61. ラストデイズ(2005)
《ネタバレ》 「ジェリー」や「エレファント」とまるで突然変異したかのように怪作を世に送っているガス・ヴァン・サントの新作「ラストデイズ」は、やっぱりジェリった(?)映画だった。「砂漠」、「学校」、「森」とガス・ヴァン・サントが向き合ってきた風景の変遷も興味深い。主人公の背中か側面をひたすら追い続ける視点は3作に共通しているが、「ラストデイズ」でのそれは、演じるマイケル・ピットがまるで幽霊のような歩行で、意味不明のつぶやき(これを字幕にする必要はあっただろうか?そこだけが不満)を続けている。意志とか目的みたいなものがなく、ただ歩きそして死んだように洋館にこもる。カート・コバーンの物語はここにはない。マイケル・ピットのアクションは、カート・コバーンの死という特殊性から遠くはなれる。「ラストデイズ」は、伝記映画が陥りがちな「事実関係>映画」の構図から回避し、むしろ映画の中に事実関係を包括してそれを新たなイメージとして表出する。そして終盤マイケル・ピットが曲を演奏するシーンでそれは一気に爆発する。 [映画館(字幕)] 9点(2006-05-08 13:54:57) |
62. ニュー・ワールド
《ネタバレ》 この映画の凄い所は、新世界側の人間が旧世界を新世界として認識するドラマを前半のコリン・ファレルが新世界に触れる部分と等しく描いたことにあると思う。片方を描いた映画は沢山あるが、両方の視点をくっつけた映画はそう無いはず。ただでさえ自然光を生かした贅沢な映像や幾層にも積み重なるような編集が縦横無尽に駆け回るのに、加えて後半はポカホンタスがいっぱしのメロドラマばりに真実の愛を追究する展開が待っているのでクラクラしてしまう。この映画は前半よりも後半の方が、面白くそして新しいと思う。全てを理解したポカホンタスが最後に見せるパフォーマンスは必見必見。 [映画館(字幕)] 8点(2006-05-07 00:18:12) |
63. 罠(1949)
なるほど、この映画は上映時間と映画内の時間がシンクロしていたのか!全然気がつかなかった・・・ミュージカルの人という印象が強いロバート・ワイズだが、こんな美しいフィルムノワールを作っていたとは。盛りを過ぎた、あと一歩がいつも足りないベテランボクサーとその妻を主軸としたストーリーはもちろん素晴らしいが、リングに集まる脇役達こそがこの映画最大の魅力になっていると思う。気の弱い新聞売りのオッサン、盲目の男、ボクサーに罵声を浴びせるおばあちゃん、八百長を企んだ奴ら、そして主人公のボクサー仲間たち。リング内での彼らの熱気を上手くコントロールするように、妻が歩く夜の街のシーンは何度か出てくるが、やはり屋台で二人分の食事を買うシーンはグッと来る。「ミリオンダラーベイビー」にノックアウトされた後でも、この「罠」を見れば立ち直れる、かも知れない。 [ビデオ(字幕)] 9点(2006-05-02 23:07:20) |
64. キャット・ピープル(1942)
ジャンル映画だけど、この映画は自由、とにかく自由。檻に入れられた黒ヒョウは一見人間の支配下に見えるが、実は彼らこそこの映画の支配者であったように、この映画はジャンルという檻のなかに入っていながら外にいるように自由。プールでの恐ろしいシーンも印象的だし、さらに夫から離婚を告げられたとき無意識にソファを引っ掻いて出来る裂け目が凄い。メスが皮膚をサァァーッと切るときのような、薄い紙で指をスゥゥーッと切ってしまうような、ゾクッとくるあの感じ。超必見。 [ビデオ(字幕)] 10点(2006-04-24 17:24:16) |
65. エリ・エリ・レマ・サバクタニ
《ネタバレ》 冒頭から「ジェリー」のような横移動。この雰囲気で一気に引き込まれる(でも本当は「風の谷のナウシカ」の冒頭っぽいと思った。ガスマスクもしてるし)。レミング病という死の病、それを薄っぺらく語るラジオの声、何気ない風景に突然出てくる死体など、終末観の語り方が魅力的である。「レミング病という人類に絶滅をもたらす病気が蔓延していて、この病気を防止する為にはある音楽を聴かなければならない。そして、レミング病に感染してしまったある少女がその音楽を演奏するミュージシャンのもとへと向かう」という、この図式も興味深い。主人公が世界を救うという、物語が世界の中心にあるような感覚がこの映画にはある。いや、もちろん正確には違っていて、浅野忠信と中原昌也の音楽は病気を防止するだけで治す事も出来ないし、彼らは救世主というよりは隠遁者で、音を奏でる事だけしか興味がない。でもそういう所が逆に救世主的だったりする。使い古され枯渇したはずのこの構図を再び作り直すようにして、さらにこの映画では爆音という飛び道具を用いる。あの爆音の強度があるから、この映画で規定した中心は揺るがないのだと思った。そしてこの強度と対をなすような中原昌也の微笑や探偵役の戸田昌弘の陰、これがとてもいい。冒頭の砂嵐と対照的な雪のラストシーンも良かった。 [映画館(字幕)] 9点(2006-04-20 12:52:25) |
66. 暗黒街(1927)
フェザーズの身に付ける羽毛がユラユラと・・・これでもう思考は止まってしまう。サイレント映画はいつも、映画を「理解する」という地点から「感応する」ことへと引き戻してくれる。ラストの10分は、まさに人生そのものが濃縮されていると思った。ジョージ・バンクロフトの不敵な笑み、猫と戯れる姿、そして最後警察に連行される時の清々しい表情。そういえば「近松物語」のラストにおける香川京子の表情も、こんな風に清々しかったのだった。 [ビデオ(字幕)] 10点(2006-04-16 15:34:41) |
67. 立喰師列伝
激動の戦後昭和(偽)史の中で異彩を放った伝説のゴト師たちの系譜を、その方法論から考察を進めながら同時に昭和史を批評的に語るという離れ業をドキュメント番組のような構成で、しかもパタパタ絵(スーパーライヴメーションというらしい)に実写を取り入れるという極めて特殊な方法で実践している。この、「昭和(偽)史」と「ドキュメンタリー構成」と「パタパタ絵」そして「押井守」というキーワードが、全部キャラとして立っていることがまず凄いのだが、そのことによる居心地の悪さも相当のものだ。まあ、はっきり言うと面白くない。それでも、これだけ野心的な作品を世に出したプロダクションIGの創作意欲には、本当に驚かされるし触発される。この作品はアニメでも出来ない実写映画でも出来ない、その間でしか出来ないことをやっているんだと思う。特に、イノセンスでもそうだったが押井監督の身体に対する感覚は、ここでも快速で突っ走ってる感がある。そうでなくてもこの映画は開始からしてすでに暴走モードで、吉本隆明の詩からディズニーランドまで、映像と言葉を駆使して何でも出す。その頂点がファーストフード業界と集団テロリスト化した立喰師たちとの仁義なき戦いだろう。ここはかなり面白かったのだけど、この映画の持つ「全部想定内」的な空間から抜け出せてたわけでもない。バカになるんだったら もっと徹底しなければ。いや、バカであることを演出した時点でもうダメなのかも。んー。 [映画館(吹替)] 7点(2006-04-14 18:28:25) |
68. 殺人に関する短いフィルム
キェシロフスキの作品で一番強烈な印象を残すのがこの「殺人に関する短いフィルム」。ちょっと前にテレビでやってたので久々に見た。内容はタイトルが全て物語っている。殺人に至るプロセスと、その後の行き着く先(ここでも「殺人」が執行されるのだが)を綴るという、簡潔ながらその簡潔さの余り鑑賞後はフィルム上で起きたことが理解できない、それぐらいにショッキングな映画であるとも言える。まるで映画の理由付けのように次々と連関していく運命の図式には少々うんざりするものの、ポーランドという北欧の質感に殺人を犯す青年の心象が溶け合ったような不安で悲しい風景と、対照的な2つの殺人が残す何ともいえない異物感はこの映画独特のものだろう。 [映画館(字幕)] 8点(2006-04-12 12:45:59) |
69. ヒストリー・オブ・バイオレンス
戦慄の映画である。一見、ひねりのない平凡な映画に見えるが、同時にこんな映画は見たことがないかもという不思議な感覚がある。この手の映画はふつう、傾く。暴力を映画で扱いきれず、奇抜な脚本とか編集あるいは特殊な映像表現という、いらん飾りをつけてしまう。そうすることで暴力の危ういバランス感覚がどこかへいってしまう。だがこの映画は暴力をスタイリッシュという文法に乗せないで、極めてシリアスに扱っている。スタイリッシュ暴力はそのほとんどが「痛み」感覚を追求しており、映画でしか味わえない暴力体験を擬似的に与えようとする。しかしヒストリー・オブ・バイオレンスはそんなに甘くない。痛いじゃ済まない。そもそも痛みは猶予でもある。痛がる前にもう死んでるのがこの映画。そして素早いカット割りで無駄のない殺しを実行するヴィゴ・モーテンセンの目にこそ暴力の本質が現れるのである。そしてバイオレンスとくればセックスという安易な発想から逃れた、バイオレンスの地続きとしてのセックスがあの階段でのシーンとなり、観る側の血を凍りつかせる。ラストは、暴力というバランスの危うさに傾き堕ちることを免れたこの映画だからこそ到達できた屈指の名シーンだと思う。この映画を見てしまうと、あれほど面白いと思った「オールドボーイ」や「ファイトクラブ」が単なる曲芸のように見えてしまうのだから恐ろしい。 [映画館(字幕)] 9点(2006-04-11 12:26:41)(良:1票) |
70. 荒野のストレンジャー
西部劇異聞みたいな感じの不思議ラストである。西部劇という舞台が持つ場所感覚は魂の彷徨みたいなベクトルをすっぽりと受け入れるようだ。どこまでも広がる荒野は確かに地獄であり(COWBOY FROM HELLって歌もあるし)、この映画では小さな水辺の集落がその地獄の舞台となる。イーストウッドがならず者を撃ち殺しすぐさま女をレイプする野獣のごとき姿を見せるという冒頭からシャレにならない展開。そして村を赤く塗りたくって「地獄」と変えてしまうイメージ感覚もビックリだが、この映画が本当にシャレにならないのは切り返し構図の強烈さである。特に終盤の炎に囲まれた復讐シーンでイーストウッドが鞭を放つ画と叩かれる男の画はこれだけでご飯がすすむ、みたいなよくわからないがそれぐらいの鮮烈な画面であった。近年のイーストウッド作品がもたらす、開き直りともいえるぐらいの恐ろしい歪みがここにあるのかどうかはわからないが、イーストウッドイズムがとってもよく溢れた必見の作品だと思う。 [DVD(字幕)] 9点(2006-04-10 20:03:09) |
71. ウォーク・ザ・ライン/君につづく道
非常に良い映画だった。ていうかジョニー・キャッシュという人もジューン・カーターという人も全く知らず、さらにボブ・ディランにもエルヴィスにもあまり縁がないのだが、全然問題なかった。だって映画自体が素晴らしい。ウェルメイドという枠では収まらない音響の臨場感だったりライブの光景だったり両主演の存在感だったりが心に響く。監獄コンサートのシーンは音だけで泣けてしまうし、ホアキン・フェニックスが会場入りする前のリーズ・ウィザースプーンとの距離感もすごく良い。釣りのシーンも印象深く、この映画のキーポイントとしてうまく機能している。ていうか、単にあの静かな時間の流れがとても好き。そしてなんといってもこの映画はアメリカの物語で、非常に映画映えするのである。 [映画館(字幕)] 8点(2006-04-07 19:24:34)(良:1票) |
72. ヒズ・ガール・フライデー
面白すぎた。男みたいな女ロザリンド・ラッセルとケーリー・グラントの喋りは、もはやこの映画のBGMになっている。ロザリンド・ラッセルが良いです。帽子が素敵。スカートをたくし上げて疾走、しまいには逃げる男にスピアーをかます。この躍動感。躍動感といえば、殺人囚の恋人役が男への自分の愛情を示すために窓から落っこちる、あの落ち方は凄い!「あっ、落ちた!」感が出すぎ!そうかと思えば電話の使い方のように、大量のセリフの裏側でしっかりと綿密な演出が組まれていたりして、面白いだけでは済まされない完成度を持っている。でも、面白すぎて味わう暇がないっ! [ビデオ(字幕)] 10点(2005-12-07 01:02:13)(良:1票) |
73. 西鶴一代女
カメラが「もっと田中絹代を!」と求めているみたい。それは欲情に近いかもしれない。仏像を眺める田中絹代の頭にかかる布がスウッと落ちるところや、竹やぶの中での壮絶な自殺未遂のシーンのような圧倒的な映像を見せる部分はもとより、堕ちるところまで堕ちて遂には化け猫扱いまでされてしまうところでも、あるいはラスト、屋敷の中で成長した息子に一目会いたいがために男たちの間を軽快なフットワークですり抜ける、そんなシーンでもカメラは田中絹代を決して離さない。田中絹代が役柄を超えて内面の魂を表に出す瞬間、そしてその瞬間をずっと持続させるかのような溝口の長回し。凄い。雨月や山椒大夫には無かったユーモラスな雰囲気の前半がまた良い。嫁選びの長回しシーンなんて、自分の撮影スタイルをもネタにしているみたいで二重に笑える。戦後の低迷期から上昇するきっかけとなったといわれるこの作品を是非。 [映画館(字幕)] 10点(2005-12-02 00:48:45) |
74. 君と別れて
成瀬巳喜男松竹時代の作品。この時代にアイドル映画という概念があったかどうかわからないが、この映画は水久保澄子のための作品といっていいかもしれない。悲劇の女優、水久保澄子。その大きい目は「ミツバチのささやき」のアナのように曇りがなく、力強い。小津安二郎「非常線の女」にも魅力的な役どころで登場するが、この映画での水久保澄子の魅力はそれをはるかに凌駕している。佇まい、視線、感情の起伏。60分足らずの上映時間、ずっと釘付けだった。成瀬の演出が見事なのはもちろんで、特に素晴らしいのは電車の中で明治チョコレートを食べるシーン。ここは本当に素晴らしい。いわゆる悲恋物語であるものの、後期の成瀬のような大人の雰囲気とは一風違う爽やかさに溢れていて、これがまたいい。水久保澄子のその後を暗示させるような(考えすぎ)ラストに胸を打たれつつ、またいつかスクリーンで照菊に出会えることを祈る。 [映画館(字幕)] 10点(2005-11-25 00:57:27)(良:3票) |
75. 牡蠣の王女
《ネタバレ》 こんな貴重な映画を見ることが出来たという体験に10点、そしてこの映画のあまりの面白さに10点を加えて20点(管理人殿、今すぐこのサイトに20点という点数を作っていただけますか!?)っていうぐらいの映画ですこれは。50分にも満たない時間の中でとめどなく溢れる破壊的なコメディに脳味噌をシェイクされます。何なんだこれは。牡蠣の販売で大富豪になった男の娘が結婚したいといって聞かない。結婚しないと家を破壊するとまで言って、すでに自分の部屋を破壊してます。仕方なく結婚仲介所にいって相手を選んでくるという冒頭なのですが、それ以前にまず彼らの邸宅が凄い。数え切れないほどの召使を抱えていて、家に帰ってきたら全員が超速で迎えに来ます(しかも全員同じ動作でおじぎ)。広大なロビーを埋める召使達の幾何学模様の異様さは言葉で説明できないです。風呂に入る時も体は一切動かしません。大量の召使がベルトコンベアの流れ作業のように運んでくれるからです。これぞ資本主義による贅沢の極み!んなアホな。婿になる男の方も凄い。プリンスという肩書きを持っているものの実はただの貧乏人。相手となる嫁を下見する為、彼の友人が召使を装って邸宅に向かうという感じで話は進みます。ここで富豪の娘がこの友人を結婚相手と勘違いします。娘は結婚したくて仕方がないから吟味する暇も惜しい。そのまま教会へ向かい、面倒くさいから教会の窓で結婚の誓いをします。友人は何の疑問もなく食い続けてるし、いきなりダンスが始まるし(召使達も全員踊ります)。多分、この文章読んでも意味がさっぱりわからないと思いますが、どうしようもない。パーティが終わった早朝、婚約の事などすっかり忘れたプリンスは友だちと飲んで泥酔。偶然にも富豪の娘の家に収容されます。というのも娘は「アルコール中毒患者を救済する会」に入会しているからです。ここから怒涛のボクシング大会、そしてラストの強引過ぎるご都合主義!ほんと、何なんだこれは。 [映画館(字幕)] 10点(2005-11-16 23:22:19)(良:1票) |
76. ドミノ(2005)
途中で一瞬「ミリオンダラー・ホテル」のホテルが出たような気がするけど、気のせいか?ドミノは「一瞬」と「気のせい」のマシンガンである。「マイネームイズ、ドミノ・ハーヴェイ。アイアム ア バウンティハンター。」っていうセリフから映画が終わるまでトニー氏は、流行というにはちょっと旬の過ぎた感のある映像効果を超速で、顔どアップの切り返し連続で、しかもカメラをぐりぐり動かしながら、2時間チョイの時間飽きることなく(途中飽きるんじゃないかと思ったが、やりのけた)描く。早送り巻き戻しスローストップ3倍標準。再生モードの無いビデオデッキみたいなものだ。テレビ番組の速すぎるスタッフロールで「そーたに」しか確認できないかのようだ。でも、キーラ・ナイトレーが指輪を人差し指と薬指でいじる姿、ルーシー・リューが神経質そうに削った鉛筆をグラスにガンガン叩く姿、最後に登場する本人さんの不思議な表情、なーんか心に残る。激しい視覚効果の中でも被写体を的確に捉えているということなのか(【まぶぜたろう】さんがすでにおっしゃってますね。)実際、それぐらいにキャラクターが豊かだったように思う。銃撃戦も最高だった。エレベーターのドアが閉まる時の演出とか、ミッキー・ロークに「今日は死ぬには最高の日だ!」とか言わせるのもクサいとは思いつつ、大学のサークルで女子大生をぶん殴った後のキーラ・ナイトレーよろしく、拳を振り上げたくなるのである。 [映画館(字幕)] 8点(2005-11-14 00:41:06)(笑:1票) (良:2票) |
77. アワーミュージック
2回見たが、むしろわからないこと(色んな事をやっているのはわかったが、なんでそれをやっているのかという事)が増えただけという感じ。パンフレットで絶賛されていた音響について集中して鑑賞してみたが、改めてびっくり。地獄編でのピアノの音と映像の関係は、あれは何だろう。映像が音に追従してる様だし、その反対ともいえる。あるいは印象的だった川のせせらぎの音もよく聞いてみると色んな音が加わっているように感じた。音を気にしすぎた結果、他の部分は川の流れと共にどこかへ行ってしまったが、こんなに心地良かった映画体験もなかなか無い。上映時間の短さも良い。ところで「ヒズ・ガール・フライデー」の切り返しショットをゴダールが説明する部分があったが、この二つの写真で組み合わされる切り返しは映画の中で一度も無いという情報を知り、実際に見てみたが「ヒズ・ガール・フライデー」が面白すぎて確認できなかった。 [映画館(字幕)] 10点(2005-11-11 00:15:21) |
78. 雁の寺
これって、ある意味で「おバカ映画」のジャンルに入るのでは?あるいはお堅い文芸映画に対する川島監督独特のパロディだったのでは?ラストなんて小沢昭一が俗悪坊主として登場するわ、おまけに母雁が貼りかえられているわでこの作品に対して「なんちゃってね」と言ってるようなものだ。いかにも、といった感じの物々しいテーマや寺の荘厳さと週刊ポ○ト・週刊現○の官能小説みたいなのがミックスされた過去のシーンは、真面目な話をしている校長先生が鼻毛を出しているみたいで、噴き出したくなってしまう。この「ごった煮」感(オフビートっていうよりごった煮という言葉が良いような気がする)。つまりこの映画ってどこを切り取ってもやっぱり川島雄三の映画なのでは、と思う。ロープの演出とか、ラストのふすまを使った大胆なカット割り。そして皆さんがおっしゃる若尾文子の存在。ただ、この映画を最初のカワシマ体験にするのはちょっとリスクが大きいかもしれない。 [映画館(字幕)] 8点(2005-11-06 21:39:39) |
79. ランド・オブ・プレンティ
グラウンド・ゼロから次第にカメラが上昇し、夜になりかけた空を映し出す。その空は、以前では見ることが出来なかったものだ。それを虚空と名づけるには思いが込められ過ぎている。それでも撮る。正しいとかそういう以前に、このシーンを入れなければならないという義務みたいなものが働いている気がした。だがヴェンダースとアメリカという、多くの人を困惑させ幻滅させたであろう組み合わせがこの映画ではもっと接近し、それゆえに離れてしまったような感じもまた、このラストシーンで抱いた。この感覚は矛盾しているようだが、この映画自体アメリカという矛盾で成り立っている事にも気がつく。イスラエルから母の手紙を持ってアメリカに帰った一人の少女と、その伯父(つまり少女の母の兄)――ベトナム戦争の後遺症を引きずりながら、アメリカの理想へと盲進する――との出会い。対話の不可能性を示しながらも、両者の体験を共有してゆくことで新しい何かが生じる。そしてその何かを、まずはあの空に求めてみる。真摯な姿勢だと思う。だが見終わったときは、それだけか、とも思った。そもそも短期間で、しかもビデオで撮るという機動性は、正面から取り組みすぎたこの作品のテーマとは相反しているような気がする。だからといって、しっかりと腰をすえて撮ったところで何がしかの獲得があるかどうかは、わからない。だが、ドイツ生まれのヴェンダースがこのテーマを撮ったのにアメリカの映画監督はまだほとんど、この映画のラストシーンに正面からぶつかっていないようだ。ランド・オブ・プレンティのラストは「始まり」でもある。必見。 [映画館(字幕)] 8点(2005-11-05 01:13:40) |
80. シン・シティ
アメコミ風世界観は結構だが、映画館ではやっぱりアメシネが観たい。この作品は映画的な想像力とはほとんど無縁の場所に存在していると思った。これは映画というよりも「画」である。面白いことは面白い。話が進むごとにシンシティという街の全貌が見えてくるようなストーリー展開は結構好きだし豪華な出演陣が持ち前の魅力を出しているとも思った。だけど、何かが足りない。というよりも不純物が多いのかもしれない。それは逆に言うと監督の原作に対する思い入れの深さゆえか。でも、映画は算数ではないので足し算しても結果は必ずしもアップしない。逆に引き算したほうがアップしたりする。B級映画的世界をA級映画風にする必要があったのか。シンシティは、「これは、~な映画である」といった時の「~」が多すぎる。実際の所「これは映画である」と単純に言うことは難しい。 [映画館(字幕)] 6点(2005-11-02 00:23:28) |