1441. グロリア(1999)
オリジナルとは完全にテーマを変えてきたのは正解だと思う。カサヴェテスと真向勝負なんてできませんから。オリジナルは、自分には無いと思っていた母性に戸惑いながらもその本能のままに奮闘するグロリアを描いていました。対するリメイク版は、男の飾り物として生きてきたグロリアの自立を描く。女性の社会進出が珍しくなくなっても、本人に自立の意識が芽生えなければ意味がなく、まだまだその女性の自立心の芽生えを妨げる社会であることを、ギャングの世界(男社会の代表)を通して描いてゆきます。同じストーリーの中に違うテーマを語ってしまうとは恐れ入ります。そのテーマも実にルメットらしい。シャロン・ストーンは容姿だけならかなりのはまり役だと思いました。ただ、泣きそうになるのを堪える表情がわざとらしいと感じた。ムリに感動を煽らなくてもいいのに。 [ビデオ(字幕)] 6点(2005-07-22 18:56:56)(良:1票) |
1442. キングの報酬
人を蹴落としてでも選挙で勝たせる敏腕選挙プロデューサーが人間性を取り戻してゆくヒューマンドラマと、選挙に絡む政治的陰謀を暴いてゆくサスペンスドラマがミックスされた娯楽作。政界が『ネットワーク』のテレビ界以上にドロドロしていて当たり前と感じるのが普通だと思いますが、『ネットワーク』ほどの衝撃的な事件は全くありません。そのぶん、リアルなのかもしれませんが..。主人公が人間性を取り戻してゆく過程も強引でご都合主義的に展開する。本来見えなければいけないはずの候補者の真の姿を隠してしまう現状の選挙戦への問題提議を一応は描いてはいるが、社会派ドラマとしてはメッセージ性も薄い。そこそこ楽しめる程度の作品でした。 [ビデオ(字幕)] 4点(2005-07-21 16:40:32) |
1443. デストラップ/死の罠
《ネタバレ》 まず中盤に一つ目のどんでん返しがあるのですが、へちょちょさんのおっしゃるように『悪魔のような女』を見ている者にとっては予想の範疇なわけです。というより、そのどんでん返しはまさか使わんわな、という不安が敵中してしまうわけです。ま、中盤だからと気を取り直すも、その後もだいたい予想できる展開で、ミステリーとしては弱いです。カメラを固定して長回しで撮るスタイルは舞台劇のようで、なんで舞台劇の映画化なのにわざわざ舞台劇のように撮るんだろうと思ってたら、その撮り方がラストのオチに繋がる伏線になってたのには参った。劇中のトリックはショボイけどルメットのトリックはなかなか高度ですよ。 [ビデオ(字幕)] 5点(2005-07-20 11:55:33)(良:1票) |
1444. ネットワーク
濃いキャストに濃いキャラ、そして派手な展開なのに、ルメットの抑えた演出が現実感を損なうことなく、いっそうの空恐ろしさをかもし出すのに成功している。テレビ業界の視聴率至上主義の内幕という内容は、テレビ出身のルメットにしてみたらオチャノコサイサイってところでしょうか。ただ、怒りの代弁者として復活したキャスターに呼応するように街じゅういたるところから視聴者の怒りの叫びが響き渡るシーンは現実的じゃない。そもそも現実的にする必要もなくて、もっと派手な演出でブラック・コメディにしてくれたほうが個人的には良かったかも。“社会派”の名手としてのレッテルが許さなかったでしょうが。蛇足ですが、そう言えば日本の「ニュース・○テーション」が放送開始されたころ、アメリカではキャスターが自分の意見を述べるなんて考えられない、というのを聞いたことがある。きっと現実と報道内容とのギャップにストレスを感じるキャスターっていたんだろうなぁ、とか考えちゃいました。 [DVD(字幕)] 6点(2005-07-19 18:12:49) |
1445. ポーラX
この作品の予告編がものすごいインパクトを持っているんですが、本編は期待しすぎたせいか予告編以上の感動がなかった。でも予告編にインパクトがあるってことは、それだけ印象的な画が間違いなくあったってこと。映画に嫌われて8年の空白をあけてようやく帰ってきたカラックスのこの作品の主人公はこれまでのカラックスの作品同様、身体の一部を損傷します。指の怪我から別の世界への旅立ちが始まります。終盤には杖無しでは歩けず、視力も失いかけてゆきますが、前作『ポンヌフの恋人』の男女の損傷を一人で背負っていることになります。さらに舞台を華やかなフランスの中にある難民問題を抱える闇の部分とすることで、主人公をとことん落としてゆきます。新進気鋭の謎の作家として世間を賑わし、手のひらを返したように「妄想と混乱の産物」「ただの模倣」と酷評を受ける様からも、まちがいなくカラックス自身を被せています。自分の魅力が未熟さにあることを悟り、ある意味開き直って作ったような気がします。アレックス三部作が青くて痛かったように、この作品にはカラックスの絶望がストレートに表現されている。これまでの作品でスクリーンにみたてたウィンドーガラスを木端微塵にしてしまう辺りにこだわりを感じます。と同時に映画との決別の意味かとも思えて、次回作も見たいと思っている者としては気が気じゃないです。駄作と評されていようが私にとっては惹かれる作品であり、惹かれる作家です。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-15 20:05:03) |
1446. ポンヌフの恋人
《ネタバレ》 アレックス三部作の最終作。そしてカラックスが映画から遠ざかった、もしくはカラックスから映画が遠ざかった原因となった問題作。巨額の制作費が批判され、会社も倒産という苦汁を味わうことになる今作、その巨額の制作費はおそらく撮影の許可が下りなかったゆえのポンヌフ橋のセットにかかったのだと思いますが、お金をかけただけあって、あの花火のシーンの豪華な美しさはなかなか味わうことの出来ない美を放っています。駅の改札を走りぬけるアレックスや水面を切る石を画面の真中に捉えつづける画は前作の疾走感を継承し、三角関係の一角の作中での不在もまた前ニ作と同様。そしてビノシュのポスターの燃えるシーンは花火のシーンとはまた別の、アートとしての美しさを持っています。それ以上に驚くのは、冒頭の収容所シーンのドキュメンタリータッチで描く生々しさである。男女の恋愛という古典的題材のメルヘン性と現実性の同居は、前作から見せ続けている古典的と新感覚の同居以上に劇的な合致だと思う。しかしラストに唐突に訪れるハッピーエンドは大不満である。バッドエンドだったものをビノシュにねだられて変更したとか。それでいいのか?悲劇だからこそ、あの超ハッピーな花火のシーンが生きてくるはずなのに! [ビデオ(字幕)] 6点(2005-07-14 17:03:20)(良:1票) |
1447. 汚れた血
アメリカ女が出てきた時点で、これはフランス映画とその中で誕生するヌーベル・ヌーベル・ヴァーグの物語と解釈してしまった。以下、私の妄想的解釈。アメリカ女=アメリカの映画会社のプロデューサー。謎の病気の蔓延とハレー彗星接近による世紀末的状況=フランス映画の低迷。ワクチンがあり、彗星もいずれ通りすぎるので低迷は一過性のもの。殺された男は偉大なるヌーベル・ヴァーグ?息子は父と同じく手が器用=ヌーベル・ヴァーグを引き継いでいる。息子の名前はカラックスの分身・アレックス。新たな世界へはばたきたいアレックスは資金調達のために父の仲間と共にある計画を実行する。盗み=引用?仲間はアメリカ女を恐れる男とスタイルに拘る男と謎の女。やっぱり出てきたガラス張りのアジトは映画そのもの。今度の“新しい波”はとてつもないスピードを見せつける。腹話術=直接言葉で伝えない?アレックスは死ぬが映画は死なない。疾走する映画は女に受け継がれた。頻繁に出てくる髭剃りのシーンは?パラシュート降下は?さぁ、みんなで考えよう!って適当なことを長々とスイマセン。でも、透き通るような美しさとはまさにこのこと!と思わせる二人の女優を見るだけでも価値があると思います。女優を美しく撮るって重要なことです。 [DVD(字幕)] 8点(2005-07-12 16:12:25)(良:2票) |
1448. ボーイ・ミーツ・ガール
カラックスが自らの本名である「アレックス」を主人公に与え、前衛的手法と古典的題材でもって「ゴダールの再来」とまで言わしめた、弱冠23歳での長編デビュー作。目元のどアップを画面に被せたり、リズムを切る画の無いカットといった懲りすぎともとれる様々な技法は意識的にヌーヴェルバーグをなぞっているように思う。パーティシーンでの「はじめに言葉ありき」というパーティ客のセリフとアレックスのことをアレキサンデルと呼ぶパーティ主という描写はタルコフスキーの『サクリファイス』からの引用かと思ったら、『サクリファイス』は86年でこの作品より新しいので、タルコフスキーもカラックスも別の何かから引用しているのかもしれません。ピンボールとロックがヴェンダースを彷彿させるのも私の思い過ごしかもしれません。しかし美しいモノクロはノワールを彷彿させるし、見知らぬ男女の回転するキスシーンは(特にアメリカの)恋愛映画を彷彿させます。女の部屋の一面がガラス張りなのはまさにスクリーンを彷彿させます。ラストではそのスクリーンの向こうに観客までいます。ヌーヴェルバーグ、中でもゴダール的に料理した作品だと思いました。瑞々しさよりも痛々しさが上回るところがカラックス風味といったところでしょうか。 //追記(09.6.2)「はじめに言葉ありき」は新約聖書からの引用でした。いやはやお恥ずかしい・・・。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-11 18:09:23) |
1449. 愛のめぐりあい
フランスとイタリアの4つの都市を舞台にした4話からなるオムニバス。なんでも、一度倒れて、その後遺症で言葉を発することができなくなったアントニオーニに対して制作費を出す条件がヴェンダースを共同監督とすること、だったそうで、ヴェンダースはこの作品の前と後、そして各エピソード間の挿話を撮っている。ヴェンダースが担当するのは第2話で登場するマルコビッチ演じる映画監督が次回作の舞台選びに4つの都市をまわっていくという所謂ロードムービーなわけで、彼らしさが発揮できる展開なわけで、当然こちらはアントニオーニとの高度な映像バトルを期待したわけですが、意外にも全てがアントニオーニ色に染まっている。もちろんアントニオーニの映画なので、ヴェンダースがアントニオーニ風に撮ったのでしょうが、そもそもヴェンダースの中にアントニオーニ的なものが備わっていたのだろうと思いました。とか言ってるあいだに4つのエピソードに関するコメントを書くスペースが無くなってしまった(トホホ..)。「ありえない恋の話」の町並み、「女と犯罪」の港、「私を殺さないで」のガラス張りの建物、「死んだ瞬間」の教会、どれもが有名無名の俳優たちが見事に情景に溶け込んだ美しい作品でした。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-08 15:09:23)(良:1票) |
1450. さすらいの二人
嘘やしがらみにまみれた希望の無い現実世界から逃避する、放浪三部作の三作目は、舞台を北アフリカから出発し、バルセロナへとさまよわせる。殺伐とした現実を伝えなければならないという職業の主人公は自らの人生をリセットするかのように、別人として生きることを選択する。そうすることによって今まで見えていなかっただけかもしれない希望を見出そうとしたのかもしれない。行きずりの女とガウディの建築物が希望を垣間見せたかに見えるも、追って来る現実からの逃避行が始まる。ラストの息を飲む長回しの後の死の意味するものはなんなのか?『欲望』『砂丘』ともが、全てが現実逃避の仮想世界ととれなくもなく、そう考えると最初の死体は実は...いや、考えすぎか。 それにしてもジャック・ニコルソンという個性の塊みたいな顔が不思議にアントニオーニの世界に馴染んでいるのには驚いた。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-07 18:40:59) |
1451. 砂丘
『欲望』に次ぐ放浪三部作の二作目は、音楽はハービー・ハンコックからピンクフロイドへ、舞台をロンドンから南カリフォルニアへ移す。自由を勝ち取るための学生紛争の不自由さから逃れるように一人の青年が砂丘地帯へやってくる。そこで同じく大人社会から現実逃避的に一人さまよう女と出会う。この若い男女の顔がなんともアントニオーニの映画に映える。とくに男のほう。ドラッグ効果も相俟って男と女の間に幻想的な世界が繰り広げられる。愛が無限の広がりを見せる様を美しく映し出した画は圧巻の一言。爆発シーンはアメリカ映画っぽく、アウトローの死もアメリカン・ニューシネマを彷彿させるが、アントニオーニの意図やいかに? ともあれ、アントニオーニらしい不条理感に溢れた作品であることは確かである。そして『欲望』と同じく、この作品もまた、男と女の出会いすらが幻想だったかもしれないという、ストーリー不在の作品である。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-06 16:35:57) |
1452. 欲望(1966)
放浪三部作の始まりはロンドンを舞台とする。音楽とファッションとアートを背景にジェフ・ベック、ジミ-・ペイジの在籍時のヤードバーズのライブという貴重映像を盛り込みながら(けしてピルグリムさんと月麻呂さんのお仲間に入れてもらおうとして書いたわけではなく..ってこともなく..笑)、ゴダールのソニマージュにも通じる音楽と映像の融合からなる独特の世界観を作り上げたアントニオーニの真骨頂。あると思っているものが実は無い。幻想や夢や勘違いといったものではなく、存在するもの全てに存在の可能性を問うている。そんなこと言い出したらサスペンスなんて成立しない。しかし、そんなことお構いなしにストーリーを消し、最後には主人公まで消し去る。この映画自体がもともと無かったかのように。衝撃的です。『マトリックス』の原型はコレだった!! ウソですけど。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-05 16:34:32)(笑:1票) |
1453. 夜
あるとき突然、女は愛の喪失に気付く。男は納得のいかないままこの告白を受け入れざるおえないのが常なのだが、この作品では、納得がいかないまでも、一応の理由が語られる。女がその心情を言葉で説明するラストシーン、、これさえなければと思った。同じ目にあっているが故に、ちゃんと納得したいというアントニオーニの願望がついつい出てしまったのだろうと思った。それでも男と女のすれ違う想いが痛々しくもリアルだと思った。、、、と、以上がずっと昔に見たころの感想。点数にすると5~6点てとこかな。でも他のアントニオーニの作品を何本か見た今はこの作品の見方も変わっている。いくらマストロヤンニやジャンヌ・モローといったビッグネームが出ていようとも、人物を追ってばかりじゃこの作品の旨みはわからない。女が自らの愛の喪失に気付く前に、背景は彼女の心情を映し出していた。ラストの説明は観客に向けたものではなく、あくまで夫に向けたものであって、観客に見せたのはその後の悲しすぎる言葉のすれ違いにすぎない。あぁ、やっぱり痛々しくてせつない。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-04 17:56:30)(良:1票) |
1454. 捜索者
鱗歌さんもご指摘しておられるオープニングとエンディングが印象的。真っ暗な部屋の中から切り取ったようなドア枠から映し出される画はまるで映画の中の映画。美しい情景が映され、ジョン・ウェインが馬に乗り颯爽と登場。さぁ始まり始まり~。そしてエンディングもこの逆で、映画の終わりを告げてくれる。憎しみと殺戮の世界が虚構性を強調され、後味の悪い余韻を引きづらせない。映画が大衆娯楽であるための心遣いである。それでも、ハッピーエンディングの中で一人寂しいジョン・ウェインの後姿に、別の余韻を感じずにはいられない。 [DVD(字幕)] 7点(2005-07-01 15:42:50)(良:1票) |
1455. ミスタア・ロバーツ
所々にロケーションの素晴らしい画があったのですが、船上での舞台劇的なノリとはミスマッチに思えました。喜劇の中でロバーツの男気を見せてゆくのですが、男気だけが究極に描かれていて、コメディが添え物になっているような気もします。反対に、徹底したドタバタコメディの中でさりげなく男気を描いたほうが断然面白いと思うのですが..。ラストのオチも微妙です。笑っていいのか..やっぱり笑えないですよ。 [DVD(字幕)] 5点(2005-06-30 13:57:10) |
1456. 静かなる男
どうやったら緑があんなにも緑になるんだろう。ほぼ原色に近いくらいの緑に被われた美しいアイルランドの町並みと、その国の風習に沿って生きる人達の描写は、一歩間違えれば閉鎖的に映し出されてもおかしくないのに、ここでは風習の本来持っている素敵な面、つまりその国で幸せになるために生み出された風習というものがイヤミなく描き出されていて、誰もがその地で暮らしたいとさえ思わせる幸福感で溢れている。その国の、その町の一員となるためのケンカを誰もが祝福する。皆が楽しそうだ。見てるこちらが楽しくないわけない。 [DVD(字幕)] 7点(2005-06-29 17:02:41) |
1457. アパッチ砦
後の『黄色いリボン』『リオ・グランデの砦』とともに騎兵隊3部作と言われる。軍人としての頑なな規律重視の態度と冷淡なまでの先住民蔑視を、強烈に印象づける独裁的リーダーが主人公であるにもかかわらず、娯楽映画として高い水準で楽しめたのは、アパッチ族に敬意を表し、話し合いによって問題を解決しようと試みるジョン・ウェインの存在があり、その彼が本質的にリーダーとしての信頼を皆から得ているということが伝わるから、というのが大きい。また、男のドラマに固執せず、女たちの、砦における生活の柱としてのたくましさと優しさを見せてくれたことで、より接しやすい作品となっている。しかし独断により部下もろとも壮絶な死をとげた事実を美談として伝説に昇華させるラストのくだりに、騎兵隊はあくまで国のために戦う軍であることをまざまざと見せつけられる。シリアスな題材に悲惨なシーンを削らずに娯楽映画として成功させたジョン・フォードはやっぱり凄い。 [映画館(字幕)] 7点(2005-06-28 16:21:44) |
1458. 駅馬車(1939)
まず、駅馬車の目的地にアパッチ族の襲撃の可能性があること、そして、にもかかわらず目的地に行かなければならない事情が乗客それぞれにあることをアッというまに見せて、あとはその極限状況とも言える馬車内に登場人物たちを放り込み、それぞれの思惑と偏見を露呈させてゆく。この人間模様を見せるための土台作りのさりげなさが名作たる所以でしょうか。そしてなんと言っても迫力のアパッチ襲撃シーンが一番の見せ所。たてがみをなびかせて全速力で走る馬を的確な構図に収めつづけるカメラはまさに職人芸。広大なモニュメント・ヴァレーというフォードにとっても最高のロケーションを最大限に活かしたアクションシーンに満足必至。その後の決闘に緊迫感を欠くのは、襲撃シーンの迫力がありすぎたせいでしょうか、それとも妙な緊張を伴った人間模様にケリがついた後だったからでしょうか。まあ、ストーリーにケリをつけるのには必要なシーンですから、無いとこまるのですが、どうせならもう一度盛り上げるために三十分くらい延長してもらっても良かったかな。ダメかな? [ビデオ(字幕)] 7点(2005-06-27 19:06:49)(良:1票) |
1459. お早よう
そういえば、建て替え前のウチの家にも勝手口ってあったなぁ。ほんとに勝手に近所のおばちゃんが入ってきてたなぁ。こういう、その当時は当たり前だった光景をまったく知らない若い人たちが見たら、家の間口が余計にこんがらがっちゃうんじゃないだろうか。わかっててもこんがらがっちゃうんだから。 会話における大人と子供の対比がおもしろいです。好きなのに「いい天気ですね」に対して、弟ちゃんの「アイラブユー」は極端すぎて笑える。笑えるといえば、やはり「おなら」。「プー」「呼んだ?」「いいや」「そう」..「プー」「何、呼んだ?」..笑った。それにしても、小津のカラー作品って、日本のどこにでもある日常の風景なのに、独特の虚構性を持ってますね。この雰囲気はアキ・カウリスマキに継承されてるなと感じました。 [DVD(字幕)] 7点(2005-06-24 13:15:26)(良:1票) |
1460. 彼岸花
いいですねー、京ことば。主人公一家と京都の親戚母娘の会話の両極端なテンポがもたらす絶妙なリズム。両者ともに、より際立っていました。静かなる紳士ぜんとした男が唐突にわいた娘の結婚話しにイライラし、物分かりの良い妻にも意見され、「おい!うるさい!ラジオ消せ!」と怒鳴るシーン。怒鳴られたことによる困惑のなかで、夫の心情を察して微かな笑みを浮かべる妻。ウチだったらギロッてにらまれて1週間は口を聞いてもらえないことまちがいないだろう、、ということで、苦々しくも羨ましい、でもやっぱりいいなぁと思えるシーンでした。小津の他の作品のように、同じ部屋でも色々な方向から撮っているんですが、赤いヤカンに代表される小物たちの存在が混乱を避ける目印となり、またその可愛らしい自己主張が心を和ませます。誰もいない廊下の片隅にある赤い座布団の敷いた籐の椅子が、場面の切り替え時に度々映し出されますが、静かな余韻に浸るいい間(ま)を作り出すとともに、最後の最後に妻がその椅子に座る画の伏線にもなっているのには驚きました。小津の映画はこういう驚きに溢れています。 [DVD(字幕)] 9点(2005-06-23 18:20:29)(良:1票) |