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41.  醜聞(1950) 《ネタバレ》 
画家と声楽家が恋人同士であり、旅館に同泊したなどと、でっちあげ記事を雑誌に書かれる。雑誌社にしてみれば、真実かどうかは重要ではなく、売れればよいわけで、二人の談笑写真があるのが強みだった。画家は正義感が強く、泣き寝入りはせず、雑誌社を告訴する。声楽家は最初は消極的だったが、心なきファンレターがを受け取った事と、画家の熱意にほだされ、告訴に同意。ここから法廷対決のはずが…、話は卑劣弁護士の改心譚に転調する。弁護士は雑誌社に金で抱きこまれ、会社側に有利になるように仕組む。弁護士はうだつが上がらず、寝たきりの娘を抱えて経済的に困窮している。画家と声楽家は弁護士の娘に会い、その清らかな心に触れ、その父親の誠心を信じた。裁判は雑誌社優位に進んだが、最終的に弁護士が自らの買収を暴露する事により二人の勝利となる。二人にとって裁判の勝利より、弁護士が改心し、真人間になった事の方が嬉しかった。 ◆脚本に一貫性がない。無責任な雑誌記事により「醜聞」に曝された被害者の憤慨と苦悶、どうやって「醜聞」に対抗するかという問題が、後半になると「醜聞」はどうでもよくなっている。又二人の「醜聞」なのに声楽家の扱いが等閑なのが奇妙だ。後半になると会話はほどんどなく、裁判でも一切発言しない。刺身のツマ扱いだ。二人が協力しあい、その過程で恋愛も芽生えるというのが自然の流れだろう。協力の結果、裁判に勝ち、弁護士も改心し、恋愛も進展することでカタリシスが得られた筈だ。 ◆弁護士が改心した理由だが、これは本人が何かを経験したとか、誰かに影響を受けたという事ではなく、ただ最愛の娘を失くした事が契機となっている。問題の解決策としては、実に安直である。 ◆この映画は当然描くべきことを描いていない。第一に娘の死ぬ場面だ。最大の泣かせ場であり、弁護士がどれほどショックを受けたを示す絶好の機会なのに。「いきなり死にました」では観客もどん引きである。その伏線があってしかるべきである。 次に告訴を逡巡していた声楽家が告訴を決意する場面。心の推移を見せてこそ感情移入できるというもの。弁護士が酒場で皆と「蛍の光」を合唱する場面がある。正しいことをしようと心に念じているが、それがなかなか実行できないもどかしい心情を巧に演出していて見事である。このような演出を声楽家にもすべきだった。バランスが悪いのである。法廷闘争も緩くて魅力薄。
[ビデオ(邦画)] 6点(2011-10-11 20:43:44)
42.  白痴(1951) 《ネタバレ》 
妙子=絶対不幸者で魔性の女。少女時代から愛人生活。金で売られそうになる。妙子は綾子を自分にないものすべてをもっていると思っていた。綾子=恵まれた環境で育ったお嬢さん。気分の起伏が激しい。妙子に嫉妬する。亀田=聖者。善の象徴。戦犯となり死刑直前から奇跡的に生還するが後遺症で癲癇発症。純粋すぎて嘘がつけず、心に思ったことをそのまま口にする。他人の心を見抜く力、直観力に優れている。赤間=俗人、悪の象徴。妙子に恋をし、結婚を阻むためお金を出す。恋敵の亀田を殺そうとする。 ◆戦争の副産物といえる、珍奇な聖者亀田。彼は一瞬で妙子の不幸を見抜き、彼女の心をとらえてしまう。妙子の傷を癒したい一心で、結婚を申し込む。妙子は亀田はあまりに純粋すぎて、汚れた自分にふさわしくないと考え、綾子と結婚させようとする。綾子の心は揺れ動くものの、最終的に亀田との結婚を承諾。妙子は亀田が結婚したら、自分も赤間と結婚するつもりだった。しかし綾子は亀田が本当に自分だけを愛しているか知りたくて、亀田と共に妙子と対面、感情が噴出し、絶縁宣言をする。妙子は嫉妬する綾子を見て、亀田にはふさわしくない女と確信し、亀田に自分を選ぶか綾子を選ぶか迫る。亀田は戸惑うばかり。綾子は家を飛び出し、雪中をさ迷い、倒れて高熱を出す。妙子はその場で失神。嫉妬に狂った赤間は妙子を独占するために妙子を刺殺、精神を病む。亀田は精神は破綻する。純粋な心の鏡は欲望を曇りなく映し出す。亀田の純粋すぎる精神を媒介に、各人の欲望が増幅され、凶器となって跳ね返ってきた。全員が破滅するというショッキングな結末。純粋すぎる心はこの世に存在することは許されないのか? ◆男女入り乱れての息つまる心理戦。見えにくい心の動きを窓、吹雪、積雪、風、樹などの背景や仮面、悪魔像、服装、蝋燭などの小道具、そしてライティングで豊かに表現する。構図もビシビシ決まる。映画の技術教科書のような映画。 ◆純粋すぎる心というのは得てして人を傷つける。原作に共鳴して純粋な心で映画制作した監督も又打撃を受ける。フィルムは短縮され、客は入らず、批評も散々、会社から馘首を宣言される。落胆甚だしく電車にも乗らず、徒歩で家まで帰っ監督を待っていたのが羅生門グランプリ受賞の報せだった。本人は映画祭に参加していることも知らなかったのに。奇跡はある。
[インターネット(字幕)] 6点(2011-10-06 09:34:46)
43.  戦争と平和(1956) 《ネタバレ》 
「貴族の恋愛」と「戦争」を描く長編。貴族の生活はパーティ、乱痴気騒ぎ、遊びの恋、オペラ、舞踏会、田舎の別荘、狩などで光陰が過ぎる。そこへ戦争勃発、国家存亡の危機である。ピエール(P)伯爵は非摘出子という出生の影響か、気真面目な一方で、虚無的な一面がある。正しいことをしようと思っても、放蕩をしてしまう。戦争や暴力を憎んでいたが、決闘する。矛盾だらけだ。Pは愛されていないと思っていた父と臨終に和解。家を継ぎ、美女エレン(E)と結婚。性格が合わず、別居となり、Eは浮名を流す。PはEを愛していると思っていたが、そうではなかった。彼の信念はぐらつく。Pは戦争の実際を知りたいと思い戦場へ赴く。目の前で繰り広げられる殺戮。負傷兵を救護所に運ぶも既に息絶えていた。戦場の悲惨さを実感して侵略者ナポレオンを憎悪。仏軍はモスクワに進行、露軍と民衆は撤退、放火により首都は燃え上る。Pは首都に留まり、ナポレオン暗殺の機会を待つ。その機会が訪れたが、ナポレオンが火事鎮火を命じる声を聞いて留まる。殺したいほど憎む人間に思えなくなったのだ。彼は捕虜となる。十代の若者が処刑されるのを見る。冬が訪れ仏軍は撤退、捕虜も連行される。歩けなくなれば射殺される雪中行軍。仲良くなった楽天家の農民は途中で落伍。露軍の攻撃で開放されるが、戦闘で親戚のペーチャは死ぬ。まだ戦争が遊びに見える年頃だった。隊長は奇しくもかつて決闘し重傷を負わせた相手で、Eの死を知らせてくれた。隊長の怒りで、仏軍捕虜は全員射殺。◆ペーチャの姉ナーシャ(N)は無邪気で魅力的。かつてPに恋をしたが失恋。その後Pの友人で軍人のアンドレイ(A)と恋に落ち婚約するが、Aの父が難色を示し、結婚は一年延期される。婚約中Eの弟アナトーリと情熱的な恋に落ち駆け落ちを決意。アナトーリには妻がいると知ったPは二人を別れさせる。NはAに謝罪の手紙を送るがAの怒りは消えない。やがてAが重傷を負って帰還。親身に看病するN。Aは心からNを愛していたと知るが逝去する。◆戦争が終り、N一家は家に戻る。家は半壊状態。帰還したPが立ち寄る。抱き合う二人。Nが言う「あなたはこの家のように苦しみ傷つきながらも立っている」。戦争を経験した者にとって平和のもつ意味はとてつもなく大きい。「成し難いが大切なのは命を愛し、苦難の時も愛し続けること。何故なら命が全てだからである」
[DVD(字幕)] 7点(2011-09-23 03:04:17)
44.  眼の壁 《ネタバレ》 
退屈な映画。主人公が終始暗い顔をしてうつむいていて魅力に乏しい。何でいつもそんなに元気ないのと聞きたいくらい。これといった活躍をするわけでもなく、事件を割り出すにしても偶然に頼りすぎる。どうにもこうにもテンポが悪いのだ。謎の解明が中途半端で、鑑賞後不消化の部分が残る。ぱくり詐欺から殺人事件へ、謎の大物の登場と引き込まれる要素が続出するのに、それをうまく料理できていない。そういえば「眼の壁」という題名の意味も不明のまま。とても残念な作品です。 ◆まずパクリ詐欺がよく分らない。手形をだまし取られたわけだが、警察に届ければ誰がどこの金融機関で現金化したかわかるはず。世間の目を気にして警察に届けないのは納得できない。警察に相談すれば、は秘密裡に動いてくれるはずである。また会社にとって非常に重要な三千万円という設定ではなかったか。あれがないと給与が払えないといっていたが。②弁護士の態度がおかしい。弁護士は単独でパクリ詐欺を追っていたようだが、どうして会社にあんなに非協力的なのか。又どうして単独でパクリ詐欺を追っていたのか?③詐欺男を紹介した女がわかっているのだから、その女と会社を追及すればよい。 ◆黒幕である船坂は最後硫酸の中に飛び込んだ。しかしどういう理由で警察が追ってきたのか。逮捕する理由も証拠も無い筈である。いきなり撃ち合いになって終りとは無粋な展開である。 ◆バーテンダーはどのような役割をしていたのか。いつ殺されたのか。「硫酸に漬けて溶かしたら三か月前の死体に見える」なんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。1958年の法医学はもっと進んでいる。弁護士の死体にしても土中に隠せば良いじゃないか。殺人事件になれば警察は動きますよ。 ◆マダムはどのような役割をしてたの?船坂の女ではなかったのか?若い女の役割は?政治家はどう関わっていたのか?船坂グループの犯罪の全容が分らないじゃないか。 ◆劇中TVに長嶋が登場してびっくり。入団した年の映画に早くも登場とは、人気があったことの証明ですね。
[ビデオ(邦画)] 5点(2011-09-15 20:20:05)
45.  二十四の瞳(1954) 《ネタバレ》 
・解説を必要としない感動映画。瀬戸内海の島の先生と生徒の心温まる交流物語というより、師弟不幸物語といったところ。生徒の誰一人として幸せにはならない。先生も母、夫、愛娘を亡くす。日本人が悲劇を好きなのは、この映画が名作と呼ばれることからも推察できる。1954年のキネマ旬報ベストテンでも「七人の侍」を抑えて一位。 ・最大の疑問は、赴任してきたばかりの先生が怪我のため半年ほどで転校すること。折角上げ潮に乗りかけていた先生と生徒の良い話が中だるみとなる。そして先生は教え子たちの卒業とともに教職を辞する。教職に生涯を捧げると思っていたので残念。「アカ」と言われようと、信念を貫く人であってほしかったです。 ・難点は反戦思想が強すぎる事。監督は戦中に戦争賛美の「陸軍」を撮った古傷を払拭しようとやっきになっている印象があります。男子生徒らは志願して軍人になったのだし、先生もしいて反対しなかったのだから、反戦要素としては弱いですね。戦中の子供の歌で「天皇陛下の御為に死ねと教えた父母の赤い血潮を受けついで心に決死の白襷かけて勇んで突撃だ」というのがあります。反戦は事実上不可能でした。反戦は平和のときにだけ言える言葉です。 ・先生は女性なので立場が弱い。まだ参政権もない時代です。生徒の親に立ち入った意見も言えないし、困窮している生徒の誰をも助けることができない。出来るのは、ただ一緒に泣いてあげることと、相手を思い続けてあげるということだけ。でもそれが師弟を越えた本当の愛を伝えることであり、人間を信じることであり、人間らしい心を育むことにつながったのだと思います。よく泣く先生で、わが子からも弱虫呼ばわりされますが、人間としてもっとも大切なものを教えた先生は偉大ですし、それが女性の真の強さだと思います。心だけは戦争では奪えません。学校をやめ、戦争を挟み、自身は不幸になってしまいましたが、その間もずっと生徒らの心の中に愛の灯をともし続けた先生は勝利者だと思います。それは再開の場面で十分伝わります。生徒らの薄幸の生涯や反戦思想にばかりに目がいきますが、真の人間の強さ、相手を思いやる気持ちの大切さをきちんと伝えた映画だと思います。
[DVD(邦画)] 7点(2011-09-14 02:26:57)
46.  点と線 《ネタバレ》 
アリバイ崩しの刑事の説明。「犯人は福岡から東京、東京から札幌へと飛行機を利用、小樽まで汽車で引き返し、函館から来る急行「まりも」に乗り、札幌に電車で到着したように見せかけた」だが飛行機の乗車名簿に犯人の名前はなく、乗客に偽名はなかった。オチとしては三人に名前を貸してもらったわけだが、トリックとしては最低。青函連絡船の名簿トリックも他人に頼んだだけ。子供だましだ。 ◆二人が一緒に死んでいたから情死と思われた。ということは別々の場所で死んだことになる。しかし、その場所で死んだかどうかは、失禁痕などから簡単に判断できる。又目撃されずに死体を運んでくるのも大変だ。杜撰な警官と犯人だね。 ◆最大のトリックは東京駅のたった4分間の目撃情報。二人の女中に佐山とお時を目撃させるのは比較的簡単だが、佐山とお時にあの時間あそこを歩いて電車に乗らせるのは困難だ。佐山とお時は顔見知り程度なのだし、誰かが近くで誘導しない限り、まず不可能。安田の妻にやらせるしかないでしょう。 ◆佐山が1月14日から1月20まで誰とも連絡をとらないのも不自然。家族や親しい友人があるのだから、誰かに相談したと思う。 又1月14日あさかぜに乗車したお時が熱海で一人だけ下車して19日に安田の妻が訪ねて来るまで、誰とも連絡をとらなかった説明もない。少なくとも家族や友人には連絡を入れるのでは? ◆さらに安田妻が1月の寒い夜に佐山を香椎の海岸まで連れていくのにどう誘ったのか説明がない。同じく安田がお時を香椎の海岸まで連れていく説明がない。どんな誘い文句が考えられますか?情死旅行なのに佐山が一人で泊るという不自然さ。すぐ警察に勘づかれますよ。いろいろと設定に無理が多いのだ。賢い犯人なら二人を列車で博多まで行かせ、一緒に泊まらせます。安田の妻が同行しながら別行動をとり、宿屋で青酸カリを飲ませれば済む。これなら安田は苦労してアリバイを作る必要なしです。 ◆肝心の汚職捜査はどうなったのか?そのエピローグもなしに無理心中で終わってしまった。安田妻の心理が理解できません。病弱で夫婦関係ができないから愛人を了承。でも第二の愛人が登場すると夫を独占したいので無理心中。女は夫の汚職のことも知って、殺人を手伝っている毒婦なのに。28歳なのに実年齢40歳の女優が演じるのも違和感あり。犯人がすぐ分かる演出も限定対象。
[地上波(邦画)] 4点(2011-09-12 20:11:28)
47.  勝手にしやがれ 《ネタバレ》 
登場人物に感情移入しながら一歩引いて物語を鑑賞するという従来の映画の殻を破り、映画の中に入って心地よい映像と音楽に身をまかせて体験(トリップ)するタイプの映画。粒子の粗いフィルム、俳優のカメラ目線、人体の極端なアップ等、妙に生々しい演出になっている。何よりも映像のリズムを重視している。男が警官を射殺する場面の極端に省略された編集に注目。これだけで従来にない映画とわかる。又アングルを固定して多カットでつなぐ手法は、外での撮影の場合、背景がどんどん変わる。それでいて会話はぶつ切になっていない。何とも斬新な手法だ。言葉は途切れることなく、背景音楽のように流れ続ける。会話のほとんどは気の利いた愛の科白や人生の警句で、それはそれで心に残るが、それがそのまま意味を持つというよりも、サブリミナルのように意識下に語りかけてくる。ストーリーの流れもタメやユーモアがなく、ノンストップ状態。俳優以外の人(エキストラ)がカメラや俳優をのぞき込んだり、まるで観客が映画撮影の現場に居あわせているようでもある。このように意図的に作成された言葉と映像のリズムに乗る事により、従来にない疾走感を体験できる。◆物語は単純。車の盗難を稼業とする男が警官を射殺してしまう。男は惚れている女の所に行き、ローマに行こうと誘う。女は男を愛しているかどうか分らない。男が女を愛しているといえば言うほど嘘に聞こえる。パリでしたい事もある。迷っている間に男は刑事に追い込まれる。女は密告し、男は射殺される。◆男は人生に絶望しかけており、息も絶え絶え(breathless、英語の原題)だ。その象徴が煙草を吸い続ける事であり、しかめっ面をする事。てっとり早く金を稼いで、女とヤリたいだけ。だが最後に男は気づく。「くやしいけど女のことが頭から離れない」初めて恋を知ったのだ。次の瞬間男は射殺される。「最低だ」という科白は女にではなく、自分に向けられた言葉。◆女は愛よりも自由を選んだ。妊娠していることも気にしていない。だが朗読するフォークナーの「野生の棕櫚」は「医学生と人妻が駆け落ちするが、人妻は堕胎手術に失敗して命を落とす」という内容で、女の将来を暗示する。◆唇を指でぬぐう仕草は、強い決意の表れ。女はラストシーンでこの仕草をするが、それは男との別れの決意。そしてカメラ目線で観客と一瞬向き合い、背を向ける。女と観客の体験が終了したのだ。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-11 03:16:30)
48.  白鯨 《ネタバレ》 
盛り上げ方がとても巧い。旧約聖書を下敷きにした挿話を盛り込み、神の存在感の大きさ、畏怖を感じさせる。神か悪魔か、善か悪か、復讐するのは誰か、裁くのは誰か、神による救いはあるかなど、重厚な内容に酔いしれながら鑑賞すべし。①雷の閃光に一瞬映る船長の後ろ姿。あとはなかなか姿を現さない。②船長の名前エイハブは旧約聖書の神を捨てたイスラエルの王アハブ。だから呪われた名前。③牧師のヨナの説教。予言者ヨナは神に逆らったので巨大な魚に飲み込まれたが、後に救われた。④港で預言者の言葉。「島がないのに島の匂いがするとき、船長は死ぬ。だがすぐに甦り、皆を手招きするだろう。一人を残して全員が死ぬ。」⑤何百頭もの鯨の群れを狩っている最中に白鯨の消息を聞いた船長は作業を中断させ、白鯨を追う。⑥副船長が船長に反逆を起こそうをするが誰も耳を貸さない。⑦見張りが海に落ち、行方不明。それから何日もベタ凪。⑧インディアンの銛打ちが占いをして、自らの死が近いのを悟り、棺桶を作らせ、絶食をする。⑨白鯨とファースト・コンタクト。逃げられる。⑩他船から白鯨に襲われた船を探すようの頼まれるが断る。⑪船長が鍛冶屋に巨大な銛を作るように命令。水の代わりに血を使う。⑫嵐に遭って帆が破れるが、船長は嵐は白鯨に追いつくための神の贈り物だと主張し、強行を命令。⑬副船長はマストを切ろうとするが船長にさえぎられる。⑭セントエルモの灯が出現。船長は白鯨への道案内だと主張し、灯を手で触る。セントエルモの灯は船乗りの守護聖人である聖エルモの火で、これが出現すると嵐が収まると信じられていた。⑮副船長が船長を殺そうとするがためらう。島の匂いがして、白鯨とセカンド・コンタクト。死闘を繰り広げる。【感想】一言でいえば船長の復讐譚だが、その由来が少ししか描かれておらず不満。最大のサプライズは、終始白鯨への復讐を否定していた副船長が、船長の死を目にした途端、船員に白鯨を追うように命令したこと。善良なクリスチャン船員が呪いにかかった瞬間だ。その呪いは神のものか、悪魔のものか、白鯨のものか、船長のものか。どんな人間にも魔が訪れる瞬間があり、運命には逆らえない存在だ。そんな恐怖を体験できただけで満足です。白鯨は何の暗喩か?考えるのも楽しい。ちなみに日本の捕鯨では鯨が逃げないように音を出して囲み、弱った鯨によじのぼり手刀包丁で鼻をそぎとどめを刺す。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-10 13:25:38)
49.  ノンちゃん雲に乗る 《ネタバレ》 
女の子のための女の子のささやかな冒険物語と思う。ノンちゃんは基本的に良い子で優等生、嘘をつくのが嫌い。母と兄が自分に嘘をついて、東京に出かけてしまったことが許せずに泣いて外に出る。そこで雲を映した池に落ちて、雲の上でおじいさんと話をする。 ◆ファンタジーとしての要素は少ない。特別な冒険をするわけでもないし、試練が待ち受けているわけでもない。ただおじいさんに自分の話をするだけだ。最後に試験はあるが、自分は嘘が嫌いな人間であることを再認識することで終わる。相手の立場になって考えることはできず、杓子定規ぶりは変わらずだ。現実世界に戻って、長吉との諍いは長吉が黙っていることで、結局避けたことになる。成長したのはむしろ長吉の方だ。ひれふす心や相手の立場になって考える事を学ぶことを物語の中心に据えながら、最終的に答を出していないのは物足らなく思う。とはいえノンちゃんにとって雲の上での体験は、貴重な自分探しの旅であり、自分と友達、自分と家族の有り方を見直す契機になっている。そして誰に対しても愛おしく感じられる感性を身に着けて帰ってきた。 ◆魅力的な挿話がつまった物語ではないものの、観てよかったと思う。それは忘れてしまった子供時代のみずみずしい感性や、出来事を思い出したからだ。柿の葉っぱの色が変わるのを発見するとか、もしおかあさんがいかなったどうしたらよいかと初めて感じるとか、今がいつの間にか昔になってしまうのを初めて認識するとか、兄の半端じゃないやんちゃぶりなど。誰でも昔に経験し、今では忘れてしまっているようなことが鮮やかに甦る。観る人の共感を得るのはこのためだろう。兄の存在がなければこの作品は平凡すぎる一家の物語になってしまい、魅力の乏しいものになっていただろう。良い子過ぎても困るし、わんぱく過ぎても困る。いつの時代は子育ては難しいものだ。 ◆原作と違い、ノンちゃんが泣いている理由を明らかにせず、中盤でその理由を明かすことで、物語に起伏をもたせること成功している。 【豆知識】①鰐口晴子はオーストリア人とのハーフで、ハプスブルク家の血を引く高貴な家柄。当時天才バイオリニストとして有名だった。②原作は1942年から書き始め、1947年に上梓、1951年に出版社を替えてから売れた。③原節子の病気療養後の作品であり、初めての母親役ということで話題になった。そのためポスターは原節子が中心。
[DVD(邦画)] 6点(2011-09-09 21:37:54)
50.  丹下左膳(1952) 《ネタバレ》 
百万両のありかと示す地図が入っている壺を三者が奪い合う話。細かいことには目をつむって楽しむべき痛快時代劇だが、あまりにゆるい脚本のため楽しめないが残念。つっこみどころは満載だ。 せっかく苦労して箱を奪ったのに、誰も箱を開けて壺を見ようともしのは不自然さ。真っ先に地図を確認したいのが人情の筈。それからみんな今壺がどこにあるかを知っているという不思議さ。どうやって知ったのか。最低限のリアリティは守ってほしいものだ。 最終的には地図はガセネタであったことが判明。 代わりに前領主の隠し子を認知する手紙が入っていた。が、その子供は藩主家に入るのを拒否。 丹下左善夫婦との擬似家族の方を選ぶ。何よりも愛情が第一ということで、めでたし、めでたし、とはいえないエンディング。なにしろドタバタ劇なのに多くの人が死んでいるのだ。だからおめでたい気分にはなれない。 結局丹下左善が何者かはよくわからないまま終了した印象がある。 腕の立つ浪人者で、妻の家に居候、気っ風が能く、元住んでいた長屋の人たちに優しい。それくらいしかわからない。片目、片腕を失ったいきさつはなんだろうか。 
[DVD(邦画)] 5点(2011-09-05 02:00:46)
51.  戦場にかける橋 《ネタバレ》 
戦争という悲劇と虚無を描いていることに間違いはないがわかりづらい。初見で、落下した汽車には英兵が載っていると思っていた。ニコルソン大佐が前夜のスピーチで「君たちの多くは明日新しい収容所に送られる」と述べていたからだ。それなら大佐が必死で爆破を阻止しようとした意図も明白になるし、戦争の皮肉、悲劇性がぐんと高まる。だが再見して、そうではないと判明。日本兵しか乗っていないのだろうが、乗客を全く描いていないのはどうしてだろう?結局日英共同で竣工した橋は爆破され、ニコルソンも斎藤も決死隊の三人も死んだ。それぞれにとって価値があるものが一瞬で無に帰し、勝者はいない。痛烈な反戦メッセージになっている。◆脚本にブレがある。最も顕著なのは英雄である筈のシアーズ中佐の扱いだ。無事脱走を果たしたものの、看護婦といちゃついたり、収容所への道案内を拒否したり、階級を偽称していたりと散々である。米兵である必要性も感じない。途中でルートが変更され、彼が道案内をする意義さえ失っている。彼を軍に忠実な英国兵士として描けば”戦争の狂気”という主題がより浮彫になった筈である。彼をシンプルな人物として描けば、ずっと分りやすい映画になった。  ◆兵士たちより、現地人女性の方が凄いと思いました。華奢で美人な上、兵士よりも重い荷物を背負ってジャングルを楽々横断するのだから。そして兵士にとても親切。他に基地内をセクシーな女性が闊歩して、それを皆が見惚れるという場面があった。これらの演出意図が不明である。 ◆一日で川の水位が下がったが、そんなこと本当にあるのか?水が何かによって堰き止められない限り、ありえないと思うのだが。ご都合主義の賜物でしょう。 ◆ニコルソンが橋に異変を察知し、斎藤に「一緒に来てくれ」と川下誘う。このとき斎藤は一人で従うが、これはありえない。将校には常に兵士がつくはずである。二人が導線に気づいた時点で誰も呼ばないのも疑問。 ◆ニコルソンとジョイスがもみ合っている時、シアーズは「殺せ、殺せ」と叫びナイフを持って対岸に渡ろうとするが、どうして銃を使わないのか?近くまで行って銃で撃てばよいのに。 ◆最終的にニコルソンが爆破スイッチを押すと皮肉。これは演出過多でしょう。倒れ方も不自然。  ◆爆破はオープンセットで本物の汽車を使ったにも関わらず迫力不足。技量不足です。
[DVD(字幕)] 8点(2011-07-26 03:51:12)
52.  張込み(1958) 《ネタバレ》 
かつて恋人同士だった男と女が、どういう理由か別れてしまう。 男は仕事を求めて上京。3年間汗水たらして真面目に働くが、現実は厳しかった。どの職場も長続きせず職を転々とし、遂に肺病に罹患し、働けなくなってしまう。 進退極まった男は悪友の誘いに乗り、質屋強盗を決行するも、店主を殺害するという最悪の結果に。相棒は捕まり、男は拳銃を持って逃走する。 女は20歳以上年上の銀行員の後妻に納まる。子供は3人。経済的に恵まれ、表面上は平安な家庭に見えるが、子供達と必ずしもしっくりとはいかず、何より強い吝嗇癖のある夫の元での生活は潤いが無い。刑事の目には女はくたびれきっているように見える。 ◆そんな二人が邂逅。男にとって女はこの世の最後の名残に会っておきたかっただけ。女をどうこうするつもりはなかった。男は沖縄に行くと嘘をつく。女は情念が昂ぶり、家庭を捨てて男についてゆくとまで言う。3年前に別れたときも未練たらたらだったのだ。それを聴いている刑事だが、あんなに離れていても会話が聞こえるのは不思議である。 ◆刑事は終始女に同情的であるが、幾分高踏的なのが鼻につく。ろくに知りもしないのに他人の人生を値踏みするきらいがある。二人は温泉宿で会っている事実があるのに、女は男の情婦ではないと主張。絶対に事情聴取をしなければならない状況の筈なのにそれをせず、無罪放免で家に帰す。バス代まで与える。そして何を思ったか自分の恋人へ前代未聞の電報でのプロポーズ。 ◆短編を引き延ばして映画化。脚本が失敗している。肝心な事件の詳細や犯人の心理が描かれておらず、且恋人時代の描写も割愛。従って観客は男にも女にも感情移入できない。女の心情を刑事が想像しているだけ。尺が足らないので刑事の恋愛も加えましたというお粗末さ。刑事があれほど警戒していた拳銃は所持しておらず、逮捕もあっけない。まさに肩透かしだ。見せ場は、旧恋人と邂逅した主婦が生き生きとしだし、女性心理の神秘が垣間見れたあたりか。物語の中心を男と女の心理に据え、刑事はあくまでオブザーバーにすればよかったのに、中途半端に刑事を描いてしまったので、未消化な映画となった。男を善人にし過ぎたのも間違い。無理心中するつもりだった設定にすれば物語が動いた。
[DVD(邦画)] 6点(2011-07-25 00:58:58)
53.  隠し砦の三悪人 《ネタバレ》 
戦に敗れた領主の世継ぎの姫と侍大将と奇縁の百姓がお家再興をめざし、軍資金を運びながら、敵国突破を試みる。次々と襲いかかる危機、困難をいかに乗り越えるかが見どころ。冒険あり、宝探しあり、痛快アクションあり、美女あり、ユーモアあり、娯楽性に富む内容で観客を飽きさせない。この作品は黒澤明の”インディ・ジョーンズ”だ。◆脚本上の問題は、相手武将の「裏切り御免」に尽きる。本人達が知恵と勇気と能力を駆使して危機を脱出するところに妙味があるのに、ここの部分だけが”他力”になって しまっている。物語の流れに逆らってしまっている。この場面がクライマックスなので尚更その印象が強い。また裏切りの理由が「家来の面前で、主君に面罵され、面相が変わるほど打擲されたため」では、重すぎる。ここだけ痛快時代劇の枠をはみ出している。鑑賞後、爽快感が薄いのはこのためだ。◆冗長な面もある。物語の発端となる2国間の合戦と落ち延びる姫の様子は描かれていない。その代わり二人の百姓が捕らわれ、強制労働させられ、暴動に乗じて脱出する様子が描かれる。どちらが重要かは論を待たない。後者はカット可能だ。百姓はあくまでサブ扱いすべき。百姓二人は黄金を持つと貪欲になり喧嘩をし、危機になると途端に仲直りする。そこに人間臭さがあり、ユーモアがあり、ラストのオチの伏線になっているが、何度も繰り返せばクドくなる。いくつかを削って尺を短縮すればより躍動感が出た。◆副物語は、姫の心の成長。これは良く描けていると思う。人身売買される娘を買って助ける場面は泣かせる。これは自分の身代わりになり打ち首になった娘の伏線があるからこそ効果が倍増するのだ。わがままから出た行為ではなく、他人を思いやる心が芽生えてきたからだ。娘を加えたことが敵の目をくらます原因に連なっており、このあたり絶妙である。又民と共に踊る火祭りのシーンは印象的。「人の命は 火と燃やせ 虫の命は 火に捨てよ思い思えば 闇の夜や浮世は夢よ ただ狂え」監督が観客に送るメッセージだ。◆山で大勢に囲まれ捕縛される場面。弾丸が倒木に当たり幹が跳ね、次の瞬間人物が飛び出てくる。これの繰り返しだが、フィルムが繋がっていないのが丸わかりというチープさ。明らかに手抜きである。上手の手から水が漏る。
[DVD(字幕)] 8点(2011-07-24 09:20:33)(良:1票)
54.  生きる 《ネタバレ》 
脚本にブレがある。本筋はこうだ。己を殺して役所勤めに埋没し、本来の生き生きとした人生を送ってこなかった男が、癌宣告を受けて苦悩、煩悶し、その艱難辛苦の果てにようやく自分のやりたいこと、生き甲斐を発見する。人生を新しく生き始めた男は、市民のための公園づくりに奔走し、幾多の困難、障害を乗り越え、遂にこれを成し遂げ、 最後は幸福感に包まれながら、竣工した公園で寿命を全うする。脚本はこれに加えて、男のささやかな功績を横取りする上司の醜さ、上役の前では意見を言えない小役人ぶり、酒を飲まなければ本心が言えない小市民ぶり、非効率的な役所仕事に対する批判を展開する。全て蛇足であり、不要。それは男にとって無意味だから。男が役所批判をしたり、名誉を欲しているわけではないのは明白。男が余命をかけて完成させたものがささやかな公園であったといういうのは泣かせる。◆構成上の欠点がまだある。最大のものは再生役の女性が途中から出てこなくなる事。若さと無邪気さで、男を”再生”させた女性が男の死に水をとるという構成が自然だろう。ラストに親族にとって謎であった女性の正体が知れ、女が男が自らの癌を知っていたこと、最後は幸福に死んだことを語る展開にすれば、感動が数倍増すこと請合いだ。重要な役割をする女性が途中で消えるのは理解に苦しむ。ポスターでは公園で男と女性がブランコに乗っている。監督はわかっていた筈なのだ。男に遊びを教えるメフィストフェレス役で良い味を出していた無頼派作家も消えるには惜しいキャラだ。男が物語半ばで死んだり、男に同情する若い同僚が葬式シーンからしか登場しなかったり、物語がブツ切れてしまっている。又女性の正体が不明のまま終わるのは、男にとっても家族にとっても不幸、観客にとっては未消化。◆高踏的なナレーションは不要。「この男は生きていない」などと、説明されても困る。その内容を見せるのが映画の筈。演出意図や理屈を説明するような科白が混ざっているのも減点対象。ごく自然な言葉、態度、出来事で観客に分らせるのが良い映画。 この映画は少し頭でっかち。◆役所に対する偏見が強い。「何もしないことが仕事」「1時間で出来る仕事を1日かけてやる」などは言い過ぎ。◆演出は冴えわたり、映像マジックも垣間見れるだけに惜しい。
[DVD(邦画)] 8点(2011-07-24 05:55:11)(良:3票)
55.  七人の侍 《ネタバレ》 
【感動】①農民の境遇に同情した侍が、金、出世に無縁の野武士との私闘に命を張る。ヒューマニズムとヒロイズム。②言葉では百姓を罵倒していた人足が、心底では窮状に同情しており、勘兵衛が断ったとき、飯を突き出して説得する。③心離れた侍に菊千代が百姓の実態を訴える。「百姓は嘘つきで業突張りだ、そんな百姓に誰がした」④菊千代が火中から救出した赤子を抱いて「この赤子は俺だ」と叫ぶ。 ・勝四郎が食事を削り、娘に米の飯を与える。娘はそれを最貧困の老婆に渡す。それを知った侍が食事を削り、子供たちに与える。⑤決戦前夜、勝四郎と村娘との恋の激情。⑥勘兵衛を師と仰ぐ勝四郎の成長ぶり。⑦「勝ったのは百姓達だ」と心憎い言葉を残す勘兵衛。大地に生きる者が勝利者、戦に生きる者の心は虚しい。【悲劇】①百姓利吉の妻は野武士に差し出されていた。野武士の砦を襲ったとき、利吉の姿を見た妻は火中に飛び込む。そのとき利吉を助けようとした温厚な侍平八が射殺される。②戦術上離れ屋は見放される。長老は自らそこに残って死を選ぶ。③菊千代と良いコンビを組んでいた弱い百姓代表与平が戦死。④人格の高い久蔵が戦死。仇を討ちに行った菊千代は敵と差し違える。久蔵と菊千代とは表面上正反対の存在だが、心ではつながっていた。【野武士】40人もいるのに屑揃いで無能、同じ戦法を繰り返す。鉄砲も弓も甲冑も馬もあり、村は四方から襲撃可能なのに。いきなり斥候が殺され、奇襲を許す。村の木柵は焼き払えば良い。近くの家も火矢で焼けば、防ぐのは困難。槍襖などは鉄砲と矢で蹴散らせば良い。隠れている小屋も焼く。何軒かの家も火矢で焼いておいて談合を持ちかけ、ゆさぶりをかけるのが定石。一旦引いて、数か月後に奇襲するのが最上手段か。侍が去るのを待つべし。復讐するなら村ごと焼き払えば良い。【その他】①婆さんに人殺しさせるのは良くない。止めてあげないと。②長老の死が理解不能。③百姓を無力な存在に描いているが、秀吉の刀狩令が出たことでも分る通り、当時は百姓も武装していた。④青年がほとんどいないのも疑問。⑤せっかく甲冑や槍、奪った鉄砲があるのに活用しない。弓矢が当っただけで死ぬ。⑥馬から降りた野武士が弱すぎる。悲鳴を上げて女の鍬に追い立てられる。剣豪が一人ぐらいいても良い。⑦菊千代を除いて侍達の体格が貧弱。⑧ラスボス不在が残念。
[DVD(邦画)] 10点(2011-01-27 23:45:09)
56.  蜘蛛巣城 《ネタバレ》 
黒澤映画としては最も重厚な作品。全編を貫く陰惨で怪異で重苦しい雰囲気。鷲津は権勢欲の虜となり主殺しと裏切りの罪を犯した。森の物の怪が未来を予言し、妻が謀反をそそのかしたということがあるが、根底には人間不信がある。戦闘と裏切りと死を繰り返す戦国の修羅の世に生きる武者にとって、人間性を失わずにいるのは難しい。人を信じることが出来ないで過ごす人生は、心が休まることがなく、灼熱に焼かれるような苦しみの連続だろう。物の怪の予言は戦死した武者の亡霊が復讐を企てたもの。鷲津が特別野心が大きく、心が弱かったわけではない。たまたま欲望の陥穽に落ち、魂が悲運の蜘蛛の巣に絡み取られてしまったのだ。 ◆原作では主人公は華々しく戦闘に討つて出て戦死するが、本映画では裏切りにより、刀を抜く間もなく惨めに射殺される。より惨めな死に様を提示することにより、道を踏み外した人間の愚かさ、因果応報の恐ろしさを見せつける。原作の洞窟の三人の魔女を糸車の老婆と武将の亡霊に改変したのも成功している。日本人にしっくりくるのだ。 ◆次の場面が省略されている。①北の館の前主が謀反に失敗し、自決して、部屋が血染めになる場面。②鷲津が眠っている主を槍で殺害する。③鷲津の使いの暗殺者が僚友三木を襲って殺す。④鷲津の妻の死産と狂ってゆく様子。最後にどうなるのか。⑤最終戦闘場面。何れも死を描く場面。考えて見れば、死が直接描かれるのは鷲津の矢だるま場面だけ。それでもいたたまれないほどの陰惨な印象が残るのは映像の力によるものだろう。白黒なのに血が夢に見るほど怖ろしく見える。凄惨な場面をあえて排除したのは監督の観客への配慮だろうが、どこか物足りなさを感じる。鑑賞後。どこかぶつ切り感が残るのだ。想像させるのは重要なこどだが、バランスが難しい。 ◆独特の映像美には讃嘆するしかない。それだけで十分鑑賞の価値あり。もし監督がホラー映画を撮ったら、とてつもなく怖いものが出来上がっただろう。 ◆違和感を覚えたのは、鷲津と三木の二人だけで森を抜けて城に向かう場面。いくら戦闘が終了したとはいえ、準戦闘状態にある中で大将が単騎で行動するはずがない。しかも別々の場所を守る二武将が揃って登城などありえない。二人だけ本隊とはぐれたなどの設定にすればよかった。
[DVD(邦画)] 8点(2011-01-24 22:03:36)
57.  イヴの総て 《ネタバレ》 
【イヴの計画】劇場に屯し、劇作家の妻に声をかけ、彼女のとりなしで女優マーゴに近づく。マーゴのツテで、女優としてデビューを図る。その後演出家か劇作家と結婚する。 【イヴの嘘と脅迫】夫が戦死などの同情をひく経歴はでたらめ。ビール会社の社長の愛人だった。劇作家の妻にガス欠の秘密(イヴを代理出演させるためのいたずら)をばらすと脅迫し、新作の主役をもらえるように依頼。公演前日隣人に「ナーバスになり公演をキャンセルする」と嘘の電話をかけてもらい劇作家を呼び出す。「劇作家からプロポーズされた」と批評家に嘘をつく。 【イヴの誤算】代理公演が成功したのち、つい口走った本音(マーゴ批判)が記事になり、マーゴ達から嫌われ、排除される。批評家は早くから嘘の経歴を見抜いており、誰とも結婚は許されず、彼の言いなりとなる。 【感想】イヴの罪と罰の物語。イヴは嘘と脅迫が功を奏して、あこがれの舞台スターになったが、批評家に嘘がばれ、彼の言いなりとなる。見どころはイヴが無垢な顔して、虚実取り混ぜ巧みに四人に取り入り、女優としてデビューに至るまでの経緯。徐々に虚飾がはがれてゆくところがサスペンスになっています。そのあとの四人との心理戦も見ごたえあり。 ◆ところで冷静に考えてみれば、イヴはあんな謀略を駆使する必要は無いと思いましたね。若くて、美貌で、何より実力があるのですから、普通にオーディション受ければ成功するでしょ。「音楽のような、火のような」演技で魅せればいい。だからこそ劇は大成功を収め、賞も戴けたわけです。実力も伴わないのに無理にスターにのし上がる話でないと成立しない話と思いましたよ。実力の世界なのだから、観客や批評家を唸らせる演技をした者がキラー(勝者)でしょう。誠意に欠ける嘘や行為があっても、実力があってスターになるのだから問題はないわけです。芸能界とはそういうものです。 ◆失望したのはイヴの演技の場面が全く無い事。話だけで終わらせている。オーディションの場面さえも省略。どこか空虚に感じました。裏話だけに終始しては本当の舞台は語れないでしょう。ピアノを弾かないピアニストと同じ。ところでスターを夢見る未婚女性が、結婚していたと嘘をつくかな? ◆名優ベティ・デイヴィスの演技はさすがです。実年齢以上に老けているのは残念ですが、泣いたり、叫んだり、怒ったり、甘えたり、見ていて楽しいです。
[DVD(字幕)] 7点(2010-12-27 18:20:37)
58.  チャップリンのニューヨークの王様 《ネタバレ》 
王様は、原子力エネルギーを平和利用し、理想的な社会を建設するという計画を持っていたが、反対に逢い、同時に革命が起り、米国に亡命する。王様はお金のことを第一に気にし、女っ気も抜けない俗人である。一方で妻には優しいし、演説好きの天才少年にも親切である。つまり平均的な人間、人間らしい人間である。それがアメリカ文明の洗礼を受け、受け入れられず去ってゆくという物語。 ◆前半はギャグや笑える風刺満載で十分楽しめる。後半はマッカーシズム(赤狩り)に対する反論が強く出てつまらなくなる。「『ニューヨークの王様』は私の映画のなかではもっとも反抗的なものだ。私は、今話題になっている死に行く文明の一部になるのはごめんだ」という彼の言葉が残っている。ビクトリア朝生まれのチャップリンにとって、50年代後半のアメリカ文明は荒廃しきっているようにしか見えなかったのだろう。無理もないことだ。ロック、フィルム・ノアール、あくどいほどのコマーシャリズム、人権侵害。「死に行く文明」と見えなくもない。 ◆「新しいモダン・タイムズ」を目指したということだが、文明批判としては弱い。自分の主張を子供に代弁させるのは大人気ないだろう。結局失われたのは天才少年の童心だけである。王様はお金を失ったが心に傷は負わなかった。王様にとって米国亡命は、珍しい経験ができて良い休暇になった程度のことに過ぎないだろう。コマーシャリズムの権化であるCMタレント、アン・ケイも良い人で終わる。決定的に毒(ブラックユーモア)が足りないのだ。王様が失うものが大きければ大きいほど、観客に訴えるものがあったに違いない。 ◆マッカーシズムが収まってから発表された作品で、タイミングも悪かった。米国では上映出来ず、商業的には失敗だった。皮肉ではないが、この内容が受けるのは米国くらいだろう。 ◆良いところもある。映画予告には笑いころげた。パロディ精神は衰えていない。突然CMをしゃべりだすのは秀逸。もっと見たかった。キャビアや亀のマイムは面白い。映画館でロックが演奏されるが、マイクスタンドがあるだけで歌手は見えないというのはシュールすぎたか?。笑いのアイデアは古びていない。自分が大衆受けしているのに気づかないところやペンキ塗りコントなど「サーカス」を彷彿させるものがある。喜ぶ仕草など、一部で原点返りしているのは嬉しい。
[ビデオ(字幕)] 6点(2010-12-14 18:37:25)
59.  熱いトタン屋根の猫 《ネタバレ》 
【制作メモ】リズ26歳。妻役に惚れ込み自ら売り込む。制作中に夫が不慮の事故で逝去。1月程撮影中断、心痛で5キロ痩せる。前半の肉感的なセクシーさが後半には無いのはそのため。原作では次男と親友はゲイの関係だが、当時のプロダクション・コードの規定でそれは表現できなかった。自信ゲイであった原作者はこれに激怒。【次男】裕福な家庭に育ち、両親から愛され、美貌の妻を娶り、アメフトの花形選手。だが幼馴染で相互依存関係だった親友の自殺で人生が暗転。妻と親友の不倫を疑い、死に関係していると怪しみ、同居離婚状態。父親から愛されたことがないと感じ、愚昧な兄夫婦を蔑視。世界は虚偽に満ち溢れていると思い込み、失職、アル中に。【父】傲慢、専制タイプ。浮浪者の父を恥と思う。がむしゃらに働いて成功を収めた。妻を愛したことは無い。長男とは馬が合わず、次男を溺愛する。余命幾許も無いことを知らされる。【長男】従順、小心者。父に愛されず。美男美女の弟夫婦と対照するように正反対に描かれる。【感想】密室劇のような重苦しさ。回想シーンを挟まず、すべて会話により進行。鑑賞後爽快感が少ないのはそのため。◆表向きは仲良しだが、心の底では愛しあっていない家族。父の余命が宣告される。常に自信満々の父も死に直面し、さすがに落ち込む。そこに感情の隙間が生まれ、人生を絶望している次男と心を通わせることができた。そもそも余命を知るきっかけは、次男のことを心配し、真相を解明しようと懸命になったことだった。◆父は父を恥と感じていたが、本当は愛し、愛されて幸福であったことを思い出す。妻から愛されていないと感じていたが、そうではないと気づく。子供を愛していたと思っていたが、上辺だけだったと思い当たる。◆次男は親友の死を妻のせいにしてきた。だがそれは自分に責任があることを認めないための逃避だった。◆長男は父の愛を得られなかった腹いせに父の財産を狙っていたが、父のことを本当に愛していたことを知る。◆意表をつくのが次男妻から父への妊娠しているという嘘のプレゼント。虚偽だが相手を思いやっての嘘は美しい。父は嘘と知りつつ喜ぶ。長男も受け入れる。虚偽もまんざらではないと気づいた次男は妻を許す。この閃きが原作を名作たらしめている一因だろう。人生や家族関係は難しいが、このような奇跡も起こり得るのもまた人生である。
[DVD(字幕)] 7点(2010-12-03 14:48:28)
60.  ゴジラの逆襲 《ネタバレ》 
◆ゴジラ上陸警戒警報中、灯火管制の敷かれた夜の町で、何故か囚人護送の車が無灯火で移動している。いかにいい加減な脚本かということが分かる場面だ。月明かりだけでの運転は危険。囚人護送を夜にする理由がない。案の定囚人達は脱走し、ある組は車で暴走し、石油コンビナートに突っ込み、爆発炎上する。これが沖のゴジラを呼び寄せた。別の組は怪獣対決の犠牲となる。アイデアは買うが詰めが甘い。◆小林機がゴジラの熱線にやられ、氷山に激突。これが雪崩を起こし、ゴジラを封じ込める方法の発見のきっかけに。が、小林機がゴジラにやられる必然性がないのだ。彼がゴジラに突っ込んでいった結果でしかない。何のために突っ込んだのか不明。無理に犠牲者を出して、映画を盛り上げようとする魂胆がみえみえだ。小林はのほほんとした風貌で、悲劇が合わない。◆怪獣対決シーンはコマ落としの技法で早送りになっている。一方で建物が壊れる場面などは従来の高速度撮影でスローとなっている。これをつなげるので不自然さが目立つ。島での対決があっさりしすぎているのは残念。怪獣に出会うまでのドラマがほしい。 ◆飛行機で魚群を発見し、それを無線で船に知らせる仕事があったことを知ったのは収穫。ただ飛行機どうしや飛行機から直接船に通信ができないのはどういう理由か知りたい。 ◆アンギラスに脳が2つあるというのは当時信じられていた学説。恐竜は巨大なため動きが鈍かったと信じられていた。しかし腰骨に神経の塊が入る空洞が見つかったため、第二の脳と考えられた。その後、糖類の貯蔵庫と訂正された。尚本来のアンキロサウルスは草食で大人しい。7千万年前から1億5千万年前生存と言うが、実際は7千4百年前から6千7百万年前。 ◆破壊シーンが少ない。怪獣対決した島に人家は無い。大阪では町に向かって熱線を吐かない。氷の島では歩くだけ。時折熱線で飛行機を落とすが地味。大阪でゴジラが海に帰ってゆくシーン、北海道で船を襲ったシーン、小林機が遭難して不時着する場面は音声説明のみ。完全に手抜きである。撮影期間が短かったせいだが、残念。飛行機が氷山を破壊するシーンを何度繰り返しても盛り上がるはずがない。危険な作戦だと強調していたが、危険には見えなかった。ゴジラの手に叩き落とされるほど近く飛ぶ必要はないだろう。 ◆乱杭歯のゴジラとセンス無い音楽にげんなり。大阪弁しゃべる人は一人だけ。大概にせんかい!
[ビデオ(邦画)] 5点(2010-10-21 21:58:59)(笑:1票)
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