Menu
 > レビュワー
 > 王の七つの森 さん
王の七つの森さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 188
性別 男性
自己紹介 ・・・・最初に投稿してから4年近くたとうとしています。
これからも、細々とでも投稿してゆきたいと思っています。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順12345678910
投稿日付順12345678910
変更日付順12345678910
>> カレンダー表示
>> 通常表示
81.  一番美しく
冒頭、志村喬の国粋主義的なアジ演説に接して、、、、、戦争を鼓舞し、人々を戦地に導く映画は、映像的に優れていればいるほど、非難に値するべきと思って見ました。、、、、しかし、見終えて、果たしてこの映画は、戦時中の国策映画に値したのだろうかという疑問が起きました。、、、、最初の勇ましさは、実は、映画製作を認可されるための目くらましのようなもので、映画の真意は、姿三四郎でテーマとした、人としての美しい生き方、あるいは、家族からの自立について描くことではなかったかと。、、、、、、仮に、純粋な戦争鼓舞映画であれば、先生の入江たか子にもっと、戦争賛美の言葉を、様々に語らせるはずでしょう。国策映画の中での教師の役回りは、通常は、政府の言葉の伝達役だからです。しかし、入江たか子は、そういう言葉を全くといって良いほど語っていません。、、、、、また男でなく、女の世界を題材としている点も、注意すべきかもしれません。男を描けば、戦場に行く、行かない、死ぬ、死なないということを必ず入れねばなりませんが、女を描けば、そういう必要はないからです。、、、、、全体として、リズム感があるし、また女子工員が集まって笑ったり、話したりする構図とか、良くできていると思います。また戦時中の勤労奉仕などの様子を伝える記録映画としても貴重ではないでしょうか。
[DVD(字幕)] 8点(2005-06-28 12:22:44)
82.  姿三四郎(1943)
独立した一つの映画としては、確かに、通俗的で面白いものには思えないかもしれません。しかし、黒澤作品という連鎖の最初の輪として見ると、非常に興味深い作品だと思います。、、、、、個人的には、ずっと黒澤映画には、どこか違和感を感じていたのですが、この姿三四郎を見て、黒澤監督の根底的なモチーフが素直に了解できたような気がして、その違和感がかなり解消しました。、、、、理想的な生き方とは何か、そしてそれを阻むものは何か、という問題意識が黒澤監督の出発点であり、その問題をいろいろと考えて行くとき、悪、狂気、生の躍動性といったテーマが次々と現れだのではないかと。、、、、、、、映画としては、最後の右京が原の決闘がしびれますね。村井某の部屋のシーンから風の音がずっと続き、腰よりも高い草が風に揺れる丘、一人三四郎が風に立ち向かう。
[DVD(字幕)] 10点(2005-06-24 02:34:25)(良:1票)
83.  生きる
志村喬の演技は、本当に神がかり的といってもよいほどだと思います。、、、しかし、私には、この映画は、「家族の否定」に思えます。、、、、つまりこの映画は、家族というのは、人間が生きた証を提供してくれる場ではないという考え方に立っている。役所でルーティンをこなし、子どもを育てることに力を割いた、それまでの志村喬のことを、生きていない、死んでいる、と断定してしまう。そして、死を前にした志村は、家族との交流に安らぎを見いだしてはならず、生きた証を仕事を通じて残せ、そしてそれが「生きる」ことだと説いている。、、、、、、そこには、「男」は仕事を通じて人生を実現してゆくのだということが当然のこととされています。、、、、しかし、私は、もちろん仕事も大切な領域だけど、家族だって、同じように大事な領域ではないかと感じるのです。、、、、、、そして、どんな生き方をしていようと、その人生を生きている人には、かけがえのない時間であり、それを死んだも同然と断定する権利は他人にはないと私は考えます。、、、余命幾ばくと知らされたなら、そうした過去の一つ一つの時間がいとおしいものとして立ち現れるのであって、それまでの過去の一切を棄てて、最後の新しい輝きを求めるというふうになるのだろうか。
[DVD(字幕)] 8点(2005-06-17 18:56:17)(良:1票)
84.  瀧の白糸(1933)
白糸の高利貸し殺しは、正当防衛(過剰防衛)だから、無罪とはいわなくとも、死刑ということは、現代ならあり得ない。→それを当時の人たちは、白糸が死刑になるというのを自然に受け止めていたとすれば、女性がいかに抑圧されていたかの一つの証になる。、、、、、、大学をでて、高等文官試験に受かって役人になるというのが、典型的な出世コースであったことがわかる。、、、、、入江たか子が、全盛時代に、どれほど魅力的だったのかがわかる。、、、、、、などなど、資料的な価値は極めて高いと思うのですが、、、、、映画として、今、どれだけ楽しめるかといわれたら、どうなんでしょう。、、、、、「欣さんに会いたい」と白糸が思うと、橋の上で欣さんがねていたり、列車から飛び降りると、知り合いがそば屋をやっていたり、白糸の裁判を欣さんが検事代理として担当することになったり、、、、、今とは、芝居のストーリー展開の文法が随分と違いますね。、、、、総じて、溝口の映画というよりも、入江の映画という印象でした。
[DVD(字幕)] 7点(2005-06-17 18:38:43)
85.  残菊物語(1939)
菊之助が、お徳と芝居の話をはじめてする川端のシーン、びっくりしますね。あの川べりをどんどん、どんどん歩いてゆくのに、いつまでたっても途切れないじゃないですか。、、、、、、それに最後の舟入の情景もいいですね。舟の先に菊之助が堂々と立って、最初は、やや上から見ているのだけど、だんだん菊之助をアップにしながら、カメラを下げ、最後は、まるで水面から撮っている感じで、、、、、これどーやって撮ったんだっっ、みたいに。、、、、、それに最後の30分くらいは、お徳がかわいそうで、なんだかもう涙が止まらない感じです。、、、、、、とはいえ、私は個人的には、山椒大夫、雨月、祇園囃子などの50年代の溝口の方が好きです。、、、、というのは、残菊の場合、最後に父親の菊五郎が、お徳はお前の女房だ、といって、菊之助とお徳との関係を認め、許してしまうからです。、、その時、二人の関係は、父=権威=慣習と融和して、めでたし、めでたし、で、社会的な矛盾は隠蔽され、話全体は単なるメロドラマになってしまう。単なる乳母ではないか、身分が違うぞ、というところから、この悲劇ははじまっているのに、そうした社会的な問題が結局、どこかにいってしまうわけです。、、、、、50年代の溝口なら、社会的な矛盾は矛盾として、しっかり提示したままにするはずです。(戦前ということを考えると仕方ないのかもしれませんが)
[DVD(字幕)] 9点(2005-06-17 18:18:04)(良:1票)
86.  祇園囃子
淀長さんもいう、、、「女を描いたら天才ですよ、溝口は」、、、多くの人たちも言う、「溝口の女の描き方は比類のないものだ、、、」、、、でも思うのだが、女のさがみたいなものは、ずっとずっと変わらないものなのだろうか。生物学的に女であると、感情も立ち居振る舞いも、必ずある姿をまとうようになるのだろうか。、、、僕はそんなことはないと思う。母性本能みたいなものが神話であるように、女がどのような感情を抱き、どのように振る舞うかということも、時代とともに変化すると僕は思うのだ。、、、、だから、淀長さんが想定しているのは大正、昭和の女ではないだろうか。、、、、だから、平成の女を引照基準にして見ると、溝口の映画は、女の世界が主題になっているようには見えない。、、、、この映画でも、木暮も若尾も、仕事を持つ女で、映画のテーマも、仕事と自分の個人的な感情の間での悩みであり、今の時代なら、この二人は男という設定の仕方にしても決して成り立たないわけではない。そして、木暮の親兄弟もいないという寂しさ、若尾にむける愛情は、木暮が女だから抱く感情だとは、今の時代なら、思えない。、、、、、、それにしても、木暮の住まいの玄関から右に出た長屋の通路の風情の美しいこと。その先の道路を歩く通行人、路上で花火をする子どもたち、僕たちの多くが見失ってしまった、かつての日本文化のたおやかなたたずまいが、ここになはしっかりと記録されている。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-10 10:39:09)(良:2票)
87.  近松物語
なんという不条理。、、、、長谷川一夫は実存の顕現であり、これはカミュよりもカミュ的である。、、、、、などという意味不明な冗談はさておいて、、、、、日本の文化に少しでも関心があるという場合は、、、商家の家の造り、日々の暮らし、親類関係の意味、身分構造など、必見!!、、、そして昔の日本の人たちが、どのような意味世界に生きていたのかということが、深い同感的想像力と、美事な様式美で描かれていると思いました。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-06 10:51:24)(良:2票)
88.  新・平家物語
婚姻と恋愛が別のものであったこの時代に、清盛と時子との恋愛結婚、、、、、通い婚が一般的な時代に、母泰子は、嫁いで20年もこの家にほにゃららといってから家を出て行く、、、、、血のつながりと言うことがどれほど重視されていたか不明なこの時代に清盛は、生物学上の父は誰なのかと思い悩んでいる。、、、、、、これは、平安末の時代を借りつつ、現代的な家族関係を描こうとした作品だったのでしょうか。だとすると、わざわざそんなことしなくても、、、と思ってしまうのです。、、、、、、屋敷の様子、牛車の大きさ、武家の門構え、おびただしい僧兵、御輿を担いで山をおりるという経緯まなどなど、視覚的に本当に素晴らしいところは、ふんだんにあるのですが、肝心の話の筋がどーもしっくりのこない。なんか昨今のハリウッド映画を思い出してしまいます。、、、、ああ、日本でも、ハリウッドのように、時代装束をきっちりつけた大量のエキストラを動員して、豪勢で想像力の欠けた映画を作っていた時代があったのだということを教えてくれるという点では意義深いような。、、、、思うに、溝口は、黒澤が得意とするような、権力の興亡みたいな話は不得意なのではないでしょうか。どこか虐げられ、鬱屈した庶民が彼の世界ではないかと私は思います。
[ビデオ(字幕)] 5点(2005-06-06 10:35:23)(良:2票)
89.  雨月物語
見方によっては、ただ古くさいのですが、、、ふと考えてみると、恐ろしい作品です。、、、、、日本的な様式美、凄いですね。特に、開け放たれた屋敷の風情、女官の立ち居、そして美事なお亀顔の京マチ子の装束、化粧。、、、それに城下町の賑わい、武士の屋敷の郎等たちなど、、、。また、女に艪を漕がせ、子どもを背負わせ、女郎屋に行き着かせ、現実を生きる女たちが、ここにはしっかりと存在しています。、、、、そして、そうした日本的なものに、金銭欲、権力欲といった古今東西に普遍的なテーマが接ぎ木されている。、、、、、ただし、最も強く感じたのは、これが1953年の作品であること、つまり戦争が終わって7,8年しか経過していないということ。川辺のロケ地の風景は酷く荒れ果てていて、戦後の荒廃を十分に思わせてくれるものでした。、、、、そして、この映画を1953年に見た日本人も、ヨーロッパの人も、身近で親しくしていた人の何人かは必ず戦争で失っていたはずです。、、、、だからみんな、最後に、死んだはずの宮木が出てきたとき、その親しかった亡き人と、宮木とを重ね合わせて見たに違いありません。、、、、、そんな風に思うと、戦後を生きた無数の人たちの悲しみと源十郎の悲しみが混然として、最後の10分ほどは、涙を押しとどめることができませんでした。、、、、、、、日本的な美、日本的な生活、権力と財貨をめぐる普遍的なテーマ、そして戦争を民草の目から告発する強い意思、、、、この目配りはあまりに凄い。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-01 12:03:49)(良:3票)
90.  アバウト・シュミット 《ネタバレ》 
アレクサンダー・ペインって、幾つなんだろー、、、ふむふむ、40歳ちょっとで、この映画撮ったのね、、、若いぞぉ、青いぞぉ。、、、仕事辞めて、奥さん死んで、娘に期待を裏切られて、どーしよーもなく寂しいぞぉー、だなんて、あまりに観念的、一面的ではないか。、、、普通のおじさんや、おじいさんは、仕事なくて、奥さん死んで、家族いなくても、朝起きて天気が良ければ、少しは気分がいいし、ゆで卵の殻がぺろっと綺麗にむけたら、ほんのちょっと爽快だし、夜はビールを飲んでいるときMATSUIがホームランを打ってくれたらちょーやったね、という気分だし、なんだかんだで、一日が終わって、夜、床について、今日、一日生きられたことに、ほんの少し神に感謝するのではないだろうか。、、、、それでいて、時々、ふと寂しくて、遠くを見てしまうみたいに。、、、、朝から晩まで、どこかしら寂しくて、憂鬱な気分が抜けないなら、即、精神科のカウンセリングを受けた方が良い。きっと鬱病です。、、、、だからシュミットさんも病院に行けばよいのです。ただそれだけの話です。社会の構造がそうした鬱病をうんでいるという視点もありませんから、シュミットさんの個人的な問題です。、、、、することなくて寂しくて鬱病になりそうなら、夜はビデオで映画でも見て感想をJTNEWSにでもかきこすればよいのです。、、、私もそうならないように、今から頑張っています。えへへ。
[DVD(字幕)] 5点(2005-05-24 10:28:59)(良:2票)
91.  フルメタル・ジャケット 《ネタバレ》 
この映画、アメリカの言葉が相当にできないと、その真価は理解できないのかもしれない。、、、、前半の訓練施設での新兵洗脳教育は、教官による言葉の暴力を主たる手段としているわけですが、その下品さかげんは字幕からは実感としてつかみにくいわけです。、、、また、最後のミッキーマウスも、「サザエさん」の歌とか、「ひょっこりひょうたん島」の歌とかに、置き換えて想像してみないと、その狂気性は実感としてはわからないわけです。、、、、、、という点を留保しつつも、それでも、私は、この映画を名画として評価する諸論評には違和感を感じざるをえないのです。、、、、、、というのも、この映画は、戦争を狂気と捉え、その狂気が、訓練所で培われ、戦場で実践される過程を描こうとしているように思えますが、本当にそーかぁ、と思うからです。一般の社会ではフツーだけど、軍隊に入ると狂っちゃって、ばんばん人を殺し始めるのだろうか。、、、、、というより、戦争の狂気というのは、一般の社会の中から生まれるのではないか。「スターリングラード」とか見て、新聞に狙撃殺害した人数が増えるのを肯定的に感じたり、今日は2人狙撃したとかいう会話に、「やったね」とか感じたり、額に銃弾の後と血飛沫が舞って倒れる光景を見て痛快な感じがして、死んでゆく一人一人の人間に生活、夢、家族があったということが想像できなくなること、そーゆーのを狂気の事始め、ってゆーのではないだろうか。、、、、結局、キューブリックは、自分は正常な一般社会の人で、戦争の狂気を一歩離れて、客観的に見ていると考えているのではないだろうか。要するに、彼にとって、戦争は他人事になっているのではないだろうか。、、、、、、それと、ベトナム戦争を描くなら、1)不正義の戦争であったこと、2)アメリカは負けたのだ、ということを前提にして欲しいものです。
[ビデオ(字幕)] 5点(2005-05-21 07:59:32)
92.  スターリングラード(2001)
イギリス人は、何でも賭の対象にするけど、戦争についてだけは賭の対象にしない、というのを昔、きいたことがあります。、、、、、、、、何でも娯楽映画の対象にしてもいいけど、戦争だけは、娯楽映画の対象にしてはいけません。、、、、、、この映画に投じられた多額の金銭の一部でも、世界平和のためにまわして欲しいと思いますし、NHKも、こんな作品を宣伝して放映する金があるなら、受信料をその分、安くしてもらいたい。、、、ぷんぷん。、、、、、、興味深かったのは、こういう映画を見て、大変に面白いと思うアメリカ人の観衆が数多くいるのではないかと想像されること。そういう人達は、イラクでもたくさん米兵が死んでいるけれど、そこには地元イラク人女性や、女性ジャーナリストなどと、米兵の間に、色々なロマンスがあって、米兵もそこそこ楽しくやっているに違いないと思っているのかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 1点(2005-05-21 00:32:11)
93.  オールド・ボーイ(2003) 《ネタバレ》 
単なるアクション映画かと思っていたら、現代韓国流にアレンジされたオイディプスでしたね。オデスという名前も、オイディプスに由来しているのでしょうか。、、、、、、最後のオデスとウジンの対峙、そしてオデスの慟哭、懇願、、、、思わず目頭が熱くなり、野村萬斎さんのギリシアでの公演を思い出しました。(もちろん見たのはテレビですが)、、、そしてチェミンシクの演技は、萬斎氏の演技よりも深く、悲しいものにも感じられました。、、、、、、でもどうして、言葉でいわれ、それらしい写真を示されただけで、ミドを娘だと信じることができるのだろうか。そこには言葉が私たちに対して持っている暴力的な力が見事に表現されています。、、、また、娘と交わることが、どうして舌を切るほど深い慟哭に値するのだろうか。そこには私たちが属している共同体の文化が私たちに強い影響を持っていることが端的に示されています。、、、、でも、そうした価値意識は、何も考えずに、変えがたいもの、当然のこととして承認してよいのだろうか。そういう疑念は、この映画にも提示されているように思います。、、、、、ラストの二人です。氏族制度を軸とする伝統的な価値意識に執着するならば、仮に記憶をなくしているとしても、ラストは許し難いものに受け取れるのではないでしょうか。しかし、私は、慣習や言葉の牢獄から、完全に脱することはできなくとも、少しでもそこから脱し、より人間的な生を実現したいという意志を、ラストの二人、そしてそれを取り囲む冬山の情景から感じ取ることができるのではないかと思いました。つまり、運命の前にただ頭を垂れるのではなく、何とかして、少しでもそれを切り開こうとする意志です。
[DVD(字幕)] 10点(2005-05-16 23:46:02)(良:1票)
94.  スパイ・ゾルゲ
若者には評判が悪いけど、60,70年代の政治の季節を知るものにとっては琴線に触れるところのある良い映画、という意見に促されて見たのですが、、、、、、、1)音楽が映像とかみ合っておらず、また選曲の発想が、あまりに超貧困、、、、2)議事堂、大使館周辺など、CGに見るべきところはあっても、色彩が、当時の絵葉書。当時の絵葉書は、印刷技術などの問題で、ああした色遣いになっているのであり、当時の建物や、石垣や、木や、空が、ああいった色をしていたわけではない。これまた想像力が貧困。、、、、、、3)皆さんが指摘されるように、言葉も納得できないですね。、、確かにドイツ語をふんだんに使うには予算上の制約があるかもしれないけど。ソ連共産党の幹部まで英語じゃね。それにあまりに安っぽい牢獄やら、、、。どうしても必要なシーンとは思えないのだから、わざわざ入れて馬脚を現さなくてもいいのに、、。4)連行されるソ連の恋人の部屋に残された赤ん坊の人形。→あれは、産み落とされるべき、そして流産した理想の共産主義でも象徴させたのだろうか。→でも、その人形がキューピー人形じゃぁねぇ。、、、、5)とにかく腹立たしいのは、尾崎、ゾルゲという人の思想性やら、心の内側みたいなものが全く伝わってこないということ。ゾルゲという人は、一神教の神として共産主義という理想を抱いた筋金入りのコミュニストでしょ。だけど尾崎という人は、そこまで思想に殉じるタイプの人ではないと私には思われるのですが、、、、。だいたい、20世紀をイデオロギーの時代と規定する発想そのものが、敗北主義的で時代遅れなのだ。そもそもイデオロギーで、独ソ、日ソの不可侵条約を説明できるのだろうか。、、、、とにかく、篠田氏とその周辺の映画についての感性は、30年ほど時代から取り残されているのではないだろうか。ほんとにぷんすかぷんなのだ。 
[DVD(字幕)] 4点(2005-05-15 16:31:18)
95.  AKIRA(1988) 《ネタバレ》 
もう20年近く前の作品になるのですね。それを考えると、例えば紙くずが風に流されるところとか、アニメの技術としては非常に斬新なものだったのでしょう。そして、そういう表層的な表現に対しては高く評価しなければならないと思います。、、、、、でも、で、結局、どういうお話だったのだろう、とやっぱり首をかしげてしまいます。科学信仰に対する批判という視点はあっても、メインではないだろうし、若者たちのうちに秘めるエネルギーという話でもなさそうだし、、、、、、。とにかく、最後にアキラも鉄雄も、どっかあっちの宇宙に突き抜けちゃったんじゃあ、パンピーの私たちとしては、で、だから、どうしたのってならざるをえないわけです。つまり、そういう問題のある人やものと、どうやって一つの世界の中で生きてゆくのか、ということであれば、私たちにとって切実な問題なのですが、消えてしまったなら、どうでもいいわけです。、、、、、、、まあ、痛快ドンパチ・ハリウッド的作品としては楽しめるのですが、大友氏は、そうした作品を作りたいという人だったのだろうか。というか、元々、私、個人としては、大友氏の作品では『童夢』を非常に高く評価したいと考えており、『AKIRA』はいまいちなのです。
[DVD(字幕)] 5点(2005-05-13 17:44:13)
96.  アレクサンダー大王
映画というのは、言葉では伝えることができないものを、映像や音を加えて表現するものなのでしょう。だとすると、本当に優れた映画に対しては、それについて語る言葉を見失ってしまうものなのかもしれない。、、、、、この映画で、今、よみがえるのは、男たちの低い唸るような祈りの声、アナーキストたちの歌、部屋の明かり、夜の闇、銃をかかげて円を描く男たち、処刑されユダのように吊され揺れる男、ポセイドンの神殿からの夜明け、アクロポリスの丘から見渡す今のアテネの夕暮れ、そしてアレクサンダーのライトモチーフ。、、、、、、アレクサンダーとは誰、そして何なのだろう。私たちの心、語りの中から生まれ、私たちの希望を実現してくれる使徒であり、逆に私たちを拘束し、抑圧する権力にもなるもの。愛し、すがるべきものであると同時に憎み、唾棄すべきもの。、、、、、、現時点では、アンゲロプロスの最高傑作に推したいです。、、、、、、、、ところで、1900年を描いた映画には、他に、「海の上のピアニスト」やベルトリッチの「1900年」などがありますが、見比べてみるのも面白いかもしれません。
[DVD(字幕)] 10点(2005-05-06 00:11:54)
97.  霧の中の風景
映画の序盤で、ドイツの父というのが実在しないのだと宣言されることで、二人の旅には、行き着くところはないのだ、目的地はないのだということが、はっきりと示されています。だから、家を離れ、たどり着くところもなく彷徨う二人の姿には、強烈な孤立感、不安感を感じざるをえません。、、、、ドイツの父というのは何を象徴しているのでしょう。神でしょうか、それとも社会主義的な理想でしょうか。、、、、そのように考えると、二人の姿は、確かな価値を与えてくれる神、目指すべき理想的社会を失ってしまった私たちと重なり合います。、、、、、そして私たちは何を目指したらよいのだろう、というアンゲロプロスのもがき、苦悩も。「こんな別れ方をしたくなかった」というオレステス。それはアンゲロプロスの過去との決別を含意しているのでしょうか。、、、、、あの巨大な手は、誰の手なのでしょう。廃棄されたレーニン像の手なのでしょうか、それとも神の彫像の手なのでしょうか。いずれにしても、人差し指が欠け、私たちには行くべき方向を示してくれることはありません。、、、、、全体として、ただひたすら苦しい映画でした。、、、、、(バイクを売る丘にたれ込める雲。今ならCGで合成するのでしょうが、あの雲が出てくるまで、撮影を待っていたのかなぁ。すごい根性!!)
[DVD(字幕)] 8点(2005-05-05 18:36:10)(良:1票)
98.  シン・レッド・ライン
戦闘シーンが最初ないので、「おっ、これは戦闘シーンのない戦争映画なのか、斬新、斬新」と思ったら、やがて戦闘シーンがあり、裏切られ、、、、、、、、戦闘シーンでは、どこからともなく敵の銃弾がふってくるので、「おっ、もしかしたら、これは最後まで敵方の日本兵を映さない戦争映画なのか、斬新、斬新」と期待したら、やがて、健康そうな、それらしくない日本兵が登場して裏切られ、、、、。でも丘をめぐる攻防のところは、本当に感慨深いと思います。、、、空は青く、丘は緑、丘の草地を風が渡ると、草が揺れ、、、、、草の間から弾丸、兵士は血を流す。、、、沖縄の「さとうきび畑」の歌を想起させ、またキャパを有名にした「崩れ落ちる兵士」の写真を連想させます。そして、がなり立て、兵士の命を手段にして、自分のコンプレックスを克服しようとする上官。、、、、戦争についての簡潔にして見事な縮図がそこにはあります。、、、、、、全体としては、自然と人為的な戦争の対比が綺麗に表現されていると思いました。人が撃ち殺しあい、内臓が飛び出たり、手足がとんでも、空は青く、海は澄み、熱帯魚は静かに海中を舞、雲は白く、夕日は空を赤く染めるのです。、、、、、、敢えて難をいえば、長すぎ。また日本兵が全く日本兵らしくない。本国で奥さんがどうしたのかということと、戦地の自然の景観には内在的な関係性はない。それと土地の人々や音楽がポリネシアのの人々というよりも、カリブの人々っぽい。
[DVD(字幕)] 8点(2005-04-06 15:54:10)
99.  グッバイ、レーニン! 《ネタバレ》 
東独のニュースをでっち上げるところとかいいですね。社会主義圏のニュースの作り、内容がいかに安っぽいものであったのかの皮肉になっています。それだけでなく、ニュースを虚構的に構成することで、今、私たちが真実と思って接しているニュースでさえ、けっこう虚構的なものではないかということに気付かせてもくれます。、、、、また、別の世界から、私たちの世界を反転させて見せようといった趣向は、例えば、コカコーラを東側がどうみたかというあたり、あるいは壁の崩壊を西からの難民と説明したりするところにもうかがえます。、、、、、あと、統一から15年経過して、かつての東独をどのように捉えるのかというところにも面白い変化が出ていると思いました。あの空色の自動車、パルプでできていたというトラバントですよね。ドイツの人たちは、みんな「懐かしいなぁ」と思って見たんじゃないでしょうか。つまり、以前にはあったような、社会主義体制に対する痛烈な批判は、ある意味、いうまでもないこととして背景に退き、むしろ社会主義体制に対しての、ある種のノスタルジアみたいなものが全面にでるようになっている。そうした懐かしさを、どう評価するかは意見の分かれるところでしょう。、、、、、、ただ、映画、ストーリーの作りとしては、まだ十分に練れていないとは思いました。また、もし亡命したのが父ではなくて母で、全体も父子の物語として構成されていたら、皆さんがどう評価したのかも興味深いところです。
[DVD(字幕)] 7点(2005-04-01 08:55:58)
100.  ブラザーフッド(2004) 《ネタバレ》 
戦争や弾圧で死んだ一人一人に、弟、妻、父、母などなど、その死を慟哭する肉親がいるわけです。だから、戦争で死んでいった一人の兵士の姿を描くとき、他にもいっぱい、「同じように」、死んだ人がいるんだ、ということを想像させる、というのが戦争映画の大事なお約束だと私は考えます。、、、ラスト、兄の遺骨にすがる弟を見て、何十万という、この戦争で死んだものたちへの哀悼の気持ちを感じることができるでしょうか。、、、兄は、弟を助けるために、同胞を殺しまくっただけで、他の同胞と同様に死んだ、とはとても思えない。、、、、、兄弟の絆は、同胞の命よりも尊いということなのでしょうか。、、、戦争は人々の意見、感情の対立から生じる政治的なものです。家族は、政治的なものよりも尊いのよ、というのも確かに一つの考え方ですが、そういう考え方に従うと、戦争について説得力のある語りはできないと私は思います。、、、個人的な恋愛感情よりも、祖国統一を選び、最後まで金正日に銃口を向けた「シュリ」のラストは何だったのだろう。とても同じ監督の作品とは私には思えませんでした。、、、ということで、私には、この映画は、自分たちもプライベートライアンのような映画が作れるんだい、韓国映画は、大国アメリカ映画にも肩を並べたんだい、という虚栄心の誇示のためのものにしか見えませんでした。、、、、、ただ、南の軍隊が、強制連行のように形成されていく過程や、相当に暴力的なアカ狩りが行われていたことなど、いわばこれまでタブー的であったことにも触れている点だけは評価できると思いました。
4点(2005-03-28 23:44:15)
010.53%
121.06%
284.26%
3157.98%
4168.51%
5189.57%
6105.32%
72010.64%
83317.55%
92915.43%
103619.15%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS