41. 頭文字(イニシャル)D THE MOVIE
もちろん細かなところで、幾つか原作と違うところはありますが、予想以上に、原作に忠実なりで、びっくり。・・・・それとエミネム風香港式のラップと、峠のドリフト走行の実写に感動。・・・・・漫画十数巻分を、強引にまとめずに、忠実に再現すると、結局は、バラバラの出来事、絵が、次々と示され、その脈絡がつかみにくいし、何が表現したいのかわからないということになりがちです。・・・・そしてこの作品は、そうなっている感じです。だから原作を読んでいないと、どういうお話なのかわかりにくいのではないでしょうか。・・・・・・という危険を冒してでも、原作に忠実に表現したところに、監督、制作者の原作に対する愛着があるような気もしました。・・・・・見終わって、で、この映画はいったい何だったのか、言葉が見つかりません。・・・・淡々と原作を辿ったこの映画を、香港の人達は、どのような眼差しでみたのだろう。平凡な日常を送りながら、夜になるとヒーローに変身する拓海に自分を重ね合わせるのだろうか。それともRX7やランエボなどの車に囲まれた日本式の青春にちょっとした憧れを抱くのだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2006-09-15 21:36:51) |
42. クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
面白かったです。デパートのシーンが好きです。特に尿意じゃなくて「屁意(hey)」というあたりは笑いました。・・・・・・・だけどこの映画の主題って、過去を懐かしむのはいいけど、ほどほどにして今を生きろよ、っていうことですよね。・・・・そして最初から、缶蹴りしたり、縄跳びしたり、メンコしたりするおとなたちが、明らかに滑稽に描かれていて、子どもの頃を懐かしむ様子をちょっとばかし茶化しています。・・・・そういう文脈で流れてくる吉田拓郎、ベッツイアンドクリスも半ば嘲笑的な雰囲気を伴っています。だから、素直に、懐かしいなぁという気分にはなりにくいですね。・・・・・・・・ところで、大正ロマンも昭和30年代回顧も、(1)実際のその時代の「一部」を、(2)今この時間を楽しむために、懐かしんでいます。だから、実際の大正時代や昭和30年代を知っていると、そういうノスタルジーには違和感があるし、一緒に楽しんだりしにくいわけです。・・・戦争で手足を無くした人が街頭で物乞いをしていたし、多くの人達が貧しかったし、夜は真っ暗で、コンビニも自販機もないし、ビデオはないし、テレビだって一家に一台あるかないか、子ども達で野球をやるっていったって、全員が自分のグローブを持っているわけでもなく、、、、。ということで、この映画が楽しめるのは、20代、せいぜい30代前半までじゃ、ないかなぁ。その年代って、まだまだ先が見えにくいし、毎日毎日、結構苦しいことは多いし、自分の思うとおりにはなかなかならないし、、、、ふと、どこかに心の安らぐ場所を見つけたくなるわけです。・・・・・・全体として、よく計算されたアニメだと思いました。 [DVD(邦画)] 6点(2006-09-15 10:48:50) |
43. ホテル・ルワンダ
《ネタバレ》 見るに値する映画でした。・・・・・・ただ、主人公ポールが、内戦が始まってもパリッとしたシャツを着て、夜になると妻とワインやビールを飲んでいるのに、かなり違和感がありました。川沿いの虐殺を見た後、取り換えたシャツを破り脱ぐところで、彼はそれまでの自分を反省して、ヒューマニズムに目覚めるのかもしれませんが、、、・・・とはいえ彼は、貧富の差が激しいルワンダにあって、欧米の資本から恩恵をたっぷりと受けた最も豊かな階層に属していたわけです。どうしてこういう内戦になるのか。それは激しい貧富の差をそのままにしたり、様々な不満を放置していたからではないでしょうか。・・・・・それが、抑圧的に秩序を維持していた権力が、何かの拍子になくなると、やり場のない不満を抱えていた人たちが、武器をとって突然に荒れ狂いはじめる。あるいは民族だの、人種だの、宗教だのといった単純な原理に訴えて人々を扇動し始める。・・・・・旧ユーゴもそうでした。カンボジアも似たようなところがあります。今のイラクもそうかもしれません。パレスチナもほんのちょっと似ているかもしれません。・・・・・こうなってしまうともう外から救いの手をさしのべることは相当に難しい。助けに行くっていっても、こっちの命も危なくなるのに、どうして助けに行かなくちゃいけないのか、とみんな思うわけです。それにソマリアのようになってしまうこともある。・・・・・ということで、最も豊かであり、妻を射止めるためにワーゲンを賄賂に使ったりするポール自身にも責任の一端はあるのです。この映画は、そうした部分を、酒とシャツを使いつつ、さりげなく、的確に表現していました。映画の製作者は表面的にはポールを英雄に仕立てていますが、心の底では、お前にだって責任はあるじゃないか、ときっと思っています。・・・・・この映画を見て、私たちにできることは、現在、アメリカ化の中で拡大しつつある、日本の貧富の格差を放置しないように政治を見張ることかもしれません。放置すれば、不満を抱えた一部の人が、町中で発砲し始め、家族の誰かが殺されてしまうかもしれませんし、極端な場合は、そういう人たちが政党を作って権力を握ったりするなんてこともあるかもしれません。 [DVD(字幕)] 8点(2006-09-13 20:28:15)(良:2票) |
44. ALWAYS 三丁目の夕日
《ネタバレ》 全体として、すっきりしない映画だし、暗い映画だし、言葉に表現するのが難しい映画でした。・・・・・・・もともと西岸氏の漫画というのは、死の世界と隣り合わせの世界です。西岸という名前自体、西方の極楽浄土を連想させます。・・・・・・この映画は、例えば鈴木オートの社長(堤真一)のキャラなど、原作とは随分と違うところがありますが、そういう架空の世界、死後の世界という雰囲気は、確実に西岸氏の世界を再現できているように思いました。・・・・・・特に印象に残ったのは、たくま先生の家族のシーン。本当に焼き鳥が美味しそうで、団らんが幸せそうでした。家族の幸福を見事に表現していました。しかし、それは決して取り戻すことができない夢でした。・・・・・・それと小雪さんに送られた見えない指輪のシーンはいいですね。それとストリップ小屋の屋上で見えない指輪を見るシーンも。穏やかな夕日に包まれ、見えない指輪を見つめる小雪さんは、現実の世界から逃避し、死に一歩近づいています。・・・・・・この三丁目の夕日が描いているのは、決して実在せず、また決して取り戻すことができない、世界です。夢幻としてのみ存在する世界であり、手を触れれば崩れていってしまうような世界であり、ある意味では、雨月物語のようにこの世のものではないものたちが作りあげている世界です。・・・・後ろ向きの、恐ろしい映画です。・・・・・それはそうと全体を通じて子役さんたちがいいですね。最後の方のシーンなど、吉岡君は完全に淳之介ちゃんに負けていました。・・・・それと、全体としてシリアスな部分がやや過剰で、芥川を茶川、吉行を古行にするような、なんともいえないばかばかしさに対する表現がちょっと弱くなっているかもしれません。 [DVD(邦画)] 10点(2006-09-13 01:21:19)(良:1票) |
45. 男たちの大和 YAMATO
《ネタバレ》 『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)は、吉田自身、大和でも哲学書を読んでいたような学徒兵であったことを反映してか、同じ学徒兵にやや関心を集中している印象です。・・・それに対して、この映画の原作、辺見じゅんの『男たちの大和』は、大和に乗り込んだ一人一人の兵士に丁寧に取材して、それぞれの兵士の大和での状況、戦後の人生を描こうとしています。・・・・・角川春樹らは、大和をだしに使って、日本版タイタニックを作って儲けたかったのでしょう。映画の基本的な組み立ては、すでにどなたかも書いていましたが、タイタニックそのものです。「日本で沈んだ一番でかい船は何かなぁ、そうか大和か、じゃぁ、大和でタイタニックみたいな映画を作ってみよう」という腐った動機がうかがえます。・・・その意味では、最低の映画です。本当なら1点とか2点を付けたいところです。・・・・・・とはいえ、戦争の悲惨さ、無意味さについて、実際に、考える機会を与えてくれている、という状況をみる限りでは、それなりに良い映画だったのかもしれません。原作に少し救われたのでしょう。・・・・・・・中身としては、監督の演技指導がきちんとできていないのか、それとも役者自体がどうしようもなく下手なのか、それともただのパニック映画を作りたかっただけなのか、、、、、オーバーなアクション、感情表現、、、、、ただ叫んでいるだけの連続などなど。とにかくみんな泣きすぎだし、仲代達也でさえ、なんて下手なんだと思わせてしまうほどでした。・・・・とにかく、映像からも、音楽からも、役者の演技からも、死と隣り合わせの日常を生きているという緊張感が全く伝わってきませんでした。・・・・一茂は、素人であるためか、過剰な演技がなく、また神妙に緊張している様子が、かえって臼淵大尉の死を前にした緊張感と心の静寂を表現できているようで、兵士の中では唯一許せる印象でした。・・・・・・・・とはいえ原作にはない、兵士に叫ばせるところは、「学校へ行こう」そのものだし、一人甲板でハーモニカを吹く様子はなんというか、、、、。 [DVD(邦画)] 4点(2006-09-12 00:41:15) |
46. GO(2001・行定勲監督作品)
「めちゃ、ウンコしたい」・・・ってとこ、正直、笑いました。そこだけよかったです。この点数は、そこの点です。それ以外は、だめです。・・・お金かけてもだめです。さすが行定、、、、、という感じです。・・・・・・・・橋の上の警官とのシーンもいいですが、もっと長まわしのワンカットにするくらいじゃなきゃ、役者もほんとうに心から演技できませんよね。・・・・・・・・とにかく、テーマが、このグローバル化の時代では古すぎ。「バッチギ」みたいに過去の話、しかも関西の話にするような工夫がないと、全然、説得力がありません。きょうび、クラスに2,3人は、李君とか、朴さんとか、劉君とか、黄さんとかいて、国籍とか気にせずおつきあいしているのではないでしょうか。・・・・・・・・最後の校庭のシーンで窪塚が、在日ほにゃらら、と絶叫していますが、今時の若者の辞書には、在日という言葉はおそらくないでしょうし、在日韓国人と在日朝鮮人の区別も殆どないと思います。在日といっているのは、一部の右翼と在日の人達くらいじゃないのでしょうか。・・・・・・・・また、吠えている窪塚の目が好きだと、柴崎が言いますが、その目は、差別に対する抗議の目なわけで、もし差別がなくなれば穏やかな目になって、魅力的ではなくなるわけです。ということは、全体として、すでに都会では消えつつある差別を懐かしんだり、肯定したりする映画だったわけです。 [DVD(邦画)] 6点(2006-07-24 00:09:48) |
47. ミリオンダラー・ベイビー
《ネタバレ》 映画としてはよくできていると思いますし、あるタイプの思想を典型的に表現しているとは思います。・・・・・・・・だけど、僕は、とりあえず今は、そういう思想とは戦いたいという立場なので、今はめいっぱいに低い評価にします。・・・・・・・・ところで、ある作家の短編小説に次のような作品があります。・・・・・・50歳を過ぎて妻がアルツハイマーにかかってしまいました。妻は、まだ記憶がしっかりとしているときに夫に懇願します。もし私が自分が自分であるとわからなくなったら、生まれ故郷の海に私を連れて行って、その岸壁から私を突き落としてください。私は自分が自分でいられなくなることがほんとうに辛いのです。・・・・・・・小説は病が悪化した妻を故郷の海に連れて行くところで終わっています。・・・・・・・もしそうなったら、あなたは、妻を殺すことができますか。・・・・・・・・イーストウッドは、言うでしょう。Of course, I do.・・・・・・・・だけど、平和な社会のエキスをたっぷりとすいこんだ僕には、とてもできそうもない。記憶はなくたって、そこに立っているのは生きた妻にしか思えないから。・・・・するとイーストウッドはいうでしょう。「愛しているからこそ殺せるんじゃないか」・・・だけど僕は断固として言いいたい。「愛しているから殺せないんじゃないか」・・・・この二つの考え方の間には、人と人との関係について架橋しがたい深い淵があります。・・・・・・・・またイーストウッドは、人間の人生の意味は偉業を成し遂げ、それが人々から語られることにあるのだ、というところにあるようです。だから何かを成しどけられないなら、生きている意味はない、ということになる。戦士的、武士的な人生観ですね。・・・・・・この時代に、そういう感性に諸手をあげて賛同してよいのだろうか。 [DVD(字幕)] 3点(2006-07-22 00:16:00)(良:1票) |
48. SAYURI
なんと言っても、この映画で圧倒的にいいのは、陰翳ですね。ほんと谷崎ですね。・・・・・・夜の暗さと、灯りの濃淡、陰翳です。芸者ものといえば、例えば溝口なのかもしれませんが、白黒映画では、この陰翳は鮮やかにはでません。相撲のところのシーンもいいですね。その後の後半の舞台でのチャンツィーの踊りも、いってみれば女歌舞伎風で創造的です。とにかく、全編、絵だけはいいですね。・・・・曲がった路地は全く京都には見えないけど。・・・・・ただ、貧しさ、姉妹の別離、女の嫉妬、戦争、置屋、初恋、顔の醜さ(延)、などなど色々なテーマを入れ込もうとするものだから、いったい何が言いたいのかわかりませんね。メインは芸者の純情というものかもしれませんが、他の要素に埋もれてしまって、鮮明ではありません。・・・・・それにアメリカ的な標準的なモラルを前提にすると、この世界は、実は全く描けないし、説明できないのではないかなぁ。ほんとに描こうとすれば、色々と批判を受けて商業的に失敗してしまうでしょう。・・・・・・・・あと、渡辺謙と役所広司の対決では、役所広司でしたね。というか、この作品では、渡辺謙は全然演技できていないというか、ほとんどイモでした。役所広司の不戦勝というところでしょうか。まあ主役の女優陣を盛り上げようとはからいなのかもしれませんし、この脚本だと、どう演技していいかわからないかもしれませんけど。 [DVD(字幕)] 9点(2006-07-20 00:06:06) |
49. 下妻物語
《ネタバレ》 絵がきれいですね。桃子の家の部屋の中から、畳の居間に希林さんがいて、縁側に桃子がいて、庭にアンナさんがいる絵が幾度か出てきますが、全体の構図、空の青、垣の緑とかいいですね。ストーリーの展開のテンポも良いです。なんといってもアンナさん、いいですね。惚れちゃいますねぇ。・・・・・・それに宙を浮いてふわふわ行く感じ=拘束からの解放、という雰囲気もいいです。・・・・・・・ただ、小池栄子さんは、雰囲気はいいですが、声がでませんね。発声練習がもっと必要かも知れません。桃子さんも、最後のけんかのところで、アンナさんのようには啖呵がきれませんでした。・・・・・「全てが揃う、しかし画一的で凡庸なジャスコ←→個性的なもの」という構図は、掘り下げるともっもっと面白い内容を含んでいるはずですが、巨大資本ジャスコをここまでおちょくった勇気には拍手。(ただ個性的なものが代官山というふう にはなりにくい。)・・・・・・・・・・あと、卑弥呼。バイク雑誌から、それがヤンキーの間で実体化してしまう、という部分は、それだけで大きな主題となり得るので、付け足しみたいに軽く扱われてしまうと、かえってとってつけたようになってしまうように思いました。 [DVD(邦画)] 8点(2006-06-30 09:32:21) |
50. オペラ座の怪人(2004)
《ネタバレ》 芝居小屋でミュージカルとしてオペラ座の怪人を見たとき、僕は、彼の孤独な心が哀しくて感動し、また見たいと思った。・・・・舞台はパリのオペラ座かもしれないけど、芝居小屋で見ると、その地下にほんとうに湖が広がっているような錯覚を覚え、芝居小屋の地下に広がる空間は、本多劇場にだって、紀伊國屋ホールだって、歌舞伎座にだってあるような気がしてくる。・・・・・芝居小屋で見ると、孤独で醜い怪人は、見ている僕ら一人一人の心に宿っている気がしてくるのだ。だから僕は、この芝居と音楽は大好きだ。そしてストラップには怪人のマスクをつけている。・・・・・・だけど、この映画は二度と見たいとは思わない。芝居小屋で味わえる、全ての良さが、映画では完全に破壊されている。・・・・・なぜ、そんなに過去の出来事として今から切断しようとするのか、怪人の孤独な魂はどこに描かれているのか、私たちが日頃、心を偽り仮面舞踏会を演じているという視座はどこに消えたのか、だいたいおぼれかけて水中から脱出するなんていうカットがどうして必要なのか、、、、ぶつくさ、ぶつくさ。 [DVD(字幕)] 2点(2006-06-28 23:09:46)(良:1票) |
51. バトル・ロワイアル
《ネタバレ》 子どもたちが殺し合う映画を、映像芸術のためという美名のもとにつくって良いのか、という問題は確かにあります。それは許されない、という立場に立つ場合は、この映画は、評価する云々の前に犯罪です。・・・・・・ただ、僕は、とりあえず、この映画は、犯罪までには至っておらず、映画として通用する、と考えることにします。というのも、この映画では性描写が殆ど排除されているからです。本当にこういう状況になったら、極端な性行動に走る若者がでてくる筈で、それがこの映画で殆ど排除されているということは製作者が、この状況設定の仮想性を強く意識しているとことを示唆しているでしょう。・・・・・・この映画が非常に素晴らしいと思ったのは、次の三点。・・・・・・1. 僕たちが経験したことのない、友敵という関係のあり方を見事に描いたこと。友敵というのは、C・シュミットの表現であり、政治的なものの本質であり、戦争の闘争状況の中で出現するもの。・・・・こういう状況は、平穏な生活を送る僕たちの日常からは、唾棄すべきものですが、それを敢えて直視する勇気を持たねば、その状況に至る危険性を回避することはできないと思います。・・・・・2. そうした友敵の闘争状況が、聖なる空間との関わりを持っていることを意識した映像となっていること。・・・・ここには日常の生活からは想像することができない、「世界そのもの」を感じさせてくれるものがあります。日本人が昔から、コントロールできない「カミ」として恐れてきたような世界です。・・だから僕たちは、「世界そのもの」「聖なるもの」は映画の世界くらいにしてに本当に近づこうとしてはならないのだ。でないと麻原みたくなってしまうのだ。・・・・・・3. 山本太郎が最後に放つ二発の銃声、、、、これはHANABIのラストではないですか。深作監督は、HANABIのラストは、空砲だったと、敢えて、解釈したに違いない。生に対しての何という肯定。・・・ここのあたりから、実は僕は、もう感動の涙を押しとどめることはできなかった。・・・・・死を意識させられてはじめて人間は生を強く求めるようになる。深作監督は、死を前にほぼ最後となる自分の映画を撮り、自分の死を晒すことで、見る人々に、より強く生を求めさせようとしたのだ、と僕は思う。 [DVD(邦画)] 10点(2006-05-07 14:43:22)(良:2票) |
52. 戦艦大和
吉田満『戦艦大和ノ最期』を、ただ、淡々と、訥々と辿った作品でした。・・・・・・・・前半から中盤にかけては、沖縄特攻までの間の乗員の会話、人間模様を描写し、後半は、乗員それぞれ、特に学徒動員で下士官となったものたちが、どのように死んでいったかが描かれています。・・・・・・すでに50年以上も前の作品ですから、戦闘シーンも沈没シーンも、もちろん非常に貧相です。・・・・女優たちとの涙の別離のシーンも殆どありません。辺見じゅんが高く評価した臼淵大尉の発言も、比較的軽く扱われ、「敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る」というあの発言も「まあいいじゃないか」くらいになってしまっています。・・・・・・全体として、感動的なところはないといって良いでしょう。しかし、そこがこの作品の良いところだと私は思います。・・・・・・戦争映画について、感動して涙を流すとき、その涙は、死者をたたえ、その死に意味があったこと、そしてその記憶を永遠化することを促しますが、それは実は、戦争を肯定し賛美することにつながると思われるからです。 [DVD(邦画)] 8点(2006-04-30 11:08:23) |
53. ゼロの焦点(1961)
最後の海辺の断崖でのたね明かし、犯人の自殺、各地名所案内など、テレビの土曜ワイド劇場、サスペンス劇場そのものだし、、、、、冬の日本海、能登、芥川也寸志の音楽といえば、「砂の器」そのものだし、何かマンネリというか、、、、あれっ、まてよ、、、、この作品は1961年で、その頃は、まだワイド劇場はないし、「砂の器」はこのあと10年以上あとの作品だし、、、、、、ということは何かい、この作品が、その後のサスペンス劇場、ワイド劇場、船越英一郎ものの、原型を作り上げたというわけか、、、、、。ということはさておいて、、、、さらに、犯人と動機などは予想しやすいし、どうして久我美子は夫の二重性に気づくかがわかりにくいし、久我の謎解きと高千穂の説明の違いは「羅生門」的だし、、、、ということもさておいて、、、、見終えて、野村芳太郎、松本清張、横溝正史etcなどの、日本的な情念の世界というか、日本的な世界で生きてゆくことの闇というか、、、、、非常に重く、心にのしかかってきます。ちょっとした瞬間の心の闇が滅茶苦茶に甚大な不幸をもたらし、それに押しつぶされてゆくことも。映像としては、最後に加藤嘉さんが自動車に乗った高千穂を追いかけるシーンが、キャメラの位置取りとかいいですね。、、、、それと昭和30年代の東京の風景、裏日本の風景、人々の様子がよく映し出されています。、、、、、、とにかく、何というか、重たい映画でした。 [DVD(邦画)] 9点(2006-04-06 00:11:04)(良:1票) |
54. 濹東綺譚(1992)
これはポルノ映画です。よい子は見てはいけません。、、、、、でてくる女優がみんな、すっぱり、きっぱりと脱いでいるのに、宮崎美子だけ、ちゃん脱がなかったのはどうしてだろう。やっぱり熊本大学出身の学士であるというプライドが邪魔させているのだろうか???、とはいえ思い切りがわるいから大河の出番もなかなかないのだ。、、、、、などということはさておいて、私がこの映画を高く評価したいのは、墨田ユキをはじめとする女優の裸体の素晴らしさゆえではなく、、、、昭和の初め、そして戦中の玉の井の記憶として、戦争中の市井の人たちの記録として、そして永井荷風という一人の生身の老人の生き様の記録として、深い味わいを感じたからです。、、、、、、、そして新藤兼人流のリアリズムというか、、、。ここには善悪を評価するというまなざしを徹底的に排除するという姿勢が貫かれている。遊女たちを買う男達を非難することはなく、銀座で遊ぶ文士達を咎めることはくなく、戦争の悲惨さを詮索することはなく、、、ただ、ただ淡々と、遊女達のあらわな姿、客と戯れる姿、戦争に散華した若い男、それを悲しむ老いた母親、そして性欲に憑かれている老いた作家、それらの背景となった昭和初期という時代、、が描かれています。、、、、、全体として、どことなく悲しい余韻の残る映画でした。 [DVD(邦画)] 9点(2006-03-27 09:08:40) |
55. 武士道残酷物語
《ネタバレ》 若かりし萬屋錦之介の熱演を除けば、映像芸術としてはあまり面白いものではないかもしれません。(しかし30歳そこそこの萬屋、すごすぎ、、、、淡路恵子が、萬屋はほんとにすごかったといつもいっているが、確かにすごい演技力。10代の小姓から60くらいの老人の役までまったく不自然でない、、、、、)、、、それと全体の構図は、江戸時代の藩=明治以降の国家=戦後の会社=個人を圧殺する家組織、とらえ、その家組織に、いかに従順に男達が自己を埋没させてきたのか、そして女達がその犠牲になってきたのかを綴る、というもので少々単純化しすぎかもしれません。特に、江戸時代の武士のとらえ方は、あまりにステロタイプかというか、一面化しすぎなのは確かでしょう。、、、、そして「武士道残酷物語」というから、最初から2/3は、こんなお話の連続なのぉ、と見ていて退屈なことも否定できません。、、、、、、、しかし、特攻隊の話に展開するに及んで、いいたいのは、戦争の時にお国のためということで自分を全体に優先させてきた行動様式は、実は江戸時代からの武士の行動様式であり、さらにその行動様式は戦後の会社社会でも続いているではないか、という訴えが確かに、響いてきました。、、、、或いは戦時中、そして戦後、個人がいかに集団の犠牲になったきたのか、という思いが伝わります。、、、、、21世紀のグローバル化が進み、自己利益追求型の行動様式が多数派となっているように思われる現在では、とても想像しにくい問題意識なだけに、戦後の日本の歩みを辿る上でも、大変に貴重な歴史的遺産となる映画だと思います。、、、、、、ただ題名の付け方がよくないですよね。例えば「飯倉家の~」とか「武家の~」とかの方が、よくなくなくないかと、、、。 [DVD(邦画)] 9点(2006-03-02 22:59:41) |
56. ツィゴイネルワイゼン
僕たちが生きているこの世界は、隅から隅まで合理的に閉じてできているわけではない。だから、時々、合理的には説明できない、時間と空間を僕たちは体験することになる。そして、僕たちの中には、そうした体験が忘れてしまいたいほど嫌いな人と、逆にそこに言葉では表現できない安らぎを感じる人がいる。、、、、いうまでもなく、前者のタイプの人はこの映画は嫌いなはずであり、後者の人は大好きだと思う。、、、、、ただ安らぎを感じる人も、日常の合理的な世界に戻って来ることができるという前提でそう感じているにすぎない。すみからすみまで非合理的だったら、とっても耐えきれないに違いない。そういう点で、ツィゴイネルワイゼンは陽炎座と好対照をなしていると僕は思う。陽炎座まで行くと、合理的な世界の破壊は一線を越えていて、見ていて不安感が増してしまう。一方、ツィゴイネルの場合は、叙情的な音楽や、鎌倉の情景やらが命綱になって、こっちの世界に戻ってこれるという安心感がある。、、、、、あと、陽炎座の松田優作は、どう演じていいのか最後までしっくり来ていないように思える。そりゃ、普通の映画とは全然違うから、彼のそれまでの俳優の経験は全然通用しないわけだ。逆に、素人の藤田敏八さんの木訥でへたくそな演技の方が、この非合理的な世界の中で、どうしていいのかわからない雰囲気が出ていて、ぴったりして、しっくりくる。、、、、この映画を見てからもう随分とたつのに、ふとあのカニの「ちゃっ、ちゃっ、ちゃちゃちゃ」という音が蘇ってくる。 [DVD(邦画)] 10点(2006-02-28 14:11:23)(良:1票) |
57. 勝手にしやがれ
《ネタバレ》 ああ、これを10代の後半にみていれば、もっと口説き上手になれたでしょう。しかし実際に私がそのころに見たフランス映画といえば「リラの門」とかで、その中のジュジュに大人の男なんかを見てしまったのです。、、、、、、それはそうとして、ゴダールが意図したように私たちには見えないのは当然のことです。たとえば、さかんにパリの街の風景が描かれていますが、ゴダールにとってそうした風景は日常であり、ある意味では単調な退屈さ、平板さを表現していたかもしれませんが、私たち異国の人間にはそのようには感じられるはずもありません。、、、、またベルモンドが牛乳を飲むシーンも、私たちはショーケンの牛乳のイメージを通して見てしまうとしたら、それは明らかにゴダールの目線ではないでしょう。、、、、、再び強調すれば、私たちは決してゴダールの視点からこの映画を見ることはできないはずです。私たちは、私たちの視点からこの映画を見て、評価を下すしかありません。、、、、、、、というとき、私は、次の点で感動しました。1. この時代のフランスの時代の記録として。2. ヨーロッパの若者たちの伝統や因襲に対しての抵抗の記録として、3. 伝統を打破しようという生き生きとした映像として。4. もしかしてフランス人は、いつもセックスのことしか考えていないのではないか、という驚きとして。、、、、、、、残った疑問は、唇を指でぬぐうのは何のサインなのだろう、ということ。そして、前編言葉で満ちていましたが、実は、この映画について言葉で語ることは非常に難しいと感じました。映像は映像を通じてしか語れないのだということを実感させてくれた作品としても私はこの作品を高く評価したいと思います。 [DVD(字幕)] 10点(2006-02-15 21:53:16) |
58. 笑の大学
廷吏という警官というか、高橋昌也さんだったんですね、最初、えっ加藤嘉さん?、ずいぶん前に亡くなったんじゃ?、とか思ってしまいました。高橋さんって、昔は二枚目のおじさん役だったのに、随分お年になりましたね。、、、絵として一番綺麗だったのは、その高橋さんかなぁ。存在感もなんかあったし、、、、、、、警察の検閲=NHKの検閲、椿一=新撰組を書いているときの三谷氏、と置き換えて見ていると、少しは楽しめましたが、それにしても、三谷氏の言い訳というか、楽屋話というか、そんなのの連続でしたね。、、、、、、とにかく面白ければいいじゃない、楽しければいいじゃない、笑えればいいじゃない、という三谷氏の基本的なスタンスがよおくわかりました。、、、それはそれでもちろんいいのですが、そういうスタンスの人が立ち入ってはいけない領域というのもあって、この映画は、けっこう、微妙なとこだと思います。「どんなときも笑いを忘れてはいかんのだ」というのと、「どんなときも笑わなくてはいかんのだ」というのはちょっと違うんじゃないのかなぁ。友達が死んでも、飼っていた犬が死んでも笑えというのだろうか。もしそういう時、笑えたとしても、その笑いは悲しい笑いで、おかしい笑いじゃないし、この映画での笑いとも違うんじゃないでしょうか。、、、、、椿一が応召の前の晩に笑いを考えられたのは、それが彼の仕事だからでしょ。魚やさんや薬屋さんだったら、応召の前の晩にギャグ考えたりしません。、、、、、あと、ごろちゃんは舞台ならもっとごまかるのでしょうが、映像になると細かいところや色々と気になってかわいそうです。彼自身の非力より、そういう配役をした方が責められるべきだと思います。役所広司と較べたら見劣りがするのはあたりまえです。 [DVD(字幕)] 4点(2006-02-13 14:31:53) |
59. スーパーサイズ・ミー
もうずいぶん前ですけど、何を思ったのか、一人暮らしを始めた知人が、毎日、毎食、カップ麺を食べ始めました。10日くらいたって、彼は肝臓を悪くして、病院に担ぎ込まれました。、、、、、そりゃ、ほんとにカップ麺しか口にしないんじゃ、体にいいわけがありません。、、、、、とはいえ、カップ麺は、災害などの非常時の食料として備蓄するには非常によいし、第三世界の貧しい人たちにとっては、貴重なカロリー源になりえるわけです。、、、、、要するに、物事には、いろいろな側面があって、マクドナルドだって、いろいろな側面があるわけです。そして、日本人にとってのマック、中国人にとってのマック、インドのマック、それらは全く同じ意味を持っているわけではありません。そうした問題の多様性、文化との関わりといった側面を、この映像は十分にとらえていただろうか。、、、、、、、、結局、ただただマクドナルドをに対しての魔女狩りをやろうとしているだけのような気がする。ホットドッグもハンバーガーも元来は、貧しく忙しい労働者の食べ物だったわけだし、実際、デブ化の最大の要因はポテトと清涼飲料、それとナゲットであって、ハンバーガー自体にめちゃくちゃ問題があるわけではない。、、、、特に終盤で、クラボウスキの発言の「自分たちも問題の一部だ」という発言をとらえて鬼の首を取ったようにしているところなどは最低だと思う。、、、、、『ファストフードが世界を食いつくす』(シュローサー)を読んでから、この映像を見ると、この映像のよいところと不十分なところがもより見えてくるかもしれません。、、、、マクドナルド問題というのは、単にデブになるかどうかというだけの問題ではないのです。 [DVD(字幕)] 7点(2006-02-01 01:08:36) |
60. 隠し剣 鬼の爪
《ネタバレ》 あまりに想像力が豊かな作品というのは、僕たちの日常をあまりに超越していて、理解できなかったり、不快感を催したりするものです。もちろん、あまりの駄作も、同様の効果を生みます。、、、、、さて、僕は、この映画を見て、かなりの不快感と、理解できねぇ、という印象を持ったのですが、超傑作、駄作のどっちなんでしょう。とりあえず、駄作だという立場を選んでみることとします。、、、、、、まず、だらだらして、で、何が表現したかったのかわかりません。永瀬に「人を殺すのは怖いんだ」といわせ、軍事教練を見せて、戦争と平和のコントラストを描きたかったのだろうか、、、、。それともかつての身分制社会を批判的に捉え、平等な人間関係を讃えたかったのだろうか。それとも、友情や武士道みたいなのを描きたかったのだろうか、あるいは、必殺仕掛け人的な隠し剣??、、、、、いずれにしても全てが中途半端。永瀬が小沢に対してどうして友情的な感情を抱いていたのかが全く描かれていないし、そもそも小沢がどういう人物なのかもわからないし、あるいはどうして小沢が江戸で処刑されず護送されたのかも不明だし、江戸の末期に謀反って一体何のことかも不明だし、永瀬が家老を殺害する動機も十分とは思えないし、新型銃を使うなら永瀬が出かけてゆく理由がないではないかと思うし、、、、数えたらきりがありません。、、、そして最後が決定的に酷い。松が「これは命令ですか」と問うたのに対して、せめて、「もうそういう時代ではないのだ」くらいのニュアンスの言葉を語らせてくれ。永瀬が「そうだ命令だ」というとき、二人の身分関係は固定したままではないか。もちろん、それをややアイロニーを含んだ愛情表現と解することもできるけれど、そんな微妙な筋の展開だったとは思えない。、、、、、要するに、松竹は「たそがれ」二番煎じで儲けられると考え、山田監督は、再度アカデミーにチャレンジくらいの積もりだったのだろう。、、、、山田監督は武士という支配階級を主人公にした時代劇には向いていないと思う。もし山田的時代劇を撮りたいなら、せめて渡世人とか農民を主人公にすべきだ。 [DVD(字幕)] 3点(2005-12-07 09:47:51) |