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プロフィール
コメント数 178
性別 男性
ホームページ http://ameblo.jp/mabuse-tarou/
自己紹介 人にはそれぞれ言い分があるのです 。

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41.  クラッシュ(2004)
ポール・ハギスはプロの脚本家であって、アーティストではない。書類の体裁を整えるような仕事ぶりは、実に官僚的で、おざなりで、安直で、いい加減だと思う。■冒頭に死体発見シーンを配置するエンターテインメントへの配慮。「透明なマント」や銃を買うシーンなどのうま~い伏線。なにより許しがたいのは、雪が舞い落ちる叙情的なスペクタクルにすべての救いを求めていること。私が観たいのは、映画サイズに無理矢理縮めた人生の縮小版や、実人生と映画との安易な馴れ合いではない。■確かに、適度な感動と、程よい絶望や諦感、救いを巧妙に配したその脚本は実に上手い。でもそれって、みんなが唾棄するハリウッド流エンターテインメント以外の何ものでもないじゃん。そんな程度で「映画」はいいの?映画としての面白みがまるで見つけられませんでした。
[映画館(字幕)] 0点(2006-03-27 00:19:41)(良:5票)
42.  エミリー・ローズ
ホラー的なシーンはスペクタクル、お約束の見せ場として描かれ、作者たちは決して、「恐怖」を描こうとはしない。だって、テーマは「愛」だし「神」なんだもん。ふざけんな、である。だったら「42丁目の奇跡」でいいわけだし、キャプラをやればいいわけだ。ホラーにはけっと唾を吐きかけつつ、しかし商業的にホラーにすり寄り、「愛」だの「神」だの言ってる姿勢に反吐が出る。■私が観たいのは、悪の現前を前に現実が揺らぐ様である。あるいは、悪魔を信じる信じないは別にして、超常現象に対し、心底震えること、恐怖すること。あるいは絶対的な戦いの場としての悪魔祓いだ。それがなければ、エミリー・ローズの神に対する自己犠牲も、神父の「愛」も、弁護士の「正しさ」もただの茶番でしかない。■だから、ここに描かれる裁判劇は、カルト宗教や怪しげな健康法で命を落とした人のものとしか私には思えない。被告の牧師はショーコー麻原なのか。しかし、それを正当化するのは、世界で一番メジャーな宗教とアメリカ保守だ。堕胎は許しませんよ。
[映画館(字幕)] 0点(2006-03-25 22:36:08)
43.  ウェス・クレイヴン’s カースド
遊園地の占いコーナーで不吉な予言を受ける女性。映画の冒頭、慌ただしく、性急な画面展開の中で、そのシーンは綴られるのだが、彼女が遊園地を離れその駐車場へと向かう時、先ほどの喧噪とはうってかわった落ち着いた1ショットが登場する。不安げな表情を浮かべ、髪が風でなびき、遊園地の喧噪がかすかに聞こえる。別にたいしたショットではないのに、ああ映画を見てるなぁという気にさせるのは何故だろう。■例えば、崖下に墜落した車に近づくクリスティーナ・リッチを捉えたロングショットや、鼻をクンクン言わせながら歩くリッチのトラックバック、あるいは身体の異状に怯えトイレに駆け込んだ彼女とその友人を捉えた不安定な俯瞰ショット。■こういうアクションを撮るときはこういうカメラポジションであるべきだ、という明確なスタンスを持っているわけではなく、たまたまこういうポジションになってしまった的な、さり気ない風情。「風」吹かせたほうがいいか、というスタッフの好意。なんだかわかんないけど、くにやくにゃ演じてみるか、演出してみるか、なリッチとクレイブン。つまり、いろんなことがいい方向に走りました、みたいな、謙虚でささやかだけれど大切な何かにこの映画はあふれてる、と思うのだがどうか。■ミステリー色、コメディ色、青春色は支離滅裂だし、クライマックスの蝋人形クラブ(?)は実に非映画的な空間だし、リッチは一体何の仕事してるの?とか、なんか行き当たりばったりな映画よのぉ、とは思うんだけど、ああ、実に腹八分目、いい気分で映画館を出た、満喫。
[映画館(字幕)] 10点(2006-03-24 23:25:16)
44.  アメリカン・パイ in バンド合宿<OV>
このシリーズが素晴らしいのは、人生のある時期の普遍的な感情を思い起こさせてくれること。しかも、「アメリカンパイ」(意訳すると「こんにゃく」か、古いか)というタイトルがそうであるように「あるある」ギャグの羅列に終始している風でありながら、しかししっかりと映画としてみせてくれること。そしてすべての登場人物たちに向ける視線が優しいこと。■例えば、スティフラー弟に待ちぼうけを食った少女が川床でぽつんと座る、そのシーンはやがて時を経過して、夕暮れから夜へとその光を変えていく。このロングショットの素晴らしさ。あるいは、パーティーに加わらず一人楽器の練習をしている少女、窓越しに彼女を捉えたほんの短いロングショット(この後で「オーボエ挿入」ギャグに変わってしまうのだけれど)。あるいは、スティフラー弟と少女が並んで横たわっている俯瞰ショット。二人の感情が高まっていくのをじっとみつめる長回しの素晴らしさ。■もちろん、ギャグの運びは単調だし、ストーリーは行き当たりばったりではあるけれど、そんなことはどうでもいい。まるで登場人物たちのすべてを愛しているかのように、彼ら彼女らをささやかに見守り続ける映画がそこにあるのだ。そしてラストでは、アメリカ映画ではどんなことだって起こる、その素晴らしさを満喫することができる。■監督はスティーブ・ラッシュ。「キャント・バイ・ミー・ラブ」でもオタクたちに優しい目を向けていた&古典的な技を身につけた手堅い人。もっとがんばってほしいんだけれど。■ちなみに、アリエル・ケベルという新人さんが素晴らしくよい。アリソン・ハニガンを超えアメパイ史上最高の萌え系。ファンになった。がんばってほしい。ジェシカ・アルバによく似てるが。
[DVD(字幕)] 10点(2006-01-03 23:18:22)(良:1票)
45.  晴れ、ときどき殺人
日活ロマンポルノの新人監督たちはアイドル映画の枠の中で作家の映画を撮ろうと一生懸命だったんだけど、井筒は見事に、単純にアイドル映画を撮る。当時はわかんなかったけどそういうことで、だからおおっぴらに誉めることは無かったけれど、密かにこの映画は実に痛快無類ないい映画だった。元気になって映画館を出た。エンドクレジット後のNGカットには泣いてしまった。20年経った今見返しても、80年代風ウィットに富んだ会話をテンポ良くみせる演出やギャグは、十分楽しい。なんつっても「困ったちゃんね」な渡辺典子がよい。声がいい。♪~は~れ、ときどきキルミ、ひとおもいに愛されたいな♪大好き。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-12-04 00:01:09)
46.  彼奴(きゃつ)を逃すな
コンクリートの土手を背にして一本の道が走っており、その両脇にはささやかな商店が並んでいる。このオープンセットが素晴らしい。主人公である若夫婦は、時に土手を背景にした閉鎖的な空間を背を丸めながら歩いてくるのだし、時には活気のある商店街を手をつなぎ闊歩する、あるいは警察の目を避け道を走るローラー車に隠れながら通りを横切る。このオープンセットは物語の要請に応じて、その背景や視点を見事なまでに変え、そのとき折々の登場人物を演出する。またこのオープンセットは物語上の現実を的確に描き出すだけではなく、超現実的な光景を繰り広げる場ともなる。「幻想」シーンではなく、あくまでも日常と地続きになった白昼夢の風景を現出させること。■このオープンセットだけでない。若夫婦の住む小さなアパートの廊下、やや俯瞰気味に捉えられた縦構図の素晴らしさ。二間続きの室内は、窓からの光によって妻の姿を逆光で捉え、あるいは灯りの有無によって寝室と居間の差異を際立たせる。さらに商店街からアパートへ続く運河沿いの道。■これらの場とその中での登場人物を的確に演出する鈴木英夫の才能は、クライマックス、若夫婦の経営するラジオ修理の店の室内でピークを迎える。暗殺者に迫られた夫は妻に「ニゲロ」というサインを机に描く。これを見た妻は、そのサインを犯人から隠すように、夫の手に自分の手を重ねる。サスペンスという現在の物語は、若夫婦の愛情の物語へと一瞬で変容する。サスペンスを構成していた様々な記号がくるりとその意味を変えていく。これには感動した。「疑惑の影」じゃないか、これは。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-12-03 00:26:24)(良:2票)
47.  親切なクムジャさん
もってまわった、やけに複雑な復讐作戦は実に幼児的。それならそれで、幼児的な欲望のまま、すかっと残虐にみせてくれればいいのだ。「人間の心の闇」なのか「母性愛」なのか「贖罪」なのか「復讐の是非」なのか「ブラックユーモア」なのかよくわからないけれど、とりあえず退屈な言葉しか浮かばない意味ありげでスペクタクルで物欲しげな映像で、すかっと残虐ショーはゲージツっぽく仕立て上げられる。姑息かつ小賢しい。復讐するならセルジオ・レオーネのように加藤泰のように真剣になさい。いちいち泣くなニキータ、じゃなくてイ・ヨンエ。彼女には赤い手錠こそふさわしいのに。
[映画館(字幕)] 0点(2005-12-02 20:06:17)
48.  約三十の嘘
どんでん返しがいくらでも設定できる展開に、ミステリー映画としての面白さはまるでない。ミステリー映画ではなく、チームあるいは椎名桔平の復権の物語だとしても、それは台詞だけで延々と綴られるばかり。例えばラスト近くの女性同士の会話など全く必要はないし、伴杏里はタクシーの運転手に自分の心情を吐露する必要も無い。彼女が涙を流す1カットがあれば事足りる上に、その方が洒落てもいるだろう。歌が意味なく流れるのも、今どきアメリカンニューシネマじゃあるまいし、ださいことこの上なし。狭い空間で人物がうろうろするだけの演出も、オーバーな喜劇的演技も、意味のない電車の走行カットも、いったい作者たちは「映画」で何をやりたいのか?60分のテレビドラマでやってくれ。
[DVD(字幕)] 0点(2005-11-24 23:24:17)
49.  ジョゼと虎と魚たち(2003) 《ネタバレ》 
身障者である池脇千鶴の唯一の保護者である祖母が死んだことを知り、妻夫木聡は彼女のもとを久しぶりに訪れる。彼は家の扉をたたき彼女を呼び出す。と、カメラは室内へと切り替わり、室内の彼女の姿を捉える。彼の目からではなく客観的な視点から捉えられた彼女の姿は、あくまでも普通を装った、普通の少女の一人暮らしのようにみえる。このシーンでの視点の変換は、妻夫木からみた身障者の姿でも、現実の身障者の姿を描いたものでもなく、いかにも「映画」が「現実」と程よく折り合ったものでしかない。あるいは「現実」が「映画」サイズに縮小されたものでしかない。■このような「現実」との程よい距離感。妻夫木君はヒューマニズムと正義感にあふれた若者でもないかわりに、「身障者と出会った今どきの若者」というステレオタイプでしかない。また池脇千鶴は「すべての身障者は心優しく感性が鋭い」という偽善をまとうわけではないが、程よく美化された閉じられた世界に住む、生活感の感じられない身障者でしかない。■映画は現実を凌駕してほしいのだ。積極的に現実を乗り越え、それに勝利するべきなのだ、と思う。例えば妻夫木君は唐突に池脇のもとへ走っていってもいい、無理矢理ハッピーエンドにしても「映画」はそれを許すかもしれない。あるいは妻夫木君は無茶苦茶なSMを池脇に要求したっていい、「映画」はそれを許すかもしれない。しかし、このバランスのとれた「出来のいい」映画は決してそんなことはしない。■ただ、池脇が最後にみせる苦い表情、魚を焼きながら口元に皺を寄せたその表情、あるいは妻夫木君の背中を叩くその肉体に感動した。その一瞬だけが身障者の抱える現実を超越した映画だけの真実だったように思う。■と、書いていたんだけど、妻夫木君の最後の泣きはやはり身につまされる。この泣きで決着をつけるこの映画の「いい子」ぶりに辟易しつつも仕方がない。「出来がいい」です、この映画。というわけで5点から10点に変更します。甘いか。どうでもいいが。
[DVD(字幕)] 10点(2005-11-24 00:04:16)
50.  黒い画集 第二話 寒流
池部良、平田昭彦、新珠三千代が温泉宿で泊まるシーンのなんとエロティックなことか。三人は寡黙に、ただ互いに視線をかわしながら、その関係を変えていき、池部は静かに、無表情に嫉妬を燃やすこととなる。鈴木英夫の演出はオーソドックスに手堅く三者を捉えていく。そして三人が迎える朝の風景の素晴らしく残酷でクールな様。■このような手堅さ、丁寧に撮影された1カット1カットが丹念に紡がれること、その作家的なセンスを楽しむこと。■そのような楽しさにわくわくしながら画面を見つめていると、後半、映画は異様な様を呈しはじめる。池部の眼前に「前科○犯」の男たちが唐突に登場し、慇懃に次々と自己紹介をする。それを契機にしたかのように、池部の復讐はより絶望的に、彼の家庭はどんどんと崩壊していく。■この映画が素晴らしいのは、現実社会に潜む悪、「寒流」が唐突にその姿を現した、といったテーマに程よく収まることを拒絶し、いわばファンタジーのような様相、池部の立つ位置、そして私のいる位置すらも崩壊し始めたようなめまいを覚えることだ。堕ちていく池部良の無表情が素晴らしい。傑作。世の中には凄い映画がまだまだまだまだいっぱいある。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-23 19:49:08)(良:1票)
51.  ドミノ(2005)
やはりトニー・スコットの映画はキャスティングがいい。そしてトニーはすべてのキャラを立てる。役者たちがのりにのっている。のりにのるシチュエーションを与える、あるいはごく短い1ショットでさえ、役者たちの顔がそのキャラを際立たせる。ジャクリーン・ビセットとウォーケンの丁々発止のやり取りにわくわくしていただきたい、ビバヒル二人組に「運が良かったな」と言い放つマフィアの手下、そのさりげなくも強烈な一瞬の風情に感動していただきたい。その中で、キーラ・ナイトレイがとりわけ良い。■さらにお話が面白い。お話がわかりやすく、的確かどうかは知らないが、とにかくわかりやすく語られる。「トゥルーロマンス」のリメイクだったり、ガイ・リッチー風今どきだったりするんだけど、ま、いいじゃんと。いい加減、トニーもおっさんなんだから、もちっと丸くなろうぜ、とも思うが、ま、いいかと。■で、この過剰に過ぎるエフェクトなんだが、まいっか、ですますにはちょっと擁護しきれぬな、と思っていたのだが、ふと気づいた。これってゴダールじゃん。それがどうしたって話ではあるが。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-08 10:17:26)(良:1票)
52.  パーフェクト・ワールド
夕暮れ、二人のシルエットがある家に入る。二人が家から出るときはすでに夜となっていて、二人から三人になったその姿は闇の中にほとんど紛れてしまっている。時間経過として、映画の約束としてこのような光の変化はごく当然のことなのかもしれない。しかし、イーストウッドはそれぞれの時刻の光とその中で浮き彫りになるシルエットを、審美的、叙情的な画面としてではなく、ごくさりげなく慎ましく、しかし確実に提示する。時間とそれに応じた光の推移、その物語は草原と木陰を舞台装置にしたクライマックスに結実する。■あるいは視線の物語。少年の運転する車が田舎町を移動し、男はその車を追う、両者の視線は移動するカメラを介して結ばれる。子供が運転できる出来ないといったつまらない現実との齟齬などをまるで意に介さないその見事なカッティングそして移動感。そしてお化けのマスクはその逸話以後、少年と男の二人だけの視線を固定する役割を担う。このマスクは二人だけのパーフェクトワールドを見るためのものとなるのだ。そして少年がマスクを男にかぶせてやる時、男はすべての世界から視線を奪われている。■「お話」と平行して存在する「画面」の物語、慎ましやかな時間と光と視線の物語、つまり「映画」に目を凝らすこと、謙虚に誠実に接すること。記憶違いはごめんなさいね。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-08 09:57:05)(良:2票)
53.  悪の階段 《ネタバレ》 
イニシャルKさん、先んじてごめんなさい。■不動産屋とか西村晃とかどうも今村昌平の「果てしなき欲望」を思い起こさせるんだが、こっちは純粋にミステリー、ってのが好感大。後半はほぼ不動産屋だけで展開されるのも、団令子の悪女ぶりも実によい。何の罪も無い女を平気で殺そうとする団令子にしびれてほしい。鈴木英夫のクールなタッチがフランス映画みたいに決まりに決まった傑作。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-07 10:31:35)(良:1票)
54.  非情都市
他社に先んじて情報を得ようと、知り合いの刑事をトイレで待ち受ける新聞記者、三橋達也。手洗いの蛇口をいち早くひねり、ハンカチをすっと刑事に差し出す。■ドキュメンタリータッチという訳でも、リアルに描きました、というのでもない、なんつうか実に丁寧な描写が積み重なる奇をてらわないクールな演出。でも、やっぱここぞってのに欠けるんだよなぁ。いや実にいいんだけど。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-11-07 10:19:41)
55.  その場所に女ありて
1958年に増村保造の傑作「巨人と玩具」があるため、同題材のこの映画は明らかに分が悪い。司葉子の颯爽としたキャリアウーマンぶりは楽しめるし、例えば酔った司葉子を背後からのトラックアップで捉えたショットなども実に良い。しかし、ねっとりこってり、しっかりと見せ場を造り上げる増村に比して、鈴木英夫演出はクールに過ぎ、どうも盛り上がんないのも事実。再評価されるにふさわしいいい映画、いい監督なんだけどね。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-07 10:12:05)(良:1票)
56.  告白(1970)
国家が本気になったら個人なんてどうとでもなる。当然と言えば当然な事実を厳然と突きつけられると、国家に対する恐怖というよりは、国家というシステムの合理性にしびれる。いや、ほんとにかっこいいんだ。クライマックス、法廷の裏側に簡易尋問室が並べられ、イヴ・モンタンをはじめとする囚人たちがいっせいに「管理官はどこ?」と騒ぎだすシーンのなんと恐ろしくもかっこよいことか。ファシズムに身を任せることの快楽。
[DVD(字幕)] 10点(2005-11-06 23:33:58)(良:1票)
57.  チアーズ!
誰が観ても楽しめ盛り上がれる映画。映画って面白いよね、と心から言える映画。ゲージツ映画を小難しく作れても、こーゆーのをちゃぁんと作るのは並大抵の力量では出来ないので、「よくあるスポコンものだけど意外に…」なんて言わずにもっともっと過大なまでに評価してあげてほしい。■しかも、例えば「クールランニング」や「がんばれベアーズ」などのようなマイノリティを主役にしているのではなく、前年度のチャンピオン、私立高校の金持ちお嬢たちを主役に据えていることの勇気。これって作劇が難しいんだよ。さらに例えばスタジアムのグラウンドと観客席の高低差を生かした演出とか、ラストの決着の付け方とか、いや、ほんとにがんばってる。ここ何年かで最高のアメリカ映画の一本だと思う。
[映画館(字幕)] 10点(2005-10-29 16:22:14)(良:1票)
58.  鉄西区
映画はまず舞台となる重工業地帯、鉄西区を前提とする。その中をゆっくりと走る列車の主観映像、延々と続くかのようなそのショットでさえ、全体を捉えることは出来ない。あまりにも巨大な全体、社会。しかし、映画はそれら巨大な社会を前提としておきながら、捉えていくのはあまりにも卑小なる個の有り様でしかない。■うんざりするほどに掘り、運び、つまり労働する彼らの姿は、それ自体が目的化しているような、労働のための労働に思えてくる。彼らは何のために埃がもうもうと舞う中、セメント袋を運ぶのだろうか。鉄道は誰が何のために何を運ぶために走っているのだろうか。■巨大な社会は確かに存在し、彼らのまわりに確固としてある。しかしその巨大な何かは決して見えることはない。彼らはその巨大な何か、見えない何かのために働き、食事をし、語り、風呂に入る。社会へ通じているはずの電話はもはやどこにもつながってはいない。彼らはどこに住んでいるのだろう。この迷宮のような巨大な工場の中なのだろうか。■しかしカメラは彼らの有り様をただ見つめている。ある住居にカメラは案内される。その住人は彼(カメラ)を自室に引き入れたことを後悔するように、逡巡し、しようもなく茶を入れ始める。カメラはその様を映すだけだ。その客はカメラを構えた無口な他人でしかないのに。■この長い映画の中で一瞬だけ、カメラが登場人物に積極的に対す、あるいは対さねばならない瞬間がやってくる。対象者である17歳の青年が唐突に過去の写真を見せ始める。父親だけを頼りにしていたその青年は、父親の長い不在の果てに、しかたなく、困ったあげく、そこにたまたまカメラを持った他人がいた、という理由だけで、自分と父親と行方不明の母親について語り始める。これは感動的だ。しかし、カメラは彼の感情をもてあますかのように、黙っている。■いよいよ工場は解体され、彼らの住む街が破壊される。雪の中で佇む少年、ろうそくの明かりの中で食事する家族、父も母もいない少年はいよいよその住居を失う、行き場を失う。■行き場のない人々、彼らのまわりには巨大な何かが広がり、さらにその先には彼らが抱えてきた歴史が見え隠れする。登場人物の一人が廃墟となり、ろうそくだけがともされる住まいで苦笑する。「革命前と同じだ」と。歴史や社会に翻弄され、常に行き場を失い、行き場を求め続けることの絶望と悲しさ、そしてしたたかさ。 
[映画館(字幕)] 10点(2005-09-19 21:42:38)(良:1票)
59.  奥さまは魔女(2005)
キッドマンがなぜ「ちりちり頭の猿」に惹かれるのかがわからない。「ゴルフウェアを着た猿」がいい奴なのか、悪い奴なのかもわからない。「奥様は魔女」を本当の魔女がリメイクする、というメタ映画な作りは面白そうだけど、全然生きてない。■これはもしかしたら、「奥様は魔女?ケッ」という作り手の悪意みなぎるブラックかつ反ハリウッドな作品ではないかとも期待した。「(略)猿」にかけた魔法が効きすぎて、やたらいい奴になってしまうあたりの、全く笑えない嫌~な感じとか…。■で、結局は大失敗した普通のコメディ。適当にCGの見せ場を作って、エフロン印の会話をちりばめたごくつまらないハリウッド映画。それを「ウィル・フェレルという名の猿」がさらにひどいものに仕立て上げる。だって、あのキュートなニコール・キッドマンと「80年代からやってきた猿」とのキスシーンなんて、あなた、観たいか?■あのキュートなニコール・キッドマンに1点。
[映画館(字幕)] 1点(2005-08-29 18:55:21)(笑:1票)
60.  ランド・オブ・ザ・デッド
確かにこの映画は革命についての映画であり、「テロ」(@ジョージ・ブッシュ)についての映画であり、ジャンルとしてのゾンビ映画である。しかし、それ以上にこれは男泣きアクション映画、団塊の世代アクション、革命アクション、つまりカーペンターの「ニューヨーク1997」だ。あるいは「ワイルドバンチ」だ。「ゾンビになるのも悪かない」チョロに私は泣いた。■しかし、どうも演出に馬力がない。一人線路を歩いていくチョロの後ろ姿に、ダッダ~ン、ダダ~ン(←「「ニューヨーク1997」のテーマ」)みたいなシンセを入れろ、という問題でもなく、フィックス主体の古典的な画面構成が今どきの映画にそぐわない、という問題でもない。なんというか、粘りがない、気合いがない、抽象的で申し訳ないのだが、どうも普通。■思えば、ロメロは今まで男泣きアクションを撮ったことがない。彼が撮ったのは、ホラーに名を借りた社会派であり人間ドラマであった。今回の男泣きアクション宣言、その志やよし、しかし、残念なことに、悲しいことに、ロメロは旬を過ぎてしまったのではないか、と思う。
[映画館(字幕)] 5点(2005-08-29 18:36:10)(良:1票)
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