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881.  セリーヌとジュリーは舟でゆく
初めはスタッフもキャストも手探りで動き回ってる感じ。フィルムを自由に遊ばせて何かが面白く動き出すまで待ち伏せしている感じ。映画を商品として観客に提示するなら、そういう部分はカットして完成した部分だけを盛り付けるのが料理人の倫理であろう。でもこの監督は完成に向けられた時間にこそ映画本来の時間があると思い込んでいる(『諍い女』)。彼はスキヤキ屋なのだ。すでに焼けた肉ではなく目の前で焼けていく肉を味わってもらおうというのだ。これは一種の冒険であり、下手するとその実験性だけが評価されて映画としては退屈、となってしまいかねないものでもある。実際『北の橋』は、とうとう肉が焼けずに終わってしまった感じ。しかし『地に堕ちた愛』や本作では成功した。とりわけ本作。ただただフィルムが回って主人公たちの閉じた世界が紹介されていると思ってたら、いつのまにか冒険に入っている。アメリカ映画から見ればメリハリがなさすぎるが、それだけ冒険に入り込んでいくときの「アレレ」感は新鮮。いつのまにか世界が不思議の国に飲み込まれていたという感覚。そしてさかさリンゴ屋敷が楽しい。断片として現われるいくつかの幻視、階段やドアでの意味ありげな出入り、さかさの人形、倒れる女、などが繰り返され次第にストーリーを構成していくジグソーパズル。ヒロインが交互に幻視を見るのだが、そのつど幻視を見る担当者が看護婦役になって登場してくる。まったく同じカメラ位置で同じシーンが繰り返され、看護婦役だけが違ってくる二人一役のおかしさ(ブニュエルが『欲望のあいまいな対象』を撮っていたのもこの頃か)。さらにどうも少女の危難が分かってくると、現実の二人は助けに入り込んでいく。ここらへんのスリルは『裏窓』でG・ケリーが眺めるだけの存在だった筈のアパートへ入り込んでいくスリルを思い出させる。この映画の楽しさは純粋に遊びとしてのものだが、ラスト、幻の登場人物たちが幽霊メイクのまま舟で滑り抜けていくシーンのゾクゾクッとする感じは、映画全体の薄く透明な脆さと敏感に共鳴しあっていた。サイレント時代だったら遊びに徹することが充実になっていたのに、今ではニヒリズムが立ち込めてしまう。この衰弱は社会の責任なのか映画の責任なのか。現代で遊び続けようと決意することは、亡霊たちに魅入られながらの衰弱を受け入れることに外ならず、そこに本作の凄味が感じられるようなのだ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-10-16 10:03:11)(良:1票)
882.  知られぬ人 《ネタバレ》 
正確には字幕ありで見たんだけど、それフランス語の字幕なのよ。私読めません。まあトッド・ブラウニングの映画ですから、それほど問題はないんです。両手がなくて足でナイフ投げをする男、実は六本指を隠してて、ってな話。マッチすったりタバコ吸ったりもする(『典子は、今』を一瞬思い出したのは不謹慎か。それを不謹慎と思うことが不謹慎なのか)。邪悪な小人とのコンビで、だいたい小人ってのは邪悪だなあ。モロ差別的偏見だけど、心の深層でついうなずいてしまう無意識レベルでの納得があるから、ドイツの伝説なんかでも悪鬼になってるのか。小人が精神的な悪、巨人は肉体的凶暴、って住み分けしてるみたい。ジョーン・クロフォードが白目の光る情熱の女。ロン・チェイニーの失恋の後の高笑いに凄味あり。怪人の哀しみ。馬が引っ張り合う芸で恋敵の腕をちぎろうとする復讐を企てて、馬に踏まれて死んでいっちゃう。終始カタワへの執着を見せる映画。『三人』というこれの二年前のブラウニング作品も小人と巨人のコンビで、小人の邪悪さはかわらず。警官の前では車でブーブー遊んでみせたりするの。子どもは純真とされるもので、大人なのにその純真な子どものサイズでいる、ってところが邪悪にふさわしいのか。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2011-10-15 09:51:05)
883.  森の中の淑女たち
ネオレアレズモではシロウトを使うのはリアリティを出すためだったわけだが、このケース、シロウトを使ったことでかえって「おとぎ話」めいた味わいが出た。老人というものがそもそもおとぎ話的なのか。バスの故障のため不意に生じた「林間学校」。老人でなかったら人々がそれぞれ役割りを分担して小社会を築いていくストーリーになるところ、老人はもうそれぞれの生き方を固定させていて、ただアワアワと大自然の森の中に溶け込んでいく。風格と言ってもいい。時たま彼女らの過去の写真が入る効果で、奥行きが出る。ただ人物の揃え方が、尼さんがいたりレズビアンがいたりと「女の生き方」を集めたっていう手つきがちょっと鼻につくところ。ただただ静かな湖面。ストッキングでの魚とり。蛙の料理。作られたのは社会ではなく、仲良しグループ。不意に訪れた休暇にふさわしい。シューベルトの五重奏が似合う。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-14 09:48:30)
884.  チート
東洋人にあちらが感じている「表情の読めない冷たさ」の行き着く先は、やはり「冷酷な悪人」で、本作で完成したってところか。自分の持ち物にトリイの焼印を押す金貸しの日本人が、借金のカタに人妻を誘惑し背に焼印を押しちゃうんだもん。東洋美術もすべて陰気な気分に導く道具となる。こんなころはまだアメリカの東洋人はみんなビンボーだと思ってたんだけど、金貸しをするような人物も生まれていたのか。少なくとも映画に登場させても不自然ではない設定だったのか。黄禍論てのは低賃金労働者がたくさん入り込んできて社会の混乱を招くってところから生じたんでしょ、あるいは未来にはこう東洋人に金を借りるようになるかも知れんぞという不安のイメージだったのかな。そういう設定でありながら「悪の魅力」ってのが雪洲にあるのが映画の不思議なところ。それは認めても、やはり異邦の人間への警戒感に乗った話で、群衆が激昂し正義に燃えて雪洲に詰めていくあたりは、後味悪い。別にこちらが日本人ってことと関係なく、興奮する正義とそれを肯定する雰囲気ってものが気色悪い。
[映画館(字幕)] 5点(2011-10-13 09:57:21)(良:1票)
885.  パリところどころ 《ネタバレ》 
1。サン=ドニ街。おどおどした青年と堂々とした娼婦との空間。見つめる先祖(父?)の肖像。ピーター・ローレの感じ。真正面から撮る食事(スパゲッティ)のシーンが特徴的。2。北駅。長回しの試み。途中エレベーターの闇でつないでたけど。朝の支度と並行する夫婦喧嘩。謎のなくなった夫に対して、行きずりの男は謎だらけ。3。サンジェルマン。アメリカ娘と、メキシコ大使の息子を名乗る男と、ホンモノとのうつろい。メキシコに去ったはずの男が…というお笑いつき。4。エトワール広場。これが一番面白かった。まず広場の解説から始まって、やたら車道を渡らなければならない仕組み。そして主人公の出勤が一通り描かれて、これが大事。そして運命の日。列車の中で靴を踏まれてからリズムが狂う。変人に絡まれて傘で倒してしまう。ずれると常に赤信号になっている歩道を渡っての出勤となり、そして…と、彼の小心ぶりをメデる話になっていく。弱点を肯定する精神と言うか、いかにもフランスなコント。切り口を楽しめる。最後、傘が女性と絡まって紳士的に挨拶するエンディングまで粋である。5。モンパルナス。二人の鉄板をばんばん叩く男に速達を間違えて出したと思った女の悲劇。これもコント。かえって彼女の正直さが浮かぶ趣向。中断される叙情的なメロディ。6。ラ=ミュエット。耳栓を詰めて家庭内の音が消える少年の世界。猫をかわいがっているような、いじめているような。母が階段落ちても気がつかないって話。どれも社会規模に拡大しない小さな世界をスケッチしてきれいにまとめている。フランス的ってそういうことなんだな。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-12 10:24:30)
886.  ボーン・イエスタデイ(1993)
ネタは「マイフェアレディ」かと思ったら、なんか昔にも一度映画かされてる別の話らしい。設定は現代にしてあっても、どこか昔の話って感じが残る。「女はつらいよ・ワシントン立志編」って言うか。マリリン・モンローがやるともっとかわいくていい話でしょうね。メラニー・グリフィスだと、なんちゅうか、ひがみっぽさが出てきちゃう。そもそもこの単純な上昇志向が、もう現代(封切り時の)では無理なんだよね。人は学習だけでアップするとは今は誰も思っていない。やっぱストーリーと映画化のタイミングってあるんだよなあ。おそらく本作で一番いいのは、ジョン・グッドマンの成金でしょう。ゾッコンまいってる弱みがあって。パーティの8ヶ条なんかはアメリカ人だともっと笑えるんだろうが、こちらはどうしてもワンクッション置いてしまい、直の笑いになれない。
[映画館(字幕)] 5点(2011-10-11 10:18:51)
887.  ピノイ・サンデー 《ネタバレ》 
屋外に置かれた家具って興奮させる。『太陽の帝国』や『ギルバート・グレイプ』が思い出されるし、私のテレビ単発ドラマ歴代ベストワンである別役実の「あの角の向こう」では、気の弱い西村晃の引越し荷物の家具が家が建つべきだった土地に放置された。最近観たばかりの中国の内モンゴル映画『冬休みの情景』ってのでも、雪の積もった路上に椅子が数脚置かれていて、登場人物たちが長回しで10分ほどそこでダベるシーンがあった。そしてこれ、路上に放置されてる真赤なソファ。もうそれだけで見事に映画の素材になっている。台湾へ出稼ぎで来ているフィリピン人コンビが、それを自分の宿舎まで運ぼうとする話。異国での門限のある暮らしの中で、ささやかな寛ぎを求める気持ちが、その赤いソファに集約されている。ちょっと望郷の思いも込められた、ゆったり腰を下ろせる場所。それを街中で運んでいるとバイクのおじさんが突っ込んできたり、飛び降り自殺しようとしているビルの脇を通ると受け止めに使われそうになったり、コメディとしてのいろいろな趣向が次々に起こり、運搬を邪魔していく展開。土地勘があればもっと楽しめる映画かもしれない。川を越えるところで力尽き、というか心の切り替えが起こり、陽気な歌を歌いながらソファに乗ったままボートのように流れていく。彼らの心もコセコセした現実から広々したところへ流れ出たようで、いいシーン。それにしても室内にあるべき家具が屋外に出ただけで、なんで映画はああイキイキするのだろう。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-10-10 11:03:53)
888.  大列車強盗(1903)
私が観たのはフィルムに着色がされてるので、ピストルを撃つと赤い煙が立つの。縛られている駅舎の人のところに入ってくる真赤な少女の服、とか。駅舎の窓にワッと入ってくる汽車の勢いなんて、当時の観客はもっと驚いただろう。またそれを狙ってもいたか。逃げようとして撃たれる一人は、走る列車の上からの視点。映画の初めにおいて列車と犯罪が描かれたことが後の映画史の方向付けをしたのか、どう始めてもいつかは列車と犯罪にたどり着いたのか。ダンスに興じている人のもとに届く知らせ。追跡。走りながらの射撃。銃撃戦。なにか一通りの原型が「普遍的無意識」に乗ったように・まるでフィルムにもともと潜んでいたものが解きほぐされていくように、撮影者の個性を感じさせずに演出されていく。と思っていると最後スクリーン越しに観客に発砲するギャング、おお「意識的な演出」ってのもここに発生しているのだ。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-09 10:07:07)
889.  私は二歳 《ネタバレ》 
エッセイ映画というか、育児本をベースにして一本の映画を撮る試み。普通の監督ならその芯のなさが足かせになるところを、この人は好き放題が出来ると喜んでるみたい。子どもの動きを記録したドキュメンタリー調からアニメまで動員している。小ネタの連鎖でブツブツになりそうなところを、大きく前半の団地時代・後半の姑との同居時代と分けて、まとめている。託児所の不足、はしかへの対応、などの「役立つ情報」も織り込み、しかしちゃんと劇映画としての構えを崩さない。役者では後段の浦辺粂子の姑が傑作で、確信犯的甘やかしのベタベタ感が、嫌味にならずに「お祖母ちゃん一般」の姿になっているのは大したものだ。しっくりしてなかった嫁と姑の女連合が、亭主のしくじりで共同して攻撃してくるあたりがおかしい。昔の映画は時代の映像記録としても楽しめるが、それだけでなく時代の傾向の記録にもなっていて、本作で団地から親の家に移る展開は、おそらく当時の傾向を反映していたのだろう。子どもの成長とともに家族は一軒家に移り、団地はいつも若夫婦が入れ替わって回転していく、ってのが団地発足当時の計算だった。しかし大都市部の住環境はそれほど甘くなく、団地で高齢化が進む未来が待っているとは、このころはまだ誰も考えてもいなかったわけだ。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-10-08 10:11:26)
890.  クライング・ゲーム 《ネタバレ》 
「男が女を愛するとき」に乗って寂れた遊園地に入っていく導入よし。でまあ、だんだん犯人と兵士の間に友情が生まれてくるのが前半の見どころ。男と男の信頼いうか、自分を乗せた蛙を刺すサソリのたとえも意味深。秋の森のなかの疾走、友人同士のたわむれのようでもある。で後半、前半が男と男の心が打ち解けていくのを見せたのと対になるように、男と「女」の心の打ち解けあいを見せていく。兵士の影。しかし次第に性の混乱がドラマを濁らせてきて、彼女を男装させ、というか、彼を男装させ兵士の服を着せ、これはあの兵士への贖罪ってニュアンスがあるのかな。なんか私にとってはつかみ所をつかみ損なってしまった映画で、あの一点にポイントが掛かった作品に見えたが、脚本賞を獲ったというんだから、なんかもっと深いんだろう。しかしもう一度観賞というほどの魅力は感じられなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-07 10:26:14)(良:1票)
891.  幸福の条件(1993) 《ネタバレ》 
設定そのものは面白い切り口。百万ドルで若者の愛を試そうとする中年男って、なんか三島由紀夫が好みそうな趣向。夫婦の心を試す遊戯、心のギャンブル。その申し出で夫婦の中でタテマエとホンネとが分離していく。そんな馬鹿なというタテマエの後の寝物語でホンネが顔を出してくる。ただの友だちの間だったらぽんぽんホンネが言えるはずなのに、夫婦という関係のややこしさ。ただその後の展開がしぼんでしまう。ピリピリしながらいかに日常を維持していくか、って緊張こそ一番面白いとこだろうに、けっきょく「愛は金では買えない」という結論に走って、みんなイイトコ見せて終わってしまった。残念。弁護士に電話入れたら怒り出し、なんで相談しなかったんだ、二百万は獲れるのに、ってとこで笑い。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-06 09:53:36)
892.  ガス人間第一号 《ネタバレ》 
日舞の家元とガス人間と銀行強盗との三題噺、って感じで、家元とガス人間の悲恋、ガス人間銀行強盗のスリラーってのはそれぞれドラマを構成できてるんだけど、家元と銀行強盗がどうもトーンとしてつながってない。いえね、東宝はいつもキャバレーを背景にしてて、たまには古典芸能で別の味を出そうか、という新しいことやってみる冒険は立派よ。最初に荒れ屋に八千草薫が登場するあたりは悪くないんだけど、どうもなあ、家元が発表会を出来るようにガス人間が銀行強盗をやる、って展開はなんとも不安定。映画におけるミスマッチってのは、どちらかというと好きなほうで、よくやったと誉めてもいいんだけど、後半ヘンに湿度が上がってしまう。新しい冒険をしたようでけっきょく古い型に寄りかかったというか。銀行強盗もそうだよな。社会的犯罪を絡めなくちゃいけない、という決まりが東宝社内にあったのかな。事件だけならまだいいのよ。中盤で土屋嘉男が自首してくるあたりはすごくいいし、その後の銀行での事件の再現もワクワクさせる。胸に手を当てて精神統一するポーズもいいな。ふんわり浮き上がった札束がこちらに飛んできてバラけるの。でもそういったことが、日本舞踊の発表会を成功させるためってのには、どうも無理が感じられるんだ。せっかく化け物にされた側から描いているのに、即犯罪者に仕立てるのはどうなんだろう。あと一つ、ガス人間を出せとわめく発表会場の乱入者たち、ガス人間の落ち着き・紳士的と対比させたんだろうが、なにもあんなチンピラにしなくてもいいのに。あそこは普通の「良識ある一般市民顔の人々」にしたほうが、効果がある場面じゃないか。
[DVD(邦画)] 6点(2011-10-05 10:09:28)
893.  電送人間
東宝の変身人間もの三作のなかでは、SF性よりも犯罪に重点が置かれていて異色(脚本が、常に社会とのつながりを意識していた木村武ではなく、これだけ関沢新一)。いちおう 平田昭彦は出てるし、白川由美は襲われて悲鳴をあげたり下着姿になったりしてるし、キャバレーシーンはあるし、ちゃんとミニチュア貨物列車も爆発するんだけど、怪人の標的は定まっていて市民がパニックになって避難したりすることはない。なにしろ場違いの鶴田浩二が出づっぱりなんで調子が狂う(なんでも福田監督の助監督時代に恩があったとか)。でミステリーとしてもSFとしても腰の定まらない変なものになってしまった。ま、その「ヘン」さが東宝特撮ものの味わいなんだけど。ためになったのは、当時軍国キャバレーってのがあったのを知ったこと。ホステスが海軍のセーラー服を着て、ボーイが陸軍。酒の名称も「ミサイル」とかやってる。キャバレーの名前は「大本営」。事件は戦中の軍の機密から始まっていて、もし脚本が木村武だったら「戦争を忘れているもの」と「引きずっているもの」との落差をもっと出そうとしたんじゃないか。お化け屋敷の客で青年児玉清が一瞬登場。
[DVD(邦画)] 5点(2011-10-04 10:13:22)
894.  美女と液体人間
東宝の変身人間もののなかでは、これが見せ物としては一番楽しめる。ドロドロしたものが這い寄ってくる感じ。一番人間離れした怪物で、漁船のエピソードなんかうまい。人が融けていく。でも根本問題として、被爆した被害者が「人類の敵」になっていくことの後味の悪さがずっと残り、本当なら怪物の側から描かなければならないものを、それを恐怖の対象にしてしまっているズレは、いくら見せ物映画だとしても無視できない。野暮なこと言ってるのかもしれないが、どこかで過去の被爆者差別や現在の福島の花火への視線とつながっている気がする。完全な安全を求めるあまりの異端への恐怖。恐怖映画はそういった恐怖に乗っかってしまわず、そういう恐怖を撒き散らしているものへの想像力を働かして真の恐怖の対象を見極める自負があってほしい(初期の安部公房に、社会の底辺層の人々から液体人間に変身していって地球がその洪水に満たされる、といったSF短編の傑作「洪水」がある。「赤い繭」の第二話。そこにあった、刑務所の囚人が液化して逃亡したり、工場主が飲もうとしていたコーヒーに溺れたり、といったほうがよっぽど映画的なイメージ)。最後、炎のなかで二人の液体人間が立ち上がっているように見えるの、あれが新たな人類のアダムとイブになっていくのだ、ってな展開だとSFとして正しいんだけど。カーチェイスの場で車窓に展開する町の風景がしっかり50年代であった。悪漢が「トランクいっぱいの五千円札だよ」と言ってるところでも、最高額紙幣がそれであった時代をしみじみ思う。樋口一葉ではない。
[DVD(邦画)] 6点(2011-10-03 09:59:23)
895.  デルス・ウザーラ
彼のカラー作品はどちらかというと色が強烈に使われることが多いなかで、本作は秋の沈んだ黄色など渋く美しい。やはり本作の見どころは湖畔で迷う場。それまでずっと視界が閉じた森林を抜けてきて、初めてだだっ広いところに出、その広さの中で迷うという段取りがいい。一つ一つの画面が「画家黒澤」って感じで素晴らしいが、日没へ向けた時間の推移を織り込んでサスペンスにしているところがやはり映画の監督。暗くなっていくことが、一番ドキドキさせる。草を刈るシーンの緊迫に比べると吹雪はやや落ちるけど、一番のエピソード。これ第一部と第二部の間に日露戦争を挟んでるんだな。そして第一次世界大戦も切迫している。まあヨーロッパは遠かっただろうけど、ソ連の映画なら近づいている革命の気分をちょっとだけでも出しそうなものだが、そういうものは一切ない。あの時代の測量隊ってのは時代背景を見ればかなりキナ臭い存在だったわけで、そういう異臭を出させないように慎重に大自然との物語だけに絞ったのかと思うと、途中に中途半端に匪賊が現われたりする。そこらへんの意図が分からなかった。そのようにエピソードのまとまりには欠けるものの、黒澤ならではの鉈で削ったような大柄な味わいはあり、その味を決めているのはデルスの語彙の少ないしゃべりだろう。単純なしかし的確な言葉の連鎖、修飾する語彙を持たない芯だけの言葉、黒澤もこういうデルスの語りのような映画が作れたらいいなと思い続けていたのだろう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-10-02 09:58:25)
896.  嵐が丘(1992)
なんでもドキュメンタリー出身の監督ということで期待したのだったが、いやそれゆえか、情緒過多の弊。それにヒースクリフ君がいい男でツルッとしてて魅力に欠ける。全部の話を105分に納めているので、ダイジェスト版的。ブニュエルはエッセンスだけをまとめて90分以内で描いたぞ、などとブツブツ言いながら観てたが、観終わって昂ぶってしまうのは、やはり原作の強みか。もう愛と憎しみの二つしかない世界、みな恨みつつ憎みつつ死んでいくの。狂ったヒースクリフが少女時代のキャシーを目にする一瞬(その後の手のアップ以降はダメ)は感動した。宿命の愛だなあ。こういう一代目のストーリーに二代目のストーリーが続いて因果が巡るって、思えば我が国の「源氏物語」と似た構造で、女流作家の得意技かとちょっと思ったが、そんなの男のでもあるだろうな。川も花もない荒涼として風景は、数ある映画化のなかでも一番原作に近そう。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-01 12:51:40)(良:1票)
897.  夫たち、妻たち
今回の趣向は、ドキュメント風の手持ちカメラで押し通すこと。ドキュメントと言うよりもニュースタッチか。二組の夫婦から始まって、少しずつほかの人を巻き込んで広がっていくおかしみ。人間関係は、より安定を求めて動いていそうでいて、実はより不安定なほうへ流れている。ミア・ファーロウのタイプを元の旦那が「受動的攻撃性」と言ったのがおかしかった。受身のポーズでけっきょく自分の思い通りにことを運んでいく、って。人間関係への期待と幻滅。灰色の帽子をかぶって妥協してしまう。笑いとしては女学生レインが身の上を語るあたりか。役者ではジュディ・デイヴィスがピタリ。険があって魅力的ってのは難しいのではないか。ヴァンプとか貴婦人なら分かるけど、普通の人間らしい魅力に仕立てている。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-30 13:26:02)
898.  はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮
登場する女性画家、朝鮮人の代わりに発言するんだ、という気負いが強く感じられ、これって一種の思い上がりじゃないか、と最初のうちは引き気味に観てた。でも画家を離れてくると、画の力に引きずられて、のめりこんでいく。朝鮮人坑夫を怒鳴る日本人の顔のシーンで、突然また画家が現われる。加害者としての日本人の顔がどうしても描けない、と悩むんだな、ここが面白い。どうしても決まりきったデフォルメになってしまい満足できない、デフォルメを抑えると今度は「人のいい日本人」の顔になってしまう。自分の顔を鏡で見ながらいろいろ口を歪めたりしてみるのだが、納得の顔が出てこない。「加害者」の顔は地の顔と連続していない、という発見。環境が与えてしまうものなのだ、というギリギリの性善説が見えてくる。ふだんは加害者の顔になれない人間が、立場によって加害者の顔にされてしまっている。否定的な告発の絵の底に見えてきた性善なる人間。おそらくこの画家は曼荼羅図のようなエロスの世界や、空の星を吐き続ける竜の絵など、肯定的な画のほうに真骨頂があるのだろう。というか、世の中を肯定的に捉えることと否定的に捉えることとは反対の方向へ延びていくものではなく、縄を綯うように一方向へ延びていくものなのだ。その星の画を見せてて、ふっと画家の手が伸びてきて星を描き加えるとこなどハッとさせる。冒頭では骨の画を描いていたその手なのだ。過去帳に書かれた「某鮮人」というのに、生々しい残酷を感じた。ラストの指紋のスライドが重なる美しさ、社会を離れて指紋をそれだけ眺めれば、それはただの模様なのだ。
[映画館(邦画)] 7点(2011-09-28 10:03:12)
899.  テキサスの五人の仲間 《ネタバレ》 
これは一つのアイデアだけを核にした物語だけど、ネタが分かればそれで終わりというものと違って、たぶん二度目の鑑賞にも耐えられると思う。かえって二度目の楽しみってのもあるんじゃないかな。H・フォンダの表情やまわりの連中の表情に、一回目に観たときとは違う味わいが出てくるはず。優位に立ったものの表情と、ヤバい立場に置かれたものの表情とがハッキリしている分、その皮肉がおかしい。それにしてもフォンダの崖っぷちに立ちながら浮かべる強ばった口元だけの笑い、うまいなあ。どうしたってカモそのもの。心配するけなげな子どももいれば、ついつい「お父さん危ない」って思っちゃうもん。また途中で鍛冶屋での妻のカットを挿入して観客の心配を煽るんだ。きたねえよなあ。映画のリズムは冒頭のポーカー仲間が集合してくるところから快調で、ただちょっと終わりがもたつく。ジェイソン・ロバーズが婿に説教垂れて、その直後バカにするようにきれいに落とし、そこでパッと切り上げればいいのに、ややだらけた。あと、銀行家がすぐ乗らず、一度追い返してから乗ってくるつながりがギクシャク感じたが、すぐに応じると不自然で、一度冗談ではないかと疑う時間を入れたほうがリアリティありってことか(引っ掛けられた悔しさで、なにか悪口を言っておきたい)。これそのまま江戸の時代劇に移せそう。「おまいさんバクチはこんりんざい駄目だよ」なんて落語に出てくるような夫婦ものが旅籠にやってきて…と思ったが、やはりポーカーフェイスという言葉があるポーカーでないとぴったりこないな。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-09-27 09:27:20)(良:1票)
900.  プロヴァンス物語/マルセルの夏
モノローグの多用でサイレント的な味を出す部分あり。父への尊敬が人としての愛着へ変わっていくある夏の休暇でありました。オジサンの前で情けない父さんが、しかし大きな鳥を撃ち落とす。父さんの獲物を両手で掲げて崖上に立つ少年の晴れ晴れとしたロングカット。『生れてはみたけれど』の苦みとはまたちょっと違う。大人は嘘をつくってことを受け入れて(あるいは妥協して)成長していく、ってあたりは似通っているか。仙人になって暮らせるほど自然は甘くない。猛禽類のイメージ。鷲やミミズク。獲物を下げて神父とも和解する父を、受け入れていく。父親との関係の中での成長史。音楽ウラジミール・コスマ、いかにも「映画音楽」って感じだが、堂々としていて合っている。
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-26 09:51:59)
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