101. ここは退屈迎えに来て
《ネタバレ》 原作未読。自分は地方出身で東京在住経験もあるので、橋本愛や村上淳あたりの立ち位置は妙によくわかる。なので、車中のサツキと「私」のやりとりは、いつ2人が正面衝突するのかとヒヤヒヤする緊張感があった。時間軸をいじり、登場人物も多いので、オムニバス的にそれぞれの「田舎と都会」や「人気者とフォロワー」の関係性が見えてきて、飽きさせない工夫もあった。そして、登場する若手俳優たちがいちいち上手い。いつもながらの変幻自在門脇麦、ノリの良さゆえに(皆に)軽んじられる柳ゆり菜、田舎社会の「元スター」成田稜のビフォア/アフター、そして実質的な主役といっていい渡辺大知あたりの演技に支えられている。とくにラスト近くの柳ゆり菜のアップのシーンにはこんな顔もできるのかと新鮮な驚きがありました。あえて言えば一番合ってなかったのは橋本愛だったかも。彼女もうまいのだが「東京からの出戻り感」がもう少し欲しかった。一方の演出面では不満もたくさん。中途半端に挿入されるモノローグ。アップの多用し過ぎ。終盤は、演者への嫌がらせかと思うくらい、間の長いアップが多い。俳優の技量でそれぞれちゃんと見られるシーンになっていたけど、全体の配分が考えられておらず、アップの大安売りの感は否めない。あと、音楽の使い方。とくに、自転車でゲーセンへ行く田舎道のシーンの恥ずかしい感じは何だろう。そして、ラストの歌をつなぐシーン。オムニバス的なシーンを一つに結びつけるポール・トーマス・アンダーソン監督『マグノリア』の「wise up」をやりたかったんだと思うけど、この映画では明らかに逆効果。その前の成田稜の「名前なんだっけ?」でそれぞれの物語がやっぱりバラバラだったことが見えた後に、歌のリレーで「妙に気持ちがつながった感」を演出してどうしたいのか、さっぱりわからなくなった。 [インターネット(字幕)] 5点(2021-04-02 08:24:32)(良:1票) |
102. 淵に立つ
《ネタバレ》 ドスンと魂に来る映画。冒頭の全く会話のない鈴岡夫婦の様子から不穏な空気が立ちこめ、淺野忠信演じる八坂の登場による不穏さのなかの異物感が居心地の悪さを増幅させる。正直、このまま2時間は辛いなと思わせた渓谷のシーンあたりから物語が急加速し、なんと映画の中盤でいきなりのクライマックス。え、その後どうなるの?と思った後半、思いも寄らない方向に二転三転・・・。いやー、久々に予測できない、スリリングな映画体験でした。この映画、実質的な「主役」は鈴岡夫婦で、中盤以降に俊雄が言うように「はじめて夫婦になった」と言える。その媒介になったのが八坂の登場と退場であり、娘の変貌なのでしょう。過去に何があったか?とか大賀演じる息子の真意は?などサスペンス部分は放置しつつも、とにかく意味深なメタファーに溢れているので、いろいろな「読み方」ができる作品なのは間違いない。個人的には、アクロバティックな素材をもとに「夫婦」という他者がつくりだす関係性を描いた作品なんだと思ったら、なんとも示唆に富んだ作品に見えてきました。血のつながりも(本作でいえば信仰という)思想のつながりもない二人が共同生活を行うことの不気味さ、そのなかで八坂を媒介に一瞬つくられた連帯、でもその連帯のバランスを崩す新たな他者の登場・・・夫婦って怖くて、不気味で、不思議なもの。あのラスト、明らかに息を吹き返したのは章江、最後まで俊雄が助けようとしたのは蛍だった。ここに、夫婦という関係性の闇の奥を見たような気がしました。 [インターネット(邦画)] 8点(2021-03-27 10:08:13) |
103. ワンダーウーマン 1984
《ネタバレ》 前作は難点もあるけれど、ガル・ガドットが動いて戦うだけで魅力的な映画だった。近年にはない新しい女性ヒーローものとして、主演女優の素材をこれ以上ないほど活かしきった一作でした。そして、監督も俳優陣も続投で期待の続編、結果的には前作の悪かったところが増幅し、ガル・ガドットの魅力すら霞んでしまうような出来だった。前作でも気になったテンポの悪さ、ストーリーテリングのまずさ。最近のヒーローもの(とくにマーベル)は話運びが効率的で上手いものが多いので、パティ・ジェンキンス監督の手腕に大きな疑問符が付いてしまう。アクションシーンも少なめで、だいたい予告編で見た以上のものはでてこない。前作のような暗がりばかりではなくなったものの、CGによるキャラの動きのぎこちなさは、ここ数年で格段に進化・深化したアクション演出と比べるとその鈍重さが際立つ(シャーリーズ・セロンが別格なのかもしれないが、「女性アクションだから」という言い訳はこの作品自体の意義に関わる問題だ)。そして、1980年代描写の中途半端さ。前大統領を思わせるマックスのキャラ設定やスティーヴの着替えシーンくらいでしか物語的には絡んでこない。この点では、ニューオーダーの「Blue Mondey」をフィーチャーした予告編が最高だっただけに、期待外れもいいところだった。もしかしたら、ストーリーやアクションの緩さも含めての80年代モチーフだったのかもとも思いましたが、だとしてもNetflixの『ストレンジャー・シングス』があれだけ面白かったんだから、この作品の不出来を1980年代のせいにするのはアンフェアだ。そして、最悪だと思ったのは、「取り消し」できてしまうという設定。この作品には「責任」という概念はないのか。間違った選択をしてしまっても「取り消し」できない、というのが人生なのに。「真実」も大事だけど「責任」だって大事だよ。核戦争寸前までいったのに「取り消し」たので元の世界にもどりました・・・って夢オチよりも酷いんじゃないか。新作の娯楽大作映画に飢えていた状態だったので、デジタル配信が始まってすぐに見たものの、とにかく残念の一言でした。 [インターネット(字幕)] 3点(2021-03-06 00:27:35)(良:1票) |
104. 花束みたいな恋をした
《ネタバレ》 なんとなく、この映画は映画館で見た方がいい、という思いに駆られ、本当に久々(ほぼ1年ぶり)の映画館での鑑賞。休日午前の映画館は、若い女性2人組、カップル、そして4〜5人くらいの若者グループがメインで、その隙間に中年くらいの男性や女性が1人で見に来ていて(私もその1人)、まずまずの入りでした。上映前、普段まず見に来ないタイプの映画の予告編(すべて邦画と韓国映画)が立て続けに流れ、少しアウェイ感を感じる。 映画の序盤、目立たないタイプの麦と絹が、文化系ネタでの共通点を次々と見つけていく過程は(実際に登場する作家やアーティストはわからないものも多いながら)とても楽しい。あの長い一晩を2人とともに過ごし、互いに相手を「運命だ」と感じていくプロセスをすぐ隣でみているような気分になる(この流れは同じ坂元脚本のドラマ『最高の離婚』を思い出します。あっちはむしろ「違った」2人の遭遇でしたが・・・)。しかも、そのきっかけに世代関係なく2人の共振ぶりを実感できる押井守を持ってきた絶妙な設定! しかし、就職活動あたりから2人のバランスは崩れはじめ、麦の夢が行き詰まったあたりから大きな溝が生まれ、そうなればお互いの小さな努力やがんばりも空しく、決定的に瓦解していく。もともと『アニー・ホール』から『(500)日のサマー』『マリッジ・ストーリー』までこの手の恋愛プロセス映画が好きな私は、とくに中盤以降はどこか冷めた視点でみてしまい、いずれ来るであろう「修羅場な口論」シーンを期待(?)して待っていただけに、自分の感情をぶつけるよりも先に状況を「読み」、自分で結論を出してしまう2人に、やや消化不良な印象が否めませんでした。そして、物語の顛末も、鮮やか過ぎるラストも相まってさわやかな後味が先に来てしまい、もっと苦みを・・・と思ってしまいました。 ただ、映画上映後、クレジットが終わり会場が明るくなっても、みな席を立とうとしない。いつも映画館を最後のほうに去る私が、なんと一番最初に席を立っていた。それだけ、当日映画館にいた若い人たちには「刺さっていた」模様。やっぱり映画館で観たのは正解でした。そうか、彼らにとっては、この描写や台詞が「リアル」であり、「切実」だったのだ。残念ながら、この作品は「私の映画」ではなかったけれど、ここにいた人たちにとっては、この後もしばらく引きずりつづける1本になったのだろうな。そういう現場に立ち会えるのも映画館の醍醐味だったことも思い出しました。 [映画館(邦画)] 6点(2021-02-25 22:12:47) |
105. 夢売るふたり
《ネタバレ》 西川美和監督らしい緻密な構成と、豪華キャストが脇役で続々登場する「西川映画オールスター」的な緩さが混在する不思議な作品でした。個人的には、後者が完全なノイズになってしまい、ちょっと物語に入り込めませんでした。序盤の香川照之あたりの登場はへんなカツラもあってクスッと笑える程度でよかったのだが、終盤、伊勢谷友介や笑福亭鶴瓶あたりが重要人物で出てくると、それぞれキャラも強いため作品内のバランス感覚を狂わせてしまったようでした。それでも、松たか子と阿部サダヲの演技は見応えあり。阿部サダヲは詐欺師としていろんな人と関わるうちにどんどん人間味を増していくし、それとは対照的にどんどん沼にはまって狂気を孕んでいく松さんのそれぞれの変化とすれ違いは見所。そうやってみれば、この夫婦、最初からすれ違っていたようにも見えるし、この二人を見ていると、そもそも「すれ違わない」夫婦なんてないよなあという感覚に気づかされていく。また、この手のコメディとしてはアンバランスなほど、「セックス」の妙に生々しいシーンが挿入されたり、自慰や生理に関わるシーンまで登場するなど、この「すれ違い」の原点としての「性」にまで洞察を深めていくあたりはさすがの西川作品。安易で一面的な解釈を拒否するような松さんのラストの複雑な表情は必見。それだけの魅力が詰まった一作だっただけに、最初に挙げたノイズ部分が本当に残念でした。 [インターネット(邦画)] 6点(2021-02-23 09:09:32) |
106. メッセージ
《ネタバレ》 テッド・チャンの「あなたの人生の物語」は既読。あれを映画に!?ってどうなるのやらと思ったけど、予想以上にそのエッセンスは活かされていたように思います。元々は「言語」が世界を作り出すという20世紀後半の現代思想の流れ(言語論的転回)があって、それをSFとして見事に表現した作品だったと思うのですが、「言語を学ぶことは新しい世界の見方を獲得すること」を主人公のパーソナルな体験として映像として見せることには、それなりに成功していたのではないでしょうか。とはいえ、このテーマをブロックバスター映画でやる、というのには、やはり無理があった部分も否めません。たとえば、ヘプタポッドの言語解析の革新性が伝わりにくい。この映画だと漢字のような「表意文字」として解析しておしまい、な感じもあったのですが、その言語自体が、時空間の解釈を変えてしまう「コミュニケーション手段」だということがちょっとわからない。だから、ラストの怒濤の展開の唐突感が増してしまう。そして、もう一つの蛇足が、あまりに単純化された国際政治的要素。原作にはない話ですが、物語のサスペンスを盛り上げるためにも、この国際政治の要素も加えたこと自体はよい判断だと思います。ただ、米国の言語学者だけが「正しい理解」をしていて、「誤解」した各国が暴走しちゃう・・という流れはちょっといただけない。この点では、もっと他国の側にも、ヘプタポッドの言語の本質に迫る発見をさせるような流れがあったほうが、最終的に「アガる」展開にもできたんじゃないかなと思ってしまいます。まあ、『ブレードランナー』同様、どうやっても失敗する未来しか見えないプロジェクトだったとは思うので、そこにチャレンジしたヴィルヌーヴ監督にはリスペクト!ですし、『ブレラン』と同じく、ちゃんと一つの魅力的な作品として仕上げてくる力量には素直に感心しています。 [インターネット(字幕)] 7点(2021-02-20 10:14:36)(良:1票) |
107. イニシエーション・ラブ
《ネタバレ》 原作は気になっていたけど未読。おかげで見事にだまされたわけですが、だまされたからいい映画だったかといえば、どうだろう・・・。ラスト5分以外の100分間、ひたすらバラエティ番組の再現VTR並みに酷い恋愛劇を見せられるのは正直しんどかった。たしかに細かい違和感は多々ちりばめられているものの、メインとなるストーリーは本当につまらないベタベタの仕様。音楽や80年代風俗の描き方も中途半端。ファッションやBGMだけ80年代風にしても、登場人物の細かいしぐさとか台詞まわしは現代的で、そこまで作り込まれていない中途半端さが目立つ。たとえば、前田敦子演じる繭子が本当に「男女7人秋物語」を楽しみに見ていたふうには見えないのだ。というわけで、制作側が言う「ラスト5分」のためにひたすら我慢して見ていた。それでも、ラストのどんでん返しで「あーそれを描きたかったのね」というテーマが浮かび上がればいいのですが、そこから見えてきたのは、トリックの巧みさよりも、若干ミソジニー(女性嫌悪)入ったふうの「女は怖い」感。物語的には松田翔太演じる鈴木君の「クズ男」ぶりが目立つ後半だったので、彼が罰を受ける的な流れなんだろうなあと思ってはいたけれど、そこで「どっちもどっち」風にしてしまったのはどうなんだろう。とくに、繭子の「傷」の描き方は、2010年代の映画としてはちょっと受け入れられるレベルではない。だまされてスッキリどころか、「ちょっと体調が悪くて」「便秘だった」「ビールがおいしー!」の流れを「面白いでしょ」ってドヤ顔で語ってそうな制作陣に対するモヤモヤだけがつのったラストでした。 [インターネット(邦画)] 3点(2021-02-19 08:30:28) |
108. オアシス
《ネタバレ》 『バーニング劇場版』でイ・チャンドン監督を知った新参者です。事前情報ほぼなしでの鑑賞。冒頭のジョンドゥの奇行の数々でグッと惹きつけられ、いよいよヒロインのコンジュの登場で文字どおり度肝を抜かれました。この映画、個人的にはどうしても受け入れられない表現が2つあります。一つはいきなりの強姦未遂。もう一つはコンジュを「健常者」化する描写。ただ、これらの表現に多くの人が反発することは、この映画では織り込み済みであるようにも思いました。この違和感や嫌悪感こそが、人間関係が持ちうる醜悪さや恐怖であり、その醜悪さや恐怖のない「純愛」なんて存在しないのだ、というふうにも訴えているように見えました。また、この二人の根源的な違和を抱えた関係性が、それぞれの親族たちが醸し出す、もっと世俗的で卑近な嫌悪感に囲まれる二重構造になってるのもうまい。この、どうにもならない人間関係の「負」の二重構造が、コンジュが持つ恐怖の象徴であった木の枝を取り除くというジョンドゥの行為の「美しさ」を際立たせています。ちなみに私は近親者にコンジュよりはやや軽めの脳性麻痺患者がいますが、その目で見るとムン・ソリの演技は「やり過ぎ」感がありましたが、障がい者の症状やふるまいには個人差も大きいので、コンジュのような女性はきっといると思うし、彼女の演技がもの凄いレベルにあるのは間違いないと思います。いまでも、この映画を受け入れてはいけないのだという意識は、私のなかのどこかにありますが、心に棘のように刺さった本作の忘れがたさ自体は、やはり評価するべきなのかと思っています。 [インターネット(字幕)] 8点(2021-02-13 17:45:02)(良:1票) |
109. 薄氷の殺人
《ネタバレ》 アジアの辺境にある寂れた地方都市(農村ではない、というのがポイント)を舞台にした殺人事件を題材にした映画には、独特の魅力がある。ボン・ジュノの傑作『殺人の追憶』は言うまでもなく、地方に漂う閉塞感が絶妙なスパイスとなって、殺人事件の「真相」よりも、事件そのものが体現する現代社会の姿をぼんやりと浮かびあがらせる。今作も、そんな「地方都市ノワールもの」の佳作だが、優れているのはグイ・ルンメイという女優を拝することで、独特の官能的なイメージが加わっている点。とはいえ、実際には作品中では、「濡れ場」的なシーンも、カメラは「行為」や「表情」以外のところにクローズアップしてしまうのも面白い。結局、表情も思考も曖昧な彼女の姿から、「ファムファタル」の本質は女性の側の「魔性」にあるのではなく、そこに過剰に意味を読み込んでしまう男性の側にあるのだということが、痛いほど伝わってくる(その象徴として、私たちは観覧車のシーンでひたすら「男」の表情を見せられてしまう・・・)。そのメインテーマだけでなく、序盤の床屋での銃撃シーンや中盤のスケート靴による惨事などのバイオレンス描写など、独特のテンポや映像を味わうだけでも十分楽しめる。ただ、残念というか、最後にこの映画のイメージを決定づけてしまうのは、あのエンディング曲。流行音楽に疎い私でも、あの曲のダサさはわかる。この計算し尽くされた作品のラストがなぜあの曲だったのか、あのダサさにどんな意味があるのか、そればっかり考えてしまって肝心の作品自体の印象が遠のいてしまうのは、あまりにも残念。 [インターネット(字幕)] 7点(2021-02-07 10:34:04) |
110. 愚行録
《ネタバレ》 『蜜蜂と遠雷』の石川慶監督作品ということで鑑賞。まったく質の違う物語なのに、映像や音響で作られる空間はよく似ていて、しかもどっちもそれぞれの物語にぴったり合っている。特筆すべきは演技面。冒頭のバスのシーンから終始「死んだ目」の妻夫木聡、満島ひかりの狂気をはらんだ表情、そして登場人物たち1人1人のちっぽけな悪意と自尊心。役者陣の演出がどれも素晴らしく、必ずしも演技力で売ってるキャストばかりでないのに、みんな演技派に見えてしまう。原作どおりとはいえ、ステレオタイプな登場人物たちの言動にはうんざりするものの、いずれも他人から見た「回想」ということで、実はステレオタイプなのは1人1人の人間ではなく、私たちの人を見る目なのだ、というふうにも読めて、原作の難点を逆に活かしているのも感心でした。まあ、あんなに覇気がない事件記者なんているか?とか、兄は大手出版社で働き、妹は一流私大に進学と、それまでの境遇を考えると兄妹のポテンシャルの高さに驚くなど、いろいろ違和感はありますが、最初と最後のバスのシーンだけでも、この監督ただ者ではないということで、その力量にこれからも期待です。 [インターネット(邦画)] 7点(2021-01-29 14:10:03) |
111. JSA
《ネタバレ》 そういえば、まだ見てなかった韓国映画の話題作。俳優陣はソン・ガンホにイ・ビョンホン、そして美しすぎるイ・ヨンエ。テーマは南北分断。ということで、アクション、エンタメの王道娯楽大作を期待して見始めてみたら、思ってたのと少し違う。淡々と、なんなら少しオフビート感ある、つかみ所のないキャラクターたち。そういえば、監督は今や巨匠のパク・チャヌク、一筋縄ではいかないらしい。でも物語が見えてくると、等身大を絵に描いたような4人の兵士みんなが好きになってしまう。南北対峙する国境地帯という政治的にも微妙なテーマを、ユーモアとサスペンスまぜこぜに包みこみ、そしてラスト30分では突然の緊張感MAXからの一大悲劇。この、全部盛りなのに見事な切り替えで1本の映画にしてしまう力業こそ、韓国映画の魅力でしょう。美しすぎるイ・ヨンエも南北分断後のもう一つの戦後史を背負うキャラということで、物語的な着地点はあったものの、やっぱり全体としては浮いてしまっていたのは残念。それだけ4人のアンサンブルが見事だったということかもしれない。そして、何よりも見事過ぎるラストのショット。うまい。恐れ入りました。 [インターネット(字幕)] 8点(2021-01-20 16:38:26) |
112. ファントム・スレッド
《ネタバレ》 あの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に続くPTA監督とダニエル・デイ=ルイスのタッグ、期待しないわけがない。序盤、初老の職人の美しい所作と厳格さ。そこに突如現れるウェイトレス。微妙に美人すぎないのがリアル。でも、服飾職人には彼女の立ち姿に「何か」を見たのだろう。そういう「何か」を描くのはPTA監督の18番。とくに職人の仕事の「完璧さ」を損なう客に対する行動によって、二人が心から「結ばれる」のは、まさに職人世界にある独特な価値観を見事に具現化している。ここまでは、過去最高傑作かも・・とワクワクしながら見てた。しかし、職人とモデルの関係は徐々にねじれていく。ここまでいつの間にかどちらが優位にあるのかわからなくなり、これまであり得なかった災厄を職人の「仕事」に持ち込む。完璧だった仕事が損なわれ、職人から生気が消えていく。PTA監督、これはいったい何を描いているのだろう。ファムファタルものなのかとも思うけれど、ラストの「穏やかさ」には完璧な世界からの解放さえも見える。自身が完璧主義者であり天才肌のPTA監督が描く、天才職人の完璧な世界の彼岸・・・とでもいうわけなのか。ただ、それがもう1人の天才ダニエル・デイ=ルイスの完璧な俳優人生を締めくくる映画なのだとしたら、その解放をもたらしたのが「毒キノコスープ」なのかと思うと、何だか居心地が悪い。 [インターネット(字幕)] 6点(2020-12-07 21:58:54) |
113. アメリカン・アニマルズ
《ネタバレ》 こんなはずじゃなかった感じの大学生活。自分には何かが足りない。そこでハッと出会ってしまった美しい本。その強奪を企てることでだんだん生き生きし始める。ニューヨークに行ったときの解放感と「今を生きてる」感のある表情。でも計画は? なんと古今の犯罪映画から学ぶ。このあたりから何かがおかしい。なぜお前?という仲間が加わり、少しずつ不協和音が見え始め、徐々にことの重大さに気づきはじめる。彼らに一線を越えさせたのは何だろう。その答えは、彼らがあまりにも普通だったからかもしれない。普通じゃないことを求めてしまうことの普通さ。その普通さに真っ直ぐすぎたことで、何度も引き返すチャンスがあるのにそれを逃してしまう。そこには、アメリカン・ニューシネマのようなアウトロー的格好良さも、オーシャンズ的な華麗さも微塵もないけれど、普通の人たちの犯罪物語という意味ではどんな過去の映画よりも「リアル」味があり、そして切ない。あの強奪のシーンの頃には「おバカコメディ」とは言えないくらい感情移入してしまい、一緒に胃に穴が空きそうな時間を過ごし、そしてFBIの突入に少し安堵する。終始登場する「本人」たちも効果的。食い違う証言、みんな少しだけ自分を偽り、事実を虚飾している。それも含めて「普通の人々」の<真実>の姿を厳しくも、でもどこか暖かく包み込む。いやあ、いい映画を見た。 [インターネット(字幕)] 8点(2020-12-07 21:39:14) |
114. リチャード・ジュエル
《ネタバレ》 いやー、イーストウッドは本当に意地悪な作家だ。主人公リチャード・ジュエルは、法執行者(law enforcer)であることに妙にこだわる一市民。爆弾テロ事件の英雄から一転、容疑者となって、その嫌疑を晴らすまで。ポール・ウォルター・ハウザーの外見含めて見事な演技で、墓穴を掘りまくる彼にイライラしながらも、とくに母親や弁護士の視線に同一化することで、国家権力やメディアという権力に憤りながら見るだろう。でも、いま(2020年の)アメリカで「法執行者」が持っている意味は、単なる「秩序の番人」以上の意味を持つ。なにしろ、法執行者による差別が社会問題化(警察の黒人への暴力、移民取締り官の過剰な取締り、などなど)している時代だ(5月のBLM運動以前から、これは大問題だった)。たぶん、リチャード・ジュエルが今生きていれば、彼は間違いなくトランプ支持者だろう。母親もたぶんそうだろう。そういう法執行や秩序への拘りは、ときに異質な人たちへの疑念を招き、そこに現れる暴力を正当化させる。そして、本作でもたしかに、爆弾事件の前夜のシークエンスで、ジュエルその人がたまたまバックパックを持ち込んだ男性を「怪しい」と思い込み、後を付けている。つまり、人を「疑う」ことはジュエルの仕事の一つなのだ。その彼が、今度は、彼の外見や性格や行動ゆえに、あらぬ疑念をかけられ苦悩する。だからこそ、それを乗り越えるラストは感動的なのであり、疑われても尊厳を示すことの美しさを見事に描いている。シンプルな「小さな英雄」物語のなかに、このような複雑に入り組んだ構造を押し込んでくるイーストウッドの意地悪さ。共和党支持者でありながら、いまの共和党政治をどこか突き放して見ているイーストウッドらしい、党派に絡め取られない「人間性」を描いた傑作・・・と言いたかったのだけれど、やはり私もあの女性記者の扱いは酷いと思う。今時めずらしい類型的過ぎる彼女の描き方、体を張った取材から陳腐な改心まで、どこまでも軽い。そこにはジュエルを通して描いた複雑さが全く見えない。それは、多分にイーストウッドの平板すぎる女性観ゆえだろう(そして、彼自身そのことを問題だと思っていない)。オリヴィア・ワイルドやジョン・ハムの好演でなんとなかっているものの、ジュエルたちと同様にFBIにもメディアにもあるはずの職業倫理やロジックが全く見えてこない。そこが過度に単純化されてしまったことが、本当に惜しい。 [インターネット(字幕)] 6点(2020-11-24 23:17:56) |
115. ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語
《ネタバレ》 ずっと見たかった本作。やっぱり映画館で観るんだった・・・・。ウィノナ・ライダー版の『若草物語』は見ていたけど、覚えていたのは三女が病死することくらい。冒頭から時制が行ったり来たりする構成は、原作の設定やストーリーがあらかじめ頭に入ってる欧米の観客向けだな、などと序盤は見ていたけれど、登場人物の見た目よりも場面の空気感や人物が帯びる雰囲気で時制が伝わる演出になっていて、そのあたりのレベルの高さに素直に感心する。シアーシャ・ローナンのジョーは期待どおり。個人的には、こじらせまくってた『レディ・バード』のほうが好きなキャラだったけど、そのストレートさが時代と各所で衝突して自分を模索する姿がドラマの推進力になって、ぐいぐい引き込まれる。うれしい驚きだったのは、エイミー役のフローレンス・ピュー。ジョーよりも「古典」っぽくない外見(一番下の妹なのに明らかに貫禄ありすぎな雰囲気とか・・失礼)で最初は違和感だったのだけれど、末っ子らしい葛藤と達観を帯びていく過程を見事に演じきった。シャラメは、いかにもシャラメな前半よりも、エイミーと結婚した終盤のオーラの消し方が見事だった。あんなに輝いていたのにフツーの男になってしまい、でもそのフツーになれることの「凄み」を見せてくれる。この映画、突っ走るジョーに最大限共感しながらも、姉妹たちの選択もきちんとリスペクトを感じるのがすばらしい。だから、個人的には、やっぱりこの邦題は間違い。まるでジョー「だけ」のライフに見えてしまうけど、やっぱりこれは群像劇であり、だからこそジョーの選択が際立ち、ラストの本が完成するプロセスが感動的になるのに。その意味で、このメインタイトルはもちろん「わたしの」を付けてしまった副題も、あきらかにジョーに憑依しながらも「原題Little Women」をちゃんとリスペクトしたグレタ・ガーウィグの想いを踏みにじる暴挙だと思う。ついでに、オスカーの脚色賞もこれがとるべきだった。MeTooとか関係なく、原作に敬意を払いながら現代的な物語へと「アダプト」した、これぞ「脚色」というべき傑作だと思う。 [ブルーレイ(字幕)] 8点(2020-10-18 08:27:07)(良:1票) |
116. ビリーブ 未来への大逆転
《ネタバレ》 つい先日亡くなったアメリカの最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)の半生を描いた伝記映画。ただ、日本版ポスターにはRBGの名前すら出ておらず、残念すぎる邦題のおかげでそもそもRBGの伝記だと知らないままスルーしている方も多いと思う。冒頭、男子学生の群れのなかに1人立つ若きRGBの姿、その後の彼女の歩みを象徴する、すばらしい導入で期待値も上がったのだけれど、その後の映画の展開はとても平板な伝記法廷ものに。ところどころよいシーンもあるのですが、フェリシティ・ジョーンズがその後のカリスマの若き日々にうまくはまらない。個人的に好きな法廷ものなので退屈はしませんでしたが、彼女の最後の弁論が、どのように判事たちの考えを正し、全員一致の勝利を勝ち取るような論理を持っていたのかがうまく伝わらない。彼女と度々衝突するACLUのメルとの関係も結局は整理不足で、チームのケミストリーというか相乗効果みたいなものを感じることもできず、カタルシス不足。この作品で描かれるのは男女平等をめぐる「世紀の判決」だったわけで、もっとうまくドラマにできたはずなのに・・・というのが正直な感想でした。あと、本作にとって気の毒だったのは、少し前に公開されたドキュメンタリー映画『RBG:最強の85歳』に登場するRBG本人と夫のマーティンさんが素晴らし過ぎたこと。それと比べると本作の夫妻の姿はやっぱり物足りなかった。RBG本人はもちろん、夫のマーティンさんも、戦前生まれとは思えない柔らかさとユーモアと知性を持った好人物でした。結局は、「事実にもとづいた物語」よりも「事実」のほうが面白い、ということを実感してしまいました。ただ、本作の「創作」らしい娘との関係、とくに裁判を決意するエピソードはよかったです。この映画でRBGを知った方にはぜひドキュメンタリーのほうも見て欲しいです。 [ブルーレイ(字幕)] 5点(2020-10-06 14:21:31) |
117. ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密
《ネタバレ》 『スターウォーズ』シリーズをぶっ壊したライアン・ジョンソン監督の新作はオールスターキャストの名探偵推理もの! 冒頭こそいかにも伝統的な探偵対怪しい容疑者たちのやりとりで始まりますが、さすが一筋縄ではいかない。中盤からはその構造をひっくり返して、なんと犯人と探偵がタッグを組む展開、そして終盤さらにもう一度その構造をひっくり返して探偵が怪しい人たちの前で種明かし、という構成。終わってしまえば、たいしたことないストーリーなのですが「なるほどそうきたか」の連続は素直に楽しめました。移民問題をさりなげく絡めてくる感じもグッド。ただ、ジョンソン監督らしい弱点もちらほら。全体的にテンポが悪く、あちこちに行ったり来たりの冗長な感じが否めない。クリス・エヴァンズはがんばっているのだけれど最後の一線で悪そうに見えない。せっかく揃えた芸達者たちが早い段階で単なる背景になってしまうのも物語の構造上仕方がないのだけれど、もったいないと思ってしまう。 [インターネット(字幕)] 6点(2020-08-30 16:13:22) |
118. 黒い司法 0%からの奇跡
《ネタバレ》 アメリカで本当にあった黒人死刑囚の冤罪を明らかにした弁護士が主人公。日本公開がコロナ危機と被って興行的には苦しんだと思うけど、黒人が経験する構造的な差別を描くという意味で時宜にも適った佳作でした。描き方は主人公であり原作者のブライアン・スティーブンソンの生真面目さを反映したような真面目な正統派。演出的にも脚本上もひねった表現はあまり見られず、アメリカの人種主義とそれと闘う人々の姿をまっすぐに描く。その愚直さは現代劇としてはやや工夫不足な気もするけれど、黒人の命がいかに軽んじられてきたのかが問いなおされている現在には、その真っ直ぐさこそが希望に見えるから不思議だ。それから本作の出色のシーンは、実は本筋にあたるジョニー・D事件裁判の法廷劇ではなく、ジョニー・Dの仲間の死刑囚の死刑執行シーン。いまや世界中で見直しが進む死刑(それも準公開型の電気椅子方式であることに驚く)の執行の様を丁寧に描き、そこに見える死刑制度の暴力と人間の尊厳が交差するシーンは本当にすばらしかった。本筋のほうが、あまり意外性がなく、予定調和にも見える演出・内容だったなか、このシーンはすさまじく重い澱のようなものを心に残してくれた。マイケル・B・ジョーダン、ジェイミー・フォックス、ブリー・ラーソンの主要キャストはいつもながらに素晴らしい演技だったけど、強烈な印象を残すティム・ブレイク・ネルソンの怪演も印象的。アメリカの黒人問題に関心を持った方には素直におすすめしたい良作です。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2020-08-24 16:08:57) |
119. インセプション
《ネタバレ》 ノーラン映画は基本的に見るようにしてるのですが、なぜか未見のままだった本作。やっと見れました。ノーラン映画オールスター+ディカプリオな豪華キャスト、とくに渡辺謙がちゃんと全編登場する主要キャラで出てきたことにもちょい驚く(ビギンズ程度の日本市場向け顔見せだと思ってた)。映画のほうは予想通り、序盤は何がどうなのかもわからず当惑、でもチーム戦になった後半は楽しめました。チームの個性的な面々、とくにトム・ハーディ、ジョセフ・ゴードン・レヴィット、そしてエレン・ペイジがそれぞれ颯爽と演じていて、入れ込み過ぎなディカプリオをうまく中和してくれました。『インターステラ—』にも引き継がれる時空間の相対性を活かしたプロットが効果的で、そこに防衛的な潜在意識との戦いとか、へんに擬人化された「夢=意識の世界」が面白い。最初戸惑ったけど、夢世界のルールは思ったよりシンプルで後半の4重世界を舞台にしたサスペンスと、ラストに一気にたたみこむカタルシスは見事でした。ただ、難点は、やはりノーランらしいアクション演出の乏しさ。基本的にサスペンス部分を謎解きよりもアクションで引っ張る構成なのに、アクション自体の魅力が弱い。ぐるぐる回転するホテル内の格闘も映像的なインパクト以外の工夫に乏しく、あまりワクワクしない。その点での演出をもうひとがんばりしてほしかった。 [インターネット(字幕)] 7点(2020-08-22 17:08:09) |
120. マスカレード・ホテル
《ネタバレ》 「お仕事もの」的な定番をちりばめた前半はそこそこ楽しかったものの、全体のテンポがすこぶる悪い。それはたぶん登場人物や物語を見せることよりも、それを演じている俳優を見せるためにこの映画が動いているからだと思う。この映画にとって大事なのはミステリーよりもお仕事ドラマよりも、芸能界というギョーカイを物語の背景において「ありがたみ」を押しつけることにある。このフジテレビらしいポリシーは、最後の犯人の顔を明らかになったときに全開になる。この映画の制作者は、犯人の背景にあるどんなドラマにも関心はなく、ただその顔を見せることで「どうです?すごいでしょ?ありがたいでしょ?」と押しつけてくる。ああ不快。そして最後のクレジットでの「明石家さんま(友情出演)」の文字。カメオは大スターなのに名前も出さずに出演することに意味があるんだよ。『フォースの覚醒』のクレジットの最後に「ダニエル・クレイグ」なんて不要だ。そして、長澤まさみにドレスを着せるという目的で撮ったとしか思えない最後の舞踏会のシーン・・からのダラダラ。それなりに真面目に役作りをして主役コンビを演じたキムタクと長澤まさみは本当に気の毒。この制作陣の志の低さ。いつまでこんなことを続けるつもりなのか。 [インターネット(邦画)] 3点(2020-07-26 22:49:23)(良:2票) |