1781. 素晴らしき日
実に正統的なアメリカのラヴコメディ路線で、公と私がぶつかってしまう一日のドタバタ。雨の曇天で始まり、サッカー会場で晴れ渡るのも正しく、一日の出来事で収めているのも嬉しい。いちいち時間経過が出る。楽しめた。こういう映画は、延長線を引くと日本の小市民映画とつながっていきそうだな。このころのM・ファイファーは、きつい目とくしゃくしゃっとした顔の造作から、ツッパって生きているけどオチャメという役に合っていた。子どものオイタがちょっとクサすぎたのが引っ掛かるけど。携帯電話もすっかり映画の中で役割りを持てるまでに、生活に入り込んだころ。映画の中では、信頼と責任の揺れから恋は芽生え出すらしい。信頼して子どもを任される、信頼されたのに迷子にしてしまって責任を感じる、そうして関係が深まっていく。でも現実社会ではののしり合って終わりの可能性のほうが高い。 [映画館(字幕)] 7点(2009-04-24 12:04:18) |
1782. かごや判官
チャンバラより推理ドラマ仕立ての体裁。けっこう戦前って推理ものの時代劇が盛んだったんだ。戦中の名作、マキノ正博の『待って居た男』なんて現在の推理ドラマよりはるかに出来がいい。もっともこれはあんまり期待しないでね。推理より演出。死体からカメラが動いて、塀を乗り越え、外で騒いでいる町人にまで移動していく、なんて同時代の溝口健二というより、半世紀後の相米慎二を思わせる。取り調べでしゃべる女の声に合わせて、回想画面の人物の口が合う、なんてのもかなりシャレている。演出として成功しているかどうかは別にして、楽しい。長屋での権三の夫婦げんかと、助十の兄弟げんかがパラレルに描かれたり。このころは時代劇もモダンの風に吹かれていたのだ。もちろん歌も歌う。馬鹿が愛嬌の江戸町人。でもこの作品の製作は江戸でなく、松竹京都創立15周年記念映画。 [映画館(邦画)] 6点(2009-04-23 12:00:14) |
1783. ダンテズ・ピーク
前半はジョーズ型、気配で引きずっていく。評判を落とすから情報は伏せよ、と言われる科学者、とか。こういうパニックの前兆ってのは、やっぱりワクワクする。熱湯となる温泉、濁る水道。一度空振りになるかと思わせて噴火する。ここまでの段取りは正しく、いいのだけど、噴火ってのはどうもあんまりパニックとして芸がないというか、酸化した湖でボートが溶け出す、なんてぐらいかなあ、全体が暗い中で進行してるのも、もどかしかった。暗いから、溶岩の流れは強調できて良かったが。こういうパターンでは、だいたい“聖所”に立て籠もって救出されるってのがハリウッドは好きで、このころでは『ツイスター』とか『デイライト』もそうだったけど、つまり非日常の出来事からまた日常に復帰するというより、非日常をバネに何か特別の場所へジャンプする、ってプロットがアメリカ人にはしみ込んでいるらしい。飼い犬が助かり、姑は死ぬ、ってのはハッピーエンドと思っていいのか。最初の地震の時のセリフ「まだこれは咳払いよ、これから歌いだすわ」ってのがいい。 [映画館(字幕)] 6点(2009-04-22 12:00:07)(良:1票) |
1784. ぜんぶ、フィデルのせい
《ネタバレ》 1970年、学生運動市民運動が高まっていた政治の季節を振り返る視線、批評する目と懐かしがる目とこもごもで、ともかく余裕を持って振り返れるだけの時間がたったわけだ。批評する目に映ったのは、上滑りする熱に浮かされたような気分、父の「団結の精神」という言葉だけが力強く、けっきょく支援したチリのアジェンデ政権は強大な軍によって潰されていく。この無力感。これに対して運動では控え目に見えた母のほうが芯の強さを見せ、女性に皺寄せの来る保守的な社会と戦っていた。最後に娘アンナを動かしたのは、この母のほうだったのだろう。この少女は、単純に保守反動から革新に目覚めた、というわけではなく、変わっていくかも知れない自分というものに気がついている。そこの成長が描けたところが、1970年を今振り返る意味になっていた。演出が特別うまい映画ではなかったが、夫婦げんかを目にしたアンナが弟の手を引いて、社会に突っかかっていくように早足でズンズン街を行くシーンが印象深い。そしてなによりこの不機嫌なヒロインがよく、最近の映画では一番魅力的な少女だっただろう。やっぱり少女というものは、社会に迎合してニッコリ微笑むより、不機嫌にムッツリしていてほしい。 [DVD(字幕)] 7点(2009-04-21 12:05:14)(良:1票) |
1785. イングリッシュ・ペイシェント
メロドラマの背景は非日常でなければならない、それが探検と戦争と二つもそろえば申し分ない。故郷ハンガリーを離れた主人公は、イギリスにもドイツにも帰属できない存在となり、まさに男として愛のみに生きられる絶好のメロドラマポジションを獲得したわけだ。まだ国籍などというものを持たなかった古代人は、砂漠の中でゆらゆらと自由に泳いでいた。これと対になるのは、空中に吊られたビノシュが中世の壁画を眺めるシーンで、空中を泳ぐ彼女の自由さが中世からさらに古代にも通じていく。映画としてはこのシーンが一番優れていた。あとビノシュがケンパケンパケンケンパする音から、砂漠の民の音楽に移っていったりするあたり。やや文学性に寄った映画だったが、大メロドラマを楽しめた。アタマで双葉機が飛んでたので、あれ? 第一次世界大戦か、と思ったら、やっぱり第二次大戦で、北アフリカではそんな感じだったのか。でも第一次大戦が舞台でもいいような古風な味の映画。 [映画館(字幕)] 7点(2009-04-20 12:03:40)(良:2票) |
1786. 音楽大進軍
戦争中の馬鹿に陽気な映画というのに目がないもので、オルガン演奏による軍艦マーチで始まり、フルオーケストラに合唱付きの愛国行進曲で終わる、こういった典型的な国策映画がたまらない。ニュースで北朝鮮のテレビ番組が映るとつい見入ってしまうときの気分に近い(もちろんあの時代なり北朝鮮なりで暮らしたいわけでは全然ない)。おそらく当時の演奏家の記録(辻久子のヴァイオリンなど)として価値を持つフィルムだろうが、この映画自体だって立派な時代の記録だ。いちおう緑波と渡辺篤が慰問団を組織するために有名音楽家を説得して回る、という筋はあり、当時の放送局や撮影所風景が見られるし、また彼らの演奏が聴ける。でも東宝だからモダンなの。国粋風を吹かしていない(監督が戦後に撮った『明治天皇と日露大戦争』のほうがよっぽど国粋的)。日本的なものと言えば長谷川一夫が元禄花見踊りを踊るくらいで、あれだって国粋的とは言えずいたってノンキ。西欧風にシャレた藤原義江邸では女中さんたちがアリアを歌いながら花壇に水をやり、放牧場ではトスカ(盟友国イタリアのオペラ)を夫婦で歌う。何かの本で“全体主義は「黙れ」と言うのではなく「歌え」と命じる”と出ていたのが記憶に残っている。これなんか戦争下で明るさやノンキさを実際に「歌わされて」はいるけど、国策映画としての効果はあったんだろうかな、元禄花見踊りで。 [映画館(邦画)] 5点(2009-04-19 12:12:10) |
1787. 孫悟空 前後篇(1940)
日中戦争下で、中国を題材にした物語を扱っているのに、全然時局に絡んだ気分がなく、全編圧倒的にバタ臭い路線。音楽もディズニーを含めアチラものが平気で鳴りまくる。中国風ではなくアメリカ風。三人の従者がいれば、時局がら「桃太郎」を連想させてもいいのに、これは「オズの魔法使い」のほうだ。衣装もキンキラのだったり、金角銀角はSF風。とにかく戦争の緊張とは遠く離れた世界が展開し、笑いもヒステリックではない。悟空が美女に変身しても声はエノケンのまま、なんてのがおかしかった。高勢実乗の魔ものたちの踊りもよかった。変身競争でカニになる。でフィナーレだ。美貌が戻った高峰秀子はニッコリと笑い、ハイホーハイホーに、ソードレミー、ファーラーレー、ソーシドレーミレ、ドーラーソーのメロディが重なって、賑やかに歌いつ踊りつの場になると、なぜかグッときてしまった。日本人てこんなにいい人たちなのに、と、これからの5年間の苦難を思ってしまう。山本嘉次郎監督はこの後『馬』を挟んで戦争三部作に向かい、エノケンとの映画はもう戦争中は作られない。 [映画館(邦画)] 7点(2009-04-18 11:58:06)(良:1票) |
1788. 動物、動物たち
博物館の建て替えの記録。剥製が補修され、新たに陳列し直される。それだけのドキュメントなんだけど、あらためて剥製というものを理科の学習とは違った視点で眺められるのが面白い。剥製の“動かなさ”を描くには、写真じゃ駄目で映画でなければ捉えられないんだな。写真だとそれが生きてる動物なのか剥製なのかが分からない、動く映像で初めてその動かなさが分かるという逆説。生き物たちのその停止させられた表情の不自然さが、もの悲しいようなユーモラスなような味を出す。剥製師の趣味によってか、変に擬人化された表情を持たされてるものもあったりして。剥製師にきちんと折り畳まれる皮も不気味。補修という化粧を施され、ビニールに包まれ、新しい展示場に並べられてるシーンが壮観。別々に生き、別々の場所で死んでいった彼らが、集合し隊列を組まされ行進をさせられる。動物園で死んだり、交通事故で死んだりと、たぶん動物としては不自然な死を死んだものたち。カンガルーの子どももおそらくその親ではない腹に納められているのだろう。ちょっぴりグロテスクな味が添う。博物館好きにとっては、舞台裏が見られるという意味でも楽しい映画。 [DVD(字幕)] 7点(2009-04-17 12:03:37) |
1789. 緑の大地
青島の運河建設をモチーフにした国策映画。大運河であり、大計画であり、大目標である、と藤田進はさかんに「大」を連発する。その「大」の前では、原節子の入江たか子への嫉妬など些細なこととなる。日常の煩雑さが、すべて「大」の前で消滅し、人生も世界も単純明快なものとなる。戦時下とは、そういう「大」の時代なのだ。「大」に関わる人物像も単純に磊落で、この監督の『隣りの八重ちゃん』の繊細なスケッチを愛する者としては、つらい。それとあと一つ、この時代の国策映画でよく見られる「親切を分かってもらえない」というパターン。『支那の夜』で典型的に見られたこのパターンは、反日運動の存在は否定できないので、「真意が伝わっていない」という形で納得しようとしてるわけだ。悪役をしっかりこしらえておいて、日本の汚点はそこに集中させておく。でもこの「誤解されてる」って言い訳は今でも政治家が失言問題起こしたときなんかによく使われ、もはや日本の伝統文化と言ってもいいだろう。よその土地に勝手に神社をこさえるのも、ここでは「善政」なのであり、それに反発されるのは「真意が伝わっていない」からなのである。 [映画館(邦画)] 6点(2009-04-16 12:08:10) |
1790. 重慶から来た男
《ネタバレ》 防諜宣伝の国策映画。でも、スパイに注意しよう、ってことよりも、工員に頑張らせるための尻叩きとして作られた映画だろう。工場のものを持ち出したらスパイと疑われます、残業に不満を持つとスパイと疑われます、という精神的拘束の脅しとして製作されたように思われた。だって何年も潜んでいたスパイが、工場生産を低下させるために工員にビールを飲ませる、ってのは情けなさすぎる。露骨に在日華僑にスパイ組織を重ねていて、これじゃアメリカの日系人迫害をあんまり非難できない。でもこういう映画が、かえってその時代の空気を後世まで如実に伝えてくれているんだ。スパイにひきずられそうになる純朴青年を小林桂樹が演じていた。スパイは何やらひそかに暗号をつぶやき路上で情報を交換する、オルゴールの音符に秘められている指令を解読する、工員の勤勉さよりスパイの怪しさのほうがどうしたって魅力的に見えてしまうのが、映画というものの皮肉。この山本弘之という監督では、もうひとつ轟夕起子がスパイをやった『第五列の恐怖』ってのも見てるんだけど、そこでは指輪に仕込んだ隠しカメラで設計図を撮影したり、暗号を音符にしたピアノ演奏で通信したりしてた。調べるとこの監督、戦後も昭和33年になって一本だけ、藤田進の明智小五郎(!)で『蜘蛛男』を撮っている。 [映画館(邦画)] 5点(2009-04-15 12:04:18) |
1791. 与太者と海水浴
《ネタバレ》 たぶん私が見た高峰秀子の中で、『東京の合唱』の次に古いものだと思う。9歳。『東京の合唱』では、まだ子ども一般という感じで個性は認められなかったが、ここに至って後の大女優に通じる個性が生まれている。と言っても、敏行君という、金持ちの坊ちゃん役。女の子が男の子を演じるのは、美空ひばりや松島トモ子が杉作をやったりと、最近の香港映画『ミラクル7号』に至るまでけっこうあり、芝居で男の子役を若い女優が演じるしきたりとつながってるキマリなのかもしれないけど、高峰で見られたのはこれだけ(あと『麗人』という島津保次郎作品で、岩夫君・6歳・てのを演じたのがフィルムセンターに残っているそうだ)。自伝によると高峰はこの時期男の子役のほうが多かったそうで、五所平之助監督は後になっても彼女のことを「坊や」と呼んでいたという。で、この映画だが、この金持ちの子どもと庶民の子どもの友情が軸の海辺コメディ。庶民の子どもを演じたのが『生れてはみたけれど』の金持ちの坊ちゃんだったのがおかしい。この時代にしてはかなり長い水中撮影がある。水中で汗を拭いたり、水中でその手拭いを絞ったりするギャグをやってた。パーティーの席で、魚屋が出された魚を、ついナイフで三枚にさばいてしまうギャグもよかった。この魚屋を演じたのは阿部正三郎というコメディアンで、この与太者シリーズでは磯野秋雄、三井秀男(弘次)とともに常連だったが、戦争に引っ張られて帰ってこなかったという。戦前の映画を見ていてつらいのは、幾多の才能がフッと途切れてしまうこと。さらに思えば、戦後花開いたに違いないもっと多くの名優や名監督の卵も、ガダルカナルやインパールで無意味に失われているのだろう。 [映画館(邦画)] 6点(2009-04-14 12:18:57) |
1792. うなぎ
男たちがダラダラと床屋に集まっているあたりに味を感じたが、これは今村のものだろうか。男たちの集団は『果しなき欲望』とか『豚と軍艦』とかで描かれてるけど、それらはもっとギトギトしたものを持っていた。今回はサークルのような寛ぎの場で、船大工、やくざもん、UFOきちがいらによる浮世床の世界。この場を提供している役所は一歩退いていて、心的には外部の柄本明に近いのかも知れない。だからギトギトと煮詰まってはいかない。もちろん監督には自分の作品のトーンを定着させない権利があり、こっちに勝手に決められても困るだろうけど、うなぎと言えば『復讐するは我にあり』のドローンネチャネチャとしたカットが印象に残っているので、ついネバっこいものを期待してしまったのだ。人を見る目が優しくなったぶん、ドキッとさせる時間は減ってしまった。昔だったら、柄本明がもっと膨らんだだろう。 [映画館(邦画)] 6点(2009-04-13 11:57:26) |
1793. 告発のとき
《ネタバレ》 良くも悪くもハリウッド映画は明瞭な世界を提示してくれるものだったが、最近はなにかモヤモヤとしてスッキリしないまま終わる傾向がある。現実の複雑さにまともに向かい合えばそうなるわけだけど、ただ溜め息をついてるだけじゃないか、という気にもなる。この映画も構造は至ってハリウッド的で、反発し合っていた師匠と弟子が協力して結果を出す、というパターンの変奏。昔だったらもっと晴れ晴れしいラストになれたのに、現在のアメリカはそれを許してくれない。ドラマは、せがれが壊れていく過程を発見していく父の旅という形になる。善良なせがれが悪い敵に殺される、という形の反戦映画ならそれなりに浄化の気分になれるが、もうアメリカはそんな無垢な自画像を持てなくなっている。それを父親は受け入れていかなければならない。ただ救助信号としての国旗を掲げることしかできない。この圧倒的な無力感が、現在のアメリカの率直な自画像なのだろうか。 [DVD(字幕)] 6点(2009-04-12 12:02:57)(良:2票) |
1794. 愉しき哉人生
まるで安部公房の「友達」の設定を、皮肉でなくそのまま描いたような作品で、だから戦後の今見ると、「友達」と同じようなグロテスクなものに見えてくる。柳家金語楼の不気味さが遺憾なく発揮された映画に見える。冒頭なんか垢抜けてる。狂って鳴り出した時計を合図のように、風が起こり、主人公たち相馬一家の引っ越し荷物が向こうから現われてくる。全体としてアメリカ映画のスモールタウンものの味がある。中ごろでは桶屋のリズム、タンタンタンタン、タタータータタン、に合わせて唐突に山根寿子が歌を歌ったり、主婦たちのおしゃべりを、処理した音声でやってみたり、成瀬の奇妙な面をたくさん見られる。しっとりした成瀬ではなくて、乾いた成瀬。テーマは「気の持ちようで明るくなるさ」という、いかにも戦局が悪化している背景をうかがわせるもので、この登場人物たちの朗らかさがカタストロフの近づきをかえって動かしがたいものに感じさせてくれる。 [映画館(邦画)] 6点(2009-04-11 11:59:23) |
1795. インデペンデンス・デイ
出だしは無駄がなくていい。何やら巨大なものが覆ってくる感じ。SFとしては、このまま停まってじっとこちらを観察してるみたいなほうが面白いのだけれど、ハリウッドではそうもいかないのか、攻撃してくる。ここで得体の知れなかった対象物が、単なる“敵”にしぼんでしまう。さらにそのエイリアン姿を見せて、さらにさらにしぼむ。「相手が分かる」ということは、実に興を削ぐ。実際問題、月の四分の一の体積物があんなところにあったら、重力に変調が起こるのではないだろうか、それともよっぽど軽い物質でできているのか。人類の滅亡かという大きなストーリーと、主人公の身辺の世話物的なストーリーとだけがあって、中間部分がない単純さの上に、「共通の敵がいればすべての民族が仲良くなれる」という単純なメッセージが堂々と語れる。アメリカのある種の単純さは嫌いじゃないし美点だと思うことも多いんだけど、ここまでくるとちょっとなあ。かつての『宇宙戦争』でのウィルスを思い出させるコンピューターウィルスが登場するのは、ユーモアなのか先人への敬意なのか。アメリカ映画のUFOのマザーシップ内部は、独特の宗教的空間になっているのが特徴で、あの国が根深く宗教の国であることを確認させてくれる。 [映画館(字幕)] 6点(2009-04-10 12:08:39) |
1796. [Focus]/フォーカス(1996)
《ネタバレ》 浅野忠信っていいな、と思ったのがこの映画だった。強引なテレビ局の取材に押され、「えー」とか照れ笑い浮かべつつ、ストレスがたまっていくオタク青年の役。このテレビのディレクターやった白井晃がまた傑作で、強引かつ傲慢、口ばかり達者で他人を素材としてしか見られなくなっている人種を、誇張のようなリアリズムのようなきわどい線で怪演。ドラマとしては、そのオタク青年がキレ、がらっと変わるところが見せ場で、まあ落語の「らくだ」とか、そう珍しい企みではないのだけれど、ここでカメラマンの存在がだんだん怖くなってくるところがこの映画のポイントだ。カメラマンはこのクルーの中心にいるんだけど、加害者にも被害者にもならず、中立的な安全地帯を確保し、ただただ見続けているの。いや、中立を装いつつ、常に加害者の側に立ってんだな。もちろんそれは我々視聴者のことでもあって、けっして当人は傷つかない。実体験よりテレビ映像のほうに、より本物らしさを感じるようになった我々の、内なる加害者をあぶり出す。画面を経由しないと生々しくならない世界って、かなり不気味だ。 [映画館(邦画)] 8点(2009-04-09 12:09:33)(良:2票) |
1797. コーカサスの虜
《ネタバレ》 個人が、その個人以外の要件で裁かれることへの絶対的ないらだち。全編緊張していた映画ではなかったが、ラストでこのいらだちに至るテーマがキューッと絞られていくところが見事で、こういう映画は印象強い。少女が鍵を渡し逃がそうとしてくれるが「それでは君が罰せられる」と言って虜の青年はうずくまる。個人と個人の対話。その彼を長老は逃がしてやる。これも個人と個人の交渉。そこにヌッと個人を識別する能力のない近代兵器がバランバランと現われてくる。この凶々しさと言ったらない。なにやら牧歌的ですらあった戦争に、不意に現代が顔を出し、この個人の顔を失った時代がとても悪い時代であることを証明する。ひなびたワルツが、その悪い時代に滅ぼされた何かを弔い続ける。 [映画館(字幕)] 7点(2009-04-08 12:00:41)(良:2票) |
1798. スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー
《ネタバレ》 原付をさっそうと走らせてると自転車に追い抜かれていく、などスケッチのみずみずしさはいいんだけれど、ちと若さに迎合し過ぎてやしないか、と半ば反発しつつ前半は見ていた。酒と煙草と恋の日々なんてけしからん、と若さへの嫉妬半分。少女のほうも、大人の美人を小型にしたようなヒロインで、少女ならではの妖しさに欠ける、と不満たらたらだった。ところがラストに至って、それまで背景の人物と思われていた少女のお父さんが急に前面に出てくる。どちらかというとベルイマン映画にふさわしいような偏屈なキャラクターで、それまでも男の子にギターに関して問い詰めるあたりの描写がすごかったんだけど、その彼が呪詛を吐き散らしながら湖畔をさまよい歩く。皆が彼を探し回る。角笛のような音楽(というか音響効果)も素晴らしく、このシークエンスの映画としての純度の高さに目を見張った。どんな嫌われ者も心配してくれる人がいる。これが前半の、ウブな恋人たちを心配して引き合わせてくれる仲間たちのシークエンスと呼応し合い、破天荒な構造でありながら、けっこうしっくりとまとめ上げているのだ。 [DVD(字幕)] 7点(2009-04-07 12:00:45) |
1799. ミクロコスモス
そこらの草原が実はワンダーランドであったという発見。隠れていたジャングルが姿を現わす。植物と動物が、さらには水や空気までが親密に通い合っている世界。ミズグモっていうのだったか、空気を採取してきて水中の藻の中に巣を作っていくの、クモによって抱え込まれた空気の不思議な質感が新鮮だ。雷雨のスローモーションによる水の表情もすばらしい。無機質であるものが虫たちと同等に生き物めく。僕らはみんな生きている、って気分を実感する。微速度撮影が植物の動物性を見せ、高速度撮影が動物の植物性を見せる。そしてこれらはフィルムの開発によって初めて目にすることが出来た世界であることに、感謝せずにはいられない。ヴィーナスの誕生のような蚊の荘厳。あくまで一日のドラマでこれだけの物語が展開する、ってことは、これに四季の変化が加われば、さらに豊かな物語が紡がれていることだろう。 [映画館(字幕)] 7点(2009-04-06 11:59:13) |
1800. アフタースクール
《ネタバレ》 この人の映画は、左脳をフルに使わされる。最近は、右脳全開の映画のほうが“映画的”ということで評価されがちだが、我々は左脳も持っているのだから、こういうシナリオに手間をかけた作品も堪能したい。脳にギリギリ一杯までハテナを詰め込まれて、それが後半消化されていく心地よさは、右脳映画では味わえないものだ。冒頭、新婚夫婦の生活スケッチのように見せて、なんだか分からない山本圭をうろつかせる(この監督のことだから義父ということはないだろうと確信)。これいったい誰なのよ、とちゃんと引っ掛かるようにしてあり、その後、どんどん引っ掛かりが脳に堆積していくわけだ。田畑智子はキャバレーの売れっ子には見えないなあ、とか(ラストの彼女のかわいかったこと)。さあ騙してもらおうか、でも簡単には騙されないぞ、という気持ちでこちらは見ているわけで、その気持ちに挑んだり迎合したりする、作者の呼吸のよさが醍醐味。そして全体としてトリックのためのトリックで終わってしまわず、“得にならないこと”をする主人公たちの、単に権力の犬になったわけではない気持ちのよさが描かれ、そこで『アフタースクール』(放課後=卒業後)という題も暖かく決まっている。 [DVD(邦画)] 8点(2009-04-05 11:56:59)(良:2票) |