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1681.  ストレンジャー(1996)
今ではちょっと下火なのかな、20世紀末からしばらくサイコホラーってのが流行って、でも考えてみれば映画ってものがそもそも精神分析と同じころに誕生した兄弟だったわけで、『カリガリ博士』の時代にすでに心理学ブームはあり、このころは二度目の流行りと言えようか。表面だけを記録していくフィルムの機能が、かえって幻想を描くと生きてくる。これなんか一つのアイデアだけが命のホラーで、弦楽器のネットリした音楽が雰囲気をつないで、とりあえず一本の時間を退屈させずに見せてくれている。もっとじらしてほしいところもアッサリしてたりして、演出にコクがないけど、基本的にサイコホラーってのは凡作でも何か映画のポイントをつかんでるみたいなんだ。フィルムにおける内面の不可視ってことと関係があるんだろう。原題は「知らない人と口きいてはいけません」って。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-03 11:56:41)
1682.  橋のない川(1992) 《ネタバレ》 
これでいいのは「ヤーイヤーイ」と囃し立てる式の分かりやすい差別ではなく、制度に組み込まれている「微笑のなかの差別」が描かれていること。たとえば地主の稲刈りの手伝いをしたとき、部落の者だけは駄賃を裏にまわって渡される、それがさも自然なことのように微笑のなかで進行していく。誰もそれがおかしいことだとは思わないその静かな微笑の怖さ。あるいは駅頭のシーン。友人が自殺し動揺している部落の少年たちが、駅で小学校の時の女先生に会う。ものわかりの良かった先生だ。その出来事を心の深いところで理解してもらおうと語りかけるのだが、その先生はあくまで親切な語り口で「そんな自殺の仕方するなんてやっぱり普通の子やないんね」と感想を述べただけで、入ってきた汽車に乗って去ってしまう。悪気で言っているのでないだけに「やっぱり普通でない」という言葉の残酷さが際立ってくる。女先生の親切げな微笑がかえって壁の厚さを意識させる。微笑というものが、もともと排除の機能を持っているらしいのだ。異質のものに出会ってそれに深く関わりたくないとき、あいまいな微笑を浮かべてやり過ごそうとする。人間集団の機能として、微笑と偏見は表裏一体らしい。あと頬をぶたれる少女のエピソードも好き。部落の少年が学校の集会のとき、隣の女の子からそっと手を握られる。悪い気はしない。でもそれが「部落の人間は手が冷たいそうだ」という噂を確かめてみたものだと人づてに知らされ、その女の子の頬をぶってしまう。ここまで部落の子の側から描いてきたエピソードが、ここで一転し、少女が何かをじっと考えながら川の水で頬を冷やしている場面になる。おそらくこの少女が考え込んでいる表情は、大人たちの微笑の対極にあるものだろう。深いところで希望を感じられるいいシーンだった。差別が被差別者だけでなく、すべての人の心を傷つけてしまうことが、文字に書かれた教訓でなく実感として伝わってくる。そして岩波映画出の記録作家としての経歴が、農作業風景で生きている。部落の人々の自信を支えるものとしての、背景以上の意味を持っていた。こういう生真面目な映画は「笑い」ほどシャープには問題点の切り口を捉えづらい。でもこういう生真面目な映画をきちんと作り上げられる才能は、「笑い」をゆたかに笑う技能とどこかで通じあっているような気もする。
[映画館(邦画)] 7点(2009-08-02 12:14:09)
1683.  シクロ
最初はリンタクに靴みがきでデ・シーカの世界に近いのかと思っていたら、何かギラギラしたものが出てきて、どちらかと言うと初期の大島渚か。俯瞰。この世間を離れた裏稼業のやくざの目で、あくせく働く表の庶民を俯瞰している。近代的なビルが建ち並ぶ下を、健全なシクロ一家が抜けていくラスト。おそらくそれに嫉妬する無垢な少年時代の「詩人」が見下ろしているという感じ。構造自体はグレかけたけどグレなかったのと、グレたのを恥じつつ死んでいくのと、というオーソドックスなものだけど、その彼らのまわりで「現代」がぐんぐん広がっていく圧迫感が描かれていた。タイヤの空気入れの仕事してるじいさんのとこに、まちがって体重計が届き、ならこれで商売してみようか、なんてエピソードがいい。あと、ベトナムにだって変態はいるんだ、ってこと。ああいうのはとかく高度資本主義社会のひずみとかで片づけられるけど、人の社会があるところ変態はちゃんといるんです。女親方の顔もよかった。それと色に意味づけがあったみたいで、黄色、赤、青などが象徴的に画面を彩る。熱気がこもってて表面はひんやりしている怖さ、みたいのがある。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-01 11:57:32)
1684.  サドン・デス(1995) 《ネタバレ》 
娯楽映画の悪漢はどこまで殺人が許されるのか、という問題は難しく、悪人を悪人たらしめるためには殺人は必要なのだが、その被害者がただ殺されるだけではなく、誇りを持って殺されるなどの手を打っておかないと、映画そのものが殺伐になってしまう。人質を殺すのにも難しい基準があるのだ。本作はそこらへんが雑。それとこの手の映画ではよくあるのだが、悪漢が主人公と向かい合うときのみすぐには撃たないで反撃されてしまうのも阿呆である。捜査官が一味というヒネリも、それならもっとやりようがあっただろうが、という脱力感を与える。追われてキーパーに変装というユーモアは悪くないが、近くのチームメイトが気づかず、遠くの悪漢にばれるってのが無理。やたら高いとこで飛び跳ねるところにのみ爽快感あり。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-31 11:58:11)
1685.  フェリーニの道化師<TVM> 《ネタバレ》 
これ『サテリコン』と『ローマ』の間の作品だというし、題名からして凄いキンキラキンのフェリーニワールドを期待してしまったところ、けっこう地味、テレビ用作品で手抜きなのか、と公開時にいささかがっかりした覚えがある。あらためて見ると、同じ感想を抱くところもあるけど、ドキュメンタリー部分もそれなりに面白く出来ていた。つまりいつも“記憶”を描いてきた監督が“記録”と向き合ったという点で。ドキュメンタリーと言っても、録音技師が常連のノッペリ顔の俳優だったりと(4年後の『アマルコルド』では15歳の悪童仲間を演じてる!)、しっかりとフェリーニ色。ドキュメント調からスルリと回想に入るあたりの自在さが味わいで、つまり“記録”しようとしても平気で“記憶”に横滑りしていってしまうのがおかしい。記録フィルムが溶けてしまうのは、『ローマ』の消えゆくフレスコ画のエピソードにつながっているんだろう。記録は消える、記憶は残る、って(『ローマ』とのつながりという点では、道化師たちのファションショーが教会のファッションショーの準備だったか)。でもやっぱり一番いいのは最初のほうの町のスケッチ集で、あれは堪能しました。記憶全開。終わりの見せ場、道化師たちの葬式は、悪くはないんだけど円陣の中に閉じ籠もって展開しているのが、もひとつ弾けてくれなかったような気がする。もっともポイントは道化師たちの疲れなのであり、フェリーニとは「馬鹿騒ぎの果ての疲れきった静まり」を描き続けた監督なわけで、そこはキチンと押さえてある。というかフェリーニ作品の中でもひときわ感動的なラストが用意してあり、死んだ相棒と「ひき潮」をトランペットで呼び交わしながら消えていく道化師の姿だけでも、この作品は記憶に残ってしまうだろう。
[地上波(字幕)] 7点(2009-07-30 09:28:05)
1686.  フロム・ダスク・ティル・ドーン 《ネタバレ》 
好意的に見れば「一本で二本楽しめる」で、前半は逃走もの。タランティーノのすぐ人を殺しちゃう弟が気味悪くおかしい。で悩める牧師の車をかっさらってメキシコへと走る、とここまでは普通の映画の範疇。牧師ってとこに伏線があったんだけど、見てて分かるわけがない。メキシコの怪しい酒場が後半の舞台で、ダンサーが蛇女に変わっちゃうところでノケぞる。きっとこれは夢だったってことで元の話に戻るんだよね、とはかなく思い続けている間も、スクリーンでは吸血鬼との戦いは続き、どうもこの時間経過からみて本気らしいぞ、と認めざるを得ず、そうかこういう「えっ!?」という瞬間がタランティーノは好きだったんだっけなあ、と遅れて気がつくのであった。ドンチャン騒ぎとしては『ブレインデッド』に劣る。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-29 11:56:30)
1687.  この自由な世界で 《ネタバレ》 
この人の映画のいいところは、スルッと社会問題の内部に入り込んでいくうまさ。不法移民就労問題なんて、日本のニュースだと、強制送還されてかわいそう、という面と、斡旋業者がさも極悪人のように逮捕されていく場面といった、外部から眺める視点しか持てない。それがちょっと内側から眺めると、複雑な力があちこちからぶつかり絡まりあっている現代の一局面として浮き上がってくる。同情と金儲けで揺れるヒロイン、金儲けと言ったって解雇されたばかりの33歳の彼女にとっては、人生最後の賭けのような気合いが入っている。金持ちのギャンブルとは違う。こういう正解のない問題を、できるだけ解に近づけようと小数点以下二桁ぐらいまで割り続けていくのがローチ作品の偉大さだった。ただ本作は、やや問題を整理し過ぎたきらいがあり、いつもに比べると小数点以下一桁ぐらいで止めてしまった感じもある。自分の手持ちの労働者のために不法移民排除を企てる、ってのは、ローチのストーリーとしては、ちょっと分かりやす過ぎる展開になってなかったか。
[DVD(字幕)] 7点(2009-07-28 11:58:45)(良:1票)
1688.  愛のめぐりあい
アノトニオーニの世界の特徴って、私にはまず「不必要に広すぎる感じ」なの。からっぽな感じ。十分に埋まりきっていない空間。これ実際はほとんどをヴェンダースが監督してるって話も聞いたけど、「アントニオーニ的不必要な広さ」をしばしば感じた。車と自転車が並行してやってきて、車が向こうへ去っていく、右手に柱廊、この奥深い感じ。あるいは第2話のアタマの浜辺の小公園の広さ、そこを吹きすぎる風、砂の流れ、港町のたたずまい。第3話でのからっぽになっている部屋、そこからの街の風景。最終話も教会のある街のたたずまいと教会のだだっ広さ。話もいつものようにコミュニケーションの問題のまわりを巡っていて、触れ合わないこととか不確かな対象への愛とか、またイタリアの監督はどうしてもカトリックの問題が登場してしまう。こうした焦点を定めるのが難しいいつも以上に茫漠とした物語でちょっとつらかったけど、街のたたずまいとその広さという映像の枠を設定することで、独自の世界にしてしまう監督ではあった。
[映画館(字幕)] 5点(2009-07-27 12:00:27)(良:1票)
1689.  フィオナの海
伝説・言い伝えなどを話の中に織り込みつつ、映画全体がラストへ向け、しだいに伝説・昔話の中に溶けていく、アザラシや海鳥を媒介にして。ケルト音楽も伝説っぽいし。そもそも弟の揺り籠が流されていくところからリアリティは薄いのであって(だって海で暮らす人があんな波打ち際に置いておくとは思えない)、そこらへんからもう半ばオハナシの世界にはいっている。じいさんばあさんと子どもってのも昔話の準備だし。つまりとうさんかあさんは近代化のほうへ向いてしまうのね、じいさんばあさんに子どもが昔の島へ戻っていく、伝説ともども封じられに。おそらくアイルランドという土地ならではの風土が生きているのだろう。アザラシの映像の使い方がうまく、変に擬人化させるのでなく、アザラシのまま意味を持たせるのに成功している。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-26 09:15:15)
1690.  ふるさとの歌
田舎でうつうつと暮らす青年が、一百姓として国家に尽くそうと決意する、という文部省製作の映画。ただ面白いのは、どうも彼をそうさせたのは“意地”なのであって、都会での学生生活への憧れや、倶楽部で見得を切ってしまったことなどが脳裏をめぐって決断に至るの。国への純粋な滅私奉公観からではないんだよ、ということをちゃんと描写している。そこらへんで少しリアリティを加味していたのかも知れないが、ラストになるとみんな単純な人間になって丸く終わる、ってのがこの時代の作劇法でした。なんとなく溝口らしさを感じたのは、娘が都会に出てしまったのを追ってきた老母の鉄道付近の場、でしょうか。
[映画館(邦画)] 5点(2009-07-25 11:48:35)
1691.  わが教え子、ヒトラー 《ネタバレ》 
これ元は戯曲かなんかなのか。舞台的ってことだけでなく、ワンアイデアで押していく趣向ってのが、なんか戯曲っぽい。セットでヒトラーをだまそうとする、なんてのは面白いんだけど(「廃墟ではない、今もベルリンはうるわしい!」)、でも趣向どまりで、せっかくの設定を膨らませきれてない。独裁者から威厳をはずして見せても、いまさら、という気分。ナチの怖さはヒトラーの人格の問題というよりシステムにあったわけで、たとえば日本のオウム事件でいかに麻原が俗物だったかを証明したって、事件の解明には程遠いのと同じことだ。ラストの演説もチャップリンの二番煎じという印象は否めず、しかもあちらはヒトラーが現役バリバリなときにやってる勇気と比べると、どうしたって物足りない。ただ主人公の役者さんは『善き人のためのソナタ』のときもそうだったが、とにかく絶望を一度通過した希望が見える見事な表情を作れる人で、物語よりも彼の顔のほうが見どころだった。
[DVD(字幕)] 6点(2009-07-24 09:12:06)
1692.  万事快調
72年かあ。共産党と新左翼の離反、なんてモチーフが懐かしいところ。まず食肉工場のストライキだ。窓の外の暮れていく気配と部屋割りは、さながら『ロープ』と『裏窓』。経営者が戯画化されて語っている「資本主義ばんざい」の言説は、今では戯画化すらされず、もっともらしく語られるようになったわけだ。このセットの横移動はそれだけで楽しいもので、ラストのスーパーマーケットと対比されるのだろうが、労働者の側もばらばらになってるという感じでもある。妻のストに協力的でない夫というのが電話のシーンでスケッチされたり。工場の場が閉じ込められていたのと対照的に、スーパーは広く、外から新左翼は突入してくる。共産党のパンフレットを安売りしてるのもおかしい。手前を走ったり、奥のほうを走っていったり。で二度目の横移動で略奪が始まり、機動隊も入っている。これは本当に楽しい。身近な場所が混乱していく興味、ってこともあるんだろうけど、この滑らかな変化ってのが大事なんだろうな。横移動というものは、異質のものを滑らかに連続させてしまうんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-23 12:03:36)(良:1票)
1693.  藤原義江のふるさと
はじめて映画が“音”を手に入れたとき、“歌”や“音楽”を使おうと考えるのは、まあ自然でしょうなあ。“騒音”って発想に至った『マダムと女房』の方がかなりひねくれてる。で歌手を主人公にして、しかし役者全般がどう声を出していいか困ってて、「とりあえず新派でいこう」って感じだったのだろうか。テナーと新派的物語。メロドラマではあるが、やや傾向映画的な香りもあり、資本家に踊らされるテナーをたしなめる妻は、印刷工となる。工場への道を歩きながら新聞を読む場など、労働者の匂いが立ちこめる。一方頽廃のパーティシーンではカメラがけっこうくねくねと回り込み、あの時代の撮影機器ではそうとう大変だったのではないか、そうでもないのかな。テープが乱舞し。この時代の映画で忠告する友人となると、まず小杉勇なのだ。このパターンは、グレかけたけど立ち直る不良少年ものにも通じる。
[映画館(邦画)] 5点(2009-07-22 11:57:00)
1694.  卵の番人
『八月の鯨』の男性版かと思っていたら、中村伸郎・三津田健による別役実ドラマといった雰囲気。老人兄弟の日々が綴られ、その月面のような静けさ・穏やかさに、息子コンラードが絡んでくる。この老人たちの描写は悪くなかった。叔父と甥の関係が、微妙な不和としてうずきだすのだが、その微妙さをどう見るかだ。解釈の余地を与える豊かさととるか、突き詰めていないいい加減さととるか、この違いを見極めるのは難しいところで、そうしたモロモロを味わいとして享受すればいいんだろうけど、とにかくあんまり腹に来ないのは事実。手つきだけでうまく運んでみせている演出って気がする。ラジオをいじると、いろんな「イエスタディ」バージョンが聞こえてくる、ってのがあった。ラストのオーバーザレインボウは、心に響いた。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-21 11:59:12)
1695.  世界で一番美しい夜 《ネタバレ》 
そりゃ失敗作でしょうよ。エピソードが未消化なまま次々と展開していく。たぶん冒頭の、文明から逃れ退化していきケータイで火を発見するアニメが、まとまりのある出来としては一番よかった。あとはゴテゴテと縄文式土器のように部分部分が勝手な方向へ増殖した畸形の作品となっている。保険金殺人をめぐる推理ものに落ち着くのかと思ってると突如オカルトがかったり、挫折した革命家の苦みの話かと思ってると屋外での縄文時代的乱交に至ったりと、ごった煮の世界。でもね、因果なことに、こういう豪快に破綻した失敗作って嫌いじゃないんだよね。最近の映画って弥生式土器のようにノッペリと小器用にまとめられちゃってるのが多いでしょ、とりあえず無難に完成させてるの。こういう無難でない映画、統一させようなんてハナから思ってない縄文映画、なんか嬉しかったなあ。おやじ今村の南島志向を受け継いだような話の枠組みが一応あり、田口トモロヲは『神々の深き欲望』の北村和夫につながってるみたい。トモロヲがまた蛇になるのは(ネズミを食べるシーンあり)、おやじの遺作へのオマージュか、それともあれは今村作品というのは名ばかりで、実質せがれの映画だったのかもしれない。止まっていた構図が動き出す瞬間などに、映画ならではの喜びがあったし、三上寛、若松武史といった寺山修司の顔が揃ったのも懐かしい。ここは笑うところなの? ムッツリ思案するところなの? と見てるほうがどういう態度をとっていいのか分からなくなるシーンが多々あるが、そういう戸惑いも含めてけっこう楽しんで見ていた。これをきっかけに大バケする監督か、もっと破綻街道を突き進んでいくのか、それとも反省して小器用な映画に戻るのか、興味津々です。
[DVD(邦画)] 6点(2009-07-20 12:09:09)(良:1票)
1696.  KIDS/キッズ
すべて字体が異なるタイトル。個性の主張なのか、それぞれの孤立なのか。現代の「甘い生活」は10代なんだな。現実から浮遊して、でもそれを現実につなぐのが、実にプライベートなものである“病い”ってところに現代の特徴があるんだろう。感染を止める聖女たらんとして町をゆくが、彼女がさらなる感染へと道を開いてしまう。ひと月の物語をドキュメンタリータッチで綴っていき、もっぱら表情が雄弁だった。仲間うちで、常に観客であろうと様子を探りつつ浮かべるやや強ばりかけた笑い顔。排除されるのが怖く、付かず離れずの位置をキープする。人種問題ってのがなかったのは意図的なのか現実なのか、現代では民族よりもさらに小グループへの所属感のほうが強いのかもしれない。とにかく頭で作ったんじゃないリアリティがあった。全体が狭いほうへ狭いほうへと向かい、そして眠りに閉じていく。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-19 12:03:05)
1697.  山椒大夫
立派な作品です。水辺のシーンは、誘拐の場、入水の場、母との再会の場(ラストのパンより厨子王が駆け寄るところ)と、どれも素晴らしいし、セットも重厚、厨子王を探して松明かざした追っ手が寺の境内に詰めかけるあたりの空間処理は見事の一語。でもそれがどこか、クラシック歌手がスマして童謡歌ってる時のような、ピタリと合ってない違和感もある。テーマとしても、社会的に固まってしまっているシステムへ反抗することの困難さ、つまり革命の難しさをけっこう詰めて描いている一方、主人公周辺は“昔話”のトーンで進められる。溝口作品では珍しく、男女の恋愛が描かれない。女っけのない、母と妹しか頭にない主人公って、これやっぱり昔話の登場人物だよね。だから彼がやったことは昔話としては納得いくんだけど、社会変革者としてみると、自己満足というか単に意趣がえしでしかなく、あの解放された下人らの未来もあんまり明るそうではない。そこらへんのトーンのブレが気にかかる。ただ人さらいの毛利菊枝の怖さは別格で、この監督は悪い女を描くと変に染み入って記憶に残るんだ。『夜の女たち』って、作品自体は部分的にしか記憶に残ってないんだけど、転落のきっかけになる古着屋のおかみさんの、親切ごかした悪意の描写は染み入った。関西人ならではのねっとり感があって、いやーな薄暗い感じが滲んでくる。そうか、どっとも親切めかして田中絹代を“遊女”に落としたわけか。この種の酷薄さを描くと、凄い監督だった。
[映画館(邦画)] 7点(2009-07-18 12:01:25)(良:2票)
1698.  ノートルダムの鐘
これすらもハッピーエンドにしてしまうまでに、もう型が出来上がっている。ハッピーエンドにしとかないと、障害者の社会進出の面からどうのこうの言われる、って心配もあったからかな。主人公を支える小さなものたちもちゃんと登場するし。これでいいのは、フロローのキャラクター。ディズニー作品の出来不出来はだいたい敵役の出来不出来に左右され、これはよかった。ちょっと『セブン』の犯人にも通じていくような。でも彼がラストでエスメラルダに言い寄るのは勇み足だろう。赤い僧服の裁き手たちがズラリと現われ、影がサーッと立ち上がっていくあたりがヤマ。道化祭りのエピソードは本当に怖い。な、世間とはこういうもんなんだぞ、とフロローの言葉を証明する。障害者と世間の関係を残酷に示し、下手なメッセージより濃く、差別のむごさを見せつける。鐘楼のテーブルの上の小さな町、閉じ込められているカジモドのほうがパリの道筋に詳しくなってるってのも、けっこう障害者の在り方の一面をよく見せていた。
[映画館(字幕)] 6点(2009-07-17 12:01:56)
1699.  パコと魔法の絵本
前作前々作では、テクニックと物語とがお互いを引き立て合って成功していたが、今回はテクニックが物語を圧倒し、監督独自の世界ではあるものの、私にはつらかった。テクニックに走っても成功している映画はある、洗練の問題だろう。誰が演じてるんだか分からないメイクってことでは『ディック・トレイシー』なんて映画もあって、あれもテクニックが物語を凌駕した作品だったけど、コミックの原色を生かした世界はとても魅力的だった。こっちは、コミックでなくCGアニメ的な原色の世界を実写(プラスCG)で作り上げてみせたかったのだろうが、やたらウツロなはしゃぎがうるさく、疲れた。もちろん作者の側には「意図的にそのウツロを狙ったのだよ」という決めのセリフがあるわけで、それを言われちゃもう好みの問題でどうしようもない。でもせっかく役者を揃えながらCGで塗りつぶしてしまうのは、なんとももったいない。土屋アンナが「『かわいく』って書いてあるんだよ」と台本振りかざして照れ隠しに怒鳴るところ、などいくつか、俳優が輝く場があることはある。
[DVD(邦画)] 5点(2009-07-16 09:10:43)(良:2票)
1700.  夏物語(1996) 《ネタバレ》 
この人の映画は見ていてごく自然に口もとがほころんできて、その気分が好きだな。どう見てもかわいいマルゴから声をかけられても、最初のうちのガスパールはレナのことしか頭にないから焦点を結ばない。お互いに恋人を待っている男女がえんえんと日を待ちつつ、毎日一緒に過ごす。この前半の設定が最高で、つまり口もとがほころぶいい感じ。ソレーヌが絡んできてややこしくなり、さらに不意にレナが訪れ、後半はこのややこしさのコメディになっていく。これはこれで楽しい。優柔不断のゆえによりややこしい状況を選んでしまう男。でもこれは結局ガスパールがマルゴを発見する話と見ていいんだろうな。代役がいつのまにか主役になっていた、って。恋の報告をする相手のほうが大事になっていく、恋のおかしさ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-07-15 11:59:29)
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