61. ドライブ・マイ・カー
《ネタバレ》 「劇中劇」映画は正直あまり得意ではない。どうしても演劇の不自然さが強調されるので、結果的に映画全編が不自然に感じてうまく感情移入できなくなる。劇の台詞に過剰な意味を見出したくなってしまい、映画を観るというよりも、本を読んでる感覚に近くなる。いつでも読み返したりスピードを調整できる本とは違い、映画だとそのまま流れていってしまうので、どうしても物語を咀嚼できず、消化不良感に襲われる。なので途中で、演劇がテーマと気づいた時に「これはまずい映画に手を出した」と後悔した。 しかし、本作の特異な作りは、そんな私にも十分に堪能できるものでした。メインの西島、霧島、岡田の3人は動きも台詞回しも過度に演劇的で実在感がない。一方で他の登場人物の大半は素人を集めたかのような棒読みぞろいか、日本語が限定的な外国人。そのなかで唯一「自然に」演技してるのが三浦透子さんで、彼女が口を開くときに物語が動き始めるのがなぜだか妙に心地よい。正直、西島さんと霧島さんの演技過剰な序盤でリタイア寸前だったのですが、三浦さんの登場で一気に「映画」になったと思う。そうなると三浦さんの運転シーンのプロフェッショナルな所作、棒読みの読み合わせのシーンのリズム、その秩序とリズムをかき乱そうとするトラブルメーカーの岡田さんの絡みががぜん面白くなり、「生きる」ことへの主人公の問いかけが、急に切実さを帯びるのだから面白い。濱口竜介監督のただ者ではない感じを楽しむ事ができました。 村上春樹作品の映画化といえば、イ・チャンドンの傑作『バーニング』がありますが、それに匹敵する作品。ただ、西島さんは、自分が村上作品を読んだときに描く主人公のイメージとはやっぱりギャップが・・・。もっと「空っぽ」感がほしいのです。じゃあ誰がいいのか、と言われてもちょっと浮かばないのですが。 [インターネット(邦画)] 7点(2023-06-17 15:30:49) |
62. プロミシング・ヤング・ウーマン
《ネタバレ》 「#Me Too」時代にふさわしいリベンジもので、主人公キャシーが対峙しているのは、友人を襲った人びとやそれを許した周囲の人たちだけでなく、「襲われたほうにも落ち度があった」という性暴力を正当化する語りとそれを支えるセクシズムそのものなのでしょう。「プロミシング・ヤング・マン」を守るためにその男と同等以上の能力も可能性もあったはずの女性の尊厳や生命がないがしろにされる社会のあり方への「復讐」として、彼女は毎晩バーへ行き、泥酔したふりをする彼女に言い寄る男たちに「成敗」を下す。彼女の「復讐」方法は、映画の雰囲気から予想していた「仕事人」風バイオレンスではなく、社会的・心理的に追い詰めるタイプだったのは少し意外だけど、その分リアルで男性観客に居心地の悪い思いをさせるには十分。なかでも、冒頭に声をかけるのが3人組のなかで唯一「ロッカールーム・トーク」に気乗りしないタイプの男だったり、それなりに誠実そうなライアンの「過去」だったり、わかりやすい「クソ男」でない風に見えるやつこそが「クソ」という描き方は秀逸で、男性としてはその分救いがないというか逃げ場がない。フェミニスト気取りの男を含め、どんな男もこの問題からは逃れられないぞという、なかなかキツいメッセージに思える。 そんな本作なので、いちおうは「復讐」は完遂されるものの、それもまた爽快感や解放からはほど遠い。ライアンの「正体」だったり、ラストへの流れはなんとなく予想できてしまう。パリス・ヒルトン、ブリトニー・スピアーズなどの「お騒がせ」系女性歌手曲の使用もテーマには合致しているけれど、少ししつこいというかベタにベタを重ねるようで演出過剰な気がするのも確か。とはいえ今、作られるべくして作られた作品。色褪せないうちに鑑賞することをお薦めします。 [インターネット(字幕)] 7点(2023-06-11 08:28:21) |
63. NOPE/ノープ
《ネタバレ》 やっぱり映画館で見たかった。飛行物体の浮遊感とチラチラ写りこんでくる表現が秀逸で、視線を巧みに入れ替えながらその「恐怖」を増幅させる演出はやっぱり劇場でこそ、だったように思う。「西部劇」「怪物映画」という伝統的な映画のフレームを、主人公の味方とされる「動物」視線で再構築するモチーフはとても面白いし、映像として撮ること=映画そのものについての映画である、というのも最後まで見ればよくわかる。そう考えれば、チンパンジーにせよ馬たちにせよ、映画産業のなかの「動物」の扱いには、ジョーダン・ピール監督らしい「人種」への問題意識も反映されているのだろう。 ただ、自分としては『アス』の哀しくも恐ろしいラストが大好きだったので、「西部劇」+「怪物映画」として最後スッキリ格好よく終わってしまったのはちょっと物足りなかったか。また、そのスッキリ感が、監督のシネフィルっぽい原初的問題意識とかみ合っていないような気もして、せっかくの「怪物映画」としての終盤のスペクタクルをどっぷりと楽しめないのも残念。それも、映画館など没入感がある環境で見ていたらまた違ったのかもしれない。いずれにせよ、新作が待ち遠しく、そして必ずこちらの期待を超えてくる一作を持ってくる監督であることは間違いない。次も楽しみ。 [インターネット(字幕)] 7点(2023-06-10 17:40:55)(良:1票) |
64. AIR/エア
《ネタバレ》 少しでもNBAの選手を知っていれば、映画冒頭の新人選手の誰をスポンサーするかっていう会議でニヤニヤが止まらない(あー、そっちにいっちゃだめー!とか、そいつは意外とイケるよ、とか)。そんななかで二流スポーツブランドだったナイキ社員のソニーが「これだっ」と見出したのがドラフト3位のマイケル・ジョーダン。しかしジョーダンはすでに当時大手だったアディダスとの契約を希望しているらしい、さて、どうする? という話。 そもそも結末はみんな知っているので、「交渉」の緊張感にハラハラするよりも、バックに流れる80年代音楽とともに流れに身を任せる感じ。映画的な見所はそこで出会う人物たちのキャラとソニーとのやりとり。ナイキの幹部たち、オリンピック関係者、エージェント、そしてジョーダンの両親など、みんなキャラが立ってて主人公ソニーとのやりとりは本当に面白い。とくにエージェントのデヴィッド・フォークが興奮してまくし立てた言葉に思わず笑ってしまうマット・デイモンの表情など、(まるでコントの相方のやり過ぎに思わず笑ってしまった芸人のようで)俳優達も楽しんでる感じが伝わってて最高です。交渉のキーパーソンとなるジョーダン母役のヴァイオラ・ディヴィスの貫禄はさすがだし、軽妙なジョーダン父とのバランスもすばらしい。 あえてマイケル・ジョーダンその人はちゃんと出てこないという仕掛けも面白いけど、まだ「神」になる前の「青年」だったことを思えば、誰かに台詞つきで演じさせてもよかったのかなーとは思います。その(まだプロとしては何も成し遂げていない)「青年」の可能性にどこまで賭けられるのか、という話なので。あと、脚本的には契約の肝だったロイヤリティの話が突然出てきて、しかもあっさり解決してしまったのが少し残念。ここは交渉時からの伏線がほしかったし、フィル社長がそれを受け入れる過程をもう少しうまく描ければ、ナイキの歴史を変える決断の大きさがもっとエモーショナルに伝わったのではないかと思います。とはいえ、肩肘張らずに楽しめるビジネスものの快作。90年代にNBAやバスケットシューズに夢中になった人は必見。 [インターネット(字幕)] 6点(2023-05-28 08:25:03) |
65. はりぼて
《ネタバレ》 ドキュメンタリーって面白い、というのを堪能できる100分。地方議会のフツーのおじさん議員たちのキャラ立ちの見事さ。みんな「巨悪」というよりはちょっとした「小悪党」で、政務活動費の不正使用も「そうやって回ってきた」市議会や市役所のなかで「そういうもの」として享受してきたのだろう。その矛盾を突然突かれて動揺してうろたえる様には、人間喜劇のすべてが詰まってる。しかし、物語が「小さな悪」への一方的な追及で終わらない点も本作の優れたところ。長く追及する側だった地方テレビ局自体もまたその一部であったことがほのめかされ、追及側の中心だったキャスターと記者の2人は結局その現場を去る事になってしまう。その経緯をもう少し詳しく知りたいとは思うものの、本作が描いていたのは「誰が悪いのか」という話ではなく、「そういうもの」で流して放置されてきて行き詰まったシステムにあるのだろうから、それでいいのだろう。もちろん、そのシステムの延長にあるのが「モリカケ」やら「桜」なのは明らかだけれど(だからあれもやっぱり「巨悪」の問題ではなく「小悪党」と「小市民」が作ってきたシステムの問題なのだ)。そんな意味での日本社会の縮図としての地方政治には、まだまだ面白いネタがいっぱい詰まってるように思う。 [インターネット(邦画)] 8点(2023-05-21 08:34:59) |
66. ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3
《ネタバレ》 実は前作はいまいち乗り切れなかったので、少し心配だった「Vol.3」。杞憂でした。ほぼすべてのキャラクターに見せ場を用意し、見たかったもの、聞きたかったものが詰め込まれたジェームス・ガン的大団円。お腹いっぱい、大満足の2時間半でした。 まず何よりも前作ではピンと来なかった選曲が今回は大ストライク。事前のサントラ禁止状態で臨んだら、まさかの1曲目はレディオヘッド! それも『Creep』!! そしてフレーミング・リップス、ビースティ・ボーイズと来て、決めの一曲はフローレンス・アンド・ザ・マシーン。そのあとおなじみのあの曲を挟んでの終幕はなんとなんとボス!ビッグボスじゃくて本物のボス! とくに『Creep』とフローレンス様の『Dog Days Are Over』はテーマにもしっかり絡んでて、尋常ではない精神状態でジェームズ・ガン的クリーチャーが織りなすドラマとアクションを堪能できました。 母の映画だった第1作、父の映画だった第2作と比べれば、本作は「ファミリー」の映画の趣き。「家族」を持てない/持たない/失ったキャラクターたちがつくり出す疑似共同体的な「ファミリー」の物語。「完璧」を求めた結果、誰も信じられず、誰も認められず、どんどん味方を失っていく敵キャラと対照的に、ガーディアンズの「ファミリー」はそれぞれの「ありのまま」を認めてどんどん大きくなっていく。その行く末はあまりに聖書っぽくもあり、ユートピア的で少し心配にもなるのですが、自らの失言で一度は監督の座を追われたジェームズ・ガン監督だからこそ、「完璧」に到らないすべての「Creepy」なクリーチャーたちを、それぞれの哀しみと傷を持った存在としてまるごと抱きしめるというメッセージがぐさりと胸に刺さりました。 唯一残念だったのは、まだ公開2週だというのに、シネコンの大スクリーンは車がふっとぶやつやニンテンドーのやつに持っていかれて、1日2回の小スクリーンのみの縮小上映だったこと(早く行けなかった私も悪いのですが)。なぜ、どうして? こんなスゴい楽しい映画なのにー。マーベルにもディズニーにも飽きちゃった人、どうせディズニー・プラスでみるからっていう人、マーベル関係ないし前作・前々作見てなくても楽しめちゃうから、映画館で見てー。お願い。 [映画館(字幕)] 9点(2023-05-19 16:03:18) |
67. エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
《ネタバレ》 アカデミー賞授賞式当日(平日)午前に映画館で鑑賞。観客はシネコンの小さめスクリーンに20名程度。高齢者多めだが、高校生くらいの男子グループも。自分も評判は聞いていたのですが、基本的には「中国系女性が主人公」「マルチバースらしい」「カンフー映画らしい」程度の予備知識で鑑賞。結果、大半のシーンに驚き、困惑し、呆れるばかり。でも終わってみたら、しっかりした家族の物語で、年頃の娘がいる自分としては感涙必至の大傑作でした。 『クレイジー・リッチ・エイジアンズ』のときもそうでしたが、とっ散らかった作風でも家族の軸を中心に置くと一気に普遍性を獲得してしまうのがアメリカ映画のすごいところです。本作の見所は、中国系移民家族三世代のギャップ。とくに出色は主人公の娘ジョイが抱える「虚無」の表現。「何でもできる」「何にでもなれる」と言われ続ける現代の子どもたちが、だからこそ直面する現実との折り合いの難しさ。ジョイが最も絶望した瞬間が、自分を「理解している」風の態度を見せる母親エヴリンが放った一言だったのにも納得。そんな彼女の「虚無」にどう向き合うのか。その問いに、エヴリン自身が持っていたはずの無限の可能性をマルチバースとして描き、カンフーで戦うハチャメチャなアクションで答える。最後の落とし所は、たぶん「解決」ではない。でも「虚無」に向きあうための勇気を、そこに感じることはできたからこそ、多くのアメリカの観客はこれを受け止め、大ヒットにつながったのでしょう。私もマルチバース構造と本作のメッセージを完全に理解したとはいえませんが、その勇気を受け取ったと感じたことは確かです。でも、それで正解なのかなと思います。だって、ザ・ダニエルズの監督2人もまた「家族なるもの」と「虚無」と戦ってて、本作が描いたのは、その「答え」じゃくて「戦うこと」のほうだったと思うからです。だから、あのパーティの翌日、やっぱりこの家族は、結局は夫婦の不和をかかえ、親との関係に悩み、娘の変貌に戸惑ってるんだろうなと思います。 ところで、本作を「ポリコレ作品」と見る動きもあるようですが、基本的に不謹慎ギャグの連続で、どっちかといえば「正しくない」描写に溢れた一作です。そして「正しい答え」を期待してはいけない一作でもあります。まあ、移民家族の葛藤とか不和を描いたと作品なんて、あの『ゴッドファーザー』をはじめ、アメリカ映画ど真ん中じゃないですか。それを「アジア系だから評価されてる」みたいな風にみちゃうの残念だなあと思ってしまいます。むしろ、ど真ん中のテーマを堂々と描いてることが評価されてるんですよ。下ネタいっぱい詰め込みながら。 映画が終わって劇場をでたら、アカデミー賞作品賞取ってました。その後見た授賞式の動画で、実はキャストたちが語る「アメリカン・ドリーム」に感動しつつも、私はこれでまた「何にでもなれる/なんでもできる」と言われて「虚無」に陥る子どもが増えるんじゃないかとちょっと心配になりました。日本でも、これで多くの人が劇場に足を運び、驚き、戸惑い、呆れることでしょう。でも、そのなかで1人でも多く、この作品が描いたものから勇気を受け取った人がいれば、それはこの映画の勝利なんだと思います。 [映画館(字幕)] 8点(2023-03-19 09:19:07)(良:2票) |
68. イニシェリン島の精霊
《ネタバレ》 見始めたときはアイルランド英語に大苦戦で、英語字幕付きでも何言ってるかわからなかった。ただ、人間関係が見えてきて展開が動き出すと、不思議とだんだん慣れてきて、会話が生き生きしてくる。それでも見終わったときは、正直「変な映画を見た」という気分だったのに、あとになってからじわじわと響いてくる。個人対個人でも、国対国でもいい。これは、友好的だと思っていた関係がずるずると壊れていく状況を描いた寓話だっただろう。 「内戦」を背景に盛り込んだのもそういうことなのだと思う。「対立」とは何だろう? それは金や財産だったり、資源だったり、見栄だったり、いろいろなものが「原因」とされるのだけれど、本当のところはそれらは表面的なものに過ぎず、もっともっと突き詰めれば、「すれ違い」と「思い込み」とちょっとした「タイミングの悪さ」の産物なのかもしれない。観客の私たちは、パードリックとコリムが本当に仲が良かったときのことを知らない。二人は、仕事も趣味も(おそらく)それまで生きてきた道も異なっているけど、たまたまアイルランドの孤島のパブで親友になった。その邂逅は奇跡だったけれど、その日々は絶対に取り戻せない。 この映画を見て、絶対に取り戻せないであろう少し前の過去をつい思ってしまったのは私だけだろうか。そんな関係は、ロシアとウクライナのあいだにも、人種のあいだにも、男女のあいだにもあったのかもしれない。「なんでこうなっちゃったんだろう」というのは、なんとも人間的な問いだ。その問いの切実さと残酷さが、アイルランドの雄大な光景のもとで生きるちっぽけな二人の男の喧嘩に集約されていたように思う。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2023-03-09 16:56:51) |
69. ほの蒼き瞳
《ネタバレ》 19世紀のウェストポイント士官学校の雰囲気、荒涼とした冬のハドソン川、そしてエドガー・アラン・ポーが描いたようなゴシック・ホラーの趣きなど、雰囲気は十二分に楽しめます。作り込まれた世界はNetflixじゃなくて劇場だったらさらによかったかなという印象(ただ、この題材で劇場まで足を運ぶかと言われると微妙なところは辛い)。ただ、なかなか前に進まずテンポが遅い序盤、突然大展開して一気に解決まで持って行ってしまう中盤以降、そしてやけにあっさり解決したなと思ったら最後に待っていた(でもなんとなく予想していた)「意外な結末」まで、ストーリー展開が「惜しい〜」という感じ。真相にはやっぱりちょっと無理を感じる(都合がいい偶然が重なってる点もやや興ざめ)し、クリスチャン・ベール演じる元警官ランドーと士官候補生時代の変人エドガー・アラン・ポーのどっちが物語の語り手だったのかが判然としない感じも残念。どこかで視点の転換が起きているはずなのですが、そのあたりの工夫が乏しかった。とはいえ、ランドーとポーのバディ感はなかなかよかったし、厳寒のNY田舎の風景、士官学校の閉鎖的な雰囲気、鍵を握った医者一家のおどろおどろしさなど、「そういうの」を期待して見ていたので、十分に2時間楽しめました。こうゆう100点満点の大傑作じゃないけど、駄作とも言えず、ちゃんと見所もあってそれなりに楽しませてくれる映画(ふと深夜にテレビ放送してるのを見始めてつい最後までみちゃうタイプ。)、結構好きです。 [インターネット(字幕)] 6点(2023-01-30 08:33:55) |
70. 東京2020オリンピック SIDE:B
《ネタバレ》 『SIDE A』に続いて鑑賞。今回の主役はバッハ会長と森喜朗氏でした。『SIDE A』のノリでいけば、もっと「無名」のスタッフや裏方の話かと思ったけど、今回はどちらかといえば組織委員会内部のゴタゴタやニュースでも観たアレコレを河瀬監督的切り口で編集、という感じでした。期待していたのは、バッハ氏、森氏、各競技団体の無茶な要求のもとで右往左往する裏方スタッフの1年・・・みたいなの。でも結局は、演出チーム交代のゴタゴタ、森氏降板前後のやや森氏に同情的な立場の人たちの描写など以外は新鮮味や緊張感もあまりない、正直なところ退屈な一作でした。それから『SIDE A』から気になっていたのですが、画面からはみ出すくらいの顔アップ構図の多さ。『SIDE A』はまだ競技シーンとのバランスでまだ観られたけれど、競技画像少なめでオジサンたちのアップ画像が続く本作は結構きつい。さらに(冒頭で予告されているとはいえ)本当に唐突に挿入される東日本大震災の津波の映像。被災者ではない自分でも一瞬体が膠着するのがわかりました。抗議運動の描写、バッハ氏・森氏・山下氏のやたら多いアップ映像を含め、全体的に「悪趣味」映画の趣が強いです。この映画の「ルック」を含めた醜悪な「悪趣味」感こそが東京2020の「実像」であるとするなら、そこには賛同しますが、それをわざわざ観たいのかと言われれば・・・というのが正直な感想です。あと、どうしても気になったのは、『SIDE A』『SIDE B』ともにパラリンピック関係の映像がほとんどなかったこと。これは別に「公式記録映画」が作られているということ? それとも・・・? [インターネット(邦画)] 3点(2023-01-06 08:53:03) |
71. 東京2020オリンピック SIDE:A
《ネタバレ》 自分はもともと東京でのオリンピックの開催には反対だったし、それでもいくつかの競技をみて、それなりに楽しんだり感動したりして、そして開催後は(感動した選手の名前でさえも)きれいさっぱり忘れてしまった、たぶん「一般的な」視聴者の一人だったろう。そんな自分にとっては、「公式記録映画」が何を残そうとしているのか気になって本作を観たのだけれど、観たところで何かに納得できるわけでもなく、なんとも評価に困る一作となった。ナレーションなし、音楽も最小限で、アンチクライマックスな演出。登場する選手たちはオリンピックが何らかの人生の転機と重なっているものの、全体で見えてくるのはそれぞれの人生がオリンピックの後も続いていくということ。選手としては男性も女性も登場するが、印象的なのはやはり女性の選手、とくに子どもを持つ「母親」でもある選手たちだ。赤ちゃんへの授乳を求めるカナダ代表バスケ選手、子どものために人種差別に抗議する米国代表選手、子連れで日本に来たのに子どもと離ればなれの生活を余儀なくされる米国マラソン選手、そして、出産後のオリンピック延期で引退した元日本バスケ代表など。「公式記録」として後世に残したいと思ったのは、女性スポーツ選手が育児と競技とどう向かい合っているかというテーマだったのではないかとさえ思える。この関心には共感するけれど、正直劇中での描き方、とくに元バスケ日本代表の大崎佑圭選手が赤ちゃん連れで競技を続けるカナダの選手と対面する場面はなかなか残酷で、少しイヤな気持ちになった。映画全体としては、河瀬監督は、オリンピックを心から楽しんだ人もやっぱりやるべきじゃなかったと思ってる人も、誰もかれも突き放したところにボールを投げてきた。この映画を「公式記録映画」として出してきた河瀬監督の胆力には感心するけど、これが「公式記録映画」でよかったのだろうかという疑問はますます大きくなっている。 [インターネット(邦画)] 5点(2023-01-03 16:36:47) |
72. リコリス・ピザ
《ネタバレ》 こんなに肩肘張らないポール・トーマス・アンダーソン監督ははじめて! 舞台も同じなので空気感は『ブギーナイツ』や『マグノリア』の頃を思い出しますが、もっと力が抜けていて多幸感にあふれていて、ずっとこの世界に浸っていたくなる。なにより素晴らしいのは、クーパー・ホフマン君!名優を父に持ち、父との名コンビで知られたPTA監督作でデビューでいきなりの主役。なのにこの自然体演技は一体何者か。ティーンなのに背伸びして何でもやりたいゲイリー君その人なのではないかと思えるのびのび感。事業家気取りの一方で、おっぱい見たい触りたいあたりのバカさの加減も素晴らしい。一方のアラナさんは先が見えない20代女性の迷いをこれも名演。カラフルな衣装とセットも素晴らしいけど、単にホワイト・サバービアへのノスタルジーだけでなく、何気なくセクハラするカメラマン、日本人妻にわざわざ訛った英語で話すレストランのオーナー、そしてどうにも人の気持ちがわかっていない政治家など、白人男性のイヤな思い上がりを(そしてゲイリー君がその予備軍になりそうなことも)きっちり描いているあたりも好印象。あと、自然体の主演2人のまわりで、ゲスト出演の大物スターたちがやりたい放題やってるのも楽しい。とくに、ショーン・ペンとブラッドリー・クーパーのキレっぷりは本当に楽しそうでした。何よりもリラックスしてても物語の骨組みはしっかりしていて、背伸びする10代と迷う20代が反発したり、対抗したり、でも共感したり、思い合ったりしながら、バディのような関係性のもとで、郊外の田舎町で少しずつ前に進んでいこうとするさまが、本当に愛しく、大好きな一作になりました。 [映画館(字幕)] 9点(2022-12-24 17:04:08) |
73. 燃ゆる女の肖像
《ネタバレ》 なんだか久しぶりの文芸映画。公開時の評判がとにかく高かったので、配信にて期待値高めで鑑賞。ところが、文芸系のテンポに体がついていかず、1回目の鑑賞は前半で熟睡してしまい、中断。気を取り直しての2回目は通してみました。公開から3年たっているとはいえ、たった3年のあいだでも同性愛に対する見方も、そうした作品を見る側の視線も変わったのかなというのが最初に頭をよぎる。自分自身、この映画の「愛のかたち」をなにか「特別」「特殊」なものだという感覚がないまま、ふつうの恋愛映画として見てました。そして、それはたぶん、作者のねらいでもあるのだと思います。静かで疑念に満ちた始まり、燃えるような愛、そしてあまりにあっけない幕切れ、それでも忘れられない日々。定番といっていいプロットを彩るのは、こりに凝った音楽の使い方とか、隠喩ありまくりの画の数々とか、ささやくような台詞のあいだの長〜い間とか、とにかくてんこ盛りの技巧の数々。セリーヌ・シアマ監督がただものではないことがビンビン伝わる。ただ、本作は、それがちょっと目についてしまうというか、音楽が鳴る場面とか、長回しとか、自分の感情が持って行かれる前にまず技術のほうに関心してしまうのだよねー。これはもしかしたら劇場で見たら違ったかな。それでもやっぱりあのラストの長回しの画は凄いです。必見の映画であることは間違いないです。 [インターネット(字幕)] 7点(2022-12-16 17:09:19) |
74. ゴーストバスターズ/アフターライフ
《ネタバレ》 うーん、『ストレンジャー・シングス』風ジュブナイル(キャストかぶりあり)+オリジナル・キャスト再集結の「おっさんホイホイ」が、21世紀迷走中の『ゴーストバスターズ』の最終結論なんでしょうか・・・。2016年版は個人的にもイマイチでしたが、『サタデーナイト・ライブ』的アメリカン・コメディ風味があって、まだあっちのほうが『ゴーストバスターズ』的だったように思えてくる。それが、配信時代に大ブームとなったジュブナイル・ホラーに旧作同窓会ぶっ込んどけばみんな喜ぶっしょ、というマーケティング的な安易さが透けてみえてしまって、とても残念。シガニー・ウィーバーもアニー・ポッツもおまけ映像で残念な感じだし、同窓会TVスペシャル見たかったんじゃないのよ、こっちは。新しい映画1本見たくて、見てるのに、終盤から同窓会スペシャルに急展開されて、前半で「面白いかも」って思わせてくれた4人のメインキャラクターたち(+母ちゃん&ポール・ラッド)に対してはリスペクトの欠片もないまま終わってしまって。そのリスペクトのなさが、かえって旧作の登場人物へのリスペクトのなさにもつながってるのよ。ちなみに、私、はじめて映画館で見て「映画が好き!」をはじめて自認した洋画が84年のオリジナルです。そして、ジェイソン・ライトマン監督作は、ほとんどフォローしてるファンでもあります。だからこそ、旧作にも新作にもリスペクトを欠いた本作に怒っているのです。 [インターネット(字幕)] 2点(2022-12-11 17:08:01) |
75. ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー
《ネタバレ》 ストーリー的にはどういう映画になるかはおおよそ予想できていたし、だいたいその通りの作品でした。個人的には、その結果よりも「どうやって」の部分に興味があって久々の映画館へ。上映時間の長さは、王女シュリの成長を丁寧に描いた結果であるとは思うのですが、正直なところ前作のティ・チャラとキルモンガーの因縁と同じ重さを、シュリとネイモアの対決に負わせるのは酷というものでしょう。キルモンガーが背負ってきた大都市ゲットーの黒人の不平等の問題に対して、ネイモアが背負っているのは別名「ククルカン」(マヤの神)が示すようにヨーロッパ人によって滅ぼされた先住民族の物語。 冒頭に嫌な感じでフランスの高官が出てきますが、本作ではフランスの植民地であっていまもその遺産に苦しむハイチが鍵になり、ハイチ独立の英雄と同じ「トゥーサン」という人物の登場が示すように、所々でこれに関連するテーマが匂わされています。この名前は、本作がアフリカと北・南米を蹂躙してきたヨーロッパ人による帝国主義・植民地主義による苦難の歴史から起ち上がってきた人びと(アフリカ人、奴隷・元奴隷たち、そしてアメリカ大陸の先住民族)の物語であることを象徴しています。そして、チャドウィック・ボーズマン=ティ・チャラという軸を失ったため、本作は苦難を生きる/生きた人びとの群像劇的な物語として再構成されました。その結果、話のスケールが広がり、ライアン・クーグラー監督をはじめ製作者のねらいも明確になったと思います。こんな「ポストコロニアルな世界」を娯楽映画、それもヒーロー映画でみることになるとは、と妙に胸が熱くなりました。 ただ、前作からみてもスケールが広がった本作の文脈を日本の観客が読み取ることは難しいと思いますし、抽象度も高いので物語の推進力としても、それを背負うキャラの魅力としても、前作と比べると見劣りしてしまうのはたしかです。そもそも今日的な文化帝国主義の代表ディズニーのマーベル娯楽大作で、植民地主義批判をやってしまうことの矛盾も感じることも。そして、前作以上に女性の活躍が気持ちよく、シュリの「自由奔放な妹」キャラからの成長を長い時間をかけて描いた本作であればこそ、ラストのアレは必要だったのか・・・私には疑問でした。また、せっかく大きくなったスケールが、三作目でまた家族の血縁の物語に戻ってしまうのでは、どっかのSF大作と一緒じゃないかー。次もあるっぽいですが、そうならないことを切に願っています。 [映画館(字幕)] 7点(2022-11-21 19:18:08)(良:1票) |
76. ドリームプラン
《ネタバレ》 微妙な邦題とアカデミー賞授賞式の例の件で残念な映画っぽいイメージが拭えなかった本作、見てみれば思いのほか爽やかで気持ちいい物語でした。主人公のリチャードは、言わずと知れたヴィーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹の父で、すべての観客がこの姉妹のその後の成功を知っているという前提が本作を見るポイントだと思います。リチャードの「プラン」は理にはかなっているけれど、それを守ろうとする頑固さは狂気のレベルに近い。この頑固な親父のせいで、とびきり優秀な2人のテニス選手の将来が潰されてしまう未来もあり得たかもしれない(し、そもそも成功には至らなかった「リチャード&姉妹」はほかに大量にいたかもしれない)わけですが、私たちはこの2人がどうなるかをあらかじめ知っているからこそ、無茶な主張と周囲の衝突を多少は安心しながら楽しむことができる。そして、実際に周りにいたら迷惑・面倒だろうなと思う親父リチャードのどこか憎めないチャームは、ウィル・スミスだからこそ表現できたものでしょう。実際、ポールやリックも姉妹の才能だけでなくリチャードの人柄やウィリアムズ家に惹かれてコーチを引き受けたというのがよくわかりますが、この絶妙なバランスはほかの俳優では難しかったでしょう。『アリ』や『コンカッション』のシリアスな役ではなく、いい役でオスカーを取れたと思います。そうした千載一遇の奇跡に触れることができるのも映画を見る楽しみですね。 [インターネット(字幕)] 8点(2022-11-19 10:02:30) |
77. マトリックス レザレクションズ
《ネタバレ》 第1作目のころ、「いま生きている世界は偽りの世界だ。覚醒せよ」という話にいまいち乗れなかった。というか90年代映画って某スリラーや某暴力系まで「見えている世界と本当の世界は違う」的なモチーフがあふれてたような気がして、そのなかでは本作はあまりに「中二病」的でダサくみえてしまったのでした。そこから20年あまり経って、正直いまのほうが本作にとっては難しい時代なはず。なぜって、このモチーフはまるまる「陰謀論」の世界観でもあって、それが現実の政治やら生活にも影響を及ぼしている昨今、本作が描く「覚醒」や「革命」も文字通りに感情移入するのは難しくなってしまったから。ただ、そんな難しい時代にあえて本作を問うことに、ラナ・ウォシャウシキー監督自身がどういう意図をもってるのか、軽い興味はあった。 で、見た結論としては、残念な結果に落ち着いてました。それは、物語上は「覚醒」を求めながらも、どこかで「なんちゃって」というメタ視点を留保し続けることで「本気になるなよ、これは作り話だよ」という構造にしてしまったことです。世界観への没頭力やら物語の推進力は大幅に後退し、2時間半を持たせるのはかなり辛かった。序盤のグダグダした展開はコミカルにテンポよくすることができたと思うし、モーフィアスとスミスというオリジナル・キャストの変更は、物語上の理由付けも中途半端で製作上の理由だろうというのが見え見えだった。前作以降のアクション描写、スペクタクル描写の進展についていけておらず、あまりに「進歩」がないのはあえてのレトロ趣味かと思えてしまうほど。いろいろ足りない部分を謎かけっぽい会話でなんとか補っても、物語に没入できないメタ構造がそれを邪魔する・・・。 ただ、それでもある意味、元祖陰謀論のような本作シリーズに自ら落とし前を付けた部分はあったと思うし、そうするしかなかったんじゃないのかな、という風にも思います。決して無意味な商業映画ではなく、トランプやコロナを経験したあとの2020年代という時代を象徴した一作だったのかもしれない、というふうに思います。それが「いい映画」だったかどうかは別として。 [インターネット(字幕)] 5点(2022-10-16 09:03:44)(良:1票) |
78. 機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島
《ネタバレ》 『閃光のハサウェイ』が新世代のガンダム的でとても出来がよかったので、あのTVシリーズの1エピソードをどんなふうに広げて/深めているのか、期待高めで見たけど、それが裏目だったようです。安彦さんの「オリジン」はコミック版を愛読しているので、どちらかといえば連邦軍、ジオン軍、ホワイトベースのそれぞれの思惑が「ククルス・ドアンの島」で交差するような政治劇・サスペンスドラマ部分での掘り下げを期待してしまったのですが、残念ながらそっちはTVシリーズ版からあまり発展は見られず、物語的にはスパイス程度でした。むしろメインは、ドアン、島の子どもたち、アムロの交流。ただ、この点では正直言って定型以上のものは一切なく、予定調和的に流れていくだけでした。一人一人に個性をもたせる子ども描写はハウス名作劇場というよりは『約束のネバーランド』的で、それが映画全体でうまく活かされている感じはしない。終盤にガンダムで敵兵士を踏み潰す描写は、ドアンや子どもたちとの交流を通して、アムロが「兵士」としての覚悟を示す(彼らの世界と決別する)描写にもできたと思うけど、そうゆう雰囲気もあまりない。見所は最新技術で動くファーストガンダムと懐かしいBGM! ただ絵として一番ケレン味があって印象に残ったのが、山羊vsホワイトベースの面々というのがなんとも・・・。 [インターネット(邦画)] 4点(2022-10-08 09:29:09) |
79. コーダ あいのうた
《ネタバレ》 前評判どおり、気持ちのいい映画でした。予想外にぶち込まれる下ネタの数々もいいスパイスになっています。主人公のエミリア・ジョーンズは、歌唱力的には物足りないと感じる部分もありますが、たいへんな環境のなかでの嫌みにならない健気さは出色の出来でした。オスカー受賞のトロイ・コッツァーはもちろん、実力者マーリー・マトリンもそしてお兄ちゃんもとにかく「家族」の造形と描写が見事で、この人たちのやりとりをずっと見ていたい気持ちになります。北東部地方の漁村の風景も美しい。これだけで映画としては大成功だとは思うのですが、ストーリー、設定、演出の面では違和感も。コンサートの無音シーンはすばらしかったのですが、実はこのときふと「手話しながら歌えばいいんじゃね?」という考えが頭をよぎってしまいました。この思いつきが、この後に尾を引いてしまい、一番感動すべきラストの試験のシーンもやや興ざめに。あと、結局通訳問題は解決してないように見えるのだけれど、どうやって乗り切ったのかわからないところ。たとえば、お母さんがおばちゃんグループに入っていけないところなど、どうやって乗りこえたのか?「障害者(お母さん)の側が心を入れ替えさえすれば、世界は変わる」という話なんだとしたら、障害者の側に困難を乗り越えろと求めているようで、ちょっとそれは違うように思える。バーのお姉ちゃん以外では、筆談すらする気配がない町の人たちにも、心がざわつく。田舎町という設定だから、ということなのかもしれないけど、とにかくいろいろ不自然に見えてしまって、せっかくの物語に入っていけなかった。愛すべき佳作ではありますが、いろいろコンサバな部分も目に付く。それが、オスカー作品賞を導いたのかもしれませんが。 [インターネット(字幕)] 6点(2022-09-25 14:58:58) |
80. リップヴァンウィンクルの花嫁
《ネタバレ》 岩井俊二は妄想系雰囲気映像を楽しむべし、という過去作の教えは十分に活かされました。ストーリー自体はなかなか酷い内容ですが、一つ一つの場面の美しさや即興的な楽しさはピカイチ。ただ、ちょっと趣味押し出し過ぎではないか、という場面もちらほら。(物語上は綾野剛さんに操られる)黒木華さんがなんというか、映画全体を通して監督の道具にされているようで、正直なところあまりいい気がしなかった。序盤の残念な黒木華、スーツケース2つで突然世の中に放り出される黒木華、メイド服でCoccoと絡む黒木華、そしてウェディング・ドレス姿、ラストの溌剌とした表情まで。さすがに3時間詰め込まれると、なんだかおかしな趣味に付き合わされているような気分になる。また、Coccoも彼女のパブリックイメージに頼りすぎじゃねーかというキャラ設定。もちろん、のびのびやることは大切ですが、そこにいるのは「真白」ではなく「Cocco」にしか見えない。とくに、歌声聞きたくなるのは当然だけど、やっぱり歌わせるべきじゃなかったように思う。綾野剛さんはうまいよね。いつもの綾野剛でした。というわけで、物語上の人物や心情よりも、黒木華とCoccoと綾野剛を見た、という3時間でした。ただ、その甘ったるいアンサンブルに肉弾で飛び込んできたりりイさんはすごかった。あの笑っていいのか泣いていいのかわからない酒宴のシーンは、本作の白眉でした。 [インターネット(邦画)] 5点(2022-09-16 13:28:13) |