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1901.  不知火檢校 《ネタバレ》 
勝新のヌルヌルヌラヌラした感じが最高に発揮されている。子どものときから自分の盲目をネタに言いがかりをつける悪いヤツ。世間は征服する対象としてのみ存在している。障害者のピカレスクが凄味を持つのは、世間との対立感覚がより際立つからであろう。差別かもしれないが、でもここには世間の側が持つ疚しさも関わっているから、見ているこちらにもジャリジャリと引っかかってくるのだ。しかしけっきょく女の心は得られず、自分の罪を他に転嫁しようとした過去の仕掛けによってアシがついてしまうという設定が皮肉。冒頭が祭りの風景で、そこで少年の杉の市が小さな罪を犯すところから始まって、ラストも、祭りを蹴散らしてゆく検校の駕籠が捕縛されるという対比。世間からのつぶてが飛んでくる。まったくひどいヤツだが、ずっとこの映画を見ていた一観客としては、このつぶての一団に加わるほどの真っ白な正義感も湧いてこない。そこにこの映画の価値がある。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-23 12:11:24)(良:1票)
1902.  4ヶ月、3週と2日 《ネタバレ》 
登場人物がひそやかに語ることの緊張がすごい。そこらのドラマだったら怒鳴るようなところも、ぐっとおさえてひそやかに語る。だって外には耳があり、そのさらに外には国家がある。直接国家の恐怖を描いていないにもかかわらず、「そういう国家」に生きていることの緊迫が全編に張りつめている。映画の描写とはこういうものでなくてはならない。なんらの趣向のない長回しが、ためらいや沈黙の息苦しさを記録していく。しかしこれは特殊な国家の物語というだけでなく、女性という性の普遍をも描いている。子どもを産む・産んでしまう可能性を持っている女性が、決定的に不利な社会。堕胎の報酬として身体を要求されるという悪循環がやりきれない。さらにもっと普遍的なテーマとして、何かをやり遂げる達成感の映画でもある。この友だちのイライラさせる造形がよくできていて、おっとりしているというのか、人任せに慣れきっているというのか、見ているこっちもイライラさせるような人。この全然「心から感謝してます」って態度を見せないキャラクターが、主人公の達成感をさらに浮き彫りにしている。いったいどういうところからこういうキャラクターを考えついたのか、とひとまず呆れ、でも私は主人公よりこっちに近い性格だなあ、と反省。
[DVD(字幕)] 7点(2008-12-22 12:13:09)
1903.  続・悪名 《ネタバレ》 
脚本は依田義賢。勝新てのは実に上方の匂いを漂わせている男だなあ、と思う。錦之助は上方でも江戸でも通るが、勝新の江戸っ子は似合わない。映画としては、正編の後始末めいて焦点が定まらなく感じる面もあるけど、「戦争いうたらナワバリ争いやんけ」というやくざの発想が、面白い戦争批判になっていた。「ごっつい出入りやなあ」という目で戦争を見てるの。金取ったぶん守ってやる、というやくざのナワバリの発想と、税金で戦争する国家の発想とどこが違うんじゃ、って感じ。こういう話には必ずダメ男がチョロチョロし、関西だと南都雄二がその役。田宮二郎のモートルの貞が殺される雨の俯瞰シーンがいい。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-21 12:22:39)
1904.  沓掛時次郎 遊侠一匹 《ネタバレ》 
股旅ものの根本思想には、組織は悪くて個人はつらい、ってのがある。渥美清はバカを通して殺され、心が通じあう個人と個人は対決せねばならない。一旗あげたい農村青年が「やくざは虫けらだが、百姓はもっと虫けらだ、どうせ死ぬなら羽根を広げて死にてえ」という言葉が重い。さらに家庭という組織もからんできてるわけだ。股旅ものならではの寂寥感が随所に見られるいい映画だとは思うんだけど、錦ちゃんの長谷川伸三大名作の中では、作品のうねりに不整脈みたいなギクシャクしたものが感じられて、私はちょっと不満が残るの。これよりは『瞼の母』のほうが、さらに『瞼の母』よりは『関の弥太っぺ』のほうが純度が高いように思え、私は好きです。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-20 12:15:59)
1905.  やくざ絶唱 《ネタバレ》 
この監督の世界では、感情過多の人間が狭いところへ押し込められ、そのせいで傷つけあってしまっている。この兄と妹なぞまさにそれで、兄の過剰な愛と、それに対する妹の過剰な反応。雄渾に成りうる神話的構造を、極端に狭い場所に押し込めていく。冒頭の街の雰囲気、四ッ谷署とチラリと出たが、荒木町界隈だろうか、高低差がいい。やくざの“一家”と“家庭”と、どちらも閉じていて、大谷直子が結ばれる田村正和も、つまりは兄弟みたいなもの、さらに閉じて煮詰まっている。主人公の最期も風呂場の隅っこの狭いところだった。太地喜和子とやりあうとこも隅。みんながみんな、狭いところへ、隅っこの方へと追いつめられるように導かれていく。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-19 12:10:12)
1906.  エレキの若大将 《ネタバレ》 
これ子どものとき、『怪獣大戦争』の併映でたぶん見てるはずなんだけど、寺内タケシの出前が塀を乗り越えてきたところで、かすかなうずきを感じたくらいで、あとはまったく記憶になかった。怪獣にしか興味のない子どもにとって、併映作品は初めて出会う普通の映画で、怪獣も出ない・ビルも破壊されず街も炎上しない、そういった“普段”を見ていて何が面白いのだろう、とはなはだ不思議に思ったものだ(一番古い記憶は『ゴジラ対モスラ』のときに見た舟木一夫の学園もので、蛙の顔のアップがあったことだけを覚えている)。で今現在この若大将を見ると、やっぱり懐かしいですね。一作目ではかなりワルだった青大将が、滑稽な卑怯者の三枚目役に落ち着いている。一番の収穫は、加山らがエレキ合戦に出たときの司会者、その軽薄ぶりから最初は長沢純かと思っていたら、よく見たら内田裕也だった。彼も昔からツッパッていられたわけではなく、興行界と妥協して生きてきた辛い時代があったのだ。そこで加山が「夜空の星」を歌うと会場が盛り上がるんだけど、でもワーとかキャーにはならず、手拍子になる。それも強拍部で打つ旅館の宴会場のノリで、ここらへん時代を感じた。女性エレキバンドのちょい役で、のちの加山夫人松本めぐみが出ていた。髪を乱してゴーゴーを踊る飯田蝶子がかわいい。
[DVD(邦画)] 5点(2008-12-18 12:17:41)
1907.  にっぽん泥棒物語 《ネタバレ》 
泥棒の話が映画で好まれたのは、それが声を出してはいけない状況を伴うからかもしれない。サイレント映画ではとりわけ好まれてたんじゃないか。で、この映画、泥棒が忍び込んでいくと、子どもがフトンからじっと見ているカットになる、お菓子でなだめて帰ろうとすると、もっと頂戴と泣き出す。サイレント映画にでもありそうなコント。でもやっぱり社会派監督だから、松川事件がからんできてコメディに徹してはくれないが、三国連太郎のトボケぶりと、伊藤雄之助検事のネチネチぶりが楽しく、そもそも裁判という厳めしい公の場で、こそ泥の話をしていくその対照が面白い。泥棒というのはなぜ滑稽なのだろう、コソコソしているからか。弁護士が千葉真一だった。室田日出男は当然泥棒の一味だろうと思っていたら、進歩的な新聞記者だった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-17 12:10:43)
1908.  クローバーフィールド/HAKAISHA
せっかくの趣向を生かしていない。最初のほうの混乱なんか、けっこう臨場感があって期待できたのに、しぼんでいく。物語を語り出してしまうからだ。友情物語やら救出物語やら、既存の“物語”に寄りかかって“記録”の視線を忘れてしまう。記録の目に徹する自信が作者になかったのだろう。カメラはこういう異常事態なら、とにかく怪獣を捉えようと懸命にならなければならないはずだ。それを友だちばかりに向けている。軍の発砲からパンして怪獣にカメラを向けるってのは、新米素人カメラマンのそれではなく、劇映画のカメラマンの動作である。一生懸命対象を見ようとして、それでもよく見えない、ってところにサスペンスが生まれてくるので、最初っからカメラが効果を狙って控え目なのでは、おののきたくてもおののけない。軍の前線基地みたいなところに入っちゃうのも、よくない。事態をまとめる視点を排除して、とまどいの視点に徹しきらなければ。さらに言えば、俳優の演技の質がもろにドラマのそれで。
[DVD(字幕)] 6点(2008-12-16 12:10:25)
1909.  ドン・キホーテ(1933)
ドンキホーテって、周囲の迷惑を受ける側から見ると、サイコ・ホラーになるな。『タクシー・ドライバー』は、かなりはっきりドンキホーテ物語だった。でもこの映画は、彼を怪物視しているわけではない、全員が騎士道時代の風俗に扮するあたりのシーンはワクワクし、それは何から来るのかというと、周囲は狂った老人を騙しているつもりでも、しかし老人の妄想の世界が伝播してしまっているようにも見え、そういう妄想力にこの映画の観客も少なからず共感しているからだろう。ラストでは焚書された本が逆回しで蘇ってくる、妄想する自由を封じ込めるなんて、できっこないという表明だ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-12-15 12:06:40)
1910.  犬、走る DOG RACE 《ネタバレ》 
この監督は、話の展開を観客に理解させようという気はハナっからなく、とにかく新宿の気分をこそ描きたかったのであろう。女の死体を運んでいても誰も気にしない街。アジアの言葉が飛びかって。香川照之っていいなと思った最初の作品だった、シャブ打ったあとのところなんか。そして大杉漣ってやっぱりいいなと確信した作品で、あれはどういう役なのか、ヤクザの事務所にたむろしているけど構成員じゃないんだよな、ヤクザ関係者っていうか、ささいなことで分け前を恵んでもらってるのか、そういう曖昧な役を実にそれらしく演じ、後半、ヤクザを裏切ったことがバレて追われ、屋根づたいに逃げ、すんませんすんません、と屋根から頭さげて謝り続けながら、下のやくざに瓦を投げつけるあたりのおかしさといったらない。スタントなしのかなり大胆なジャンプも本人がやってたようで感心した。そして終盤は全員で新宿を走り回る。表の新宿も裏の新宿も。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-14 12:20:49)
1911.  ノーカントリー
アメリカ映画って執念深い人を描くといい。追う者と追われる者、もう途中から金より意地の世界になって、自分で道具を工夫したり、自分で怪我を治療したりして、執念が徹底的に燃え上がる。そしてモーテルとホテルの場の緊張が素晴らしい。これであと話が理解できたら文句なかったんだけど、これが分からない。終わりのほうのテープ張られた現場が何なのかが、恥ずかしながら、分からなかった。あそこの前に、映画では描かれなかった事件がひとつあったってこと? 外された空調の枠を見て保安官が何を理解したのかが、こちらが理解できなかった。アメリカ映画は説明しすぎるって常々不満を表明していると、今度はこうなる。もしかして簡単に理解できる映画だったりするんじゃないか、という不安は残り続け、脳の老化のスピードに思いを馳せる今日このごろ。
[DVD(字幕)] 7点(2008-12-13 12:11:30)
1912.  大阪物語(1999) 《ネタバレ》 
沢田研二が舞台で「夫婦善哉」やったときはちょっと驚いたが、そうだ、もう映画では“無能=スカタン”の役やってたんだ。さらにさかのぼれば『男はつらいよ』で動物園の気弱な飼育係をやったとこにまでつながるかもしれない。大阪には“しょうもない男の系譜”ってのが、近松以来ずっと最近の町田康(これに出演している)に至るまで、文化として継承されていて、それを自慢さえしている。これの沢田、女癖が悪く賭け事に手を出しては失敗し、「芸人は何でも知ってコヤシにせにゃあかんのや」と春団治みたいなこと言って「あんたそないなたいそうな芸かいな」と言われると、エヘラエヘラ笑ってしまう。別れた女房と腹ふくれた愛人とみんなでクリスマスパーティやって、「ええクリスマスやなあ」と悦に入っている。でも娘に「父ちゃんカスか」と問うと「カスや」ときっぱり返され、するとメゲて失踪する。娘が尋ね歩くと、なぜか誰にでも愛されている…。もうこの父ちゃんのスカタンぶりだけで嬉しかった。後段、トオル君が出てくるとつまんなくなる。少女の成長物語には男の子がなくちゃならないとでも言うのか。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-12 12:19:09)(良:1票)
1913.  夜明け前(1953)
映画としてうまい作品ではなかったが、主題はクッキリと出た。インテリと革命との関係、その幻滅。百姓に「地主のおまえ様に本当のことを言うと思ってただかね」と言われるの。みずから荷役に出ても、足手まといになってしまう。それが自己満足だと自分で分かってしまうインテリの苦悩。日本文学はこうした、大衆になれないインテリを好んで凝視してきたが、大衆芸術と言われる映画も、最初は職人仕事だったのがだんだんインテリの領分になってしまい、同じ苦悩を文学をなぞりながら語り出す。「みんな俺を気違いと思ってくれるか」と淋しく笑う半蔵のあたり、滝沢修の見せどころ。滝沢が23歳の役をやってるときに、北林谷栄はもう村のばあさん役で、陽気に木曽節を踊っていた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-11 12:09:37)
1914.  永遠と一日 《ネタバレ》 
この監督が紹介され出したころの作品は、叙事詩と抒情詩が拮抗しているようなところに魅力があったんだけど、どうもこのころから抒情詩のほうへ傾斜していっていて、なんかもう一つ固い芯がほしいところ。叙事詩的な部分の映像のほうがいい。横一列の車、横一列の警官。十名ほどの人がぞろぞろ歩くってのは、もうこの人のサインみたいなシーン。結婚式の場面などは、またかと思うがやっぱりいい(この人はミュージカル監督なんだと思ってる)。そして水辺ということ、海、川、港、ここらへんは抒情詩的な題材だけど。国境の金網にぶら下がる人々、死体置き場の階上から見下ろす人々、つまりどれも“人々”の映像がいいんだ。そもそも“無言の無名の人々”っていうのが、叙事詩的なんだろうな。いつも一縷の希望を託すようなラストだったのだが、今回の朽ちたテラスでの幻影のダンスってのは、この人にしては退嬰的な気がした。
[映画館(字幕)] 8点(2008-12-10 12:13:05)
1915.  かつて、ノルマンディーで 《ネタバレ》 
この映画の成り立ちはけっこう複雑で、順を追って言うと、まず19世紀の昔にノルマンディーの農村で若者が家族を殺す事件が起こる→それを題材にしてミシェル・フーコーが本を書く→それを原作として30年前に、その事件の地元の人たちを使って映画が作られる→そのとき助監督だったニコラが、映画に登場した人たちを21世紀の現在再訪する、ってのがこの映画。振り返るメイキング映画というか、30年前の後始末映画というか。で、どういう作品になるのかというと、最初の殺人事件と、映画を製作するという田舎にとっての30年前の事件とが、奇妙な反復感によって重なって見えてくる。30年前に過去の文献を調べていた当時の製作者、その30年前の映画製作関連の文献資料を読んでいくこの映画の製作者、似たような手書きの文章の画面が反復され、鏡と鏡を合わせたように、人が芸術を創造し続けてきたそのつながりが一瞬垣間見えたような感動があった。元しろうと役者たちへのインタビューは、もっぱら明るい陽光のなかで楽しく語られるが、なかには娘が発狂したもの、動脈瘤の破裂で言葉が不自由になったもの、という歳月の影の部分もあり、そういうインタビューは室内になっている。行方不明になった主演男優がどうしているか、という謎が作品としての緊張になっていて、ついに彼が登場し人々と再会する場が、雨のせいもあり、変にドラマチックにならず、しっとりしていていい。
[DVD(字幕)] 6点(2008-12-09 12:17:18)
1916.  39 刑法第三十九条
この監督は、トーンを前もって頭で作りすぎているのではないか。その分、映画が萎縮してしまっているような気がする。鑑定医がことさらおどおどしているのが、演出上の“発明”なのかもしれないけど、意味ありげな小細工という印象を持たされてしまい、ここらへんが萎縮感。たしかに精神障害だからすぐに責任能力がないというのは、裏返された差別であり、そこらへんを突くのはいいんだけれども、今度は一方的に被害者の側からのみ眺めるってのでは進歩がない。無垢でもバケモンでもない精神障害者像を描き出すのが芸術の仕事であろう。樹木希林が意外とよくない。
[映画館(邦画)] 5点(2008-12-08 09:33:50)
1917.  とんかつ大将 《ネタバレ》 
タイトルが活字でサッパリと出て、無音のままキャスティングも過ぎ、唐突にブレーキの音が轟く、というニクい導入。でも話の軸は、病院の悪徳弁護士と町医者との対立で、善悪が恥ずかしいぐらいにきれいに割り切れている。なにしろ病院を増築してキャバレーにするっていうんだから。そしてグレてた高橋貞二は佐野周二の説得ですぐ警察に自首し、徳大寺伸も子どもを手術で救われていい人に戻り、岡惚れしてる飲み屋の女将は津島恵子のために身をひく。実は財界の御曹司だった、ってあたりはもうついていけなかった。迫り来る火事の中での手術がポイントで、これで浄化され、悪徳弁護士は退散、盲目少女の目は見え、不良高橋は真人間になって戻ってくる、という大団円である。御都合主義もここまで来ると、いっそいさぎよく爽快である。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-07 12:13:20)
1918.  大学の若大将
そうか、このシリーズも最初のころは加山雄三オリジナル曲を歌ってなかったんだ。まだ東宝は彼にそういう才能があるのに気づいてなかった。タイトルのときに、なんかマヌケな感じのコーラスが流れて驚いた。中で加山が歌ってるのはドドンパだったし。60年安保の翌年の学生像と見ると、かなり落差を感じるが、案外大多数の学生はこんなもんだったんだろう、またサイレント時代の鈴木伝明などの大学生ものからつながっている伝統のジャンルの型だからしょうがない。もっとも戦前は学生ってのは尊敬される特殊な階級だったから微笑んでヤンチャぶりを見られたんだけど、時代が近づいてくるとちょっと微妙にはなる。レジャー産業が学生に標的を定めだしたころ。上原謙に「いまどき珍しい好青年だ」なんて言わせる楽屋落ちもあった。団令子が「MMK」と言うのは「もてて・もてて・困っちゃう」のことだそうだ。時代を懐かしむ材料として以外にはつらい作品で、唯一見せ場になりそうだったのは水泳大会リレー会場へ駆けつけるシーン、あそこは走りながら脱いでいって、そのままタッチと同時に止まらずに飛び込む、ってのが映画としては正解であろう。へんにリアリズムにこだわってはいけない。
[地上波(邦画)] 5点(2008-12-06 12:15:16)
1919.  レッド・バイオリン 《ネタバレ》 
古い器物が化け物になるという発想はもう今昔物語の昔からあり、いにしえの人が身近に置き愛玩していた道具に、なにやら執着が付き添い怪しい奥行きが出てくる、って感覚はよく分かる。まして楽器という精神性の高い道具ならなおさら。それぞれの時代で持ち主の不幸を奏でながら流浪するバイオリン、ってな話。怖いのは何話目だったか、パガニーニを思わせるような音楽家、その浮気がバイオリンの音色の変化で分かってしまうってやつ。で妻はピストル撃つのだが、それは女でも男でもなくバイオリンに向けられる。恋敵はバイオリンなんだな。我々が支配し切ったつもりになっている道具というものも、そっちの側からこっちを見る視線を感じれば、けっこう怖い材料になる。
[映画館(字幕)] 7点(2008-12-04 12:13:54)
1920.  銀座二十四帖 《ネタバレ》 
まず多摩川の新田銀座というところから始めて、花の出荷で本家の銀座へ導くシャレた入り。堀がどんどん埋め立てられているころの変貌期銀座の記録にもなっている。森繁による社会学的ナレーションが面白い。そごうが建築中だったり、怪しい裏町がありまだヒロポンを売ってたりする。ここらへん戦後を引き摺っている(そもそも満洲時代に描かれた絵の作者探しというところで戦争とつながっている)が、明るいネオンはやがてくる60年代の予兆であり、そのネオンをバックに悪の支配者が死んでいくってのは、まさに55年という40年代と60年代の中間点らしい話だ。あふれるばかりの登場人物にちょっとアルトマンの味もある。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-03 12:09:04)
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