61. ゴーン・ガール
《ネタバレ》 鏡にうつる自分に向かって、確信をもって「あのクソ女はサイコパスだ。人殺しだ」とつぶやくところ、まさに彼の地獄の日々を垣間見ることができるワンシーンだ。だけども「これが結婚である」とは、僕は思わない。また、この女にもともと連れ子がいたらどうなっていただろうか。サイコパス女は、我が子にも手をかけただろうか。 [映画館(字幕)] 7点(2014-12-23 21:59:05) |
62. ニンフォマニアック Vol.2
《ネタバレ》 映画終盤、「もしこの映画の主人公が、男だったら、凡庸な話になっていただろう」と語られる。凡庸、つまり、どこにでもあるありきたりな話。この映画はもちろん女性が主人公。確かに凡庸な映画ではなかった。それは主人公が女性であるというよりも、主人公を”演じる役者が女性”だったからだと思う。とにかく性的な描写が次々に押し寄せる。もう少しでポルノ映画じゃね?と判断されかねないすれすれのところまで攻めてくる。脚本というよりも、映像から届けられる情報が強力で、凡庸さは無かった。そもそも僕たち(野澤もりやいちはらかわせ)はラースフォントリアーっていう時点で凡庸だなんて少しも思っていない。 だけども一通り映画が言いたいことを言い終わったとき、つまりなぜ主人公の女があの煉瓦作りの暗い路地で血まみれで倒れていたかが判明したとき、その理由を女性自身が老人に語るシークエンスは、凡庸であった。まるでそのへんに転がっている大衆映画のような、きれいな終わらせ方だ。なんだよラースフォントリアーのくせにこんな終わらせ方でいいのかよ、もうラースフォントリアーの映画観なくていいや!って思わせてからの、あの、とどめの、老人の、老人の、行動!からの、暗転中の会話と銃声と足音!これぞラースフォントリアー!それでこそラースフォントリアー!ありがとうラースフォントリアー!死ねラースフォントリアー!二度と映画なんか作るなラースフォントリアー!僕は一生あなたの映画観つづけます! 結局、やっぱり凡庸な映画ではなかった。 それでも中盤、主人公の女の心境にどうしてもついていけないところがあったのは確かだ。一番首をかしげたのは、セックス依存症の女性たちの集まりで暴言をまき散らすあたりだ。そのまま車に火を放つ謎のシーンが投入される。さすがにむちゃくちゃじゃないか。 あの集まりが行われる場所が、舞台と客席がある施設であることを見逃してはいけない。あの環境は、そこにいる人物を「演じさせる」ように思う。だからあの暴言のシーンは、意外と主人公の女性の本音ではないんじゃないかと思う。もっと優しくて人の気持ちを慮れる人だと僕は思う。だからこそ暴言がどうもしっくりこないままでいる。 [映画館(字幕)] 8点(2014-11-23 21:59:08) |
63. ニンフォマニアック Vol.1
《ネタバレ》 監督の醍醐味である、「悲惨な女の半生」はまだ息を潜めている。きっとボリューム2で開闢するだろう。ラストのラストで、その嫌な予感が漂い、ボリューム1は終わる。あの終わり方はワクワクする。 ちょくちょく図や数式やサンプル映像が用いられる。ドグマ95の誓いをとっくに無視して映画撮っているけど、それは結構前からだから、もうどうでもいい誓いなんだろう。 このように、ラースフォントリアーにしてはずいぶん、映画を観る人を楽しませようとしているなと感心した。昔はもっと一方的に悲惨な女をスクリーンに叩きつけていたと思うが。監督も丸くなったのかな。 ボリューム2に期待。 [映画館(字幕)] 7点(2014-10-17 00:14:27) |
64. ルパン三世(2014)
《ネタバレ》 開始直後、日本語吹替えであることに気付く。日本人の俳優たちは外国語をしゃべっているようで、そこに日本語を当てている。外国人の顔で、口が外国語の動きで、日本語に吹き替えられているのなら分かる。しかし、日本人が外国語の口の動きで、日本語に吹き替えていることに違和感を覚えた。僕は映画そっちのけで、しばらくこの違和感について悩んだ。なぜ違和感があるんだろう。 そんな違和感から始まって、ルパン三世らしさが全く得られない物足りなさが続き、僕はこの映画にルパンらしさを求めることを止めた。ルパンと比較することを止めた。そしたらとたんに、彼らが単なる頭のおかしいナルシストに見えてきて、嫌悪感を覚えた。ので、やはりルパンと比較して観るしかないなと思った。つまり、ダメ。 ルパン三世がなぜ面白いか、盗まれるお宝そのものに魅力やストーリーがあるからだ。そのお宝には神々しさがあり、触れることすらためらわれるくらいだ。それに対する厳重な警備と、それを上回るルパン達の”愉快な”攻略作戦。これらがルパン三世の楽しみである。それがない。つまり、ダメ。 綾野剛は頑張ったと思う。しかし、斬鉄剣は決して人を殺傷しないはずだ。あのヒャッハー系悪役へのとどめは、縦に真っ二つにするんじゃなく、着衣をパラバラにして全裸にして前を手で隠して「ヒャッハー」って走り逃げ去る、にすべきだ。斬鉄剣が血で穢れてしまったのは極めて遺憾。もうダメ。 空気抜かれていく密室にルパンと東洋人二人。にもかかわらず、呼吸困難になっていくのはルパンだけ。東洋人も息苦しそうにしていたかもしれないが、あれは演技以前の問題。その程度っすよ。 [映画館(吹替)] 2点(2014-09-08 00:26:49) |
65. 喰女-クイメ-
《ネタバレ》 現実と芝居(四谷怪談)とがリンクして、ドロドロな感じになっていく話。 似たような最近の映画で『嗤う伊右衛門』と『怪談』がある。この2本は、正統派Jホラー映画であるが、『喰』は、渋い正統派Jホラーを劇中劇として扱い、現代の現実の劇団たちが演じる四谷怪談っていうメタ構造で描いている。おかげで、純粋な四谷怪談を観たくなった。 ようは、現実世界が邪魔。いらない。せっかく優秀な役者がそろっているんだから、正真正銘の四谷怪談をやったほうが絶対良かったと思う。 現実世界のドラマが非常に軽い。えびぞうと柴咲が付き合っていて、共演者のかわいい女の子とえびぞうがイイ感じになってるもんだから、柴咲が嫉妬してえびぞうを事故で殺すっていうだけの話。四谷怪談のお岩さんの苦悩と、現実柴咲の嫉妬心が全く釣り合っていない。 ビニールシートの質感が良かった。部屋全体を覆うビニールシート、やがて稽古場のデスクまでおおわれていく。そして最後、えびぞうのしゃれこうべを包むビニール袋。そうか、映画中盤以降、ビニール袋の中のえびぞうの頭部からの視点だったということか。はい。 [映画館(邦画)] 5点(2014-09-08 00:12:00)(良:1票) |
66. カルト
《ネタバレ》 前半は良かった。良かった点を列挙する。 隣家の監視の見切れ。あれが一番怖かった。 固定監視カメラの映像。パラノーマルアクテベテーの影響か。 吐瀉物に皿の破片。ブラボー 犬を食べる少女。だけど犬にモザイクは不要。 霊媒師のうさんくささ。あの窮地に、ケータイで師匠に相談して爆笑。 あびる優の演技にも爆笑。 白石監督としては、あえてCGやBGMを使っているんだと思うんだけど、僕はもう裏目に出てしまっていると感じる。ああいうことを一切やめるだけで、かなり高尚な映画になると思うんだが、それをきちんと自覚していてあえてああやってるんだとしたら、監督とワタミで小一時間飲んで説得したい。 今作はギャグだが、『ノロイ』のような正統派ホラーを撮った白石監督には大きく期待している。僕は諦めない。『ノロイ』のような傑作をいつまでも待っている。 [DVD(邦画)] 5点(2014-09-03 01:31:32) |
67. シロメ
たのしそうでなによりです。 [DVD(邦画)] 5点(2014-09-03 01:24:16) |
68. 愛の渦
《ネタバレ》 体を交わしていくうちに、それぞれの内面が浮かび上がってくると、即席で人間関係が醸成され、生々しい愛憎劇が発生する。しかも場所が場所なので、かなりデリカシーがゼロレベルな愛憎劇。我々観客も映画館でタオル一枚になるとより臨場感を持ってこの映画を楽しめたと思う。 朝になって、カーテンをバーッと開いて朝日に照らされて、恥ずかしがりながら服を着始めるところが泣ける。しかしせっかくマンションの一室のみで進められた密室劇なのだから、ラスト、ファミレスのシーンとか無くしてしまってよかった。あの朝日で十分。 脚本としては、エピソードがややつながっておらず、単発の短いクエストを一個一個クリアしていっている感じだったので、物語としてのダイナミズムは物足りない。次はメンバーを入れ替えて愛の渦2,3、・・・を撮ればよい。設定はそのままで脚本家はその都度公募するかんじで。 [映画館(邦画)] 6点(2014-08-18 23:42:08) |
69. GODZILLA ゴジラ(2014)
《ネタバレ》 べつに反核である必要はないんだけど、まがいなりにもゴジラを描くわけだから、核兵器を使用することに対するメッセージ性を、もっと明確に描くべきだろう。方向性は二つある。 「やったー!核兵器使ったからモンスターをやっつけられたぞ!核兵器は必要だー!」または 「だめだー、核兵器なんかがあるからモンスターが現れて、世界は破滅するんだー、、、」 繰り返すが、前者でぜんぜん構わない。むしろ前者の映画を観てみたい。『G』は、このどっちでもなかった。核兵器に対する思想がない。オープニングは、かつての水爆実験が、実はゴジラをやっつけるための攻撃だったんだよーというはなしが語られる。ナイスなアイデアだが、監督らは、核兵器を攻撃目的で使ってよいとお考えのようだ。 「核兵器は絶対使ってはいけない」というジレンマが無いからつまらない。かろうじて渡辺謙が唯一の被爆国の代表者として、核兵器使用を反対するけど、なよなよしてるんだよな。そもそもあの深刻な作戦会議の場で誰か一人「あのー、相手って核兵器をエサにしてるんですよね、そんな奴に核兵器を使っても、おいしく召し上がって終わりなんじゃないっすか?」と気づかなかったのか? 使ったら使ったで、それによって被る終局がぜーんぜん描かれない。それは『インデペンデンスデイ』でもそうだった。ただ、『イ』については、核兵器使用を大統領が結構躊躇していて、ジレンマが描けていて、あげく核兵器が相手にぜーんぜん通用しないことで、核兵器否定を描いている。『G』はそれが無い。いまいち。 そんなんだから、このゴジラは、渡辺謙がこだわった日本語発音の「ごじら」ではなく、やっぱりアメリカの価値観によって構築された「ゴッジーラ」である。 ただ、良かった点もある。映画館の音響によるゴジラの咆哮はそうとう痺れる。特に悪いモンスターをやっつけた直後の咆哮は最高。僕も一緒に映画館で「ぎゃあああああご!」って(小声で)叫んだ。 [映画館(字幕)] 6点(2014-08-12 23:43:38)(良:1票) |
70. 思い出のマーニー
《ネタバレ》 とにかく躓く(つまづく)。これはこの映画において重要で、きちんと注意深く見なければいけない要素だ。杏奈は一体何回躓いただろうか。躓くという表現は、映画文法的には、自分の世界から他の世界へ出た瞬間を示すらしい。だとしたらいったいどれだけの外の世界があったのか。こうして杏奈は1枚1枚心の壁を(躓くことで)ぶち破っていったのか。 正規の歩道からそれて、茂みやぬかるみを歩いて進む杏奈も何度か描かれる。これは躓きよりも、他の世界への”能動的な”侵攻であろう。ボート乗り場へは茂みをワサワサかき分けてたどり着いていたじゃん。 車も躓いていたことを覚えているだろうか。映画が始まってすぐ、駅にお迎えの親戚2人が到着していて、その車に乗ったけど荷物だらけで狭くて、おばちゃんから「ごめんね、狭くて」とか言われてたとき、車は大きく躓いた。そのはずみでかぼちゃが箱から飛び出て杏奈の膝に転げ落ちた。運転手は「あのでっぱり、まだ直してないのか。」などと言った。今思うとこの躓きすらも杏奈にとって意味のあるものだったのだ。 このような映画的表現を、監督は意識的・効果的に取り入れていたのだろうか。意識していればオッケー。意識していなかったら、それは自然と出来ているということだから映画の天才と言えよう。 そもそもマーニーはなぜ現れたのか?という問いに対し、得た結論 「お盆だったから」 ・・・であるならば、畑で育てていた野菜はトマトであるよりも、ナスであったほうがよかった。そのナスを収穫して爪楊枝を刺して、マーニーはそれに乗って彼岸に還っていくんだよね。 [映画館(邦画)] 7点(2014-07-27 15:18:41)(笑:1票) |
71. 渇き。(2014)
《ネタバレ》 中島監督ならではの奇抜な映像表現は、しかし目新しさは感じなかった。たとえば大型ショッピングモールの屋上駐車場での凄惨な殺し合いのシーンで、死体を俯瞰で撮りつつ駐車場に放送される「タイムセールのお知らせ」なんかは中島監督のやりそうな悪趣味な演出であるが、もっと悪趣味なものを見たかった。暴行も、そんなに痛そうに感じない。カッターナイフで耳たぶを切り落とそうとしたり、ほっぺに10センチくらいの深い傷をつけたりするんだけど、なんか遠慮がちだ。役所広司にいたってはボッコボコにされて銃で何発か撃たれて、映画が進むにしたがって怪我が増えていくんだけど、全然死にそうな気配がない。ならばいっそ、「あれ絶対死ぬだろ!なんで死なないんだよ!」くらいボッコボコにしてしまってもよかった。 [映画館(邦画)] 8点(2014-07-08 23:46:28) |
72. ノア 約束の舟
《ネタバレ》 ノアの考えてることに追いつけなかった。まるで「神」に操られているかのようにわけわからねえことをふるまいだすので、ああ監督の悪い癖が出たなあと思った。赤ちゃんを目の当たりにするっていうだけで、あれだけの固い殺害使命感がコロッと折れてしまうものなのだろうか。人間とは、「神」の言うままに、常人では全く理解できないことすらためらいなく出来ちゃうものだ。そういう側面もひっくるめて人間なんだと思う。だからこの映画は、1周回って人間性の否定ともとれる。まあでもあそこで赤ちゃんを殺害しないほうがいいよねそりゃ。そういう人たちの末裔であるならばちょっと自分を誇っていい。 [映画館(字幕)] 7点(2014-06-29 23:10:45)(良:1票) |
73. 超高速!参勤交代
《ネタバレ》 長い距離を歩いたんだろうけど、その距離の長さが感じられない。体力トレーニングは積んでいたんだろうけども、それまでジョギングしてて、次のシーンで息が切れていないとかって雑だ。せりふで出来事やストーリーを説明しすぎており退屈になる。 なんか福島の土地を政治で汚すなとかそういうこと最後に言ってたけどさ、あれはつまり現在の福島の大根は食べるなっていうことなのか?これは日本人怒るべきだろう。いまだに放射能のなんちゃらを心配している人がいるのか。 結局、大根のおいしさに着地点を持っていくのはあまりにも安っぽい。 [映画館(邦画)] 4点(2014-06-27 00:20:30)(良:1票) |
74. WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~
《ネタバレ》 一番心地よかったことは、疑似“脱都会”が出来たことだ。ド田舎のでこぼこ道とか古い民家のにおいとか田舎のばあちゃんのペースとかがたまらなく癒される。そして映画のメインステージである山奥の森林の雨、風、葉、虫、泥、汗そういったあのにおいが感じられた。長澤まさみや優香と一緒に都会をエクソダスして1年間も森林浴が出来る映画だ。 100年前に植えた苗が、今大きな木になって、それを伐採し商品にするという仕事。100年前に誰が植えたかと言うと、じいちゃん、ひいじいちゃんたちだという。それから100年、丁寧に間伐し、枝打ちし、美しい一本の樹となりてチェーンソーで切り倒す。この光景が神々しくないわけがない。そして今年も苗を植えて、100年後、きっと子孫がそれを伐採するんだろう。そういう大きな「生のサイクル」の一部分であることに気付いたのは主人公の青年だけではなく、映画を見る僕たちもそうだ。今僕が住むこの木造の家の材料でるwoodも、きっと大昔誰かが植えて、それを別の時代の誰かが伐採しているのだろう。そしてその木のにおいが心地よいこと。 [映画館(邦画)] 8点(2014-06-10 23:42:25) |
75. 悪の教典
《ネタバレ》 猟銃で高校生をバカスカ打ち抜く映画なんだけど、撃たれた高校生が死んでいるように見えない。至近距離で猟銃なんだから、しかもアクションコメディなのであれば、『キルビル』や『地獄でなぜ悪い』や『ブレインデッド』よろしく盛大にやってほしかった。けれども命乞いする高校生を何のためらいもなくぶっ殺していく様子は、スカッとした。前半、もっと高校生たちを憎らしく(もしくはいとおしく)描いてくれれば、それらが殺されていくさまにエクスタシーを覚えただろう。 [DVD(邦画)] 5点(2014-05-21 01:08:48) |
76. 塔の上のラプンツェル
《ネタバレ》 映画館ではなく、自宅のノートパソコンのちいさい画面でこの映画を観てしまった自分に、バッカジャネーノと言いたい。 [DVD(字幕)] 7点(2014-05-08 02:06:50)(良:1票) |
77. アナと雪の女王
《ネタバレ》 エルサもアナも、とてもいとおしい。だからデレデレして9点あげたくなるが、問題提起と問題解決が唐突、安易だったから1点下げる。エルサもアナも悪くないんですよ。 「ありのー、ままでー」はもちろんそれだけで十分良いんだけども、この映画では2度歌われることでより一層泣ける。 一度目、暗い山奥で氷の城を作る時。これは決して喜ばしいシーンではない。むしろ孤独の歌であり、逃避の歌だ。 しかし二度目、エンディング、この意味が180度覆される。エンドクレジットで再び歌われると、なんと、自分の(エックスメンのような)特殊能力を「ありのままで」受け入れて生きていく決意とその歓喜の歌と昇華する。 また、「雪だるまつくーろー」も超効果的。オープニングのちびっこの頃のかわいらしく歌われているとき、このときは姉妹のなかよしのシンボルとして歌われる。で、いろいろあって、解決して、最後この歌のメロディがファンファーレのように響き渡る! これぞミュージカル。これぞディズニー。 [映画館(吹替)] 8点(2014-04-25 23:50:24) |
78. アクト・オブ・キリング
《ネタバレ》 アンワルは、最後嘔吐する。しかしアンワル以外にも虐殺した英雄たちは登場していて、彼らは結局、この映画ではなんの悔悟もないまま逆ギレどころか本気で正しいことをしたんだみたいな感じで終わっている。彼らを嘔吐させることはできなかった。 なお、現在もインドネシアには民兵組織「パンチャシュラ青年団」てのがあって、この集団はいまだに共産主義者殲滅を叫んでいる。殲滅の根拠は当時と変わらず「共産主義者は残虐だから」である。現代のはなしであることにぞっとする。こいつらまたやらかすんじゃないか。 そもそも、「人が人を殺す様子を再現した映画」にこんなにも群がり連日満員御礼となる我々だって同じだ。 虐殺を追体験したいんだ。ヒットすればするほど、それが正しいことになる。もっとヒットして、ランキング1位になって、王様のブランチでリリ子が嬉々として紹介するといいさ。 ラストのアンワル、嘔吐するが、あれは演技なのかもしれない。階段を上がっていく時なんかも、カメラはきちんと構図を考えていて、つまり「これから階段を上がるシーンを撮ります。よーい、はい!」って言ってアンワルは上がり始めているに違いない。つまりこの階段を上がる様子は、演技なんだ。そうやって上がってきた屋上で、おええええーってやられても、なんだか演技臭さがすこーしあった。ちょっとばかし盛ってない?って思った。それでも十分見ごたえある”演技”だったから、映画としては成功だ。 [映画館(字幕)] 9点(2014-04-20 23:49:24)(良:2票) |
79. クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん
《ネタバレ》 みさえや、映画を見る我々は、ロボとーちゃんじゃなく、生とーちゃんを野原ひろしとみなした。あの、子供たちを救った後の庭での夫婦の美しいシーンがあるが、あのときのみさえも「あんなことできるのは、野原ひろししかいないわ。あなたはロボットでも、野原ひろしよ。」みたいなことを言った。これはつまり、「ロボとーちゃん≠野原ひろし」であることをみさえは思っていることになる。 だから、ロボとーちゃんが切ないわけだ。 しかし、しんのすけにとってはそうではない。ロボとーちゃんも、生とーちゃんも、両方とも自分にとっての父だと受け入れたのはしんのすけただ一人だ。 ってことはですよ、この映画は、しんのすけにとっては、「父の死」の物語なのである。絶対に野原家は死ななかった。この鉄則が今回、ついに(疑似的に)崩された。 正しいクレヨンしんちゃん映画には、すべて、しんのすけの成長が描かれている。今回もたくましいしんのすけの姿がきちんとおさめられていた。その姿がなんと、死にゆくロボとーちゃんのノイズ交じりの視界からのものだった。 「おめえのとーちゃん、強いだろ。」 このせりふには二つの意味がある。一つは、腕相撲に本気で臨んで(僕は生とーちゃんが上着を脱いだところでポタポタ泣いた)ロボの腕を押し倒した生とーちゃんの強さ、もう一つは、腕相撲に「負けてあげる」という父の役割をきちんとふるまったロボとーちゃんの強さ。 これは、ロボが正真正銘のしんのすけの父だからこそ出来たことなのだ。野原ひろしという男だからこそ。 確かに映画を観る我々にしてみれば、ロボとーちゃんはダサい取り換えの効く鉄くずに過ぎない(同一性を保てないので野原ひろしではない)。けれどもあえて一歩引いて、しんのすけが見ているように、ロボとーちゃんも野原ひろしと等しいと受け入れてこの映画を観れば、ああ、歴史に残る名作となれるだろう。 僕の近くの席でみていた少年が、上映中にも関わらず大声でこんなこと言った。「もう壊れてるから本当の力が出せなかったんだ。だから負けたんだよ。」きっと隣で観ていた親に教えてあげようとしたのだろう。少年よ、君が父になったとき、もういちどこの映画を観なさい。なぜロボとーちゃんが腕相撲に敗北したか、分かるからな。 [映画館(邦画)] 9点(2014-04-20 23:44:55)(良:3票) |
80. LEGO ムービー
これに関しては多くを語るのをやめる。超面白い。ありえない。うそだろこれ。身悶えするくらい観て良かったと思える。僕はこの映画を観たんだ、という事実が僕の中にある、そのことが幸福である。今ならば、次は字幕版でもう一度観たいと考える。この映画が作られ、上映されたこの時代に、居合わすことが出来てよかった。今後しばらくは、人と会ったら、この映画を勧めることにする。 [映画館(吹替)] 9点(2014-04-18 00:43:31)(良:1票) |