1. 見知らぬ乗客
《ネタバレ》 原作P・ハイスミス、脚本R・チャンドラー、そして監督はA・ヒッチコック。豪華な顔ぶれというより、面子が濃すぎて空中崩壊しそうですが、実際、チャンドラーとヒッチコックはかなり折り合いが悪かったそうな。原作がどのように脚本化され、脚本がどのように最終的な作品に採用されたか、すみません全然把握してないんですけれども、この作品でも随所で見られる、いかにも「ヒッチコックあるある」なデフォルメされた演出シーン(「やり過ぎ」とも言う)が、何だかチャンドラーへの当てつけみたいに思えてきて。もちろんそんな訳無いのだけど、でも何だか嬉しくなってくるではないですか。そんな妄想を抱かせるのがまた、ヒッチコック映画のポテンシャルの一つなのではないかと。 冒頭、白い靴の男と黒い靴の男がそれぞれ車から降りて、駅に向かう。で、たまたま同じ列車に乗り合わせ、たまたま向かいの席に座り、一方の男がもう一方に馴れ馴れしく話しかけてくる。やがて男の話は恐るべき交換殺人の提案となり、当然のごとく断るものの、提案した男は勝手にそれを実行してしまう。提案された男にはアリバイが無く、追い詰められていき・・・というコワイ話。 二人の出会いは偶然でしかあり得ないはずなのに(まさにタイトル通り)、相手はなぜか自分のことを異常なほど知っており、自分を追い詰めていく、というのは、ちょっとドッペルゲンガーネタの変形のようにも思えてきます。実際、二人の男は、顔立ちは明らかに異なっているのだけど、背格好は何だかよく似ております。これで顔まで似てたら映画を見る側が混乱しかねないので、そういったことすべてを考慮したキャスティングなのかも知れません。いずれにしても、近くからあるいは遠くから、影のようにつきまとう男。テニスプレイヤーである主人公の試合で、観客たちがボールを追って顔を左右に動かす中、男だけがじっとこちらを見ている。だからそういうのが「やり過ぎ」演出だっての。面白いからいいけど。 男が主人公の妻を殺害する場面、地面に落ちた彼女のメガネに、歪んだ男の姿が映る。主の無いメガネだけがそれを目撃し、そのメガネを通じて我々がそれを目撃する。こういう演出の発想自体、歪んでますよね~。 夜、主人公と男が門扉を挟んで対峙するシーンがありますが、そこにパトカーが到着すると、主人公はつい、そこから隠れるように男のいる側へと回ってしまう。なぜ主人公が警察にすべてをぶちまけないのか、男のペースに巻き込まれるかというと、このシーンがあるから。男の側に立った、男の共犯者となったことを象徴するシーンだから。もう、逃げられない。 犯人は必ず犯行現場に戻る、という格言の通り(ほんまかいな)、クライマックスの舞台は、妻の殺害された遊園地へ。同じ舞台、同じシチュエーションが、作中で二度登場する。一種の変奏曲。今回は一体、何が起こるのか。 ここで、とってつけたように、大暴走するメリーゴーランド。はい、また「やり過ぎ」一丁いただきました。もう、絶対あり得ない状況の上、暴走メリーゴーランド上の格闘シーンが、やたら長くって、これ、このシーンにずーっと劇伴音楽つけろって、言われても、さすがに音楽が持たないでしょ、作曲家が困るのでは、と思っちゃうのですが、、、ちゃんとテンションが途切れない音楽がこの長いシーンに被せられています。ティオムキン自身が頑張ったのかアシスタントが頑張ったのか知りませんけど、いやほんと、作曲家って、エラいですね。 それにしてもこの暴走シーン、もはやメチャクチャなんですけれど、いやそれだけに、そのもたらす興奮たるや、無類のものがあります。まさに怪作にして快作。「やり過ぎ」大歓迎です。 [インターネット(字幕)] 10点(2024-11-02 07:18:40) |
2. 新諸国物語 笛吹童子 第三部 満月城の凱歌
泣いても笑っても、いよいよ全三部作の最終作。 いかん。書くことが無くなった(笑)。 普通なら物語の結末を迎えるこの最終作こそ、熱く語るべきところなんでしょうけれど。 白鳥隊とやらが結成され、新兵器たる鉄砲も準備。いよいよ、城を乗っ取った野武士の首領・玄蕃に対する反撃の狼煙が上がる。 終盤の合戦シーンなどの見どころもあるのですが、いかんせん、「相手は所詮、野武士だし、これじゃあ勝つに決まってるよなあ」というのもあってか、不思議なくらいの尻すぼみ感。 やっぱり真の見せ場は、霧の小次郎の生き様とその最期。なのかなあ。これも最後までどこか、トホホ感が付き纏ってます。 三作合わせると二時間半近いのかな。そう思えばそれなりの「大作」ですが、ラストシーンは全く粘りも何もなく、また断ち切るようにスパッと終わっちゃう、その潔さは、ちょっと好感持てます。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-10-14 08:58:17) |
3. 新諸国物語 笛吹童子 第二部 妖術の闘争
《ネタバレ》 ♪で~てこい、で~てこい、あがってこい ははは。ナメとんのか、と。耳について離れなくなってしまったではないか。 という訳で、意外な展開の下、突然終わった第一部に続く、待ちに待った第二部です。待ってないけど。 そうそう、第二部の冒頭で第一部のあらすじが極めて完結適確に紹介されますので、第一部をボーっとしか見てなくても、あるいは全く見てみてなくても、たぶん問題ありません。しかし、この第二部では物語が完全にアサッテの方向に向かって行きますので、この「置いて行かれた感」を楽しむためにも、やっぱり第一部は見とかなくちゃいけません。 第一部のラストで現れた怪人物、霧の小次郎が第二部で重要な役割を担います。ってか、主人公、と言っちゃってもよいかも。演じるは、大友柳太朗。独特の滑舌の悪さ(?)が、なかなか役にハマってます。大江山に棲む酒呑童子…という訳ではないですが、大江山を根城とする妖術使いです。いろいろとあやしい妖術を使い、だもんで特殊効果もふんだんに使用されます。若い女性を次々にさらってくる極悪人、かと思いきや、それは生き別れの妹を探すためであり、さらってきては、ああ、またも人違いだったか、と。 充分、極悪人ですね。 しかしついに今回、実の妹・胡蝶尼との出会いが待ち受けている。あ、冒頭に書いたのは、胡蝶尼の歌です。彼女は、妖術使いの婆さん以下、数々の妖怪たちとともに黒髪山に棲んでいて。。。 妖怪の中に、やたら高身長の唐傘オバケがいて、これはいくら何でも傘のサイズじゃないでしょ、と。しかも、妖怪どもが妖術で眠らされる場面で、他の連中は横たわるのに、唐傘オバケだけ面倒くさかったのか、直立姿勢のまま失神してます。ってのはどうでもいいけど。 第一部のオハナシはどうなったんだよ、というと、この妖術師・霧の小次郎の物語に、サブ・ストーリーとして絡むくらいの感じですかね。それは言い過ぎか。第一部で敵に捕まってた連中が、今度は妖術婆さんに捕まってたりして。 肝心の笛吹童子はというと、相変わらず大したことしてませんが、どうやら彼の吹く笛の音が、どういう訳か霧の小次郎を苦しめるらしい。人造人間キカイダーみたいですね。という訳で、今回も物語に微妙にかするだけの笛吹童子。 ラストはまた一大事が発生し、これ、普通ならツッコミたくなる展開ですがツッコむ暇もなく、次回へ続く。 という慌ただしい展開、途中(あるいは第一部と第二部の間)、物語の描写不足で「?」な部分もありますが、第三部冒頭でまた端的にあらすじを説明してくれますから、ご安心を。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-10-14 08:45:27) |
4. 新諸国物語 笛吹童子 第一部 どくろの旗
《ネタバレ》 冒頭の東映マークが「波ざっぱーん」ではない、古い作品。三部作の第一部、ですが、三部作と言っても1本あたり1時間に満たない、興行の余白を埋めるような添え物的作品です。こういった作品が当時の子供たちを熱狂させたんだな、と思うと興味深いところですが、その興味深い理由というのが、今の我々の目で見ると正直かなりキツ~いものがあるので、ああ当時はこんなのでも楽しめたのか、と。新鮮さ、って大事ですね。 物語の発端が描かれるこの第一部、これだけ見たとて何とも言いようが無く、そもそも肝心の笛吹童子が全く活躍しないんです。いや、全三部にわたって、たいして活躍しない、というか、登場シーン自体が多いとは到底言えないもんで、その点は、文句を言うよりも第1部の段階で慣れておいた方がよろしいかと。まあ、脇役ないしそれ以下です。 笛吹童子・菊丸を演じているのが、若き日、若すぎる日の、中村錦之助。これは一見の価値あり。と言いたいところですが、どうも心許なくって。対話シーンなどでの手持無沙汰感、もうちょっと何とかならんか、と思っちゃう。ただしこの辺りは、演出側の責任、あるいは当時の東映の余裕の無さ、でもありますが。 城を乗っ取った野武士の大将に、月形龍之介。どうもこういう豪快タイプの悪役のイメージとは合わないような気がしつつ、しかししっかりと豪快に演じ、何より、殺陣の腕前はさすが、大したもの。 笛吹童子の兄・萩丸(演じるは東千代之介。イケメン兄弟の設定ですな)は、敵の手に捕らえられた挙句、骸骨マスクを顔につけられ、危機一髪。よくわからんが、このマスクが顔から外れないんです。こういう胡散臭いアヤしさが、いいじゃないですか。 さらには彼らの数少ない味方も敵に捕らえられ、あわや磔の刑に! しかしそこに異変が! というところで、次回に続く。。。紙芝居に夢中になるように、みんな楽しんでたんでしょうね。第一部ではまだ控えめですが随所に特殊効果も使われたりしていて。 第二部、いかなる展開が待ち受けるか? [インターネット(邦画)] 5点(2024-10-14 07:56:13) |
5. 丹下左膳 怒涛編
大友柳太朗版「丹下左膳」シリーズの第2弾。前作の続きなんだか、リメイク(?)なんだか、前作と同じような人たちが同じようなことをやってます。前作との関係がわかったようなわからないような、でも正直、そんなことはどうでもよいのです。 今回は、いわくつきの香炉の、争奪戦。百両の価値がある、とか言ってますが、やがて百万両にハネ上がり、要は、コケ猿の壺だろうが香炉だろうが、何でもいいんですね。 冒頭、何やら密談らしきものが行われているのですが、密談を交わす人物たちは次々に切り替わり、どうもあちこちで同時にこれらの会話が交わされているらしい、というのが、大ごとの予感。これは同時に、登場する映画スターたちが次々に顔をみせる、オールスター映画ならではの楽しみでもあります。 で早速、くだんの香炉が奪われる大事件が発生。香炉を抱えて逃げる多々良純と、それを追う追っ手たち。その姿が目まぐるしいカットの切り替えで描かれ、オープンセットとスタジオセットを股にかけての、無類のスピード感。素晴らしい。 ついでに言うと、境内のシーンはスタジオだと思うんですけど、ちゃんと地面にハトがいるんですね。芸が細かい。 で、香炉は無事(?)、松島トモ子経由で丹下左膳の手に渡り、イヤでも騒動が巻き起こる、という展開。大友柳太朗が豪快に演じる丹下左膳、見事なまでの単細胞ぶりで、絶対に近くにはいて欲しくないタイプの人物ですが、それだけに、時に一途、時に必死。時に、やたら頼もしい。クライマックスで、敵に囲まれ一人戦う大川橋蔵と、駆けつける丹下左膳、援軍の姿が、カットバックでスリリングに描かれる。ようやく現れ大活躍の丹下左膳、援軍たちに礼を言いつつも、「まだ暴れたりないから、しばらく見ててくれ」などと、頼もしいのやらバカなのやら、まあ、両方ですね。 この作品、監督名が二人クレジットされていて、左に松村昌治、右に松田定次。どういう事情だったんでしょうか。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-09-15 08:04:22) |
6. 暗黒街の顔役(1959)
和製ギャング映画、ですね。いわゆるヤクザ映画とは雰囲気が異なり、モダンで無国籍。やり合う敵の組織も外国人だったりします。ただ、組織間の抗争よりは、組織から抜けてカタギになる・ならない、ってのが物語の中心。主人公の鶴田浩二も、障がいを持つ息子があり、本当は足を洗いたいらしいけれど、それは言い出せない。一方で彼の弟たる宝田明は自由奔放、やめる気満々。それから、組織の中で主人公に対し理解を示す先輩が、平田明彦。 こうやって、組織の中でも概ね、善玉と悪玉に分かれていて、善玉はみんなシュッとした男前。あとは見るからにワルそうな連中ばかり。特に、いかにも一癖ありそうな殺し屋の佐藤允が異彩を放ってはいますが、他もたいがいワルそうな連中なので、この顔でもそんなに目立たない。けどこの男、いったい何を仕出かすやら、やっぱり異彩を放っていることも間違いありません。 その一方で、町工場のオヤジとして登場するのが、三船敏郎。こんな端役で出る筈はないので一見冴えなくともその正体は凄腕なんだろう、と思いきやそうでもなくって、まあ、あくまで町工場のオヤジなんですけど、頑固一徹ぶりが、ちゃんと見せ場を作る。必死の形相でギャング連中に電動ドリルで立ち向かい、おいおい、そんな攻撃力の乏しい武器に何でそんなにビビってるんだよ、などという我々のツッコミを、許しません。 岡本喜八監督の演出は才気にあふれ、室内の会話シーンなどでも、カットの切り返しを多用したり、意表をつく構図を用いたりして、実にスタイリッシュ。ステージの歌唱シーンなども随所に織り込まれて、映画を彩っています。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-09-01 09:43:36) |
7. 陽のあたる場所
《ネタバレ》 原作の「アメリカの悲劇」は読んだことが無いのですが、この映画からは少し、ジェームズ・M・ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を連想したりもします。「郵便~」ほど主人公が直情的でも行動的でもなく、むしろ優柔不断にも見えるけれど、それでもやはりその行動は刹那的で短絡的。それをどこか、突き放したように描く・・・。 という観点では、この映画、さらにハードボイルドタッチの乾いた語り口でもよかったのかも知れませんが、それはともかく。 主人公のモンゴメリー・クリフトがヒッチハイクをしている冒頭。金は無いけど希望はある、って感じの好青年。いい人に見えるのはここだけで、まあ、あとは、サイテー男なんですけどね。彼が見上げた看板は、叔父の経営する大企業のもの。手の届かないような高さにあるその幸せが、徐々に彼のもとに転がり込んでくる。最初は労働者仲間の女性との恋愛、という、ある意味現実的で、こう言っちゃなんだけど世間的には「身の丈にあった幸せ」。ただしここですでに、会社の規則違反。今だったら横暴な企業としてネットで炎上するところかも知れませんが、とにかく不条理な悲劇のタネってのは、主人公自身が抱えているだけではなく、社会の中にも色々と転がっている。 で、最初、手に入れた小さな幸せの後、会社で出世したり、金持ち美人のエリザベス・テイラーと知り合ったり、という「大きな幸せ」(ってか、んなワケないやろ、こんなヤツに、と言いたくなるような、信じ難き僥倖の数々)が主人公のもとに降り注いでくる。小さな幸せと大きな幸せ、同時に手に入れようったってそうはいかないとなった時、どちらを手放すか? 「大きな幸せ」の方が実は単なる幻想でした、というのであれば、そりゃそうだよね気をつけようね、という一種の教訓話としてオチがつくところですが、この作品では最後まで、エリザベス・テイラーはあくまでモンゴメリー・クリフトを想い続ける「大きな幸せ」としての存在であり、もはや自分には決して手に入れることができない「大きな幸せ」はやはりそこに「大きな幸せ」として在り続ける皮肉。 小市民的な悲劇ではありますが、それだけに普遍的、とも。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-06-09 06:04:52) |
8. 任侠清水港
《ネタバレ》 これぞ、オールスター映画。善玉悪玉主役脇役、多彩な俳優が目白押し。やはりこの頃の俳優の皆さんは個性的で、そういう皆さんがこれでもかとばかりに次々登場するのが、まず見てて楽しいですね。もっとも、個性的と言っても、片岡千恵蔵と市川右太衛門では幾分、互換性があるような。大川橋蔵と東千代之介では互換性しか無いような、気も(山形勲は、、、このヒトは誰とも互換性が無いなあ)。 まず冒頭の富士山の遠景、その手前に小さく、列をなして歩く人影が。もちろん言わずと知れた、次郎長一家。映画の中ではこういうロングショットが随所に見られ、効果を上げています。中盤、船に乗った森の石松の背景に、ひっきりなしに川岸を行き交う人々が描かれれている、なんてのも、実に雰囲気があって。 それ以外にも、カメラを振ったり、クレーンで上下したり、身振り手振りを交えた会話シーンで細かくカットを繋いだり、とにかくダイナミック。演出の方も張り切ってます。ストーリーの方まで張り切り過ぎて、映画開始早々からあれよあれよと、殴り込みに突入。いやはや、なかなか忙しい・・・。 森の石松を演じるのが中村錦之助で、さすが石松、さすが錦之助、落ち着きが無いの、なんの(笑)。この喋り方でカミシモ切ったら、ほとんど落語家のノリです。で、この石松が後半、大活躍。 そんでもって映画はますます加速し、いよいよクライマックスでは、次郎長一家と黒駒・都鳥連合軍との一大バトルへと。 実に賑やか、楽しい映画でございました。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-05-26 06:38:35) |
9. 騎兵隊
南北戦争を背景に、北軍の騎兵隊を率いて鉄道駅の破壊作戦に向かう元鉄道屋の大佐。何故か医者を目の仇にする彼に対し何かと対立する軍医の少佐。そして北軍に対し嫌悪感をむき出しにしつつ彼らとの同行を余儀なくされた南部の女性。三者三様、それぞれに頑固で、その頑固さをぶつけ合う人間模様が、面白いんですね。大佐を演じるジョン・ウェイン、軍医を演じるウィリアム・ホールデンといった大御所に対し、南部の女性を演じるコンスタンス・タワーズという女優さん、映画の中でさまざまな髪型、さまざまな表情を見せて、なかなかチャーミングです。 とは言え、この3人に負けず劣らず、周囲を取り囲む北軍兵士たちの愛すべきポンコツぶりが、また面白くって。とても役作りと思えず、本当にバッチい人たちを集めてきたようにしか見えません。こういう人たちにまで広がった人間模様こそが、この作品の魅力です。 銃撃戦、駅の破壊シーンなども見どころ。駅なんて単に吹っ飛ばしゃ良さそうなもんですが、当面復旧できないように念入りに線路を曲げたりしてる描写が、さらに印象を深めます。西部開拓ってのは鉄道敷設の歴史でもあり、ジョン・ウェイン演じる大佐はそれを体現してきた人なのでしょうが、その逆の過程を我々に、そして彼に、見せつける訳ですね。 銃撃戦や大砲の射撃など、戦闘シーンが盛り込まれる一方で、少年たちの軍隊に対しては攻撃を避けたり、捕まえた「捕虜」をお尻ペンペンしたり、ユーモアを交えつつヒューマニズムも感じさせます。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2024-05-06 09:35:14) |
10. 恋愛準決勝戦
フレッド・アステアとジェーン・パウエルが、兄妹のダンサー。外見は年齢的に言って親子にしか見えませんけどね。しかし踊り始めれば、年齢差を感じさせない、身のこなし。アステアも50歳を過ぎて、全盛期のようにはいかないんでしょうが、決して衰えは感じさせません。ダンスシーンは全体的に長回しで撮影されていて、ある意味、誤魔化しナシ。涼しい顔で踊り続けるアステアのダンスの流れを止めない「一気見せ」が、やっぱりこのヒト、粋だなあ、と感じさせます。 帽子掛けを相手に見立てた見事なダンス、見ていると何だか、この帽子掛けもダンスが上手いなあ、と思えてくる。アステア本人だけではなく、パートナーをも輝かせるのが、さすが、腕の見せ所。さらには器械体操の器具などもダンスに取り入れて、次は何をやってくれるんだろう、とワクワクしてきます。 波に揺れる船の上、左右に傾くフロアでのダンス。あるいは壁、天井、所かまわず繰り広げられるダンス、『ポルターガイスト』か、はたまた『インセプション』か。重力の面白さと、重力を超越する面白さ、ですね。実際に床を傾けたり、部屋を回転させたりして撮影している訳ですが、セットがよく出来ています。さらに後者では、壁、天井へと移動するアステアの動きも実に巧みで、本当は今、どちらが「下」なんだろう、という事を感じさせません(だからますます気になってしまう)。 物語は、イギリスに渡った兄妹がそれぞれ恋愛を繰り広げる、という、いかにもミュージカルな他愛のないオハナシ。エリザベス王女の結婚と重ね合わせて描かれるのがこれまた、正直どうでもいいのですが(笑)、とにかく他愛ないオハナシながらも、いつも涼しい顔をしているこの伊達男が、終盤、周りの人の流れに逆行して愛する女性のもとに駆け寄っていく姿。少し一途さを垣間見せて、イイんですね。 後の『タワーリング・インフェルノ』で寂し気にトボトボ歩いていた姿を、ちょっと思い出したりもして。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-05-06 07:51:34) |
11. 宇宙人東京に現わる
2年前の『ゴジラ』にはまだ何となく戦後感があったけど、こちらの作品ではそういう雰囲気は無くって。最初の方に出てくる、山形勲演じる松田博士の食卓を囲んだ一家団欒の光景など、だいぶブルジョアジーな感じがいたします。テーブルの中央にはやたら盛大に花が活けられていて、食卓にそれはさすがに邪魔なんじゃないの、と。大きなお世話ですが。 という訳で、大映製のカラー作品。ガメラは直接は出てこないけれど、飛行音だけカメオ出演しており(?)、大映特撮スペクタクルのルーツ、とでも言えそうな。 宇宙人が登場します。タイトル通りです。さて彼らパイラ人の目的は何なのか、それは見てのお楽しみ。ある程度、文明を持った宇宙人なら、それなりに地球人っぽく手足がある姿で描かれそうなもんですが、そういうのを度外視したデザインに設定してきたのが新機軸。ずばり、ヒトデ型。地球で言うところの棘皮動物ですね。5回対称という特殊な体の構造。ヒトデ、ウニ、ナマコなど(ナマコも輪切りにすると5回対称らしい)。基本、なるべく動かず、なるべくエネルギーを使わない生活を送っている。しかし我々人間が属する脊索動物同様、後口動物に属しているので、姿は違えど、人類とパイラ人とは親戚みたいなものなのです。なんのこっちゃ。 いや、あくまで宇宙人であって、ヒトデではないんですね。他人の空似でしたね。クレジットには、「色彩指導」として岡本太郎さんの名前がありますが、パイラ人のデザインなども担当したそうで。中央には巨大な目玉がギョロリ。奇抜でもあり、シンプルでもあり。 宇宙人だのナゾの天体Rだのと、SFスペクタクルな設定の割には、物語の方はいまいち地味で緊張感が無いのですが(物語が、というより、描写がいろいろとおマヌケ。まあ、ユーモアだと解釈しましょう)、それでも後半は映像的にもスペクタクル度が上昇。ミニチュアや合成映像も活用し、これがなかなか完成度が高いんです。洪水の描写もダイナミック。いやこれ、ちゃんとしているシーンと、していないシーンとの落差が、なかなかすごい。 居酒屋「宇宙軒」。いいねえ。繁盛しそうにないけど。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-03-17 15:48:20) |
12. 復讐の荒野(1950)
《ネタバレ》 なんだかマカロニチックな邦題ですが(そういや『荒野の復讐』ってのは確かにありましたねえ・・・)、1950年、アンソニー・マン監督作品。西部劇と言いつつ、中身は父娘の愛憎劇。一種のホームドラマでもあります。 頑固ジジイの父親が父親なら、娘も娘。なんというか、リア王の悲劇は娘が3人いたことではなくって、一人でも充分だったんだなあ、と。 娘を演じる主演のバーバラ・スタンウィックが、素晴らしくハマリ役。髪型見てるだけでもイライラしてくる(笑)。いや、彼女だけでなく、登場人物みなそれぞれ、クセあり、インパクトあり。 ストーリー展開は、最初はじっくり、映画の3分の1くらいから、波乱が起こり始めます。なかなかにエゲツない展開。たしかに邦題の「復讐」ってのは、ひとつのキーワードになってます。 終盤、起死回生の父親が張り切るシーンが、印象的。その先には破滅が待ち構えていることを、見ている我々は予感しているだけに、余計に印象を強くします。 ラストは、大団円とは言えないまでも、せめて小団円か、と思わせて、それすらも否定する徹底ぶり。そこまでやるか、と。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-03-16 05:49:44) |
13. 日蓮と蒙古大襲来
歴史、宗教、スペクタクル、とくると、大作映画の王道3点セット、という感じがいたしますが、それにしても1958年製作のこの映画。例えばウィリアム・ワイラー版の『ベン・ハー』が翌59年の映画であることを思うと、なかなか攻めてるなあ、と。 いかにも、海外映画がイエス・キリストだったら、日本映画は日蓮で勝負、といった感じで、弾圧に屈することなく法華経の教えを説く日蓮上人の姿が描かれます。大地震のシーンでは地割れが起こり家屋が倒壊し、日本映画だって負けてませんよ、という意気込みが伝わってきます。 タイトルにあるように、目玉は蒙古大襲来、と言いたいところですが、待てど暮らせど元は襲来してこない。映画がかなり終わりに近づいたところでようやく元寇となるも、時間の関係で、文永の役と弘安の役がまとめられた感じ。戦いの流れなどはあまり描かれず、もっと日本側の苦戦を描きこんだ方が盛り上がるんじゃないの、と個人的には思っちゃいますが(防塁などもすでに築かれている模様)、到来する大船団、巻き起こる混乱、大規模な合戦シーンを矢継ぎ早に叩き込み、そして暴風雨のクライマックスへ。ミニチュアを駆使した迫力の映像が、圧巻です。 なお実際は、文永の役の頃は台風の到来シーズンには当たっておらず、弘安の役の時は台風が到来したのであろうけれど、壊滅的な被害という訳でもなさそう(その後も戦闘は続いた)ですが・・・。 それはともかく本当は、前半をもっと削っていいから(宗教者の親子の情を描くというのも、ちょっとどうかと思うけど、日本的と言えば日本的か)、元寇をたっぷり描いて欲しかった、とは言え、こんなスペクタクル映画向きの題材がその後もあまり描かれてこなかったことを思うと、貴重、であり、感謝。 あ、元寇以外がつまらないと言ってるんじゃないですよ。そこまでの約2時間も、日蓮の苦難また苦難の連続で、物語を引っ張っていきます。だんだん、なんでこの人こんなにイヤがられてるんだろう、と思えてくるのですが、空気読めない感たっぷりの表情で日蓮を熱演する長谷川一夫。空気が読めないんじゃないです、信念なんです。 時宗を演じるは、市川雷蔵。何となく、ピッタリな気がします。この空気読めない感(笑)。 いざ元寇となると、日蓮の存在感が薄くなり、そのまま唐突に映画が終わってしまう印象で、企画的にはやっぱり多少、無理があったような気もしますが、日本映画のパワーを感じ取ることのできる作品、だと思います。 [インターネット(邦画)] 7点(2023-09-17 11:22:03) |
14. 折れた槍
一人の若者が3年の刑期を終えて刑務所から出てくる冒頭。ちょっと任侠映画みたいですな。で、家に戻った彼は肖像画を見上げ、さらに兄弟たちとのやりとりの中に不穏な空気が流れる。 過去に何があったのか? がそこから描かれて、終盤にまた現在、そして肖像画へと物語が帰ってくる、という魅力的な構成になっています。ツカミの上手さ、回帰する物語。 頑固過ぎる親父役にスペンサー・トレイシー。困ったヒトではあるのですが、どこかユーモラスです。父と徐々に対立を深める長男が、リチャード・ウィドマーク。まさにこの親にしてこの子あり、こちらも充分過ぎるほど頑固そうな。 スペンサー・トレイシー演じるこの頑固オヤジ、何かと周囲に突っかかり、座っている最中に機嫌が悪くなると、やたらと席を立とうとするそぶりを見せる。なんか他の切り口の演出もあってよさそうな気もしますが。 冒頭の「現在」へと帰るラストでの、対決。岩場での取っ組み合いで、頭を岩にぶつけないか、見ててヒヤヒヤします。 先住民への差別なども織り交ぜつつ、家族の愛憎劇を描いた西部劇で、意外性もあり楽しめました。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2023-08-19 11:33:30) |
15. 無法の王者 ジェシイ・ジェイムス
《ネタバレ》 ジェシー・ジェイムズものの一本。とくると、『地獄への道』を思い出しますが、なんだかやたらそっくりなシーンが出てきて、フィルム流用なのか、それともパロディなのか。たぶん前者の気が。 とは言え映画自体が『地獄への道』をそのまま踏襲している訳ではなく、回想シーン主体で、時間が行き来するやや複雑な構成。回想シーンが多いというのは、どうしても語り口が断片的になって求心力が落ちる反面、シーンの転換の早さが作品の面白さになっていたりもして。限界と可能性が、表裏一体。 銃撃戦に、ダイナマイトを使ったアクション。爆破シーンに遠景を交えるのがカッコイイ。 ラストシーンでは、傍観者たる町の人々が動きを止め、その中をホームレス風のオヤジが歌をうたいながら歩いていく。 ところで、物語の背景には、南北戦争とその後のゴタゴタ、というのがある訳ですが、こういう作品見てると、アメリカって国にはもともと結束力など無くって、この国は常に何らかの形で対立を必要としているんじゃないかと思えてきます。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2023-07-30 08:59:46) |
16. 花嫁の父
《ネタバレ》 娘を嫁に送り出す父の姿。と言っても小津作品とは違い、ややコミカルにデフォルメされて描かれてますが、さだまさしの「親父の一番長い日」ほど極端ではありません。 ところどころでクスリと失笑まじりの笑いを引きおこす親父の姿、しかしあの悪夢にうなされる場面なんてのは、笑えるシーンではあるのですが、なかなかの恐怖も味わわせてくれます。かなり、コワいです。 やがて結婚式となり、人々が集まってきて、群衆シーンと言う程では無いにしても、画面に動きが出てくる。で、式が終わってみんないなくなり、しみじみ。 ってのは、いつの時代もどこの国でも、同じなんですねえ。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2023-06-24 06:43:31) |
17. たくましき男たち
邦題は「たくましき男たち」となってますが、見るからに一番たくましそうなのは、ヒロインのジェーン・ラッセルではないか、と。 彼女と、クラーク・ゲーブルと、ロバート・ライアンとの三角関係。と言えなくもないけれど、マトモに三角形をなしていないのが、ミソ。むしろ凸凹トリオといったところ。 彼女が靴下を脱ぐ場面とか、水浴びする場面とかが再三登場して、一種のお色気シーンなのですが、どうも迫力ばかりを感じて色気を感じず、そこがかえってヘンタイ的な色気になってる気がしてしまうのは、私の見方が悪いのでしょうか? 水浴中にイタズラで桶の水にカエルを入れられ、まさに絶対絶命。というような場面でこそ、「登場人物の中で本当に一番強いのは誰か」ということがはっきりします。 それはともかく、物語の軸となるのは、数千頭の牛の大群を引き連れての大移動。これだけの牛を並べ、歩かせては撮影の連続で、さぞかし大変だったんじゃないかと思うんですが、クライマックスではこの群れが洪水のごとき大暴走となって、もはやほとんどディザスター映画のノリです。 ラストもシャレてて、いいじゃないですか。やっぱり皆それぞれに、たくましいんです。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2023-06-11 12:21:26) |
18. 誇り高き男
ベテラン保安官と若者との組み合わせ。鉄板ネタという感じですが、中でも、二人が射撃の練習をするシーンにおける不穏な空気、緊張感は、出色と言っていいでしょう。何かが起こりそうな、何も起こって欲しくないような、いや何か起こらなきゃツマランだろ・・・。 作品自体は多少、スロースタートなところがあり、序盤はもう一つノレないのですが、ジワジワと盛り上がってくる。主人公がしばしば視覚に異常を感じるあたりの展開もちょっとユニーク。主演のロバート・ライアンはそんな歳でもないと思うんですが、単なる老眼じゃないの、と思えてしまったりはするのですが(いやこれ、人間、歳食ったら、びっくりするほど見えなくなるもんなんですよ!)。 主人公のイマイチ煮え切らないところも、若造の単細胞ぶりも、クライマックスに向けて盛り上げるため。いっそ『狂った野獣』の渡瀬恒彦なみに視覚がメチャクチャになったらさらに盛り上がったりして? いえいえ、品があるのが、こちらの作品の良さですから。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2023-05-07 08:26:21) |
19. 星のない男
カーク・ダグラスの魅力。というか、チャラさ、ですね。チャラ男。 陽気に歌って見せたり、曲芸のごとき見事なガン捌きを見せたり。器用で調子よく、天真爛漫。こういうヒトは、合コンの席では一番目立つけど、最終的にはモテないタイプだと思う。いや、最近の合コンがどんな雰囲気かは知らないので適当な事を言ってますけども。髪型もバッチリ決まっていて、鋼鉄のごとくガチガチに髪を固めているかのように見えますが、頭を掻きむしると一応ボサボサにはなるんだなあ、と。 そんな彼にも一応は暗い過去、とまでは言わなくとも、体と心にかかえた古傷があるらしい。そんなとってつけたような弱みなんか、どうでもいいでしょ、と言いたくもなるのですが、これはこれで重要な物語のポイント。有刺鉄線に対する嫌悪感。 そんでもって、彼を取り巻く2つの勢力がそこにはあるのだけど、この両者、どっちもどっち、という感じ。管理経済をとる有刺鉄線派か、それとも自由経済を標榜しつつ傍若無人に牧草を食い荒らす反・有刺鉄線派か。主人公にしてみれば、前者の有刺鉄線は嫌いだし、後者の連中はさらにイケ好かないし、と言う訳で、勧善懲悪路線ではない、微妙な力学の上に物語が成り立っているのがユニークなところ。ラストは元祖(?)有刺鉄線デスマッチへ。 この作品、画面に「遠景」がダイナミックに取り込まれていて、広大な牧草地帯、牛の群れ、といった光景がまた、大きな見どころになっています。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2023-05-03 10:24:20) |
20. 遠い太鼓
まるで、アフリカの奥地を探検して原住民と戦う、みたいなノリの映画ですが、舞台はアフリカではなくってフロリダ。秘境感はやや薄いけど、ワニはいるわ、毒蛇はいるわで、一応、冒険チックに盛り上げます。西部劇ならぬ、南部劇、といったところでしょうか。 映画前半、30~40分くらいでほぼ任務は完了。あとは帰るだけ、なんですが、そこに先住民やらワニワニやらが襲い掛かってくる。これがまあ、正直、さほど盛り上がらないんですけどね。ワニワニに襲われる場面の叫び声が、後にさまざまな作品に流用されて、この作品を有名にしているらしい、のですが、むしろこの場面におけるヒロインのおマヌケな叫び声の方にこそ、私は軍配を上げたいなあ。 作品全般にわたって、劇伴の音楽(マックス・スタイナー)が過剰に鳴り響き、これもあまり感心しないのですが、終盤の先住民との戦いで、劇伴が止み、先住民の太鼓の音だけが響いてくるのは、これは効果的でした。 あとは、水中撮影の活用なんかが、目を引きますかねえ。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2023-04-16 16:31:18) |