆえの物珍しさがある。文化や政治、生活習慣の違いによるものだが、予想外のことが多く、興味をそそられる。 ①刑務所の暴動が日常茶飯事である。囚人と看守の癒着も同様。②囚人達が、収監されているETA(バスク祖国と自由)のテロリストを人質にし、政府との交渉の切り札にする。ETAを殺すとETAの反発によるテロが予想され、政府が窮地に陥る。だから強力な切り札となるのだ。一方、囚人達はテロリストであるETAを憎んでいて、一触即発の関係にある。③囚人達の要求が、看守による虐待の禁止と、待遇の改善と至極全うである。囚人達にも一理あるのだ。④ファンの妻が、暴動の報を聞き、夫を心配するあまり、身重の身でありながら刑務所に駆けつける。日本人ではありえない。⑤刑務所を囚人の家族や関係者が取り巻き、準暴動状態になってしまう。それを看守らが警棒を使い鎮圧する。⑥政府の最終手段として、SWATに突入させ、囚人達を皆殺しにするという、非常に荒っぽい解決方法がある。 これらのどこまでが現実に近いのかは不明だが、ゴヤ賞8部門受賞したことからも、全くの絵空事とは思えない。スペインでは「社会派映画」なのかもしれない。 物語はどんどん予想外の方向へ進み、結末も慮外。フアンの妻との愛情、リーダーとの友情は「お約束」だが、○○は誰が予想しただろうか。ハイレベルの緊迫感が持続していくというよりも、物語の展開に唖然としながら観るといった方が正確。 日本やハリウッド映画の手法や展開に「飽きてきた人」が観るのには最適の映画だ。 ところで疑問だが、派手なパンツしかないという理由でパンツを穿かないで出勤するだろうか?身体検査があるわけでもないのに。
[DVD(字幕)] 8点(2013-09-11 16:01:24)
36.  タイムマイン 《ネタバレ》 
ジャンルは、ライトSF青春アドベンチャー。ふとしたことから、それをつけた人物の分子速度を25倍も早くする“分子加速装置”を手にいれた高校生ザックの冒険物語。“分子加速装置”とは、手っ取り早くいえば、時間を止める時計のこと。悪気は起こさず、恋人と一緒にいたずらに使う程度だったが、悪の組織に狙われてしまう。この悪の組織がよくわからない。武器製造会社らしいが、国家安全保障局から48時間以内に時計を差し出せとの命令を受ける。装置は未完成で、使用した人物が老化してしまうという欠陥があった。組織はリミット内に、何とか装置を完成させたいらしいが、完成したらどうするのかは不明だ。開発者ドップラーは組織に監禁され、装置を完成するように強要されている。ドップラーは、ザックの父である物理博士の教え子で、彼がドップラーが博士に時計を送ったことが事件の発端となる。 時計の争奪戦と組織に連れて行かれた父親の救出を主軸に、ザックの恋愛、ザックの友人との友情、家庭内不和の解消、ザックの警察からの逃走劇が絡む。それなりに複雑な内容だが、無理なく消化されている。どれも深追いしていないところが長所で、SFに名を借りた青春ものと割り切り、明るく、バランスがよい。冒頭のドップラーの変装逃走場面は秀逸。ザックが警察官に変装して時間が止まったように見せるアイデアは傑作。加速を止める氷結装置のアイデアも面白い。こういうアイデアを積み重ねて、シリアス度をより増せば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に近づけただろう。同じテイストの作品だ。残念なのは、時計と父親の関係があいまいな点。時計の開発とどう関わったのか?送付された時計をどう扱ったのか?使ってみたのか?脚本に空白部分がある。最後にドップラーは若返って元の姿に戻るが、さてどうやったのやら。売れてしまった赤のムスタングを買い戻せているが、あのいたずらで売買契約が御破算になったのだろうか。ザックが時計を持ち帰り、安易に使用するが、これはいただけない。退屈しのぎにはちょうどよい作品。
[DVD(字幕)] 7点(2013-08-02 22:48:17)
37.  天空の草原のナンサ 《ネタバレ》 
モンゴル高原は標高が1000mもあるのに広大な空間が広がる。大地は満目緑に覆われ、空は無辺に開き雲は自在に変化する。まさに癒しの空間だ。そこで自然と共に暮らしてきた人達はどんな人達だろうか、暮そのらしぶりはどうか、そこに住んでみたい、想像や想いが次々とふくらんでくる。あたかも画面から爽やかな風が流れてくるような映画だ。 物語は民話「黄色い犬の洞穴」になぞらえるように進む。民話曰く。『長者の娘が重い病気になる。父が賢者に相談すると飼い犬を追放せよとの託宣。犬を洞穴に閉じ込めると、娘は快復した。実は娘に通う青年がいたが、犬が妨げとなっていたのだ。やがて二人は結婚し、子を授かる。子は犬の生まれ変わりという』主人公は寄宿学校から帰省した”高原の少女”ナンサ。洞穴から犬を見つけて連れ来るが、父から捨てるように命じられる。野犬が狼を呼ぶのを恐れてのことだ。少女は犬を隠す。あるとき犬を追って道に迷い、よそのゲルに泊めてもらったが、そこの老婆から黄色い犬の民話と輪廻転生の話を聞く。帰った少女は妹に過去世の記憶があると信じる。季節が移り、一家は引越すが、犬は杭につないで置き去りにする。移動途中で長男がいないことに気付く。父親が慌てて戻ってみると、犬は長男をハゲワシから守ってくれていた。こうして犬は家族として迎えられた。ここで冒頭場面に戻る。犬を丘に埋葬する父と娘。来世で人間に生まれるように願い、尻尾を頭に置く。そこには悲しみは無く、脈々と続く命と魂の営みがある 民話と輪廻転生思想は、モンゴルの古き伝統の象徴で、それが21世紀の少女にも受け継がれてゆく様子を詩情豊かに描く。作為を感じさせない演出と、子供達の自然な演技は賞賛に値する。文明社会の象徴たる選挙カーと引越しの家族が交錯するラストが印象的だ。未来の伝統の衰退を暗示している。 遊牧民の暮らしぶりが興味深い。チベット仏教の信仰。五人家族で、牛6頭、馬2頭、羊250頭も飼う。羊の種類の多さ。牛糞での積木遊び。6歳児が乗馬して放牧の手伝い。丹精込めたチーズ作り。手回しミシン!器用でないと使えなさそう。風力発電。野菜のない食事。近くに水辺があるので野菜は作れると思うが、事情が許さないのだろう。鑑賞後、この緑濃き高原も冬には酷寒の大地に変貌することを想像した。厳しい自然に堪えてこそ、伝統が守れるのだ。
[DVD(字幕)] 7点(2013-06-17 15:56:59)
38.  少女の髪どめ 《ネタバレ》 
会社の食糧買い出しの代金で自分のチョコも払う、拾った硬貨はネコババ、仲睦まじいカップルを見ると羨ましい。転落事故で、運ばれる老いた労務者ナジャフをみても同情せず、自殺でもしたかとジョークを飛ばす。世間知らずで、浅慮にして喧嘩早く、どこにでもいそうな青年が主人公。ナジャフの代わりに息子ラーマトが建築現場で働くことになるが、諸事情により、青年は自分の食事関係の楽な仕事をラーマに奪われてしまう。逆恨みした青年はラートマを殴打したり、子供じみたいやがらせをする。そんなある日、ラーマトの秘密を知る。ラーマトは女だったのだ。それからは手の平返しで、滑稽なほどラーマトに夢中になる。美少女でもないのに不思議だが、恋は盲目だ。ラーマトに関心を持つと自然と彼女の置かれた、違法アフガニスタン労働者問題にも関心が向くようになる。建築現場に難民調査が入って、アフガニスタン人は全員解雇になった。親子の身を案じた青年は様子を見に行くが、そこでアフガニスタンの労働者の実態を目撃することになる。冷たい冬の川に腰まで浸かりながら重い岩を運ぶ女性達、その中にいとしのラーマトの姿もあった。青年は居ても立ってもおられず、全貯金をナジャフに渡そうとするが、頼んだ人に持ち去られてしまう。その人も急迫した事情があったのだ。仕方なく大切なIDカードを売って金を作り、ナジャフに渡すが、翌朝アフガニスタンに戻ると告げられる。ショックの余り、お茶も断り、走りに走る青年の姿が痛々しい。これで永遠の別れとなるだろう。思いを断ち切るため、少女の髪どめを捨てる。翌朝そっと見守るつもりだったが、少女が籠の荷物をこぼすと、思わず走り寄ってしまう。ぬかるみで、少女の靴が脱げると履かせてやる。無言の二人。けれど少女の表情から青年の思いが伝わっていることが読み取れる。 ラーマトの本名がバランで、これが映画の原題で、ペルシャ語で雨の意味。乾燥地イランでは、雨は春を訪れを告げる天の恵み。少女の靴跡に雨が降り注ぐラストは寓意に満ちている。「離れた友の恋の炎で燃ゆるこの心」の詩も良かった。 青年の無垢で純朴な愛が、雨が乾いた大地を潤すように、心に潤いをもたらす、そんな秀作だ。映像で感情を表現するのに長けている。ただ文化の違いのせいか、馴染めないところもあった。少女が川で転んだり、籠をこぼしたりの演出はちとわざとらしい。
[DVD(字幕)] 8点(2013-06-14 21:53:53)
39.  ナイロビの蜂 《ネタバレ》 
アフリカを舞台に、製薬会社と国家による国際的陰謀を暴いた社会派作品で、不正を追及した外交官夫妻の愛と死を鮮烈に描く。妻テッサは、製薬会社の非人道的な治験を調査するうち、利権のためそれに加担する官僚社会の裏側を知る。そこには国家や企業が利権に群がり、アフリカを食い物にする構図が浮かび上がる。そのため闇社会により抹殺された。夫ジャスティンは何も知らなかったが、妻の死に疑問を持ち、やがて妻の追及していた陰謀を嗅ぎ付け、妻の死の真相と陰謀の解明をすることを決心する。夫の行動は分り易い。妻の真実と自分への深い愛を知り、一人蚊帳の外にいた自分を恥じ、贖罪のために妻の後を継ぐ。死に場所に選んだのは妻が死んだ場所。これが涙を誘う。残念なのは、不正に関する情報が不正者側方からもたらされること。わざわざ教えてきてくれるので、謎解きの妙がない。一方、妻の行動は分りづらい。そのバックグランドが描かれないからだ。どうして外交問題に興味を持つのか、どうしてスラム街の住民に同情的なのか、どうして死を賭してまで不正を追及するのか。それぞれが度を超えているのだ。二人の成り染めも不自然。外交官ジャスティンの講演会で、テッサが国の外交姿勢のを追及する。講演後ジャスティンが声をかけお茶に誘うが、何故かテッサの家に赴き、そのままベッドイン。ありえない。次にテッサが事務所に押しかけて、逆プロポーズ、即結婚、アフリカへ。端折りすぎ。不衛生な病院で出産しようとするのも理解しかねるし、流産した原因が問題の薬のせいなのかも曖昧なまま。夫を守るためとはいえ、国の不正を外交官たる夫に相談しないことがあるだろうか。性急すぎる行動と青い正義感が徒となった印象を招き、同情しにくい。彼女の殺害場面が描かれていれば違ったろうに。不正治験だが、副作用で死者や死産が頻出するようでは、先進国で認定されず、発売されたとしてもすぐに発売禁止になるだろう。製薬会社がそんな薬に固執するとは思えない。クライマックスで、アフリカ局長の不正への関与が暴かれる場面だが、劇場的効果を狙ったのはわかるが、一介の自殺した外交官の葬儀に大勢のマスコミが詰めかけているのに違和感をもった。時間軸を交錯させた前半部分は初見では混乱するので感心しない。黒人医者も殺されたが、あっさりとしか描かれず、テッサの扱いとの温度差が気になった。この主題でヌード・サービスは不要。
[DVD(字幕)] 7点(2013-06-14 15:15:02)
40.  アルゴノーツ 伝説の冒険者たち(TVM) 《ネタバレ》 
ギリシア神話を基底とした旧作「アルゴ探検隊の大冒険」をリメイクしたTVミニシリーズを再編集したもの。ビデオ版は120分、DVD版は180分「完全版」。ビデオ版にて鑑賞。TV版ながらVFXの質は高めで、テンポもよく、有名俳優が目白押しなので観て損はない。 旧作では、人間は神々の恣意によって踊らされる存在であることが強調されていたが、本作では神々の登場は最小限に抑えられていて、人間による冒険譚として落ち着いて観れる。もっとも半神ヘラクレスが同道して大活躍するが、実に人間臭く描かれているので感興を削がれることはない。ただ短縮されているので、神が突如登場するなどの混乱はみられる。 神話では王道である貴種流離譚。高貴な血筋を引く者が、何らかの理由で両親や国から遠く離れた場所で暮らしていたが、やがて冒険や旅を通じて、本来の自分の地位、姿を取り戻すというもの。 本作品では弟の反乱により王が殺され、王の子のジェイソンは親衛隊長によって辛うじて城を脱出し、半獣人の国に住んでいたが、あるとき記憶を取り戻し、冒険の旅に出る。旅の目的は、何でも夢が叶うという黄金の羊毛を獲得すること。旅の仲間は、ヘラクレス、泥棒、驚異的な視力を持つ青年、元親衛隊長、野獣をも宥める音楽を奏でる楽士、ジェイソンを慕う幼馴染の女など多彩。クリーチャーは怪鳥ハービー、火を吐く巨牛、通る船を沈める島、骸骨剣士、羊毛を守るドラゴンなど、一部旧作と違っている。黄金の羊毛を守護する女魔術師がいるのだが、ジェイソンに恋をして味方につき、最後には結婚するところが目新しい。 ところで人間の夢を何でも叶えるという究極の宝であるはずの黄金の羊毛だが、最後になってどんでん返しがあった。ジェイソンが唐突に、「毛皮に魔力はない。みんながあると思い込んでいただけだ。そんなものに頼らず、運命は自分で切り拓け」などと言い出すのだ。肩透かしをくらうこと請け合いである。伏線が全くないのだから。無事王位に着き、結婚して、めでたし、めでたしの大団円で物語は終るが、中途半端な印象はぬぐえない。あえて黄金の羊毛の能力をちゃらにするのなら、何らかの事情で能力が失われたとすべきだろう。
[ビデオ(字幕)] 6点(2013-06-12 02:21:33)
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