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 > ザ・チャンバラ さん
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プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
年齢 43歳
自己紹介 嫁・子供・犬と都内に住んでいます。職業は公認会計士です。
ちょっと前までは仕事がヒマで、趣味に多くの時間を使えていたのですが、最近は景気が回復しているのか驚くほど仕事が増えており、映画を見られなくなってきています。
程々に稼いで程々に遊べる生活を愛する私にとっては過酷な日々となっていますが、そんな中でも細々とレビューを続けていきたいと思います。

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41.  マイティ・ソー/バトルロイヤル 《ネタバレ》 
IMAX 3Dにて鑑賞。飛翔シーンや広大な世界観など3D効果を実感しやすい要素が多く、かつ、マーベルは3D技術の使い方も小慣れてきており、3Dで見て良かっと思える仕上がりでした。 ソーはMCU内でも出来がイマイチの部類に入るシリーズであり、特に前作『ダークワールド』はMCUワーストクラスの作品だと思っているので、本作についてもあまり期待をしていなかったのですが、小難しい主張やドラマ性というものをほぼ捨て去り、開き直って純粋に娯楽性のみを追求したことから、これがとんでもなく楽しい作品に仕上がっていました。 アンソニー・ホプキンスやケイト・ブランシェットといったトップクラスの俳優を惜しげもなく投入している上に、今や大作の主演を張るまでに成長したトム・ヒドルストンも本作では変わらず卑怯者のロキを嬉しそうに演じているし、お久し振りのジェフ・ゴールドブラムが最初から最後まで笑わせてくれて、マット・デイモンのカメオ出演まである。これだけ豪華なメンツでもてなしてくれるのだから、2時間はあっという間でした。 また、本編中2度ある『移民の歌』が流れるタイミングの絶妙さや、コーグの救援場面やスカージがヘラに反旗を翻す場面などもバチっと決まっており、完璧なタイミングで燃える要素をぶっこんでくれるのでアクション映画としても燃えました。 ムジョルニアの破壊に始まり、片目を潰されたりアスガルドを破壊されたり、そもそも敵が実の姉だったりと、よくよく考えてみれば本作はかなりの鬱展開なのですが、悩むよりも行動で突破し、どんな苦境の中でも望みを探すという楽天的な姿勢は、非常にソーらしかったと言えます。
[映画館(字幕)] 8点(2017-11-10 18:41:14)
42.  バリー・シール/アメリカをはめた男
テレビドラマ『ナルコス』ではとんでもない悪人として描かれており、実際にどえらい悪人であるバリー・シールを愛すべき人物として描いた作品なのですが、トム・クルーズの持つ爽やかさや天真爛漫さが作品に大いに貢献しており、この悪人にとても感情移入して見ることができました。 御年55歳で実年齢よりも20歳近く年下の役柄を演じ、しかも「面白そうだから飛び込んでみました」みたいな無鉄砲なキャラクター像を違和感なく観客に伝えられるというトム・クルーズの個性には本当に恐れ入りました。本作の魅力の7割はトム・クルーズが担っていると言っても過言ではありません。 残り3割は、この時代に実機によるスタントを多用した映像の説得力でしょうか(この超絶スタントのために死者を出したようですが)。空を飛ぶ場面の開放感、「空は俺のものだぜ」感が見事に表現されており、この開放感が欲しくてバリー・シールは仕事をしており、自由に飛べるのなら積み荷は何でもよかったんだろうなということが感覚的によく理解できました。 全体的な軽さの反動でクライムアクションに必要なスリルを醸成できていなかったし、捜査の手が回った後半以降はこの手の映画のテンプレート通りでやや冗長さを感じさせられたものの、全体としてはよくできた娯楽作だと思いました。
[映画館(字幕)] 7点(2017-10-31 18:46:58)
43.  神様メール
アイデアの奇抜さや、そのアイデアを観客に伝えるためのストーリーの整理の仕方など、この監督の手腕には恐れ入るのですが、『ミスター・ノーバディ』に続き、私との相性は良くありませんでした。 この監督はアイデアで引っ張る一発ネタ的な作風である割りには上映時間が長めだし、極端な設定から人類普遍のドラマを導き出すのかと思いきや、その核にはそれほど訴求力のあるメッセージがなかったりと、結局技巧を楽しんでいるだけという印象がしてしまいます。 比較すべき相手かどうか分かりませんが、例えばチャーリー・カウフマンのように、物凄く奇抜な設定やキャラクターを選択しながらも、見る者の共感を呼ぶような着地点を見出せる作風の方が、より万人受けするのではないでしょうか。
[インターネット(吹替)] 6点(2017-10-31 18:40:12)(良:2票)
44.  福福荘の福ちゃん
おっさん役に森三中・大島美幸をキャスティングした監督のセンスと、ほぼ違和感なくおっさんに見えた大島美幸のなりきり加減には恐れ入ったものの、全体としてはイマイチだと感じました。 これは相性の問題なのでしょうが、笑わせることを意図している場面で悉く笑えず、私にとっては奇抜なキャスティングという一発ネタしか心に残りませんでした。
[インターネット(邦画)] 5点(2017-10-31 18:37:39)
45.  トリプルX 再起動 《ネタバレ》 
まず断っておきますが、私は『1』『2』は嫌いです。 というわけで、まったく期待値の上がらない中での『3』の鑑賞でしたが、不良・遊び人・変わり者が世界を救うという前作までのコンセプトが丸まんま引き継がれた本作の前半は、やっぱり厳しかったですね。特に50前のヴィン・ディーゼルが気の良い不良役をやっている辺りが何とも痛々しいし、作品の世界観では彼がかなりモテる男という設定にも違和感があり、映画に全然乗れませんでした。 お話の方も、CIAの悪だくみをNSA所属のトリプルXチームが阻止するという何ともドメスティックな内容なのに、無駄に世界を股にかけているので状況が感覚的に分かりづらいし、トリプルXチームが中国人・インド人・タイ人とインターナショナルすぎる顔ぶれで構成されており、もはやNSAの一プログラムという設定が置き去りにされていたりと、もうメチャクチャなのです。一応はアメリカ映画ではあるものの、アメリカ人による鑑賞をまったく前提としていないかのようないい加減さ、闇鍋加減には少々困惑してしまいました。 が、ザンダーチームとゴーストチームが合流する後半の高揚感や、ヤケクソの如くてんこ盛りにされた見せ場の連続には目を見張るものがあり、クライマックスまで絶え間なく続くアクションにはかなり見せられました。好敵手だったザンダーとジャンがついに手を組むタイミングや、2代目トリプルXが救援に駆けつけるタイミングなども絶妙で、B級アクション界の巨匠であるD・J・カルーソ監督の手腕も絶好調。こんなに楽しいクソ映画は久しぶりだなぁと最後には大満足できました。
[インターネット(吹替)] 7点(2017-10-28 15:17:52)
46.  完全なるチェックメイト
チェス映画という前代未聞のジャンルを切り拓いた作品ではあるのですが、何が凄いんだか観客には伝わりづらい上に、そもそも画が地味という映画としては致命的な欠点を孕んだこの題材を真正面から取り扱うことは避けており、特殊な環境に置かれた天才が精神を病んでいく物語として全体が構築されています。チェスをまったく知らなくても何ら問題がないというレベルにまでこの題材を落とし込んでみせた監督と脚本家の工夫には恐れ入りました。 ただし、映画としてはまったく面白くありませんでした。頭のおかしい人が暴言や妄言で周囲をひっかき回すだけの内容で、誰にも感情移入ができないのです。フィッシャー以上のストレス下に置かれながらも紳士的な態度を維持できていたスパスキーとの違いなどの考察があれば面白かったのですが、二人の天才の関係性もやたら淡泊で描写が不十分だったので、盛り上げるべきポイントを逃してしまっています。トビー・マグワイアが狂気の天才役を演じる自分の姿を撮らせたくて、自分で製作費を集めて作った映画なのだから仕方ないのかもしれませんが、狂人だけを描いても映画は面白くなりません。むしろ、レクター博士の如く狂人は脇役にしてしまい、狂人に振り回される人達を表面上の主役にしてしまった方が、その存在は立ったのかもしれません。
[インターネット(吹替)] 4点(2017-10-14 01:41:35)(良:1票)
47.  灼熱の魂 《ネタバレ》 
【注意!かなりネタバレしています】 ミステリーとしては面白かったのですが、紛争国を舞台に憎悪の連鎖を描こうとする社会派作品としてはピンときませんでした。 捕えられたナワルの拷問人としてやってきたのが生き別れになっていた彼女の息子でしたという点と、その拷問人がナワルと同じ町内に引っ越しており、かかとの入れ墨が見えるプールで再会しましたという点があまりに強引であり、どんな凄い偶然だよと冷めてしまったために、本作の内容を現実問題と繋げて考えられなくなったことが原因ではないかと思います。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-10-14 01:39:49)
48.  マリアンヌ
映画とは期待と満足度のバランスで決まると言われていますが、本作はまさにその典型。 ブラピにゼメキスという10年以上前に旬を過ぎた看板に、大作要素を微塵も感じさせない地味な宣伝と、積極的に映画館で見たいと思わせるような作品ではないものの、何となく見始めると2時間がアッという間に終わり、鑑賞後には良い印象が残ります。上手な監督、上手な脚本家、見栄えのする俳優が集まって作った映画は、やっぱりよく出来ていると思いました。 ただし突出した点もないので、数日経つと良かった点も思い出せないという、そんな映画。
[インターネット(吹替)] 7点(2017-10-14 01:38:24)
49.  ブレイクアウト(2011) 《ネタバレ》 
もし20年前に公開していれば全米一位を獲っているような元・豪華メンバーによるB級映画ですが、借金問題であらゆる映画に出まくっているニコラス・ケイジはともかく、ニコール・キッドマンまでがミレニアムフィルムズの映画に出るようになった点にはかなり驚かされました。 二転三転どころか五転も六転もする展開はそこそこ楽しく、さらには上映時間が短かったこともあって、見たことを後悔させられるレベルの作品ではありませんでした。ただし、感情移入可能なキャラクターがいないためにスリルが半減したり、小さなどんでん返しが多すぎて「今言ってることも、どうせ後でひっくり返されちゃうんでしょ」という目ですべてを疑うようになって、かえって観客にサプライズが届きづらくなっていたりと、小手先だけで作られた映画だなぁと感じました。 「ケイジは事業に失敗して破産寸前だった→実際には多額のヘソクリを隠していた→ヘソクリと一緒に犯人を燃やすケイジ」という、結局主人公にとって金とは一体何だったのかがよく分からなかったり、序盤では「10分以上現場にいると警察に捕まるリスクが高まる」と言って分刻みの行動をとっていたのに、いつの間にかダラダラと居座るようになった犯人グループだったりと、登場人物達の性格が安定しない点はどうかと思いました。犯人グループの一人であるストリッパーに至っては、現場にあった高いドレスを着て上機嫌になり、プロジェクターでホームビデオを流しながらハッパを吸うという異常なくつろぎ方をしており、この人は一体何をしに来たのだろうかと脱力させられました。
[インターネット(吹替)] 5点(2017-10-05 22:10:15)
50.  ダンケルク(2017) 《ネタバレ》 
IMAXにて鑑賞。IMAX撮影されたノーラン作品は、IMAXで鑑賞するのが正しい見方ですね。 戦争映画は群像劇と結びつきやすい素材である上に、監督は幾重にも重なる物語を描き続けてきたクリストファー・ノーランだけに、現場や司令部を横断的に描く重厚な作品になるのかと思いきや、なんと話らしい話がないという意表を突いた作風となっています。本作はノーラン版『マッドマックス/怒りのデスロード』とでも言うべき内容なのですが、「ある地点からある地点へ移動する」という単純なストーリーに見せ場をてんこ盛りにした『怒りのデスロード』と同様に、本作も「救助を待つ兵士」「救助に向かう船」「敵を排除する戦闘機」という極めて単純な図式にまで各構成要素を落とし込んだ上で、冒頭からエンドクレジットまで絶え間なく見せ場が続くという男っとこ前な作風となっています。 しかしそこはノーラン、ただ単純な物語を描くのではなく、陸での1週間・海での1日・空での1時間を交互に見せ、ラストですべてのタイムラインを合流させるという恐ろしく難しいことをやっており、相変わらずその構成力には驚かされます。さらには、タランティーノ辺りみたいに「どうどう、凄いでしょ?」というこれ見よがしな見せ方ではなく、こういう難しい芸当をサラっとやってのけてみせるんですね。この余裕に巨匠の貫禄を見ました。 また、戦場での友情とか、個々の兵士の物語や、生きて帰らねばならない背景といった、戦争映画にありがちなドラマ要素がほぼ排除されているという点も、本作の特色となっているのですが、かといって感動的な要素がないというわけでもなく、目の前の描写の積み重ねのみできちっと感情的な山場を作れています。チャーチルの演説が引用されるラストはさすがに甘々すぎやしないかと思いましたが、それでも「良い映画を見たなぁ」という余韻を残してくれます。
[映画館(字幕)] 9点(2017-09-20 10:50:02)(良:3票)
51.  アリスのままで 《ネタバレ》 
アルツハイマーの研究者が、「もし自分自身がアルツを発症したらどうなるのか」を想定して書いた著作が本作の原作。家族や友人の客観的な視点がほぼ排除されており、患者の主観に絞って描かれている点が独特であり、これによって観客に多くの発見をさせるうまい仕組みとなっています。 例えば、アリスの目の前で旦那と子供たちが「お母さんをどうするよ」と話し合う場面。彼らはアリスに会話の内容は理解できないと思って話しているのですが、アリスには「自分がお荷物扱いをされている」ということはちゃんと伝わるんですね。旦那にも子供たちにも悪気はないものの、こうした一人の人間に対する配慮を欠いた行為の積み重ねが、患者本人を傷つけていくのです。また、馴染みだったアイスクリーム屋にアリスを連れて行った旦那が「君は何を食べたい?」と質問したにも関わらず、「いやいや、いつも君が食べていたのはこっちだ」と言ってアリスの注文を勝手に変えてしまう場面。些細なやりとりではありますが、無自覚のうちに周囲の人間が患者の意思を無視し、それによって患者が余計に自信をなくすという過程がよく見えてきます。 そんな中でアリスとの相性が良かったのが次女でした。一流大学の教授である両親、医学の道に進んだ兄、法曹の道に進んだ姉というスーパーインテリ一家において演劇志望の次女の肩身は狭いものでしたが、蔑まれ、他人からの価値観の押し付けと戦い続けてきた彼女だからこそ、現在のアリスの立場への理解と共感ができたのではないでしょうか。 なお、演劇志望と言っても彼女が本気で演劇に取り組んでいる様子はなく、世界的な演劇のメッカであるNYの実家を離れてわざわざLAで演劇をやっているという点を見るにつけても、家族への反発心がたまたま好きだった演劇と結び付いた程度のものだったと思います。満を持して披露される彼女の演技は超ド下手であり、舞台を見ていた家族の間では「おいおい、これどうするよ」という微妙な空気が流れるのですが、アリスが次女の演技を絶賛したことからその重い空気が一掃されます。「物事はこうあるべき」という価値観から解放されたアリスだからこそ、目の前で次女が一生懸命演じているという姿に対して純粋な感動が得られたのだと思いますが、周囲からの否定に対する反発が唯一の行動原理だった次女は、このアリスの言動でかえって吹っ切れ、演劇の道から距離を置く決断に至ります。このくだりではアルツハイマー患者の良い点も描かれており、決して悪いことばかりではない点が作品の救いとなっています。 以上の通り意義のある作品ではあるのですが、全体としては優等生的で盛り上がりに欠けるという印象を受けました。難病に対する啓蒙という要素があまりに強く出すぎており、映画として面白くないのです。 また、ジュリアン・ムーアは確かに素晴らしい演技を見せているものの、果たしてこれが彼女のベストかと言われると微妙です。演技力と色気の同居こそが、そこいらの演技派女優とは違うジュリアン・ムーア独自の個性なのに、本作ではただの演技がうまい人なんですよね。10年前だったらメリル・ストリープが、10年後だったらケイト・ウィンスレット辺りが演じても同じようなものが出来上がるんじゃないのと感じられて、ムーアである必然性がありませんでした。本作でのオスカー受賞はムーアのキャリア全体に対するご褒美的な意味合いが強いのではないかとの否定的な見解も聞かれますが、『セント・オブ・ウーマン』や『ディパーテッド』がアル・パチーノやマーティン・スコセッシの代表作とは見做されていないように、本作もジュリアン・ムーアの代表作にはならないように思います。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-09-16 12:48:44)(良:1票)
52.  エイリアン:コヴェナント 《ネタバレ》 
プリクェルではないという微妙な立ち位置で多くの観客に混乱を与えた『プロメテウス』から一転し、本作では『エイリアン』の看板が戻り、全体としては原点回帰の作風となっています。怪しげな星に立ち寄った宇宙船がどえらい目に遭わされるという物語であり、血もドバドバ出ます。これぞエイリアンです。ただし、バカな人間がバカなことをしでかしたために余計に事態が悪化するという、この手の映画でやって欲しくない展開が非常に多くて登場人物に感情移入できなかったことが、観客の恐怖心を和らげるという悪い影響をもたらしていますが。 コヴェナント号が航路を外れてまで舞台となる星にやってくるという基本的な部分から、説明がうまくいっていません。「我々の生存に必要な要素が揃っている。当初の目標である植民星オリガエではなく、こちらの星に移住しよう」という突拍子もない意思決定が実にアッサリとなされるのですが、こんな重要事項に関する判断があまりに軽すぎやしないかと驚きました。一応、この意思決定を下した艦長代理には「信仰心が厚すぎる余り、合理的な判断をできない可能性のある人」という人事評価があり、そのために艦長への昇進を見送られてきたという設定もあるにはあったのですが、ならばなぜ他のクルー達は艦長代理に反対の声を上げないのかと思いました。会社命令で行かざるをえなかったノストロモ号のクルー達と比較すると、事の発端部分に自業自得の要素があるため、コヴェナント号のクルー達には感情移入できませんでした。 惑星に降り立った後も、生命に必要な水と空気があり、植物も生い茂っている環境であれば未知の病原体等のリスクを考えなければならないのに、防護服なしで普通に探検を始めるものだから、この人達はバカなのかと思ってしまいました。いよいよバックバスターに襲われる場面では血で足を滑らせて転倒、一心不乱に撃った弾丸が可燃物を直撃して着陸艇大爆発と、こちらも愚かなキャラクターが事態を悪化させるという形で物語が進んでいくため、怖いというよりも呆れてしまいました。 そして、『プロメテウス』で活躍したデヴィッド登場により、場はさらに混乱します。隠れ家としてデヴィッドに案内されたのは未知の巨人の死体がゴロゴロ転がる、見るからに怪しい場所であるにも関わらず、「ここは安全だ」というデヴィッドの言い分を全面的に鵜呑みにするクルーのみなさん。また、一か所に固まって救援を待てばいいものを、単独行動でどんどん戦力を消耗していくものだからイライラさせられました。彼らの持つ銃火器はエイリアンに対して効果を持つようだったし、用心深く対処していれば全員で生き残ることも可能だったと思うのですが。 一応、エイリアンの起源も説明されます。前作でエンジニアが作り出したものをデヴィッドが品種改良して完成させたのがみなさんご存知のエイリアンでしたという、それを知ったところで「へぇ~」とも何ともならない、実にありがたみのない説明ではありましたが。起源を描けば描くほどエイリアンの存在は矮小化しており、「偶然出会った訳のわからん凶悪生物」という第一作のまま放っといてあげればよかったのにと思いました。 リドリー・スコットによると、次回作『エイリアン/アウェイクニング』は『プロテウス』と本作の間の時期を舞台にした作品となるようですが、エイリアンの起源に関する興味はあまりないので、これ以上の続編はもういいかなという感じです。
[映画館(字幕)] 5点(2017-09-16 12:36:14)(良:4票)
53.  少年は残酷な弓を射る 《ネタバレ》 
私は3人の子育てをしているのですが、子供は決して天使ではないし、必ずしも親の愛情に応えてくれるわけでもなく、親との折り合いの悪い子、どうやっても出来の悪い子もいます。我が家の場合は、手をかけて丁寧に育てているつもりの長子が気難しいひねくれ者になり、一方でほとんど放置状態にあって親として申し訳なさを感じている次子の方が素直な気質を持つなど、親の努力と子供の有り様がうまく整合しないことに子育ての難しさを感じています。世間的には「あなたの育児方法が悪い」と切って捨てられるのかもしれませんが、他の家庭を見ても、これが子育ての実態なのだと思います。 本作は育児に失敗した親の物語なのですが、完全に母親目線のみで作られていることが大きな特色となっています。結果的にケヴィンは凶悪事件を起こし、エヴァは社会的制裁を受けました。確かにエヴァはケヴィンの異常性から逃げ続けており、”We need to talk about Kevin.”と旦那に伝え、ようやく動き出そうとした段階では時すでに遅し、まさにその当日に事件を起こされてしまいます。妹の片目を潰された時、ハムスターを殺された時、もっと遡ると「死ね!死ね!」と幼児らしからぬ言葉遣いでゲームをしていた時など、息子の凶暴性を示すシグナルはいろんな場面で出ていたにも関わらず、彼女はそのタイミングを悉く逸していたのです。ただしこれとて外野の意見であり、精神的に追い込まれた状態で子育てをしていたエヴァには「日々何事も起こらぬように」と祈ることしかできず、問題対処までの余力はなかったこともまた事実でした。 家族とは厄介なもので、常に顔を合わせる共同体だからこそ波風が立たないことを祈り、時が解決してくれることに期待するという一面があります。子の犯罪に対して親の責任が問われる時、「なぜいつも一緒に居るのに放置したのか」などという意見もよく聞かれますが、いやいや、いつも一緒に居るからこそ口を出しづらいということもあるのですよ。子の問題の核心を突いてしまうと、ギリギリで保たれている家庭内の均衡が崩れ、状況がより悪化してしまうかもしれないという恐怖。これは問題のある子を持つ親に共通する心理ではないでしょうか。ここで母親目線という本作の建付けが活きてくるのですが、エヴァと同様に観客の目にもケヴィンは手の付けようのない悪魔として映る仕掛けとなっており、大上段からあるべき論で関係者を裁くという安易な方法をとらせません。私だって子供の欠点すべてに向き合っているわけではなく、「子供なんてこんなもの」「親が口を出し過ぎるべきではない」「いつか自分で気付いて直すはず」などと自分を言い聞かせて妥協をしている部分があります。凶悪殺人事件という極端な題材を扱いながらもこれを対岸の火事とさせず、世の親に共通する恐怖心を的確に突いていることが、本作のうまいところなのです。 そして、話のオチの付け方も見事なものでした。冒頭より、なぜエヴァは事件のあった地元を離れて自分だと気付かれない場所へと引っ越さないのだろうかという点が引っかかっていたのですが、最後の最後、自分自身はソファを寝床にしながらもケヴィンの帰る部屋をきれいに整えているエヴァの姿から、この親子には尋常ではない絆が存在し続けていたことが判明します。ケヴィンは母親への反発という感情、エヴァは息子への当惑という感情しか持ち合わせていなかったが、その根底には愛情ともやや違う強力な絆があったということを、取り返しのつかない大事件の後になって二人はようやく認識します。この熱いんだか冷たいんだか分からない親子関係のどうしようもなさが判明した時、私は物凄く胸が熱くなりました。「出来の悪い子ほどかわいい」という言葉がありますが、悪しき一面を持つ子供って、親のある要素を強烈な形で引き継いでいる場合が多く、親としては憎くて仕方ないんだけど憎みきることができなかったりします。本作はこれを容赦のない形で描いてるんですね。本編中には、この親子は似ているという点を示す描写がいくつかあります。ケヴィンの問題行動を受けたエヴァの感情は「なぜこんなことを」ではなく、「理解できなくはないが、なぜここまでやるの」だったのではないでしょうか。 個人的には、今まで見てきたすべてのドラマの中でも最高レベルの感動がありました。ただし、プロデューサーを務めたソダーバーグの影響か、過去と現在を行き来する編集が少々ウザかったので、一点減点とします。凝った編集もほどほどであれば効果的なのですが、全編これでは疲れてしまいます。
[インターネット(字幕)] 9点(2017-09-14 19:00:22)(良:1票)
54.  オオカミは嘘をつく 《ネタバレ》 
原題”Big Bad Wolves”は単数ではなく複数であることがミソ。本来は被害者側に居たはずの人間が、復讐をしている内に自らもオオカミの側に立ってしまうという善悪のボーダーレス化が本作のテーマであり、その点ではドゥニ・ヴィルヌーブ監督の『プリズナーズ』と共通しているのですが、味付けがまったく違うために完成した作品はまるで別物となっています。 ひたすら情念の世界だった『プリズナーズ』とは対照的に、本作では暴力そのものが目的化していく過程が描かれています。本作が異様だと感じたのは、少女の猟奇殺人事件を題材としながらも、その被害者家族にも、これを捜査する刑事にも事件そのものに対する怒りや悲しみというものが描かれておらず、彼らが「愛する娘を殺された」という絶対正義を笠に着て容疑者への拷問を楽しんでいるように見えるという点です。監督は、感情面でのリアリティを放棄してまで善悪のボーダーレス化という主題を描いており、この異様な構図を受け入れられるかどうかが、本作を楽しめるかどうかの大きな分水嶺になっています。 この監督の真意は、イスラエルとパレスチナの関係を描くことにあったのではないかと思います。双方、報復のやりあいとなっていますが、どちらにもそうせねばならない大儀がある一方で、復讐や暴力そのものには快感や中毒性があり、大勢がその快感に飲まれているのではないかと。例えば、被害者の父親は「犯人を同じ目に遭わせてやるんだ」と言って毒入りケーキを作り始めますが、ケーキを作っている過程がとにかく楽しそうなんですね。また別の場面。偶然、拷問の現場にやってきた被害者の祖父が、最初は「お前ら、一体何やってんだ」とか言いながらも、拷問がちょっとした手詰まりを迎えると「火責めは試したのか?」と言って、こちらも実に楽しそうに犯人の皮膚をバーナーで炙り始めます。 上記の通りなかなか捻じれた作品であり、感情面でのリアリティを放棄しているために映画としては面白くありません。しかし、製作国がイスラエルであるということが暴力に関する考察に説得力を与えており、鑑賞に意義はあったと言えます。
[インターネット(吹替)] 6点(2017-09-11 18:30:24)
55.  ワンダーウーマン 《ネタバレ》 
IMAX 3Dにて鑑賞。ザック・スナイダー印の曇天画面がほとんどであり、かつ、3Dを意識した見せ場がほとんどなかったため、2D版で見るべきだったかなとちょっと後悔しました。 BvSのレビューにおいて、作品中唯一面白かったのがワンダーウーマンの登場場面であると書きましたが、その単独主演作においても、やっぱりワンダーウーマンは良かったです。母親がコニー・ニールセンで、叔母がロビン・ライト、親戚にはシャーリーズ・セロンが絶対いるだろとツッコミを入れたくなってしまうモデル一家の中心人物にして、ゼウスの娘。まぁ笑ってしまうほど凄い設定のキャラなのですが、これが見事に実写化できているのです。彼女は基本的には眉間にしわ寄せた強い女性ではあるものの、スティーブとの恋愛や仲間たちとの談笑で見せる彼女の「女」の部分も十分魅力的であり、観客の誰からも愛されるキャラクターとして仕上がっています。これまでの出演作では添え物美人役ばかりだったガル・ガドットからここまで豊かな表情を引き出してみせたパディ・ジェンキンスの演出力は、さすがのものだったと思います。 ただし映画として面白かったかと言われると、これが微妙でした。『マン・オブ・スティール』以来のDCEUの欠点なのですが、もしMCUであれば120分以内で収めるであろう内容に140分以上を費やしており、話のテンポがとにかく悪いのです。さらに、同じくDCEUの欠点として敵に魅力がないという点も挙げられますが、本作においてもその欠点は改善されていません。アレスの正体は作り手が意図したほどのサプライズとはなっておらず、また主人公や観客を圧倒するような殺気を放ってもいないため、ダイアナが負けるのではないかとハラハラさせられることが一瞬もなく、戦いは盛り上がりに欠けました。また、意味ありげに登場した刀「ゴッドキラー」がラストバトルにおいて何の役にも立たないという展開にも首を傾げました。強敵を相手にして、最後の最後に必殺技を決めるという展開がヒーローものの定番であり、本作においてはダイアナがゴッドキラーを用いた必殺技でアレスを葬るという展開であるべきだったと思うのですが、そのゴッドキラーは途中で無力化し、何かよくわからんが神がかった攻撃で勝利しましたという展開はうまくありません。それまで殴り合いで戦っていたヒーローが、最後の最後にそれまでとはレベルの違いすぎる技を何の訓練もなくいきなり披露し、エネルギー波がぶわーっと広がってラスボスを葬るという決着の付け方、そろそろやめませんか? だいたい、本作は対戦カードの組み方が全体的に良くありません。観客はBvSにおいて規定外の強さを発揮するダイアナの姿を見ているのだから、ちょっとやそっとの敵では彼女に傷一つ付けられないという先入観を持っています。にも関わらず、ドイツ軍の機関銃を潰すとか、基地に潜入するとか、彼女のポテンシャルがあれば朝飯前と思われるミッションばかりなので、素晴らしい見せ場の連続であるにも関わらず、そこに観客の感情は乗っかってきません。それどころか、片手で戦車をぶん投げるようなデミゴッドを相手にしなければならない生身のドイツ兵に同情してしまったほどです。 鑑賞後に振り返ってみると、アマゾネスは戦闘民族ではあるが、基本的には人間とさして変わらない人達であるという前提の下、「アマゾネスの一人であるダイアナも当初は凡人並み→冒険の中で徐々に能力を開花させる→恋人の死とアレスとの戦いという二つのイベントによりデミゴッドとして覚醒」という流れがあったものと思われます。って、分かりづらいよ(笑)!。この辺りのパワーバランスがうまく描けていれば、ラスボス戦でのダイアナ覚醒には『マトリックス』でのネオ復活や『ダークシティ』での超能力戦のような素晴らしいカタルシスがあったはずなのに、情報不足によって唐突な展開になってしまっている点は実に残念です。 あと、ダイアナが明らかに人間ではない動きを見せた時に、なぜ周囲の人間は驚かないのかという点も不満でした。ヒーローものって、ヒーローのド派手な活躍と、それを見守るオーディエンスのリアクションがセットになってこそ盛り上がるものだと思うのですが、本作ではオーディエンスの存在が希薄なのです。敵となるドイツ兵にしても、露出度の高いお姉さんが異常な強さで突撃してくるのに戸惑ったり怯んだりせず、イギリス軍に対するのと同じ姿勢で戦い続けるわけです。そこにあるべき人間的反応がなく、モブがモブに徹しているような状態では盛り上がりません。 以上、なんだかんだ文句を書いてきましたが、肝心のワンダーウーマンが魅力的だったので、ヒーロー登場編としては及第点だったと思います。秋公開の『ジャスティス・リーグ』への期待はちゃんと繋がりました。
[映画館(字幕)] 6点(2017-08-30 09:38:45)(良:2票)
56.  ヒットマンズ・ボディガード
自身がプロデュースも務めた『デッドプール』において、ライアン・レイノルズは「この映画にはサミュエル・L・ジャクソンは出てこないぞ」とネタにしていましたが、そんな2人の共演が晴れて実現したのが本作となります。その他、Netflix版『デアデビル』でエレクトラをやっていたエロディ・ユン、『ダークナイト』三部作でゴードン警部をやっていたゲイリー・オールドマンと、意図的にやってんのかと言いたくなるような豪華キャストによるB級アクションですが、肩肘張らずに見られる娯楽アクションとしてはなかなかの仕上がりとなっています。 前半のテンポの悪さにこそ多少、退屈させられたのですが、中盤におけるアムステルダムでの陸路と水路で同時進行する素晴らしいチェイスシーンから物語は急激に熱を帯び、ラストに向けて図ったように規模が大きくなっていくという見せ場の配分の良さ。また、タイトルにもあるようにヒットマンとボディガードがそれぞれアクションを繰り広げるため見せ場の密度は二倍となっており、製作費3000万ドルの中規模作品とは思えないほどの満足感を味わうことができます。 難を言えば、敵があまりに無個性で主人公2人にとっての重大な障害にはならなさそうだった点が挙げられます。敵の実働部隊にも主人公と同レベルの刺客がいれば、また盛り上がったと思うのですが。 しかし驚くのはNetflixの機動力で、全米で初登場No.1を獲った映画が、その翌週には日本で配信されるという常識的にありえないリリーススピード。劇場公開で一次的に稼ぎ、DVDやインターネット配信は二次使用という従来のコンテンツビジネスのあり方を根本的に変え、劇場公開とインターネット配信を同一のステータスに持っていこうとする彼らの姿勢が映画というものをどう変えるのかには、今後も要注目なのです。
[インターネット(吹替)] 7点(2017-08-27 23:19:41)(良:1票)
57.  オクジャ/okja 《ネタバレ》 
今年のカンヌ映画祭ではペドロ・アルモドバルから「映画は大画面での視聴体験こそが重要であり、映画館で公開されない作品は審査対象とすべきではない」と批判され、一方でウィル・スミスは「うちの子供たちはNetflixがなければ観なかったはずの映画を観ている。おかげで世界中の映画を幅広く理解するようになった」と反論し、一大論争が巻き起こりましたが、その中心にいた作品こそが本作『オクジャ』なのです。 劇場未公開とはいえ5,000万ドルもの製作費がかけられた本作はとてつもなくゴージャスであり、オクジャを表現したVFXの凄さや、ソウルでのチェイスシーンのスピード感や迫力、そしてNYでの一大スペクタクルなど、とにかく見どころの多い作品となっています。 また、Netflixの主義として「作家には口出ししない」という方針があり、上記の通り劇場映画並みのクォリティを誇っている一方で、内容はかなり攻めています。普通の映画会社だったら絶対にOK出さないだろうなという内容であり、一応はR15指定となっていますが、鑑賞時の衝撃度は並みのR15作品を超えています。 本作は後味の残し方がめちゃくちゃ悪いのです。序盤では少女とオクジャの幸せな日常が描かれますが、監督自身も認めている通り『となりのトトロ』のような優しい画面となっており、この部分はどう見てもファミリー映画です。その後のソウルでのチェイスシーンにも一定の娯楽性やユーモアがあって少女の冒険談として見ることが可能なのですが、舞台がアメリカに移って以降のダークな雰囲気は完全に社会派作品。まるで別の映画となります。これが前半との落差で心理的に結構堪えます。 また、それならそれでシリアスに振り切ってくれれば頭を切り替えられるのですが、クライマックスではオクジャと子豚のみが救われるという、とても中途半端な終わり方をします。スーパーピッグ達が人道面で問題のある環境で大量飼育された後に屠殺されるという現実は何も変わらないまま、オクジャだけが幸せな環境に戻ってくるため、目の前の展開に喜んでいいのかが分からなくなるのです。 作品全体の根底には、「そうはいっても肉食は簡単にやめられない」という観客にとってのうしろめたさがあります。例えば戦争の醜さを描いた作品であれば「戦争は良くない。絶対にやってはいかん」と心に決めることができるのですが、食ともなれば自分と主題を切り離して考えることができません。自分のために生き物が殺されている、安く提供するために家畜達は劣悪な環境で生涯を終えている。こうした、普段は見て見ぬふりしていることを本作は容赦なく突き付けてくるため、とにかく後味が悪いのです。 ちなみに、今回の論争の結果、カンヌ映画祭では「フランスでの劇場公開」が審査条件として加わりました。そもそもNetflixを始めとした動画配信サービスに規制を設けていたフランスらしい決定ではありますが、制約条件が少なく本作のように尖った作品を輩出している動画配信サービスを締め出すことが、今後の停滞に繋がらなければいいのですが。
[インターネット(吹替)] 7点(2017-08-19 02:22:31)(良:3票)
58.  マグニフィセント・セブン 《ネタバレ》 
アントワン・フークアは面白い映画も撮るが、それ以上に駄作も撮る監督であり、企画そのものの良否に相当左右される監督さんなんだろうと思っているのですが、それでもデンゼル・ワシントンと組んだ時のフークアは強い。しかもイーサン・ホークも合流で『トレーニング・デイ』のトリオが15年ぶりに結集したのだから、これは鉄板。きっちり面白かったです。キャラ立ちした7人の豪快さだったり、ぶっ殺してやりたいと心から願うほどの敵方の悪徳ぶりだったりと、西部劇に必要な要素がちゃんとぶち込まれているのです。本当に楽しめました。 ガトリング銃の異常な万能ぶりとか、スナイパー2名はファラデーの援護ではなくガトリング銃の射手を狙えばよかったんじゃないかとか、ナイフ・弓・斧の名手をメンバーに入れたにも関わらず、結局全員が銃で戦うんかいとか、戦闘にはいくつかツッコミどころもありましたが、そうした細かい問題を気にさせないほどの勢いがあって、少なくとも2時間は熱くさせてくれました。  ■ここからは、本作にとってのおじいさん的存在である『七人の侍』と比較した評価です。フークアは2004年の『キング・アーサー』でも『七人の侍』の真似事をしようとして失敗していましたが、本作でも集団アクションの面白さを追及することには失敗しています。具体的な文句は以下の通り。  この手の集団アクションには、組織論的な要素が不可欠です。強い個性を持つ人間を束ね、ひとつの方向に仕向けていくという過程こそが大きな見どころなのですが、本作ではそうした要素がほぼ皆無となっている点が残念でした。チザム以外の6人が命がけの仕事を引き受けた背景がよく分からないし、メンバー間の衝突というこの手の作品での恒例イベントも起こらないため、ちょっと味気ないなと思いました。 さらには、鉱山労働者や一般住民を3日で戦力に仕立て上げなければならないという課題についても、問題提起のみでそのプロセスが大幅に切り捨てられており、結局、射撃のうまい奴がいない問題はどうやって解決したんだよって感じでした。 組織面に関するツッコミの甘さは敵方も同じくで、ボーグ軍団は金で雇われた人間で構成されており、基本、雇い主のために捨て身になることはない組織であるはず。だとすれば、楽勝できると思われた相手から予想外の反撃を受け、命がけの戦いを挑まねばならないと分かった時点で組織内に動揺が走り、「金はいらねぇ」とか言って離脱する者が現れてもよかったし、その本気度の違いこそが住民側の勝機となるべきだったのですが、そうした「この立場の人だったら、きっとこう考えるだろう」というあるべき当然の反応が描かれていないために、モブはモブに徹するという残念なことになっています。 さらに、戦いの佳境では敵味方の区別なくガトリング銃での無差別攻撃がなされますが、味方に背後からガトリング銃で撃たれてもなおボーグのために戦い続ける手下達って一体どんな神経してるんだろうかと、この点の詰めの甘さにもガッカリでした。ガトリング掃射で一時的にボーグが優位に立ったが、強引な作戦によって手勢の大半が彼の元を離れたために、ガトリングを潰されると一気に劣勢に立たされるなどの展開であれば、より自然だったのですが。 チザムとボーグの組織作りの違いから入って、何が勝敗を分けたのかという視点で全体を構築すれば面白くなったはずなのに、結局「正義は勝つ」という伝統芸能に終わってしまってるんですよね。西部劇の伝統なんだからそれはそれで結構なんですが、わざわざ21世紀にリメイクした意義として、そこに現代的なアプローチを加えてもよかったのではないかと思います。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2017-08-14 13:54:42)(良:1票)
59.  ザ・マミー/呪われた砂漠の王女
多くの方が指摘されている通り、お話は『スペース・バンパイア』にそっくりです。女性モンスターが精気を吸い取るという描写のみならず、主人公の男性がその女性モンスターの眠りを覚ましてしまったという点や、その男性が女性モンスターに選ばれた者であるという点もまったく同じ。超常現象でロンドンが大損害を受けるという点も共通しており、小学生時分より『スペース・バンパイア』を傑作だと信じている私としては、ついに時代が追い付いたかと感慨深いものがありました。 ただし、『スペース・バンパイア』には確かにあった恐怖という感情が、本作ではほぼ失われているという点は致命的でした。大変な金をかけて作られたミイラ達が全然怖くないんですよ。ダークユニバースは一応ホラー要素のある作品群であるはずなのに、ホラー映画としてまるでダメなのでは話になりません。このままでは『リーグ・オブ・レジェンド』や『ヴァン・ヘルシング』といった失敗作と同じ轍を踏むのではないでしょうか。 また、話が異常に分かりづらかったという点も、大きなマイナスです。蘇った砂漠の女王は何をしようとしているのか、そして主人公たちはどうやってそれを防ごうとしているのかという基本的な情報すらうまく伝わってこないため、特にクライマックスの追っかけは一体何やってんだかよく分かりませんでした。アレックス・カーツマンを筆頭にデヴィッド・コープ、クリストファー・マッカリーとハリウッドトップクラスの脚本家が名を連ねながら(なお、3名全員が『ミッション・インポッシブル』シリーズに関わった経験を持っています)、これだけ雑な仕事をするものかと驚きました。ま、話がまとめられなかったからこそ、大勢の脚本家が雇われたとも言えますが。
[映画館(字幕)] 4点(2017-08-12 23:39:24)
60.  ラ・ラ・ランド 《ネタバレ》 
冒頭におけるハイウェイでのダンスの異常なテンションには圧倒され、「これはドえらいミュージカル映画ではないか」と大いに期待させられたのですが、あれが本作最大の見せ場であり、しかも、主人公たちのドラマには直接関係のない序曲みたいなものだったという点で、ガッカリさせられました。 エンタメの世界を舞台にした青春ドラマという素材は監督の前作『セッション』と共通しているのですが、イヤな指導者といかに相対するのかというテーマに普遍性のあった『セッション』と比較すると、本作はエンタメ業界に寄りすぎているために、一般人にとっては他人事に見えてしまうという欠点があります。夢を目指した経験のある人にとっては大いに共感できる内容なのかもしれませんが、大多数の観客にとっては、主人公2人の抱える苦悩への共感がかなり薄くなってしまいます。 また、主人公2人ともに才能があって、両方が成功を収めるという甘々の結末にもリアリティを感じませんでした。成功者に対して圧倒的多数の失敗者によって成り立つエンタメ業界のお話しをするのであれば、カップルのうち片方、もしくは両方が夢を諦めて現実社会に戻り、それなりの幸せを掴むというオチとした方が、一般の観客からの理解は得られやすかったのではないかと思います。 失敗という点でいえば、エマ・ストーン演じるミアがいったん夢を諦めて実家に帰るという展開がありますが、一人芝居での失敗はともかくとして、それまでのオーディション場面などではさほど屈辱的な描写などはなく悩むほどの苦しみを味わっていたようには見えず、展開にやや唐突感がありました。この辺りは、ハーバード卒という綺羅星の如き経歴と、若くして天才と持て囃される才能を持ち(彼は本作で史上最年少のオスカー監督賞受賞者となりました)、底辺で屈辱を味わった経験のないチャゼル監督の限界なのでしょうか。 また、本作は古き良きハリウッドのミュージカル映画を参考としすぎる余り、不自然な展開がいくつかあった点もいただけません。例えば主人公たちは何度かすれ違いをし、そのすれ違いがドラマの分岐点となるのですが、そのどれもがメールか電話をすれば簡単に解決した問題であり、見ていてイライラさせられました。こんなことならば、時代設定を50年代か60年代にすればよかったのです。 とまぁ文句を書いてきましたが、「もしあの時、違う行動をとっていれば、今の自分の隣にはあの人が座っていたのかも」というラスト15分は大好きです。この部分には、あらゆる人が共感できるのではないでしょうか。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2017-08-12 17:22:59)
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