141. 鴛鴦歌合戦
↓なるせさんのように浮かれっぱなしで観るのが、この映画の正しい見方なのだが、天気雨のシーンに涙するのを忘れてもらっちゃ困る。あの娘とこの娘の恋が望遠鏡でむすびつき、宮川一夫の柔らかな光が、干した傘に満遍なく注いでいる。この叙情、このご都合主義! 10点(2003-12-27 22:17:29)(良:1票) |
142. 和製喧嘩友達
ごく普通のサイレント喜劇。と、思ってみていると、ラストの唐突な移動ショットに感動した。例えば縁日のシーンなど、その情感が目に浮かぶだけに、ほとんど現存していないのがもったいないっす。 10点(2003-12-15 10:08:58) |
143. 風の中の牝雞
《ネタバレ》 この映画の物語を、現在、素直に受け入れることは難しいかもしれないし、公開当時ですら小津の失敗作とされた作品です。しかし、社会的ともいえるテーマを個人の問題として提示し、それを骨太く構成する小津の技にはまったく驚きます。子供時代の何気ない思い出話が娼家のシーンに生き、それは笠智衆と佐野周二とのやりとりにつながっていく、その伏線の旨さ、それが生きてくる構成の妙。イメージのみが優先される今の映画にはない、古典的なドラマツルギーの力強さに感動します。それにしても、階段から転げ落ちた田中絹代が起きあがろうとする、俯瞰ショットの不気味さは何なのだろう。ラスト、佐野の背中をはいずり回り、祈りにも似た身振りを演じる、田中絹代の不気味な腕は何なのだろう。その不可解、触感、唐突が、古典的以上の何かを現在に残しているように思う。小津はやはり不気味だ。 10点(2003-12-15 10:02:13) |
144. 大人の見る絵本 生れてはみたけれど
移動ショットを縦横無尽に駆使するリズムの良さ、子供たちを構図の中にスタイリッシュにおさめ、ミュージカルのように、振り付けたごとく、彼らの動きを演出する。小津は大家の域に入ったようだ。一方、子供たちの動きは自由奔放で、いかにも即興風、まさに自然な姿を見せてくれる。それは、まるで新人監督が撮ったかのように瑞々しい。巨匠と新人が共存する魅力と不思議。この映画は、松竹子役オールスターズによる、もはやアクション映画だ。 10点(2003-12-14 23:41:25)(良:2票) |
145. 非常線の女
奥行きのあるスタイリッシュな構図と、移動ショットを組み合わせたテンポのいいリズム、ルビッチ伝来の省略の妙、ミスキャストとしか思えない田中絹代の、しかし妙にエロティックなドレス姿。ハリウッドスタイルのギャング映画が人情劇に移行する、その自然、粋、もはや大家の風格だ。この時、小津30才。ハリウッドから学ぶものはすべて学んだ、そんな風情が実にいい大傑作。 10点(2003-12-14 23:25:36) |
146. 出来ごころ
この映画を観て、突貫小僧の真似をしない人は多分いない。そんな戯れ言しかこの映画には言えまへん。私に出来るのは、しみじみ泣いて、しっかり笑うだけです。大日方傳のかっこよさ、花火の音やビンタの音が聞こえてきそうなサイレント。それにしても、突貫小僧はなぜ眼帯をしてたんだろう? 10点(2003-12-13 00:45:12) |
147. 戸田家の兄妹
「マトリックス・レボリューションズ」を観て「なんだい。こんな結末あるもんかい」(←「麦秋」の村瀬禅の声で読んでね)と思った若者諸君は、是非この映画でスカッとしていただきたい。胸がすく、痛快、そんな気分を味わいたいなら、これだ。「東京物語」の前身だが、ずいぶんメロドラマティックで楽しい小津です。佐分利信がハリー・キャラハンなみにかっこいいっす。今日というか昨日は小津の誕生日&命日なので、躊躇なく10点! 10点(2003-12-13 00:33:51) |
148. 女は二度生まれる
まずこの映画は、山茶花究やフランキー堺がスクリーンをうろうろしてるだけで楽しい、という既知の面白さにあふれている。それはただただ楽しい。一方で、若尾文子はそんな男たちの所作を客観的に見つめ、彼らから受ける仕打ちにただ黙っている。冷笑を浮かべるわけでも、涙を流すわけでも、暖かな微笑みで男たちを受け止めるわけでもなく、ただ無表情にうつむいている。「花影」の池内淳子は自殺という手段を選んだが、若尾は何を考えているのか全くわからない。そして映画はぶったぎったように、唐突に終わる。観客は取り残され、「若尾文子の素晴らしさ」や「人生の哀しさ」を自信なく呟く。この巨大な映画は、そんな無意味な呟きをブラックホールのように、いとも簡単に呑み込んでいく。そしてその巨大な黒の中心には、空虚で無表情な若尾文子が座っている。生き地獄から出ることの出来ない絶望と恐怖。川島雄三の、日本映画のワンオブベスト。 10点(2003-12-11 23:01:41)(良:3票) |
149. ゴースト・オブ・マーズ
「カズゥー柔術 (青帯)」さんのコメントに付け加えることは何もない。そーゆーことです。この映画の「無茶苦茶」は確信犯だし、その「無茶苦茶」の果てに、原初的な「映画」の核が見え隠れしてるってのが、カーペンターのすごいところ。普通に面白いアクション映画や、普通につまんないアクション映画は山ほどあるが、こんな映画は、そう、ない。それだけでも立派だ。最後の歩きは泣くでしょ、ふつー。去年の私のベスト1でしたが、何か。 10点(2003-12-11 11:34:19) |
150. 早春(1956)
人と話をしていて、つい別のことを考えたり、文脈からずれたことを言ったり、親しい相手以外は通じないことを言ったり…、それをそのまま映画に撮って成立するのは小津だけだ。ごく日常の言葉を物語の中に再構成し、ごく自然に演出することの素晴らしさ。それは、淡島千景が池部良と久々に顔を合わせる際に発する「こんちわ」という感動的な一言に結実する。この「こんちわ」には泣けた。 若い夫婦の危機という題材や、狭い二階屋という空間、窓からの光を生かした演出は、小津というよりは成瀬巳喜男的で、とりわけ、暗い部屋で座り込む淡島と、2階にいる池部良とのカットバックは、小津にしては珍しいのではないか。というより、「いつも同じ話」「どれがどれかわからない」と人は小津を評するが、小津作品に珍しくない映画、異色作でない映画などあるのだろうか。 それにしても、ビール瓶に手を添える岸恵子のエロティック、朝の光の美しさ、笠智衆と池部の会話に不意に登場するボートのスピード感、眼帯をかけた女性の不気味、いつもながら小津の細部は感動的だ。「感情移入できなかった」だの「古い価値観についてけない」だのといった個人的な感想を軽~く超えて、小津はやっぱり素晴らしい。「古くったってね、人間に変わりはないよ」と浦辺粂子も言ってます。 最後に一言。成瀬組常連の中北千枝子が小津映画に最初で最後の出演をしています。「秋日和」などの岡田茉莉子、「麦秋」での淡島千景のような、主人公の友人といった役どころ。これが小津ワールドに見事にはまってない。妙に自由奔放、アドリブ演技しちゃったわ、って感じで、成瀬との演出の差がうかがえるのも、ファンには楽しいところです。 10点(2003-12-11 01:45:12)(良:2票) |
151. フェーム
23年前、高校生だったときに観て、いやぁ、感動した。その後、映画サークルだのなんだので小難しい映画の洗礼を受け、実はこの映画のことを馬鹿にしてました。すまなんだーっ。この前、DVDで観たら、泣きに泣けた。途中から長回しが多くなって結構タルくなるなぁー、ってのも高校生の時に観たのと同じ感想でしたが。それでも、クライマックスの大合唱には泣けるよなぁ。ロケット・ロマノ先生が出てるってのもポイント高し。自分と先生とが経てきた歳月を、つい重ねあわせて観ちゃうんだね。私、禿げてるってわけじゃないんだけど。 8点(2003-12-09 19:01:47) |
152. 2001年宇宙の旅
キューブリックは図式の人である、というのが私の意見。だから、とてもわかりやすい。わかりやすい話を、装飾過多なキューブリック流スペクタクルでみせるもんだから、「難解」とか「芸術だぁ」になっちゃうんだと思う。極論すれば、単純なよくある話を大物量で描くマイケル・ベイあたりと、そう違いはない(違うけどね)と思う。この映画も同じことで、モノリスだのスターチャイルドだの中世風の部屋だのには、何かしらの象徴的意味があって、必ずそこには答えがある。キューブリックに聞いたら「それは○○ってことなんだよね」と明快な答えが返ってくるはずだ。もちろん、その答えは、よくわかんないんだけど…。でも、答えのない映画ってのも世の中にはあるわけです。監督に聞いても「いやぁ、俺もよくわかんないんだよねぇ」の方がずっと「難解」だ。だからやっぱり、キューブリックはわかりやすい図式の人でしかなく、そんな計算式のような閉じられた世界をみせられるのはずいぶん退屈だ。「難解」つうなら、ホークスや小津やアルドリッチや私の彼女の方がよっぽど「難解」で面白いっす。 7点(2003-12-09 14:40:53) |
153. エロ神の怨霊
ここ50年以内で観たことのある人は、フィルムセンターに連絡しよう! 10点(2003-12-09 01:38:27)(笑:1票) (良:1票) |
154. お早よう
同じような間取りの建て売り住宅は、カットでつながれると迷宮のようだ。空はどーんと雲一つない青空だし、やっぱ小津は異常だ。映画史上最初で最後の「おなら映画」だし…。 9点(2003-12-09 01:30:06) |
155. 曲馬団のサリー
グリフィスが素晴らしいのは、1ショットの美しさのために物語を語ることを放棄したこと、1ショットという概念を原初的に提示したこと。初期の短編にみられるドキュメンタリー的な美しさは、失われたアメリカの風景を捉えている、といったノスタルジックな文脈とは遙かに異なり、1ショットの持つ力に拘泥し物語を無視してしまったことによる。物語に奉仕する「クロス・カッティング」と、「リリアン・ギッシュの美しさについ近くに寄ってしまった」から発明された、いわば物語から逸脱するための「アップ」、その相反する技法を共に生みだした作家グリフィス。この映画はグリフィスの一方の集大成であるかのような映画、「アップ」だけの映画、キャロル・デンプスターの美しさだけを描いた映画です。寝床代わりのパン釜に入り、鏡を取り出すキャロル・デンプスター。そのロングショットから同軸上でアップつなぎ、逆光に煌めく髪をとき、化粧する美しい表情を捉える。これは、そんな素敵な瞬間だけで構成され、物語はそれを紡ぐ口実でしかない。それってヌーベルバーグじゃん!物語の作家、「クロスカッティング」の作家グリフィスと、物語を無視する作家、「アップ」の作家グリフィス。その両者の幸福な出会いがエリック・ロメールだ。 10点(2003-12-08 01:51:11)(良:1票) |
156. 流れる
成瀬巳喜男は断じて「やるせなきお」ではない。男女の悲劇的な運命をやるせなく描く作家ではない。いわゆる「成瀬目線」を駆使したカットの連鎖が醸し出す、軽やかなリズム感の作家である。また、若夫婦が住む狭い室内から、大家族が住まう旧家の広い空間まで、あらゆる空間を絶妙に制御した作家である。そして成瀬が素晴らしいのは、そんな計算され尽くした構図の中で、立ち、座り、着替え、食べる役者たちが醸し出す空気の自由奔放さ。細かなカット割りと、一部の隙間もない構図の中で厳格に役者たちの動きは規定される、事実、小津と同様に成瀬もまた、計算された動き以外の所作を役者たちに許さなかったらしいが、それにもかかわらず立ち上ってくる、ルノワールにも似た自由でおおらかな空気、役者たちの即興めいた楽しさ。高峰秀子、中北千枝子、原節子、杉葉子、杉村春子、司葉子、岡田茉莉子、小林桂樹、三橋達也…、成瀬世界にあってはあの三船までが怒鳴ることを止め満面の笑みを浮かべるのだ。「流れる」はそんな成瀬作品の最高峰の一つです。時代に取り残され、没落する芸者置屋の物語。その歴史を淡々と客観的に見つめる、外部からやってきた女、田中絹代がとりあえずの主人公だろうか。田中絹代は時に冷静に、時に暖かく、そこに住まう様々な女たちを見守っていく。世界のすべては成瀬に統御されているのも関わらず、狭い置屋で女たちは自由に動き回り、酔いつぶれ、踊り、金を数え、ラーメンをすすり、喧嘩をし、まさに生の表情をみせてくれる。観客は田中絹代と同様に、その愚かさ、賢さをただ楽しめばよい。「浮雲」は成瀬世界の一端にしか過ぎないし、異質なる傑作だとすら思う。繰り返し述べるが、成瀬は断じて「やるせなきお」ではない。完璧な、しかしその完璧さを誇示することも、完璧ゆえの息苦しさもない、ただただ楽しく、ただただ愛しい映画なのだ。 10点(2003-12-08 00:57:28)(良:4票) |
157. フレンチ・カンカン
「感情移入できない」とか「主人公の性格が嫌」といった映画批評でよくみられる言葉は、ルノワールの前で全く無効となる。「人にはそれぞれ言い分がある」のだし、そもそも映画って万人が愛する人物像を描かなければならないの?この映画のジャン・ギャバンも相当嫌な奴だ。アルヌールはただの浮気者だし、その恋人も女々しい嫌な野郎だ。ところが、それがぜ~んぶチャラになる素晴らしさ。このカンカンを前にしたら、あなた、もう何の言葉も浮かびません。途中、一度曲が途切れ、アルヌールがポーズを決めた時、「え、もう終わるの?」のため息が観客から一斉にこぼれる。再び音楽が始まると、ほっとした空気が流れる、「ああ、まだ見れるんだ」。そして再び、観客の予想を遙かに超えた踊りが繰り広げられる。もっともっともっとこの踊りを観ていたい。できることなら一生見続けていたい、と思う。しかしエンドマークはやってくる。映画と自分との間に広がる果てしない距離を思い、絶望的になるのはその時だ。 10点(2003-12-08 00:50:51)(良:1票) |
158. キューティ・ブロンド/ハッピーMAX
中身が何もない映画。動物実験もアメリカの自由も演説も、この映画ではただ空虚な入れ物、物語の題材でしかない。ありがちな物語をいかに感動的に語るか。この映画が素晴らしいのは、その語り口であり、演出であり、撮影であり、編集であり、照明…、つまり「映画」の本質だ。で、それが素晴らしいんですわ、これが。単一の光源を生かした照明と、それを前提にした人物の動き、主演女優を美しく撮影すること、切り返しをしっかりと撮ること。古典的な技がこんなに光る映画を、今の世の中、そう簡単に観ることはできない。傑作です。泣きました。 10点(2003-12-07 21:25:57) |
159. HERO(2002)
「美しい映像」の中で、アクションの持つダイナミズムはどこかへ行き、残ったのは絵はがきです。また、同じようなお話の繰り返しにうんざりし、最終的にたどり着いた結論がこれ?って感じ。芸術畑の人がアクションを撮ると、アクションを馬鹿にしちゃうのだろうか。「グリーン・ディスティニー」再びを期待したのだが、どう考えても「クローサー」や「リベリオン」の方が「映画」だぜ。 1点(2003-12-07 21:14:04) |
160. 永遠のマリア・カラス
企業紹介ビデオのようなわかりやすい説明と、演出不在のお芝居と、運動感や躍動感の欠如した空疎に豪華なオペラの再現と、文化祭のポスターに「凄い絵だ」と魅了されるわけわかんない人々と、「マリア・カラスはなんでこんな倫理に欠ける企画にのっちゃうわけ?あ、やっぱラストはこうなるのか。最初から無理ない?」といった空虚な物語があるばかりで、肝心の「映画」はどこを探しても見つかりません。オペラが観たいならオペラを観ましょう。 0点(2003-12-07 21:02:29) |