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プロフィール
コメント数 188
性別 男性
自己紹介 ・・・・最初に投稿してから4年近くたとうとしています。
これからも、細々とでも投稿してゆきたいと思っています。

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61.  北の零年 《ネタバレ》 
いやぁ、すごいもの見ちゃいました。まあ、那須なにがしの脚本じゃあ、しょーがないか。・・・・日本にもラジー賞があるなら最有力候補に推したい。・・・・役者さんも寒いのを我慢して一生懸命やっているのは伝わりますが、那須なにがしの脚本じゃぁねえ。みんなで寒さに耐え、せりふ覚えて、沢山お金使って、、、、壮大なゼロを構築したっていうか、、、。確かに、映像は綺麗ですが、一体、何が言いたかったわけぇ、と思います。北海道を舞台にした壮大な叙事詩が描きたかったのかも知れないけど、、、、。開拓の困難が語りたいなら、もっと貧しさや、飢えを象徴的に示す映像が必要で、農民ももっと丁寧に描くべきだし、、、恋愛関係、夫婦関係の綾を描きたいなら、北海道である必然性はないし、、、維新直後の変動を描くなら、少なくとも権力の出先としての開拓使の様子などは描かれねばならないはずだし。とにかく思いつきのテーマをごちゃごちゃ入れすぎ。、、「ええじゃないか」の部分一瞬違和感はあっても、私的には一番見応えがありました。武士を中心とする封建的な身分関係が商人・農民の祝祭的空間の中で崩壊してゆくところを象徴的に示していましたから。しかし、これを生かすためには、その前後で身分関係がどのように変化して行くのかを丁寧に描かねばならないはずなのに、全く考慮されていない。・・・・・最後の方でみんな町を捨てたはずなのに、御家老が鍬もってできて、ぎばちゃんが立ち直って駆けつけて、挙げ句の果てに豊川悦司が刀もって出てきたときには、殆ど抱腹絶倒なのに、情感豊かなテーマ曲で盛り上げようとして、そんでみんなで鍬もって耕して、、、、。これじゃ、ミュージカルじゃないですか。そうか、吉永小百合と渡辺謙で、ミュージカル風のラストサムライっぽい映画を作って、儲けまっか、という作品だったのか。・・・・とにかくぬるい、甘い、ひどい。こんな映画に全力を傾けさせられた吉永小百合の心中を思うと、こんな点はつけにくいのですが、、、、。
[DVD(字幕)] 3点(2005-11-26 02:25:14)(良:1票)
62.  ローレライ
最初は、何じゃこりゃと思ってみていましたが、バウラでしたっけ、女の子が出てきたところあたりから、ああ、そういう完全に想像上の話なのね、ということで面白く見ることができました。興味深く見るためには、潜水艦もの、戦争もの、CGものだと思わないことが肝要かと思います。・・・・・ある種の心理劇であり、ファンタジーです。しかし、架空の想像上の話だからこそ、かえって1945年8月の雰囲気を、それと全く違った空間を生きている私たちに感じることを可能にしてくれるのかも知れない。・・・・・ただし、役所広司あっての作品。・・・・・「ユリイカ」「cure」「カリスマ」なんかを演じてきた役所だから、この役が演じられるのだと思います。役所以外は、強いていえば小野武彦くらいがこの世界を演じ切れていたという印象で、あとの役者はこの世界にはいりきれていない。ぎばちゃんとか、根がまじめなせいか、妙にシリアスになりすぎちゃってだめですよね。堤さんも、浅倉の深遠な妖艶さが出せていないし、、、、。石黒君もずいぶん上手になったけど、相変わらず滑舌がいまいちだし。・・・・・・一番気にくわなかったのは音楽かなぁ。役所さんがしっかり演じている部分は、もっと静かにしてくれた方がかえって効果があると思います。・・・・・あと、これは、芝居小屋での芝居にリメイクしても面白いと思いました。
[DVD(字幕)] 8点(2005-11-26 02:08:30)
63.  アレキサンダー
権力者の心理過程、つまりは葛藤、迷い、焦り、誇りなどなどに焦点をあてながら、帝国の興亡を描くという狙いはわかります。、、、、、だんだんファレルがブッシュに重なってきて、ブッシュも、父親を超えたいという気持ち、かつて抱いた劣等感を埋め合わせるものとしての攻撃性などから、冒険主義的な侵略戦争に駆り立てられているのか、と思ったりもして、、、。しかし、狙いがそこにあるのだったら、どうしてアレキサンダーなのだろう。この時代には、近代的な国家など成立していないし、近代的な権力などないし、キリスト教だって、イスラム教だって成立していないのだ。つまり、現代と大きく異なっているこの時代に、権力者の心理過程を描こうたって、結局は、現代的な概念、感情を持ち込むだけで、衣装がちょっと変な現代劇になってしまう。、、、、、この映画が、最初から最後まで、アメリカ人による隠し芸大会演劇にしか見えないのは、アメリカ人が演じているという事情よりも、現代的、アメリカ的な人間関係、感情をあまりに全面に押し出しているからだと思う。例えば、愛といえばエロス的なものしか知らない現代のアメリカ的発想で、古代ギリシアの男同士の間に成り立つフィリア的なものを捉えるから、男同士の親愛をホモとしか描けなくなるのだ。、、、、、なんか全体として滝沢君の義経を見ているようでした。私の知り合いは、筋はどうでもよくて、滝沢君の姿を見ているだけでうっとりするから、義経はいい、といっていますが、この映画も、そういう見方ができれば退屈せずに3時間を過ごせるかもしれません。
[DVD(字幕)] 3点(2005-11-17 10:00:29)
64.  キングダム・オブ・ヘブン 《ネタバレ》 
リドリースコットの良さって、想像力の豊かさ、映像の美しさと視点の斬新さかなと思っていたのですが、、、、、、、この作品には想像力が全く欠けていると思いました。、、、、、妻に自殺された鍛冶屋が、実はエルサレム王国の騎士の息子があることが判明して、父を追ってエルサレム王国に出かけ、そこでオリエント風の王女と不倫して、でもなぜか王にはならず、それでも王不在のエルサレム攻防戦を指揮して果敢に戦い、和平を実現して民衆を安全に脱出させました、そして最後は騎士という身分を捨てて、もとの鍛冶屋に戻って平和に暮らしました、、、、、、という物語は、夢想、空想、でっち上げの類であって、決して創造性のある想像力の産物ではない。殆どすべて、どこかで見たことのあるストーリー展開、映像の連続に、途中でうんざり。ほんと、nothingな映画でした。、、、、、信仰心、イスラム教、イェルサレム(城壁)とかを題材にしたら、ただの娯楽映画なんか作っちゃいけません、スコットさん。あなたは、上から見る映像を神の視点といっているそうですが、神は精霊とともに遍在するのであって、キャッツのような下からの視点だって神の視点であり得るのです。
[DVD(字幕)] 3点(2005-11-09 22:14:41)
65.  スチームボーイ STEAM BOY
そうですか、大友克洋は、漫画家を棄てて、いつの間にか技術だけで勝負するアニメーターになっていたんですね、、、、、。80年代の「童夢」「さよならニッポン」「気分はもう戦争」などを通して大友を知ったものとしては寂しい限りです。あのときの大友には語るべきものがたくさんあったのに、この大友には、もう語るべきものがない、というか、、、、大友から、語るべきものを除いたら、一体何が残るというのでしょう、、、、、。これだったら、Dr.スランプや、ドラえもんを見ていた方が楽しい。、、、、手塚はもちろん、赤塚だって、水木だって、楳図だって、ずっと、自分なりに語るべき世界を持っていましたが、大友は、いつのまにか、語るべき世界を見失ってしまったようです。、、、、、、、、、、、というか、冒頭の部分で「惣領息子」という表現に接して、大友って、封建的な家族関係に対する疑いすら持っていなかったのかと愕然としました。また、全編を通じて、個々の登場人物のモノローグの寄せ集めで、登場人物の間に、コミュニケーションが全く成立していない。これは故意に狙ったというより、大友の中に、物語を構築していく想像力が枯渇してしまったことを物語ってるように思います。、、、、いずれにせよ、悲しいけど、さらば大友克洋!!、、、、これからは技術屋として頑張ってください。
[DVD(字幕)] 4点(2005-11-02 09:45:59)(良:2票)
66.  真夜中の弥次さん喜多さん
支点を失った想像力の連続というか、一発ギャグの寄せ集めというか、、、、、、まあ、ホモと薬中を同列に、侮蔑的に、扱っているわけですから、その想像力の程度も知れようというもの。、、、、、、要するに、リアリティなどというものは、共同主観的に私たちが構成しているものだという当たり前のことを、テーマとして一生懸命に示そうとしているというか、、、。最初の40,50分はそこそこ楽しめるのですが、あとは、マンネリで、飽きてしまいます。、、、、一見したところ、勘九郎おやじが、中村座でしたっけ、ニューヨークでやったことと、似ているようで、実は、全く異質なもの。勘九郎も親バカですね、息子のためにこんなの演じちゃって。、、、、、とはいえ、確かに、七之助と長瀬智也は熱演です。それと最後の方で小池栄子の米を研ぐ音を聴いて、鈴木清順監督のチゴイネルワイゼンを思い出しましたが、この作品が、チゴイネルワイゼンの想像力の域に達しているとはもちろん思えませんでした。
[DVD(字幕)] 6点(2005-10-29 23:47:38)
67.  おかあさん(1952)
戦後、女性たちが母親として、どのように生きてきたのか、を具体的に、鮮やかに描いていると思いました。・・・・そこには、家族の幸福こそが自分の幸福なのだ、人のためにならなければいけないと、自分を殺して尽くす女性の姿がいます。・・・・・息子が死に、夫が他界し、娘を養子に出し、、、、加東大介は自分の働き場を求めて離れ、妹の預かった子は、やがて母親の元に帰るでしょう。そして香川京子は、あと数年でパン屋に嫁いでいく。そうすると、息子、夫、娘たちのために尽くしてきた田中絹代は、ひとりぼっちになってしまうわけです。・・・・それではおかしい。理不尽である。・・・・という気持ちが強くわいてくるので、泣けるというよりも、むしろ社会の仕組みについての憤りの方が強くなってしまいました。そして、香川京子のさいごのナレーション、「お母さん、あなたは本当に幸せなの」という問いかけが、強く心に響きます。・・・・・つまり、一人の母親の献身的な姿を感動的に描いた映画だったのだろうか、それともそういう不幸な女性を生み出す社会を告発した映画だったのだろうか。たぶん、その両方だったのでしょう。だから、実は、解釈が結構難しい映画かもしれません。・・・・・あと、見ていて「キューポラ~」を思い出しました。吉永小百合もいいけど、こっちの香川京子の方がかわいいかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-09-24 00:58:00)(良:1票)
68.  歌行燈(1943)
今は殆ど失われてしまった日本の伝統的な文化を伝えてくれる、あまりに貴重な映像に、思わず姿勢を正して見ました。(といっても、心の中だけですが、、、えへへ)・・・・・まず宿場の街角で喜多八のひく、三味線、小唄の風情があること、、、。それに能の所作などの折り目正しいこと、、、。そして、人を間接的にしても殺めてしまったという理由で、父が子を勘当し、一切うたいを口にしてはいけないという厳しい処断を下し、子がそれを守るという姿。、、、、西洋風の家族、特にアメリカやイタリアの家族では全く考えられないと思われます。、、、、、伝統的な芸の世界に生まれながら、未熟さ故に親から勘当され世間を放浪するという構図は、溝口『残菊物語』と成瀬『歌行燈』は同じです。映画としての美しさや、人間模様という点では『残菊』、芸や日本の文化の記録としては『歌行燈』なのでしょうか。、、、、ただ『残菊』は、現代の世界にもどこか通じるところがあるようにも思いますが、『歌行燈』の世界は、今とは異質な世界を再現してくれているようで、その点で、強く想像力を刺激されました。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-09-13 15:17:11)
69.  わが谷は緑なりき
最初に見たのは十代半ば、テレビの深夜映画ででした。字幕で見ると、ナレーションはけっこう勇ましい感じですが、吹き替えでは、久米明さんです。これが何とも言えない、いい味わいなんです。特に久米さんが最後にいう「あの頃の渓はなんて緑だったのだろう」というあたり、、、。そんなかんだで、10代の頃、一番好きな映画は、この映画でした。、、、、、今見てみると、父親を描いた映画でした。ジョンフォードは、「怒りの葡萄」では母を描いていましたが、この映画では、父を描いたということでしょうか。どっちが説得力があり、興味深いかというと、私は、「谷」の父親を推したい。、、、、ああそうか、ヨーロッパやアメリカの人たちは、父親に対して、こういう情感を抱いているのか、ということがよく伝わりますね。、、、、それと映像としては、坂の両側に社宅が拡がっている炭坑の情景がすごいです。それと、落盤のあと、引き上げられるエレベーターの人々の造形が絵画的で美事でした。
[DVD(字幕)] 9点(2005-08-21 14:26:40)
70.  怒りの葡萄 《ネタバレ》 
アメリカ文化の一端を知る資料として貴重だと思います。、、、、特に、広大で荒涼とした大自然、そして産業化が進展する社会にあって、家族しか支えはないのだという感覚は強い説得力をもって伝わります。(→特にトラックの運転席で肩を寄せ合うシーンが度々映し出され、広い社会の中で家族が肩を寄せ合うイメージが鮮明に焼き付きます)、、、、、、そして、5セントのキャンディを1セントと偽り子どもに与えたり、その善意を見て釣り銭を受け取らない別の客などの見知らぬ者同士が支え合うささやかな善意。、、、、社会の仕組みを変えようと言う強い意志。、、、、、、、一台のトラクターによって農民が土地を追われたのは、機械化の進展と、それに伴う産業構造の変化のためでした。西漸運動によりフロンティアに拡がった多くの農民たちは、工農の製品価格差と農業機械化などのために3%以下に淘汰され、貧民として都市に流入する。産業の構造変化がいつの時代にもあるものならば、これは、この時代のアメリカに限られたことではありません。、、、、、コンビニと100円ショップのために町中の文房具屋は店をたたみ、警察のシステム変化で、試験場の周りの代書屋は廃業し、いずれ民営化される郵便局員の中には転職を余儀なくされる人も少なくないに違いありません。そう考えると、60年をすぎても、なお通用するテーマを扱う作品だとも思いました。
[DVD(字幕)] 10点(2005-08-21 14:05:24)(良:1票)
71.  彼岸花
わたしにとって、やっぱり、小津は、笠智衆と原節子です。二人がでてくれば、そこに家族愛があると素直に頷ける。そして結婚などでそれが崩れてゆくとき、得もいわれない感慨に浸ることが出来る。あの人を食ったような、やや軽薄なメロディも、笠智衆のバックに流れるのなら、違和感もない。そして全体として、神話的な空間が拡がってゆく。、、、、、、この作品の、佐分利信はどうなんでしょう。小津の作品にあっては、どうも存在感、生命感が強すぎるのではないかと。或いはあまりに偉そうというか、、、、、。小津作品のマンネリ・テーマにちょっとしたアクセントを加えるという趣はあるのかもしれませんが、なんか浮いているという印象をぬぐい切れません。それに娘である有馬稲子のことを可愛がって、愛しているという雰囲気がいまいち伝わって来ないというか。娘を嫁にやった哀しさも伝わってこないし。
[DVD(字幕)] 8点(2005-07-31 10:45:42)
72.  浮草 《ネタバレ》 
小津は、転ぶにしても、転び方あるのだと言ったと伝えられているが、それにしても、僕は、この映画で小津は、酷い転び方をしていると思う。なんか若尾のキスシーンあたりで、なんとか客を集めたというくらいではないだろうか。、、、とにかく、これは酷い出来だ。なんかもう、一人一人の感情の機微が全く伝わってこない。、、、、、中村鴈治郎は養育を放棄した息子が可愛い、暴力親父で、一度、旅を辞めて家族三人で暮らすと決意しておいて、どうしてそれを簡単に翻すのか、心の葛藤の映像がないし、それでいて、またすぐに京マチ子とよりを戻すのかも、煙草のシーンはありつつも、上手に描けているとはとても思えない。、、、、杉村春子の心の動きだって全く伝わらない。一度は一緒に暮らせると思ったのに、簡単に、「お父さんの門出ですよ」だなんて簡単に送り出せるのだろうか。、、、、、旅の一座の男と女の人間模様や、女の心の動きなら、圧倒的に溝口のものだし、溝口だったら、そうした個々の人間模様から、社会的不平等やら差別やらにまで射程が拡がっていく。ところがここには、そんな広がりは微塵もない。、、、、、、雨の喧嘩のシーンだって、黒澤なら、多分こんな描き方にはならない筈だ。こんな土砂降り、道を挟んだ軒下同士、声なんか殆ど聞き取れないのが普通ではないだろうか。だから、黒澤だったら、もっとリアルに、十分に会話が成り立たないようなシナリオを作るだろう。、、、、、、、この映画を見て、小津映画を見る気が失せてしまう人がいるとしたら、非常にもったいないことだと思う。
[DVD(字幕)] 4点(2005-07-27 09:40:18)(良:3票)
73.  麦秋(1951)
ヘーゲルは、愛の共同体としての家族は、子どもの自立によって必然的に壊れて行くものだと喝破した。小津は、ヘーゲルのテーゼを、幾度も幾度も日本的な情感を込めて映像化する。つまり、小津が描いたのは、家族ではなく、離婚、子どもの結婚、死などによって、家族がこわれて行く過程である。、、、、、、、「麦秋」では、名前だけしか登場しない「正二」(字は不明)が案外と重要な位置を占めているように思えた。ほぼ固定されたカメラの視点は、南方で戦死した正二の霊が、親しい家族のところに戻り、見ているように感じられたからである。ヨーロッパ的に、上から見下ろす神の視点ではない。下から、親しいものを見守る、優しいまなざしである。そしてその眼差しを意識するとき、平凡な家族の空間は、オルゴールの音色、女声コーラスの声とシンクロしつつ、神話的な空間に高まっている。、、、、、、その一方で、これは時代の記録でもある。、、、、昭和20年代、30年代については、例えばNHKの「東京風景」などの記録があるが、小津の映像と、どちらが的確に時代を映し出しているのだろうか。私は、小津の映像だと思う。
[DVD(字幕)] 10点(2005-07-18 01:21:11)
74.  醜聞(1950) 《ネタバレ》 
「生きる」と同工異曲。、、、、、つまり、庶民的な小悪が、どう変化して、美しく、正しい人生が送れるようになるのかを主題としている。「醜聞」では、娘の死が契機であり、「生きる」は自分の目前の死が契機であった。→何かを生け贄として殺さなければ、人間は変われないという発想も共通。、、、、さらに、冬という季節の設定、喫茶室の「蛍の光」「ハッピーバースデー」の使い方も類似。また志村喬の、言い出したいのだが、本心で抱いていることがなかなか言葉にならないという演技も同じ。、、、、、なのに、「生きる」は多くの人の共感を呼ぶ一方で、「醜聞」はあまり省みられないのは何故だろう。、、、、、それは「生きる」の公園のブランコシーンがあまりに印象的だからだろうか、あるいは「生きる」の志村喬の方が美しい存在に見えるからだろうか。、、、、、でも僕は、この「醜聞」の志村喬の方が、「生きる」の志村喬よりも好きだ。なぜなら、僕たちの日常により近い存在に見えるから。、、、、、自分はウジ虫だ、だめな人間だと考えていながら、なかなか変わることができず、「蛍の光」を歌っても、結局変われない。、、、それはああしたい、こうしたいと決意した積もりでも、ままならない自分たちの姿に重なる。、、、もしかしたら最後まで変われないのではないか、そういう展開もありなのかと思って見ていると、最後の法廷シーン。、、、一瞬の良心の輝き。、、、この瞬間的な美しさを見るためだけに、それまでのストーリーは展開している。
[DVD(字幕)] 9点(2005-07-02 09:10:59)
75.  野良犬(1949)
私たちの両親、あるいは祖父母たちが生きた戦争直後の記録として、、、、善と悪のあまりにわずかな分岐点の記述として、、、、、、日本の夏の暑さの映像として、、、、高円寺や大原の情景の記録として、、、、、、深く心に残りました。、、、最後の木村功の叫びも。
[DVD(字幕)] 10点(2005-06-30 12:03:11)
76.  生きものの記録
もちろん、原水爆の問題を重要なアイデアとしているが、この映画の根底的なテーマは家族だと思う。、、、、、、三船はイタリア映画に出てくるような家父長を演じようとしている。子どもたちのことを配慮し、世話をしようと、paternalisticに振る舞う。しかし、子どもたちは、父である三船を尊敬せず、その意思に従おうとせず、家族は崩壊する。、、、、、「生きる」ですでに表現されていた「家族の否定」という論理は、この作品で、全面的に展開されることになったのである。、、、、、そう考えると、最後のシーンの意味も、なんとなくわかった気になる。赤ん坊を背負って昇ってくる根岸。根岸は、三船、赤ん坊、自分とで、小さな家族を形成しようとしているのだ。しかし、その小さな家族は、すでに崩壊した三船の大きな家族と同様に、崩壊することを運命づけられている。あるいは三船が狂気に囚われている時、成立することさえないのだろう。、、、、、、、黒澤という人は、家族というものに、何か怨念のようなものを持っているのだろうか。、、、、、それと、三船の演技は、最初は、「生きる」の志村喬に匹敵するとも思われたが、考えてみると、特に、そこまで狂気を演じなくても良いのではないだろうか。
[DVD(字幕)] 8点(2005-06-30 11:51:13)
77.  羅生門(1950)
戦後10年ほどの間の黒澤作品の中で、特に傑出した作品には、僕には思えない。、、、海外で評価されたのは、推測するに、1.例えば三船が森をかけるカット割りの躍動感などの映像技術、2.絶対的真理の否定という物語のアイデア、3.様式美を抜きにして日本文化の独自性を伝えていること、などだろうか。、、、、、だが、1.については他の作品にも十分に片鱗は示されているし、2.については、そもそも黒澤のリアリズムと、絶対的真理の否定というのは両立するものなのだろうかと思うし、3.については日本人の私たちには、特に意味のあることではない。、、、、、そもそも、海外で高く評価されたからといって、僕たちも高く評価しなければならないいわれはないのだ。、、、、、確かに、三船という時代劇の旧来の垢に染まっていない役者を中心にして、これまでとは異なる時代劇の空間を構築した意義は大きい。だが、その本格的な構築は「七人の侍」まで待たねばならないのではないか。、、、、そしてこの作品では、映像は斬新だとしても、音は劣悪で、しばしば映像を妨害している。、、、、さらに、すでに触れたが、黒澤自身、最後に木こりの話を付け足したように、ある種、確かなもの、絶対的なものは存在するのだと黒澤は考えているに違いない。そしてそれに基づいて彼のリアリズムは成立していると僕は思う。だとすると、主観的な語りによって事実が形成されるから、事実自体多様なものであり、一つではないというポストモダン的な、「羅生門」の一見したところのテーマは、実は黒澤の思想とは一致せず、へんな目くらましになってしまっている。
[DVD(字幕)] 7点(2005-06-30 11:33:53)(良:1票)
78.  わが青春に悔なし
とにかく、亡夫の農家に戻り、畑仕事をする原節子の姿が凄い。、、、泥に汚れ、日に焼け、汗を流し、エネルギッシュに動く原節子のこんな姿は他では見たことがありません。また亡夫の農家に対して、誹謗中傷を加え、白い目で見る、農民たちの表情を、短いカットでつなげてゆくところとか、リズム感とリアリティがあります。、、、、、、しかし、話全体としては、あまりに単純な構図になっているように思う。戦時中に節を曲げなかった野毛一人が英雄だ、みたいで。、、、、、特に、八木原が京大に戻った時の、学生を前にしたスピーチで、「一番残念なのは、ここに野毛君がいないこと云々」というくだりは最低。、、、戦場で死んでいった多くの学生よりも、野毛一人の方が評価できるのだろうか。そういう英雄主義、エリート主義が、映画全体を貫いているように思えた。
[DVD(字幕)] 6点(2005-06-30 11:15:10)
79.  どん底(1957)
これは映画というよりも芝居に近い。、、、、、がけの下、崩れかけた小屋の中の濃密な空間、母屋とその外。、、、、狭い、掃きだめの空間を使って、黒澤は何を表現したかったのだろう。、、、、下層の人々が置かれたリアリティ、そしてそこに理想的なものの存在する余地がどれほど乏しいのか、ということだったのだろうか。、、、あるいは、全く希望も、理想もない世界がどのようなものかを描くことだったのだろうか。、、、三船は若い女、山田は三船に明るい未来を見いだそうとするが、それは破れ、東野は妻の弔いに仕事道具も失う。、、、そして、アル中の老人は、覚醒して未来がふと見えると、死にしか、もはや救い、理想を求めることができなくなってしまう。、、、、、、この世界は、求道者・黒澤が、人が道を見失うとどのような存在になるかを描いたものだったと僕には思えた。、、、だけどそれは、黒澤が、実は民衆の世界を描くことが不得手であったことを物語っているのではないだろうか。
[DVD(字幕)] 8点(2005-06-28 16:59:04)
80.  酔いどれ天使
とにかく三船に驚いた。、、、、美しい、、、、、、、、、。この三船を見て、黒澤が、羅生門や七人の侍で何を描きたかったのかに合点がいった気がした。(歌舞伎の所作などに染まっていない、無垢な三船を時代劇で使う、という囚われない斬新さ)、、、、、、それと黒澤のリアリズムのありかが、少しわかった気がした。、、、、、口で理想的な生を語ることは容易だが、実際にそれを送ることは難しい。様々に現実との格闘を必要とする。つまり理想は、現実との格闘を経て鍛えられてゆく。、、、、だから、黒澤は、理想に対して、これでもか、これでもかという程に現実(リアルなもの)を対比させてゆく。、、、、この映画では、久我美子が純粋な理想を象徴しているだけで、あとは、大なり小なり、理想と現実の間を格闘している。志村喬は、医術に殉じるのではなく、酔いどれるという現実を抱え、三船は、病を治し、足を洗うという理想には全く届かない。、、、、、、、映画全体として、理想の姿はかぼそいが、ラストの久我、千石とのコントラストは、微かであっても、理想の姿を追うのだという黒澤の固い決意を見た思いがした。
[DVD(字幕)] 10点(2005-06-28 12:48:50)(良:1票)
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