381. ギャング・オブ・ニューヨーク
パッケには「ラブストーリー」って書いてあったから観たの。 3点(2004-02-04 02:04:13) |
382. エンター・ザ・ボイド
《ネタバレ》 なんだよノエ、長いこと待たせておいて、何やってたかと思ったら、こんなもん撮ってやがって。 まず映像がPOV、死んだ後もPOVなものだから視界が当然限られてくるわけで、しかも視線が真下に固定、こんな撮影でノエのやりたかったことが本当に撮れているのだろうか。 たぶんだけど、ノエがラブホテルに(当然男と)いった時に、隣はどうなってるんだろうって思いをはせたのがこの映画の志だと思う。 ちょっと昔のノエならば、あの中絶のシーンも天井から見下ろすんじゃなくて、モザイクなしにめっちゃ目の前で凝視する撮り方してたろうに。甘い! とはいえ、オープニングとエンディングの強烈な文字の明滅はノエっぽくてよい。 [映画館(字幕)] 2点(2010-05-31 21:04:58) |
383. ア・ダーティ・シェイム(2004)
醜悪。 [DVD(字幕)] 2点(2009-01-06 01:01:00) |
384. 仏陀再誕
《ネタバレ》 空の太陽、最後めっちゃ怒ってるけど。 詳しい批評は拙ブログにて。 [映画館(邦画)] 1点(2009-11-03 19:49:54) |
385. グロテスク(2008)
《ネタバレ》 まったくおもしろくない。グロくない。犯人にカリスマ性やある種の憧れは一切抱けず、中途半端な憤りしか覚えない。被害者ぜんぜん痛そうじゃない。威風堂々も浮いている。唯一の救いは上映時間が短いこと。私は白石監督『ノロイ』が好きなので期待したのだけれども、しょせん。 [DVD(邦画)] 1点(2009-09-08 20:44:45) |
386. 新・八仙飯店之人肉饅頭
《ネタバレ》 酷い話ではあるのだが、これはいかん。 あのはげた爺さんが生理的にうけつけない。 なら借りて見るなって、自分にいってやりたい。 [DVD(字幕)] 1点(2007-03-25 00:56:25) |
387. 東京・オブ・ザ・デッド 3日
《ネタバレ》 とりあえずあの双子は脱ぐべきだ。 [DVD(邦画)] 1点(2006-11-08 13:48:44) |
388. ノロイエ-報道捜査最前線より-
シベ超の再来かと思われる最悪の演技と、矛盾だらけの設定。とにかくへたくそでリアリティが無い。つまりなんにも怖くないし、少しも不可思議さが表現できていない。 でも、カルト映画の素質は十分にあるので、シベ超好きなら是非お勧めしたいです。 はっきりいってくそ映画です。 [DVD(字幕)] 1点(2005-11-08 22:59:46) |
389. デビルマン
映画からやる気が感じられないのは「結果」であって、こうなってしまったのには理由があるはずである。監督が亡くなられてしまったからその真実を知る者はいないが、この映画をこのような結果に至らしめた原因は、言うまでもなく監督の「演出意図」である。監督は役者達に対し封建的に演技論を与え、それ以外を認めなかった。その演技論とは“ローテンションで淡々と感情を押し殺し、そうやってデーモンを作り出し、映画全体を重い空気にする”という妥協を許さないもの。その理想は完璧で、監督はその通りに作るしかデビルマンの実写化は成功し得ないと確信していた。しかし、その演出意図を役者やCG製作者に十分に伝え切れなかったのである。むしろ映画初心者の主演者達には難しすぎて、イメージが沸かず、監督の演技を追いかけるしかなかった。だからカツゼツが悪くても、カメラ目線でも、だらしなくまばたきしてても、それが彼らの精一杯の監督の演出意図の表現だった。へたくそなのは仕方ない。それはまるで右利きの人に左でごはんを食えと命じた時のように不器用になるのと同じように、演技論が全く違う事をやらされたんだから。暗中模索の様子がありありと見える。彼らに「ウォーターボーイズ」みたいな映画をやらせれば、きっと水を得た魚のように輝くのではないか。それでも文句言わず、映画を完成させた彼らには敬意を持つ。なのに極限のバッシングをうけた役者達が哀れである。CGについても、監督の目の届かないところで作業が進んでしまっていたようにとれる。出来上がってから演出を加えようとしてももう遅いし、やり直してとも言いづらい。ようは監督の責任。監督が作りたかった世界を監督がチームに説明できず、誤解の上経験不足が重なり、それでも頑張って映画を創り終えたときには、我々お客さんには「やる気が感じられない」という「結果」になってしまったのである。これは映画制作で起こった悲しい物語なのだ。 ・・・そう思わないとこの有事の事態(デビルマン)に対するやり場の無い怒りを処理できない。 [DVD(字幕)] 1点(2005-05-05 00:44:58)(良:3票) |
390. 女子高生チェーンソー
《ネタバレ》 えっとね、ラストに「なんて無意味で凄惨な事件だったの!?」ってセリフを吐いて映画を終わらせてたでしょ。あのね、そういうのはね、観ているお客様が考えることなの、あなたたちは難しいこと考えずにただ事件に翻弄されていればいいの。そうやってかってに答えを見せるバカ演出を『観客の想像を殺す』っていうんだよ、聞いたことあるでしょ?ていうかさ、そんなセリフ言っちゃうとさ、自分らの映画が「無意味で凄惨」てことになるんだよ、違う? 1点(2004-09-15 01:42:19) |
391. 大河の一滴
邦画のつまらなさのシンボル的作品 1点(2004-04-14 21:30:48) |
392. CUBE2
一作目が、いかに偉大であるかがよくわかります。 1点(2003-12-12 10:13:58) |
393. ファニーゲーム U.S.A.
《ネタバレ》 まあ、まずは誉めよう。要は「暴力を描くことによって、暴力を批判する」みたいなことを監督は言いたいのであろう。監督の怒りの対象はハリウッド映画とかなのか。てことは、この映画のバイオレンスは我々観客に対してではなく、そういった現在の映画文化に対するクーデターである。つまり我々の前に立ち強力な武器で敵をなぎ倒していく心強い味方ってことだ。(唯ひとつ、我々観客に対して向けられたバイオレンスは「母がライフルで仕返ししたとき」のみ。まあ、まきもどしされるけども。) だとしたら、では監督は我々後ろにいる観客に何を言っているのだろう。リメイクしてまで何を言いたかったんだ。安易に知らない人を家に上げるなってことか?だとしたらまったく伝わってこない。これは映画作家として向いていないということだ。へたくそ。 もしかしたら、ただ単純にわれわれの神経を逆撫でしたかっただけなのか。だとしたら上手い。見事にわれわれの心は穢された。 どちらにしてもこれは覚悟しないとリアルに傷ついてしまう映画だと思うので、要注意。ていうかこんなもん見るな。0点だ0点! [映画館(字幕)] 0点(2008-12-31 04:12:37)(良:1票) |
394. 黄泉がえり
これはXファイルでしょ。ヒューマニティーを出したかったら科学的分析するな。破綻しちゃうよ。つじつまあわせでひっしです。5分くらいのエピソードそれぞれはぼろぼろなけますがだからいいえいがなのか?RUIは歌いすぎで、だんだんとプロモーションビデオになってゆき、最後のくさなぎの台詞「RUIの歌の歌詞にこのようなものがある云々・・・」で駄目押しのPR。ラストは「CDかってねー!」というメッセージしか受け取れなかった。さめる。これが邦画。はぁ 0点(2004-02-03 16:48:56)(笑:1票) |
395. ハリー・ポッターと賢者の石
全世界のハリポタ読者は、文字を追いながらこの不思議な世界をハラハラドキドキしながら自分の想像力で創造していき、そのなかで、ほうきにまたがって飛び廻ったり、巨大なモンスターに追いかけられたり、ホグワーツの生徒たちと友達になったりしているんだろう。読書は独り。読者の想像した世界はその人にしか見えず、その世界は、それこそ映画のような夢に溢れるところ。どのような世界を創ったって良い。それが楽しくて、みんな本を買って読んでいるんでしょう。ハリポタは世界中で売れました。それを見て、映画にしたら売れるなぁって思った人がいたんでしょう。おかねをかけてついにスクリーンに本の内容が立ち上がりました。そこではいままで読者の中にしかいなかった人やモンスターたちが、最新のCG技術で鮮明に描かれています。ハリポタが好きで映画を観たら、自分の中に他人の価値観がなだれ込んできて、今まで描いてきた自分のハリポタの世界にCGという大量破壊兵器によって破壊的に侵攻され、観客に等しく与えられている想像の自由権が無効になりました。映画がすばらしければそれは構わないと思います。(すばらしい映画は侵攻なんかせず、自ら平和的友好を結ぶもんです。)しかしハリポタは違いました。かっこ悪い撮影現場が容易に想像されるクィディッチとか、リアルすぎるモンスターとか、駅の柱のなかに飛び込むのとか、本からスクリーンへの無理な翻訳は苦しい。なんていうか、映画製作者の映画への愛が少しも感じられなかった。こいつら映画を好きなのかしら。ぶっちゃけ興収しか興味ないんじゃない?だからハリポタに手をつけたんじゃない?。てかこの映画から伝わってきたことはそれだけでした。だから0点。 0点(2003-12-26 20:08:48)(笑:1票) (良:1票) |
396. アレックス
《ネタバレ》 さかQさんのレビューで『前半で原型を留めないほど消火器で殴打されたヌリア(犯人)が実はまったく別の人でそのそばでほくそえんでいた本人こそがヌリアだと判明したときはもう余りの衝撃で脱力しました。』を知ったとき、僕も脱力しました。復讐できたことがこの映画を観てしまったぼくの唯一の救いだったのですが、それも砕けてしまいました。観てからもう3ヶ月くらい経ちますが、いまだに凹んでいます。どうして観た人をボロボロに傷つける映画作りをするのでしょうか。そうまでしてirreversible【逆転できない】を表現してなんになるのでしょうか。監督が最近こんな被害にあったのでしょうか。せめて復讐を成就させてあげてもいいじゃないですか。やり場のない憤りですな。ただ、メメント型はこの映画にはぴったりの方法です。とても効果的でした。ラストシーン(メメント型だから、映画の世界ではオープニング)が、中盤で傷ついた心にひりひりと染み込んできて、結局、レイプシーンもリベンジシーンも、このラストシーンを飾るための駒となります。そのラストシーンというのは緑の芝の上で読書でくつろぎ横たわる単なる普段のアレックス!しかもBGMはベートーベンの第7の2!・・・なんというか、どうしようもなく辛いです。点数の分布が両極化してるのもこの映画らしいと思います。 0点(2003-12-12 12:37:25) |