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1581.  ベンジャミン・バトン/数奇な人生 《ネタバレ》 
最初の盲目の時計師の逆回りの時計なんてとこはワクワクしたのだが、そういった寓話性は本編に入ると薄れてしまい、せっかくの“逆向き人生”って設定があんまり生きてない。チョコチョコやたら入る現代の病床シーンが、テレビで映画見てるときのCMのように邪魔で、作品をエピソードごとに区切ってしまい、さらに“逆の流れ”を感じさせないようにしている。並列的になってしまうのだ。メイクの技術は立派だが、変化が非線形的というか、カチッカチッと切り替わるので、別人の人生の一場面を歴史順に見ているような気分にさせる。“晩年”の哀切さでやっと設定が生きたが、遅すぎた。つまり、観てるほうが頭の中で「これ逆向きの人生なんだよ」と絶えず注釈を入れてないとうっかり忘れてしまう設定なんで、なんか落ち着けないのだ。定型外の人生によって現代史を語らせるってのは『フォレスト・ガンプ』を思わせるが、あれほど同時代史が関わっているわけでもなく、かえって“逆向き人生”の趣向が薄められた気がする。この監督と意識したのは、ラストのひたひたと寄せる水で『セブン』も水だったなあ、と思い出した程度。
[DVD(字幕)] 6点(2009-11-11 11:59:21)
1582.  注文の多い料理店
まず静かな林の夕方の気配が美しい。葉がきらめいているのか、チカチカしている感じや風の肌触りがよく出ている。しかし見事なのは「山猫軒」だ。あの原作からこんな広大な建造物を想像した人はいなかっただろう。外観ではない、複雑な構造が内側に組み込んでいく迷宮としての山猫軒。迷宮がもともと持つ、地図を失った心細さが、ここでは裏返された探検への期待として展開していく。薄暗さと静けさ。狭い廊下から鏡の間に抜け、蝶が乱舞したかと思うと、さらに地下深くの運河を越えたりもする。観客も耳を澄まし、足音を忍ばせて猟人の彼らに従っているような気分。イメージの展開は奔放だが少しもはしゃいだ気分はなく、一つ一つの場面の底には、必ず美しい寂しさが横たわっている。原作にあった恐怖感は薄められ、この作品では山猫軒で最後に出会うものへの期待が、この寂しさの中でしだいに高められているような感じすらある。それはもう単においしい料理への期待などを越えた、何やら分からないが荘厳で偉大なものの気配、孤独を通り抜けて初めて見上げることのできる巨大な何かである。二人の猟人はその最後に待っているものがもしかすると死かも知れないとうすうす気づきながらも、自分自身に調味料を振りかけながら、魅入られるようにしてこの迷宮の奥深く、山猫たちの舞踏の場まで来てしまうのではないだろうか。遺作となる作品にしばしば見られる澄明感が、ここにも満ちている。漠然と遠くに感じられていたゴール、その死がごく身近な自分だけの終着点として感じられたとき、いま生きている現実の世界はもしかすると、その死を包み込んだ寂しく美しい迷宮となって見えてくる。若い健康な者にとっては抽象性のカバーをかけられてしまう死が、その迷宮を通過することによって具体的な手触りを帯び、親しみさえ感じられてくるような気分。この映画はその気分を、すぐれた原作を得て、まれに見る凝集度で提示した。原作の中心に置かれていた、食べる=食べられるで組み立てられた世界観は、さらに死の要素を加えて、畏れる=魅せられるのベクトルをも持つようになり、奥行きの深まった限りなく美しい小宇宙を構成したのであろう。
[映画館(邦画)] 8点(2009-11-10 12:13:32)
1583.  ミラクル・ワールド/ブッシュマン
ケッタイな映画でした。久米明ではないが日本語のナレーションで始まって身構えてしまうと、コマ落としの喜劇になったりし、また主人公の顔が昔っぽくてノスタルジーさせたりして、変なの。意識した前衛手法じゃなくて、スタイルに対する無関心なんだろう。話の枠組みは無邪気な差別が感じられるひどいもんだけど、カイの表情がいいんだ。なにかドタバタやってて次にじっと歩いていくカイに変わるところは実におかしい(と感じるのもちょっと差別あるのかな)。自意識に汚されてない表情。それとアフリカの独特の樹木や、キリンの首が並んでいる場面などはかなり壮観。女教師を迎えるアフリカ教会音楽風の歌もいい。劇映画として観なければ、まずまず楽しめる。
[映画館(字幕)] 5点(2009-11-09 12:00:10)
1584.  キャラメル
今までの人生でベイルートのエステサロンと関係を持ったことはなく、断言は出来ないが、おそらくこれからの人生でもベイルートのエステサロンと関係を持つことはないだろう。つまり私の人生でこの映画を観ていた1時間半ほどの時間だけ、ベイルートのエステサロンの人々に仲間入り出来たことになる。もちろんどんな映画でもそういうことなのだが、とりわけ今回感じた。描かれている、女であることの鬱陶しさやメンドくささ、そして楽しみや喜びは、別にそれほど目新しいものではない。いろんな映画で味わい続けてきたものだ。でもベイルートでも同じような女たちの世界があるのを目撃できたことが、嬉しい。日本ではまず政治がらみの話題でしか登場しない国にも、日常がありエステサロンがある。女性がホテルの予約するときは面倒くさかったりするけど、同じように嫉妬し悩み、また楽しみ喜んでいる。ニュースでは宗教対立ばかり取り上げられるが、イスラム教の戒律と店に入り込んでくるキリスト教の祭りとが共存している。とても新鮮に観られた。これからもニュースでベイルートを見ることがあるだろうが、そのときは看板のBが外れかけたエステサロンのある生きた街として見ることが出来る。題名は直接には脱毛剤なのだが、甘く痛い女性たちの世界をも言っているのだろう。ほとんどの登場人物は素人だと聞いたが、あのオーディションを受け続ける女性もそうなのだろうか。存在感のある見事にみじめなオーディションシーンだった。
[DVD(字幕)] 6点(2009-11-08 12:13:38)
1585.  仏陀再誕 《ネタバレ》 
祭りの賑わいのなか、金魚すくいの金魚が何かにおびえたようにクルクル回り始めるなんてあたりは結構いいんだけど、それで出てくるのが空飛ぶ円盤の軍団という突拍子もないもので、怪光線で街を破壊していくのでポカーンとしてしまう。作品の構造としてはイイモンの組織とワルモンの組織との争いで、仏教というよりキリスト教的な正邪の対比、ワルモンの方がこの円盤やら大津波やらの集団幻覚で人心を惑わし恐れを振りまいているのだそうだ(この前の選挙で北朝鮮のミサイルの脅威をやたら煽ってたK実現党を思い出した)。プロパガンダ映画・PR映画なのなら、観ている方に「そうだな」と納得させるものがイイモンの組織に必要だと思うんだけど、ワルモンの方が「ひれ伏すのだ」イイモンの方が「許すのだ」と、分かり易すぎる対比しかないので、「ならイイモンの方の活躍だって集団幻覚かもしれないじゃん」と思ってしまう。この二つの組織が宗教というものの分かちがたい両面なのだ、っていう認識に立てれば、もうちょっと意味のあるフィルムになれたかも知れないが、当然のようにイイモンの方にだけ自己を投影している。で結局イイモンが力でワルモンに勝って、ワルモンの方は改心し澄んだ顔になって、牢屋で手を合わせて拝んで終わるの。宗教ってものをこんなに軽く扱って罰はあたらないのか、とやがて地獄に堕ちる唯物論者の私でも心配になってしまう。黒いモヤモヤが漂うあたりなど悪くなく、再誕仏陀がやたら説法したがるのを除けば、予想よりは退屈しないで観られた。でも別に薦めない。
[映画館(邦画)] 4点(2009-11-07 12:03:17)
1586.  東への道 《ネタバレ》 
メロドラマの勘どころを考えてみる。都会に出ればチヤホヤされる美しき乙女が田舎に埋もれていたというのが、シンデレラ的でまずいい。その無垢と都会の色魔との対比。信頼と裏切り。不幸を一身に背負わねばならぬ女性と、無責任な男性(女性のふしだらは厳しく非難されるが、男性の場合は若気の至りということでかえって勲章になってしまう社会への批判、この批判が現在でも有効なのは問題)。死にゆく子どもに洗礼を授ける哀切。世間の代表としての無情な管理人。大きな帽子をかぶってあてもなく道をゆくリリアン・ギッシュはどうしてあんなに美しいのだろう。彼女を救う村人のやや滑稽味を交えた善意。好青年と彼女とのなんとはない予感。そして都会の悪意が田舎に流れ込んでくるあたりからグリフィス調が全開になる。噂話を持ち込んでくる女の道行きのカットと、家でのドラマの反復で、緊張を高めていく。誤解による怒りと冬の戸外への追放、そして氷の河へとドラマが雪崩れ込んでいく。グリフィスの3大メロドラマはどれも大好きだが、唯一自国を舞台にしているこれが“大げさ度”が低く、どれか一つと言われたら本作を選ぶ。ただ、テレビで弁士・音楽付きで観たこともあるが、かなり印象が違ったものになっていた。カットのリズムに耳を澄ましたいときに(じゃない、眼を澄ましたいときに)、それらの声や音が予想以上に鑑賞の妨げになってしまう。カットのつなぎめで輝いていた聖なるものが、とても俗っぽくなってしまうのだ。
[映画館(字幕)] 9点(2009-11-06 12:01:12)
1587.  嵐ケ丘(1939)
これはもうあちらの『忠臣蔵』というか、いろんな版があり、このほかにブニュエルの、吉田喜重の、J・ビノシュのヒロインで坂本龍一が音楽やったの、を観てるが(リヴェットのは未見)、どれも独自の趣向を凝らして面白いけど、何か物足りないのも事実。これ、映画よりも連続ドラマに向いてる話なんじゃないかなあ。ヒースクリフの帰還までにモッタイをつけたいところが、映画だとそれが出来ず、キャシーとヒースクリフの愛憎のごちゃごちゃをこちらでほぐして味わう時間が足りない。キャシーがただのヒステリーに見えてきてしまう。時間を強制されたくないストーリーってこと。それでも多くの名だたる監督たちを魅了してしまう魔が、この小説にはあるんだ。この戦前白黒のワイラー版が余分な解釈のない分、基本の位置を確保していて見応えがある。私はヒースクリフなのよ、って叫ぶあたりはやはりコワい。ロウソクのゆらぎで盗み聞きしていたヒースクリフの退場を知る、なんて演出。
[映画館(字幕)] 7点(2009-11-05 12:02:27)(良:1票)
1588.  暗殺者 《ネタバレ》 
追っかけて撃って、っていう何ら新工夫のない活劇だけど、バンデラスの狂気がいいので許せる。憧れのあまりクレイジーになってる男。ヒロインはコンピューターおたくハッカーで下の階を覗いている。非日常を楽しむ映画ってことで割り切ればいいんだろうけど、日常を生きている人たちが無造作に殺されていくだけってのは、「そういうもんじゃないだろが」とも思う。てめえの巻き添えで死んだ階下の若夫婦のことを忘れて、ハッカーで得た大金抱えてハッピーエンドじゃ後味悪いぜ。それとこういうのの主人公ってよく「泰然自若」としてるけど、あとで考えるとかなり危ないってとこあるんだよな。おまえに俺は撃てねえぜ、っていう自信がどこから来るのかが分からない場面がある。結局こいつはシナリオに頼ってるから自信満々なんだ、ってことになって、すると、まあ馬鹿馬鹿しくなっちゃうんだな。
[映画館(字幕)] 6点(2009-11-04 11:57:49)(良:1票)
1589.  デッドマン(1995)
言ってみれば“もがり”の期間ということか。死の開始から完成までの。冒頭の機関車・主人公・風景のセットが、ラストのカヌーのシーンでも繰り返される。主人公はひたすら運ばれて、フダラク渡海にまで至るわけだ。3人組ってのが好きね、この監督。アメリカはしばらく「自然に優しく」とか、インディアンの生き方を真似ようというのが流行ってたが、とうとう死に方まで教わろうという段階になったようだ。この監督はやはり中・短編系の作家であって、オムニバスでなく2時間を越えると長すぎる印象。そもそも死生観を語ったりするのは似合わない。ちょっと出て殺されるのがガブリエル・バーンなどという贅沢はある。
[映画館(字幕)] 6点(2009-11-03 11:55:08)
1590.  MEMORIES
「彼女の想いで」は、『2001年』的舞台で『ソラリス』やってる、って感じ。人間が考える宇宙の果ては、けっきょく人の心に行き着いてしまう。廃墟趣味がいっぱい。宇宙船の中のオペラハウス、そもそも調査艇が下降していく時に「ある晴れた日に」が流れていたのだった。ザザッと乱れの入るホモグラフ、青空に錆びた鉄骨が突き出してきてたり。ぱさぱさになる薔薇の花束。半分融けたようなピアノ、ポンと叩くと世界が変わる。拍手する手だけが見える。おそらくラストの宇宙に漂う飛行士は、故郷の夢を見ているのらしい。薔薇の花びらが浮遊している。こういうイメージの連続だけでいく話は、下手すると空回りになってしまう危険があるけど、これは45分という時間もいいのか、いっきにいけた。と、これが科学の果てに心に辿り着いたとすれば、「最臭兵器」は最も形而下的な“ニオイ”に復讐される話。地方都市の細密な再現。面白いのは花が咲いちゃうとこで、車がひっくり返ってる脇が花園になってたりする。ラストの後で花園になってる東京の場があるはずなんだけど。「大砲の街」は、全体主義社会の日常を淡々と描いていく。ここにあるのは、世界と拮抗するのではなく世界に組み込まれてしまった童夢。ファンタジーかも知れないが、これが現実になっている国もあるわけで、そこが苦い。2-3-1の順にしたほうが座りがいいような気がするけど、ま、好みの問題。
[映画館(邦画)] 8点(2009-11-02 12:06:53)
1591.  マッドマックス2
ちょっと『時計じかけのオレンジ』的な未来予想図で、暴力の方面により“進化”したらしいSF。昔の缶詰だけに食料を頼っているのかな。ガソリンを求めて暴れ回ってる、っていうのが面白い。でも主人公の心意気みたいのは股旅ものに通じていて、未来へ希望をかけるような連帯には目をつぶり、一人荒野を行くの。義理を重んじ、しかし復讐のためには命の危険もかえりみない。かつてのヒッピーコミューンのイメージも重なってるか。追っかけは迫力あり。ローアングルで、時々クレーンの上下も入れて、満足する長さで。
[映画館(字幕)] 7点(2009-11-01 11:53:22)
1592.  エド・ウッド
自分の夢を精緻にフィルムに刻めた天才もいれば、いいかげんなフィルムを量産することで夢を消化していった凡才もいる。程度の差はあれ、何かを作り上げることを知ってしまった者の、恍惚と不幸と滑稽と。芸術の世界はこうしてどこかに進んでいくわけだ。夜の沼のシーンでタコと格闘する場で胸が詰まった。あそこは映画の自己愛を越えたものがあったが、あとはおおむね段取り通りの展開で、これからノッてくるのかな、という気分のまま終わってしまった感じ。意外とひねくれてない。元恋人が、こんな馬鹿なことで人生を無駄に潰したくないわ、と去っていくとこも、ちょっと胸を打つ。これはすべての登場人物の心の片隅にあった疑いの言葉であり、それでもやめられないんだから、全員がヤク中みたいなものなんだ。ここをもひとつ突き放す視点が欲しかった。でもいいのかな、一般世間はとっくにこういうB級映画は突き放してて、映画好きだけが愛を注いでるって状況なんだろうから。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-31 11:54:58)(良:1票)
1593.  チェンジリング(2008) 《ネタバレ》 
おびえる子どもたちが、おびえながらも何らかの勇気ある行動を取るところがいい。たとえば犯人の側の少年が、荒れ果てた牧場で遺体を埋めた場所を掘るところ。刑事がもういいと言っても掘り続け、泣き崩れる。あるいは被害者のほうの少年が、黙っていたことに自責を感じ、名乗り出る不安におびえて何年も耐えてたと分かるところ。(ふてくされていた犯人も、絞首台の上でおびえ、子どものように「きよしこの夜」をふるえ声で歌い出す。)子どもたちは恐怖と自責に取り巻かれ、しかしそれを何とか乗り越えていく。彼らの世代はやがて『父親たちの星条旗』や『硫黄島からの手紙』の兵士になって、さらなるおびえと戦わなければならなくなる訳だ。この陰惨な世界の中で、どこかでおびえ続けている子どもを探し通す母が映画の芯になる。バスから最後に息子を見送った窓辺の位置が何度も反復され、刑務所の犯人と対決するのも窓辺、ラストの取調室を覗くシーンでは、子どもではなく反射する自分の顔と向かい合っているのが痛ましい。ただ映画としては、サスペンス・社会派・法廷もの・犯罪者の心理ものと間口を広げすぎて焦点が拡散してしまった。精神病院のエピソードなんか、もっとあっさりしてても良かったんじゃないか。マルコヴィッチが意外と面白くない。
[DVD(字幕)] 7点(2009-10-30 12:00:08)(良:1票)
1594.  日本侠客伝 決斗神田祭り
鶴田浩二の殴り込みがも一つ説得力に欠ける。まあいちおう裁判という筋を通しておいて、さらに健さんに長ドスを持ってもらわなければならないという製作上の要請があるわけだけれども。時代の雰囲気はよく出ていた。滅んでいく火消しの運命と重ね合わせるようにして。新興の工場が見えていたり、一方では深川の遊郭を見せたり。ここらへんのしっとりした風物描写が、仁侠映画のけっこう大事な味わい。気のついたこと。「人生劇場」も3拍子だが、任侠道系の歌ってどうして3拍子になるんだろう? 日本の音楽は基本的に2拍子だ、ってなことを民俗音楽の人が言ってたけど、あるいは朝鮮半島から流れ込んできた系統なのか。任侠道って国粋じゃないのか? 任侠道じゃないけど、日本人好みの世界である「王将」も、堂々と3拍子だ。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-29 12:06:30)
1595.  (ハル)(1996)
インターネットの匿名世界は、トイレの落書き化したり誹謗中傷が渦巻きスラム化する、ってところに興味があったんだけど、これは本人同士が出会うまでの恋愛もの。映画の大半は字幕を読むことになるわけだが、サイレント映画とは違って、字の部分と映像の部分が拮抗してるわけ。心の部分と社会の部分と。どちらかというと写真や図表入りの小説の裏返しに近い。相手の姿かたちがないということの気安さが、しだいに手応えをほしくなる・見たくなる、って経過。そして『天国と地獄』的シーンを経て、抽象的だった会話の相手が「現実に存在してるんだ」という不思議な気分を味わうことになる。電光掲示の文字もしばしば挿入され、文字情報がしだいに表情を持つことの面白さを映像で見せようとした作品でもある。ラストで白黒になったのは、これから文字だけではすまない生身のヤヤコシイ世界に入っていかなければならないんだよ、ってことを言っているのだろうか。…と、これはまだ私がパソコンに触れてもいないころに観た映画の、当時の感想。こうして自分自身が匿名広場に参加することになるとは思ってもいなかった。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-28 11:59:48)(良:1票)
1596.  ホルテンさんのはじめての冒険 《ネタバレ》 
レールの上を定時に走っていた鉄道運転手の主人公が、定年祝いのパーティをきっかけにちょっと時間を外れ、幾多の奇妙な体験を重ねてスキーのジャンプ台の上に立ち、隕石のように外の世界に飛び出していく、…ってどんな映画か想像つかないでしょうな。題名に「冒険」と付いていても全然ワクワクドキドキはない。静けさとひそやかさの映画で、しかもあちらの冬は夜が長くて暗い画面が続き、それも落ち着いたシンメトリーが多い。地味。小さなエピソードが連ねてあり、たぶんその多くは忘れてしまうだろうが、目隠し運転のじいさんの話は忘れないで残りそう。「『日産』が日本語なんて思えるかね」とか、やたら親しげにとりとめもなく話し続ける初対面のじいさん、そのとりとめのない話の一環として「目をつぶって車を運転できる」って話になり、それが「一緒にドライブにいかんかね」と進んで、主人公と犬を乗せて車をスタートさせるの、顔を覆面で覆って。お笑いの一場面でありながら、レールの上を走り続けていた主人公との対比があり、この後の凍りついてやたら滑る坂道のシーンを経て、ジャンプ台へと自然につなげている(フィンランドの携帯電話ノキアを日本企業と思い込んでる人物が『トランスフォーマー』に出てきたなあ、ニッサンよりは日本語っぽいんだ)。よく分からなかったとこもあり、十分楽しめた作品ではなかったが、全体にでしゃばらない品の良さが漂っている。
[DVD(字幕)] 6点(2009-10-27 12:19:45)
1597.  ミッドナイトクロス
冒頭の事故の場面はかなりいいんだけど。フクロウの構図とか。ラストで大崩れなの。筋立てとして、あそこで女一人行かせるのは無茶だよ。こちらからキャスターに確認するとか、一緒に付き添うとか、ね。観てるほうがワダカマッたまま終わっちゃう。もっと主人公を病的にしても面白かったんじゃないか、耳的人間なんてひどく孤独に凝り固まってるはずだし、しだいに人間不信になっていく下地としても有効だっただろう。それとメーキャップ(眼的人間)とを対比してみたりしたら…。でもあんまりデ・パーマじゃなくなっちゃうね。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-26 11:56:22)
1598.  駅 STATION
日本映画における“情緒の過剰”って問題があって、焦点をあえて絞らず、なにか雰囲気を味わうって感じになる。ストーリーはあるんだけど、その周りの雰囲気を描きたがる。これが日本文化の“もののあわれ”なのだ、って言われれば、はいそうですか、と答えるしかなく、味わいとしてカット尻に情緒がゆらめいたりするぐらいなら私も嫌いではないが、堂々とのさばられると、やはりたまらない。いしだあゆみや倍賞千恵子はいい演技をしてたと思うが、それは“情緒”を醸していたからではなく、彼女らはその場の設定にふさわしい明確な演技をしていた。かえって高倉健のムッとした顔が“情緒”の演技であって、空疎に見えた。いしだあゆみのカットバックは多すぎたが。ついでに言うと「舟歌」も2回はくどく、情緒の氾濫である。
[映画館(邦画)] 6点(2009-10-25 11:58:59)
1599.  鞍馬天狗 天狗廻状
ひばりの杉作は3作しかないそうで、その最後の作品。監督は同じ大曾根辰夫だが、どうも前2作とタッチの違うところが見受けられる。顔アップの多用、カメラが塀を越えたり屋根を這ったりする移動撮影、ラストの立ち回りでも3階までワンカットで天狗を追って上っていく、など若々しく、新人助監督に撮らせた部分も多いのでは。フィルムの状態が3本の中では一番いい。面白いのは配役の使い回しで、たとえば前作で倒幕派の公家だった高田浩吉が今回は桂小五郎、前々作で新撰組の配下の目明かしだった加藤嘉が今回は正規の隊員になれて青山さんと呼ばれていた。まあ、彼らは役柄そのものには大きな違いがないからいいが、前々作で西郷どんを演じ豪傑笑いをしていた三島雅夫が、今回は佐幕派に寝返ってフフフと陰気に笑っていたのには驚いた。新劇俳優は時代劇では悪役になることのほうが多い。アラカンが仏像を彫っているお堂での立ち回りが見せ場か。天狗がアッという逃げ方をする。ラストもちゃんと3階までセットを組んでて、もっと盛り上がってもいいんだけど、家族愛の話が絡んでしまって湿りがち。そう、全体にこの宗像さんの娘の話が活劇にとっては邪魔で、つまんない。ひばりは前作よりは登場時間が増えたが、男の子を演じるのは難しくなってきたよう。それより、もう脇役のギャラじゃやってらんないわ、ってことで、杉作役から下りたんだろう。追記:調べたら次の作品からシリーズは松竹でなくなっているのだった。
[DVD(邦画)] 5点(2009-10-24 11:56:29)
1600.  嵐の孤児
おそらく数年前のロシア革命がダブっているだろうことは否めない。貴族の暴虐がまずあり(腕に鉛・馬車が子どもを轢く・頽廃パーティ)、それを踏まえて人民裁判の恐ろしさがまたある。とどちらにも偏らない姿勢を取っているのが、うまく逃げたな、という印象にもなってしまう。前半では「うん、貴族は悪い」と思い、後半になると「君の気持ちは分かるが、これはやり過ぎだよ」と、観ているほうの気持ちがきれいに切り替われて、何らかの統合、と言うか、暴虐と民衆とのより良い戦い方を目指さそうとはしない。まあそこがアメリカ映画の限界というか、良さでもあるんだけど。ただただすれ違ってしまうことの哀しさを歌う、その語り口だけを洗練させていく。やっと会えると逮捕されたりして、もう悲痛きわまりなく、メロドラマの語り口というものは、グリフィスで(とりわけ『東への道』で)おおかた定まり、あとはほとんど進化する必要がなかったのだなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-10-23 11:58:33)
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