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1881.  獄門島(1949)
映画の中では誰もが「ゴクモンジマ」と発音していた。ついでに言うと“分鬼頭”は「ブンキトー」。これは同時代の物語だったのだ。引揚者のゴタゴタがまだ生々しかった時代。ラストに封建的なものへの批判が付いているのも、いかにもである。崑映画のノスタルジー的な味が入り込む余地がない。現実そのものだった。横溝ミステリーって、けっこう発表時ではリアリズムだったんだな。それにしても奇妙な気分である。崑作品のイメージが強いので、往年の名優たちによるリメイクを見ているような倒錯感。金田一が時代劇禁止中の片岡千恵蔵(いたってダンディ)。警部が大友柳太朗(何言ってんのかわかんない)。いい娘は三宅邦子で、島の警官が小杉勇、和尚が斎藤達雄、一番びっくりしたのは白痴三人娘の一人が千石規子だったことだ。やっぱりこの白痴三人娘はいいなあ。絢爛としたものが暗い風土の中を狂って駆け抜けていくってイメージは、横溝世界の芯であろう。海のギャングとの銃撃戦などで、壁に隠れてバキューンとピストルを撃つときの、片手で脇に低く構えたあの格好が懐かしい。実録やくざ映画あたりから、腰を落として両手で構えるリアリズムになってしまったが、昔の探偵はスタイル重視、反動もなんのその、片手でかっこよく撃っていたのだった。縁側のマムシを撃ったところでは場内が沸いた。犯人指摘の場で金田一が大笑いするのは、多羅尾伴内と混ざってる。
[映画館(邦画)] 6点(2009-01-14 12:18:37)
1882.  ミスト 《ネタバレ》 
どこかに立て籠もる話ってのがいたって好きなので、そこそこは楽しめた。以下不満。外に何かがいる気配で引っ張っていくのか、と思ってたら意外と早くタコ足が出てきて、そうか、実在する怪物の存在を周囲に信じてもらえない、っていう不安で引っ張る映画か、と思ったらそうでもなく、ポイントがなかなか定まらない。狂信家のモチーフが一番ユニークなところで、それならそうともっとはっきり中心に据えても良かったんじゃないか。でもそうだとすると、私たちの世界の外側に怪物たちの異世界が包み込んでいる、ってこの映画の発想がなんか旧約聖書的で、マーシャ・ゲイ・ハーデンの世界観と同じになってしまっているのはまずいだろう(彼女の演技はいいのよ)。演出も、徹底してスーパーの内側からの視点に絞らなければならないのに、イナゴの場など無神経に外から撮ったりするので、興ざめ。でもこの映画で感じるのは、今アメリカ人が、どうも我々はあんまり世界から愛されてないみたいだぞ、という不安に包まれてるらしいってこと。この外部の異世界ってのは、なにもイスラム過激派だけではないだろう。アメリカは敵意の霧に包まれていて、物資が豊かなスーパーマーケットはヒステリックに中絶反対を叫ぶ宗教右派に占領され、それが嫌なら外の開拓前の荒野に出ていかなければならない、ってな状況。あの蛇足のラストに意味を見つけようと思えばこんなところになる。車の出発で打ち切ったヒッチコックはやはり偉かった。
[DVD(字幕)] 6点(2009-01-13 12:20:31)
1883.  シン・レッド・ライン
この監督はやっぱり草の映画を撮る。緑あふれる戦場。兵士がふとオジギソウに触れ、葉が閉じる、草にとっては相手が殺気にはやった兵士だろうと遊んでいる子どもだろうと同じ反応をするわけだ。細い葉に一瞬散る赤い血の線。風のように・なめるように移動するカメラ。草の視点から見た戦争映画ということか。この地に殺し合うために呼び寄せられた兵士たち、それをこの地にもともと生えている草たちが観察している。この草の迷宮感が素晴らしく、兵士たちを雑草になぞらえるという単純な比喩を越えて、もっと多義的な思いが次々と湧き上がり、「人と自然」といった軸の周りをめぐり出す。ストーリーはそれほど珍しいものではない(無茶を言う上官と下卒思いの司令官との対比とか)、この映画の眼目は、ガダルカナルを日本軍と米軍が向かい合っている島としてでなく、兵士たちと草が向かい合っている島として描いたことだ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-01-12 12:19:17)
1884.  ゴルゴタの丘
キリスト物語って、地方の物語なんだ。政権の強いローマを離れて、地方の総督とかユダヤの議会や地域の王なんか、文化が複雑に衝突している周縁の話なんだな。あんまりそういうとこ考えたことなかったが、何か新しいものが生まれるってのは、そういう場所でなんだろう。ユダヤが“呪われた民”と見られるのは、これら“群衆”の象徴としてなんじゃないか、などと思った。セットや群衆に迫力があり、また丘の場の空の雲は、映画が舞台と違って天候を描けることの利点を改めて思い出させてくれる。裏切りに出ていくユダが振り返って目にする、窓の額縁の中の教団仲間の親密な光景が、ユダの孤独を浮き彫りにする。正直言って、キリスト話ってなんか倒錯(被虐加虐その他いろいろ)の匂いがしてあまり好きになれず、見るときはついユダのサイドから眺めてしまうんだけど、ヨーロッパ文明の底には確固としてこの倒錯が潜んでいるんだなあ、と思えば、やはり気にはなります。/なおこれでキリストを演じたロベール・ル・ヴィガンは、『地の果てを行く』や『どん底』にも出る個性派だが、占領下に対独協力派の放送局で働いていたため、『天井桟敷の人々』の古着売りの役を放棄してドイツに亡命し逃げ回り、戦後はアルゼンチンへ去った呪われた俳優。同じ経歴の、やはり呪われた作家セリーヌと一時一緒に逃げていたので、セリーヌの晩年の小説に登場してくる。セリーヌの小説に出てくるベベールという猫は、逃避行していたときこのヴィガンからもらったもの。ヴィガンのそういう後半生を知ると、受難のキリストを演じたことにも味わいが添う(国書刊行会刊・セリーヌ「城から城」の補注より経歴を引用)。
[映画館(字幕)] 6点(2009-01-11 12:19:43)
1885.  ジェニイの家 《ネタバレ》 
新派悲劇のような風俗ものに、ふと古典劇の奥行きが見えたりする。なにげないものに格調が寄り添う。詠嘆なり、失意なり、幻滅なりが、ひときわ味わいを持ってしまう。ラストでフランソワーズ・ロゼーが、娘が見舞いに来たのを隠れて見知らぬ他人のとこに座る、アメリカ映画だったらもしかするとギャグにしてしまうようなところ、こんな些細なところにも「私は誰も見舞いに来ないんです」と患者に言わせて、ある種の人生の翳りを付け加えていく。やはりシャンソンの国である。母の店の秘密をカーテンの隙間から覗いてしまう娘のアップ、見ないほうが良かったものを見てしまうときのアップ、そういう大事な部分が情緒に流れずしっかりと描かれるのが古典的。街の小悪党さえ司祭の崇高を帯びる。カルネのデビュー作。
[映画館(字幕)] 7点(2009-01-10 12:15:55)
1886.  恋の片道切符 《ネタバレ》 
60年の新宿を、それも大通りではない新宿をたっぷり見せてくれる。ロカビリー歌手をめぐる物語。ポスターの多用。人の通行と直角に立っている、壁に貼られた薄っぺらの人間。時代のイケニエとして消費されることを自覚している若者たち。現在から見るとそのナイーブさが滑稽と紙一重なんだけど、そのじれったいぐらいのナイーブさがラストで弾け、若者同士が傷つくという構図。やはり、怒りの映画の時代なのである。人間関係から逃げていた小坂が、ラストで急速にピストル犯になるところがサプライズで、社会的成功を軽蔑していたはずの者の底にも、わだかまりが眠っていて、それが一気に顕在化した、というか。テープが飛びくる通路を歩く小坂のあおり、ステージ前まで来て、ふと煙草を口にくわえる、彼の内面が切り替わっていくところの描写が的確。篠田のデビュー作。助監督に山田洋次。
[映画館(邦画)] 6点(2009-01-09 12:17:33)
1887.  モンパルナスの夜 《ネタバレ》 
犯人役は“陰気ジノフ”という名に似合った性格俳優で、ニヒルな魁三太郎といった感じ(魁三太郎って知りませんか)。ちょっとクサくなるかというギリギリのところで芝居する。この時代のこういうドラマには、少しクサいくらいでちょうど似合う。犯人のニヒルぶりが見どころで、メグレが自分を狙っていることを知りながら、からかうような振舞いをするあたり。オトリ青年から逃れるために、わざと無銭飲食をして警官に守られて出ていく小憎らしさ。このニヒル男の隠れた炎としての純愛もあるんだけど、それはあんまりドラマの中ではイキていなかった。この時代のフランス映画は、街角のシャンソンで始めるってのが、一つの型だったんだろうか。酒場で歌ってるのがダミアだそうだ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-01-08 12:10:11)
1888.  女だけの都
この映画で一番うらやましかったのは、17世紀初頭の風景をロングで撮れる、ってところで、江戸時代の始まりのころでしょ、日本じゃちょっとできない。フランドル絵画ふう、って言うんですか。昔の風景がちゃんと残っている、というか、残してある。うらやましい。おろおろする男としっかりものの女、というパターンの小喜劇で、“女は弱いもの”というタテマエがなくなった現在から見ると、もひとつ面白味がピンと来ないけど、全体のおおらかな気分は悪くない。もっと古典の型にはまった味にしても良かったんじゃないか、あるいは女たちの一夜のバッカス祭という感じで、もっとドンチャン騒ぎがあってもいいんじゃないか、などと思うのも、やっぱり現代人からの目であろう。向こうの人が見れば、衣裳の時代考証なども楽しめるのであろうな。
[映画館(字幕)] 6点(2009-01-07 12:12:10)
1889.  黒い画集 あるサラリーマンの証言 《ネタバレ》 
児玉清が学生役、当時は小玉と表記していたのか。日本映画がお得意とした小市民ものの陰画のような作品で、小市民がそのささやかな地位を保身するためには、他者に対して最も残酷になれる、ってな話だ。あの男は真犯人が見つかれば助かるけど、こちらは浮気がバレれば破滅だ、と主人公小林桂樹が破滅の場面を妄想していくあたりの心理は、だれでもぐっとリアリティを持って迫ってくるのではないか。小市民映画は、そうそう、と自分たちの暮らしを微笑ましく振り返るものが多かったが、これは、あるある、とぞっとしながら振り返る小市民映画。小林がアリバイづくりのために映画を見たことにする訓練、インディアンが駅馬車を狙っておりました、と内容を頭に叩き込んでおくと、客の入りを訊かれてドキッとさせられたりする。そうまでしても、けっきょく彼はささやかな一家団欒の多摩動物園へは行けないのであった。東宝の名脇役、織田政雄が、その“影の薄い実直さ”を充分に発揮した代表作でもある。
[映画館(邦画)] 8点(2009-01-06 12:23:14)(良:1票)
1890.  育ちざかり
内藤洋子って映画から出た正統アイドルの最後の人かなあ(突然変異的な角川娘はいたけど)。と言っても微妙なところで、たしかにデビューは『赤ひげ』と映画だが、名前を売ったのはテレビの「氷点」で、そういう面では過渡期の人。映画ではさかんにおでこを強調して、アイドルとしてのセールスポイントにしている。でもこういう「愛くるしい系」の時代は終わりつつあり、次は秋吉久美子のようなちょっとスネた不良性を漂わす感じが70年代の主流となっていくのだった。時代に間に合わなかった哀しみが、この人にはある。一生懸命プロモーション映画としていろいろやっている。乗馬姿あり、水着姿あり、テニスもやって、レモンもかじるし、定番中の定番、海岸をスローモーションで走ったりもする。こういう不良性のないアイドルは、次からは完全にテレビへと、たとえば天地真理にバトンされていったのだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-01-05 12:10:09)
1891.  巴里祭 《ネタバレ》 
最初のころは、クレールはコメディがいいんじゃないかと思っていたが、だんだんとこういうのの良さも分かるようになってきた。キレよりもコク。これなんか、映画で物語を語ることの最良の成果なんじゃないでしょうか。ほとんどの出来事や脇の登場人物が反復され、あんまりそういうことがキッチリしていると息苦しくなりそうなのに、それを感じさせないようにフランス映画は洒落た感覚を洗練させてきたんだなあ。そういうことを堪能できる映画。スリ一味の場などさながら良質のコントで、しかし彼らもちゃんともう一度、悪役に出世して登場してくる。無駄がない。しかもその変貌には悪女が関係しているので、不自然でない。あるいは小道具としてのジュークボックスの使い方。あるいは窓ぎわのライティングのうまさ。堪能、堪能。
[映画館(字幕)] 8点(2009-01-04 12:13:19)
1892.  偽大学生 《ネタバレ》 
誰が正義なのか、誰が弱者なのか、誰が被害者なのか、と簡単に割り切れない社会の根を物語の設定に据えるの、初期の大江健三郎はうまかったが、これなんかそう。偽大学生をひとり60年安保時の学生集団に据えることで、権力の対抗者だけではなかった彼らの、特権性・エリート意識・権力志向をえぐっていく。学生たちは、その闘争の目標とするものにどこかで安住しているところがあり、コンパで偽大学生のジェリー藤尾が「学歴なんて関係ないんだ」ってはしゃぐところが皮肉。で仲間に警察のスパイと疑われて監禁される。“進歩的文化人”教授の船越英二も印象深い。偽証による学生たちの保身のあたりが、見ていて一番チリチリと来るところで、正義づらした・弱者づらした加害者たち。集会でジェリーが許しを乞うあたり、若尾文子の発言をエヘラエヘラ流すあたり、現場検証の場で偽学生を見る視線など、見事。
[映画館(邦画)] 8点(2009-01-03 12:13:20)
1893.  幕間 《ネタバレ》 
ここらへん、シュールレアリズムとコメディとは根が一つだったんだなあ、と思わせる。戦争が深刻になると、シュールレアリズムも陰鬱になってしまうが、もともとは“おかしみ”の新発見でもあったんだ。技術的にはスローモーションの発見。大砲のまわりでジャンプする紳士たちのスローモーション、噴水の上のラグビーボール(?)を射つ男が屋上より転落し、棺のあとを紳士淑女がやはりスローモーションで飛び跳ねながら行進する。棺が疾走し人々も走って追いかける。ジャンプするバレリーナを下から撮ったスロー。とにかくスローモーションの新鮮さが嬉しかったみたい。街を映しただけでも何か違って見えてくる。ふだん熟知していたはずのものが違って見えてくるって、この発見はシュールレアリズムの思想そのままだし。
[映画館(字幕)] 6点(2009-01-02 11:14:27)(良:1票)
1894.  東海道四谷怪談
なぜ直助殺しの場はあんなに感動的なのだろう。不意に隠亡堀にすべてが変わってしまうわけではない。屋内の構えはそのままで、そこに血の池ができ、葦が生え、戸板が流れ着いている。そしてそこにスローモーションで直助が倒れていく。屋内のままで外界の水が導かれている。廃墟という感じでもないのだ。タルコフスキーが好んだ設定、屋内の自然、雨が降ったりとか、あれに近いのだろうか。あと近いので思いつくのは、宮崎駿の『ラピュタ』にも、メカニックな世界の中央に草の原がしまわれているイメージがあった。なんかこういうの、外界が唐突に建物の中に呼び込まれることの驚きって、単に驚きだけでなく、もっと深い感動に通じているようなのだが、どうも私には分析しきれない。きちんとあるべきはずの屋根の下に、有機物が魔のように跋扈しつつある、ってことか。それだとやっぱり廃墟のイメージだな、それとは違うように思うんだが。とにかく私はなぜかそういうシーンになると、もうおののきながらめちゃくちゃ感動しきってしまうのだ。
[映画館(邦画)] 9点(2009-01-01 12:17:48)
1895.  真剣勝負 《ネタバレ》 
内田吐夢の遺作、主演中村錦之助の宮本武蔵、しかし間違ってはいけない、これは東宝映画なのだ。東映時代劇の時代が終わったその燃え残りを見つめているような作品。低予算だったのだろう、安っぽさをあえてあげつらう気にはなれない、その中での工夫を味わいたいと言いたいところだけど、それにしても実にチープに武蔵の戦歴が冒頭で描かれ、そこから西部劇的な野中の一軒家にたどり着く。セット費用も安上がり。一幕ものである。見どころは敵が忍び寄ってくるとこで、虫の声がふと途絶え、柱に刺した風車が回り出す(そっと戸が開いたのだ)、そういった緊張感。で、まあ、三国連太郎が鬼となって野火をつけてまわり、ケモノ用の罠がパンパンと弾け、何か武蔵は悟ったらしく「活人剣は殺人剣」とか「剣はひっきょう暴力」とか、赤い活字が立ち上がってくるの。低予算で頑張っている、って褒めたいが、偉大な監督にこういうチープな遺作を撮らせてしまう日本映画界への不満の方が大きいわな。
[映画館(邦画)] 5点(2008-12-31 12:14:01)
1896.  冷飯とおさんとちゃん
そうかこの1965年てのは東宝が『赤ひげ』東映がこれと、山本周五郎のはやり年だったんだな(まだ存命中)。中村錦之助によるオムニバス、三変化的な楽しみもあるわけ。二話の「おさん」が凝ってて、三田佳子は灰色のセットを背景に桃色の衣裳で置かれる。一人がたりの手法。ただシナリオはややセリフに頼り、職人らしくない言葉をしゃべらせたりしていた。大坂志郎が死んだように生きている男を演じ、変に凄味があった。壁を背にした顔のみのカットとか。三話「ちゃん」は筋だけ取り出すとクサいんだけど、ドラマとして見るとやっぱり泣ける。筋じゃないんだよな、山周は。そこに漂う空気というか。森光子ってちょっと苦手な女優さんなんだけど、ラストの長回しのやりとりが見どころで、その前の「お前さん、どこに行くんだね」と目を光らせて現われるとこに凄味があった。この頃は、脇にギラッと凄味を出せる役者が揃っていたのだ。そして三木のり平、のり平のシーンはついついささいな動作にまで見とれてしまう、銚子を動かすタイミングなど。末娘は藤山直美で、強引に上方弁を通していた。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-30 12:24:12)
1897.  ラスト、コーション 《ネタバレ》 
さすがに上海の賑わいの再現は金がかかっており、『スパイ・ゾルゲ』とは雲泥の差、こういうところでケチると、映画の空気全体がその時代になりきれない、悔しいけど負けている。ヒロインの上目づかいが印象的。はにかんでいるようで、警戒しているようで、親日政権に取り入り麻雀に閉じ籠もっている上流階級をじっと観察している目でもある。けっきょく映画のサスペンスは、彼女の内心がどうなっているのかに絞られていく。この映画はレジスタンス映画なのか、メロドラマなのか、それはただただ彼女の内心にかかっている。それを観客に読み取らせまいとしている目つきのようでもある。「みな私を恐れている、あなただけが恐れない」と男に思わせる目つき、先の見込みのなくなりつつある状況で男が溺れていく隠れ家のようなヒロイン、その両者のドン詰まり感・切迫感が、首を締め上げたかと思うと一つの肉塊になったりする、すさまじいベッドシーンに凝縮する。ヒロインは、自分を徹底的に道具とし、レジスタンスに忠誠を誓ったつもりでいて、最後の土壇場で道具ではない声を発してしまった。だから情に脆い女は闘士になれぬ、ということになるのだろうか、道具に徹し切れなかったことは弱さなのだろうか。男はとりあえず救われたが、殺されるより深いダメージに傷ついただろう、しかも政権の崩壊はすぐそこに迫っている。レジスタンス映画とメロドラマが一つの肉塊のように絡み合って、完全に一体となっている。
[DVD(字幕)] 7点(2008-12-29 12:21:06)(良:2票)
1898.  カンゾー先生 《ネタバレ》 
少数意見だと思うが、私は晩年の今村作品の中ではこれが一番好きなの。60年代のこの人の気分が感じられて。カンゾー先生、和尚、モルヒネ医らの怪しい男集団に、初期の彼の作品の猥雑感が思い出されてくる。学究の徒となり中央で認められる成功話になりかけるところで、ニガみが湧き出してくる構成。せがれが生体解剖やってやせんかというためらい、顕微鏡探し回っててバアちゃんを死なせてしまう失敗、その葬式で聞こえてくる東京の拍手、ここらへん最後まで迷う医者なのである。周囲の連中も、なにやら道を踏み外していく。その踏み外させる元凶としての肝臓炎=戦争に焦点が絞られていく。そしてラストが『神々の深き欲望』を思い出させる舟に漂う男女。そりゃ最盛期のバイタリティーには及ばないものの、これ『復讐するは…』以後では、一番今村らしい作品になったんじゃないか。
[映画館(邦画)] 8点(2008-12-28 12:17:36)
1899.  うた魂♪ 《ネタバレ》 
歌ってるコーラスを見ると、たしかに感情表現がオーバーな人が必ずいて、そこから自信過剰・自己陶酔のヒロイン像を生み出したってのは、うまいところを突いた。陶酔のあまりいつもポカーンと口をあけているヒロイン。これに男性合唱団が絡んでくるとなると、恋愛ドラマも絡んできそうなところだが、この男性合唱団がとんでもないキャラクターで、そこでこの映画は膨らんで成功した。恋愛はどうってことない生徒会長との脇筋に押しやり、この副主人公格の男性合唱団長とは、子弟の関係になるところがいい。なんとこれは、求道の映画なのだ。港で訓戒を垂れるところはさながら秘伝伝授の場で、大事なところで後ろの連中がハミングを入れだすのには笑った、このセンスは貴重だ。真剣になっているとき、顔なんか気にしちゃいけない、って訓戒。そういえば浅田真央だって三回転半跳んでるときは凄い顔してる。合唱大会、ヒロインのとこのコーラスより、前の男子校(ケチャがはいるやつ)のほうがうまく聞こえたが、ここはヒロインのとこのほうがうまいんだ、と思って聞くのが映画の観客としての礼儀だ。 
[DVD(邦画)] 7点(2008-12-27 12:20:00)(良:1票)
1900.  天国と地獄
この143分てのは『生きる』と同じ長さなんだ。どちらも同じ二段構えで。何かを描くのにちょうどいい長さというものが、作家には固有にあるらしい。でもこれは私には『赤ひげ』とセットになっていて、ヒューマニズムの人としての総まとめが『赤ひげ』なら、サスペンス作家としての総まとめが本作だと思っている。そしてあちらに善の医者、こちらに悪の医者、と対になっている。黒澤は多くの作品で医者を描いていて、生命に密着した職業ということを越え、魂の治癒者といった役割りを持たされている。その医者がこの映画では、魂を沈下させていく。高台の権藤邸に憎しみの目を向けつつ、黄金町の魔窟にまで沈んでいく。こういう世の裏側の感じは、『野良犬』の楽屋裏なんかにも通じて黒澤が好んだ形而上学的な世界構造だ。この世界には一つ奥の暗い場所が隠されている、って。医者はそこを往還する職業なんだ。善い医者は下から上へ、悪い医者は上から下へと、魂を運んでいく。そういった世界観が黒澤にはあるのだと思う。この映画のサスペンスのうまさを今さらいちいち挙げてもしょうがない。好きな女優さんをひとりだけ挙げさせて。これを見るたびに印象に残るのは、山崎努と踊りながらヤクを受け渡しする女のそれらしさ。今村昌平作品なら主人公になれるような顔で、生き物の臭いはプンプンさせていながら生活臭のない女。ストイックな黒澤さんはきっとこういうタイプが嫌いなんだろうけど、それだけに見事に存在感を示していて、私はあのシーンになると異様にドキドキしてしまうのだ。
[映画館(邦画)] 10点(2008-12-24 12:23:52)
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