21. CURE キュア
《ネタバレ》 CUREとは"解放"。 『羊たちの沈黙』『セブン』の影響は受けているだろうが、遜色のないクオリティ。 二作品と比べるとひたすら静かに長回しで進んでいくのに、どうなっていくのかという吸引力がある。 質問を質問で返す、コミュニケーションが成り立たない間宮との会話から次第に彼に取り込まれていく恐ろしさ。 日常の延長線上に突発的な殺人が起こるワンショットの破壊力。 そして精神を病んだ妻との関係で追い詰められている高部の本心もまた、 間宮に付け込まれていくきっかけを生んでしまった。 ただ、今までの加害者と違い、高部には"伝道師"としての素質があった。 間宮は後継者を探していたのだろう。 オンとオフ、どちらが本当の自分なのか? それどころか自分は誰なのか? 自分が守ってきたものは何だったのか? その自我が崩れたとき、高部は全てを放り投げ出したように"空っぽ"になった。 二度描かれるファミレスのシーン。 一度は残した料理を、二度目はきれいに平らげ清々しい表情になっている。 タバコの火を合図にウェイトレスが惨劇を引き起こすことを予見して映画は終わる。 一見、良い顔をした優しい善人だとしても心の中に常にわだかまりを抱えている。 その親切が誰にも伝わらない、見返りが感じられないものだと分かったら… 人はどこまでも孤独で、利己的で、誰かと関わる社会が存在する以上、そこから逃れられない。 エンドロールのピアノがその世界への諦観のように思えた。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-08-17 02:17:54) |
22. 回路
《ネタバレ》 インターネット黎明期だからこそできた映画だろう。 膜に覆われたような不透明感が、ノストラダムスの予言が外れて先の見えない閉塞感が、 大海より広大なインターネット空間とリンクしている。 どこかで誰かと繋がりたい孤独な人たちが次々と開かずの間に吸い寄せられ犠牲になっていく。 だが、霊界は既に死者であふれており、現世で黒い染み=地縛霊として永遠に留まらなければならない絶望が待っている。 そして終盤のポストアポカリプスは、もはやホラーとしてはスケールが大きすぎるが、 ありきたりなホラーからどこまで解体できるか挑戦しているように感じた。 工場からの飛び降り、音で脅かすことに頼らない湿気をまとった不気味な演出は非凡なことは認めるが、 主演男優の棒読みが恐怖を半減させていて、せっかくの題材が勿体ないと感じた。 「行けるところまで行く」。 人として生きていく限り、誰かと繋がりたい。 孤独とコミュニケーションを屈折した角度で撮った視点は『CURE キュア』と一続きなのかもしれない。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-08-17 01:40:13) |
23. ダムネーション/天罰
《ネタバレ》 タル・ベーラのスタイルが確立した記念碑的作品だという。 閉塞感たっぷりのモノクロ映像に、長回しによる横移動の流麗なカメラワークが、 繰り返される滑車の連なり、陰鬱な雨、疲弊した労働者たちの刹那的なダンスと気怠い音楽によって、 観念的で異様な空間に変えていく。 タイトルは直訳すると宗教的な意味合いの「天罰」であり「破滅」を意味する。 台詞にところどころ隠喩が含まれ、生活のために違法な仕事を請け負う夫に、 激しく拒否しながらも惰性的に不倫を続ける人妻、 そして従順すぎる元カノを突き放した過去のある身勝手な主人公と、 抜け出すことのできない負のスパイラルに人は犬畜生と同然なのか。 雨は"洗い流す"という意味合いもあると思ったが、これですら罪を洗い流せないのか。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-08-13 08:33:12) |
24. オリーブの林をぬけて
《ネタバレ》 フィクションとして撮られた『友だちのうちはどこ?』、 大地震を背景にドキュメンタリーとフィクションが同時進行する『そして人生はつづく』、 そして3部作の最後を飾る本作は前作の映画撮影を描いた、メタフィクションに近い構成になっている。 本作は同じシーンが何度も繰り返されるので次第に興味が薄れてしまった。 『そして人生はつづく』で若い夫婦役だった二人だが、実際は夫役の青年は妻役の娘にフラれており、 そのエピソードを一本の映画にしたとのこと。 青年はウザったいくらい必死に彼女を口説くも、そっけない態度で一切無視、 撮影中、何度テイクしても彼女は映画監督の要求にも応えないのであった。 たとえ嘘だとしても好きでもない男に希望を持たせたくないんだろうね。 だったら、どうして映画に出演したのか?になるけど、本心が全く分かることはない。 あのラストのロングショットだってそうだろう。 ただ、自分は結局フラれたと思う。 地震から数年が経ち、ほとんどが都会に引っ越し、取り残された村々。 家を失い今もテント暮らしの者、労働力優先で教育を受けられず識字率の低いイランの現状が色濃く残る。 それでもこの村で生きていくことを決めた人々がいて、 『友だちのうちはどこ?』で主役だった子役の兄弟が再登場したこと、 そしてジグザグ道が出てきたシーンに3部作全て見たからこその感慨深さがあった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-08-13 08:04:24) |
25. 劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re:
《ネタバレ》 テレビアニメ8話分を92分という荒業でまとめた前編とは一転して、 残りの4話分を描いた後編はそこまで駆け足でもなく、日常パートをじっくり描いてから、 クライマックスの学園会の演奏を際立たせる構成を取っている。 結束バンドのメンバーそれぞれの欠点を補いつつ学園祭の演奏を成功させ、 キラキラしたギターヒーローになった大団円で終わるわけでもなく、 いつものライブハウスで演奏してバイトする、ただの日常に戻っていく。 どこか客観的で、どこか醒めている、前編とは違う空気を感じる。 テレビ版のラストを見たとき、ひとりは一つの殻を破ったと解釈できるが、 新規カットであるその先の幼少期のシーンにどこか不安を覚える。 "ぼっち"とさえ呼ばれていなかったあの頃みたいに戻ってしまうのではないかという不安。 成功譚をコミカルに描いた妄想が強ければ強いほどに。 映画としてはなかなか楽しめる作品であるけれど、78分でそこまで思い切った編集があるわけでもなく、 一本の映画として2時間半で一気に描いて欲しかった気持ちはある。 ただ、日常4コマギャグマンガから独立した"青春の翳り"を何倍も増幅させたのはアニメ版ならでは。 [映画館(邦画)] 7点(2024-08-10 00:33:01) |
26. そして人生はつづく
《ネタバレ》 1990年にイラン北西部で起こった大地震。 前作『友だちのうちはどこ?』の舞台になったコケールとポシュテの村も例外ではなく壊滅的な被害を受けた。 主人公役の少年の安否を確かめるべく、キアロスタミ監督とその息子が訪れた実体験を再現したのが本作。 震災から6か月後に撮影されたのもあり、 復興で瓦礫を片付けるシーンや幹線道路の渋滞シーンがセットやCG合成にはない生々しさを映し出し、 劇映画とドキュメンタリーの垣根が曖昧になっていく構成に唸る。 前作にも登場したジグザグ道への郷愁といい、再会した村人との会話が印象に残った。 「地震とは腹をすかせた狼で神の仕業ではない」 「映画は年寄りをもっと年寄りに見せるのが芸術なのかね」 「死んだ人が生き返れば人生を大切に生きるようになるでしょ?」 地震で家族を喪いながらもそれでも家事をこなさないといけないし、いつ死ぬか分からないから結婚を決めたり、 ワールドカップを観るためにテレビのアンテナを立てる。 ドキュメンタリー(現実)ならではの被災者が持つ生命力と、フィクション(虚構)ならではの魔法が詰まっている。 遠方に主人公役の少年を見つけたことを匂わせながら、タンクの男と協力し合って、 ジグザグな急坂をオンボロの自家用車で登っていくロングショットの長回しはまさに「そして人生はつづく」だった。 [インターネット(字幕)] 7点(2024-07-23 21:45:17) |
27. ニトラム/NITRAM
《ネタバレ》 「僕は、僕以外になりたかった」 先天的な軽度の知的障害を持ち、時折、強度行動障害を引き起こす青年の一挙一動に、 当事者・関係者ならではの胃のキリキリ感を思い出す。 衝動的な行為の数々に発達障害も持っていたと思うが、 早い段階で大規模な医療機関で治療を受けていれば症状を低減できた可能性はあれど、 舞台になった'90年代当時、その概念が今ほど定着しておらず、閉鎖的なコミュニティ故に周囲に理解者もいない。 両親は青年の対応の困難さにどこか諦めもあったかもしれない。 同じ孤独を抱えた元女優のヘレンによる無償の愛情によって、ひと時の安らぎを得られたと思うが、 仮に彼の悪ふざけによる交通事故死がなくても、二人の関係はいつか破綻していただろう。 それだけ彼は社会に害悪をなすシステムクラッシャーでありながら、 自分自身を上手く制御できず、一体どうすれば状況をより良く変えられるのかすら分からない。 青年は11歳ほどの知能しかなかったものの、 本名を逆さに読んだニトラムがシラミの卵(NIT)と掛けて軽蔑されていることを知っているし、 無免許ながら車の運転ができるし、単身でハリウッドに旅行することも、ライフル射撃もできる。 外見では分かりづらい"はざまのコドモ"ならではの疎外感が不意に差し込まれる映像美によって残酷に際立つ。 ボタンの掛け違いによる不運が次々に起き、家族とすれ違い、避けられない最悪の結末へ突き進む無常さ。 事件後、オーストラリアで厳しい銃規制が行われたそうだが、銃がなくてもやらかす可能性はあった。 なるべくしてなった事件のニュースの音声を母親は聞いているのだろうか。 上記の不運が重なることがなくても、彼が救われる要素はどこにもなかっただろう。 “ニトラム”という器から逃れられず、そういう存在に生まれてしまった男の悲劇。 では、どうしたら良かったのか、という重い自問自答が続く。 結局、最後は座敷牢に隔離か、現世からの排除なのか… [インターネット(字幕)] 7点(2024-07-12 21:44:52) |
28. ルックバック
《ネタバレ》 私は絵を描いている。 プロでもないし、ただの趣味。 それもオリジナルはほとんど描かず、好きな二次創作をpixivにアップしたり、時々コミケに本を出したり。 とは言え結果は散々で、時折ブクマ100超えれば良い方(稀に4桁ゲットもあったが)。 そういう自慢を聞きたくないのは分かるし、自分が筆を追っても困らないくらい凄い絵描きが大勢いる。 かつて鼻っ柱をへし折られた藤野も同じ心境だっただろう。 絵を描くことは楽しいことばかりではない。 地味で辛いことを続けていく面倒臭さ、上手く描けない苦しさ、 世に出しても報われない悔しさや周囲から置いて行かれていく惨めさ、嫉妬しどう足掻いても埋められない差… それでも敵視していた京本が憧れで自分の背中を追い続けていたこそ、お互いに頑張れて辿り着いた境地があった。 ライバルに褒められた雨の中の嬉しいステップ、共作の漫画が入選し二人一緒に街に出掛けたこと、 感情のこみ上げる表現がラフに近い描き方によりクリアになる。 そのかけがえのない日々が一転、理不尽な暴力によって輝かしい未来を奪われる。 主人公が藤野と京本であることが分かるように、原作者の藤本タツキの実体験が微小ながら多分に投影されており、 あの事件に対する一つのアンサーだろう。 誰もが鳥山明や尾田栄一郎や藤本タツキみたいにキラキラ輝けるとは限らない。 ましてやプロの漫画家やイラストレーターになれる人などほんの一握りの狭き門で、 心が折れて涙を呑んで消えていった無名の人たちは星の数ほどいるだろう。 ただ、自分の可能性と表現したいものを信じて多くの時間を費やし、"フィクション"にひたむきに向き合ったことは、 決して無駄ではないというつもりは毛頭ないが、自分自身しか知らない苦闘は本人が否定しても事実として残る。 成功失敗問わずそれでも描き続ける人、いろんな事情で筆を折った人、再び描き始めて挑もうとする人。 かつての苦しさや辛さや悔しさを振り返り、苦虫を噛み潰しながら、これからの人生を紡いでいく決意。 フィクションで救われた人たちがいたように、それを受容して初めて"大人"になっていくことだと思う。 今やAI生成イラストの登場により、本作みたいな産みの苦しみや面倒臭さや挫折感を味わうことなく、 描けない人ですら一瞬で傑作を生み出し、簡単にバズれるようになり、大量生産が可能になった。 それを駆使する人たちが主流になったとき、 二人が描いた景色に"簡単に"辿り着いたその人たちにはどう見えるのだろうか。 [映画館(邦画)] 9点(2024-07-05 23:41:14)(良:1票) |
29. FALL/フォール
《ネタバレ》 もう二人がやっていることは完全に自業自得。 映画の半分以上は高度600mの狭い足場の二人芝居で展開されるため、 どう展開していくのかが腕の見せ所で、錆びたハシゴの描写に今にも緩みそうなナット、 CG合成だと分かっていてもいつ落ちるか冷や冷やしてしまう。 あの簡素な鉄塔が実在するのかよ、とツッコミどころが少なくないのは確か。 特に通知が届いて助かりましたは分かるが、救出描写の割愛にしろ、 その御都合主義な顛末が本作の希有さを凡庸なものにしてしまった。 ヒロインが生還できたことに対するメッセージを述べたところで何の感慨もなく、 ヤバい誘いをしてくる友達は選びましょうくらいしか言えない。 時折、YouTuberが高所の撮影中に転落死する事故が起きると、 手軽に発信できるネットを想像力が欠如した愚者に使わせるとどうなるか、 警鐘を鳴らす意味でバッドエンドの方が良かったのではないか? 追記:サウスダコタ州に"KVLY-TV塔"という本作のモデルらしい電波塔が実在しており、 メンテナンス作業する姿がYouTubeで投稿されているのでリアルな恐怖を感じたい方は是非。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-06-30 15:08:17) |
30. 友だちのうちはどこ?
《ネタバレ》 主人公の少年が間違って持ってきてしまった友人のノートを返しに行く。 たったそれだけだが、二度ノートを忘れた友人がスリーアウトで退学させられるのだから、 主人公は無事にノートを返せるのか終始不安な表情である。 隣の村に住んでいるのは分かっても電話すらないため詳細は一切分からず、 親族を含めて大人たちは彼の事情なんてお構いなしに自分の都合ばかり押し付けてくる。 祖父のエピソードが象徴するように、 言うことを聞かせるために理不尽な体罰を与える教育方針が当時のイランでは当たり前であり、 ただの労働力として個性を認めない抑圧的な空気が子供たちに影を落としている。 だが本作の製作当時は日本も昭和時代だったはずで昔は良かったと言えども、 体育会系の指導方法によって深刻な問題を引き起こした事案は珍しくなく、 世界中どこも変わらなかったのではないか。 少年は友人の家にとうとう辿り着くことができなかった。 明日の授業で友人の退学が迫る。 追い詰められた彼の最終手段と鮮やかな着地に程良い余韻が光る。 こうやって子供たちはしたたかになっていくのだろう。 [インターネット(字幕)] 7点(2024-06-22 02:38:59) |
31. 蛇の道(2024)
《ネタバレ》 1998年のオリジナル版と筋書きはほぼ同じ。 オリジナル版を難解にさせていた数学教師の設定から精神科医に変更されたことで、 分かり易く洗練された演出で生まれ変わったリメイクのお手本。 主人公を男性から女性に変更した理由。 凄惨な過去で心が壊れた女とその過去から逃げ続けようとする男たちの対比を、 循環性の象徴である"ウロボロスの輪"に例えたのだろう。 何度も読み上げられる娘の死、繰り返される復讐行為が廻りに廻って日常になっていく。 だが、男たちは馴れ馴れしく、常に都合の悪い話をはぐらかそうとする。 女は延々に廻り続ける生き地獄から絶対に逃がさない。 結末における芯の冷え切った台詞の数々がそれを象徴している。 オリジナル版と比べてダミアン・ボナールの影が薄く、 むしろ柴咲演じる主人公の掘り下げが増えたことを考えると合点がいく。 蛇のように低体温でじわじわ嬲っていく主人公の果てしない闇と虚無が視線から発せられるラスト。 全てが終わっても心穏やかに過ごせるわけでもなく、西島演じる患者のような末路を迎えてしまうのか。 復讐という名のウロボロスの輪に囚われ続けなければ生きていく理由を失ってしまうのかもしれない。 見ていて答え合わせしている感じは否めないが、 黒沢清の作風がフランス映画と親和性があり、ヨーロッパで評価されている理由に納得した。 [映画館(字幕)] 7点(2024-06-14 22:44:02) |
32. トラベラー
《ネタバレ》 題名からプロサッカーの国際試合を見に行きたい少年のロードムービーだと思っていたが、 そこまで尺を割いておらず、むしろあの手この手であくどい資金調達を行う悪童のバイタリティには驚かされる。 サッカー狂で後先や周囲のことなどお構いなし、それなのに如何にして一つ一つの問題をクリアしていくのか、 シンプルで淡々とした展開ながらサスペンス調の緊張感を持っていくキアロスタミの手腕の良さを感じられた。 テヘランに辿り着いたのは良いが、チケットは売り切れでダフ屋で資金使い果たすわ、 寝過ごして試合を見逃すわで踏んだり蹴ったり。 欲望のために家族にも仲間にも顔を見せられないレベルでやらかしたのだから、 帰れば体罰どころでは済まないが、そもそも有り金使い果たした彼は帰れるのか? 反面教師的なメッセージはあれど、瑞々しさと迸るエネルギーに説教臭くないバランス感覚があり、 律儀で大人しくなった現代日本から見るとその逞しさに羨ましさはある。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-06-10 22:42:08) |
33. 劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:
TVシリーズは視聴済みでこちらが日常系ギャグアニメなら、 劇場総集編はひとりの成長譚とバンド結成の青春物語としての側面を強く押し出している。 ただのTVシリーズの総集編として描くことはせず、 オリジナルの8話分の内容を92分でコンパクトに収めてしまったのだから、 テンポ重視で潔くバッサリ編集してキチンと「映画」として仕上げていた。 自分が気付かないだけで地味に新規カットは多数含まれているだろう。 映画ではあえて描かないことによって登場人物の背景に深みを持たせており、 劇場版が初見の人には逆にTVアニメを見たくなる仕組み。 ひとりに焦点を当てている分、青山吉能の超絶技巧による奇人変人ワンマンショーが一層際立つ。 唯一の取り柄を持った欠点だらけの日陰者にスポットライトを当て、 Z世代ならではのドライな空気をほのかに感じさせる、新たな切り口の音楽映画だ。 [映画館(邦画)] 7点(2024-06-07 21:33:27) |
34. 蛇の道(1998)
《ネタバレ》 セルフリメイク公開記念でYouTubeで期間限定配信されていた。 劇場公開されたもののすぐにVHS化して、Vシネマ(=低予算の極道もの主体)のイメージが強いようだが、 黒沢清の無機質で不条理あふれる世界によって異色の作品になっている。 何せ主要登場人物の背景が台詞でぼんやり明らかになるくらいで、 幾何学的な数式を教える新島の元には何故か幼い少女から高齢者まで集まっている不可解さ。 何度も繰り返され反復される、殺された娘の死因を述べる死亡報告書はただのルーティンに変わり、 静かに不安を煽る演出は杞憂に、行方知れずの男の居場所を淀みなく突き止める破綻した展開も、 まるでストーリーを何度も繰り返して知っているかのように。 娘を殺された宮下は被害者遺族であるのだが言動にどこか違和感があり、 裏社会と繋がりがあること、そして新島の教え子である少女への眼差しに、宮下もそういう"嗜好"だったのだろう。 新島にとってスナッフビデオに関わっていた宮下も、自身の娘の敵討ちの一人。 実の娘のスナッフビデオを見せられる地獄は彼にとって奥底に否定しがたい性的対象だったはずだ。 そこから場面が一転して、新島と宮下の出会いが再度描かれて映画は終わる(微妙に台詞が違う)。 もしかしたらそれぞれの理想のシナリオを求めて、ループしているのではないかと言わんばかりに。 '90年代後半はセカイ系やメタ要素が幾分流行っており、捻りに捻ってモヤっとした感がある。 26年経った現在の価値観で如何にリメイクとして調理していくか、黒沢清の手腕を見届けたい。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-06-05 22:41:25) |
35. ドリームプラン
《ネタバレ》 2年前に作品情報を新規登録しておきながら、ようやく重い腰を上げてレビューすることになった。 邦題を見れば白人のスポーツだったテニスの歴史に風穴を開け、 アメリカンドリームを掴んだウィリアムズ姉妹のドラマとして見ると淡々としすぎて物足りなさを感じる。 ただ、原題の"KING RICHARD"、つまり姉妹を育てた"暴君リチャード"の物語として 成功に至るまでのある種の歪みが本作の主題だろう。 姉妹が成功するのは既に分かっている。 それまでは彼の独り善がりで妄執に近い態度に誰もが関わりたくないと思ったはずだ。 常に綱渡りで彼のようなプランを作っても99%は成功しないだろう。 ただ、娘たちが貧困とドラッグに墜ちていく負の連鎖を断ち切るためであり、 日本以上に格差も差別も大きいアメリカの病みがある。 格差是正を訴えるより、自己責任で力づくで這い上がるしかなかった時代。 オファーを持ちかけられても安易に契約しない、性悪説で誰も信用できないのは弱肉強食のアメリカならでは。 時代を、人生を変えるには常に"正しい狂気"が必要だった。 その"正しい狂気"と言っても、最後は謙虚さが、聞く力が必要だ。 「試合に出たい」と練習し続けていたビーナスの声をついにリチャードは受け入れ、 どんな結末だろうとビーナスは試合に負けても勝負に勝った。 目論見通りなら、今までゲットーに生きていた黒人たちに光を与えたという意味で大きな一歩とも言える。 家父長制等、今でなら問題だらけの価値観に文句はあるかもしれないが、結果的に歴史を変えたのは事実だ。 ウィル・スミスはアカデミー賞授賞式でのひと悶着はあれど彼以外に考えられなかった。 ただ、彼のキャリアでのベストではなく、将来、より相応しい映画、役柄はあったと思う。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-05-31 23:59:52) |
36. 関心領域
《ネタバレ》 「私たちはシステムに組み込まれている」。 その枠組みの中で劇的な展開が起こることのないホームドラマ。 主要人物がアウシュヴィッツ強制収容所の所長の家族であることを除けば。 『2001年宇宙の旅』を彷彿とさせるBGMのみのオープニングで"音を観る映画"だと認識させる。 一枚一枚完成度の高い、硬質でスタイリッシュなショットの数々は不純物を取り除いた無機質さであふれ、 今まで排除されてきた不純物が遠くから見え隠れする。 それが壁一枚隔てた収容所の黒い煙であり、悲鳴であり、銃声であり、 川に流れ込んだ遺灰であり、日常に溶け込んでいる。 そんな生活を送っている家族は何を思って日々を過ごしていたのか。 現在そのレビューを書いている自分にも同じことが言える。 ウクライナとガザ侵攻のニュースが対岸の火事として日々流されている裏で、 日常化したアジアや中東やアフリカや中南米の紛争・内乱について現在ほとんど触れることはない。 それだけでなく、日本でも見て見ぬふりしている問題が点在している。 100円台で提供される菓子パンの裏で、 激務の果てにベルトコンベアに巻き込まれて従業員が死亡したパン工場での事故。 ペットブームの裏で人間の身勝手で捨てられ、殺処分される愛玩動物。 セーフティーネットから取りこぼされ、命を落としていく社会的弱者。 私たちはその問題を知っている。 だが、「何もしてあげられない」。 こちらにだって社会的立場があり、生活がかかっている。 きっと80年前の所長の家族も同じだろう。 オスカー・シンドラーのように人道のために踏み出せる人などたかが知れている。 かつてジャミロクワイのPVを手掛け一躍その名を知られたジョナサン・グレイザー監督はユダヤ人の血を引く。 アカデミー賞受賞時にイスラエルのガザ侵攻を非難したが、 ハリウッドの多くを占める同胞のユダヤ系映画人は彼のスピーチに一斉に猛抗議した。 「アウシュヴィッツで起きたことと、ガザで起きていることは全く別物だ」。 自分たちが恩恵を受けてきたシステムに背くことは今まで築き上げた所有物を犠牲にする覚悟である。 大量虐殺可能なガス室の建設が決まり、 「人としておぞましいこと」を自覚しているのかは知らないが、誰もいない通路で所長は独り嘔吐しかける。 それは最後に残された彼の"人間性"か。 博物館として現代の収容所に積み上げられた虐殺の痕跡を前にルーティンワークとして淡々と掃除するスタッフたち。 ニーチェ曰く、「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」。 80年後の世界を見つめる彼には裕福な生活を、愛する家族を守らなければならない。 異常さに耐え切れず、手紙を置いて密かに邸宅を出て行った所長の妻の母親が帰宅後に意識を切り替えるが如く、 自分もまた、悲鳴だらけのエンドロールから“普通の日常生活“へと取り繕うだろう。 「私たちはシステムに組み込まれている」。 [映画館(字幕)] 7点(2024-05-24 22:30:17) |
37. ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉
《ネタバレ》 「なぜ走るのか?」 その宿命を背負った少女たちが勝つための本能を剥き出しにした精巧な表情を浮かべ、 挫折、苦悩、絶望に足を引きずられながらも己の限界を超えて、目の前のゴールへ突き進む108分。 パースを駆使した粗削りな作画とダイナミックなカメラワークは臨場感にあふれ、王道の展開に高揚する。 そこには情熱と泥臭さと狂気があった。 あえて言えば、最後のレースシーンはもっと引っ張っても良かった気がする。 原作ゲームアプリをプレイしなくても、元ネタの競走馬を知らなくても十分楽しめる。 ただ、最低でもアニメシリーズも含めて押さえておくと本作品への思い入れは一層違ってくるだろう。 [映画館(邦画)] 8点(2024-05-24 22:23:28) |
38. 生きる LIVING
《ネタバレ》 オリジナルは鑑賞済。 忠実なリメイクになっているものの洗練された造りになっており、 主人公と元同僚の若い娘との絡みはオリジナルと比べてくどくなくて良かった。 これはお国柄の違いだろうし、スタイリッシュな出で立ちのビル・ナイを起用したキャスティングの勝利だと言える。 葬儀後のグダグダな展開はバッサリ削り、上手く場面転換をしながら綺麗に"THE END"へと着地していく。 オリジナルのお役所体質への批判は最低限に留め、新人職員と若い娘の見せ場を増やして、 普遍的で誰にでも見易いヒューマンドラマに仕上げていた。 当然、オリジナルの凄みには及ばないかもしれないが、コンパクトにまとめたリメイク版を推す。 [インターネット(字幕)] 7点(2024-05-15 21:56:01) |
39. 鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
《ネタバレ》 救いはない。 いや、この村には"死こそ救い"というべきだろうか。 弱者を搾取して支配し続ける社会はいつの時代も変わりはない。 それでも歪んだシステムに蹴りを入れて、新たな世代に希望を見せないといけない。 "ブロマンス"という男同士の特別な繋がり(≠同性愛)という概念があり、 2022年が『RRR』なら、2023年は『ゲゲゲの謎』がその象徴とも言えよう。 太平洋戦争の徴兵で上層部からの理不尽を目の当たりにした水木は、 誰も信用せず、強者に這い上がろうとする野心に満ち溢れた男。 だが、ミステリアスなゲゲ郎(=鬼太郎の父)の言動、哭倉村での数々の怪奇現象、 龍賀家の常軌を逸した因習によって自身の価値観を変容していく。 そこから熱いバディものに変化していくが、二人がそれほど暴れなくて物足りなさが残る。 胸糞悪い、ビターな展開がダメではなくて、そこからのカタルシスが弱い。 水木は哭倉村での記憶を消され、ゲゲ郎は呪いの依り代になって醜くなれ果て、 被害者でもあり加害者でもある沙代は無残に死に、何の落ち度もない時弥は時貞に肉体を奪われる。 幽霊族も外から拉致された一般庶民も製薬の材料として利用され、誰一人として救われない。 だが、弱者を顧みず、欲望の赴くままに食い物にしてきた外道にはいつかツケを支払わないといけない。 そうやって世の中は少しずつ変化してきた。 舞台から70年後の現代、ちょっとはマシな世の中になっただろうか? 完全オリジナルストーリーでありながら原点である『墓場鬼太郎』に繋がる構成といい、 スタッフの鬼太郎へのリスペクトが大いに感じられた。 原作そのままだと水木は散々な扱いを受けるようだがそこは一切描かず、 その後を視聴者に委ねるあたり優しさはある。 歪んだシステムに抵抗した登場人物たちが少しは報われて欲しいと願ってやまない。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-04-30 23:49:20) |
40. ゴーストバスターズ/アフターライフ
評判芳しくないものの、そもそも一作目自体そこまで思い入れも記憶もないため、 "継承"というテーマとして見るなら案外悪くない。 孫娘が祖父の意思を継ぎ、オリジナルを撮ったアイヴァン・ライトマンが息子にメガホンを託す。 これほど胸躍ることはない。 '80年代の明るいノリを40年近く経った現代に再現させるのは難しいだろうし、 父親と違って人間ドラマを得意とするジェイソン・ライトマンの作風からすると、 こうなるのは大体予想通りというか。 家族のわだかまりを解く終盤の展開は分かっていながらもたいへんエモーショナルであった。 温故知新を体現した映画だったかと。 続編はかつて一作目を見たときのように勢いが落ちそうなので見ないかもしれない。 「新章がこれから」という期待感がこのシリーズには似合うと思うから。 [地上波(字幕)] 7点(2024-04-08 23:19:00)(良:1票) |