121. 姿三四郎(1943)
《ネタバレ》 黒澤明・初監督作品。私が観たのは79分版です。原作小説の連載からおよそ半年後に公開。1年後の再上映の際に、約18分ぶんがカットされていたそう。検閲で引っ掛かったシーンがカットされたのかな?なんて思ってましたが、戦争中の節電目的のため、上映時間を80分以下に短縮しなければいけなかったというのが、実際のところのようです。シーン同士の繋ぎ目的で入る文字の説明が、何とも盛り上がりを欠いてくれます。ここに説明文が入っている仕様なので、恐らくGHQの上映禁止が解除された'52年版なんでしょうか? 三四郎が強敵たちを倒し、最強の柔道家になっていく様子が描かれます。柔道と柔術の闘い。他流派との試合ということもあり、後のジャッキー・チェンのカンフー映画に通ずるものを感じましたが、そんなノリで楽しんでいい映画だと思います。 でも、私たちの格闘技の目が肥えてしまったのか、本作の柔道家も柔術家も、観ていてそんなに強そうにはみえません。相手が軽々と吹っ飛んでいく演出のせいもありますが、登場人物が“強い柔術家を演じている役者”から抜け出せていません。 時代劇(チャンバラ)や西部劇(撃ち合い)は、色んな人の手で、色んなパターンが練りに練られて、見得の切り方やカメラワークに工夫が重ねられ、熟成されていきました。そのため俳優が刀や銃の達人でなくても、格好良くみせる手法が確立していたんでしょう。でも柔道や格闘技は、まだ映画の題材として取り上げられていなかった時代というのもあり、誤魔化しが効きにくいのかも知れませんね。 それでも、短時間だったというのもあるけど、飽きずに楽しく観られました。 [DVD(邦画)] 6点(2024-08-19 23:35:16) |
122. 史上最大の作戦
《ネタバレ》 “The Longest Day( Must Have An End.)”ロンメル元帥が上陸作戦が行われる日を称して『一番長い日になるだろう』といった言葉から。また『(どんなに)長い一日(にも、必ず終わりは来る。)』って、ことわざの一部でもあるようです。連合国軍の大規模反攻作戦で、第二次世界大戦のターニングポイントになった、ノルマンディ上陸作戦の映画化です。 この時代、第二次大戦を扱った映画が多数創られていますが、米英独仏の各国豪華俳優陣の共演、米英独それぞれのパートをそれぞれの国の監督が撮影、軍の協力で予算以上の大規模な撮影を可能にしたなど、上映時間の長さもあって、まさに当時の戦争映画の集大成のような作品です。 落下傘が教会に引っ掛かって死んだふりしてやり過ごした兵隊、味方識別のクリケットの悲劇、塀を挟んですれ違う敵味方、たった2機の戦闘機で出撃、自宅を艦砲射撃されて歓喜するフランス人などなど、史実・創作入り混じって、当時の戦争映画らしい大小の珍エピソードがいっぱい出てきます。 圧巻は自由フランス軍のスウォード・ビーチ攻略戦の長回し空撮。行軍に合わせた着弾と爆発のタイミングが絶妙。カメラが180°回転し、橋を渡った兵士を追う機銃掃射。丘の上からも降りてくる兵士。独軍の要塞と化したカジノビルの屋上までを収める。今の目で観てもかなりの臨場感が感じられます。 当時の戦争映画は反戦色がほとんど無く、西部劇同様の娯楽色のほうが強かったんでしょう。殺し合いをしているのに痛みは感じにくいです。また題材も“軍隊同士が戦場で戦闘する”のがメインで、そこに住む武器を持たない市民が犠牲になる様子はほぼ描かれません。 昔はたくさん創られていた、戦闘シーンの格好良さがウリの戦争映画。映画界にも軍(スポンサー)にも、お互いにWIN-WINの関係だったんでしょうね。 [ビデオ(字幕)] 6点(2024-08-18 20:59:57) |
123. 機動警察パトレイバー
《ネタバレ》 漫画、OVA、そして映画とそれぞれ微妙に違う世界を展開する、メディアミックス作品のパトレイバーですが、私の中では一番最初に触れた漫画版がオリジナル扱いです。なので、OVAでイングラムをアルフォンスと呼ぶも、おタケさんじゃなく香貫花なのも、違和感を感じてました。 劇場版は“押井監督版パトレイバー”のカラーが強烈に出ていて、「面白いんだけど、なんかパトレイバーと違う」って感じていましたね。ゆうきまさみの漫画版は、少年サンデーの連載作品だったためか、'80年代後半作品らしく、サラッと爽やかスタイリッシュで無国籍なんだけど、押井さんが手を加えると、'70年代後半のジメッと汗臭い四畳半アパートな昭和感が丸出しになるんですね。うる星やつらのアニメ版後半と同じ味付け。あ、こっちも少年サンデーだ。 オープニングでいきなり自衛隊が撃ちまくります。パトレイバーは日本の少し未来の話ということで、リアリティを欠く派手な戦闘アクションは描けない縛りがある中、演習中の暴走事故とは、良い目の付け所です。暴走レイバーとの格闘を除き、静かな展開が続きますが、最後の方舟で大暴れ&零式VS98式の戦闘は、ロボットアクションが観たい層も大満足でしょう。 パソコンが一般家庭に普及した、ウインドウズ95が出る6年も前に、OS書き換えやらコンピューターウイルスやらを、娯楽映画に持ち込んで、ある程度解りやすく噛み砕いて観せてます。無人のレイバーが暴れるという、見た目に分かり易い危機だけでなく、犯人である帆場の死後も、目論見通り大暴走に向かっていく、コンピュータープログラムの怖さ、力では止められない恐怖も表現して観せたのは見事です。 バビロンプロジェクトの広報映像とかの、初期も初期のCGが時代を感じさせます。でもこんな時代にコンピューター犯罪を取り扱った先取り感。意志を持ったコンピュータとかでなく、あくまで人が打ち込んだプログラムによる犯行というのは、本作が初だろうか? この劇場版1は久しぶりに観ました。シリーズの主人公・野明のキャラが、思った以上に漫画チックだったんだなぁと。押井版の落ちついた世界観を考えると、ちょっと子供子供してて鬱陶しく感じてしまった。 本作ではバタバタと動き回って“活躍”する遊馬たち特車二課とは対象的に、帆場の足跡を追う松井刑事たちが、東京の古い町並みが壊されていく様子を静かに映し出します。動の中に静を持ち込む。本作以降の押井監督がよく用いる手法(※OVAでは実験的にやってた)ですが、動の遊馬と静の松井刑事とで分けたことで、物語の勢いを邪魔してなくて良いですね。以降の押井監督作品は、この静の部分が増えていきますが、本作くらいのさじ加減が一番バランスが良かったんじゃないでしょうか? [ビデオ(邦画)] 7点(2024-08-17 19:37:30) |
124. 永遠の0
《ネタバレ》 私が小学生の時、教室で読んでいい漫画ってのがあって、『はだしのゲン』とか太平洋戦争を描いた漫画が数冊ありました。アジア各国で悪逆非道を行う日本軍。“御国(天皇・国家)のため”に無駄に死なされた神風特攻隊。特攻の命令を出す悪そうな上官と、悔し涙を流しながら出撃する隊員のイメージが印象に残ってます。私たちは自分で考える前に、そういう“教育”を受けてきた世代です。 本作は特攻を美化するでも、卑下するでもなく、当時の軍部の方針とかも描かず、あくまで当事者である若者たち=特攻隊員の目線で描かれています。現代の若者・まだ26歳の健太郎が、当時26歳で命を落とした自分の祖父の、気持ちや行動を探求していく構図が面白いです。 特攻と自爆テロの違い。健太郎の友達が考えるように、熱狂的愛国者が“御国のために”と誇りを持って、ヒロイズムに浸って特攻したのか? 合コンを抜け、改札に向かう普段着の健太郎。周りはみんなスーツ。命令されなくてもおんなじ格好してるのが、日本人らしい。戦時中も日本人は、みんなおんなじ方向向いてたんだろうな、って。 宮部教官に可を貰い、一日でも早く特攻に出撃したい予備学生たち。彼らは悲惨な戦争に自暴自棄になったのではなく、自分が国のために何が出来るかを考えたうえで、特攻を望んだように観えました。家族の住む本土に迫る、目の前の米軍艦隊。その足を止める手段としての特攻。予備学生は国を戦火から守るために、出撃を望んでたんでしょう。でも宮部はその先の、戦争に負けた後を見据えていたんでしょうね。 宮部が最後に特攻を選んだのは、自分の代わりに、日本の未来を創る若者たちが死んでいくのに、耐えられなかったからでしょう。でも搭乗機52型の不調が、宮部の望みを叶えてくれました。「生まれ変わってでも、必ず君と清子の元に戻ってきます。」 「妻と娘のために生きて帰りたい。」この言葉は、あの時代“妻と娘を愛している”と同じ意味だと、井崎は言いました。 あの時代に彼ら若者が使った“国のため”という言葉は、今の時代の“家族のため”と同義語だったんじゃないかと思えます。 早田ひな選手の「鹿児島の特攻資料館に行ってみたい」発言がネットで話題になっています。実際に見た結果、どんな感想を持つかは彼女の自由だし、感想を公表する必要もないことですが、まだ24歳の若い子が、自分の目で観て自分で考えようという想いが、とても素晴らしいことだと思います。 彼ら特攻隊員が守ろうとした“国”には、きっと私たち=未来の子孫たちも含まれるのでしょうね。そんな事を考えた、今年の終戦記念日でした。 [地上波(邦画)] 8点(2024-08-17 16:27:21) |
125. 歩いても 歩いても
《ネタバレ》 『結婚できない男』観てたなぁ。あのコンビが再婚夫婦役で出ているのがなんか嬉しい。ドラマでは気の強い役だった夏川が、阿部の実家で、借りてきた猫のようにしてるのが面白い。 名の知れた俳優が出てなければ、まるで帰省のドキュメントを観ているようです。お盆って、その地方の独自色(イベント感)が出過ぎるから避けたんでしょうかね?兄の命日をお盆の少しあとにしたことで、どこにでもありそうな夏の帰省が描かれます。昆虫採集とか打ち上げ&手持ち花火、ラムネ、生ビール、浴衣、夏祭りといった、定番の夏の記号は入れてこない。枝豆ご飯にとうもろこしの天ぷら。それだけで夏。美味しそう。 うなぎを食べている最中、お吸い物の肝を取るおじいちゃんが箸チュパチュパ…潔癖っぽいけど、立ち位置を理解しているあつしが黙ってるのが、ぽいなぁ。 「ちょっと休憩…」常に気が張って、ずっとストッキング脱げないゆかり。あつしも靴下履いたまま。両親はもちろん、姉夫婦一家は子供も婿さんまでも裸足。良多も実家なのに靴下履いたまま。数デニールの絶妙な距離感表現。 “二人の思い出の曲は?”と言われてレコードを掛ける母。良多の「これよく歌ってたね」に箸が早くなる父。普段ジャズを聞き、カラオケで『昴』を歌う父が、30年も前に不倫相手に歌ってた『ブルー・ライト・ヨコハマ』。「来年もまた、顔を見せてくださいね」母が15年経っても良雄くんを呼び続ける理由。 歳を重ねて開いてしまった父との距離。おそらく今まで見ようとしてこなかった、母の生々しい人間性。人間だから当然と言えば当然なんだけど、子供にとっては人のまえに母であり父であり。なんだよね。 実家を離れたから、両親が老いたからこそ見えてくるものって、あるよね。母を車に乗せることもなく、父とサッカーを観に行くこともなく過ぎてしまった、一緒に居られる時間。 墓参りのあと、姉夫婦が住む実家に寄らず、まっすぐ帰ったのかなぁ?良多、免許取って車買ったんだな。信夫の勧めていたRV買わされたのかな。顔くらい出したのかな?親が居るのと居ないのとで、実家の存在意義って変わるよね。 父「次は正月か」何だかんだ言うけど、子供の顔見たいんだよね。 [DVD(邦画)] 8点(2024-08-17 13:41:04) |
126. キャプテン・スーパーマーケット
《ネタバレ》 “ARMY OF DARKNESS”『闇の軍団』。タイトルから『死霊のはらわた』シリーズの続編感を抜いてきています。でも始まってしまえば思いっきり続編です。イントロダクションが前作と微妙に違うのもお約束で、今回チョイ役の恋人リンダが、人気女優ブリジット・フォンダになってます。 一度聞いたら忘れられない邦題が魅力的です。アッシュがSマートの店員だから…ってだけ。でも私が観たのはディレクターズ・カット版で、エンディングが違ってました。劇場公開版だと最後の舞台がSマート内で、なんか納得。 表情豊かなブルース・キャンベルの顔を観てるだけで笑えます。アッシュを襲う小人たちがブルース・キャンベル。身体が2つに枝分かれしたブルース・キャンベルと、彼の顔芸をお腹いっぱい堪能できます。 一方でホラー要素は相当薄まっていて、一作目が血がドッパドパの大出血サービスだったのが、本作ではほとんど流血がありません。敵も血の出ないガイコツ軍団だし、ホラーが苦手な子供でも楽しめそうな、中世を舞台にしたアクション・コメディとなってます。 ただね、30年前のアメリカの“ドタバタ・アニメ実写版”のノリなので、このクドくて濃い笑いのツボに、好き嫌いが分かれそう。当時から『日本じゃ一般ウケしないジャンル』のコメディだったと思います。このジャンルの完成形&世間一般の認知度が高い作品が、ジム・キャリーのマスクかもしれません。私もこの手の笑いは、当時は苦手なジャンルでしたが、今は懐かしさも感じられて、結構嫌いじゃないです。大笑いする感じじゃないけど、中世セットや敵の軍団のお金の掛かりようと、CG登場前の特撮のチープさが味わい深い。 [DVD(字幕)] 5点(2024-08-16 12:14:07) |
127. アミスタッド
《ネタバレ》 “Amistad”邦題まま。劇中登場する奴隷船の名前だけど、意味は『友情』や『親交』だそうです…ブラックユーモアが過ぎる。笑えん。 スピルバーグ監督作品なのに12年もレビューがないんだ、へぇぇ~。 奴隷たちの反乱。及びその後の裁判を取り上げた映画です。黒人を同じ人間として扱わない、奴隷船での非人道行為。映像で観るテコラ号での惨劇はかなりショッキングです。この映像を観て、文明が進んだこの時代に産まれて、本当に良かったと安堵するとともに、奴隷貿易などの被害に遭わなかった日本という国に、日本人として産まれたことも感謝です。 と、この映画の黒人目線で考えてみましたが、皆さんはどんな立場でこの映画を観ていたでしょうか?どうしても白人側で観てしまう気がします。登場人物のプライベートはほぼ語られませんが、舞台がほぼアメリカなため、アメリカ側に立って観てしまうのかな。あとシンケの過去も少ししか出てこず、ほぼ捕まるところから始まります。ライオンのエピソードやら妻との馴れ初めを描いていたら、それこそ3時間半超えの超大作になってしまったでしょうけど、バランス上どうしても白人側に感情移入しやすくなっていると思えました。 テコラ号の積荷目録を突き付けるところや、最初の裁判で勝訴する所。シンケが自由を求めて叫びだす流れは、法廷映画としてとても居見応えがありました。でも最高裁のアダムスの演説は、どうもフワッとしか響きませんでした。アメリカ人の弁護士が、アメリカ人の陪審員の心を動かすのが目的だから、アレで良いんだろうけど、なんかアメリカのウチワのお話みたいに思えます。 史実に基づいているとは言え、どうもアメリカが「昔から“理解ある白人”も居たんだぜ?」って言ってるように観えてしまいます。主要人物が自由になりたい黒人と、自由を与えたい白人ばかりだからでしょうか? 奴隷制度は白人が黒人に対して“のみ”行われた訳じゃないことも語られてましたが、こちらもアメリカが「当時は殆どの組織が奴隷を使ってたんだぜ?」って言っているようにも思えます。悪いのは白人じゃなく、そういう時代だったんだと? シンドラーはナチの党員でした。ミュンヘンのアブナーは報復する側でした。この映画も、時代がまだ奴隷を使っていたなら、奴隷を開放したい側だけでなく、使いたい側の正当性・当時の価値観も観せてもらいたかったです。 [DVD(字幕)] 5点(2024-08-12 22:58:46) |
128. スペースバンパイア
《ネタバレ》 “LIFEFORCE”『生命力≒精気』。血ではなく精気を吸い取るので、字幕でも吸血鬼ならぬ“吸精鬼”となってます。でも原作は邦題と同じ“The Space Vampires”でした。映画に詳しくない上司(58)は、エマ・ストーンもグウィネス・パルトロウも知らないけれど、マチルダ・メイは知っていました。世代によっては、そんな身近な映画なんですよ、スペースバンパイアは。 劇場公開のとき『ハリウッド最新SF映画特集』みたいな番組が、ゴールデンタイムに放送されてました。そこでさんざん流されてたのが、ミイラ化した警備員が解剖医の精気を吸い取る有名なシーンと、解剖台から起き上がって警備員の生気を吸い取るマチルダ・メイのシーン。ここが何度も放送されていた記憶があります(※映像のインパクトが強かったため、記憶に誤差が生じている可能性アリ)。 ゴールデンタイムにおっぱい。マチルダ・メイの巨大なおっぱい。19歳の美しいおっぱいが、何度も何度も何度も流されてました。テレビ局の策略に見事にハマり、当時のお父さんたちは最新SFXの凄さを観てるフリして、おっぱいに釘付けだったことでしょう。私も「ハリウッドって色んな意味でスゲェ…」って思って観てました。 ふぅ…さて、何でしたっけ?そうスペースバンパイアね。マチルダ・メイと同じく印象深いのがカッコいいテーマソングです。宇宙空間に漂うスペースシャトルがカッコ良かったなぁ。当時の私は後半のゾンビだらけのロンドンの映像が怖くて怖くて…。バンパイアがターゲットを襲う所は大丈夫でも、誰彼構わず襲われるのが苦手で、自分があの場に居たらと思うと、怖かったんですね。あとは…あんまり覚えてないや。 先日偶然、中古DVDを見つけて、ついつい買ってしまいました。『無修正版』だって?あぁ、いわゆる“ヘア”が出てました。当時のはモザイクが掛かってたんでしょうかね?テーマソングはやっぱりカッコいいけど、スペースシャトル、あんな平べったかったなぁ?ハレー彗星ショボいな。でも宇宙船チャーチルの内部はお金掛かってます。何か他の映画のセット流用かなぁ? 吸精鬼が入ってるクリスタルをどうやって開けようか悩んでたのに、次のシーンではベッドで寝てるマチルダ・メイ。けっこう適当な映画なのを、マチルダ・メイのおっぱいが全部ひっくり返します。寝てても起きててもカタチの変わらないおっぱい。でも、エロさより美しさが勝るんですよね。マチルダ・メイもゆっくり動くから、おっぱいが揺れないので、あまりエロさを感じないのかもしれません。 ロンドンのゾンビ化は、警備員の生気を吸い取られた解剖医同様、2時間の命の吸精鬼たちなんですね。今見てもなかなか怖いです。でもそれより、TNGのピカード艦長(パトリック・スチュワート)が女声でカールセンとキスするところのほうが怖くて、目を背けたくなりました。 [地上波(吹替)] 5点(2024-08-11 14:25:18) |
129. 炎のランナー
《ネタバレ》 2024年パリ・オリンピック開催中に、1924パリ・オリンピックの映画を観る…いやいつでも観られる映画より歴史的瞬間のほう観ろよ!って思いつつ、映画観ちゃうんだなこれが… “Chariots of Fire”『炎の戦車』。戦車というのはベン・ハーに出てくる競争用の馬車です。『我が炎の戦車(Chariot of Fire)を持て』という詩をモトに、イングランドの国歌の一つ『エルサレム』の歌詞の一部になっています。エルサレムは、1919年当時の愛国心高揚の歌だそうです。 有名なヴァンゲリスのテーマソングが美しい。このサントラのカセットテープ持ってましたよ。私の中でオリンピックの音楽といえば、この『タイトルズ』と'84ロスオリンピックの『ファンファーレ』です。ロスの方はジョン・ウィリアムズ作曲だったのか。だから、自分好みな音楽だったのかなぁ? さて、映画の背景を見ると、公開は'81年。前年'80年はモスクワ・オリンピックがありましたが、ソ連のアフガン侵攻を受けて。西側諸国の大量ボイコットがありました。日本もアメリカも、この映画の製作国のイギリスも不参加でした。その前の'76年モントリオールも、南アのアパルトヘイトを理由にアフリカ諸国がボイコット。その前の'72ミュンヘン・オリンピックでは映画にもなった事件が。平和の祭典がどんどん、国家間の政治問題に利用されていた時代だったんですね。そして'84年が西側の雄アメリカで開催のオリンピックです。盛り上げなきゃいけません。それでこの映画です。 映画の舞台を'24年にしたのは、製作国イギリスが、第一次大戦の大きな傷跡から立ち直ったキッカケとなった大会だったからでしょうか。駅でハロルドが、勲章を付けた負傷兵が荷物運びをしているのに驚くシーンが印象的です。 炎のランナーといえば、海辺を走るオープニングの、純粋に走ることを楽しんでいる選手たちの美しさ。この映像に、この映画の伝えたいことが全部詰まっているように思えました。この映像は、インドア派の私でも気分が高まりますよ。公開当時モスクワのボイコットで辛い思いをしたアスリートたちも、再び闘志が湧き上がったことでしょう。そしてその闘志をぶつける舞台は、3年後のロス・オリンピック。この地味で美しいオリンピック映画はアカデミー作品賞を受賞します。アメリカも後押ししたんですね。娯楽超大作のレイダースに受賞させるより、3年後のロス・オリンピック。 ナイキとかスポンサーが全面に出てて、スケボーとかブレイキンとか娯楽要素の強い新しい競技が出てきて、いろんな人種の人がいろんな国に所属して出場し、日常生活とセットでタレントのような取り上げられ方の現代のアスリートたち。 中東の宗教問題、人種問題、東西冷戦に翻弄されつつも、ショー・ビジネスと宣伝広告の媒体となっていき、代理戦争の如く国家の威信を背負って競技に挑んだ'80年代のアスリートたち。 自身の肉体・精神の競技を象徴するように、無地の白いシャツ。シンプルな国旗のワッペンを胸に、裸足で海岸を走る100年前のアスリートたち。 舞台の100年前と、この映画が制作された43年前との、時代の変化を感じますね。 [ビデオ(字幕)] 6点(2024-08-11 12:57:55) |
130. 菊次郎の夏
《ネタバレ》 所々雑なんだけど、後半のたけし軍団のお笑いがクドいんだけど、心に残る映画です。音楽の影響が大きいかな。そして夏の景色。プール、神社祭り、トウモロコシ畑、海、川、キャンプ。日本人にはテッパンの夏の景色が目白押し。公開時は、特にノスタルジックな雰囲気で押してる映画じゃないんだけど、今では'99年の景色さえ、どことなく懐かしくなってしまいました。 私はてっきり、坊主が菊次郎なんだと思っていましたが、映画を観る前に雑誌か何かでおじさんが菊次郎だと知りました。…これって重大なネタバレなような気がしていました。だって最後の「菊次郎だよバカヤロー」って、タイトルのネタバラシですよね?最後の最後で、今まで名前が出なかったおじさん=菊次郎だって解る。観客は子どもの夏の思い出映画だと思って観ていたけど、おじさんが他人の子どもと過ごした夏の映画だったのかぁっ!…って、当初イメージをガラッとひっくり返して、どこか納得する事が出来たんです。 でも、それするにも下校時の友達との会話で、坊主=正男だって解ってしまいます。消去法でおじさん=菊次郎になってしまいます。最後まで徹底して“おじさん”と“坊主”で通していたら、名前を言うときの効果は大きくなっていたかもしれません。公開前にシックス・センスを研究出来ていれば…なんて、鬼の首を取ったように書いた後で、特典映像の劇場版予告を観ると、開始35秒で「おじちゃ~ん、おじちゃんの名前何ていうの?」「菊次郎だよバカヤロー」って言っちゃってる。ネタバラシでもミスリードでもなかったのかぁ~~ 正男の行き先が豊橋だと知ったから、菊次郎の母の場所に近いから、妻(岸本加世子)は菊次郎について行かせたのかな。ほとんど母親代わりな奥さん。 この夏、正男と菊次郎は、幼少期に自分を捨てた母親に会いに行きます。声を掛けることもなく、遠くから見つめるだけの再会。悲しい思いを胸に優しいおじさん達とのキャンプ「一緒に遊びましょう?子供が可哀想です。」 結婚して新しい人生を歩いている正男の母親。老人ホームで友達の居ない寂しい老後を送る菊次郎の母親。まさかこの夏、自分が捨てた子供が、遠くから会いに来ていたなんて。もしそれを知ったら、お母さんきっと胸がギュッとなるでしょうね。もし会ってしまったら、きっと謝るしか出来なかったでしょうね。 「またお母さん探しに行こうな!」今回会えなかったから、また次回会いに行ける。 きっと次回なんて無いんだけれど、子供にとって母親は、何年過ぎてもずっと母親。 余談だけど、この子、どことなく安住純一郎アナに似てません?少し前の『情報7daysニュースキャスター』で、後年、滑舌の悪くなったたけしのコメントを、きちんと拾ってフォローする安住アナのコンビネーションが、年老いた菊次郎と成長した正男に観えてしまって… [DVD(邦画)] 6点(2024-08-09 23:15:47)(良:1票) |
131. オースティン・パワーズ ゴールドメンバー
《ネタバレ》 “Austin Powers in Goldmember”『金の陰茎』。 オープニングが本当のスパイ映画(!?)みたいで格好良くて、トムにケビンにスピルバーグ!“こんな映画にこんな人が!”って、この映画のためにあるような言葉ですね。ブリトニーとの意味わかんないビンタ合戦も楽しかったよ。欧米のセレブはみんなこのシリーズが大好きなんだね。いやもう、オープニングでお腹いっぱいですよ。 公開時に劇場で観て、地上波放送の際、久しぶりに観ました。それから暫くしてDVD買って観てて、およそ10年に1回ペースで3回観てるんですが、いやはや、内容全然覚えてませんでした。豪華なオープニングと定番の影絵とか下品なジョークはチラチラ覚えてましたが、シリーズの中で一番記憶に残らない作品でした。マイケル・マクドナルドも出てこないし。 3作目にしてお父さんが出てくる、しかも大物俳優。と言えばインディシリーズを連想します。ナイジェルをオースティンと同じタイプのの上位互換にしたのは、失敗に思いました。インディはアクティブな息子とインドアな父の掛け合いが面白かったけど、本作ではずっとボケ役だったオースティンが、ナイジェルの前だとパワーダウンしてツッコミに回ってます。オースティン・パワーズは、マイク・マイヤーズ演じるオースティンやイーブルらが、周りを引っ掻き回してこその面白さだったと思います。 イーブルにしても、息子のスコットが悪のボスとして覚醒します。それはそれで面白い展開だけど、スコットじゃシリーズは続けられないなって、思いました。もっとも、オースティンとイーブルの出生の秘密から、シリーズ最終作として創られたんでしょう。それでもネタ切れかマンネリ防止か、中途半端に'70年代を舞台にしたのも残念。舞台は最後まで'60年代と現代で、何とか工夫してほしかった気もします。 この映画観て笑ったら、速攻で内容忘れて、忘れた頃にまた観て笑えれば何より。そんな映画です。 [映画館(字幕)] 6点(2024-08-07 22:38:30) |
132. ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
《ネタバレ》 ポスターとかでは“Once Upon a Time in... Hollywood”『むかしむかし…ハリウッドでは。』 似たようなタイトルでin Americaやin Chinaがあるから、同じように訳せば良いのかと思いきや、この“...”が案外ミソでした。 劇中当時のハリウッド裏事情なんて、なかなか知る機会がなく、映画のスターは銀幕の中で演じる役柄そのままな存在でした。でも寡黙なヒーローと思っていたマックイーン(ぽい!めっちゃ雰囲気)が、シャロンたちの裏事情に詳しくてペラペラ喋ってるのがイメージとぜんぜん違う。 同様にブルース・リー(ぽいぽい!でもグラサン取ったら誰?)がビッグマウスなのも、イメージと全然違ったわ。だけど彼らの、思ってたのと違う!って表現が、思ってたのとぜんぜん違う結末に結びついていくんじゃないかなぁ? 後半、ジワジワと暗雲が立ち込める展開に、昔ネットで知ったカルト教団の事件をぼんやりと思い出す。「マンソンの教団にシャロン・テート?あ~~何か事件があった…と思う。けどクッキリハッキリとは思い出せない」って状態で物語の結末を見届ける。「…??こんな事件だっけ?」映画の後でwikiみて記憶修正。あぁナルホド! 最後の安息のシーンに掛かるタイトル。ここで“Once Upon a Time ...in Hollywood”って...の後ろにinが来てます。 『むかしむかしの事でした…ハリウッド版』ってな意味に。ハリウッド≒映画≒創作。実際の事件や歴史を、極力忠実に再現する映画作品も多い中、適度に創作部分を入れるどころか、思い切った結末をブチ込む思い切りの良さに恐れ入ったわ。コレも映画だ! [DVD(字幕)] 7点(2024-08-04 17:33:32) |
133. セブン
《ネタバレ》 “SE7EN”この“7”がカッコいいですね。当時色んなドラマとかでパクられた、カッコいいオープニング映像といい、映像クリエイターだったフィンチャー監督のセンス炸裂です。公開時は「エイリアン3の監督かぁ…」って警戒していましたが、人によって得意分野ってあるものですね。 名作だけど結末がとっても重たいので、今回も久しぶりの視聴です。ぼんやりと6人が犠牲になり、最後自分が7人目なんて記憶していましたが、あれ?奥さんのお腹に…って思って再度整理してみました。 タイトル通り7にちなんだ連続殺人事件で、ジョン・ドゥが『七つの大罪』に沿って、自分の犯した罪を明かしていきます。5人目の高慢までは順当で、最後の2つ、嫉妬はジョン。憤怒はミルズで『七つの大罪』は完結しています。一方でジョンが引き起こした殺人として、ミルズの妻トレイシーと、お腹の子で7人を殺害。だけどジョン自身が直接殺したのはトレイシーだけで、お腹の子と、暴食の男は副次的に死んだとも言えます。罪を重ねた結果、被害者は死んだ体になっています。肉欲に関しては直接殺人をした男が罪で、娼婦は肉欲の被害者になるでしょうか。…こういうサイコパスの殺人を考えると、自分までオカシクなりそうで怖いですね。 ミルズの配属早々サマセットは「7日間は見ているだけでいい」って言いますが…この殺人事件が捜査線上に上がったのが月曜日。事件は日曜日に解決します。この期間がサマセットが退職するまでの7日間だったのも、ジョンは計算していたんでしょうか?自分が殺される嫉妬(6)までの罪は、死を持って断罪されますが、最後の憤怒(7)は、自分が死ぬまで自責の念を抱きながら生きていく、あまりに厳しい断罪。 7日間が過ぎると、殺人犯も、事件を追った2人の刑事も、誰も残らない。一本の映画として完璧なパッケージングです。ついつい7点を付けたくなる気持ちを抑えて… [ビデオ(字幕)] 8点(2024-08-04 16:41:30) |
134. (500)日のサマー
《ネタバレ》 “(500) Days of Summer”邦題ままでいいと思います。 最初、夏の映画だと思ったので夏に観ましたが、人の名前だったんですね。タイトル見て(500)のカッコが不思議な感じですが、映画観るとすぐに解ります。意味合いとしては『500回目のサマーの日』でしょうか。 (1)にサマーに出会い、(488)に最後のお別れ。(500)は何があったかというと、次の出会いがありました。別れたのは(290)のようです。トムは(290)以降もズルズルとサマーを引きずり、やり直せるか?ってタイミングもあり、でも結局(488)に綺麗に終わってます。出会った(1)から、次の出会いがあった(500)までが、サマーの期間。男の思考回路がそう出来ている。という映画でしょう。 サマーにとってトムは、最初から最後まで彼氏ではなく親友。その辺の考え方が最初からズレていました。トムはそのうち、サマーも考え直すと思ったんでしょうが、その機会は来なかったようです。 ランドセル女優ゾーイ・デシャネルの個性的なキャラを活かした映画に思えます。サマーの過去がサラッと語られますが、アルバムやバイト先の売上げ上昇、男をたくさん振り向かせた過去などが、劇中どう活かされたのかはイマイチ不明です。トムとサマーのごく普通のボーイ・ミーツ・ガール物語に観えました。 余談だけどサマーの後がそう来たら、その前は?って思って調べたら、バイイントンさんという女優さんがいました。 [DVD(字幕)] 6点(2024-08-04 14:22:22) |
135. クリスティーン
《ネタバレ》 “Christine”邦題まま。パッケージによってはアタマに“John Carpenter's ”って付いてます。原作が『スティーヴン・キングのクリスティーン』なんて呼ばれていたそうだから、シナリオも変わっているし、差別化の意味でも監督名を入れてるのかもしれません。 意思を持ったクルマが人を襲う…コレ怖いか?って聞かれると、脳内イメージは微妙です。本来、殺意を持った人間が乗ることで、クルマは凶器となり、怖ぇって思えるんだろうけど… 名前の通りクリスティーンは女です。車種は'58年型プリマス・フューリー。このクルマのボディカラーは白地に金ラインの一種類のみだったそうです。オープニングの工場ラインで、白+金のプリマスが並ぶ中、1台だけ赤+白のクリスティーンが目立ってます。…この台数のプリマス用意するの、大変だったろうな。で、初めての事件-整備士が指を挟まれる-が起きるんですが、クリスティーンの『ちょっと触んないでよ!!』って言葉が聞こえてきそうです。続いて最初の殺人=タバコの灰を落とした…怒るのも解るけど殺すほどか?ルベーの話だと、何があったか知らないけど、まだ5歳だった弟の娘と妻も殺してる。なので、彼女の沸点の低さと仕返しのエゲツナサが伺えます。 こう考えてみました。クリスティーンは“意志を持ったクルマ”ではなく、“クルマの外観を持った女”が、次々人を殺していく物語なんじゃないかと。太った不良ムーチーを殺すときの、入れない狭さの路地にバリバリ入っていく様子は、なりふり構わない女のワイルドさを感じさせます。バディを殺すときの、炎のドレスをまとったクリスティーンは、この映画で一番美しいシーンかもしれません。 エンジンは掛かるけどボロボロのプリマスが250ドル。'83年は1ドル238円くらいだったので、アーニーは6万円ほどで彼女を手に入れます。格安ですね。でも30年くらい前は15年落ちの国産中古車が5万円くらいでロシアに売られていたので、妥当といえば妥当です。 不良にボロボロにされたクリスティーンが、アーニーの見てる前で、まるでストリップのようにボディを復元していく特撮は圧巻です。壊す映像の逆再生だろうけどどうやって車体に圧力かけてるんだろう? 怖さはイマイチだけど、CGの無いこの時代だから創れた、大量の実車プリマスを惜しげもなく使った映像は、一見の価値があります。 [地上波(吹替)] 5点(2024-08-03 11:19:47) |
136. 13日の金曜日(1980)
《ネタバレ》 “FRIDAY THE 13TH”邦題ままでいいけど『金曜日・13番目』っぽい。 キリストが磔刑されたのが金曜日で、裏切り者のユダは13番目の弟子。それらの組み合わせで、西洋では古くから“不吉な日”とされているそう。この日以外で『〇〇日の◯曜日』って特定日は思いつかないものね。 13金シリーズは、子供の頃しょっちゅうテレビで流れていた印象があります。お陰さまで13日(金)となると、怖いことが起きそうで1日中ドキドキしていたし、ホッケーマスクは殺人鬼が被るものだし、ジェイソンって名前の人は=殺人鬼だし… シリーズのどれも“湖でキャンプする若者が殺人鬼に次々殺される”って同じような内容でしたね。観た順番とか記憶は曖昧ですが、この1作目は、シリーズ何作品か観た後に観てます。そのため『殺人鬼=ジェイソンじゃない!?』事が新鮮だったのと、最後のシーンは、見事にビックリしたものです。 本作と本シリーズは'80年代を代表するスプラッター・ホラー映画です。でも次々と人が殺されるけど、怖いか?目を背けたくなるか?というと、案外耐えられます。私にホラー耐性がついたのと、本作の殺す瞬間が、サクッと一瞬で終わるからかもしれません。当時から『悪魔のいけにえ』のように、もっと長時間、生々しく息苦しい殺人描写の映画もありましたから、それに比べると、そんなに恐くはありません。むしろ当時の特撮技術(創意工夫)に感心しながら、楽しく観られました。 過去の有名ホラー作品からのリスペクトが強く出ているため、元ネタが解ると“まんまやん”ってちょっとガッカリしてしまいますが、後のマンネリ長期シリーズの原点と思うと、「最初は色々工夫していたんだな」って、むしろ好意的に受け止められます。 そして本作はもともと『シリーズ化を想定していない単体作品』でした。単体作品として考えた場合、ジェイソン・ボーヒーズは23年前に溺れ死んだ可哀想な少年で、今もクリスタルレイクの底に沈んだままだそうです。 1の主なスタッフは、2以降のシリーズには参加してないんですね。13金と言えばホッケーマスクの殺人鬼ジェイソンで有名。だけど記念すべき1作目を生み出したスタッフは、殺人鬼ジェイソンとは無関係という、ちょっと不思議な関係になります。 劇中の独特な効果音。私が子供の頃は『チッチッチッ!ハッハッハ!』って言ってました。DVDの特典の、スタッフ(マンフレディーニ)の話によると『キッキッキ!マッマッマ!=Kill Mom(ママ殺して)』だそうです。う~んでも、ジェイソンの乗り移ったパメラは「Kill Her Mommy Kill Her!」って言ってるから『キッキッキ!ハッハッハ!=Kill Her(あの女を殺して)』が正しいんじゃないかな?って思ったりします。思春期真っ盛り、11歳のジェイソン少年の、美人指導員への片想い。イケメン指導員との見てはいけない関係を目撃してからの逆恨みがモトで、それでイチャイチャしてる男女から率先して殺すようになったのかなぁ?って。妄想ですが。 [地上波(吹替)] 5点(2024-08-03 00:37:14) |
137. IAM A HERO アイアムアヒーロー
《ネタバレ》 原作読む前に映画観ました。邦画のSFとして、安っぽさを感じさせない映像で、結構頑張ってるなぁって思いました。 原作の前半部分は“ゾンビパニックが日本で起きた場合、日本人はどんな行動を取るか?”を、結構リアルにシミュレートしていたと思います。目の前でZQNに襲われた人を見ても、写メ撮るくらいで無関心な通行人とかが日本人らしいというか、なかなかパニックにならず、日常生活を続けようとする辺りがリアルに思えました。それと原作の英雄はもっとウジウジしていてコミュ力低め。妄想癖もあって面倒くさい人物。でも映画ではその辺りは控えめにして、ゾンビ物アクション映画として、勢いを優先したように思えました。 ストーリーを詰め込みすぎず、適度に省いたことで、原作未読の人にも取っ付きやすくなっています。反面、比呂美が英雄を信頼する過程が説明不足になってしまいました。英雄の「俺が君を守る!」からの「…うん」って返事と同時に流れる一筋の涙は、結構な見どころだと思います。有村架純頑張ったなぁ。 で、富士山麓の森の中から、再び幹線道路に出てきた時に英雄が髭面になっていたから、相当な時間経過があった模様。そこをもう少ししっかり描いても良かったかと思いますが、“ゾンビ物と言えばショッピングモールの籠城戦”と言わんばかりにアウトレットモールをクライマックスにしたことで、アクションに傾倒した仕上がりになっています。 連載途中の人気漫画の映画化としては良く出来ていますが、当初は続編を創る気があったのか判りませんが、一本の映画としては消化不良な終わり方です。英雄が最後の最後に銃を撃つのは見せ場として上手いと思うけど、あの数のDQNをあの場所で全部倒してしまうのは、ちょっと画的に単調でした。 『モールから脱出したから終わり。…で良いよね?』では、ちょっと『ロメロ・ゾンビ』のお約束に頼りすぎな気がしました。比呂美が半人半ZQNになった理由や、今後彼女はどうなるのか?とかは、映画オリジナルの落とし所を持ってきても良かったかと思います。 [映画館(邦画)] 5点(2024-07-31 23:36:42) |
138. ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
《ネタバレ》 “Extremely Loud and Incredibly Close”色々考えたんですが、考えれば考えるほど頭煮詰まってきますので、健康のため、ひとまず『邦題まま』としておきます。何かスラングかとも思いましたが、もしかしたらこのタイトルも、作中に出てきた“矛盾語”なのかもしれませんね。 何が「ものすごくうるさい」のか、判りませんでした。オスカーの苦手な街の喧騒でしょうかね?「ありえないほど近い」は、求める答えだと思いました。最後の第6回調査探検『第6区を見つける』では、最後の晩と「3番目のブランコが…」と、既にそのまま答えがありました。調査探検『鍵穴を探す』では、最初のブラックさんが答えでした。 創作系の感動話って、ダメなものはダメみたいで、この映画は私には合いませんでした。 劇中、気を許せる相手に辛く当たるオスカー。だから面と向かって「ママだったら良かったのに」は、アスペルガーの子供なら言ってしまいそう。でも、もうママが可哀想で…夫を失って自分も辛いのに、一人息子からあんな事言われたら。観てて「あ、もうダメだ」って、感情がリタイアしてしまいました。テレビ番組だったらチャンネル変えてました。 空爆で両親を失い、それ以来喋らなくなった祖父に、自分の息子(オスカーには父親)が死ぬときの留守録を聞かせる。アスペルガーだから、そんなの聞きたくない祖父の気持ちが解らない。これも私の感情に追い打ちをかけました。 ドアマンへの毎度のキツい一言も、彼がアスペルガーだからって事に、後から気が付きました。 映画だから創作です。ママも祖父も、あの件の直接的な救済が感じられません。ママは特に、良く耐え抜いたと感心してしまいます。劇中ママにあんな事を言った自分を責めるとか、第三者に「君は言ってはいけないことを言ったんだよ」と注意されるとか、映画観て嫌な気分になった私(視聴者)を救うシーンを入れておいてほしかったわ。 私が日本人だからか、鍵の袋に“Black”って書いてあって、それが人名だって、まず思いません。黒い箱の鍵かもしれない。そしてBlackと書いたのはパパじゃない。ウィリアムのお父さん?でもなんで自分の名字書いた?あ、貸金庫の銀行か?でも“Mr.”付けるよな。謎解きのお約束「Blackって、名字じゃなく◯◯の事だったんだ!!」は、ありませんでしたね。 OPから何度か差し込まれる、落下するパパの映像。…でもパパの通話が切れると同時にビルが倒壊しています。じゃ、パパは飛び降りてなくて、倒壊で亡くなったと考えるのが自然。オスカーは留守録から父の最期を知る唯一の存在なのに、なんでビルから落下するイメージを持つのか謎。 制作側の意図として、高層ビルから落下する人々の写真は、万人にとって衝撃的だったから映画に入れたい。また留守録は映画の重要アイテムだから入れる必要あり。だから倒壊も落下も、両方入れてみた。…これこそ“矛盾語”ですよね。 物語上必要な倒壊だけで良かったのに、センセーショナルな落下を入れたがために、私には感動作という裏で『リメンバー9.11』的なプロパガンダ映画にも思えました。『パパを失ったシェル家は、みんなが苦しんでいる。オスカーは8分間に囚われたままになっている。…じゃあ、そもそも誰が、あの優しいパパを殺した?』って。テロリストについて触れずに身内で傷つけ合うのも、“憤りを外に向けろ”って意味?って勘ぐってしまう。 公開年はイラク戦争終結の年でした。 第6回調査探検の“第6区を見つけろ”は、『生者と死者の間の、8分間の人が住む場所』だと思いました。最初の方でオスカーが「死者を地下にビルを建てて埋葬して…」と言ってました。第6区は「川に流されてしまって行方不明」。パパは死んだけど死体はありません。空っぽの棺桶で葬式をしたのは、生きているみんなが納得して死を受け入れるため。 手紙に「第6区の人々はどこかで君を称えているよ 私もだ」って、まるで遺言のよう。ただこれはパパが直後に死んだからそう思えたので、実際は別な解釈があったのかもしれません。そうでないとコレも“矛盾語”になってしまいます。そしてタイトル『ありえないほど近い』のは、第6区の事にも思えます。う~ん…『ものすごくうるさくて』ってなんだ? 映画としては、第5回以前の調査探検を描いて観せるべきだったでしょう。“20世紀の各年代に共通するもの”の答えが石ころでしたが、観てる側には??です。『問題』と『答え』があるのに『解説』が無いからサッパリなのです。 “観るものに委ねる”のもよくある手ですが、タイトルといい『鍵』と『持ち主』を出して『鍵穴・中身』を出さない創りといい、この映画の創り全体が、解けないなぞなぞみたいで、不快でモヤモヤします。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2024-07-20 10:06:40) |
139. マッドマックス2
《ネタバレ》 “The Road Warrior”『路上の戦士』って米国版の英題が付いてました。 続編でありながらピッタリとはくっつかない。本作はブーメラン少年が北部の部族の老人になってからの、回顧録の形式を取っています。前作は暴走族の社会問題がテーマとして、本作は一転して純粋な破壊と暴力を楽しむ映画と思いましたが、もしかしたらもっと大きなテーマがあるのかもしれません。 冒頭、老人が語る昔の世界は、“何か解らぬ理由で二つの大国が戦い、世界中を火の海にした”と。ご存知のように公開当時は米ソの冷戦から、核戦争が危惧されていました。本作は核戦争が起きたあと、生き延びた人々がどんな世界で生きるかをシミュレートしています。この映画の影響で、核戦争後の私たちに、3つの選択肢が生まれました。①資源豊かな村を、弱者も仲間に入れて共同で守っていくか。②弱肉強食、力こそ正義。モヒカン・パンクスタイルで「ヒャッハー!!」するか。③世紀末救世主。…まぁ③は難しいとして、多くの人は家庭や家族のことを考えて、①を選ぶでしょうか。 ゾンビが街に出たらヘリで無人島に飛ぶか、ショッピングモールに逃げるのと同じくらいの、映画界の革命的選択肢と言ってもいいでしょう。 さて、当初マックスはヒューマンガスとパッパガーロの戦いを遠くから傍観しています。ここがもしかしたら本作のテーマ“米ソの第三次世界大戦に対し、我々オーストラリア(マックス)はどうするべきか”を示していたのかもしれません。大きな戦争で世界が滅んでも、2つの陣営に分かれて不毛な戦争は続く。どちらが米かソかは判りませんが、守るパッパガーロ側には女子供や老人もいて、攻めてきたヒューマンガスを悪として描いています。(※でもヒューマンガス側にも女はいます) さて、善の側として描かれるパッパガーロたちが、そもそもどうやって、あの石油精製所を手にしたのか気になります。彼らの目的は3,200キロ先のサンシャイン・コースト(太陽の楽園・オーストラリア北部に実在する)に行くことのようです。…精製所にずっと住み着いて、ヒューマンガスたちと取引して、平和の見返りに適度にガソリンを分け与えるのが一番安全に思えるけど。 結末から逆算すると、ガソリンはバスで運んでいます。じゃあ囮にしたトレーラーって元々必要なかった?パッパガーロは理想家で策略家のため、トレーラー探しや小競り合いで、密かに人減らしをしていったんでしょう。生き残った人数から、バスに積める程度のガソリンで充分と踏んだんでしょうね。 そしてトレーラーの囮部隊で暴走族を壊滅させる。暴走族には何も残さんと言わんばかりに、精製所を爆破する徹底ぶり。結果、パッパガーロの思い描いた通りになりました。パッパガーロって本当に“善”だったんでしょうか?転倒したトレーラーを見て引き返す暴走族たちの表情。『俺たち一杯食わされたな』って顔のジャイロ・キャプテンとマックス。不毛な戦争が両陣営に残した傷跡が、戦争の虚しさと、生き残ったことの安堵を感じさせます。 もし世界大戦が起きて、世界が滅んでも、少ない資源を求め、争いは続く。どちらかの陣営についても、利用されて終わる。 でもそんな説教臭いこと抜きにスカッとする映画です。ゴールデン洋画劇場で始めて観た時、追跡劇の終盤で、夕日に照らされたトレーラーがUターンする時に感じた、「あぁ、もう終わるんだ」ってドーパミンがドバドバ出る感覚は、一生忘れることは無いでしょう。 [地上波(吹替)] 10点(2024-07-16 18:01:07) |
140. スウィングガールズ
《ネタバレ》 楽器素人の少女たちによるジャズ演奏会映像(映画付き)。同時代のAKB商法に例えると、握手券がラストの演奏シーンで、CDが映画かな。正直、ウォーターボーイズと同じことやってます。同じなんだけど、オマケの映画部分は少し熟れて来てます。吹奏楽を経験された方たちにはボロクソに言われるのも解りますし、『ウォーター…と一緒だべ』と大人が眉をひそめるのも解ります。でもウォーターと違い、スウィングは、完全子供向け(学生向け)映画に仕上げてきました。ウォーターを観て、シンクロやりたいって男子は少ないと思いますが、この映画を観てジャズをやってみたいって子達は多かったですからね。そして学生向けの青春映画として、学生ビッグバンド結成のハードルを下げたのは大きな功績です。 彼女たちの思うジャズ=気取ったオッサンがブランデー回しながら聞くイメージをそのまんま竹中直人で観せ、一方で当時のゲーム・スペースチャンネル5のテーマ曲もジャズ(メキシカン・フライヤー)だった事を、スッと入れてます。 吹奏楽だと中学生からもう上手い子は上手いので、素人が高校から取り組んでもレギュラー入りは難しいけど、ジャズバンドは競合者が少ないから、頑張れば彼女たちのように…と希望が持てます。 学校にある高級な管楽器は吹奏楽部に取られていても、お小遣い貯めて中古で揃えることも出来るよ?あと最後、お揃いのブレザーなんて無くてもセーラー服で演奏するのもカッコイイよ?金銭面のハードルを下げてます。 主演5人の中に朝ドラの主役級を3人も入れてますが、メチャクチャ可愛いのを揃えなかったのも上手いです。貫地谷しほりより井上先輩の彼女のほうが可愛かったです。そして一番顔立ちの良い本仮屋ユイカを地味メガネにしてました。そして小太り娘に草食系の地味男子と、主要メンバー全員が“人生の2軍役”なんです。ダラダラと学生生活を送ってきた彼女らが、偶然にもジャズと出会って、彼女らなりに頑張った。泣いて馬鹿にされ失敗もした。だから最後あんなに輝いた。スカスカに観えて、案外スキがないですよね。 彼女らの実際の練習風景、努力の部分は、テレビの特番や円盤の特典映像で二毛作する腹づもりだったんでしょう。 集団食中毒から代打で素人ビッグバンドは、夏の高校野球の期間中にはムリ。ウォーターと同じ、抜けた仲間がワラワラと戻って来る演出は相変わらず説得力無し。コンクール参加できる・出来ないのハラハラ感が当時のバラエティ番組並みとツッコミどころも多いけど、ウォーターより良くなってます。 [地上波(邦画)] 6点(2024-07-16 11:55:58) |