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1061.  サザエさん(1956) 《ネタバレ》 
江利チエミのオテンバぶりがやたら懐かしかった。オテンバやって何かしくじって、脚の片方を後ろに曲げて、頭をてのひらで叩いて舌を出す、というような感じ。「おきゃん」ほどではないが「おてんば」も死語になりつつあるなあ。「気立てのいい娘」とか「おてんば娘」とかは、近隣の噂話の中から生まれてくる評判で、そういう近所付き合いの枠組みがなくなってきたことで、それらの言葉もなくなりつつあるんだろう。これまだマスオさんと結婚する前なので、大家族というほどではないが、下宿人としてノリスケさん(仲代達矢だぜ!)がいたりして、現在の一般家庭よりは大人数。この昭和31年でこの構成員数が平均以上なのか以下なのかはっきりとは分からないが、核家族化へ向かう過渡期のころで、ある人たちにとっては自分たちの家族のように親しめ、また都会生活する若夫婦にとっては、失われた懐かしい家庭風景に見られたんだろう(サザエさんちは成城だった)。家族会議のシーンには、戦後十年たった民主主義に対する照れくささみたいなものを感じた。ビルの脇の自転車留めが懐かしかった。アチャコとのデパート内での不条理なオッカケ、金語楼の「耳が遠いのは家内です」いうギャグ、森川信の女装する探偵所長など、喜劇人がゲスト出演で賑やかにする。ラスト、ダークダックスの御用聞きも上がり込んできて、みんなが手をつないでジングルベルを歌いながらぐるぐる回りだしたときは、なんだかわからないけど、胸がいっぱいになっちゃった(ルネ・クレールかフェリーニか)。さてこれは、フィルムセンターの「亡き映画人をしのんで」の時、江利チエミ追悼で上映されたんだけど、最初に清川虹子が江利チエミのお父さんとちょっと挨拶があってシミジミした気分で観始めたの。で、映画が終わったとき場内で一緒に観賞していた清川虹子を見たら、もう号泣しちゃってて満足に歩けず、お父さんに支えられて出ていった。なんかコメディを観賞するにはすごくシミジミし過ぎる状況だった。
[映画館(邦画)] 6点(2011-04-17 12:09:29)
1062.  クリープショー 《ネタバレ》 
第一話。ケーキにかけるクリームがニュルニュルととぐろを巻いているところなんか、ちょいとよかった。マンガのコマ割りを意識したワイプなど、オムニバスの枠組みであるコミックを意識している。第二話。砂漠っぽい風土ってところが肝心なのかな。部屋のものに草が生えてるのに比べて、人間のほうは作りが雑だった。第三話。波の拷問のやつ。不愉快な話で面白くない。第四話。木箱が現われるまでのワクワクのほうがいい。実物が出ちゃうとダメ。第一話の「父さん」もそうだったな。第五話。ゴキブリのやつ。見せ場がハッキリしているので、見てるほうも姿勢を取りやすい。毛布の下がモゾモゾと動いてるとこ、よかったな。まさかあれが後で皮膚の伏線になってるとは思わなかった。清潔な白い部屋との対照の妙。隣に座ってた女の子(無関係)は途中ハンカチを口にあてて退場。前に座ってた女の子は途中場内にとどろきわたる悲鳴をあげてた。
[映画館(字幕)] 5点(2011-04-16 09:48:46)
1063.  東京物語
老夫婦が子どもに会うために東へ行き、子どもたちが親を送るために西へ行く、というシンプルな二つの移動の物語で、しかしその移動はほとんど描かれず、ただ西から東へ帰る紀子(原節子)の姿のみが最後に置かれる。描かれているのは人の世のむごさだが、しかしそのむごさは改めたり正したり出来る「あやまち」といった類いのものではなく、「そういうふうになってるもの」として提示されているがゆえにより沁みる。以前は、最後の京子(香川京子)の憤懣がちょっと剥き出しで、この繊細きわまる傑作の唯一のほころびかと思ったときもあったが、あれはただ本質を見つめられない「若さ」を客観的に描いていたのかもしれない。紀子によってフォローされているのだし。その紀子と京子が時計を介して照らし合わされ、移動する車中の紀子で閉じられていくことは、ここで初めて西と東が連続しようとしているようにも思われた。おそらく京子はここを通って東に行くだろう。しかし老父の葬儀までもうここを西に行く家族はいまい、という幕を引くための移動のようにも思われてくるのだ。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2011-04-15 09:43:53)
1064.  ライジング・サン(1993)
監督にしろ音楽にしろ、最良の仕事というわけではない。しかしカーチェイスの場は、普通音楽はほとんどリズムを刻むものだが、この人は自分のトーンを優先して、リズムを刻まない音塊で盛り上げていった。さすが。冒頭、カントリーをカラオケで歌うやくざで始まる。しかもその画面の中で『用心棒』(西部劇の血を引く時代劇)を引用したりして、両国の奇妙な絡まり合いを暗示。ちょっと違うんじゃないか、と言いたいところは多々あったが、黒人との混血で手に障害のあるアサクマ嬢が、日本が住みづらかったと言うあたりは、そうかも知れぬと思う。どこかネットリしてキレのないタイプだから、サスペンスには向かない監督だわな。
[映画館(字幕)] 5点(2011-04-14 09:59:31)
1065.  シテール島への船出
花売りの老人が幻影であれは実際の父親なんだという見方と、花売りの老人を主人公にして作った映画だという見方と、二通り出来て、そのどちらにも収まりきらない曖昧さに、慎重に宙吊りにされている映画。冒頭のプラネタリウムからして、嘘の宇宙と捉えるか、本物の宇宙を縮小したものと捉えるかで分かれちゃうわけだし。老人の32年後の挫折を、こんなに美しく歌っていいのだろうか、もっとトツトツと語るべきなんじゃないか、という気もし、それはこの映画の構造を「逃げ」ととるか「絶妙な仕掛け」ととるかという判断にもよる。難しいところだなあ。この構造によって、後半旧港のシーンが浮わつかなかったというメリットはあった。映画としての緊張度は断然前半のほうが優れていたが、港の不思議な寓話性は、そのままリアリズムの話で続けられたらちょっとシラけただろう。最初からオハナシかもしれない、という用意がしてあることでスンナリ入れたけれど、これは考えようによってはズルイと言えなくもないわけで、うーん、難しいなあ。けっきょく現実からも理想からも裏切られ、彼が得たのはあの長方形の国だった、という厳しい突き放しを、こんなに美しく描いてしまう監督って。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-13 09:59:28)(良:1票)
1066.  二十四の瞳(1954)
木下恵介は、ちょっと離れて平行移動する二人を描くととてもよく(『野菊の如き君なりき』など)、それの絶唱とも言うべき最高の成果が、本作の修学旅行の場。食堂で働く松っちゃんを大石先生が訪ね、嬉しさと恥ずかしさが混ざったような松江が距離を置いてもじもじしている。大石先生が去るとたまらず飛び出したものの、旧友たちが先生へ走り寄ってくるのを見てサッと身を隠す。たまらないシーン。そして次にとぼとぼ歩く松江と、旧友たち・先生を乗せた船とが平行移動していく名場面になる。心象風景がそのまま抒情の極致となり、画としての構図もピタリと決まった。またチョイ役ながら、食堂の女将、蝿叩きを持った浪花千栄子が絶品なんだ。この映画の長さは、唱歌が流れるシーンで歌をたっぷり入れているので膨らんでいるところがあり、欠点と言えば欠点なんだけど、作品ごとに趣向を凝らす監督が本作では、唱歌が軍歌に勝利する歌合戦っていうような試みをしたと思われ、ロングを生かした画面もあいまって、そこにじっくりひたれる世界を作り上げている。木下恵介はコメディで最も才能を生かした監督だと思っているが、本作は抒情の作家としての代表作になった。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-04-12 09:46:14)(良:1票)
1067.  さらば、わが愛/覇王別姫
最初のうちは、監督初めての失敗作かと思った。向いてないことをやってんじゃないか、とか。でも中華人民共和国成立以後の部分はピリピリと締まってて、振り返ってみてやはり傑作の部類に入る作品だろうと思った。惨憺たる中国の近代史。その惨憺たるさまを惨憺たるままに描いて、一片の希望だに見せず、ひたすら滅亡の歌を奏でていく 。京劇の滅びに、古代の覇王の滅び、さらに現代における人が人らしく生きる環境の滅びを重ねて、崇高でさえある。主人公の人生は少年時代の訓練から陰惨さを反復する。強制的に男であることを忘れさせられ、錯覚の中に生きていくことを強いられる。競って愛国者を演ずることになる20世紀中国の群衆と、女形を演じ続ける彼との対称。陰惨である。その陰惨は文革の人民裁判にまで持続していく。この監督にそもそも悲劇志向があるのか、それとも中国の伝統なのか。陰惨だけれども極彩色の壮麗な悲劇に仕上がった。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-11 09:57:08)
1068.  牛の鈴音
ドキュメンタリー風ドラマ、もしくはドラマ風ドキュメンタリー。純粋なドラマだったら「ほのぼの老夫婦のスケッチ」で決まっちゃう。ばあさんはいつも愚痴を言ってるが、ムッツリじいさんとのコンビが夫婦漫才のようで、「いやあ、でも本当は仲がいいんだよ」って気分に落ち着いていくだろう。でもドキュメンタリーの血も混ざっているので、なにやらチクチクと残るものがあるんだ。そこを買う。このばあさんの愚痴、けっこう本気な不快が籠もっていて、これは東アジアの農家の嫁がずっと忍従してきた愚痴なのではないか。労働力としてまず第一に考えられてきて、牛にやる草をこの年になっても刈る仕事をさせられる。ばあさんの牛に対する不満は、同じ農耕労働力として扱われてきたもの同士の憤懣が籠もっているようでもあり、奇妙な三角関係すら時に感じられるのだ。この感情のほつれは、ずっと東アジアの農民の間にあり続けてきたんだろう、という長い歴史がほの見える時がしばしばあった。でも仔牛を売るときなんか、けっきょくばあさんの意見が通っているし、対外的な実権はばあさんのほうが握っているらしい。それなりに釣り合いは取れているのだろうか。消えゆく家畜農耕の、人と牛との交わりの記録だが、消えゆく一昔前の「農村夫婦」のあり方を記録してもいる。
[DVD(字幕)] 6点(2011-04-10 09:59:47)
1069.  第七天国(1927)
特に前半がいい。設定が固まるまでは、ムチで打たれる薄幸の娘と大時代なのだが、ニセの夫婦になるあたりからしみじみさせる(それにしても七階まで上がっていく階段がすごい)。とうてい身近とは思えない設定なのに、その細部は一つ一つ納得のいくリアリティで固めてある。物語の強み。警官の緊張が去り、ヒロインが荷物持って去っていこうとすると、チコが照れながら「まだいてもいいんだよ」と言う。まあ、甘いですねえ、でも泣けちゃいますねえ。プロポーズがわりの花嫁衣装。二人だけの結婚式。別れの時、11時。君の姿をしっかり焼き付けておくよ、というチコの眼になった視点、すべて伏線である。ここからガラッと大仕掛けのスペクタクルになって、後半は少し前半に比べ粗くなり、信仰のテーマが少々煩わしくもあったが、二人の生活の部分は実に甘美であり、それだけでメロドラマとして十分堪能。
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-09 09:52:14)
1070.  渇き(2009) 《ネタバレ》 
いくつかのモチーフが作者のなかで溶け切れないまま仕上がってしまったようなところがある。だからいろんな面から観られる。潜在的な自殺願望者であった神父が、吸血鬼になることによって成就する話。現代のシンデレラが神父によって救出されるが、変な方向に解放されていく話。不倫の男女が女の亭主を殺すことに成功したが、その亡霊に悩まされるという古典的な怪談話(個人的にはここらへんの線が好きです)。もっともソン・ガンホの神父顔やら吸血鬼顔やらは味わい深いユーモアをたたえていて、そこらへんに徹しはっきり喜劇の線にしてくれてもよかった。ラスト近くのマージャンの場から殺戮に至るあたりは、ホラーコメディとしていい線いってる。でも映画全体としてはなんかどれも中途半端で、その多面体ぶりを楽しむってとこまでは、こちらの心に余裕がなかった。人物ではヒロインの義母が存在感たっぷり。主人公たちはとうとう最後まで彼女は生かしておく(あんまり血がおいしそうではない)。血をすするカトリックも、孝を強いる儒教の伝統の根強さには負けるってことか。
[DVD(字幕)] 6点(2011-04-08 09:58:58)
1071.  戯夢人生
画面の美しさにいちいち感嘆したのは『バリー・リンドン』以来であった。室内と風景と。煙がたなびき、人々の表情が捉えられない遠景。まるで影絵のような世界。主人公の半生もののドキュメント形式映画なんだけど、その彼の「生きざま」が浮かび上がって“こない”ところが特徴で、その個人の半生が、台湾史の中に溶けて拡散している。歴史でもないか、記憶? 歴史と普段承知しているものは、つまりこういうものなのか、と逆に目から鱗を落とされたような気がした。物憂げに響く木のサンダルの音の響きの中にこそ歴史はあるのかも知れない。映画のスクリーンと、人形劇の舞台と、芝居の舞台と、スケールをカチャカチャと替えつつ、「意志」を何かに預けている雰囲気がある。主人公は精一杯自分で選んで生きてるんだろうけど、作者の視線は、その意志が預けられているものを凝視している。これは個人と歴史との関係を描いて、もしかしてすごいことを言っている映画なのではないだろうか。この人の映画では身内の病気・その看病ってのが繰り返し出てくるなあ。親密な不安のために寄り添っている人々ってのがいいんだなあ。
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-07 09:20:52)
1072.  ル・バル
いかにもフランス映画だ、シャレてる、と思ったらイタリアだった。戦前部分の色調が美しい。ジャン・ギャバン登場は愛嬌。あの恋のもつれの物語いうのがそもそも戦前映画の雰囲気なのよね。ファシズムの台頭を暗示し、ダ・ダ・ダいう足踏みの音。空襲、占領、解放(鐘の響き)で、三人の女が喜んで回っているのがそのまま群舞になる。あの時期はどこでも「イン・ザ・ムード」で表現できるんだな。片足の帰還、およびダンスでホロッとさせる。ティーン・エイジャーの乱入。ジャン・ギャバンはちゃんと戦後のかっこで登場。ロックンロールの時代から五月革命の学生運動、「ミッシェル」でディスコへと。この後半はただ風俗をなぞっただけになってしまった。踊るということの解放感、回転することの永続性、それだけに退場シーンはシミジミする。けっきょく趣向頼りの映画ではあったが、それで通したってことだけでも立派。
[映画館(字幕)] 7点(2011-04-06 09:48:23)
1073.  エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事
大ざっぱに女優を貴婦人タイプと小間使いタイプに分類すれば、M・ファイファーは小間使いタイプで、場末のウェイトレスなんかやらせると絶品なんだけど、これはちょっと柄じゃなかったんじゃないか。はぐれ者の感じはあるが、上流社会って雰囲気からは離れすぎているような。最後の送別パーティの優しい残酷さはよかったな。ヒンヤリとしたとこ。これを殺せば自由になれると思ったことのある妻に、なすすべもなく操られてしまうD・D=ルイス。憐れまれてさえいたのだった。男は最後まで決断から逃げている。19世紀末のニューヨークってのが美しい。風の強い日に、男たちが帽子を押さえて黙々と歩いてくるシーンなんかに、味わいがあった。
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-05 12:35:55)(良:1票)
1074.  恋文(1985)
いっそ肺病にして、大正ロマンに時代移してやれば面白味が出たかもしれない。度を越して「優しい男」を感動させるのに現代で来られると、ただのバカに見えちゃうとこもある。部分的にはいいとこもあるのよ。人の流れに逆らって歩く二人の長いシーンとか、「別れてくれ」言われるところの倍賞さんの堂々とした顔とか、離婚の相談所へ電話するときのチャリンチャリンの音もいいね。ブラインドを指でカチャカチャやるような、なんとない仕種をさせると、この監督はうまい。だけど男が二人の女に愛されるほどの魅力に乏しかったな。ラストは靴音遠ざかったとこで切っちゃったほうが良かった。
[映画館(邦画)] 6点(2011-04-04 09:55:04)
1075.  ダンボ(1941) 《ネタバレ》 
ディズニーの長編アニメでは、これが一番好き(『ファンタジア』は別格扱い)。『白雪姫』は初の長編という意気込みゆえか、なにか改まった感じがあり、力作ではあるがチト固い。『ピノキオ』ではだいぶほぐれてきているが、この『ダンボ』に至って、短編で培ってきた精神とつながった長編になったのではないか。なにしろ『白雪姫』『ピノキオ』と違い、絶対実写では描けない世界を描いている。アニメであることの喜びが全編に満ち渡っている。主人公がサイレントというとこに、映画の本道を再確認しようという意志が感じられなくもない。とりわけ凄いのが、酔っ払ったとき見るピンクの象の幻想シーン。「象」という与えられたモチーフをとことん展開していく。その長い鼻をラッパに見立てて始まり、「象=重い」からピラミッドに連想が移り、それを「軽さ」に反転させて、踊る・滑る・走ると目くるめく変貌させていく。しかし「飛ぶ」が慎重に排除されるのは言うまでもない。朝焼け雲に収斂されていく見事さ。この幻想シーンには唸らされる。その前の七頭のオバサン象によるピラミッドもかなりシュールなイメージで、幻想シーンを先取りしているような出来映えであった。話そのものも好きで、“魔法の羽根”を失って狼狽するダンボがネズミの励ましを受けて飛行に移る瞬間は、いつもジーンとしてしまう。
[CS・衛星(吹替)] 9点(2011-04-03 10:09:55)(良:3票)
1076.  めぐり逢えたら
この前の『恋人たちの予感』が、クリスマス・新年で終わったので、今度はそこから始まる。夢のような恋愛・運命的な恋愛、そういうものが失われた現代から憧れて振り返っているようなところがある。スタンダードナンバーに、ケイリー・グラントの『めぐり逢い』の世界。ケイリー・グラント、デボラ・カーの美男美女の世界を、庶民派のトム・ハンクス、メグ・ライアンでなぞり直すわけ。飛行コースがいちいちテンテンで出るのがおかしい。こういうのではそれぞれの振られ役をどうフォローするかってのが難しいんだけど、これもそれクリアできなかった。ま、分かっていてもエンパイアステートビルの屋上ではホロリとしてしまう。これは過去のC・グラントの時代に戻れてホロリとしているのか、T・ハンクスの現代でも運命の出会いがあり得ると思ってホロリとしているのか。
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-02 10:18:30)
1077.  花いちもんめ
公平なふりをして結論を回避した、って感じもある。こういう問題に結論は不要なわけだが、独自の意見というか、どうしたらいいんだろう、って方向でもう少し作者の姿勢ってのが見えてもいいんじゃないか。ボケ老人を抱えたことで崩壊しかけていた家が立ち直った、ってだけじゃ、ちょっとノーテンキすぎる。おそらくボケ老人を抱えたために家が崩壊したケースのほうが多いんだろうから。施設の描き方が悪者すぎて、そこらへんの整理の仕方が問題の扱いを単純にしていた。「だんだん悪くなっていく」ってところはやはりスリリングで、数字を反対に言わせるとこで、不意に年号がほとばしるあたりおかしい。こういうところ、笑っちゃいけないのかな、とちょっと緊張するが、人間の不可思議さということで、笑っていいんだろうな。
[映画館(邦画)] 6点(2011-04-01 10:03:37)
1078.  北国の帝王
大恐慌期という背景が、あんまり生きてない。ホーボーと車掌という無職と職持ちの争いが、賭けの対象になるような・ゲームのような、ただの意地の争いになってしまっている。社会の背景を思えば、「意地」なんてきれいごと言ってられないレベルでの迫力ある闘争を描けたはずだ。ホーボーは生きる地を求めて必死なはずだし、車掌だって鉄道会社に有能であることを示さないとこっちがホーボーになってしまう不安があったはずだ。そこが抜けているので、ただのサディスティックな看守みたいな厚みのない存在になってしまっている。おそらくこの映画が作られた70年代の空気が、ヒッピー的な楽園をホーボーに重ねて見てしまったのだろう。若造の存在も邪魔である。黒澤の師弟的な普遍性は得られたかもしれないが、男の対決という話の芯は緩くなってしまった。ただ、貨車の上を歩くシーンはそれだけで楽しい。特に進行方向と逆に進むときの、ムーン・ウォークのような空中ダンス的浮遊感は、わけもなくウキウキする。(わっ、ずっとこれ「ホッコクノテイオウ」だと思ってた。なんか急に北島三郎の演歌になってしまったような)
[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-03-31 10:04:36)
1079.  ウェディング・バンケット
ホモが絡むコメディとなると、だいたいいじましい笑いになってしまうのが多いのだが、これではどちらかというと笑いのネタは「父‐台湾」とのギャップのほうにあって、いい。二階でぐったりしている父親、鼻息を確かめたりしていると昼寝から覚めて、カクシャクと歩み去っていったり、とか。宴会シーンで中国が横溢する。もっとおとなしい民族かと思ってた、いう。どんちゃん騒ぎを描いて酔い潰れているのを描いて、ああいうのを描けるのは、台湾を離れた者の視線を持ってたからなんだろう。慎ましさと傍若無人の同居。すべてを受け入れ肯定していく。
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-30 10:12:08)
1080.  水のないプール
この人が出てくると、監督の映画じゃなくて、内田裕也の映画になっちゃうとこがある。それだけ強烈な魅力があるっていうこと。たとえばこの役を、石橋蓮司がやってるとこを想像してみた。このころこういう役なら彼でも達者にやったはず(大ファンでした、いや今でも)。でも風呂掃除しているおかしさは、内田以上には出せなかったんじゃないかと思った。石橋だと意識してスネて社会に背を向けてるってなっただろうけど、内田はもう根本のところから曲がっちゃってて、本人はまっすぐに生きてるつもりで、こうなっちゃうんだよね。ひねくれてないの。社会なんかに関係なく、ただ風呂を綺麗にすることだけで頭がいっぱいになってる。その純情・真面目がたまらなくおかしい。テーブルにすわらせてパーティごっこをしたり。無理に政治に絡めようとした部分は邪魔だった。最初の侵入の長い長いセリフなしの緊張。
[映画館(邦画)] 7点(2011-03-29 09:55:06)
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