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481.  リオ・グランデの砦
最初のほう、せがれが入隊してきていることを知らせる過不足のない語り口に、うまいなあ、と唸らされ、ローマ式馬術だっけ、二頭の馬に立って走り柵を越えるささやかなスペクタクルで眼も楽しませ、こっちの観賞気分はかなり合ってきてたんだけど、中盤がどうもうまくない。向こうのせいなのかこっちのせいなのか、連隊付きのコーラスがやたら歌ったりすると気が抜け(向こうのせい)、またこの夫婦、なんか南北戦争時のこだわりをひきずってるようで(?)、そこらへんの味わいはよく分からない(こっちのせい)。全体馬のシーンはすべていい。火で興奮し暴れ、柵を躍り越えたり、疾走シーンはもちろん、倒した馬を楯にしての銃撃もある。鐘を鳴らす少女のカットも効果的。だが、こういうこと意識するのは野暮だとは思うんだけど、やっぱインディアンを悪役と割り切って観続けることは出来ず、しばしば活劇の途中で気分を冷まされてしまう。映画を観るときはとりあえず作品の枠組みを全面的に肯定して観る、と決めていて、昔の国策映画のときは出来るだけ当時の愛国的国民になって観たりするんだけど、西部劇では白人になりきれない。気を抜くとつい侵略されたインディアンの側に回ってしまっている。困ったものだ。子どもをさらうような分かりやすい悪に設定してくれているんだけどね。(撮影当時の先住民にとっては西部劇のエキストラ出演料が貴重な現金収入だったそうで、世の中は複雑だ)
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-11-20 10:12:16)
482.  夜の鼓
橋本忍の脚色臭がモロに出ている。『羅生門』を思わせるし、今井との組で考えれば『真昼の暗黒』、前半の冤罪もの風に進んでいくところ。こういうふうにストーリーを分解してみると、事件がリアリティを持ってくる。近松を跳び越えて、モデルとした事件に迫っていく感じ。金子信雄の悪役を除けば、わざとらしさがない。妻のほうから鼓師に寄っていくところが怖い。口封じという名目を得て、情動が高まってくるというか、生臭いものが感じられる。夫の帰国が遅れることがきっかけになる、なんてのもある。妻が自分から告白していくのは無茶に見えるが、留守をする夫への、またそういう体制への怨みが感じられ、そこが怖い。死を覚悟し本人はただただ詫びているのだろうが、やはり怨みが底にあるのではないか。ラストの仇討ちを、原作通りにみなでドカドカやったのは疑問。その滑稽さを描いたという感じでもなかった。殺したあとの呆然とした表情を捉えたかったのではあろう。社会派監督としては、憎む対象を上部に操作されている愚かしさを出したかったのだろうな。
[映画館(邦画)] 6点(2012-11-19 10:09:36)
483.  鰯雲
成瀬のフィルモグラフィーにはときどき変種が紛れ込んでいて、おやっとさせられる。戦前にはプロレタリア作家徳永直の『はたらく一家』を映画化しており、その「おやっ」という違和感を成瀬の世界にしていく面白さがあった。ときに「合わないだろう」という脚本家と平気で組んで(会社の方針には逆らわない主義なのか)、菊島隆三脚本の『女が階段を上がるとき』を代表作にしてしまう。あと「合わないだろう」は、本作と『コタンの口笛』の橋本忍だ。どちらも原作ものだが、こっちは農民文学の人。都市の近郊農家の難しさとか、若い世代の農業離れの問題とか、成瀬的とは言えないテーマである。そのなかから「滅ぶものの唄」を引き出していく。鴈治郎が淡島千景に「みんなあんたの言ったとおりになる」とぼやくあたり、農民文学のなかから成瀬的なものが匂いたつ。土地の相続の問題、土地を平等に子どもに分割していったら、農業ってものが成り立たなくなっていってしまう、というけっこうシビアな問題も見据えている。「自分の生き方が現代と合わなくなってきている、でもそういう生きるしか道がない」というこの時代の農業従事者の苦衷が、成瀬的に、ということは半分諦めながら、しみじみと伝わってくるのだ。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-18 09:21:46)
484.  真実の瞬間(1991)
こういう敢然と闘いましたって話より、転向した者の苦衷とか、波に乗って告発して回った者の内面を描くほうが意味があるのではないか、などとブツブツ思いながら観ていたが、でも公聴会のシーンでは興奮しちゃった。アメリカ映画は、やっぱりこういう切り口が一番合う。狂った流れを止めようとする者の勇気は、何度でも何度でも賞揚しなければならない。流されたものの分析よりまずその目の前の勇気を褒め称える、これがアメリカ映画。ここから勇気が広がっていくことに希望を持つ。楽天主義かもしれないが、なんらの説得をも含まない強制させるだけの言葉の冷たさがクッキリ描かれているから、この楽天主義の必死さも伝わってくる。アメリカの楽天主義が説得力を持つとき、その裏には必死さがある。狂った正義は怖いけど、それを止めるのも正義感しかない、ということを繰り返し学んでいるからだろう(繰り返しても身に付かないってことか)。
[映画館(字幕)] 8点(2012-11-17 09:51:01)
485.  ひめゆりの塔(1953) 《ネタバレ》 
反戦映画というより反軍映画の傑作だろう。いざとなると何の役にもたたないどころか、己れの保身ばかりを考え、民衆にとって危険きわまりない存在だということが、よく分かる。この作品最大の仕掛けは、原保美と藤田進の対比だろう。“原”型の軍人は戦後幾多の反戦映画に出てきたタイプ。さんざん民間人を使役したあと追い出してしまう。リアリティはあるが、いささかパターン化されてきていて、観客へのインパクトは薄れていた。“藤田”型は戦前戦中によく描かれた国策映画に出てくる「優しい日本の軍人さん」の典型パターンだ。藤田自身がそういう役を頻繁に演じていた。この戦前戦中にパターン化されていた実に優しい軍人が、最後の洞窟で投降勧告に応じようとする女生徒を射殺する。日本軍によって自分の生徒が殺されたことにまだ分からずにポカンとしている先生のカットが二つぐらい続いて、米軍の爆弾が投げ込まれる。ここらへんの畳み込みが素晴らしいのだが、何より軍隊の本質を描き切っている。藤田はこの出演で、彼の戦争責任を償ったと思う。津島恵子の先生の耳が聞こえなくなるのもうまい。生徒たちの歌声が聞こえなくなり、米軍の投降勧告も聞こえなくなる。追い詰められて軍の判断にしか自分を任せられなくなっている沖縄の人たちが重なっている。もちろん軍と民間人との関係は、そのまま本土と沖縄の関係でもあるのだけれど。シーンとしては晴天でキャベツを放り合うところなんか、ラストから振り返ると哀切。
[映画館(邦画)] 8点(2012-11-16 09:54:41)
486.  インディアン・ランナー
冒頭の鹿狩りに黒味を挟んでみたり、バスケットボールと音響とで緊張上げていくとことか、なんかやってはいるんだが、全体としてはちょっと退屈したか。この兄は主役に座るようなキャラクターじゃないんだよね。生活すること・家庭を持つことを怖がるアウトローの話で、兄弟愛は副次的なものにするべきだった。ひげのないチャールズ・ブロンソンは別人のよう。悪魔のような役どころデニス・ホッパーは合ってる。少年の弟が出てきてピストルを構えるところを撮りたかったんだろう。父親の自殺を知らせるまで朝刊が来るのを待っている同僚なんかよかった。もっと絞れば佳作にはなったはず。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-15 09:52:53)
487.  山びこ学校
資本主義社会では貧乏は恥ずかしくないんだよ、って言われたって、あんた、そりゃ理屈ってもんだ。それでも恥ずかしさを感じてしまうところが、先生方のおっしゃるプロレタリアートのいじらしさじゃないんですかい。だいたいね、そういった論理に向けて現実を引上げ啓蒙してやろうって先生方の姿勢が、カチンとくるんでさ。そりゃ立派かもしれませんが、ああアッケラカンと己れに自信を持って朗らかに笑ってられると、馬鹿かと思うんでさあ。友だちのために働いて遠足に連れてってやろうってのは、たしかにいいことかも知れませんが、連れてってもらう側の恥ずかしさが、ただ古い考えだってだけで割り切れるもんですかい? そういった恥ずかしさと論理の間でもっと悩んでもらうのが先生方の役割りじゃないんですかい。作文出すのを嫌がる子どももいたじゃないですか。あれ、まだ思想が成熟してない山奥の地域だからって見下してたでしょ。好意的に見れば、こういったガムシャラの時代だったとも言えますな。岡田英次にやや批判させてましたね。理論や作文よりも手紙の書き方のほうが重要じゃないかって。一応気にはしてたんだ。子どもたちはトンコ節のシーンが一番イキイキしてましたな。
[映画館(邦画)] 5点(2012-11-14 10:11:32)
488.  柔らかい殻
前半はよくある少年の妄想ものと眺め、「吸血鬼と謎の女の対比など少し理に落ちてる、シナリオはあまりキッチリさせずに、少しイメージがはみ出すぐらいの遊びがほしいところだ」などとブツブツ呟いていると、放射能がどうのこうので社会派タッチに流れそうになり、アレレと思っていると、作者がうまくまとめてやろうという気持ちを放棄したらしく、俄然イメージが奔り出す。友人が黒い自動車にさらわれるあたりからか。なんかこの少年が核兵器を含むすべての罪を内へ内へと引きこみ始めるような凄味が出てくる。目撃したことをなぜ喋らないのか、自分の妄想かもしれないから? そうやって外界の悪いことを全部引きこんでラストの慟哭に至るわけ。責任は僕には重過ぎる、という慟哭なのか。彼が喋らないのは、どこかで連中を分身と思っているところがあるからか。幻視かもしれないと判断して黙っていると考えても面白いか。などとあれこれこっちの判断も分裂気味になるが、それが楽しくもあった。弦にコーラスの音楽がやたら格調高い。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-13 09:41:37)
489.  喜劇 にっぽんのお婆あちゃん
これはもう邦画脇役大会というか、配役眺めているだけでニコニコしてしまう。おっとりの東山千栄子、いいとこの女中の浦辺粂子、満州帰りで英語の岸輝子、ナイチンゲール勲章(『ひめゆりの塔』!)の原泉、ドラ焼を盗ったらしい村瀬幸子、そしてもちろん北林谷栄に飯田蝶子。男も、山本礼三郎、上田吉二郎の二大悪役に喧嘩させ伴淳を遅れて登場させる憎さ。中村是好、渡辺篤、菅井一郎、殿山泰司もいる。ジッパーを上下させているのは何て言ったっけ。斎藤達雄のドクター、まだ忘れてないか、看護側で市原悦子、織田政雄、小沢昭一、ちょい役の警官に渥美清(まだちょい役で当たり前の時代だったのか)。こういう贅沢を社会派監督に提供してもらえるとは思わなかった。家族と一緒より養老院のほうが幸福かもしれないという『にんじん』みたいな見方を提示し、でも養老院だって極楽というわけではなく、ドラ焼き食べた疑いが掛かったりするように、そうそうノビノビしていられるわけでもない。フォークダンスの暗鬱さが秀逸。全体はユーモア優先で、こういう映画も作るのか、と思っていると、最後のミヤコ蝶々の家族描写がずっしりリアリズムで、監督の本性が剥き出しになった。「お風呂行かないんですか、行かないなら行かないとおっしゃってくれなくちゃ」。題材が題材だから、もっと展望があってホッとさせる展開にしてほしかったが、社会派は暗く問題提起しないといけないらしい。音楽がモダン、60年代は50年代と違うな、と思いました。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-12 09:59:55)
490.  ロイドの人気者
アメリカの最も良質の理想主義がある。チャップリンやキートンは最初から普遍性を持っているが、ロイドは「アメリカ的」ということを突き詰めて普遍性に至ったよう。上級生たちの残酷さに気づかぬロイド、状況を知らずに有頂天になっているロイド、しかしわずかのチャンスを生かして栄光に至る。アメリカではすべての人にチャンスが与えられているはずだ、というあの国の自負と、しかしそのチャンスを生かすのはおまえ自身だぞ、というあの国の教訓。個人主義の国の良さと厳しさ。仮縫いのままのパーティなど笑った。タップはやがて小津が真似するのではないか。ラストの試合が思ったほどじゃなかったけど、キックした球が風船と混ざって分からなくなっちゃうのがおかしい。自分が馬鹿にされていたと知ったときのあたりは、ホロッとさせられた。やっぱり人間努力だ。
[映画館(字幕)] 7点(2012-11-11 09:52:48)
491.  どっこい生きてる
河原崎長十郎は映画俳優としてさしてうまい人じゃないと思うんだけど、その不器用さが主人公の不器用さと重なって面白い効果になっていた。ボーッとした表情。一番いいのは仲間のカンパを盗まれちゃって飯田蝶子にやりこめられるとこ。カンパシーンはややしらけたが、ちゃんと理想だけではない厚みを描いたのね。そして飯田蝶子の、優しさと厳しさを合わせ持つうまさ。「こんなことだろうと思ってた」と仲間に呟かれるつらさ。理想を謳うだけじゃなく、たえず現実とのギャップを提示している。だからといってどうすればいいという案はないのだが、声援を送る姿勢だけは続けようという決意を感じる。ラストの子を助けるシーンは、社会の問題をこういう形で結論づけてしまってはいけないだろうとは思いつつ、けっこう感動してしまった。ブランコをこぎまくる部分の怖さ・やりきれなさが出てるからいいんでしょうね。ロケシーンに時代の空気が匂い立っている。イタリアのネオリアリズムに触発されたのはアリアリだが、こなれているし、戦前からこういった路線は日本にも『綴方教室』などあったはずだ。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-10 09:44:10)
492.  魚影の群れ
こちらの心が不純なせいか、長回しのシーンはつい撮影風景を想像してしまっていけない。クレーン移動は心地よいけど。拳と十朱の再会シーンと追っかけとか。父と婿の、というより先輩と後輩の和解シーンはちょっとホロッとした。たとえ本人が死んでも本人がやっと釣ったマグロを捨てるわけにはいかん、このことで初めて漁師仲間に入れてもらえた、ということで、忠臣蔵の勘平みたいなものか。この仲間に入れてもらえぬ焦りが重要なモチーフであった。この閉鎖性は否定されるべきものだが、漁師の側からすれば「あんまりいい仕事じゃないよ、娘に苦労はさせたくない」という気持ちもあり、しかしマグロ獲りの誇りも強く、娘の亭主は漁師でなければならぬ、と思うわけ。そういうあれこれがあるので、ラストの「マグロ一匹百万円か、いい仕事だべなあ」のセリフが生きてくる。最初のマグロ釣りのシーンが一番の迫力だった。
[映画館(邦画)] 7点(2012-11-09 09:57:31)
493.  戦ふ兵隊
作戦室の場、軍人さんたちアガッてるようで、ああ本物だ、とすごく生々しく“ドキュメンタリー”を感じた。弾のピュンピュンいう音も生々しかったが、あれ本物なのか? 同時録音? これ上映不許可になったため、反戦映画という眼で見られるようになってしまったが、一応製作者は国策映画として完成させようと努力している。妥協しても上映される映画を作り、戦場を国民に伝えたいというドキュメンタリストとしての執念が感じられ、それが名作にしている。なにせ時代はノンキではなかった。陸軍のフィルムを使う以上、無駄には出来ない。冒頭の流浪する中国人を描いたのも、ラストの復興へつなげて「こうやって皇軍は同じアジアの人を助けているんです」というメッセージになるし、夕陽の中で病馬が倒れる美しいシーンも「戦地の兵隊さんも馬も大変なんだ、内地の人は辛抱辛抱」ってメッセージになる。一応国策映画としての体面は繕っていたと思うんだけど、でも許可してくれなかった(この残っている版もすでに改訂命令で15分削られたもので、それでも最終許可は下りなかった)。あれかな。夜中のロバの鳴き声の哀切さ、あれはただただ意気阻喪させ、なんか戦場というものの正体を告げていた。私が役人だったら、あの鳴き声で不許可の断を下したかもしれない。
[映画館(邦画)] 8点(2012-11-08 09:13:49)
494.  ジャングル・フィーバー
この監督の面白さはホームドラマにあるのかも知れない。一組の男女から、しだいにそれぞれの背景、家族から民族まで広がっていくドラマを、会話で綴っていく。「わだかまり」の根本を見詰めようとする姿勢は正しい。残業の会話でジョークジョークと言いながら、黒人の上司と白人の部下という関係のわだかまりをためつすがめついじり回す楽しみ。女たちの討論会。黒人男はどこかで白人女を求めてるのよ。イタリア系の店での差別論議。今回は人種差別に性差別も絡んでくる。主人公のカップルの裏に、タトゥーロ青年の黒人女性への恋が肯定的に置かれていた。後半麻薬のモチーフがグッと出てくるのがもひとつピンと来なかったんだけど、今のアメリカで家庭を考えるとき避けられないテーマなのでしょうな。道を散歩するシーンがなぜか滑らかな移動で描かれるのが面白い。フィーバーではあるけど、すべて中途半端な情熱になってしまう哀しさみたいのがある。警官に強姦していると思われそうになるとき「恋人と言うな、友だちと言え」なんてあたりに、今黒人が置かれている状況が分かる。タテマエは平等ということになってても、実際に心に生まれてくる「わだかまり」はどうすればいいのか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-11-07 09:44:43)
495.  蜘蛛巣城
おそらく映像美としては黒澤最高作だろうが、これ音もいいんだよ。旗さしもののパタパタいうのから、矢の突き立たる音まで、なんというか、中世の渋い音が満ちている。一番はマクベス夫人の衣擦れの音ね。主人殺しの槍を持ってくるとことか、ほんとに音だけで怖い。浪花千栄子の魔女の声もある。『羅生門』の巫女でも男声を使ってたが、ああいう効果がある。演出としては、モノノケの家がワンカットの間に取り除けられる、なんてのをやってた。マクベス夫人の視線の演出も凄い。話し相手には向けられない。いつもどこか虚の一点を見詰めている。旦那の目を見てものを言うのは「酒を見張りの者たちにつかわそう」と、言外の意を含んでいるとき。真意を眼で告げているわけで、「企む女」の演出がここにキマる。謀反の瞬間は、夫人の所作のみで見せていた。ほとんど舞いである。黒澤の能好きが一番生かされたフィルムで、異なる芸術分野がひとつの作品に理想的に結晶した稀有な例であろう。
[映画館(邦画)] 9点(2012-11-06 09:59:00)(良:1票)
496.  サラ・ムーンのミシシッピー・ワン
写真の世界では有名な人なんだそうで、そういえば日本でも浅井慎平さんが誘拐ものの映画『キッドナップ・ブルース』ってのを撮ってたけど、これも少女が心を病んだ人にさらわれちゃう話。カメラマンと被写体の関係に、そういうものに興味を惹かれる何かがあるのかとも思うが、まあ偶然でしょうな。自分の映像術に自信があるようで、そっちで見せていこうという映画らしく、あまりシナリオを練ったようには見えず、雨に森に水と、それぞれの場面は美しい。でもそれでは『シベールの日曜日』は生まれないわけで、いささか退屈だった。映画ってのは、カットとカットの間に生れてくるもんなんだなあ、とつくづく思った。ただこのころは本作も含めて「車に置いてきぼりにされかける人物」を続けて見ており(『愛を止めないで』『ピストルと少年』)、それにはなぜか映画ならではのスリルを感じるんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-05 09:36:56)
497.  フレンチ・コネクション
警察ものの場合、たとえオールロケでも、犯罪現場や捜査会議室なんかは繰り返し映され、光景に馴染みのある・なしの濃淡が生まれてくるのが普通だ。本作にはそれがない。観客にとってすべてのシーンが「ゆきずりの場所」であり、そこをノンストップの電車のように突っ走っていく。警察ものの真の主役は都市そのもの、と割り切った映画。匿名の街角が連なっていく。張り込みと追跡の背景としての都市が流れていく。そのザラついた摩擦感が味わい。一番好きなのはフェルナンド・レイをポパイがホテルから地下鉄まで追跡するシークエンス。人混みの中に見え隠れする紳士の姿、そして車両に乗ったり降りたりの騙し合い、レイの人を食ったキャラクターが生かされていた(これを初めて観たころはまだブニュエル映画を知らなかったはずだが)。音楽がけっこういい。低弦のユニゾンがモゾモゾッとうごめいて、やがてジャズが乗ってくる。このモゾモゾッに、なんか文楽の太棹三味線的な、映像に対する合の手の味がある。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-11-04 09:44:24)(良:1票)
498.  モブスターズ/青春の群像
この手の映画が多かった時期で、やや食傷気味だったってこともあったかな、ちびの殺し屋がうろうろし出すあたりまではノレず(彼を生かしておいたのがあの頭脳明晰ユダヤ男の唯一のミスだったわけだ)。禁酒法時代のニューヨークというギャングの黄金時代。一応ユダヤ系とイタリア系のギャングの友情みたいのがベースになっている。それぞれのボスがA・クインとM・ガンボンで、とりわけガンボンの人を人とも思わぬ酷薄な表情が凄い。主役である若手四人が揃ってもかなわぬ。「仕事」をくれるボスを子どもに判断させるってのが面白い。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-03 09:50:36)
499.  我等の仲間
友情の崩壊ストーリーよりも、田園の美しさに見惚れた。田園っちゅうか、川沿いのあたり、川遊びとかね。白黒だと木々の色が出せなくて駄目だろうと思いがちだが、かえって光に敏感になるので美しい。冒頭から木々の並びを流す画面だった。堪能堪能。開かれた祝祭気分の仲間うちの世界、これが一人ずつ去っていくことになるんだが、完全に分解しないで、最後二人だけで友情よみがえって終わったとしても、ちっとも甘くないと思うよ。悪女にリアリティなくても、それに振り回される男のほうに説得力があるからいいのね。みんなで瓦を飛ばされないように屋根に寝たのが一番の思い出だぜ、なんてのがいい。この監督は、巨匠というより名匠という言葉が似合う。(ハッピーエンドの版もあるらしい)
[映画館(字幕)] 7点(2012-11-02 10:04:56)
500.  草迷宮
おそらく寺山が一番自由にイメージを氾濫させた作品。一応構造みたいなものを取り出してみると、母の記憶の代表として“失われた手毬唄”があり、青年になって自由を得た代わりにそれを失った、ってなことか。でもこの映画の魅力はあくまでイメージの輝き。たとえば「毬」の球体が繰り返されていく。ときに囚人の重しとなり、ときにガラスの浮き(?)となり、子さずけ石、スイカのバケモノ、さらにはらんだ母の腹へとつながっていく。球体という「何かを包み込む・囲い込むもの」が反復される。最後の魔の跳梁は、スラプスティックぎりぎりで、若松武が刀を振り回したりするが、シラけないのはユーモアでフェイントを掛けてるから。女相撲の土俵入なんか絶品でしたなあ。あそこに母の首があるので、魔の勝どきのような凄味も加わり、その首が「いつまでもお母さんの子よ」とか言うんだよね。逃げても逃げてもお前をはらみ続けてやる、って感じか。鏡花のモチーフに寺山のテーマが被さっていく。「母・故郷・記憶」との闘争史であり「母・故郷・記憶」からの逃走詩。主人公を誘う少女の手毬の身振りが凄くエロチックで、右手で毬を突いてて(くっついてる)左手は後ろに跳ね上げるような仕種。ああいう細かな動きの正確さは、演劇人としての鍛錬のたまものだなあと思う。二人がかりでものを運ぶ、ってのも繰り返されてた。祭のような苦役のような。
[映画館(邦画)] 9点(2012-11-01 12:39:24)
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