1301. 犯された白衣
《ネタバレ》 [2025/3/24改訂] こういうのは何が面白いのかというのが正直な感想である。 この監督の傾向は知らないが、この映画に関しては欲望の解放ということが基本テーマかと思った。性的欲求含みの残虐行為や、神聖なものを汚してやりたいという歪んだ欲望は当時も一部の大衆受けしたかと思われる。ただし個人的には近年のろくでもない流血映画を見慣れてきていることもあり、残虐映像にしてもこれくらいだと奥ゆかしく見えなくもない。かえってリアルでもあるのはさすが芸術だ。 また個々人の私的な事情を絶対化することで、個人を律する社会規範を揺るがしたいとの願望も感じられる。ただしそういう一般論は別として、この主人公の境遇に直接共感できる観客は多くないだろうから訴求力が限定されそうではある。主人公の役名が少年というからには、性的な成熟度が女性5人と明らかに違って見えればもう少し説得力もあったかも知れないがそうでもない。 なお最後に当時の世相を表す音声・映像・新聞が出て来たのはかなり唐突感があった。直接関係なさそうな社会問題まで持ち出して凶悪犯罪を正当化する態度なのかと思ったが、公開時点では実際に学生運動との関係で理解しようとする向きもあったようで、この頃の国民意識としてはそのように思考回路ができていたのかも知れない。時代固有の感覚というのは計り知れない。 ところで役名「少女」に関しても、少年と同年配に見えるくらいが理想だろうがまあ仕方ない。この人物は最初から仏様のような憐憫の目を煩悩男に向けていたのかと思ったが、自分の番になるといきなり天然キャラのおとぼけ戦術に出たようなのは意外だった。最終的にはうまくやったようで幸いだったが、途中段階で縄をほどけと言われて応じなかったのも助かるための適切な判断と思われる。肝が据わった人物らしいので看護師向きか。 なお制作関係者は女性看護師というものによほど恨みでもあるのかと思ったが、それよりもこういうのをいわゆるmisogynyというわけか。そもそも女性看護師が全部天使だと思う一般庶民はほぼいないだろうが、しかし実際に病気になって世話になれば天使に見えることもあるかも知れないので、看護師の皆さんには今後とも使命感をもって職務に励んでいただければと思う。 なお点数は初見時の嫌悪感のままにしておく。 [DVD(邦画)] 1点(2012-05-09 23:14:38) |
1302. メタル・オブ・ウォー
《ネタバレ》 [2024/7/13改訂] 1999年のコソボ紛争関連の映画である。製作国をアルバニアとする情報もあるが、脚本・監督や出演者からみて実質的にコソボ映画と思われる(公開当時は独立宣言していなかった)。場所設定としては首都プリシュティナ周辺が多かったようで、撮影地も主にコソボだろうがアルバニアの首都ティラナの映像も少し見えた。 内容的には映像が古くさく、昭和のTVドラマのように見える。戦争映画といえるものではなく、戦闘場面はあるが茶番にしか見えない。ドラマとしても雑な展開で、特にコソボ解放軍の指揮官(だった男)の登場は都合がよすぎた(7回)。よかった点としては、主人公の表情を映していたときに、後方で待機していたネコがタイミングよく走り出す場面があったのは感心した。 物語の主な要素は次の①~⑤と思われる。コソボ文化省の支援を受けたと冒頭に出るので政府見解からは外れていないと思われる。 ①セルビア軍が民族浄化のためアルバニア人を虐殺し、若い女性を集団的に強姦した。 ②敵の強姦で生まれた子は戦後も社会に受け入れられず疎外される。 ③強姦で生まれた子や戦災孤児を集めて人身売買する犯罪集団ができている。その正体は、戦争犯罪の証拠隠滅が目的とすればセルビア人ということになるだろうが、ただし首謀者がアルバニア人だと言っていたのはどう解釈すべきか不明。 ④コソボ解放軍は英雄的に戦った。戦後は武装を解いたが、③の犯罪集団を壊滅させるため再武装して出動した。 ⑤なぜかアメリカ人の報道記者が出て来て①の実態を世界へ知らせ、③に関しても当局に通報して主人公を助けた。④のコソボ解放軍には好意的だったが、国連警察のやり方には抗議した。 以上により主に表現されていたのは、①セルビアは邪悪、④コソボ解放軍は正義、⑤アメリカは友人だが国連は信用できない、というような感じに見える。特に政府としてはコソボ解放軍を肯定的に扱わなければ済まなかったはずで、この点については終始一貫していたようだった。ただし終盤の意味不明な会話を聞くと、実はもっと深遠なテーマが背景にあって、意味不明な原題もそれを表現していたのかと想像できなくもない。本来は上記②③あたりも重要でなかったのかと思った。 なお宗教関係についてはキリスト教(正教とカトリック?)だけで、イスラム教がほとんど出ないのはなぜか不明だった。アメリカ向けに作ったからか。 登場人物に関して、主人公の結婚相手は川谷拓三か仁科貴に見える(コソボの役者は人材不足か)。またアメリカ人「ローラ」役の演者は1995年のミス・コソボだったようで、劇中この人が変に美人扱いされていたのはそのためかも知れない。主人公はなかなか感じのいい人で、こういう心正しい人がまっとうに生きられる社会であってほしいという思いが感じ取れる気はした。 [DVD(吹替)] 3点(2012-05-09 23:13:03) |
1303. フロントライン 戦略特殊部隊
《ネタバレ》 第二次世界大戦中で、フィンランド史上の「継続戦争」(1941.6-1944.9)の開戦直後の話である。原題は「ルカヤルヴィの道」で、劇中の師団が攻略予定だった村(及び湖)の名前が題名になっているが、ストーリーは師団が駐屯していたレポラの付近で展開しており、ルカヤルヴィそのものは出て来ない。ただし史実ではその後(1941.9.17)実際に師団がルカヤルヴィを占領しており、この映画はそこに至る過程の一エピソードを描いたものということになる。ラストで主人公の分隊は半減以下になってしまい、残った人々も疲れ切った顔をしていたが、まだ戦争は始まったばかりである。 ところで冒頭に「皆、冬戦争(注:1939.11-1940.3)でソ連に奪われた領土を取り返すのだという、強い決意に満ちていた」との説明があったが、前回の戦争で奪われたのは主に南方のカレリア地峡とラドガ湖北岸であり、この映画の場所は実はそうではない。師団のいたレポラ地区と隣接のポラヤルヴィ地区だけは以前にフィン=ソ間の係争地だった経過があるものの、それ以外の東カレリア(ルカヤルヴィを含む)は歴史的にロシアの版図に属しており、あくまで独ソ戦開始直後の勢いに便乗して攻め込んだだけの場所である。その後は敗戦により当然のようにソ連に奪還されたわけで、もしかすると従軍した人々にとっても結果的に徒労感の大きかった戦場なのではないかと想像する。 ただソ連領とはいえ、主に住んでいるのはフィンランド人と同系のカレリア人である。分隊の目的地はいかにも狩猟・漁労で生計を立てているような貧しげな村だったが、かつてエリアス・レンロートが民族叙事詩「カレヴァラ」の材料となる民族詩を採集して回ったのもこのような場所だったのではないかと思わせるものがあった。いわばフィンランド人の心の故郷ともいえる場所だったはずなので、この点は他人事ながら一応弁明しておく。 それで映画の内容は、主人公とその恋人が上記のような戦線へ出たばかりに、微妙に悲惨で何ともやるせない境遇に陥ってしまった、という話である。戦争の行方を左右するエリート部隊の活躍を描く、というような戦争映画では全くなく、戦争に翻弄される個人の運命、という感じの人間ドラマなのだが、そういう映画にこういう邦題をつけて売るのは看板の偽りも甚だしい。しかし、そうしなければ邦訳付きのDVDが国内で見られなかったのだろうから、まあ仕方ない。 [DVD(吹替)] 8点(2012-05-09 23:10:14) |
1304. 吸血蛾
《ネタバレ》 [2025/3/24改訂] 横溝正史の金田一耕助シリーズの映画化である。何かの本でエログロ映画として紹介されていたように思ったが、実際見ればそれほどエロくもグロくもなく、隠微な雰囲気などもほとんどない。しかしファッション業界の話なので華やかさがあって、1953年のミス・ユニバースに出た伊東絹子という人(八頭身美人)も特別出演している。映像面では古い洋館(「昆虫館」)の内部が目を引かなくもないが、個人的にはそれよりマネキン(マヌカン)工場の妙な異界感が面白かった。 題名ではガの話かと思わせておいて実はなぜか狼男の話だが、もとが推理小説なのでモンスター映画でもない。狼男の話だとすればガが出ることの方が不自然で、恐らく真犯人が偽装で使ったのだろうがろくな説明もなく、題名にするほどの存在感がガにはない。 なお映像には一応ガが出るが、大型のがパタパタ飛んで迫って来るような恐ろしい場面はないので安心できる。ただホールケーキの上に標本が飾られていたのが嫌な感じではあった。ガの種類に関しては、箱入りの死体の場面はシンジュサン、ケーキの場面はヒメヤママユかと思われる。「昆虫館」の死体の場面は不明だが、地味ながら端正なスタイルのガだった。ファッション業界の話なのでガの美にも注目すべきかも知れない。 物語としては、映画で見た限りではまともに筋が通っているのか怪しい。最後に真相を長々と説明していたが、意外性ばかりが優先されて荒唐無稽な印象しかない。そもそもこの場の台詞だけではほとんど理解できないが、あとで真面目に考えると明らかに説明不足な点もある。動機も単純な殺人嗜好だったとすればかなり安易な設定に思われる。 登場人物では、金田一耕助は半分過ぎたあたりで唐突に格好つけて出る。金田一役の池部良氏に対し、「弓子」役の安西郷子さんがヒロインであればお似合いの美男美女かと思ったらそうでもなく、弓子のお相手は新聞記者の男だったらしい。しかしその新聞記者役が千秋実氏だったのが不可解で、安西郷子さんと比べて見た目の年齢差もあり過ぎなので、これも「パパ」なのかと思った。なお安西郷子さんは洋風美女だが可憐で可愛らしい。また当時20代の塩沢とき氏も若干色っぽい場面がある。 その他雑記として、上野公園での汽笛は音による場所の表現だったらしい。また武蔵小金井とされている場所で、地元在住と思われる人物が「出かけるときはいただがね」「出かけたらしいだよ」と言っていたのはこの辺の方言だったのか。 [DVD(邦画)] 6点(2012-03-12 20:35:42) |
1305. ブルークリスマス
《ネタバレ》 90年代の有名アニメの元ネタの一つということで見た。 恐るべき科学力か何かを備えたユーエフオーが、人間の血液に変異を生じさせるというところまではまあいいとして、そのことに対する人類社会(台詞では「政治」)の対応にリアリティが感じられないのは困ったことである。発生源を断つことも考えずにただ対象者を隔離して抹殺するのでは、とにかく嫌なものは見たくない、という子供じみた行動のようで、本気で対策を打とうとしているようには思えない。一体ここで「政治」がやろうとしているのはユーエフオー対策なのか、迫害そのものなのか。 また劇中では「謀略」という言葉が妙に好まれていたようだが、登場人物に怖い顔で「政治における謀略ってものはな…」などと大仰なことを言わせるなら、背後にはもっと深い闇があると匂わせるくらいでないと凄味に欠ける。しかし結局は登場人物が語ったことそのままで終わりだったようで、かえって底が浅く感じられた。 ほか、個人的にこの映画が好きになれない最大の理由は、ヒロインに魅力が感じられないことである。変にとぼけた感じに見えるのは金星人(※)の仕業かも知れないが、やはり普通に「イライラしたり、嫉妬深かったり、人を憎んだり」していた頃の方がよほど生き生きしていたのではないか。こんな連中ばかりになるのでは、為政者が事態の拡大を危惧するのも当然に思われる。そもそも相手役の男が無口で何を考えているかわからない上に、ヒロインの精神が退行状態では誰にも共感できなかった。最後の場面は人が死んでいるので気の毒というべきだが、素直に泣けないのが残念だ。 ※注:アダムスキー型の円盤に乗って来るのは主に金星人とされている。 なお余談だが、この映画の脚本段階では特殊部隊が暴走族を射殺する場面があったのを監督が削除したとのことだが、結果的にはその場面があった方が、ヒロインの相手役の本来の非情さが際立った気がする。 [DVD(邦画)] 2点(2012-03-12 20:33:20) |
1306. となり町戦争
《ネタバレ》 原作既読だが、主演女優が目的で映画を見た。この映画には出てほしくなかったという思いが残るものの、とりあえずこの人のために2点つけておく。 内容については、最後が真面目な感じで終わったことから、基本的には真面目なことを語ろうとした映画だと想像するが、実態としてはドタバタばかり見せられて呆れ返る。役場が原作でいう“バカドモ”扱いなのは世間の常識通りとしても、ヒロインにまでコントの役を振るのでは真面目に見る気が早々に失せる。 もともと原作も完璧とは思えないが、それでもこの社会のありように対する作者の思いは確かに感じられた。しかし映画ではそれが全部抜け落ちて、その跡を空々しいセリフと取ってつけたようなBGMで埋めてあり、登場人物が真面目な顔で語るほど鼻で笑いたくなる。大変残念な映画化と思う。 [2012-09-02変更] 配点を変更し、主演女優のために2点、それ以外を-2点とする。 [DVD(邦画)] 0点(2012-03-12 20:30:43)(良:1票) |
1307. タイム・リープ
《ネタバレ》 「時をかける少女」の類似品として見たが、原作を先に読んでしまったため差分ばかりが気になった。 まず感じるのは原作の清々しさが著しく損なわれているということである。少年少女向けライトノベルをそのままで映画化できないのはわかるとしても、よくもこれだけ不快な要素を加えたものだと感心する。犯人の邪悪さを強調するためだけに人が2人も死んでいるではないか。また冒頭のヒロインをはじめ、登場人物に奇矯な行動が目立つのも気になる。小説ではみな良識的な人々(犯人を除く)だったのだが、映画というのはまともな人でも変にして見せないと済まないものなのか。それから本編の最後に「カット」が入るのは反則だろう。時かけ1983版でも、原田知世PVが始まるのは本編が完全に終止してからである。 そのほか、これは映画のせいではないが、ここでいうタイム・リープとは人体を含めた物的な要素はそのままで、意識だけが時間を移動するということらしい。しかし、意識というものが身体とは別に物理的な実体を持ったものだということを科学的に説明できない限り、SFではなくオカルトになってしまう気がするわけだが、それでいいのかというのが率直な疑問である。 そういうわけで、ほめることを探そうとしてもなかなか見つからないが、原作と比較せずにただの映画として見れば、まあ普通の娯楽映画だと思う。 なお全くどうでもいいことだが、劇中で登場人物が「誰かが犠牲になってまで、成し遂げられるべきことなど、ないと思います」と言っていたのはその場の雰囲気で口にしただけだろうが、もしこれを本気で言っていたのなら、おまえは宇宙戦艦ヤマトを見たことはあるか、と聞きたくなる。 [DVD(邦画)] 4点(2012-03-04 22:18:13) |
1308. 京都太秦物語
《ネタバレ》 率直な印象としては、とにかく男二人が気にくわない。幼馴染もかなり痛い奴だが、研究者の方はあまりにもバカ丸出しで笑うこともできない。どちらも駄目な男で、観客としてはヒロインとの関係の発展が期待できない(したくない)ため、途中で今にも席を立ちそうになった。それでも他の客の邪魔になるのを避けて最後まで見たところ、ラストの場面だけは納得した。自分が泣けたわけではないが、思い当たることのある女性なら泣けるかも知れない。 ただ実は、キャッチコピーの印象からして最後にもう一つ波乱というか、もっと微妙な状態に陥る可能性もあるかと思ったのだが、何もなく普通に終わってしまったのは拍子抜けだった。この映画の性質上、これ以外の結末はありえなかったのかも知れないが。 ところで幼馴染の男が終盤、夢破れたときの滑り止め、というようなテキトーな感覚で一生の仕事を決めていたのは少し気になるが、それはまあいいとして(みんなそうだったろうから)、単純に親世代と同じく家族経営で豆腐店という前提だと、司書を目指していたはずのヒロインの夢までが消え去ることにならないか。男の方は実現困難な夢だったから断念するのは仕方ないが、ヒロインの夢は極めて現実的かつ実現途上にあり、観客としてもかなえてほしいという思いがある。地域連携映画という事情はあるにせよ、個人の志望より映画の都合(=商店街の都合)が優先するのでは、第三者の目からは理不尽に見えるので、ここは余計な不満の生じないようにしてほしかったと思う。 まあ特殊な成立事情の映画なので、あまり妙なところに突っ込まず、制作に関わった学生とともに映画の完成を喜んでやるべきなのかも知れない。しかし、そんなことまで斟酌しなくても、実は個人的にヒロイン(演:海老瀬はな)が好きになってしまったので、最終的な印象はそれほど悪くなかったというのが実態である。 [映画館(邦画)] 5点(2012-03-04 22:12:52)(良:1票) |
1309. 第9地区
《ネタバレ》 予備知識なしで、なんでヨハネスブルグなのかも考えずに見始めた。最初、タイトルの場所がいかにも黒人居住区のように見えるにもかかわらず、扱いに手こずる宇宙人連中を見ていると、知的生物とはいえ意思疎通もできないようだし、一軒一軒ハンコをもらって歩くようなのは馬鹿らしく、移住させても問題先送りなだけで、そもそも人類でもないのだから、皆殺しにしてしまえば簡単ではないか、と思ってしまった。 しかし、主人公と宇宙人の親子がコミュニケーションを始めると、ちゃんと意志の通じる、われわれと同じ人間だということがわかり、殺してしまえなどと思っていたのは何だったのかという気がした。もともと前半と後半で視点が移動する映画なので、そのように思うのも当然だろうが、自分としては見事にレイシズムを疑似体験させられてしまったという思いがある。対象を人類ではなくしたことでそういう効果が生じたわけだが、それにしても自分で呆れてしまった。 ただ、180万もの人口がありながらまともに話が通じるのはごくわずかで、あとはみな野蛮人同然というところや、また全編を通じての殺伐とした雰囲気まで、南ア社会の現状を描写しているように受け取るのは、さすがに行き過ぎなのだろうと思う。多分。 なお主人公は、最初は見ていて嫌悪しか感じず、ワーワー騒いでいるのを見て死んじまえこのバカなどと思っていたのだが、最後は真人間になったようでよかった。 [DVD(字幕)] 5点(2012-02-26 22:55:12) |
1310. 涼宮ハルヒの消失
《ネタバレ》 文庫で出ている限りの原作は全て読んでいる。TVアニメも一応全部見た。 原作はわりと淡々とした印象の小説だが、映画化に当たってはストーリー上のポイントになる台詞が特に強調されていたり、また原作ではモノローグのようだった箇所に独自の映像が充てられているなど明らかに効用を増しており、かつ原作のストーリーの根幹も完全に保たれている。原作をいわば純粋な形で映像化したもので、そこまで含めてファンの期待通りである。 また、いわゆる“消失長門”に関してもファンが見たい映像の宝庫だろうと思う。個人的には別に消失長門フリークでもないのだが、それでも見ていて破顔というかニヤニヤしてしまうような場面が多かった。映画では、このキャラクターを象徴するアイテムとして、眼鏡のほかに膝かけが加えられていたのも要注意かも知れない。 ただし、この映画を一般の人が見てどう感じるのかはわからない。長編一冊分をまるごと映画化しているので一応のまとまりはあるわけだが、シリーズ開始以来の登場人物の微妙な変化が前提となって今回のストーリーがあることや、このエピソード自体がシリーズの一つの転機になっているといった背景事情がどの程度伝わるのかと思うと、一本の映画としては疑問があるのも確かである。 しかしそれでも、結局は見た本人がどう思うかが基本だろうから、一応のファンとしては、やはり見てよかったと開き直るしかない。 なお余談として、この映画ではTV第1期のオープニングテーマが復活していて嬉しいのだが、その直前に県立北高校の空撮映像があり、劇中の部室が校舎のどの位置に設定されているのかわかったので、Google Earthで目印をつけておいた。どうでもいいことだが。 [DVD(邦画)] 7点(2012-02-26 17:47:05) |
1311. 第五福竜丸
《ネタバレ》 何年か前、暇をみて夢の島にある第五福竜丸展示館に行って来たのを思い出した。 映画はドキュメンタリー調ということのようだが、特に前半は歌声あり恋あり適度な下品さありの労働賛歌といった印象で、事件後も深刻にはなり切らず、笑いの場面を入れてあるのがかえってリアルに思えた。亡くなった無線長も、最後まで快活さを忘れないようふるまっていたのは人格者らしい。 ところで、後半は無線長とその家族に焦点が当たっていたが、病状が悪化するにつれ、その存在が社会性を帯びてきていたようだ。家族にマスコミが集団でつきまとうのは苛立たしいが、これはまあそういうものかも知れない。また汽車の中で遺族が見せ物のようになっていたが、これも別に悪気はなく、そもそも遺骨と遺影を持ったまま乗車していれば当然そうなるかも知れない。しかし、変に盛大な告別式に「国務大臣」(?)とかアメリカ人が来て弔辞を許される一方、外ではなぜか大勢で鳩を飛ばす行事などもやっていたのは、様々な人々がそれぞれの思惑で一個人の死に関与しようとしているように見えたというのが正直な印象である。 なお、この時代から60年近く経った現在も、世界は核廃絶からほど遠い状態である。経費節減のための核兵器削減こそ行われているが、公認の核保有国は核兵器を手放す気など全くなく、一方で核拡散は着々と進んでいる。映画の当時であれば、人々が声をあげることで世界を変えていく希望があったかも知れないが、現代においてこの映画の持つべき意義が何かということは、また改めて考える必要があるように思う(前の方の皆さんがいろいろ書かれているので、その通りかも知れない)。 [DVD(邦画)] 5点(2012-02-26 17:45:17) |
1312. 借りぐらしのアリエッティ
《ネタバレ》 東京都の多摩地域に住んでいる小人が外人名前で外人顔で(材木にくっついて来た外来種?)、それでいてひらがなも読めるのが何とも荒唐無稽だが、ストーリーとしてはそれほど悪くない。劇中の少年がまだ若いのに、自分の生命などたかだか67億分の1(今だと70億分の1)でしかないと悟ってしまっているのは切ない気がするが、そのことで一方的に共感を寄せた相手には厳しくはねつけられてしまったわけで、この辺はさすが生命力豊かなジブリのヒロインだと思う。 ただ、少年の方が勇気をもらったのはいいとしても、少女の種族の未来はやはり先細りという予感しかなく、最後の小川の場面で、個人的にはターミネーター(1984)のラストシーンが思い出されたのはつらいものがあった。 ところで、この映画では家政婦の存在が非常に不快なわけだが(母親も相当不快だがまあいいとして)、実はああいう素質をかなりの人間が持っており、だからこそ彼らは絶滅しかけているという想定なのだろう。子どもの頃なら昆虫や小動物を虐殺するのはよくあることで、姿が人間に似ていれば余計に虐待のしがいがあるはずだ。大人はさすがにそういうことをしないのが普通だが、あの家政婦はもともと性質が自然人に近いため、虐待衝動がモロに出てしまっただけだと思われる。ここは家政婦を罵って終わりにするのでなく、人類すべてが自戒すべきということなのだろう。 しかし、今回の件であの家政婦を解雇したりすれば、近隣に悪口雑言をふりまいて嫌がらせの限りを尽くすのではないかと考えると、やはり出来が雑な人間はどうしようもないと思ったりする。まあ世間も人を見ているので、全部が全部真に受けるわけでもないだろうが。 そのように考えていると次第に話がそれてしまうが、とにかく最終的にはそれなりに面白いという印象が残ったのでそれなりの評価にしておく。 [地上波(邦画)] 5点(2012-02-18 22:39:36)(良:1票) |
1313. 村の写真集
《ネタバレ》 個人的な事情から主人公の姉の登場を心待ちにしていたのだが、なかなか出ない。しかしその間、妹を見ていてなごんだので許すことにする。DVDのメイキング映像を見ると、姉役の女優に対する監督の特別な思い入れと、そこに突っ込む出演俳優のコメントが笑える。 それで本編に関しては、地域住民の描写にいいところが多い。まず主人公の妹が屈託なくて可愛い(ちょっと野性味がある)のだが、若いのに働き者らしく、家族の和に気を使いながら不平も言わず必要な仕事をこなしているのに感心する。近隣の人々とのつき合いも自然で、いわゆる地域の教育力のたまものではないかと思う。ぜひ看護師の仕事をがんばってほしい。 また主人公と喧嘩した青年は、心を世界に開いていながらも家を継がざるを得ず、黙々と家業に精を出していた。寡黙な男のようだが、こういうのが地域社会や農林業を支える力になるのである。 そのほか男ばかりで飲んでいたところへ現れた同級生女子が、暴力的な言動でその場の雰囲気をぶち壊したのは実際にありそうで笑った。それからほんの一瞬だったが、役場職員の奥さんが何ともいえず感じのいい人で、こういう家族はいいなと思った。 ところで主人公は当初、自分の原点はブレッソン(フランスの写真家らしい)と言っていたが、実際に原点となったのは自分の故郷だったわけで、その価値が世界に通用することは、押しかけ外国人や村在住の芸術家夫妻も普通に認めていたようだった。 彼がこれから世界での成功を目指すのは、まずは当然ながら自分のためだが、しかしそれだけでなく、心ならずも故郷に残った人々の思いも背負って、いわば成功してみせる責任が彼にはある。それが彼の原点となった故郷への恩返しだろうと思う。この映画には、故郷を離れた人間へのエールとともに、故郷のことを忘れないでくれという地元側の思いも感じられる。 [DVD(邦画)] 8点(2012-02-18 22:34:33)(良:1票) |
1314. ナースコール
《ネタバレ》 タイトルからして通俗的な印象だが、「わたしたちは天使じゃない」などというキャッチコピーを見ても、今どきそんなこと初めから誰も思ってないだろうと脱力感を覚える。ストーリーはとりあえずキャッチコピーの通りに展開し、やがてモンスター患者が出てきてさんざん駄々をこねるが見ていて同情心がわかず、思わず他の入院患者の立場になって、看護婦さん方も人間なのだから自分だけの守護天使を求めるな、と突き放したくなる。 最後の場面はまたいかにも安易な感じのエピソードで、実際こんなことは病院内ではありえないだろうし、また心をこめたメッセージのように見えても、どうせ担当看護師がどうすれば格好付くかだけ考えて適当にこなした仕事だろう、という皮肉な感情がわく。 しかし、そうは思いながら不覚にも、もし自分が入院患者の立場でこれをやられたら、この時ばかりは目の前の看護師が天使に見えるかも知れない、と思えた。天使は、われわれ一人ひとりのことを(いつもではないが)ちゃんと見ていてくれるらしい。そう思うと、もうこの映画を悪くいえなくなってしまった。個人的にこういうのに弱いようだ。 なおこの映画の脚本家は看護師の経験者ということで、病院での勤務実態の描写のほか、ベテランが新米とは別の陥穽にはまるといったあたりも現実的なのだろう。コメディ要素もあるが控え目で、全体として極めて真面目な映画である。 [DVD(邦画)] 8点(2012-02-18 22:29:00) |
1315. 時をかける少女(2010)
《ネタバレ》 とにかくヒロインの芳山あかりが陽性で表情豊かで楽しい。タイトルを生かすため冒頭で無意味に元気よく走ってみたり、タイムリープの場面でも走りまくっていたのはご愛嬌。深町の本名を聞いた時の微妙なリアクションは可笑しかった。他の登場人物もみな魅力的だったが、変にナイスガイになった深町が、冷徹なようでいても情に負けて目こぼししてしまうのは少し見直した。彼も心に痛みを感じていたのかも知れない。 今回のヒロインが行くのは1974年で、その年代自体には特に必然性が感じられないが、劇中に出ていたような“窮鳥懐に入らば”的な律儀さが生きていた時代とすればわかるような気もする。現代人が体験する70年代の青春というのも、時間モノとしては面白い趣向かも知れない。また、この時代から見た21世紀のイメージは劇中に出たとおりの未来都市が典型だったのだが(ちょっと古臭いか)、その後実際に起きたのは、あかりが誇らしげに示した携帯電話に象徴される情報通信ネットワークの急速な発達だったわけで、この辺の現実認識は適切だと思う。 ところで劇中では、中学生の和子が「記憶は消えても…心で憶えてる」と言っていたが、それよりも現実に誰にでも起こりうるのは、劇中の涼太が危惧したように“記憶はあるが思いは失われる”ことだろう。そこで涼太が、いわばタイムカプセルに封入するような形で思いを残そうとしたのは自然なことであり、あかりの側でも記憶がないことで、かえってその思いだけを前向きに受け取れたようだった。また和子も実際には記憶を取り戻して、双方が相手をちゃんと認識した上で再会を果たしており、1983年版のシビアな印象がかなり緩和されていた。これは映画全体の雰囲気からすれば妥当と思える。 ただ、ストーリー作りのために死人が出たことだけは理不尽だ。能代の母はこの先どうすればいいのか。 なお余談だが、完全版DVDの特典ディスクには劇中映画の完成版が入っており、何となくその後の新たな展開を予想させる内容になっているが、これは完璧なハッピーエンドを期待する特別なファンの思いに応えようとするものかも知れない。 [DVD(邦画)] 7点(2012-02-11 22:49:09)(良:1票) |
1316. あゝ! 一軒家プロレス
《ネタバレ》 主人公の妻役の女優が目的で見た。途中は随分ひどい扱いと思ったが、最後まで見ればそういうことですかとまあ納得。「あなた」の歌声に癒される。エンドロールの終わりまでちゃんと見ましょう。 その他の部分も意外に面白いので、見てそれほど落胆はしない。ホラー調の(無理にかさぶた剥がすような)気色悪い場面などなくていいので、ソニンの活躍がもっと見たい気がした。 [DVD(邦画)] 3点(2012-02-11 20:13:46) |
1317. 真木栗ノ穴
《ネタバレ》 この映画では、まずはヒロインが清楚で色っぽくて可愛らしくて怖くて悲しく複雑で不思議な雰囲気を出しているのが非常にいい。メイクは最小限にして素材のよさを最大限生かしているのも好印象で、この点では誠に期待通りの映画である。 それだけを期待していたにもかかわらず意外にもといっては何だが、見ると窃盗の共犯の女にも妙に惹かれるところがあり、中盤の再会場面などはもう泣けてしょうがない。ヒロインと並ぶ存在感があり、この二人だけで両横綱という印象だった。 しかしさらによく見ると、もう一人の女性である雑誌編集者も決して無視できない存在である。若くて生気があり、基本的に明るい世界の住人で、見ていて眩しいようにも感じられた。最後、この人の声は主人公に届いたのかどうかが心残りである。 ところで、劇中では生きている人とそうでない人が混在していたようだが、そのほか空想が現実に介入しているようにも見えており、何が空想で何が現実だったのか整理がつけにくいため、観客としては画面に出たものをまともに受け取っていいのかどうかわからなくなる。また、さらにこの映画では、見ているわれわれを含めて空想と現実の区別が相対化(階層化)されているらしく、それを意識してしまうと、どうせ全てが空想なのだから観客が本気になって(前記のように)感情移入するのは愚かなこと、と嘲られているような気もして来る。 あるいは、そのようにして鑑賞者の心理を翻弄するのが作家(とか映画を含めた創作者)の力であり、それは劇中の編集長が言っていたように「頭ん中を覗くことなんかできない」ほどの深みを持った穴だというのが、この映画の隠れた主題なのかも知れない。しかし題名の意味はその通りとしても、それが映画制作者自身のことまで含めた主張だとすると自画自賛のメタ作品のように思われて、自分のように特に映画ファンでもない一般の鑑賞者などは疎外感を覚えてしまう。 まあ別に一般人に喧嘩を売っているわけではないのだろうから、ここはひとまず創作者に騙されておくことにして、愛すべき登場人物のいる懐かしい(怖い)空想の世界に浸り、愚かな主人公の哀れなラブストーリーに共感を寄せているのが正解なのだろう。 そういうことで、多少面倒くさいところはあるものの、全体としては非常に印象深い映画だった。 [DVD(邦画)] 8点(2012-02-11 20:12:01)(良:1票) |
1318. 映画 けいおん!
《ネタバレ》 TVシリーズは見ていなかったが、予備知識抜きでとりあえず映画館に行って来た。対象年代からは外れているだろうがそれほどの疎外感もなく、TVを見ていなければわからないこともあったはずだが特に気にはならなかった。ただ最後の大事なところを簡単にスルーしたように見えたのはTV版との関係で捨象したかららしい。 日頃アニメに親しんでいない(前回は“消失”)ので空気系のアニメは初めて見たが、日常の中にあるほのぼのして幸せな部分だけで構成したようなのは見ていて心地いい。女子高のため同年代の男がおらず、非常に純化された世界だというのも見る者の安心感につながっている。ロンドンでのライブ場面など見ていると、こういうアニメも21世紀の日本文化の精華なのだなという感慨がわいて来た。 [2012-08-03追記] DVDが出たので見直した。依然として映画以外は見ていないが、さすがに2回目になるとキャラクターの違いも把握でき、梓が一人だけ下級生な感じで可愛がられているのもわかる。また一つひとつの曲も頭に入って来て、結構な年の中年男が真昼間、ふと気付くと頭の中で鳴っている音楽が ”U&I” だったりするほどなので感化力は相当大きい。この映画を見ただけで「けいおん!」というコンテンツ全体を受容できた気になって、もう映画としてのまとまりなどどうでもよく思えて来た。性別・年代の全く違う自分とは本質的に無関係な世界だが、こういう素直な笑いと感動と幸福感がこの世に存在しうるという希望を提示したこの映画を、自分としては全面的に肯定したい。点数を10点くらいに直したくなったが、他とのバランスもあるので理性で抑えておく。 なお余談だが、「ドイツ連邦共和国に、リューネンていう都市があって」と紬が言っていたLünenは、ノルトライン・ヴェストファーレン州に実在することを確認した。 [2019-07-22追記] 久しぶりに見たが今回は笑いながら少し泣かされた。こういう人の心を和ませ豊かにする作品がこれからも作られていってほしいと改めて思った。 [映画館(邦画)] 7点(2012-02-07 22:46:39) |
1319. 夕凪の街 桜の国
《ネタバレ》 一見いい映画のように感じられるが、原作に乗っかって作られているわけなので、純粋に映画として評価するのは難しい。 まず映画では、観客に見えるように泣く人物が多すぎる。病人を屋外へ連れ出した上に長々としゃべらせる場面もあったが、そうまでしないと映画というのは成り立たないのかと思う。 またこのストーリーには「…死ねばいいと思われた」とか「…ちゃんと思うてくれとる?」というような、皆実の心情を伝える悲痛な言葉があるのだが、映画ではさらに「…落とされたんよ」という告発型の(碑文の問題を連想させる)台詞が加えられていたので驚いた。原作がかろうじて踏みとどまっていた一線を無造作に踏み越えている気がする。 もう一つ、桜の国編について。映画のラストは七波が泣く場面だったが、その前段に出ていた七波の心の変化が桜の国編の核心だったわけで、それが観客に充分印象づけられていたかどうか。これがあるから「夕凪の街 桜の国」の2部構成が生きるので、もしこの映画を見て後半が不可解とか不要と感じる人が多いようなら、原作の映画化としては明らかに失敗ということになる。 ただ、時代的に「夕凪の街」に属する場面が終盤にまた出て来ることからしても、映画は初めから夕凪優位の構成にして観客を泣かし、それで点を稼ぐ目論見だったとも思える。映画の七波は“現代の若者の視点で皆実の悲劇を見つめる人”という位置づけになり下がっている気がするが、それでも一応は全てのストーリーを追う形にして、原作ファンを丸め込もうとしているかに見えた。 自分としては、原作はほとんど全面的に支持するが、この映画を同じように評価することは全くできない。ただ、それほど低い点にもできないので困るのだが、それは原作をいわば人質に取られたような格好になっていることと、映画の持つ広い意味での娯楽性によるものと思われる。 なお映画の登場人物の中で、特に京花は少女から大人への変化がわりとスムーズで、どちらも可愛らしく優しい感じなのは納得した。七波と東子も、これはこれで好感が持てる。男連中も好人物でよかった。 [2013-1-20変更]変更前は6点だが、評価方法を見直し、原作を10点、映画化による改変部分を-8点とする。残2点のほとんどは劇中の京花へ。 [2013-11-18変更]評価方法を見直し、原作と上記プラス要因の評価はそのままとして全体を0点とする。 [DVD(邦画)] 0点(2012-01-22 12:58:23)(良:1票) |
1320. 時をかける少女(2006)
《ネタバレ》 [2012.10.27改訂] アニメヒロインっぽい元気な女の子の青春物語。終盤には“時かけ”の通例どおり切ない別れが待っている。 別れの場面では、千昭が「未来で待ってる」と告げ、真琴が「走って行く」と応えていたが、実際は千昭のいる未来と現在との間には絶望的な懸隔があり(原作の27世紀という設定を採用)、これが永遠の別れになるのだろう。しかしどれほど遠くても、現在とはいわば地続きの未来であり、時の向こうに間違いなく千昭はいる。真琴はもう自分自身で時間を超えていくことはできないが、はるか未来で待つ千昭のために、あの絵を残すことならできるはずである。そのためにいま何をすべきなのか、終盤で夏雲を見上げた真琴は心に決めていたに違いない。 この映画での「時をかける」とは、原作や他の時かけ映画のような、単なるタイムトラベルの言い換えではない。何の特殊能力もない女の子が、ただ時間に流されるのでなく、自分の意志と力で能動的に未来へ向かって行動しようとする姿を示している。そう思えばこそ、終幕であらためて表示されるタイトルに深い感動を覚えるのである。 なお劇中で真琴が魔女おばさんに持って行った手土産のケーキは、都内の実在の洋菓子店(エンドロールに出る)で調達したものだったが、その店名の”à tes souhaits!”という言葉を真琴に贈りたい(同店公式サイトに意味が書いてある)。 ところでこの映画では、時間というものの性質についてかなり柔軟な見方をしているらしい。他の時間モノでは、定められた時間の流れを寸分たりとも変えてはならないなどという厳しい制約がかけられている場合もあるが、この映画では同じ時間を何度も経験すれば全く違う展開が生じており、そのことで一人の人間がもつ無限の可能性が示されていた。また途中で“シュレディンガーの猫”が登場していたが(静止画)、別の場面でも一時点で複数の可能性が並存していて、フタを開けてみなければ確定しないという状況が描かれていた(功介の態度)。 “未来は変えられる”とか“やってみなければわからない”というのは、言葉にすれば当たり前のことだが、年を取るとどうしても未来の自由度が狭まるので、そもそも自分はこういう運命だったと考えて納得してしまうことが多くなる。自分にはもう無理であっても、せめて若い世代には、その当たり前のことをもっともっと言っていきたい気がしている。 [DVD(邦画)] 10点(2012-01-21 21:22:05)(良:2票) |