21. ヘイトフル・エイト
《ネタバレ》 見渡す限り雪が拡がる空間、鳥の群が雪原を飛び立ち、キリストをかたどった十字架が今にも崩れそう立ち、その向こうから駅馬車が駆けてくるまで長ーいことキャメラが捉え続ける。 ジョン・フォードを愛する種田陽平のドアにこだわりまくった美しい美術、外から密室の天井・床下まで滑らかに移動するロバート・リチャードソンのキャメラワーク。否応なしにワクワクするようなオープニング。 だが、タランティーノは6章に渡り2時間50分かけて描かれる恐ろしい世界に観客を叩き落すのである。 駅馬車を引っ張る馬を横移動で捉えるショットが幾つかあった。タランティーノは駅馬車版「デス・プルーフ」も撮ろうと思えば撮れただろう。だがそうしなかった。 確かに「デス・プルーフ」のように終盤大爆発型タイプの映画だが、あの映画ほどの密度と爽快・痛快なものはない。延々くっちゃべっている気さえしてくる。 「ジャンゴ」が冒頭からブチかますセルジオ・レオーネのマカロニウエスタンやハワード・ホークスといった痛快な西部劇へのオマージュだったのに対し、本作は中々撃たずにダラダラ展開されるタイプの西部劇を挑発するかのような内容だ。 死体の山に座り待っていた男、駅馬車からライフルを突き付け“検査”する男、それに手錠で繋がれた痣だらけの女、サングラスをした御者、雪原の向こうから声をかけ歩いてくる男。 人種差別と暴力が支配し延々と走り続け、観客を不快な気分に沈める閉鎖空間、唾を吐くならドアの外に叩き出し道連れだ。 雪原に打ち込むもの、馬小屋、板の間から入っては溶けて消えていく粉雪、ドアを板でイチイチ打ち付けなきゃならない理由。 床の溝に転がっていた赤いもの、首筋に突き立てられるナイフ、暖かい飲み物と食事を口にする時でさえ安らがない野郎どもの心。 得物を渡し侮辱と挑発を重ねた果てに浴びせる一撃、ポッドに入れられるもの、ぶちまけられる死、二挺拳銃で吹き飛ばし生き残りを黙らせる尋問。 銃を渡すのは信頼のため、後ろで弾込めをしながら続く緊張状態、犯人探し、床下から“判明”する真相。 弾け飛ぶもの、布で隠されるもの、隠された銃、立てかけてあったもので断ち切るもの、吊り上げられるもの、鎮魂の歌。 [DVD(字幕)] 8点(2016-12-15 04:24:30) |
22. 横道世之介
《ネタバレ》 街、交差点、人ごみの中から現れる男。 階段を登って降りて、路上、ライブ、見守るファンの後ろ姿、看板が物語る「あの時代」。 行ったり来たり、口ずさむ歌、教室で不意に合う視線。 何も無い部屋でくつろぐ新しくやって来た住人、部屋の中から取り出し確認するもの、音の出どころ、扉に貼られた紙、またふと合う視線、御挨拶。 入学式、隣の席に話しかける馴れ馴れしいもの、目が遭う自己紹介。気になるあの娘と自分の匂い。 サークルめぐり、初対面で泣かせちゃってあーあ、はりきったメイク。 音楽、訪問、絶望、アッハイと踊り踊らされ続ける学園生活。 風呂場で談義、シャワー、叩きつけ吹き付けるもの、窓ガラスから見えるもの。 話し合い、唐突に父親としての姿に飛ぶ「現在」。 エレベーターで見つめるもの、チップ、また唐突に現れる喫茶店での待ち合わせた「過去」。 見つめるもの、名刺 お誘い、微笑み、笑って誤魔化す、小指、横移動で詰め寄る。 伝染する馴れ馴れしさ、でも世之介は気づくと仲良くなってしまう不思議な奴なのさ。 机を囲んで交わす話に巻き込まれる、紙と判子、義弟、誘い、小指、嬉しそうに自転車を漕ぐ、ベタベタ吸い付く、人ごみをかき分けてくる車、白い帽子の少女。 思い切り笑うお嬢様、壁に頭をぶつけて帽子を落とす、手を合わせる食事とでっかい野望、バンズを合わせて思い切り被り付く食事。「南極料理人」といい、沖田修一の映画は美味そうに飯を食うな~ 熱い中、足を水にひたし、パンツ一丁にラーメンすすりながら箸でパージをめくる漫画読み。 半透明の窓に映る着替える姿、御訪問、誘い、水桶からプールへ、笑って腹違いとか言わないで、プールでもムシャムシャ、思わぬ再会、泳ぎ、飛び込み、安心させるための風船、パレードの記録、倒れたもの。 リズムに合わせてスイカ斬り、夜の公園で告白、膝で割るスイカ、また唐突に思い出すベランダでワインを飲み合う男たちの現代、でまた唐突に訪れる里帰りの過去。 料理作り、振り上げる瓶の暗示、家族団らん、扉の先から見るもの、旧友、バック、海水浴といえば水着と青春、沖から見つめるもの、洞窟から走り出し断たれる会話、嫌がる息子はうちわで叩く、帰り道で二人きり。 月明りが照らす海辺、砂浜、徐々に近づき、後ろから腕を肩に、向かい合い、見つめる先の岩場から現れる人の群、光、駆け込み倒れ込むもの、響く警報、流れ者。 扉を開き駆けた先で抱き着く、葬式 、死んだ人間の分までムシャムシャ食って生きる、出来ちゃった中退、また唐突にラジオ局で独り語り続け机の上で黄昏がれる姿の現代に飛ぶ。 踊って待つサークルよりも大切なもの、両親に御挨拶、娘への信頼、カーテンに隠れないと尋ねられない質問、聖夜、クラッカー、絵、食事、窓の外に降る雪。 アパートの外に積もった雪、手を繋いで刻まれる足跡、祈るように待つ抱擁、口づけを交わ黒いシルット、横で見届けたら天空に上がり見守るキャメラワーク。 撮影の近藤龍人は「桐島、部活やめるってよ」や「海炭市叙景」「ウルトラミラクルラブストーリー」「天然コケッコー」「そこのみにて光輝く」等でも活躍した名手だ。凄いことを簡単にやってのける。 呼び方を変えて縮めたい距離、黙って見届ける者、あの日の思い出、写真、パンで挟んでがっつく、車の窓から見る“あの日”。 隣人からの“返事”、写真、返事が無いなら一枚撮っちゃう、階段で再会、投げ落とすサンダル、どうしていいか分からないので声を出すしかない、新しい命、撮影、約束。 階段を駆け下りて追うもの、旅立つ者から贈る別れの挨拶、駆け登った先で残していくもの。 [DVD(邦画)] 9点(2016-12-15 04:23:33)(良:1票) |
23. くちびるに歌を
《ネタバレ》 川を流れる一隻の船、何かを告げる汽笛の音、デッキの上の椅子から起き上がる女性。 電話で談笑し、扉を開け自転車で坂を下っていく疾走とモノローグ、自転車に乗る少女の髪を靡かせるように吹き付ける風、青空に拡がる雲、鮮やかな夕陽と日差しの美しさ。 学校で捧げる祈り、教会のような空間で見つけ出会う女性たち。 和気あいあいで歌う合掌部は少女たちの聖域、向けられる視線を軽蔑し、男を嫌悪する“理由”、遠くから見守る視線、ボロ車でも運転し続ける意地っ張り。 逆に男たちは風でめくり上げるスカートを抑える女子たちを下から見上げ、秘密を共有することで友情を結ぶ。 そんな異性たちが共に制服から体操服に着替え走り、歌い合い無くなっていく男女の垣根・心の壁。 ネットに流れる過去、兄の送り迎え、ピアノを弾けなくなった理由、声の主が不意に現れる戸惑い。 あれだけ憎んでいた存在が縁側でスイカを食べ、過去の思い出を語り頭を撫でるなら…そんな優しさに弱く、甘えたかった。今度こそ…。 裏切られ、涙を流したくてもそれを笑顔で偽り、代わりにホースの水をぶちまける。 手紙に溢れる想い、考え、夢。 自分のため、誰かに勇気をあげるため、電話の向こうで戦っている人のために歌い、振り返り、歌うことを繰り返す。 悩み、不安になり、泣いている人に笑顔になって欲しいから弾いて、弾いて、弾いて。例え届けたい人に届かなかったとしても、何処かで聞いてくれている人のために。 行ってしまう前に、命をかけて戦っている人のためにありったけの想いを歌と共に伝えたい…良い映画だ。 [DVD(邦画)] 9点(2016-12-15 04:22:36)(良:1票) |
24. ズートピア
《ネタバレ》 夜の森、兎、水辺で襲われる弱肉強食…を演じる子供たちの演劇。大人たちは笑うが、子供たちは子供たちなりに必死で夢を描く。 その演技も含め、さりげない場面の数々が後に伏線となって効いてくる面白さ。 ケチャップで血の海、大小様々な動物肉食・草食、あらゆる動物が跋扈する世界。 演奏、服装、宇宙服、兎の家族、コスチュームプレイ、憧れ、夢、スキップ、恐喝。 押されれば蹴りで、ひっかく、頬の傷、掴み取っていたもの、自己犠牲。他者のためなら進んで自らを捧げてしまうのだろう。 訓練所で落ちて、落ちて、落ちて、ぶっ飛ばされ、それでも諦めずに跳んで、飛んで、跳び蹴りを喰らわせ小さな体で巨大な相手を薙ぎ倒す成長。 それぞれの動物のサイズに合わせた扉、別れの抱擁、窓の外、電車、旅立ち。 自然の中に拡がるコンクリート・ジャングル、駱駝の疾走、砂漠、雪山、密林、歓迎、一人暮らし、隣人の声、壁の絵、忘れ物。 野獣野郎どもが競い合う警察、椅子によじ登る、拳を突きあう挨拶、任務、警ら、違反キップを跳ねるように貼りまくる。 鼻のアイス、拳銃の様に腰に据えるスプレー、アイスクリーム屋、掲げるアイス、胸の勲章、見せつけられる現実…商魂たくましいこと。 最高の出会いから最低な真実を目の当たりにし、それを乗り越え近づき、また離れ、再会を繰り返し深まる絆。 電話で繋がる故郷、帽子を投げ出し、水を得た魚のようにビルからビルへ跳ね、跳ね、跳ねまくる追跡! ドーナツで捕縛、受け入れる依頼、瓶で拡大、突き付けるボイスレコーダー、動物本来の姿で跋扈する環境。 主人公だって幼き日にあられのない姿を晒していた…それが最終局面のアイデアにも繋がったかも知れない。追跡の時にしても、自分よりもっと体が小さい生命が力強く生きている…それが彼女の肉体ででっかく燃え上がり光り輝く“魂”を育てたのかも知れない。 バックスバニー「自然体が一番だね」 仕事熱心なナマケモノ(マイペース)、投げた先、侵入、手掛かり、扉を開けた先、「ゴッドファーザー」ネズ公、蓋を開けた先に拡がる絶望、思わぬ再会、口づけ。 吊り橋、暴走、蔦でターザン、救援。 人を騙すようになってしまった理由と過去、口にハメられ心に刻まれた傷、監視カメラが見たもの、ジェスチャー、ハウリング、逆らえない「性」。 侵入口、レディ・ファースト、収容所、記録、電話、脱出、雑コラ、誘い、新聞とニュースが駆け巡るメディア、記者会見、口枷が蘇らせるトラウマ、絆を引き裂く群衆の壁。 “病い”によって生まれる差別意識、作られた英雄、置かれる勲章。 里帰り、花、投げ渡す鍵、持っていてくれたものが蘇らせる関係。 ドライブ、友人の協力(脅迫)、地下鉄、研究所、狙撃、扉の外に叩き出し、砕いて閉めて開けて跳んで蹴っ飛ばしてぶっ飛ばす!! 託すもの、穴、噛み砕かれるもの、壁に追い詰められても肉体ごと捧げてしまう行動、記録、“弾”、駆けつけていたもの、戻って来たもの、認められたもの、帽子を投げまくる歓迎、与えられた新車が語るもの。 歌で結ばれる動物…いやズートピアを支えるすべての生命たち。 [DVD(字幕)] 9点(2016-12-15 04:21:29) |
25. 映画 ビリギャル
《ネタバレ》 土井裕泰は「いま、会いにゆきます」も中々良い作品だったが、本作は圧倒的に面白かった。 風が吹く中で何かを見つめる少女、小高い丘から見つめる先にあるもの。 何と映画的なんだろう。 「いま、会いにゆきます」は黒沢清の傑作群を撮った柴主高秀のキャメラが輝り、本作は花村也寸志の見事な撮影が作品をさらに盛り上げる。 モノローグで語られる子供時代。 父は息子の特訓、家族でありながら男と女が完全に分かれた環境、見上げた空、飛行機、ボール、長いものに巻かれたくない、エスカレーター。 親の勝手で転校、一目惚れで受験、捕まりスカートを短くされ右に倣え。それでも彼女は楽しく遊ぶ日々に溺れ、友達も出来て良かったのかも知れない。 教師もやる気を失くし、繰り返す記念撮影、踊り、現実からの逃走。 短くなるスカートを身にまとい朝飯も食べずに駆けだす。 バック、サイフから出てきたもの。だが自分ではなく他者を庇う心は生きていた。誇りに思うなら退学は避けて、人生すら諦めようとした者を迎え入れる男の回想に繋がっていく。 塾で気持ちよく朝を迎えた者が見たものは…誰!? 挨拶、笑顔で凄まじいネタバレをするタイトルコール、0点でもへっちゃらでいられた「今まで」、空に浮かんでは消えていく英単語、漢字、褒めて伸ばすポジティブシンキング、志“願”所、基礎から叩き直す勉強、隣人に挨拶、手を叩き称え合う喜び。 ハサミを入れる“復讐”、見返すのは「見て」欲しいから、愉快な塾の人々。 スケジュール、罰ゲーム、カラオケ、本に記され、壁から階段にまで刻まれる努力の跡、自転車の疾走と夕陽、横移動。 教師は他者を理解する努力をし、子供たちも互いに抱えているものを知るからこそ笑い語り合える。誰も期待しなくても信じてくれる人がいるなら。 家族ですら祝う余裕がないくらい打ち込み、先生も生徒の頑張りに一対一で、過去を晒して応え、屑呼ばわりしていた教師も思わず約束してしまう「誓い」。 胡坐をかいて見るもの、思い出す父との思い出、親しくなったからこそ馬鹿だのキモいだのありがとうだと言い合える。すっぴんで微笑む可愛く、美しい好きなひと。 漫画で叩き込まれる先人たちのイメージ、手に渡される母親の想い、重み。 自転車を引き止める裸の付き合い、恨むどころか応援するために“離れる”ことを選ぶ、汗も涙も湯に流して。 背を向けてまで続ける努力、チャンネル変えてまでニュースに喰らい付く。 屋上で考え事、椅子に立った卵、知らないなら知ればいい、教えればいい、信じてやればいい。 髪を切り服も整える覚悟、寝る間を惜しむ限界、荷物を運び走り、呼び出される度に頭を下げて頼む、男たちも首を垂れる者に折れ、公認し、髪を染めなおし整えて応える。 模試、平手打ち、仲違い、ノートに書き込む自問自答、限界、雨の中で向かう先、詰め込まれた思い出、笑顔、隣で打ち明け、酒場で話しぶちまけ合う溜め込んだ想い。 突き飛ばすなら、いがみ合うなら振り上げぶち壊してしまいたい「隔たり」、聞く気がないなら胸倉を掴んでも叩き込んでやりたい叫び。 憧れを見に行き固める決意、成し遂げてから再会するため、夢が叶ってから撮るため、自分を変えるため、家族を変えるために。改めて交わす挨拶。 毎日自転車を漕いで向かうために、息子と自分自身を解放するための“儀式”、謝罪、家族を奮い立たせるために見せるもの。 窓の外に拡がる光景、バス、娘であれ家族であれ誰であろうと放っておけないどうしようもない親父。息子を叩いていた手で雪をかき分け、それを突きあげエールを送り、壊れたものを直し、支える。別の男も気になる娘の声が聞きたくて努力を続ける。 恩師と渡し合うもの、よれよれになった辞書に描き込まれる“お守り”、手紙、祈り。 迷いが無くなった指先、呑み込んだら襲い掛かるトラブル、駆け込み走らざる負えない痛みとの、己との戦い。逃げ続けた者が「やり遂げる」ために何度でも戻って来る姿よ! 孤独を支える電話の向こうの声援、思い出す表情と言葉。 結果よりも大切な、待ってくれていたもの、会いたかったもの。欲しかった画面と向き合う決意、抱きかかえ祝うもの、緩やかな斜面で読む手紙。 例えダメだったとしても挑み続けること、記念撮影。男たちは恥を捨ててクマのぬいぐるみ一つ抱いて立ち尽くし、駆けて飛び乗って来るものに何も言わず背中を預け「応える」。 蘇るあの日の記憶、手を振って送り出す旅立ち。 塾長が箒をギター代わりにロックに、誰かに伝えるために笑い歌いあげる締めくくり。誰かに歌を送るためならいくらでも恥をブン投げられる女たち、男たちの笑顔が眩く輝く。 [DVD(邦画)] 9点(2016-12-15 04:20:26) |
26. 96時間
《ネタバレ》 この映画は、孤独な男が娘を見守り続ける平穏から始まる。 誕生日、ビデオ、母と娘を映す誰かの視点・暗い部屋で見つめる写真。 プレゼント、パーティー、抱擁、繰り返される撮影、馬、プレゼントの差。 扉を開けたら押しかける仲間たちの慰め、護衛仲間とトランプ 電話。 激しい戦いが起こるだろうと期待を抱かせるのは、10分を過ぎた辺り。 優しき父親は危機を察知すると仕事人の顔つきになり、キャメラも微かに揺れ出し不安を煽るようになり、押し寄せるファン、影に潜む刺客を取り押さえ守り抜くボディーガードの身のこなし。 一息、カフェで家族団欒…できない渡される紙とペン。 地図、別れの撮影、「電話してね」とお父さんは心配なのです。 ナンパ、観客に予告してしまうもの、「裏窓」さながらに窓の向こうで目撃するもの、嘆きを聞いて即座に行動に移るプロフェッショナリズム、アドバイス、ベッドからの視点・叫びだけが伝えるもの。 繰り返し聞いて得ようとする手掛かり、募らせる憎悪。 手掛かりを得るためなら壁を這いガラスをブチ破る! 残されたもの、推理、想像、情報収集、“鏡”に映っていたもの。 初対面に鉄拳浴びせまくる捜索者、巻き込みまくる大迷惑、狩人は車の中でとっ捕まえて殴りながら尋問、車を盗みまくる追跡、犯人も橋から飛び降りてまで必死、空回り。 女に執拗に絡むのは獲物を吊り上げ“信号”をつけるため。 腕に刺されたもの、布に覆われたもの。巻き込まれた女、女、女たちの顔、顔、顔。 斜面を敵の車ごとブッ転がしながら駆け下りるチェイス、窓に落ちるもの、壁だろうが建物ごとブチ破る。中指を立てる報告。 配線イジッてまた盗車。 ハンガーを折り曲げて吊るす治療、電話の行方。 手に刻まれた印、取り引き、声の“一致”。 机をひっくり返し、敵の得物で大暴れっ!!容赦なく拷問、膝にブッ刺す電気椅子、唾には電流でお返事、放置プレイ。 洗面所に隠していたもの、手から顔面に浴びせるもの、容赦なく引き金を引く覚悟、平手打ち。 オークション、窓の向こうで見たもの。 買い物、お約束…あるいは娘を救いたいがために信じられないパワーを発揮したのか、蒸気。 橋の上から船に飛び乗り、武器を手に入れ、扉の窓、扉越し、閉鎖空間における一騎打ち。 敏を割りまくり、足を引きずってでも迎えに行く! 締められる扉とともに終わる物語。 制作はあのリュック・ベッソンだ。 「レオン」で「リバティ・バランスを射った男」のクイズをジャン・レノに出題させたあのベッソンである。 ベッソンと監督のピエール・モレルはジョン・フォードの傑作「捜索者」も見ているに違いない。 [DVD(字幕)] 9点(2016-12-15 04:18:44) |
27. 西部の男
《ネタバレ》 初っ端から柵を切断するペンチ、牛を引き連れた牧童たちと農夫たちの銃撃戦、斃れる牛、理不尽な絞首刑。 コレは…ワイラーによるアクションが充実した西部劇が…始まると思ったら少し違うようだ。 酒場という裁判所、立ち会う人間も酔っ払いだらけ、オマケに葬儀屋まで待機でタチが悪い、後ろに立てば振り向きざまに拳銃突き付けられる。 弁護人、罪を着せられた流れ者とインチキ判事、女の話と一夜の酒で結ばれた奇妙な友情。 朝起きたらベッドに二人きり…ウォルター・ブレナンをお姫様抱っこまでするのだから想像するなと言う方が無理だよなアッー! 当時のゲイリー・クーパーファンはさぞかしあんなことやこんなことを考えただろう(何の話だ)。 馬を猛烈に走らせる追跡、キャメラも平行移動で丘を登ったりと凄い。グレッグ・トーランドのキャメラワークが遺憾なく発揮されている。 相変わらずワイラーは馬を撮る時だけ本気出すタイプ(褒め言葉)。トーランドが「ベン・ハー」の頃まで生きていたらなあ…惜しまれる。 抱き着いて男からは銃を奪う代わりに髪をひとふさプレゼント、友人として悪徳判事の側面に触れ、農民たちとも関係を深め互いの主張を尊重し、水と油を和解させようと努力した。 火をつけ窓の向こうで微笑む不気味な顔。コレはまだいい。無意味なズームはちょっとやりすぎ。 祭りを阿鼻叫喚に変える大火災、実行者たちの蠢き、無力さ。何食わぬ顔で嘲笑い賑わう街と焼き出された人々の対比。そうと判っても“忠告”で済ませ、受けて立ってしまうのは“友情”故か。 胸に輝く星、劇場を独り占め…あえて孤独を選び椅子を真ん中に置く寂しい後ろ姿。 幕が上がる“めぐり逢い”、一騎打ちの銃撃戦。響く空の弾丸の音、込められる弾、立ち上がった瞬間に訪れる決着、最後の頼み。 [DVD(字幕)] 8点(2016-12-15 04:17:33) |
28. ミッション:8ミニッツ
《ネタバレ》 この映画は、もしも運命を変えることが出来るなら…という願いも込められた作品なのだろう。 変えようと足掻き続けた者の、それを見守り続けた人々の表情と葛藤。 海岸沿いにそびえる摩天楼、列車、窓にもたれかかり眠りから目覚める男。 相席で話しかける者、胸ポケットから取り出すもの、電車内で蠢く人々、窓に映るもの、鏡、写真、列車内を奔る“風”が無情に告げる別れ。 目覚めた先で見たもの、窓の向こうで動く人々。 繰り返される光景と“8分”、視点変え、“変える”ための行動、登った先にあるもの。 ぶん殴ってでも黙らせたかった、救いたかった。 “戻る”度に刻まれる異変。 挨拶、聞き出す名前、人間観察、荷物、口づけ、中から外への追跡、隣に座った後にぶん殴る。 “出る”…いや“繋がる”ための足掻き。移動、懐中電灯でこじ開けるもの、紙に記る“印”、電話、駆け巡る記憶、焔。 突き付けるもの、扉が閉ざされるならこじ開けるまでよっ! ポケットの中身、車越しに倒れるもの。 選択、共謀、迫り来る時間、時が止まったように残され完全に切り取られる“一瞬”、箱の中身。 [DVD(字幕)] 9点(2016-12-15 04:16:08)(良:1票) |
29. この世界の片隅に(2016)
《ネタバレ》 それは、川を流れる船の「片隅」から見上げた光景から始まる。 雲が流れ続け無限に拡がる青い空。果てしなく続くその姿は最初から最後まで「誰か」を刺激し、「誰か」が描く絵、絵、絵で語り続ける映画だ。 心の中で繰り返される「誰か」の感情と想いは、夥しくため込まれ爆発する時を待つ。 橋の上で放り込まれた先での出会い、夜になったらおやすみ、夢のような一時、スイカが繋ぐ出会い。 紙も板切れもノートも地面も何でもキャンバスにし、水平線を引き描いて描いて描きまくり記録されていく風景、顔、月日、年、思い出。 彼女が描く絵は生き物のように動き出し、白波が海を走れば波は兎になって海原を駆けて行く。 思わずクスクス笑ってしまう微笑ましい光景の数々、いくらドジをやっても笑ってくれた平和な日々、結婚しても後退と接近を繰り返す恋愛が少女を大人の女性に変えていく、愛のある拳骨、思わず申し訳なさそうに目をつぶり笑ってごまかす反応、絶対に笑ってはいけないクソ憲兵との“にらめっこ”戦時下の人々に光をさす闇市、幼い頃の記憶が蘇る再会、紙に溢れる甘いもの、夢や希望。 どんなに世界と人が変わろうが、女たちは“抗う”ことをやめない。 風呂に浸かり、汗を流し、飯を喰らい腹に詰め込み、服を仕立て直し、水の入ったバケツを担ぎ上げ、紙を奪われたら新しい紙を貰い続け、手を握り、引き連れ、腕を振り回し、歩いて、歩いて、歩き続ける。 着物を被り隠す黒髪、誰かに何かを打ち明けたくても言えないものを背負い込むうなじ、白く輝き日に焼けたりもする細腕、脚、口紅をさす唇、おしろいを塗りたくったり引っ張られたりする頬、顔。 料理くらい誰かに教える気分で、楽器でも弾くように楽しく作りたい、二人きりになったらキスくらいしたい。身を寄せ口づけを求めるのは、好きなのかどうか確認するため。両腕を布団にぶつけながら吐き出される複雑な想い。 やがて訪れる地面を曇らせる飛行機の影、戦争の音、警報が鳴る/鳴らないで変わってしまう警戒心。 死が迫り来る状況でも見つめ続けようとする絵描きの性(さが)。爆撃機が鳥の大群のように空を覆いつくし、炸裂する砲撃や爆弾の煙さえ、彼女にとっては格好の題材になってしまうのだろう。 男たちはそんな女たちに覆いかぶさり、抱きしめ守ろうとする。破片や機銃掃射が雨のように降り注ごうとも。頼まれなくたって生きて欲しいから。 終盤まで、空襲で焼かれた遺体といったものは徹底的に描かれない。あえて「見せない」方がかえって想像してしまい恐ろしいのだから。 波間を漂う帽子、“鬼”の石ころ、血まみれの服、ぽっかり空いた穴が誘う“死”、届かぬ声、閃光、振動、木に引っ掛かる飛んできたもの、座り込んだ「あの人」は誰だったのだろう。 暗闇で輝き散っていく白い花火、ひらひら舞っていく繋がった腕、花畑まで駆け込み微笑んで欲しかった“もしも”、もっと描きたかったもの、撫でてやりたかったもの。 布で覆い被してまで見せなかったものを「見せる」のは、戦争の悲惨さを伝えるためではない。どんなに傷つこうとも最後の最期まで抗おうとする人間の姿を「描く」ためだ。 生きる意思を放棄したはずの者が、燃え盛る焔を見た瞬間に無我夢中で叫び、逃げ続けるのを止め、何度もつぶってきた眼を見開き、布団を投げ飛ばし、体を投げ出すように火に飛び込み、倒れても這い上がり、バケツに入れぶちまけられる感情の爆発!! 心の溝を埋め距離を縮める歩みより、手助け、会話、髪を切る決意を語る瞳、「何処までも飛んでいけ」と追いかけ突っ走り、耐え続ける“理由”が無くなった途端に溢れ出る怒り、悔しさ、涙。 その姿は、幼い心にも焼き付いて離れないものとなって蘇る。 片腕が吹き飛びガラス片が幾つも突き刺さろうが手を握り、引き続け歩き続けようとした姿、座り込んでも…いや死してなおも庇うように。 子供も眠っているだけかも知れない、まだ生きているかも知れない、あるいは認めたくないからこそ必死になって群がる蠅を払い続ける。それを受け入れざる負えない流れ出る“死”。 失ったものを求めてさまよって、歩いて、歩き疲れた先でたどり着き、“見つけた”者と“探し続けた”者が地面に転がった飯の塊で結びつく。 女は黙って腕にすがりつく子供に隣を許し、暖かく迎え入れてしまう。 何も無くなったというなら、空で輝き続ける星の海を見つければいい、灯りを灯して暗闇を照らしなおせばいい。 居場所が無ければ探し、見つからないなら見つけ、作ってやればいい。 「なくなった」はずのものが釜を抑えながら飯をこさえ、「いなくなってしまった」ものを描き続ける。それは、こうの史代の想いでもあるのだろう。 [映画館(邦画)] 9点(2016-12-01 09:49:11)(良:4票) |
30. モンパルナスの灯
《ネタバレ》 マックス・オフュルスが計画していた企画を、ベッケルが受け継いだ傑作。 人々が談笑し酒を嗜むカフェ、机の向こうを見つめ何かが終わるのをひたすら待ちわび、隣で見守り、窓の向こうで振り返り、何かを紙に書き続ける男たちの姿。 不満げな反応に酒代まで払うと言われ、それに紙を破いて返答する意地っ張り。この映画のモディリアーニは芸術家ではなく、酒と芸術に“酔った”ろくでなしとして描かれていく。 ベッケルの興味はモディ(モディリアーニ)の絵ではなく、彼そのものが破滅していく様にあるのだろう。「この物語は史実にもとづくが、事実ではない」と一応断りを入れて好きに描いてやろうという具合。 女と近づき寝るために彼女たちを描いているような気さえしてくる。熟れた御婦人も、うら若い乙女も、階段を力強く登り灯の管理も手ぬかりない大家まで心を奪われそうだ。 酒と雨を浴びるように楽しみ、貰ったばかりのマフラーもびしょ濡れにし、酒のツケはたまり放題、鍵が無いからといって体当たりでドアをこじ開け、酔った勢いで平手打ちを浴びせるなんてことも日常茶飯事らしい。 だが絵は売れなくても不思議と彼の世話をし“巨匠”と親しげにしてくれる親切な知人には恵まれる。 色男というだけじゃない。自分の好きなように絵を描き、それが曲げられるくらいなら殴り合いさえ辞さない覚悟、すべてに絶望した虚ろな眼差しを自身の絵にも描きまくり、己を貫くためなら死んでも構わないという危なげな姿をみんな放っておけず駆け寄ってしまう。だがその優しさも過ぎれば単なる甘やかし、モディを破滅に向かわせる原因の一つにもなっていく。 でも暴力を振るわれても隣に座り、甘い声で謝られてしまったら…モディに関わる女性たちは何もかも寛容に、気づけばほつれたボタンを付け、マフラーを首に巻き、一夜を過ごし肉体まで許してしまうのだ。繰り返される口づけのような抱擁。 閉ざされた扉を叩く虚しい響き、画塾に通い詰める人々のタッチとそれぞれのモデル、出遭った瞬間に惹かれ合い絵によって結びつく恋、扉を閉ざす待ち伏せ、鍵を閉める沈黙、ダンスホールで踊る人々を反射する鏡、外人部隊の国だからか黒人もアジア人も自然に溶け込む街。 葛飾北斎のように絵を広告として活用することを選んだ者も入れば、モディのように金で思うがままにされることを許せなかった画家たちもいただろう。 尊敬するゴッホを侮辱されたと思い“苦悩を忘れるためだ”と情熱を持って擁護する。表に裸婦の絵を置いて歓迎しているとは思えない態度だった者が、愛する者のために売り払い“かなぐり捨てる”ことが出来なかったくだらねえプライドが、あの瞬間だけ光り輝いて見えた。街の片隅でヴァイオリンを弾く孤高の奏者に向けたあの一瞬の輝きを。 女はそんな男を最後まで慕い続けた。札束も身も投げようと狂っていた男を正気に戻す女の眼差し。ベッドで睡眠を貪る傍らで内職までして尽くす。 その視線を誰も向けてくれなくなり、絵を突き返され金を“恵まれる”ことが繰り返された瞬間…高すぎたプライドは崩れ去り、絶望に向い歩み始めてしまうのだ。 薄れゆく中で見たもの…。 そんな彼等を嘲笑うように、黒い帽子姿で現れる死神のような画商。 くたばるのを待つように見守り続け、胸像を投げ破壊された窓ガラスの向こうでさえ挑発を続ける不敵な笑み。とぼけた表情で挨拶をし、馬車を走らせ、札束のように掲げまくる絵、絵、絵、顔、顔、顔! [DVD(字幕)] 9点(2016-12-01 09:26:29) |
31. 殺し屋ネルソン
《ネタバレ》 俺が見たのは海外で販売されたVHS。画質は悪かったが、この映画の面白さを損なうものじゃなかった。 コイツは間違いなくドン・シーゲル初期の最高傑作だ。 圧倒的破壊の全力疾走で見せる見せる見せる、これぞギャング映画と言わんばかりの面白さ。 「ダーティハリー」や「ラスト・シューティスト」といった初っ端からブチかます作品群と比べると、この映画は最初ブッ放さない。 徐々に速度が加速していくタイプの撃ちまくり殺しまくり映画だ。 実在したレスター・ギリス(ベビー・フェイス・ネルソン)の伝記としては実際のネルソンとかなり違うが、アクション映画としてシーゲルのやりたい事が詰め込まれた素晴らしい出来となっている。 ミッキー・ルーニー演じるギリスの凄味! ビルの群れ、人の群れ、刑務所、ナレーションによるギリスことネルソンの紹介。刑務所を出ていく影、その直後に「Baby Face Nelson(殺し屋ネルソン)」の題名が出る。 迎えの車に乗り、目的地に着き、アジトの階段を上っていく。二人の会話が終わってからやっと人物クレジットが出る。 葉巻の煙を払うように「もう殺しはやらん」とサイレンサー付きの拳銃を返し一度は断るが、運命はギリスを再び殺し合いの中に引きずり込む。 刑務所から解放された喜びからか、浴びるように風呂ではしゃぐ。 久しぶりにあった女と熱いキスを何度も交わす。伝記の白熱球をひねって消し、情事に入ろうとする。その後にちゃんと電球を戻す律義さ。殺し屋としての血がうずく新聞記事。 ヒロインはバーバラ・スタンウィックやクローデット・コルベールに近いタイプのキャロリン・ジョーンズ。 点滅するネオン、バスルームに押し入られ、身に覚えのない拳銃という“罠”、ツバには腹パンで返答される! さあギリスの“ネルソン”としての復讐劇が加速するのはここからだ。 列車、女が転ぶのはかがんだ標的をネルソンがブチのめすため、銃を奪い、車で運んだ遺体を猛スピードで地面に叩き落とす! 階段に隠れ、ターゲットが上ってきた瞬間に瞬く間に3人を射殺し車で即逃げる。本も死体が音をたてて転がっていくようにバラバラ落ちる演出。 酒を取りに隙を見せ、背中を向けた男の首に銃をつきつける。ガラスを撃ち抜くが一歩遅く、彼等は夜街を駆け抜ける。 脚から胸にかけてのラインを見るエロ医者、何回女とブチュブチュやんだよギリスは(憤慨)。 大火傷を負い包帯で顔を覆った男が渡す新聞、闇夜のブランコで作戦会議。 オフィス襲撃時の緊張。 時計、アイスクリーム屋に化け、警備を潜り抜け、車内では息を潜めてトンプソンを構える。 煙、「STOP」のバーを脚でこじ開け、緊張の糸が弾けた瞬間にトンプソンは火を吹き、金を積んだ車を奪って乗り換え逃げ切る。 仕事仲間の墓穴つくりを、酒を飲みながら見るだけの医者。そりゃスコップも投げたくなりますよ。 日光浴中の彼女に布をかける不器用な愛情、脚に触るエロ医者への嫉妬、愛情の暴走も加速していく。 他の男とちょっと喋っただけでも怒鳴り散らす。防弾とはいえいきなりバカスカ撃つんだから怖い。「裏切ったらマジでブッ殺すぞ」という警告としての発砲。 酒屋の登場で油断した後に現れる“本物”、裏口からの脱出、森の中での銃撃戦、巻き込まれる一般住民。 郵便局員から銀行強盗への早変わり。銃をクリックして脅す。おっちゃん涙目。 女にうつつを抜かす者たちの破滅、新聞の写真に刻まれるマーク。 ネルソンの転落も加速していく。思わぬ情報の流出、指紋手術の失敗、触れない腕で怒りの殴殺と船でドンブラコ。 ラスト20分のフルスピード。 銀行襲撃までのシークエンス、裏をかいて仲間まで“裏切り”閉じ込め、客のいる室内に催涙弾をブチまける。 銃声に異常な反応を示すほど精神的にも追いつめられる。動物狩りを楽しむ子供たちを撃ちそうになる瞬間。 クライマックスのチェイス、警官のバリケードもブチ破り、バックミラー、“死に場所”への直行・・・近づくサイレン、もたれかかり「俺を殺してくれっ!!」の絶叫!凄いラストシーンだ。 [ビデオ(字幕)] 10点(2016-11-24 22:47:06) |
32. 荒野の女たち
《ネタバレ》 ジョン・フォードが本当に撮りたかったもの…それは女たちの生き様だったのではないか。 「我が谷は緑なりき」や「怒りの葡萄」の家族を支える女たちの、「駅馬車」で蔑まれている中だろうが赤ん坊を救うことを選んだ女の、「馬上の二人」の連れ去られ差別に苦しんだ少女の、「メアリー・オブ・スコットランド(スコットランドのメリー)」の王女になってしまった女たちの孤独。 野郎が跋扈する「三人の名付け親」や「捜索者」ですら、男は母親の様に子供を抱きかかえていた。いなくなってしまった女たちの代わりを果たしたかったかのように。 この映画は、冒頭の馬賊が駆け抜けるような映画ではない。理不尽な現実に打ちのめされ、それに抗おうとする弱者たちの静かな“怒り”が渦巻く映画だ。幼い子供たちの、彼等を守る女、女、女たちの。 馬賊たちは後の災厄を予告し、動乱の中国大陸に脚を踏み入れ取り残された人々を振り回していく。 馬に乗って僻地にやって来たカウボーイのような井出達の女医。このアン・バンクロフトのカッコ良さと言ったら。厳粛なキリスト教を笑い飛ばすように煙草をたしなみウイスキーを愉しみ、祈る暇があったら自ら行動し、家族や組織といったしがらみを拒むように孤独な様子を覗かせる。 それが運ばれてきた負傷者を見るやいなや医者として迅速に行動を起こし、病が発生すれば家中を駆けずり回り、貴重な水でも犠牲者を減らすために投げ捨て最善を尽くす。 隔離を告げる看板、ひたすら土を掘り返していた者が座り込み、布の下に眠る死者たちを想い打ちひしがれる。 一難去ってまた一難、建物の向こうで燃え盛る巨大な焔、門の前を通り過ぎる軍隊、扉を開いた瞬間に雪崩れ込む馬賊たち暴力の嵐。監禁と虐殺、けたたましい嘲りがこだまし頭がおかしくなりそうな閉鎖空間。それでも彼女は諦めず己を貫き通す。「汚い手で触んじゃねえっ」と言わんばかりに屈強な大男に平手打ちを喰らわせる気丈さよ! 女たちは老いたはずの肉体で新たな命を産み、女医はそれに応えるために壁を駆け上がり格子を握りしめ怒れるばかりに叫ぶのだ!! 馬賊たちとの取引、土埃にまみれた鏡を一目見て、ベッドに座り込み見せる弱さ、再び立ち上がり覚悟を決めた強さを見せる後ろ姿。虐殺を繰り返してきた者たちまで赤子の誕生に喜んでいるかのようにはしゃぐ奇妙な光景。 馬賊に尽くす女たちもまた犠牲者に過ぎなかった。代わりの女が来れば部屋から追い出され、用済みになればゴミ同然に投げ捨てられる。疲れ切った表情。 だが彼女は何度でも仲間の元に戻り、切り札を手に入れ、敵の懐へ飛び込んでいくことを選び続ける。椅子にふんぞりかえるのは身内同士の決闘で殺し合わせるため、服を着替えるのは寝るためでなく二人っきりの状況を作るために。 たった一人扉にもたれかかり、女たちを見送る視線。彼女が一度でも“祈る”ことがあるとするなら、それは見送ってやることしかできない仲間たちの無事くらいだろうか。 開かれた扉の先で待ち受ける野獣、杯に入れられる切り札、投げ捨てられる杯。医者の道を踏み外すようなことを選んでしまった・救ってやれなかった自分自身への怒りも込めて、彼女は投げ捨てるのだ。 最後の最期まで何かを“投げる”ことを描き続けた、フォードらしい締めくくりだった。 [DVD(字幕)] 9点(2016-11-24 22:41:14)(良:1票) |
33. ザ・ウィメン
《ネタバレ》 ジョージ・キューカー最高傑作。 とにかくこの映画、女性しか出ません。赤ん坊から婆さんまでみーんな女、女、女。幼い子供だって立派な“女”。宝塚みたいに誰かが男性役で出るとかもしません。 脚本も女性だし監督のキューカーだって筋金入りのゲイというより魂は乙女みたいなもんです。出てくる犬も全部メスだったかオスも1ッ匹くらいいたかな。 男の声すら出ないし、存在が確認できるのは受話器の向こう側だけ。劇中フィルムすら男は出てこない。 とにかく女達の怖さ、言葉による殴り合いや女の強さをこれでもかと堪能できる素晴らしい映画。 「イヴの総て」みたいに男の存在が女達を際立たせる事もあるが、これほど見えない男達の存在が女性を引き立てる映画もない。 メンツもジョーン・クロフォードをはじめノーマ・シアラーやロザリンド・ラッセル、ポーレット・ゴダード、端役にジョーン・フォンテインなど豪華だ。 超高級エステ・パーラーのマニキュリストが流した噂が、流れに流れてやがて一大スキャンダルに発展していく狂騒。 動物に例えられる女性陣のオープニング、犬の喧嘩がやがて女性陣のバトルに発展してく。 エステに励む女性たち、乗馬といったスポーツに精を出す親娘。あの馬もメスかしらん。 エステは女性の身体をかたどったボトルキャップも売る。 例の黒人女性は「風と共に去りぬ」にも出ていた。そういえば「風と共に去りぬ」も最初はキューカーが監督していたんだっけか。 悪態つきまくっていた女性がカーゴに躓いてまっ逆さまになるシーンは爆笑。アナウンスまでシュールだころ。 中盤のファッションショーは美しいパートカラーも楽しめる。当時の流行を覗く事ができる。 もっとも、ファッションショー後に黒服を脱ぐシーンが一番ドキドキしてエロティックなのだけれど。 ドアから出たらドアごとそのまま付き返すシーンもクスッとくる。 ミニスカでやるエクササイズはエロいが、女性としてはどんな心境なのだろうか。 今の時代は短パンやスパッツが普及しているけどさ。 後半に出てくるポーレット・ゴダードとクロフォードのキャットファイトも笑いが止まらなかった。 噛み付きまで繰り出すクロフォード。 つうかポーレットが可愛すぎて辛い。ショートパンツ姿が良い。 「モダン・タイムス」のポーレットもスンゲー可愛かったよ・・・。 泡風呂におけるクロフォードと女たちのやり取りも良い。 下の透明な水槽からクロフォードの脚がチラり。 香水の音ワロス。 クライマックスまで扉の中に閉じ込められたりと散々なクロフォード。 髪が乱れた感じもまた良いっす。 [DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2016-11-19 01:44:10) |
34. 騎手物語
《ネタバレ》 ジョン・フォード「香も高きケンタッキー」に匹敵する唯一の競馬…いや馬を撮った作品かも知れないボリス・バルネット「騎手物語(オールド・ジョッキー)」。とにかく愉快な映画だ。 フォード作品がジョージ・シュナイダーマンたちなら、バルネットはコンスタンチン・クズネツォフ(Константин Кузнецов)たちがあの素晴らしい撮影を手掛けたのである。 クズネツォフはレフ・クレショフ等と組んで「掟によって」や「偉大な慰め手」「ゴリゾント」「ドフンダ」「四十の心」「視力の奪取」を撮ったが、その実力はバルネットとの仕事でも存分に発揮された。 冒頭から馬、馬、馬が猛烈な速度で走って走って走る様をキャメラが喰らい付き追い続ける場面から始まる。サイレント映画のような早回しが凄まじい速度を引き出す。 古代の戦車のように巨大な車輪が付いた椅子に坐す繋駕(けいが)、それを引っ張り駆け続ける馬、吹き付ける風、なびくたてがみ、疾走を見守る競馬場の群衆。馬がゴールに近づこうというところで歓声が入り、1位の者に賞賛を、最下位には罵声を容赦なく浴びせる賭博者たち。てめえで賭けといて文句しか言えない連中に目の前で罵られるのだ。たまったもんじゃない。 回転扉は幾度も出入りする人々によって回されていく。主人公の老騎手、それのライバル的存在である黒いゴーグルをかけた老練騎手がカッコイイ。 勝負は競馬だけじゃない。腕相撲、祖父を思う孫娘がスカートのままパラシュートを付けて降下する時も群衆が取り囲んで見守る。このマリヤが元気で可愛い。 自転車乗りの少年はパンクしたタイヤの交換を手伝い(その直後に発進してまた事故るオバサンに爆笑)、床屋はバリカンで髪を刈り上げる(正面を捉えたキャメラがそのまま後退し鏡のように理髪師と客を画面に収める)。 列車に揺られて向かう街、子供だけが知っている落書きだらけの“抜け穴”、回転扉から飛び出した先で抱き留める再会、挨拶代わりに交わされる頬への口づけ、ミルク缶の一杯。 マリヤが興味あるのはお爺ちゃんのレースだけ、それまではレースにありったけのモンタージュを叩き込み素早く終わらせ、結果だけを映し賭博者たちを一喜一憂させる。 何も知らず美味しそうなスープとパンをムシャムシャ食べ、気づけば机の上は高そうな料理と酒瓶だらけ、相席になった女性に全部押し付けてトンズラする食い逃げ、注文を受けせっせと料理を運んできたウエイターはタオルを鞭のように叩き少女に迫る。それで食事代のために券を買って賭けてしまうのが面白い。 彼女の視点だからレースの始まりから終わりまでの過程をたっぷり見せつける。競走馬たちが一斉に振り返り、振り下ろされる旗とともに速度をあげてスタート。追い付き、抜かれ、また追い付きと横移動でひたすら捉え続ける手に汗握る瞬間。 思わず一緒になって拳を振り上げ、体を震わせ、ハラハラし、嬉しそうに向き合ってしまうウエイター。下げようとする酒を全部ミルク缶に入れて持って帰ろうとする彼女を手伝ってしまいサービス精神旺盛な良いオッチャンです。 ビリヤード場での休息と温度差、サングラスと手をあげて行方を教えてくれる紳士振り、哀しいパーティー、決意を覆す“出会い”。 馬が草をむしり家の中に朝日が差し込む湖水の夜明けの静けさ、起き上がり慌てて盗んだ馬車で走り出す激しさ。追う方も壁を乗り越え鶏を飼っている囲いの中に落ちながら塀を薙ぎ倒し川の中まで走って横断してしまう。 群を一斉に水辺へ走らせ、水を浴び、体を洗い、窓辺で馬を撫で、たてがみをとかし、ブラシをかける馬の世話ののどかさ。何度もやらかしたオバサンまで水をかけて餌を食べさせる世話をしてくれる微笑ましさよ。あまりにやらかすのでキャメラにすら呆れられたのか事故を映してもらえなくなる。トコトコ大きな馬の跡を付いていこうとして引き返す仔馬が可愛い。 へし折られる鞭と木の枝、乾杯。 馬車に揺られながら談笑し、馬が泥だらけのボロボロになる珍騒動、世代交代。 指を握り、蹄の音が轟き、影、暴走、卒倒、声援に応えるように猛然と追い上げるラストスパート! 花束を貰うのは勝利を祝うのではなく愛する人に捧げるため、扉が回転し続けるのは恋人たちを一緒にするため、サングラスを外すのは視線と言葉を交え握手をし健闘を称え合うために。 [映画館(字幕)] 10点(2016-11-19 01:40:17) |
35. ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
《ネタバレ》 前作「ゴースト・プロトコル」も面白かったが、今作もアイデア満載で楽しませてもらった。 監督のクリストファー・マッカリーは本作を撮る際にバスター・キートン「将軍(大列車追跡)」やハロルド・ロイド「要人無用」、ヒッチコック「汚名」といったアクションの傑作を参考にしたと言う。通りでトム・クルーズが何時にもまして危険極まりないアクションに挑んでいるワケだ。 いやマッカリーだけじゃない。「ミッション:インポッシブル」を最初に監督したブライアン・デ・パルマも、シリーズを引き継いできた制作のJ・J・エイブラムスもトムもそういった古典の色褪せないアクションを見て育ってきた連中だ。それを物語るようなファースト・シーンの素晴らしさ。 いきなり「何かが起こる」ことを静かに予告する原っぱが拡がる場面から始まり、草むらから現れるもの、飛行機を捉える視線、入り口が閉まり、プロペラが回り、発進しようと動き出したところで身を乗り出し標的を見定めるもの、飛行機めがけて突っ込み屋根の上まで走りしがみ付くイーサン・ハント! 一度掴んだら飛び立とうが絶対離さない、仲間がどうにかしてくれるだろうとひたすら耐え続ける信頼、侵入と脱出。 繰り返される上からの視点・机の上での話し合い・再会と別れ、レコードに記録された情報と罠、目の前で見せつけられる殺しと無力さ(アンソニー・マン「T-メン」を思い出すような光景)、記憶に深く刻まれる標的の顔、顔、顔。 拷問一歩手前でめぐり逢う天の助け、出会ったばかりなのに恐ろしく息の合った連携と格闘、一緒に行けぬワケあり。男はそんな女のために何度でも死線を掻い潜り戻って来るのだ。 仕事先に送る招待状、駅で通りすがりに渡す“通信”と“工作”手段、殺し屋だらけのオペラ会場、仕込みライフル、舞台裏での格闘、殺すための武器で命を救う狙撃、靴の受け取り、綱による降下と落ちてくるもの、トランクの行方等々スパイたちによる騙し騙されの暗殺合戦。 プールで泳ぐのは作戦で使えるか調べるため、水着で泳ぐのは彼女の行動力を知らしめるため、口紅に残された情報、作戦会議とイメージトレーニング、パラシュートによる侵入、水の流れる穴への落下…よく落ちること。止まった流れが戻るまでのスリル、激流の中だろうが仲間の道を開くために命を賭して仕事をやり遂げ、それを抱き抱え扉をこじ開けて応える仕事人たちの生き様。 握りしめられた情報、電気ショックを与えるのは蘇生させるため・別れるため、病み上がりで車もまともに乗り越えらない体だろうが関係ねえ、命の恩人追っかけて車とバイクの群が猛然と走りまくるカーチェイスへ!エンジンスタートと同時に後輪で薙ぎ倒しまくり、市街地の階段から路地裏、ハイウェイまで追いかけ続け体当たりでぶつかりぶっ飛ばしぶっ飛ばされまくり、車がお釈迦になろうがバイク見つけりゃソイツにまたがりバイクを弾き飛ばす!! 理不尽な御役御免、ドリルが穴を開けるものの正体、空港での包囲網を崩す雑音と誘拐と消失、会場で待ち受ける銃撃と変装と情報の奪取、カフェで確認する耳、眼、男と女の懐、周囲を蠢く黒服、瞳の向こうで嘲笑うクソ野郎を脅し返す“取引”の顛末。服を抱えて男が去り、男女が隣り合わせで座れば街中を走り回る最終決戦へ! 路上から路地裏・薄暗い建物内まで駆け込み、ガラスをブチ破る取っ組み合い、ナイフを抜き放つ一騎打ち、車から降りた者を誘うための“落下”、たちこめる煙の中に消える手、別れの挨拶。 [DVD(字幕)] 9点(2016-11-15 14:09:42) |
36. 果てしなき蒼空
《ネタバレ》 雄大な大地の中をひたすら進む、のどかな開拓劇。 「赤い河」のような激しさやアクションはあまり無いが、その代わりに優しさに満ちている。 過去を振り返るようなナレーション、森林の中から馬車に乗って現れる旅人、小鳥のさえずりに誘われるように森の中へ入り、出会う。ナイフを投げるのは蛇を仕留め警戒している筈の男の命を救うために。 出会ったばかりの者に見舞う鉄拳は闘争の始まりを意味しない。ホークス映画における拳や平手打ちによる頬への“一撃”は親交を深める前の挨拶に過ぎないのだ(「暗黒街の顔役(スカーフェイス)」は除く)。 インディアン、黒人が歌い踊り、白人が入り乱れる街の光景、インディアン嫌いと言いつつ混血の伯父を侮辱する奴は許さない精神、あっけなく終わる酒場での騒動、指、留置所での思わぬ出会い、鉄拳の秘密、霧が立ち込める夜の内に出航していく旅の始まり。 フランス語、英語、ブラックフット族と様々な言語が飛び交い、ひたすら川を突き進んでは休息を繰り返すのどかさ。狩りで得た獲物の肉を木に乗せ、それをカタパルト(投石機)の要領で木の反動を利用して下の川に浮かぶ船の近くに射出して“渡す”場面も面白い。 不意に現れるブラックフット族の娘は亀裂を生じさせるためでなく取っ組み合いを経て友情を結ぶために。 交易を成功させるためのルールと沈黙・顔を覆う布。争いを生むのは男にとっても女にとっても形見のような頭皮、護身用のために渡したナイフだ。 あれだけ争った二人が何事もなかったかのように傷の手当てをしそれを受け入れるのだから不思議だ。ジムも「自業自得だ」と言いながら傷を理由に鞭打ちの刑を止めさせる優しさを見せる。 急流で野郎どもが綱を引き船を進ませようとする瞬間の緊張、仲間が流されりゃ飛び込んで無我夢中で追いかける。以降ジムは貧乏くじばかり引くハメに。 麻酔が無いので酒で泥酔させて痛みを麻痺させるしかない苦肉の策、みんなで四つん這いになって指を探す場面なんかちょっと狂気地味たものを感じた。 毛皮会社の仕向けた追手との戦闘、仲間が殺され船を燃やされても人質の救出最優先で殺し合いを避ける。本部に乗り込んで弁償(猟銃突き付けて)させる場面は愉快だ。仲間を助けるために船上から狙撃して壁を抉る一撃! 宴会を沈黙させる矢の一撃、クロウ族の追跡と避けられぬ殺し合い、帰らぬ仲間を探し出すために一人で敵地に乗り込み目撃する事実。託すナイフ、敵地で火を焚こうとする気遣い、何も言わず抱擁し温める思いやり。手渡される証拠(弾丸くらいは映像で見せて欲しかった)、因果を断つために松明を投げつけ、一瞬でケリを付ける銃撃戦。 女が馬に乗り込み去るのは仲間たちを迎え入れるために。入り口を閉めナイフを投げ捨てるのは情事のため、燃えたぎる火の中に投げ捨てる過去との決別・友人との別れ。 カーク・ダグラスの狂った野獣のような役も見たかったが(彼が売り込みをかけていた「捜索者」もしかり)、何処までも優しいダグラスの姿も俺には心地よかった。 [DVD(字幕)] 8点(2016-11-11 20:28:52) |
37. ハドソン川の奇跡
《ネタバレ》 空を飛ぶ…いや“降下”してくる旅客機。 機内で必死に機器を操作し、声を掛け合い、見つめ、コンクリートジャングルの中に飛び込み爆炎に包まれ、黒いシルエットが起き上がり、朝日が疲れ切った瞳を映し出す。 男は夢の中の「もしも」に苛まれていたが、これから現実の世界で「もしも」について悩み向き合っていくことになる。 こんな恐ろしい始まり方だ。さぞかし切なくなるような、やるせない気持ちになるような映画をまたイーストウッドが撮りやがった(褒め言葉)に違いないと思いながら見ていくと、それは俺の勘違いだったようだ。 何せ飛び交う万の言葉とともに“奇跡”を成し遂げたすべての人々の行動を映し、優しく讃えてくれるようなアクションの映画だったのだから。 短いカットを交互にバシバシ挿入し、“あの日”以前/以後の人々の動向、離陸までのシークエンスを積み重ね、突然現れつぶてのように飛来する鳥の群れ、決断を迫られるパイロットたち、指示を出す管制室、押し寄せる水流の中で血を流すような怪我を押してまで避難を促し続ける客室乗務員、パニックになり恐怖に震えながらも隣人への思いやりを忘れない搭乗客、冷たいハドソン川に駆けつけ救命胴衣を投げまくり川の中から抱きかかえ防寒着をグルグルかけ帽子までくれた救助隊や警官たち、帰りを待つ家族たち、事故直後から何回もシュミレーションを行ってくれた同業者たち…様々な視点から“あの日”の真相に迫っていく。 それは粗探しのためではなくサリーたちの努力を証明するために。酒場のマスターや飲み客たちも、タクシーの運転手も、疑問を投げかけるニュースキャスターたちも手のひら返しを喰らわせるどころかサリーに“ヒント”すら与えてくれる。 そして、サリーはそんな人々の行動に刺激を受け、一人の仕事人として、一人の人間として誇りをかけて“あの日”との決着を付けに行くのだ。 若い頃から師や仕事仲間といった“命”を乗せて様々な飛行機を操縦してきたサリー。1人だろうが155人だろうが変わらない“重さ”の命を。 機が着陸しても沈みそうなら沈む前に最後まで機内を見回り、降りてもしばらく観察を続け、仕事が終わっても制服を中々脱げないくらい打ち込み、何処かへ走り出さずにはいられない根っからの仕事人。いざ休もうとしてもマスコミが押しかけ取り囲まれ、TVを付ければどのチャンネルでも同じ話題で持ちきり、公聴会ですら録音を聞かされ“あの日”に引き戻される。そりゃあ何も聞こえない場所まで走りたくもなりますよ。 でも彼は走ることをやめニュースに耳を傾け、もう一度立ち向かうことを選ぶ。 そこには、計算に計算を重ねた機械以上に精密かつ力強く動き、限界に挑み超えていける人間の姿がある。 それは“あの日”に関わった人々へのエールだけでなく、イーストウッドが尊敬するハワード・ホークスやウィリアム・A・ウェルマンといった飛行機乗りだった映画監督たちへの思いも込められているのではないだろうか。人間の可能性を見つめ続けた先人たちへの。 エンドロールまで讃えに讃えまくって笑顔で締めくくるのだから、まったくまいっちまうよ。 [映画館(字幕)] 9点(2016-11-08 00:28:41)(良:1票) |
38. 幌馬車(1950)
《ネタバレ》 赤狩り(レッド・パージ)の嵐が吹き荒れた時代に反撥を示したジョン・フォードによる、自由を求めてひたすら大陸を旅する開拓劇。 初っ端から銃撃に始まり銃撃に終わる映画だが、とにかく地味で、のんびりゆったり、とにかく平和。音楽も旅人たちを称える歌が流れるくらいだ。 ジェームズ・クルーズの「幌馬車」やラオール・ウォルシュの「ビッグ・トレイル」のように吹雪を乗り越えたり、異文明との衝突もない。だが面白い。 強盗団が店に押し入っている最中からいきなり始まり、広大な河を渡っていく幌馬車…いや馬、馬、馬の群れ。馬の売買を生業にする牧童(カウボーイ)コンビとモルモン教徒たちの出会い。予告される彼等と強盗団たちの遭遇・何時出遭ってしまうのか分からない緊張。 保安官には口笛で暴走するような馬を売りつけたりする牧童たちだが、頼まれ引き受けた依頼は最後までやり遂げるプロフェッショナルだった。コラル(馬を囲う柵)の中でいななく馬たちを背にし、ナイフで木を削り話をまともに聞いていたのかも分からなかった二人がだ。 角笛のユニークな響きと共に出発し延々と連なる幌馬車隊を眺めているだけでも面白いが、ユーモア溢れるやり取りが程よく挿入され退屈しない。 芸人一座(三人)との出会い、何も言わずフラつく御婦人を支えに行くハリー・ケリーJr.の紳士振り、拾った酒瓶をはたき落しブッ倒れる気丈な女性、ほとんど喋らない赤毛の女性(是非ともカラーで見たかった)、尻を付き合い取っ組み合う喧嘩、水を勢いよくぶちまけ馬と観客をビックリさせる色っぽい場面、水場があると分かり銃声の音で猛烈に雪崩れ込む幌馬車の轟音、鞍を外して馬ごとつかる水浴び、罵声を浴びせても謝罪する馬にも何にでも優しい気遣い。 不穏な空気が流れるのは、モチロン例の強盗団が不意に現れる瞬間からだ。ライフルを構えたまま何時“しでかすか”分からない連中相手でも暖かく歓迎するワード・ボンド。彼は「作り話さ」とモルモン教…いや宗教そのものを小馬鹿にしたようなことも言うが、最後まで幌馬車隊のまとめ役を果たす男だった。 犠牲者を出さないために絶対無理をしない・出来ない、だから雪山も登らない、ナバホ族(自由を奪われた者同士の共鳴)と遭遇しても自ら武器を捨てて言葉を話せる人間を探し出して交渉。仲間たちもそれに応えるために“発見”したものを知らせるべく凄まじい速度で馬を飛ばして(しがみ付いたりして)引き返し、一緒に踊り、“しでかした”やつを車輪に縛り付け鞭を喰らわせ、隠し持った拳銃を受け渡し、インチキ役者とその嫁は勇気を振り絞り危険な岩肌を超える役を買って出たり、撃たれたら一瞬の銃撃戦ですべてを終わらせる。“蛇”がいなくなったら不要なものは投げ捨てててしまえばいい。 また同じような危険に遭遇するかも知れない。だが、男は旅をする仲間たちを信じているからこそ凶器を捨てることが出来るのだろう。 [DVD(字幕)] 9点(2016-11-07 13:42:23)(良:2票) |
39. サリヴァンの旅
《ネタバレ》 メチャクチャ面白かった。フランク・キャプラ「或る夜の出来事」にも通じるロードムービー、コメディ。 本をめくるように始まる物語、いきなり煙を吹き出しながら突っ走る列車と車上での格闘、連結部分で揉み合い、拳銃を撃ちまくり、口から溢れ出る血、締められる首、橋の上から投げだされる身体…を試写室で見て文句を言う映画監督の御登場。 そうやってこの映画は始まる。 けたたましくまくし立てる口論、ドアが開かれるのは試写の終わり、主人公が出かけるまで延々とくっちゃべり続ける。ズタボロ衣装とベッドの上で電話をかける女性の豪華な衣装の対比がウケる。 旅だってもでっかいキャンピングカー?に乗り込みカメラを抱えてゆっくりじっくり追いかける魂胆の映画人たち。コックまでいるんだからタチが悪い。 そしたら救いの手といわんばかりに車が通りかかり、猛烈なスピードでぶっ飛ばしてハイウェイを駆け抜ける!バスもフルスピードで追跡開始で中はグッチャグチャのしっちゃかめっちゃか、映画人は助手席で揉みくちゃになり、女性はスカートがめくれて下着も丸見え、黒人のコックは天井を突き破り、バイク乗りの警官も泥まみれの鬼の形相で追いかけるカオスなカーチェイス、主人公が乗った車も運転手は子供だわメーターも手描きだわ藁を山ほど積んだ馬車に突っ込んでと、ありとあらゆるものが暴走していく破天荒振り。 ここまでまだ15分である。ディズニーも赤塚不二夫も顔負けのハチャメチャ。こりゃあジョン・ラセターもイーストウッドも惚れ込むワケだ。 あれだけムチャクチャな目に遭ってもこりないんだからヤレヤレ。 虫に刺されながらの薪割り、映画館で黙って見れないガキども、食いもんむさぼるオッサン、反応を気にしながら映画を見続けなきゃならない作り手も大変だ。 変なおばさんにはドアの鍵を締められ閉じ込められ、ベッドで誘うように待つBBA、ふとんのシーツをロープがわりに脱出、釘が引き裂くもの、樽の中に落下してずぶ濡れとふんだり蹴ったり。 肖像画のとぼけた顔がまたムカツク。 ヒッチハイク、カフェでの出会い、煙草のやり取り。 出会ったばかりの女性とドライブ、バックミラーに映るもの、投獄され巻き込まれる。 車内電話、豪華な家でプールに突き落とされ、説教たれるやつは引きずり込んでしまえ! ローブ姿のセクシーなヴェロニカ・レイクもいいが、豊かなブロンドを帽子にしまいこみ男装する姿も可愛い。 ブラシで髪をとかし、せっかく着替えたのに今度は執事が…w 労働者たちに交じり一斉に列車に乗り込み、先にいたホーボーたちは気を利かせてか板を掴んで隣の車両に去っていってしまう。 寒い中で身を寄せ合い、敷き藁の匂いでくしゃみを連発、彼女を抱えて降りる。 喫茶店のオッチャンの気遣い、インタビューを中断するように口に体温計を突っ込む医者。 蒸気と透明なカーテンが隠すシャワー中の裸体のエロティックさ。 その後しばらくサイレント映画のように映像だけで語り続ける。この辺から物語はがらりとシリアスになっていくが、散々喋りまくりバカ騒ぎをしてきただけにこういう場面がグッと効いてくる。 貧しい生活の中で生き抜く人々との出会い、寝ようにもノミが体中にたかり、共同シャワー、講談、食事、足の踏み場もないくらい狭い場所で眠る人々。隣の人の手足がぶつかり、気づけば脱がされる襤褸靴。 職を求めて看板を体中に括りつけ、夜の湖畔を二人で歩くロマンチックな場面も。ゴミ箱をめぐる葛藤。 贈り物、下手な施しは災いを誘発し後に続く歩みを生み、待ち伏せ、一撃、奪われるもの、線路に散らばり接近する光とともに消えるもの、血に塗れた名刺。 目覚めた先で喰らう一撃、握りしめてしまう石、視線がおぼつかない裁判、ショットガンを抱え平手打ちを浴びせる保安官、鎖に繋がれた囚人たち。 川沿いで汗と泥にまみれる労働、ポケットに詰め込まれた新聞が知らせるもの、閉じ込められるもの。 教会での上映会、黒人たちの歌声。霧のかかる教会の前を通り過ぎ中に入っていく囚人の群れ、鎖。 消される灯、ミッキーマウスの映画!?一人だけ観客の反応にビックリしていた監督も思わず笑ってしまう。嫌なことは映画を見て忘れてしまおう…今まで抑圧されていた分狂ったように笑う囚人たち。 墓参り、映画に刺激を受け、決意を固め、駆け寄り、帰還を知らせるもの、それを見た瞬間に仕事も忘れて夢中で駆け出し人をぶっ飛ばしながら爆走し、みんな大騒ぎで迎え入れる光景が笑って泣ける。 クライマックスに押し寄せる笑顔、笑顔、笑顔。あまりにの畳みかけにちょっと怖かったが、なぜ映画監督を続けていくのかという理由がこの瞬間に詰め込まれる。 [DVD(字幕)] 9点(2016-11-03 21:39:16)(良:1票) |
40. バウンド(1996)
《ネタバレ》 「マトリックス」はあまり好きじゃないが、この映画は面白かった。 ウォシャウスキー兄弟(姉妹)がねっとり練り上げたネオ・フィルムノワール。 後の作品の様に撮影技術はそれほど盛り込んでいないが、それでも天から事の成り行きを見守るような視点が幾度も挿入され、酒瓶の栓を抜く瞬間に幾つにも増える虚像、スローモーションによって引き延ばされる死…等映像的なこだわりを覗かせる。 クローゼットの中に響く女と男の声、瞳を閉じた女の顔。そこから過去へと飛び、ことの真相を解き明かしていく。 配管工の力仕事を生業にするボーイッシュなコーキー、女として死と隣り合わせの生活を送るヴァイオレット。 コーキーは「女」であることを嫌がるようにジーンズや男ものの下着を身に着け、肉体に刺繍を刻み、工具と汚れにまみれて男らしく振る舞う。殴る時は拳を握りしめて。 ヴァイオレットはスラッと伸びた脚と胸元を強調する「女」とし生きてきた。殴る時も平手打ち。 そんな二人は理由もなく惹かれていく。エレベーターでふと視線があった瞬間から。 脚を眺めるコーキーの視線は野獣のように、ヴァイオレットの腕は誘うようにコーヒーを差し入れ、水道に何かを落とし、相手の手を握る。 二人が抱える大きな闇、壁から聞こえてくる声、声、声。 星の輝きは女を酒場から追い出し、繰り返される電話は線となって二人を結びつける。 二人の仲を邪魔する様に登場してくる野郎どもと血なまぐさい出来事。 ベッドの上と酒場で交わされる女たちの関係、手の動きと二人の愛はもう誰にも止められない。 野郎どもは壁が薄かろうが厚かろうが何だってしちまう連中ばかり。それが二人の決意を固めることになる。 何かを言いたそうな眼差し、車から摘み出されトイレに押し込められ、隣の便器と水に響き渡る暴行、ペンチが落とすもの。 裏切り、共謀、水場に詰め込まれる戦利品、ベッドの上に置かれる覚悟の証、ピアスがこじ開けるもの、カバンに詰め込まれたものが引き起こす怒りと衝動。 二人は恐怖に怯えながらも相棒を信じ続け、ひたすら見守り続け耐える。いつ暴発してもおかしくないマフィアたちを振り回して。 机の上に突き付けられるカバン、鍵、壁に刻まれる穴と死の連続。 模様替えで隠されるもの、染み出てしまうもの、垂れ落ちてしまうもの、タオルが覆うもの、ペンキの中に入れられるもの、部屋中を荒らし泣き崩れる狂気。 わけもなく飛び出し扉を開き乗り込むのは、拳銃突き付けられようが一発ぶん殴ってしまうのは相棒から寄せられた信頼に応えるために。 どんな状況でも不敵な視線を送り続ける男らしさがたまらない。相棒もそれに応えるために風呂場をかき分け、服を整え、誘い出して走り出す! 最後の最後までペンキと血にまみれる命の奪い合い、開かれる扉。 [DVD(字幕)] 9点(2016-10-02 08:07:32) |