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1201.  タワーリング・インフェルノ
『ポセイドン・アドベンチャー』が、出口という「上がり」へ向けた「すごろく」みたいな展開だったのに対して、こっちは「パーティー会場から動けない」という状況で見せる。最初は遠く離れた火だったのが、徐々に迫ってくる怖さ。その遠さが「大きくなり過ぎた建築物」を印象づける。恐竜は尻尾の先の痛みを脳が感じるまで1秒以上もかかる、とかいう話を思い出した。エレベーターから火だるまの人がころがり出てきて安全の結界が破られ、ガラスが割られ外の風がじかに吹き込んでくる。着飾ったドレスが汚れてくる。くつろぎのパーティー会場にどんどん外部が入り込んでくる。映画の基本が見世物だとしたら、観客が一番喜ぶのは火事場の野次馬になってもらうことだ、と製作者に見抜かれてしまっているのは悔しいが、たしかにそうなんだ。ワクワクして野次馬になりきってしまう。『ポセイドン』では観客はある程度登場人物と一体化して観ていたが、こちらは少し離れて野次馬の立場から、街の名士たちのオタオタぶりを眺めている。でもこのころはあんまり高層ビルもなかったが、今では林立していて、観客のほうも当事者になり得る可能性が高まっている。非常階段にコンクリの残滓がヒョイと捨ててあるなんて、似たようなことアリソーだし(最近の日本でも飛行場の工事で産廃が滑走路の下に埋められてたってのがあった。非常階段が倉庫がわりになってた、ってのは歌舞伎町の火事だったっけ?)、手抜き工事の話は枚挙にいとまがない。そうそう安全な野次馬の立場ばかりでもいられなくなっているのだ。この映画の忠告は、現在いっそう切実になっている。下からインフェルノの劫火と天からの大洪水、あちらの人にとってはキリスト教的な構図でもあるんだろうな。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-11-26 10:08:07)(良:1票)
1202.  沙耶のいる透視図 《ネタバレ》 
あの土屋君てのは、良くないんじゃないか。あれはもっと普通の人っぽいのを据えといたほうが効いてくるんじゃないか。名高君もあまり適役とは言えない。「ビョーキ」と「健全」で、きれいに分かれちゃってる。最初っから病気っぽい病気なんて、あんまり興味湧かない。ものを食べてるところを他人に見られると吐いちゃう、なんてとこは具体的でいいんだけど、その彼女が軽い分裂病だったなんてことになっちゃうと、急に話が狭くなる。夕方、加賀まりこの母親がドロッと融けたようになってるシーンなんかは、ちと良かった。ラストの屋上シーンの土屋君も、しゃべらずにただドロドロッととろけてるようなとこは良かったんだけど。落下シーンは、ギャグにならないかと心配したが、スローモーションでけっこうちゃんとなってたな。でも繰り返さないでも良かった。病んでるなあとは思うけど、だからどうなんだと言い返したくなる映画。沙耶嬢は激さないところはいい。
[映画館(邦画)] 5点(2010-11-25 10:06:28)
1203.  豚が飛ぶとき
一応アメリカ映画なんだけど、ドイツで撮っている。カメラはロビー・ミューラー。くすんだ色調、とりわけ幽霊のいるシーンでのがいい。夕方の散歩、長回しの移動、ぼんやりと幽霊たちがたたずむ、二重写しという初歩の技術の美しさ。サイレントを観るようなアンティークな哀感。主人公の夢と犬の夢で始まるあたりも、サイレント的だったし。椅子の引越しシーン、窓の外を運ばれる椅子に少女が横向きにつかまっている図。話の根本は典型的な「現実復帰もの」。幽霊の助力で、過去から現在へ。失われたもの・過去のものを描くときに気合いが入る、ってこの頃の映画の傾向だった。幽霊ってのは「失われたものが、でも何らかの形で存在していてほしい」って願いが生むものなんだな。この幽霊、復讐したいとか呪いたいとか、そういう感じじゃないの。娘を心配してる「想い」が主。それが哀感につながっている。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-24 10:15:25)
1204.  幕末
時代劇と歴史劇のあいだで困っているような映画。史実にのっとって吉永小百合は「眉そり・お歯黒」で出てくるが、やっぱり現代人にはヘン。明治の観客というのが存在すれば、「なかなか正しくやっておる」と満足するかも知れないが、時代考証というものの精度は適当にだんだん崩していってもらわないと、時代劇になり切れない。いっそ『バリー・リンドン』みたいに歴史に徹底してみれば、その「ヘン」が味わいにもなるんだろうが、暗殺のところは時代劇的にくどく、瓦を這いのぼったり、手のアップがあってズルズルと滑ったりと、歴史劇とは言えない雰囲気。竜馬って史実では即死だったんだろ? 酔ってヌルヌルと斬る感じとか、左手だけでのチャンバラとか、全体、見せ場は「時代劇」している。明治の歌舞伎でも同じような問題はあって、江戸時代の芝居は荒唐無稽すぎたということで、史実にのっとった「活歴もの」ってのがさかんに作られたが、その多くは消え去り、現在は「荒唐無稽」なものが残っている。映画も同じ悩みを経て、しかし「マゲもの」というジャンルそのものを衰退させてしまった。賀津雄君のまんじゅう屋の悲憤なんてのは良かったな。やっぱこの兄弟は陽と陰の対象を見せてほしい。後期の錦ちゃん、力んで暗くなっちゃうんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2010-11-23 09:54:15)
1205.  ナイルの宝石
こういうジャンルって日本には生まれないな。お笑い活劇。日本だと、笑いを重点的にすると活劇がお粗末になり、活劇っていうとみんなマジメ。これ目新しいギャグはほとんどないんだけど、でも楽しかった。時間の長さもちょうどいい。飛ばないジェット機がごとごと走ってるってのはかなりおかしい。この時代アメリカの公的な悪役はカダフィ大佐だったころで、ヒトラーに見立てて、ちゃんとアメリカの言い分も織り込んである。というか、こういう娯楽作品のためにいつも「公的な悪役」を用意しておく国柄なのか。キャスリン・ターナーって、はっきり三の線の人で、こういう人材も日本にはないな。そもそもここらへんのおばさんが主役になることが、二にしろ三にしろまずない。若くなくなると、もう母親役の脇が振られるだけ。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-22 10:09:57)
1206.  隣りの八重ちゃん 《ネタバレ》 
「気さくな近所付き合い」を理想化したような描写は、今でもテレビドラマで見られるが、そこに漂う「生あたたかい不潔な感じ」は本作にはない。映画の前半は、ほとんど「気さくな近所付き合い」の描写だけで進行し、それがとってもいいの。ガラス割っても、お隣で昼飯食べても、そこにはごく「ふだん」の時間が清澄に流れていて、それを丁寧に綴っていく。こういうのがドラマとして成り立つ、ってどうして分かったんだろう。「靴下をはかせろ」ってとこで、子どものようにはしゃいでいた八重ちゃんに「乙女心」が、さらに「女」がハッと現われてしまうあたり、たまらない。会社や大学はいっさい出てこない。家の中に入ってくる外部は、女学生友だち、これがデビューの初々しい高杉早苗だけで(やがて市川猿之助の母となり、つまり香川照之の祖母となる!)、この世界を動揺させる力は持っていない。後半になると岡田嘉子の姉が異質な外部を持ち込んでくる。芝居の質も、彼女だけ新派を演じているようでかなり浮いているが、それだけ外部性は強まった。ここでは「不潔」は、この外部の彼女が一手に引き受け、二軒の「清潔」をさらに強める。その姉はおそらくカフェの女給になって満州にでも流れていくのではないか。彼女の一家は朝鮮に転勤になる。敗戦時には「外部」に剥き出しで呑み込まれ、苦労するであろう未来を予告するようにラストには雷鳴が轟く。しかしこの時にそれが分かるわけがなく、あの雷鳴を入れたのは何の作用なんだろう。単にトーキーになった嬉しさで、夏の風物詩として入れただけなのか。あるいは二人の恋の火花がこれから散るだろうという明るいイメージなのか。もしかして映画には予知夢の能力があるのかも知れない、と不気味に思った。
[映画館(邦画)] 8点(2010-11-21 09:50:02)
1207.  イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
狭い奥まったとこへ行く感じはちょっとよかった。でも結局この監督で問題になるのは「偏見」でして、難しいところですな。『ディア・ハンター』は偏見と無関係な傑作だと思ったし、微妙なところをあえて扱う姿勢は支持したいと思うんですが、でも結果として本作、西洋人が東洋人に抱く薄気味の悪さにそのまま乗っかって、そのまま終わっちゃった映画になってしまった気がする。苦労を重ねた中国移民のエピソードは、本筋に組み込まれてなく、ただの傍注という感じどまり。妻とのゴタゴタやヒロインとの情事などの脇筋もつまんなかった。ジョン・ローンを軸にしたほうがもっと面白かったんではないか、と思うが、主人公を東洋系には出来ないところがハリウッド娯楽映画の限界か。話の終わりへの持って行き方はかなり雑。ミッキー・ロークがディスコの中やなんかを延々と追いかけていくあたりが、一番密度高かった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-20 10:11:50)
1208.  トリコロール/青の愛 《ネタバレ》 
映像や音響の格調の高さと、ストーリーの俗っぽさをどう捉えるかだ。死さえ望んだ未亡人が、生きようと回復するまで。子を失った悲しみから、愛人の子を祝福するまで。これとヨーロッパ統合との兼ね合いが、もひとつ見えてこない。「青」は「自由」なんだけど、孤独という自由の話と見ていいのか。音楽が唐突にやってくる効果。音楽だけでなく、ドアを叩く音とか、音一般が計算されているよう。そのことが作品にどういう効果を与えているのかまでは分からない。母親が見ているテレビはいつも危ないものばかり。宙吊りとか綱渡りとか。まさかこれがヨーロッパ統合を暗示してる、ってんじゃないと思うが。そういった個々の部分は気になるものばかりなのに、それの作品への効果が分からない。その統合されなさが、ヨーロッパの未来だ、ってんじゃないでしょうね。ほとんどヒロインのみを追っていくドラマ。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-19 10:02:42)
1209.  キリング・ゾーイ 《ネタバレ》 
殺伐としてますなあ。実人生ではもちろん、あんまり映画でも会いたくないタイプの人間てのはいるもんで、でもたしかにこういう連中は世の中にいるなあ、とは思う。退屈すらしていない連中、怒ってもいない。世間との共通の土俵をまったく見出せない連中。たとえば深作の『仁義の墓場』なんかもそれに近かったが、あそこにはニヒリズムがあった。それすらない。だからダチ公的な友愛が描かれるわけでもない。このとにかく否定文でしか表わせない人種を描くことには成功している。でももちろん観ててスッキリとは全然しないわけで。銀行の外の警察を描かないのは、演出意図か、予算の都合か。人質が殺される、ってのは、この映画に限らず、どうも観ててすごく嫌になる。範囲は狭くとも、絶対的権力を握った者による権力の行使だからだろうか。
[映画館(字幕)] 5点(2010-11-18 10:17:11)
1210.  時計 Adiue I 'Hiver
こういう長い記録をドラマに織り込むって試みは、きっと多くの人が思いついても実際は面倒でやれなかったものだから、そのことだけでも褒めていいと思う。ただその5年間の少女の成長の記録をあまり生かせてなかった。お話が決まっていなくちゃ、そう無駄にも撮れないから、まあ通うとことか練習するとことか何にでも使えるカットになってしまう(現在なら廉価でハイビジョンビデオ使えて、いろいろな想定されるシーンをたっぷり撮っておけただろう)。だから本当にドラマが動き出すのは、現在に至った後半になってしまう。最初にかっちりシナリオを作って配役を拘束し5年撮影し続けるってのは大変だろうし、それではその5年の間に新たに発見するものを映画に加えていけない。そこらへんうまく働けば、映画ならではの記録性とドラマ性が融合した作品が生まれただろう。こういう試みがテレビ畑の人から出てきた、ってのが皮肉。刹那的なものを追っていたようなテレビのほうが、記録性ということに敏感になっていたのか。
[映画館(邦画)] 6点(2010-11-17 09:57:23)
1211.  サラバンド 《ネタバレ》 
まるで脚本家の理想として、シナリオだけを提示したかったような・骨だけが存在しているような映画。演劇に去った監督が、最終的にこういう顔とセリフの映画を撮りたかったというのは興味深い(もうひとり、監督と演劇人を経験した天才にヴィスコンティがいるが、その二人が同じハ短調のサラバンドを映画に使ったわけだ。あちらは『地獄に堕ちた勇者ども』で、ヘルムート・バーガー登場への前奏曲のような皮肉な使われかたをした。ああそうだ、あれにはベルイマンの常連イングリッド・チューリンが出てた。ついでに言うとあまり映画音楽として使われないブルックナーの交響曲を、あちらは『夏の嵐』で7番、こちらはこの映画で9番を流した。絢爛志向と枯淡志向、対照的な世界を撮った二人だが、けっこう共通した趣味が見出せる)。本作で展開している「互いに批評しあう人間世界の業」から逃れられているのは、もう顔だけの存在になった死せるアンナと、狂の人となった娘だけで、アンナは最後まで超越者の地位に置かれるが、狂った娘とはもしかしたら心がまだ通じあえるかも知れないというラストに至る。チェリスト娘は、他人に批評されない楽団員の未来を選び、父の元を去る。批評の心は、ときに侮蔑に振れ、それは裏返されて不安に形を変える。そういう「相互批評」の地獄として人の世を見た監督だった。遺作ということでだろうか、観ながらいくつかの過去の作品が浮かんでは消えていった。「厳しい音楽教育」は『秋のソナタ』だし、「狂う娘」は『鏡の中にある如く』だし、「老い」としての『野いちご』があるし、ラストの不安を静めるベッドは、『叫びとささやき』の、メイドとハリエッタ・アンデルソンのあの美しいカットを思い出させた。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-11-16 09:50:47)
1212.  ニードフル・シングス 《ネタバレ》 
中世的な悪魔観を、現代に持ってきて押し通す、というのも趣向ではある。現代の怖さは、よそ者を悪魔に仕立て上げていくメカニズムのほうだと思うが、そういう昔の趣向で作られる話もあってはいいと思う。でもあえて古風な「よそ者=悪魔」観を持ってきた成果は感じられなかった。町の仲間たちの中の悪は「よそ者」によって操られていたということにして町の純潔は保たれ、やはり「よそ者」であったエド・ハリスは町の人間と結婚することで受け入れてもらえる。これならまだ中世の物語として作ってくれたほうが後味はいい。そもそもなんでそんな大物の悪魔がこんな小さな町に来たのだろう。まあ、大物の怪獣が小さな島国にやたらやってくる例もあるからな。
[映画館(字幕)] 5点(2010-11-15 09:33:26)
1213.  ギルバート・グレイプ 《ネタバレ》 
よくできたスモールタウンもの、と思って観ていたが、ラストがいいので、ワンランクアップする。ずっと水のモチーフで展開していたのが(給水塔はおいといても、プール、キャンピングカー横の池、風呂場、ともっぱら凶々しいイメージ)、ラストに至って火を迎える。監督の母国の神秘主義にも通じていくような象徴性が感じられ、カメラも『処女の泉』や『サクリファイス』のスヴェン・ニクヴィストで、水と火の対比はお手のもの。また屋外に出される家具、ってのがなぜか映画では興奮させられるのだ。家と一体になっていた母を弔う方法。最初はただ恥ずかしいという受動的な思いだったのが(近所の子どもを窓から覗かせてさえいた)、彼女を笑いものにさせないという能動的な決断に至るわけ。アメリカの青春ものではあるけれど、どこかちゃんと高緯度の風が吹いている。
[映画館(字幕)] 8点(2010-11-14 10:20:29)(良:1票)
1214.  グリード(1924)
単なる金の亡者ってんじゃないの。倹約狂とでもいうか、腐りかけた肉を買って釣銭をもうけるあたりの壮絶さ。しかもきっかけが宝くじを当てた、ってのが面白い。ちょっと視点がずれれば落語の「芝浜」ふうの美談にもなるところが、あちらだと「悪」とか「妄執」とかいったもののエネルギーを発見していってしまう。醜いものそのものが、もう社会批判の材料といった役割を越えて、作品の動機になってる。性悪説というのとも違うんだろう。コッテリした肉食民族だなあ、としみじみ思う。旧約聖書といまだに通じている。それでいて情熱を描きながら、なんとなく冷ややか。海岸にたたずむ人々の荘重な構図。あるいは殺しの場、クリスマスツリーが両脇にあって、真ん中のドアを押して奥へ行き、左から斜めの光が二三本はいってて、惨劇の装置としてこの上ない。市井の事件が、まるで神々の物語のように昇華されていく。そしてラスト、地平線も定かでないように、世界全体が白く光っている。箱庭的な日本文化と一番遠い世界だろう。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-13 09:57:20)
1215.  永遠の愛に生きて
ルイス氏は、おそらく相手の生命が限られていることを知って、それで初めて安心して愛せたのではないか。彼女が死ぬ予定なので、未知の社会の部分としての他者ではなく、彼の閉じた世界に組み込まれる存在になれた。彼女との愛は、彼にとってたしかに彼の世界を膨らませはしたけれど、閉じていることに変わりはない。そこらへんにもっと焦点を当てて展開してくれると、「愛」についての面白い切り口になったと思われるが、終わってみるとただの純愛賛歌ものになってしまっていた。でもいかにも英国的。A・ホプキンスはつまり『日の名残り』と同じような役をやったことになる。閉じた世界の王様。田舎のホテルでのソワソワするところなどいい。兄弟で暮らしてるってのも、すごく英国的な感じ。ああそうか、この閉じてる感じが、英国っぽいのか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-12 10:35:26)
1216.  マダムと女房
本格的トーキーというものを、歌ではなく「騒音」で勝負したところが、ユニーク。ま「本格的でない」トーキーではすでに歌を聞かせていたが(たとえば溝口の『ふるさと』)、そうじゃなくて、あくまでドラマなんだ・我々が作っているのは歌の添え物じゃないんだ、という映画人の意地が感じられる。ネズミを追うために猫の鳴きまねをした後、本当の猫が鳴き出したときの渡辺篤の、俺じゃないんだよ、という田中絹代向けの表情などよかった。田中絹代と伊達里子が、対比されていたんだな、この時代。モダンまるだしの伊達マダムに対して、どこか古風で田舎っぽい田中女房。でも落ち着いた小市民の主婦、というところ。『伊豆の踊子』(同じく五所監督)より前だし、若いんだけどね。ラストはほのぼのと「マイブルーヘブン」、やっぱり音楽で締める。この時代の住宅地の風景は、なぜかとても懐かしい。
[映画館(邦画)] 6点(2010-11-11 09:59:39)
1217.  飾窓の女 《ネタバレ》 
もう不安がいっぱい。唐突な殺人から雨あがりの街へ。死体を運び出そうとすると帰ってくる住人、公園の入り口の料金所、ザザッと降ってくる木の露、信号がストップになって笑いかけてくる警官。しかしホントに怖くなるのは死体が発見されてからで、友人から捜査の進展が逐一報告されてくるの。女を突き止めたそうだと言われたとこで話が中断されたりするジラシ。ラジオのニュースの前に胃薬のCMが入るジラシ。こうやってジラすのがうまい。つい喋りすぎてしまう、というパターンは少し使いすぎたか。現場検証の場が一つのヤマ。「何の缶詰でした?」。尾行がついていたはずだ、とまず会話でユスリ屋を登場させるのもいい。このユスリ屋が部屋の中を探し回るのが次のヤマ。やけにきれいだねえ、とテーブルをなでたり、クネクネした動きが実にいやらしい。最も甘美な夢は、実は悪夢である、ということ。
[映画館(字幕)] 8点(2010-11-10 10:08:10)
1218.  ゲッタウェイ(1972) 《ネタバレ》 
ペキンパーでは「男の美学」的なコッテリした作品が尊重され、たしかに『ガルシアの首』など傑作だと思うが、本作のサラッとしたイキのよさも好きだなあ。主人公はけっこう心に鬱屈を抱えているけど、なにせマックィーンだから、立ち居振る舞いはサラッとしている。もっぱら脇筋がコクを担当。追い続けるルディのしつこさはペキンパーの真骨頂だし、それに絡む倦怠期の獣医夫婦は笑いを担当しながらも、主人公二人の対照物として重要な存在。ベッドサイドで縛られている医者の亭主と、女房、ルディの図ってのは、牢屋にいたときのマックィーンと、アリ・マッグロー、ベン・ジョンソンの形と相似で、しかし女の心情が決定的に違うところが対比によってハッキリする。同じ「車の中の不自由」という状況、主人公二人はゴミにまみれてもなぜかベトベトした生ゴミはよけられるのに、獣医夫婦は人間用の車の中にいてさえスペアリブのベトベトまみれになっている。医者は拘束された後にカタストロフを迎えたが、こちらの夫婦はゴミ回収者という拘束から解放され愛の回復を確認する。だいたいアクションもので男女を描いた部分なんてオマケ的要素が強いんだけど、これは夫婦愛の回復が話の本筋になっていて、しかもそのことがアクションの醍醐味を薄れさせていない。またロッカーコソドロのカウボーイハット男、これももっぱら笑い担当なんだけど、鞄の中を見てウキウキするところなんか、チンケな野郎の束の間の夢がいじらしくさえ感じられて、記憶に残る。そしてラストの銃撃戦、銃声と静寂・リアルスピードとスローモーションのカットつなぎの名人芸。大好きな映画です。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-11-09 10:11:37)(良:3票)
1219.  王将(1948)
大阪・浪花の典型ですな。上品なもの(東京的なもの)に対するもう理屈抜きの反感、人間臭さ、八方破れといったものの肯定、「男ドアホ」の世界であります。女房への甘えかかりも、あんな人ひとりで生きていけへんやろ、で釣り合いが取れちゃう。本物の坂田三吉は、それほど野人じゃなかったそうだが、一つの型がもう出来ちゃったもんね、この映画のせいなのか。阪妻はかなりクサいことやってるんだけど、浪花ってことでちゃんと型になっちゃう。これ江戸っ子だったら、ちょっとカナワンナアになるんじゃないか。蒸気機関車が走り抜けていく長屋の人懐っこい雰囲気も、浪花的。ちっとも「移動大好き」じゃないじゃないか、と思ってたら、会場から家へ走って帰るところでカメラが走った。三島雅夫と夜、縁台で昼の試合をやり直しているシーンなんか、いい。私のこれのノートの最後に、「ライオツ歯磨」とだけ書き込んであるんだけど、こりゃいったい何だったんだろう。
[映画館(邦画)] 7点(2010-11-08 09:54:27)
1220.  審判(1963) 《ネタバレ》 
やたら広い空間と狭い通路の対比。空間と言うより空虚ですか。会社のオフィスが圧巻。仕事が終わり、みなが帰っていくシーン。ここは天井が高く、Kの部屋は反対にやたら低い。それに法廷のシーンの人々、あれ上の方まで全部本物だったんだろうな。そしてそれらをつなぐ無数の迷路や階段。子どもたちのざわめきの中を追われるように逃げていく。ま具体的な映像世界ということで仕方ないんだけど、もっと「手応えのなさ」みたいなものが、カフカでは欲しい。「世間」はハッキリと逃走を誘うように迫害してくるのではなく、柔らかく微笑みながら次第に身動きできなくしてくるものなのではないか。ラストをダイナマイトにしたのは、現代では直接ナイフで刺してもくれない原爆の時代だということなのかな。煙がちょっとそんな感じだった。ロミー・シュナイダーが鏡とガラスが交互になっている向こう側を駆け抜ける。ここらへんの顔のアップでのセリフのやりとりは緊迫。全体にあおるカメラ、だから天井がいつも抑圧してくる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-07 10:55:19)
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