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981.  台風クラブ
子どもたちのイライラを描く。「イライラ」という不定形なものを描いてこれだけ迫力を出せた映画というのも珍しい。ただ、たしかに子どもたちはイライラしてるんだけど、イライラしたふりをして防衛している「何か」もあるわけで、そこらへんの子どものずるさをも描くだけの距離があったら、もっと良かっただろう。台風に閉じ込められたふりをして、立て籠もった子どもたちという設定なら、もっと校舎を使いこなすべきだった。職員室のドアを蹴るとこと、机を積み上げるとこがいい。カメラが蹴った穴を通って外に出たりする。物語から離れるところで、この監督はイキイキしてくる。何かが持続するところを描くと気合いが入ってくる。商店街でマッシロな男女がオカリナを吹いてるのはシラけた。大西結花が、三上君と工藤嬢が仲良く話し合ってるのを見てて、こちら(窓)を向き、背伸びを二度ほどやって風が吹く、なんてとこがいいんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2011-07-06 10:44:27)
982.  天空の草原のナンサ
どうやら本物の遊牧民の一家を使って、ネオレアレズモのように撮影したよう。子どもたちだけのシーンなど記録映画風でそれは分かるんだけど、ちゃんとストーリー展開にも子どもは関与していて、そこらへんの自然さに驚かされた。本物のお父さんやお母さんと一緒だから緊張しないでいられるんだろうけど、いわゆる子役の臭みはまったくなく、記録のようでいていつのまにか民話風世界に滑り込んでいる。映画における理想的な演技がここにはある。羊の糞を背中の籠に「入れられない」演技などは、指導したのかたまたまなのか。風景が美しく、いわゆる「映像詩」ものになってしまいそうなところを、彼らの生活の描写が太い芯になっていて手応えを作っている。チーズを作りながら「反らした掌の指の付け根のところは噛めないでしょ」と諭すシーンやゲル解体シーンなどいい(観ながら真似をして噛もうと試みたが張った皮膚の上を歯が滑って出来ない)。犬が物語に絡んできて、それは捨てられた牧羊犬らしい。牧畜業の衰退が低音でずっと響いており、その犬を番犬とする定住生活も出来ないところに、時代のきしみが聞こえてくる。選挙公報の車は、遊牧民に定住を促す声でもあろう。そして全体が、時代のきしみ音を立てながら、老婆の語る「犬の恩返しもの」の民話の世界に溶け込んでいくような作りになっていて、きれいにまとまった。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-07-05 09:21:10)(良:1票)
983.  それから(1985)
タイトルのときの三千代の写真がボーッと浮き出してくるタッチなんかいい。電球の光りだすとことか。後半ちょっとダレる。あと20分くらい削れなかったか。これ主役の演技の質とも関係があるかもしれない。二人ともネットリしたものを滲み出すタイプじゃないから、どうも長回ししていると乾いてきちゃうとこがあって。あと微妙な目線のずれがしばしばあって、草笛光子と代助のシーンとか、回想シーンの仲間たちとか、人物が正対してない感じ。お見合いのシーンでも一列ずつ写したりする。主人公が人と人とが向き合う生々しさを嫌ってる、ってことから来てる演出なのだろうか。心象の市電では夕焼けから夜になるやつが良かった。あの終わり方だと、これから「生活」が始まるんだ、という原作の焦燥感はないね。橋のあるセットは東映映画的で懐かしい。外の音などにもいろいろ気を使っていた。ふんだんに金を掛けられない日本映画では、いろんな工夫によって時代色を作らなくちゃならなく、本作は健闘していた。
[映画館(邦画)] 7点(2011-07-04 09:41:58)
984.  キートンの空中結婚
突然化け物屋敷で始まり、スーッと滑り台で外の道へ出てくる。悪夢と日常が「滑るように」つながっている。で次のデブのオバサンが出てきたとこで潰されたりもする。美女につられてボートの洞窟めぐり、ヒジテツ食ってぼろぼろ。次にまったく脈絡なく気球に引っかかったまま飛んでいくことになり、自分の撃った猟銃で墜落。で川になるのか。ここで先の女性といろいろあるわけ。つまりね、どんどん話の設定は脈絡なく展開していくんだけど、なにか持続するものもあるの。女性とか、猟銃とか、あと気球も最後に出てくるし、デタラメなりのルールが敷かれていて、統一感を維持していく。大袈裟な類推をすると、現代芸術の苦労ってのが感じられるのよね。たとえば20世紀の無調音楽も、デタラメやってるようでいて、なんか終わりでは終わったなって感じを出せるようになっている。磯崎憲一郎の小説も、どこに連れられていくのかと心配になるが、終わりでは終わったな、って思える。固定された形式を壊した後の芸術の展開の方式ってのは、それぞれが独自に案出しなければならなく、生まれたばかりのコメディ映画も、それなりの話法を生み出す試行錯誤があったのだろう。…なんてことを思うのは、まあ後の人間で、穴のあいた魚籠に永遠に魚を入れ続けている間に、せき止めた川の水位がどんどん上がっていったら面白いだろうなあ、といった喜劇人の本能的なカンをつないでいっただけなんだろうけど。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-07-03 12:12:28)
985.  チベットの女 イシの生涯
純粋な映画的興味というより、中国映画がチベットをどう描いたか、ってな不純な動機で観た。そもそもこの作品が作られた来歴が分からないので難しいんだけど、かつてダライ・ラマがノーベル賞とったときに中国が作った自分たちの主張用の映画(私は未見)みたいなもんかと思っていたが、そうではない。59年のラサ暴動もちょっと扱われ、ダライ・ラマらしき人物もヒロインが若旦那の家で望見することになるが、暴動そのものへの意見は述べられない。ヒロインの個人的な悲しみ、子どもが若旦那に引き取られるって方の話を軸に描く。ダライ・ラマと通じて描かれたその若旦那も、別に極悪人というわけではない。わざわざ暴動とダライ・ラマに触れたのには、各方面へ顔を立てた結果のギリギリの表現であったのか、異邦の者が類推しきれない事情が裏でひしめいているのだろう。気になった。監督は漢民族だが、スタッフ・キャストには漢字四文字の名が見られ、あれはチベット族であろうか。推測に推測を重ねるようなもんだけど、撮影所という場所のアナーキーな自由さを想像した。かつて満州では、日本の興した満映がもっぱら国策映画を作っていたが、そこは中国人が映画製作を学べる場所にもなっていて、戦後の中国映画発展の基礎にもなったと聞く。そんなことがチベットでも起こっているのではないか、という希望のようなものをちょっと感じた。映画そのものは、語る手順があまりうまくなく、半世紀前の登場人物が「太古の伝説の快男児」みたいで現在とうまくつながらず、その断絶感が一番言いたいところなのかも知れないが、幼なじみの僧侶とのエピソードなど、挟む場所が違うんじゃないか、などと思わされたりもし、もう少し流れを整理してほしかった。もっともその僧侶とヒロインが放浪するシーンでの風景の美しさは見事で、チベットの民族主義を高揚させたかどうかは分からないものの、そのだだっ広さはとにかく気持ちいい。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2011-07-02 10:13:51)
986.  ハード・プレイ
カタギの暮らしを出来そうもない連中って、どうして映画の中だと魅力的なのだろう。それでいてサギの専門家にもなれないところでちゃんと道徳的帳尻を合わせている。ほとんど表には出てこないけど「白人と黒人の正しい出会い」いうようなテーマが映画の底に潜んでいて、それが感じ良い。ふわふわと生きている男たち、ちゃんと働けといってる女だって、「Qで始まる食べ物は」とか馬鹿なこと一心に記憶してクイズで一旗揚げようとしている。何も生産しない人ばかりがいて球を突いているだけ、それでも人生は人生。ウツロを抱えたまま友情でくくっていくあたりが味わい。偉いのはバスケシーンを出来るだけ役者本人にやらせていることで、シュートもカットで切らない。全然画面の弾みが違う。
[映画館(字幕)] 6点(2011-07-01 10:27:06)
987.  おとうと(1960) 《ネタバレ》 
崑てモダンなんだけど、日本の家の暗さを描くと一流なんだ。日本の家屋の古さにモダンを見ている。描かれていることは陰湿と言ってもいいのに、観ている印象から言うと、湿り気が感じられない。田中絹代の母が、一家のあまりの「背教的態度」に、ああーと絶望の声を上げるとこなんか、陰湿さであるはずのものが客観的な笑いを生んでいる。この距離感が、崑のモダンたるところ。暗い話を、監督は一緒に閉じ籠もって暗く見てはいなく、外から見ている。田中・岸田がひっそりと話し合ってるあたりに漂うユーモア。弟の内面をほのめかすシーン、死なせた馬が可哀想と繰り返したり、アイスクリームで人に伝染させちゃいけないと言う場面などでは、常に姉を立ちあわせている。姉の目を通した弟にしている。そんなに悪い子じゃないのよ、って。姉にだけにはそう見せたい弟の甘えでもあるのか。そういうとこに、この二人だけの親密さが漂う。あるいは鍋焼きうどんで姉を試そうとするあたりも。外の人間に向かわない自分たち姉弟だけで閉じている親密さを、これじゃつまんないな、と弟が病床で述懐するところが切ない(これがけっきょく彼の最期の言葉になったのか)。日本映画では、ラストをピタッと決めるのがうまく出来ないのが多いんだけど、崑はうまいね。パッと断ち切る鮮やかさ。俳優では暗い田中絹代が素晴らしく、彼女の長い俳優歴のなかでも異色の代表作と言っていいだろう。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-06-30 12:15:48)
988.  トイズ
アメリカ映画が子どもっぽくなってきたのはこれ以前からだったが、その柔らかさや無垢さをどんどん追っていった果てに、とうとうこういうヒヨワな場所にたどり着いてしまった、という意味で興味深かった作品。子どもが半面持っている生々しいものは消されて、映画そのものがテレビゲームの中に入ってしまったような感じ。地に足が着いていない、と言っても仕方なく、その「地」が現在はなくなってしまっている、という前提で語られている映画だ。現実感を一瞬たりとも感じさせないようになっていて、童夢が覚めるのを恐れているかのような、アワアワとした光景で世間を隔離していく。ここではゲロでさえ清潔。一級の美術で「手応えのなさ」を懸命に作り上げたフィルムで、好きな映画ではないがその異様な懸命さが記憶に残り続けている。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-29 12:34:02)
989.  黒い神と白い悪魔
題名からは単純な二元的世界を想像してしまうのだが、とんでもない、ややこしい状況。たしかに何かと何かが対立しているのだけど、それがよく分からんのだ。話の軸になるのは、アントニオと彼が狙う相手との対立。神から離れた位置にある者に対して、後者は二つとも宗教団体のよう。しかしそのアントニオを雇ったのが教会だからまたややこしい。さらにその二つの宗教団体も、熱狂的な狂信家とほとんど泥棒集団のような違いがある。どちらも無垢な者への殺戮という点で共通しているけど。そしてこのややこしい世界をマヌエロが、あちこちへつまずき引っかかりながら駆け抜けていくわけだが、彼とアントニオがひたすら個人であるのに対して、あとの者たちが集団であることにも対立がある。これら傷つけ合っている人々に対して、作者は積極的な批判を加えていない。地主や白人神父に対してははっきり憎悪が感じられるのに。これら傷つけ合っているものたちに分裂するなと呼びかけている映画なのだろうか、憎悪の対象をはっきり見定めよと。マヌエロのように、もう一度「個」から出発せよと。この対立をこそ言いたかったのかも知れない。ブラジルの状況に疎いものには、乗り切れないところもあるが、前半はかなり興奮した。よく風が吹くのがいい。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-28 10:20:01)
990.  フールズ・ファイア
人形と小人ってんで期待したんだけど、その人形の動きがあんまり面白くない。造形はいいんだけど、それ自体が見事なだけで、映画としての魅力とは違うもの。かえって黒人の奴隷人形のほうに、映画の中の人形の魅力が出ていた。設定としてはものすごく「映画でなければ見られない話」なのに、出来上がったものは「これなら舞台でも見られるもの」になってしまった。音楽は神経質っぽい弦楽器。ハイビジョン合成の初めのころで、ちょっと画面が濁る感じ。
[映画館(字幕)] 6点(2011-06-27 10:10:09)
991.  大樹のうた 《ネタバレ》 
この最終作は、細部よりもストーリーのほうが重視されている印象があり、またドラマチックな部分が多いのでデリケートな味わいでは損してるけど、でも甘い新婚生活の描写など一級ではないでしょうか。別にチチクルわけでもなく、キスシーンすらないのだが、しみじみ祝福してやりたくなるぐらい、いい。毛布とか枕元のピンとか道具が生きる。ちょっと前までは一人で泣いてたのが、かいがいしく火を焚いてたりするイイトコノ娘だった新妻。こうじわじわ底からしみてくるような幸福感を出すってのは、やはり大した力量なんだろう。夜は肩を並べて英語の勉強。夫婦で映画観に行ってると(仏教風SFもの活劇で面白そう)スクリーンが馬車の窓になっちゃうという趣向なんかもある。不意の不幸から放浪、父性の目覚めに至るという展開。ラストでまた『大地のうた』につながり、このように人は同じようにぐるぐる転生してる、という見方も出来るし、いやいや一世代進んでオプーとカジュールの違いがやっと生まれた、という見方も出来よう。おそらくこの二つの見方を並行させることで、壮大ならせん状の世界観を感じさせるのだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-26 12:06:17)
992.  巴里のアメリカ人
レスリー・キャロンって、いかにもアメリカの子役がそのまま大きくなったって感じだなあ、と思ってたんだけど、この人フランス出身なのね、一番合ってた『リリー』も、舞台はフランスだったんだ。そう思って見ると、にんじん、って感じもある。で、本作で一番ロマンチックなナンバーは、セーヌ河畔での二人のダンス。彼女は白と黒の衣装。冒頭でカラフルなイメージを出していたのでこの白黒が映え、それがそのままラストのパーティの予告にもなっていた。ラストの長い幻想シーンは、白黒のパーティの後で色彩の氾濫となる趣向で、贅を尽くしたという感じだが、立ちすくむ人やテーブルの女などにライトを下から当てたりして、ヨーロッパ的な陰影をかもそうとしている、ときに神経症的。バレーとタップの共演ってのは、アステア時代にも試みられているが、アメリカに根強いヨーロッパコンプレックスから来るのだろうか。ケリーのステッキ持ったタップとキャロンの爪先立ちバレーとの脚の掛け合いに堪能。そして鏡も使った色彩の洪水の果てに、また凱旋門の白黒の画に(赤い花の記憶を残して)戻っていくという趣向で、この映画はモノクロとカラフルの対比で押し切った。タップ好きとしては、子どもたちにいろんなステップを披露するとこ。上半身をダラーんと脱力させていかにも気がなさそうにトットットッとやるのなんか好きだなあ。アダムの部屋でタップ踏んだときは、ドアの敷居なんかもさりげなく使ってた。このアダムの仏頂面が、ケリーのニヤケ笑い(失礼!)と対比されるいいスパイスになっていて、スワンダフルに入る前、事態のややこしさを知った彼がハッピーな二人に挟まれて一人憂鬱にタバコに火をつけるのを繰り返してるあたりがおかしい。「そのしつこさに魅力が追いついてないの」とキッパリ言われても、しつこさに徹すれば最後はハッピーエンドになれるんだな。覚えとこう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-06-25 10:05:46)
993.  天使にラブ・ソングを・・・
正反対のものを合わせるのがコメディのひとつの方法なんだけど、それによってその文化圏のなかでは何と何が対極に置かれているかが分かるというもの。ここでは歓楽街と修道院。まあ常識的な線ですな。アメリカにおけるカトリックって、ちょっと奇妙な連中だが一応一目は置かれてる、って位置が分かって面白い。尼さんコメディ、ってジャンルがあるか。厳格さの中に見せるしたたかさなんかが笑いの手ね。ヘリのパイロットを「祈りおどし」するあたり。歓楽街(ゴモラ)で「目立たぬように」と指示するとか。どっちも歩み寄って中庸を目指すのがアメリカ。閉じ籠もってはいけない、ってモチーフもある。ゴスペルは最初の一曲だけで、あとは普通のポピュラーソングだった。修道院にあんなデブいるわけないと思ったら、こっそりアイスクリームを食べてたってことか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-06-24 12:09:31)
994.  バリー・リンドン 《ネタバレ》 
よく映画の宣伝で「感動のあまり席を立てませんでした」ってのがあるが、そうそうあるもんじゃない。私の人生では2回だけ。キートンの二本立て(『セブンチャンス』と『蒸気船』)観たとき「もっかいもっかい」と半日映画館から出られなくなったのと、あとこれ。こっちは幸い最終上映で観てたので、掃除のおばさんに追い出されたが、そうでなかったらこっちも映画館から出られなくなったに違いない。人の世の愚かしさとそれゆえの厳粛さを描いて完璧だと思った。一つ一つの画も完璧と言わざるを得ず、観終わった途端にもう一度ひたりたくなった。監督は「ナポレオン」を撮りたかったそうだが、成り上がって没落していく物語としてはもうこれが完成しているのだから、気合いが抜けてしまったのだろう。いちいちの感動シーンについて記すのは面倒なので省く。第三者の眼で語られ、視点は誰にも加担せず、誰も結論めいたことを言わない(ただ文章が出るだけ)。しかしここには地球上に一時期存在した人類という種族の典型が精密に記録された、しかもその愚かな人類はなんと美しい世界を織り成してきたことだろうか。この作品では美が愚かさと必死で拮抗している。母親や家庭教師など、脇役の顔の選択も見事だ。そして音楽。バリーの運命が大きく変わるときに流れ込んでくるヘンデル、それと対になるようなレディ・リンドンのテーマとしてのシューベルト、どちらも的確。完璧という言葉は軽々に使いたくないが、この映画の美にかけた執念には、その言葉を使って褒め称えるより仕方あるまい。
[映画館(字幕)] 10点(2011-06-23 10:04:39)(良:2票)
995.  REX 恐竜物語
ファンタジーでこそ、作者は自分の世界をしっかり持ってなくちゃいけないもののはずなんだけど、日本ではそれがいい加減になってグズグズにされてしまう。とりわけ目立つのが不思議な公私混同。よくあるんだ。これなんか、恐竜生育という行ないと、ピーマンを食べさせる教育とが、ベタッと当事者が奇妙がりもせずにくっついている。この科学実験世界の貧相さ。せっかくペットを恐竜にしたのなら、もっと成長することの悲しみなり、怖さなりが必要なのではないか。後半家出してからのいい加減さは、もっと意識的にやればナンセンスのきらめきに至れたのかも知れないのに、ただの「いい加減」にとどまってしまう。無理にいいとこを思い出そうとすれば、ラストの雲によるREXがちょっときれいだったこと。
[映画館(邦画)] 4点(2011-06-22 11:04:19)
996.  お姉さんといっしょ
うわっ、半世紀以上も前の西武新宿線中井駅だ(ローカルな感動で申し訳ありません)。やがて山手通りとして混雑する線路を跨いだ道もあるし、弟が迷子になって帰ってくるとこは妙正寺川ぞいのあたりではないか。ロケもそこらへんとは限らないわけだが、坂が多いのはあそこらへんの特徴(学校は高山小学校と読めたが三鷹にあるやつだろうか)。古い映画で銀座や上野はよく見られるが、こういう山の手の住宅地は珍しかった。別に中井に住んだことがあるわけではないが、知ってる場所の昔が出ると嬉しい。廃墟の空き地ってのがまだあり、崩れ残ったレンガ塀の上を子どもたちが歩いて遊ぶとこでは感涙した。家にテレビはなくラジオもたまにつけるだけ、商店街での和服に割烹着姿の買い物客の比率の高さ、などなどに、いちいち反応させられた。こういうのが劇映画鑑賞の態度として正しいのかどうかは分からないが、じっくりと見させてもらった。つくづくあらゆる映像は記録だと思う。お姉さんをやった伊吹友木子って、すました奥様なんかをよくやってた女優さんの少女時代じゃないかと思い、ネットで検索して中年の顔を見ようと思ったら、最近の写真らしいお婆さんの顔しか出てこなかったので確認できず。えーと話は、お父さんが出張、お母さんが病気で田舎に療養、留守を預かるお姉さんと小学低学年・未就学の兄弟、三人暮らしのあれこれ。田舎のお祖母さんが来たり、りんご売りに気を取られて迷子になったり、といったエピソードで50分をつなぐ。もっと「けなげな留守家族」を売り物にするのかと思ってたら、普通に「わんぱく」で良かった。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2011-06-21 12:22:56)
997.  冷たい雨に撃て、約束の銃弾を 《ネタバレ》 
東洋人と西洋人が映画の中で絡むと不協和音が生まれがちなので心配していたが、ラテン系だとそうでもない。というか、本作では異邦人ということが、記憶が薄れていくことと重なってイキている。すべての人間社会にとっても異邦人になっていきつつあるということ。ラストシーンがテーブルでニコニコしている主人公なのにはちょっと肩透かし感があったが、あれはつまり孫の記憶が完全に消え去って、その代わりに孫のような子どもたちと団欒をしている映像が入り込んできた、って感じなのだろう。ジョニー・トーらしい丁寧さが出たのは、銃撃戦よりもスパゲッティ食べながらの銃を巡るやりとりのとこ。しだいに男がただものではないと分かってくるあたり。サッと投げられる皿の気合い。その皿の行方にただのシェフでない証明があり、その皿は後のシーンのリング状のフリスビーにつながっていく。そしてゴミ捨て場での銃の試し撃ち、自転車がカラカラと動いていくとこ。記憶が消えていく男との約束をボスとの契約より優先するって「男の美学」は分かるんだけど、ちょっと命を粗末にしすぎてないか。ゴミの野での銃撃戦にもう一工夫ほしかった。ボスの卑劣さを観客に得心させる描写にも。
[DVD(字幕)] 7点(2011-06-20 10:25:50)(良:1票)
998.  バッフィ/ザ・バンパイア・キラー
最初のうち、エスカレーターを真上から見下ろしたシーンなんか「もしかすると拾い物かも」と思ったんだけど、だんだん緊張は薄らぎ、駄目でしたね。ホラーコメディって、どこか逃げ腰になってるとこありません? 心底怖がらせるのが難しいもんだから、くすぐり笑いに逃げてしまっているというか。怖がらせるのって失敗すると笑いと紙一重なもんだから、「いや実は最初っから笑わせるつもりだったのだよ」と、ズルしてる感じがある。怖がらせるのが難しい時代になったってことはあるでしょう。本当に守らねばならないものってのが不確かになって、つまり本作だと、バンパイア集団と釣り合わされるものが、高校のダンスパーティになってしまうわけね。そこがコメディなんだよ、と製作者側には言い分があろうが、本気で「怖さ」に挑戦してほしいな。作品を選ばずどんな映画にも登場してくるドナルド・サザーランドの盲目的映画愛を見習ってほしい。
[映画館(字幕)] 5点(2011-06-19 10:37:56)
999.  大河のうた 《ネタバレ》 
家族の最期を看取り続けた母は、しかし息子に看取られずに、遠くの汽車を眺めながら死んでいくというのが本作の中心。亭主が頼りないぶん、自分が頑張らねば、と常に自分に言い聞かせて気を張っている母を描く序盤、父の死後大叔父の家に移り、学校へ通うはしゃぎの描写などがあって、母のへそくりでカルカッタへ出てくる苦学生の日々。この作品の眼目は、休暇中の帰省でのなんとはない母との不調和と言うか、他人行儀と言うか、鬱陶しく感じられてくるあたり。もっとカルカッタの話をしとくれ、と言われたって煩わしいわけよね。残酷なことだけど、その残酷さが成長と言うことであり、『一人息子』などの小津映画を思い浮かべざるを得ない。次の休暇のときに帰省しないでいると…となるわけ。電報であわてて帰ると、庭先に大叔父がボッと立っている様が実にまがまがしい。その前の休暇のときは、わざと帰りを一列車(ということは一日)遅らせたんだけど。
[映画館(字幕)] 8点(2011-06-18 09:47:06)
1000.  ウォーターダンス
病室ものの集団ドラマ。暴走族と黒人の対立が軸。前者はママが付ききりで事故の相手が悪いと信じ込まされてる。黒人のほうは家族の有り難みが分かりかけてきたところで逃げられる。ポイントは踊り子アナベル・リーを巡る賭けと、電話交換台への怒りの爆発のあたりか。水面で踊り続けていると溺れないという夢が、題名の意味。人生訓。まじめな映画だがその分小さくまとまっている感じは否めず、もひとつ大きな爆発が欲しいところだった。女医ローザのエリザベス・ペーニャが、それらしい。闖入してくるカントリー・ダンスの慰問、ああいうのあるんだね、あの国。車椅子でストリップ行けるアメリカのほうが偉いと思った。
[映画館(字幕)] 5点(2011-06-17 10:18:18)
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