401. オール・ザ・キングスメン(1949)
《ネタバレ》 アメリカという国は、何度も何度も「民主主義とは何ぞや」と問い返していて、それに敬服。ソ連は共産革命の賛歌を歌うのにばかり熱心で、同じような試行錯誤をやらなかった。本作は『スミス都へ行く』の、もう一つの結末という感じがする。ああ真っ直ぐに歌い上げられないから、映画としての満足感は劣るが、立派な作品です。いかにもアメリカ南部の農民という顔、アメリカの純朴そのものである顔が、そのままゴリゴリの保守主義者の顔でもある、ということ。後半の群衆の恐ろしさは、映画ならではのもので、あれも『スミス』の裏返しのようにつながっている。テロリズムに共感を寄せてしまうような結末で、考えてみればちょっと怖いんだけども。 [映画館(字幕)] 7点(2013-02-08 10:05:17) |
402. 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流
違う国・違う時代で「かっこいい」とされている姿を、映画では目の当たりに見ることが出来、「世界は時空を超えて分かりあえるんだ」と感動することもあるが、同じ国のちょっと前の映画でも、「分からない」と頭を悩ますこともある。この錦ちゃん、分からない。どうやら「颯爽」がモチーフらしく、白ずくめで二刀流構えた姿はなんとなく「かっこいい」をやってるんだな、とは思えるが、その前に笑ってしまう。ごめん。60年ごろに「かっこいい」の断層があるんだろうか、役柄の問題だろうか。こういうヒーローはもう現代では無理だろう。とりわけ武器商人の娘の西洋レディと一緒の場になると、日本の時代劇ヒーローの演歌歌手的たたずまいの奇妙さが突出する。ま、彼女のほうもフラメンコ踊って映画のリズムを狂わせてて、どっちもどっちなんだけど。そう言えば、こういうリズムが狂う感じって加藤作品ではけっこう出会う。熊虎親分が馬車を走らせるシーンが唐突に西部劇だったのは『花札勝負』だったっけ? 傑作と言える作品でも、どこかにサインのようにリズムの狂いを感じさせる場を残す監督ではあった。 [CS・衛星(邦画)] 4点(2013-02-07 09:55:47)(良:1票) |
403. 心の旅
脳障害の記憶喪失から立ち直っていく話。未知の人たちをいかにファミリーとして受け入れていくか、ってところが眼目と思ってたら、仕事人間が真人間になるストーリーで、やや興ざめ。病院から退院するのを怖がるヘンリー。親の決めた知らない家へ嫁がされる花嫁のようなH・フォード。この人もともと何かに怯えているような感じがあるから自然。字も読めなくなってる。字の読めない者にとっての街の風景なんてもっと展開できたのでは。自分の過去もだんだん分かってくる怖さと面倒くささ。その面倒くささを振り捨てて再出発するとなると、その基盤はファミリーなんだな。シナリオのJ・エイブラムスは当時23歳だったそうで、基本の伏線の張り方なんかを、一生懸命型通りにやっている。ジュースをこぼすとか、犬のお座りとか。妻のA・ベニングは好きなんだけど、これはちょっとテレビ的だったかな。 [映画館(字幕)] 6点(2013-02-06 09:59:16) |
404. 北北西に進路を取れ
《ネタバレ》 007シリーズはいかに本作に負ってるものが多いことか。列車・飛行機からの襲撃・謎の女・女中…。ただこちらはあくまで「退屈な男」が巻き込まれていること。それと悪玉にも心があって、女をめぐる嫉妬があったりする。つまりこちらは最後は愛国心ではなく恋愛なの。退屈な男という設定のユーモアが、冒険に継ぐ冒険を対象化し、映画を外から微笑んで見ているようなゆとりが生まれた。絵葉書になるような名所で何かをやらかしたい、という姿勢はヒッチコックの基本で、かつては自由の女神あり、『めまい』はサンフランシスコの観光案内でもあった。本作では国連ビルからラシュモアまで行く。その一方に無名にトウモロコシ畑を本作最大の見せ場として置いた。うまいのは、まず飛行機が奥を横に飛んでるシーンがあって「これは背景なんだ」と思わせてるとこで、それが無作法にも、こっちに・スクリーンから垂直に向かってくるから観客はショックを受けるわけ。これは『裏窓』での、背景と刷り込まれてたアパートへG・ケリーが、やはりスクリーンに垂直な運動で入っていくショックと同じだろう。 [映画館(字幕)] 8点(2013-02-05 10:22:25)(良:1票) |
405. マイ・バック・ページ
たぶん本筋は、時代に参加できない傍観者の役割りを担ったジャーナリスト妻夫木君の苦衷と思うけど(安田砦の攻防を安全地帯から黙って見てただけだったのがトラウマになってる)、人物として興味湧くのは、変なヒロイズムに酔ってるケンイチ君の方だ。けっきょくこっちも時代に参加したくて、というかそれだけしかなくて、ただの犯罪者になってしまう。彼が「記事が出れば本物になれるんだ」と、それだけにすがるところがけっこう迫った。ジャーナリズム=世間に規定してもらって、やっと偽者でならなくなれる、と信じている。彼の愚かさは、この時代だけのものではないだろう。かえって今のほうが強くなっているかもしれない。引っかかったのは途中の粛清シーンで、あれが浮いてて、あとにフォローもない(なんか見落としてたのかなあ)。あれで自衛官殺しにつなげたかったのかとも思えたが、逆に全体のリズムを損なった。自衛官殺しは、まるでサークル活動だった組織が本物たらんと妄想を空回りさせた果ての「必然の事故」として起こったのでは。 [DVD(邦画)] 6点(2013-02-04 10:01:48) |
406. 不死鳥
前作『結婚』で、田中・上原コンビでヒットさせたので会社から同じようなのを、と依頼されて作ったどうということもない作品だが、上原の都合がつかなかったため新人佐田啓二の抜擢デビューとなった。相変わらず家の重さが描かれる。この人は家族主義の人と言われるが、それは核家族で、家長的な重みには嫌悪を隠さない。父的な家ではなく母的な家が、この人の理想。二人が出会うところを、一切のセリフ抜きでエピソードの羅列で描くのが、彼の凝るところ。電車のなか、雪の本屋の忘れ物、カルタとり、ドライヴ、出征見送り、など。どちらもいい家の人なの。庶民の作家とよく言われるが、モボとしてブルジョワ的なものへの憧れもあったよう。それとも敗戦直後の観客の趣味か。冒頭タイトル部分が欠落。 [映画館(邦画)] 6点(2013-02-03 09:44:14) |
407. 結婚記念日
結婚16年目の夫婦のショッピングモールでの一日の物語(アレンは脚本も監督もタッチせず、出てるだけ)。喜怒哀楽の揺れに無理がなかったか。自分が浮気してても妻ってものはああ居丈高に怒れるものか、というか、ああ居丈高に怒ったあとで告白できるものか。コントと思えばいい話なのかも知れないが、だとすると演出がまずい。ベット・ミドラーがいささか臭く、さらに後ろを白塗りのピエロがウロチョロするのも不愉快だった。クリスマス音楽と世界巡りが背景の趣向。日本のスシで始まって、メキシコ、イタリアン、このときバックに3拍子のアマルコルドのテーマが流れた。 [映画館(字幕)] 5点(2013-02-02 10:41:15) |
408. 婚前特急
《ネタバレ》 無礼だった田無君(浜野謙太)を懲らしめてやろうという計画が進んだ結果、一室に四人が集まる状況になり、突然貧者のプロポーズの場と化して過剰にロマンチックな空気が満ち、さらに他の三人が百人一首で話が盛り上がれば、チエちゃんは面白くないを通り越し敗北感深まり、唐突に田無君にキスして脱走する。ここらへんのリズム感、いい。この性格の悪いヒロイン(粘土人形投げるのも、字を書くのも堂々と左利き)、それをずっと対象化しつつ、でも突き放さずに描いてきた映画、このシーンでなんか彼女がかわいく見えた。そもそも田無君に「俺たち付き合ってないじゃん」と皮肉でも嫌味でもなくサラッと言われたことがショックだったときから、彼女の敗北は始まっていたんだろう。ほとんどのシーンに吉高由里子がいる映画で、たぶん田無君がらみの土手の場と、警察からの帰りの場のみ、ヒロインを含まない。五人のうち彼だけこの映画の中で特別な地位にあることがそれだけでもうかがえるが、最初っから「メリット=楽」の田無君は魅力的だった(私事になるが、土手で彼が奏したアフリカの民族楽器カリンバは私も持ってて、よくポロンポロンはじく。心落ち着くんだな)。ラストシーンがファーストシーンを裏返してるのもいい趣向だし、最後まで憂い顔の年上の後輩も楽しい。 [DVD(邦画)] 7点(2013-02-01 10:18:54)(良:1票) |
409. ドク・ハリウッド
設定だけ見ると「砂の女」で、ビバリーヒルズを目指した高給取りの医者が田舎に捕まってしまう話。ところが内容はノーテンキな田舎・純朴讃歌で全然棘がない。「田舎=昔」の構図があり、けっきょく保守讃歌なんだ。現代ならではの問題を抱えている現代の田舎に対して失礼であろう、カボチャ祭りで代表させちゃ。祭りにかかっていた映画は『キートン将軍』で、ちょっとこの作品とは合ってなかった気がする。旅立ちの日、みなが見送るパターンね。戻ったらそんな町はなかった、って手もあると思うんだけど。 [映画館(字幕)] 5点(2013-01-31 09:58:25) |
410. エレンディラ
ヒロインは海に憧れ続け、ラストでやっと海のそばにテントを立てるが、また砂漠のほうに逃げていく。この青空が印象的で、海の青より空の青を選んだ、という感じ(青と言えば、初めて体売られたときカーテンを青い魚が過ぎていく。「百年の孤独」に、ずっと雨が降り続いて湿度が上がった室内を、魚が泳ぎ過ぎていくってイメージがあって、好きだった)。マルケスの小説って凄く映像的だと思ってたんだけど、やはりあれ文学なんだな。この映画で一番美しいイメージは祖母の夢語りなんだ。エイが空を飛んでいくような。その瑞々しさに比べると、ガラスの変色など、実際の映像で示されるとかえってイメージがしぼんでしまう。そこだけが特異点として浮き上がってしまう、日常の中の非日常として。全体が溶け合ったものになってくれない。さらに言えば、あの仕掛けはどうなってんのか、などとあらぬことを考えてしまう。これ映像の不利な点ですね。修道院から帰ってくるところがミソか。幸福と懐かしさで、彼女は懐かしさのほうを選んだってこと。 [映画館(字幕)] 7点(2013-01-30 09:57:34) |
411. メル・ブルックス/逆転人生
《ネタバレ》 ドシラソの音形に靴の進行が絡む冒頭。その靴はやがて浮浪者たちに奪われ、しかしラストではその浮浪者たちの行進がドシラソと鳴り響く。金持ちが賭けで30日間スラムで暮らすって趣向。黒人少年のタップを真似たりするギャグが続く。彼が本当は金持ちと知ったときに、浮浪者仲間にもうちょっと否定的なリアクションがあっていいんじゃないか。このころ日本企業がゴッホを大枚で買って話題になってたんでドキッとする場もある。いざりの男をショベルカーに轢かれたと思わせるので笑ったが、きつい笑いではあった。 [映画館(字幕)] 6点(2013-01-29 10:29:29) |
412. 丹下左膳(1958)
《ネタバレ》 戦後の丹下左膳ってのはいっぱいあって、松竹で阪妻、大映で大河内伝次郎、日活で水島道太郎なんてのもある。東映では60年代に錦ちゃんも撮ってるが、その前に大友柳太朗が本作以下5本続いた。本作を見てみようと思ったのは「こけ猿の壷」のそもそもの話はどういうのか、という興味からだったが、どうもこれオールスターキャストの要請でかなり自由に脚色しているようで(原作者はとっくに山中版が作られた年に死んでいる)、途中からその豪華さのほうに目がいった。時代劇のオールスターキャストというと「忠臣蔵」が各社しのぎを削ったが、こういう作品でもやってたのか。次々大きな顔が現われてくるワクワク気分は、なかなかいいものである。女優の役が少ないのがちょっと弱いが、当時のひばりは一人でも大きかったんだろう。最初の金魚籤の場では、琴の合奏のBGMに不思議な効果があった。言語不明瞭ぶりで有名な新旧の左膳役者、大友と客演の大河内が怒鳴り合う場は当然セリフを理解するのが困難だが、やがて嵐のような風も吹き出し、異様な高揚が画面に満ち感動した。エンディングも時代劇の正しいラストシーンという感じで、旅の駕籠、曲がって続く街道、その路上で「とんびピーヒャララ、おかごはエッサカホイ」とのどかに歌う新妻のひばり、それを見送る左膳にお藤の長谷川裕見子(涙をこらえてる)、脇で朗らかに手を振る大河内御大にコソ泥の多々良純、駕籠から実はご落胤だったチョビ安の松島トモ子が振り返れば、見てるこちらも日本晴れだ。(気になって原作「丹下左膳・こけ猿の巻 正・続)を読みかけているが、左膳はよく「大菩薩峠」の机龍之助と並ぶニヒルな剣客と評されてるけど、そう陰々滅々でなく、いかにもモダニズム時代の軽快な文体で綴られ、山中版はけっこう原作の軽みを生かしてたんじゃないか) [CS・衛星(邦画)] 6点(2013-01-28 10:29:19) |
413. 夜の女たち
田中絹代が塀を乗り越えて矯正院から逃げるところが素晴らしい。この監督の粘っこさが、逆に外に広がる田園風景を爽やかに見せる。娘が街で不良にやられるシーンの粘っこさも、見事にいやらしい。男でもいい人はいるんだけどなあ、と文句を言いたくなることが、溝口映画を見てると思うことが多いが、この不良学生なんか表情がはっきりしてないだけに怖い。そして不良娘に身ぐるみ剥がされるところを移動で追っていく。その惨めさの追求の粘っこさ。そもそもの悪の古着屋のたたずまいの暗さも、どこか粘ついたものを持っている。戦後とはこんなにも暗かったのか。戦争が終わったという解放感はなかったのか。溝口にとって女性の被害はずっと継続してたってことか。 [映画館(邦画)] 6点(2013-01-27 10:11:40) |
414. モダン・タイムス
工場でチャップリンはその歯車の一つになろうと懸命に格闘するが、ノイローゼとなった結果意図せずサボタージュ扇動者となってしまう。さらに路上で赤旗振ってると思われ、逮捕される。この時代を政治的にハッキリ描いたメジャーなアメリカ映画は、30年代半ばの段階では少ないのではないか。富の偏りがあり、昼のデパートは金持ちに開放され、夜のデパートはやっと職を得た失業者と泥棒の世界となる。この夜のデパートの解放感がいい。ローラースケートで移動する滑らかさ、それは危険と隣り合わせだが、束の間の開放を味わわせてくれる。昼の工場と夜のデパート、近代が作り上げた二つの場所が対比されていたと思う。デパートのエスカレーターは、工場で主任を運び上げてしまったベルトコンベアーを思わせもするのだけど。本作からチャップリン作品は芸を見せる映画より、時代と戦う「言いたいこと」を言う映画になる。後世の私はそれをちょっと残念だとは思うが、その時代での勇気をこそ称えるべきだろう。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2013-01-26 09:39:56) |
415. 陸軍
ホンネとタテマエの微妙なせめぎあいを得意とする作家にとって、最終的にホンネが前に出てくるか、タテマエを押し通すかということは、さして重要でなかっただろう。そのせめぎあいを描くのが好きなので。子を思うホンネをじっと抑えて公に奉公する姿を美しいとしていた時代、「このようにみな公のために私情を捨てて頑張っているんだなあ、私も耐えねば」というメッセージになっており、反戦映画とまでは言えないだろう。笠智衆演じた人物なぞ、そのまま戦後に描けば青年を死に追いやった否定的人物となるわけで、そこらへん史料として観られる。「男の子は天子様の借り物」というタテマエを、最後はホンネを越えて主人公は肯定せざるを得なかったわけで、それを美しいと捉える視線はあり、システムを批判してはいない。ふと思ったんだけど、長回しが多いのは作家性の要請というより、フィルムを無駄に出来なかった当時の制約もあるのではないか。東野英治郎との頑固者同士のユーモア。真っ先に宮城へ参らなかったと叱る父、教科書を踏んだと叱る母。何も反戦映画だから名作と無理しなくても、タテマエの浸透していた当時の社会の記録としてこそ名作と呼びたい。 [映画館(邦画)] 7点(2013-01-25 10:10:38)(良:1票) |
416. ノスタルジア
《ネタバレ》 『ストーカー』までのタルコフスキーには、ただただ酔いしれたが、これで初めてハテナを感じた。ノスタルジーのテーマと願望のテーマが今ひとつ重なりきってない、って感じ。ドメニコが言った「かつて生命は一つだった」ということへのノスタルジーととれば重なるけどちょっと無理がある。みなが心を合わせて願わないとならない、っていうのは『ストーカー』にも出てきたが、どうなのかな。とにかくこの監督の映像主体の世界に言語の意味の世界が入ってきたような不満がちょっと。ラストの犬はドメニコの犬なのか故郷の犬なのか。犬はこの監督が繰り返し描くモチーフで、寡黙な・じっと耐えてるイメージがあって、鳥や羽根がそれと対照されてるみたい。ラストの趣向はけっきょく『ソラリス』と同じことやってるわけだけど(故郷に帰ったつもりが…)、まあ酔いしれます。音が凄い。水のポチャンチャポンまで冴えて響きながら、一枚幕を隔ててる感じもあって。映像における霧の隔たりと同じ効果。 [映画館(字幕)] 8点(2013-01-24 10:16:04) |
417. バカヤロー!4 YOU!お前のことだよ
二話の潔癖症ものはまあまあだが、どれも話が拡がらないのが辛い。別に社会問題を扱えってんじゃないよ。話が映画のなかだけで閉じて、「それだけ」になってしまってる。観てる客が、映画の世界をパンすると社会に拡がっていってんだろうな、という気分になることが必要だろう。一話の、田舎の罠に落ちる都会もん、って視点はいいんだけど、単にオーナーの性格だけにしちゃってるんで、拡がらない。でこの春風亭小朝が、悪いけど、駄目なんだ。落語家って一人で全体を構成する癖が付いてるから、映画の演技者には向かないんじゃないか。くどくなる。一人ですべての笑いを引き受けちゃおうとし、関係で笑わせることが出来ない。これ、オーナーがもっと善意を振りまかなくちゃ面白くない話だと思う。 [映画館(邦画)] 4点(2013-01-23 09:17:07) |
418. コタンの口笛
こういう差別ものってどういう姿勢とっていいのか難しく、とりわけアイヌ差別なんてほとんど知らないわけで、現状に対してどの程度の「つくり」がなされているか分からない。主人公が完全無欠すぎるような気がした。でも差別が存在するのは間違いなく、無知ゆえの批判をしてしまってはいけない、といささか居心地が悪い。踊りを見せている人たちの苦痛にも触れるべきだったろう。けっきょく全体として「耐える」という方向に収まってしまっていたように思う。進駐軍のヘリコプターの音が入ったり、この監督ではかなり異色作とは言える。ロングショットを撮らせると美しい。道とか夜の校庭とか、特別「自然と交歓してる」という感じでもないんだけど、人が存在することの心細さ、というのかなあ。道が奥に続いていく感じ。音楽はもちろん伊福部さん。ドン、タタ、ドン、タタタって。水野久美がいなくなったままで終わっちゃうのなんか、『稲妻』の姉が行方不明のまま終わっちゃうのを思い出し、成瀬的だと一瞬思ったが、脚色者が違うんだから偶然だろうね。とりあえず山内賢の少年時代に息を呑んでください。 [映画館(邦画)] 6点(2013-01-22 09:58:01) |
419. 愛を殺さないで
《ネタバレ》 『テルマ&ルイーズ』を陽とすれば、これは陰。男運の悪い二人組で、亭主よりも友人優先いう生き方。しょせん男なんで籤みたいなもの、確かなものは自分が生んだ子どもと、子ども時代からの友人よ、って感じ。このころまでは『ゴースト』とか、そういう無個性な正統ハリウッド女優狙いだったD・ムーアが、太い女と言うか、不貞腐れた女と言うか、少しG・クローズ系がはいって軌道修正し始めた作品か。遊園地へのドライヴの何か起こりそうな気配あたりが味。けっきょくこの二人の友情がきらめくという展開ではないので、スッキリした気分にはならない。駄目男でも亭主は亭主。当時の女房に頼まれたのかB・ウィリス出てるが、なんか人のよさが出ちゃって暴力亭主に見えない。そういうとこが好きでもあるけど。 [映画館(字幕)] 6点(2013-01-21 10:13:03) |
420. 狐の呉れた赤ん坊(1945)
これは『東京五人男』よりも終戦直後なのか。映画そのものより、製作会議のほうに興味が行っちゃう。とにかく負けたほうが復讐する話は駄目らしい、そもそも刀を振り回すのが駄目らしい、と不許可条項を列挙していって、しかしそこは伝統ある日本の時代劇、あれが駄目ならこれと引き出しは豊富だ。人情ものなら大丈夫そうだ、占領国アメリカには『キッド』もあった、何度も繰り返し映画化された「三人の名付親」の話を思い出したものもいただろう(たとえばW・ワイラーの『砂漠の生霊』)。荒くれた男たちが赤ん坊をあやす図は、いかにも平和国家に改心した日本にふさわしいのではないか、などと会議を早々に済ませ、数週で一本の映画を撮り上げてしまう当時の映画会社のバイタリティに感動する。「実は大名の御落胤」ってあたり、かえって終戦直後で大時代な設定を使えたって気もした。翌年ぐらいになると、これは封建的だろう、と組合からクレームが付いたんではないか。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2013-01-20 09:20:31) |