1. ブラック・フォン
《ネタバレ》 少年が誘拐される事件が続発する町で、今また新たに少年が誘拐され、監禁されるのだけど、その監禁部屋には謎の黒電話があって・・・というのはいいとしても、どういう訳だかその黒電話に、過去に誘拐された少年たちから電話がかかってきて、主人公の少年にいろいろとヒントをくれる、というのが、ほんとゴメン、申し訳ないんだけど、何が面白いんだかサッパリわからん設定。スティーヴン・キングでもないのにこんなつまらない事を思いつくなんて、いったいこの原作者は誰なんだ、と。いや、そんなイジワル言っちゃいけませんね。息子さんだそうで。 もちろん、とっかかりがつまらなさそうだからと言って、映画全体がつまらないとは限らないのだけど、そしてまあ、それなりに楽しめはするのだけど、意味ありげに散らかすだけ散らかして、実際はこれと言って何もない、というのがこれまたキングっぽいというか。 少年同士の友情、と言うには何だか同性愛っぽいものもありそうで、はたまた彼を支える妹との間には近親相姦的な方向に行きそうなものもありそうで、しかししかし、作品を見てる分にはまーったくそういう方向には近づく気配も感じさせず、実にアッケラカンとしております。正直言えば、そういう方向にやたら安直に向かっちゃうのもあまり感心できないので、ホッしたりもするのですが、しかしそうなると今度は、この物語を支えているものが何なんだかが、よくわからなくなってきます。 他の少年たちとの友情と言うにはえらく表面的な描写に終始しているし、妹との関係に至っては、「妹が(たいして役にも立たない)特殊能力を持っている」という設定以外に特筆すべきものがなく、どうも張り合いが無い。 せめて偏屈モノの親父くらいは、その「偏屈」道を全うしてくれればよいものを、これも日和ってしまって、意外にこの人、いいヒトなのかもしれない。 いやいや。せめてせめて犯人くらいは、超エキセントリックであってくれれば、、、と思うのですが、うーむ。なんだろう、この存在感の弱さは。 結局のところ、「過去の犠牲者が電話をかけてくる」というネタを軸に、いろいろと盛り込んでくるのですが、どうもそれが、いかにもRPGか何かのような段取りクサさを感じさせてしまって。煮え切らない印象、なのです。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-06-08 13:49:16)《新規》 |
2. ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング
諸般の事情で吹替版を見に行くことになってしまったのですが、映画開始前にトム・クルーズの肉声の挨拶が聴けたのは、良かったです。本当にコレ、嬉しかった。作品の良し悪しとは関係ないけど。 映画の中に「走るシーン」、それも全力疾走のシーンが出てくると、昔からテンション上がっちゃうのですが、そういう嗜好というのか指向というのか、同様のこだわりを演じ手であるトム・クルーズの方でも持っているようで、これまでの作品でも何度も見せてくれた「走り」を、今回もたっぷりと披露してくれます。 しかしもう一つ、私が偏愛するのが、「疾走する乗り物に人間がしがみ付くシーン」というヤツでして。『カサンドラ・クロス』や『暴走機関車』がなぜここまで好きなのかというと、列車にしがみつくシーンがあるからなのか、それとも好きになる映画ってのはちゃんとそういうシーンも押さえてくれているということなのか。あるいは『レイダース/失われたアーク』のトラックのシーンとか。「ジョン・グレン監督の007映画」なんて、誰にも評価されていないかもしれないけれど(私も手放しで喜んでいる訳ではないけど)、ヘリにしがみつき飛行機にしがみつき列車にぶら下がり、いや、素晴らしいではないですか。 で、今回のお題は、複葉機。『トップガン』のトム・クルーズが、元祖トップガンたるサイレント映画『つばさ』の世界に舞い戻り、複葉機での空中戦を繰り広げます。しかしこれらの作品とは違って、彼はあくまで複葉機にしがみつかねばならぬ。と来れば、やはり私の愛する『カプリコン・1』、なのですが、、、この『~ファイナル・レコニング』で展開されるのは、あの空中戦を撮ったハイアムズですらさすがにここまではできなかった、という、もはや自分の目が信じられなくなるような、「頭おかしい」級の驚愕の空中スタントの数々。 スタント映画の神様がついに舞い降りた、と思う瞬間でありました。 まあ、別の場所で展開される物語と、このアクロバティック過ぎる空中スタントとが並行して描かれるのは、ある意味「引き延ばし」であって、限られた映像素材でいかに長くクライマックスを持続させるか、ということでもあり、結果的にややスピード感が阻害される要因になってしまった感も無きにしも非ずですが、そうであれ何であれ、「えっもう終わり?」とだけは絶対に言わせない満腹感充分のクライマックスになっています。この空中での戦いを表現するのに、どういう映像のショットで見せるのか、に対して、どういうショットが映像化可能なのか、どういうスタントが人間に可能なのか、の究極のせめぎ合い。 で、作品全体としてはどうかというと、これはもう、間延びしてしまってます。『フォールアウト』あたりから顕著になってきていた映画の長さが、今回はついに169分という長さ。それも、前作『デッドレコニング』が「2部作の1作目」という(当初の)位置づけに乗っかって「話のオチはつけるけど収束はさせない」という自由度でもって長尺を乗り切ったのに対し、今回の作品は、MIシリーズ自体の集大成ですとばかり、やたらと過去に遡っては「実はああでした」「実はこうでした」とやりまくる。そんなこじつけみたいな話をいくら聞かされてもなあ、と。お陰で、映画の尺は延びる、テンポは悪くなる。 だけどまあ、この「歳月の流れ」みたいなもの自体が、今回の作品のテーマの一つでもあるんですよね、きっと。トム・クルーズを含め、みんな歳を重ねて。シリーズ初期の、かつての若かった頃の映像が何度も挿入されるたびに、あの若かった時代というものはもう戻ってこないんだなあ、と思わされつつ、それでも年輪を重ねたトム・クルーズが「歳食ってなお」限界に挑み続ける。 などと思っていたら、一緒に見に行った高校生の息子(彼と時間的な都合を合わせるために今回、吹替版になったのだけど)も、要するにこれってそういう映画なんでしょ、みたいな事を言ってて、ああ、同じようなコトを感じてるもんなんだなあ、と。 という訳で、それなりにしみじみともする作品で、しみじみとさせんがために(要は昔の映像を出さんがために)蛇足的な贅肉もついてしまった作品でもあるのですが、そしてまた、登場人物を増やし過ぎていささか手持無沙汰な様子も見られちゃったりもするのですが、そうは言っても、これだけ素敵な数々のシーンがあれば、不満はありません。 中盤の潜水艦のシーンなんて、クライマックスの空中戦とは対照的に、スピード感と言えるようなものは無いのですが、しっかりと、じっくりと、緊迫のシーンを描きつくしていて。 ああ、この映画、見て良かった、と思います。 [映画館(吹替)] 8点(2025-06-08 09:15:52)(良:2票) 《新規》 |
3. ドアマン
閉鎖空間を舞台に、悪党どもが人質をとって立てこもり、何やら金庫の中身を狙っている。その閉鎖空間にはあちこちに工事中の部屋があり、そんな中でただ一人、主人公が敵に立ち向かう。ただし、悪党どもが立てこもる部屋には、主人公と人質との関係を示すアイテムが存在し、いつその関係が、バレてしまうのか。 これって完全に、数段スケールダウンしただけの『ダイ・ハード』やんか、と作り手側も思っているはず、というか、「これって『ダイ・ハード』のパクリだと思われちゃうよなあ」とも思っているはず。そう思いながら映画を作るのも、きっと、やりにくいだろうなあ、と。 いやいや、主人公が中年太り気味の冴えない刑事ではなく、意外な職業なのに身体能力がやたら高くってやたら強い。これってコックが大活躍するあのセガール作品に近いじゃないかって? いや、あれもまあ、『ダイ・ハード』があっての作品ですし。 そういう部分は、もう、割り切っているのかなあ、と思うのですが、それらの作品との違いは、主人公が女性。それも中性的な魅力がある。こういう部分は、いいですよねえ。というか、これで主人公が同じようにオッサンだったりしたら、オリジナリティ乏しすぎて、もはやこの作品を作る意味が激減してしまう・・・。 主人公が暗い過去を抱えている設定も、悪くない。けど、これはちょっと掘り下げが浅かったか。 大作ではないだけに、逆にのびのびと好きなことができるのか、アクロバティックなカメラワークがひとつの見どころになってます。あと、何だか暗いシーンが多くって、この雰囲気はダイ・ハードだの沈黙の戦艦だのと言うより、いっそ『ミッドナイト・ミートトレイン』の雰囲気じゃなかろうか。 敵の一味の中に、あまり役に立たないアジア系のヤツがいるのも『ダイ・ハード』っぽい点か。これがよく見りゃ、皆さんお待ちかねの(?)伊藤英明。このまま頑張って、あのアジア系のおじさん(アル・レオン)ぐらい、ハリウッドのヤラレ役として引っ張りだこになっていただきたいもんです。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-06-01 09:15:02) |
4. 355
曲がりなりにもスパイ映画、ということで、一応は謎の装置の争奪戦みたいなことをゴチャゴチャとやっていますが、要するに、各国の諜報機関からやってきた女性スパイが協力し合って、ドリームチーム5人組を結成、というオハナシ。いっそその方向に完全に振り切ってくれたら、相当アタマの悪い映画になってしまうとは言え、もっと活きのいい作品になっただろう、とも思うのですが、さすがにそういう考え方は古すぎるということですかね。一応は何やかんやゴチャゴチャとやってまして、お陰でまあ、なかなか5人組が揃わないこと。 脈絡なく舞台を世界のあちこちに移して、テンポがいいのは間違いないんですけれども。「スパイ共闘」という骨組みに対して肉付けが今一つで、テンポの良さのみにサラサラと流されて行ってしまう。 5人の国が異なり、人種・民族も異なって、バラエティに富んでいるはずなんだけど、その割に個性が見えにくいのも難点か。わずかにそれぞれの得意分野らしきものがあったとて、基本は(各国の代表なもんで)皆、優秀。皆、強い。残念ながら個性だけは、弱い。 それを補うだけのエピソードでも挿入されれば、よいのだけど・・・。 変に深刻な展開になってしまうのが、これまた場違いな感じ。綺麗ごとだけではない、ってことだとは言え、ちょっと消化不良かも。 シリーズ化は、難しいですかねえ。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-05-31 18:41:41) |
5. ブラックボックス 音声分析捜査
タイトル通り、墜落した飛行機から回収されたブラックボックスを専門家が音声分析するお話。音の分析、という映像的には「動き」の無いものを描くので、映画としてはそういう「静」の部分と、「動」の部分との対比が見せ場になってきます。まずは冒頭、墜落事故を起こす前の機内の通路をカメラが移動していくあたり、「動」を感じさせ、それと同時に、後々、音声から分析されていく機内の断片的な様子の、ある意味、俯瞰図ともなっています。 この場面以外でも、主人公の移動に伴いカメラを積極的に動かすなど、映像に動きを与える一方で、音声分析では「音への一点集中」的な演出がなされ、この辺りの対比が、なかなか巧み。 音声分析となると、その分析官の表情がまた、一つの見せ場で、主人公を演じているピエール・ニネのいかにも秀才クンといった整った顔立ちが、このシーンを支えています。その奥さんってのがまた、美人かどうかはともかくやたらチャーミングに描かれていて、そのラブラブなシーン、必要なのかよ、と思ってたら、これが必要なんですね。あくまで仕事として始めたはずの「音声分析」が、やがて主人公の私生活にも大きな波乱を巻き起こすことになっていきます。サスペンスとしての魅力も充分。 ミステリとして見ても、社会派風の体裁でいながら、本格風のトリッキーな部分も織り交ぜて、楽しい仕上がり。何ていうんですかね、ちょうど、リアリティが「ある」か「無い」かのギリギリを攻めた挙句、結局は「無い」側に転がっちゃう楽しさ、というか。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-05-31 07:00:41) |
6. ジョン・ウィック:コンセクエンス
《ネタバレ》 はい、どっからどう見ても明らかに「やり過ぎ」、ですね。撮る方、演る方、見る方、皆さまお疲れさまでした。 ここまで無数の敵と連続して戦い続けて、無事な訳がないし体力が持つ訳もないし。要するに「リアルな戦い」をリアリティそっちのけで繰り広げまくっていて、これはもはや一種のダンスなんですね。死の舞踏。って前作でも書いた気がするけど。 正直、ここまでやられると、感覚がマヒしてきます。同じことばかりをひたすら繰り返しているような。そのワザ、さっきも見たよ、と。 それに、画面上で繰り広げられるこれらの動きはおそらく徹底的に計算され、整合が取られているんだろうけれども、「きっとそうなんだろう」と思うだけであって、画面は完全にインフレーションを起こしており、物理的なツジツマがあってるんだかあってないんだか、もうさっぱりわからない。ただ、なんだかここまで来ると、人間の動きを見ているというより、コンピュータゲームを見てるみたいでもあり。 しかしそれでもなお、この作品は、この「やり過ぎ」を敢行します。やり過ぎてナンボ、インフレ起こしてナンボ。「思ったよりアクションが少なかったなあ」とだけは絶対に言わせない、まさに満腹確約、といったところですが、やり過ぎた先にこそ、初めて見えてくるものもある訳で。 もちろん、ただ無節操に同じことだけを繰り返しているんじゃなくって、ガラスが砕けることで(一応は)銃弾が飛び交ってます、というアクセントをつけ、また、いったん戦いが終われば、次の闘いではシチュエーションを変え、映画に変化を加えてくる。その行きつく先に待ち構えるのが、あの階段での死闘。 とって付けたように階段を転がり落ち、とって付けたように疲労困憊する、んですけど、もうそれで、いいじゃないですか。アクション映画における階段は、転がり落ちるためにこそある、という訳で。 ここに至るまでにさんざん「やり過ぎ」たからこそ、クライマックスの決闘がどちらかというと静的なものであっても、ぜーんぜん不満はありません。アクションはもう充分見たしね。こんな気分にさせてくれる映画、他にありますか? ただ・・・背景のCGの光景が、ちょっと薄っぺらく感じてしまうのは、これは残念でした。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-05-24 12:00:30) |
7. キラーカブトガニ
カブトガニで、もう全然問題ないので、誰かこういう映画をマジメに作ってくれないもんですかねえ。ゾンビは今でもマジメに人に襲い掛かってくるのに、動物モノは、何かと言うとふざけてしまいがち。今やパロディとしてしか成立しないんだろうか。大好きだったジャンルなのに。 まず前兆のような怪しい事件が頻発して、やがてパニックが拡大して、できれば最後は一軒家に閉じこもってもらえれば言うことなし。と言えば『鳥』ですが、その正統な後継者(?)たる『巨大クモ軍団の襲撃』もいい。『巨大生物の島』ですら、我慢できちゃう。 ラストでどうパニックが収まるか、というのにも無上のカタルシスがあって、『ジョーズ』は勿論の事、『スウォーム』などもいいし、何なら『殺人魚フライングキラー』だって。ただし『スクワーム』はノーコメント。『テンタクルズ』は、こりゃどうなんですかね(カタルシスを感じて欲しいという、気持ちだけは伝わってくるが・・・)。 まだまだ素晴らしい映画がたくさんあって、確かに今さらこのジャンルを新たに、マジメに作る必要性は薄いのかも知れないし、単に「撮影に使う生き物を殺さない」でこのテの映画を作るのが、面倒臭いのかも知れない。 で、この映画。一応、鯨の死骸が見つかる、などという前兆の事件があって、やがてパニックが広がったりもして、感触としては悪くないし、主人公の少年が車いすに乗っている、というヒネリも加えています。カブトガニは所詮CG、だとこちらも思いながら割り切って見てるし、そもそも所詮カブトガニ、なので、ほどほどのCGでもあまり違和感ありません。ただし、ラジコンみたいに走り回るんじゃなくって、もう少し生き物らしい動きはできないものか、、、と言っても、どういう動きが「カブトガニらしい襲い方」なのか、私も知りません。 攻撃方法は、エイリアンのフェイスハガーと基本的に一緒。これもパロディということなのか、でもその繰り返しだけではちょっと寂しい。一人、股間を襲われているというオチで、笑わなきゃいけなかったんだろうか。 カブトガニのくせに何かモゴモゴとつぶやいており、これじゃあまるでキラートマトやんか、と思った人がこの邦題を考えたのかもしれない。 いずれにしても、主人公の車いすが全く物語に貢献しないまま、終盤は唐突に巨大ロボットでの戦いとなって、「世界の人々は知らんけれど少なくとも日本人はこういうのが好きなんでしょ」と言わんばかりなのが、図星ではあるけれど、でもそれを、ここで、このタイミングで、見たい訳じゃないんだけどなあ。。。 ふざけようがパロディであろうが、別にいいんですけど、もう少しだけでもマジメ路線の方に針を振っていただかないと、これでは「悪ふざけ」にしか、なりませぬ。 [インターネット(字幕)] 4点(2025-05-18 09:59:31) |
8. フォーエバー・パージ
《ネタバレ》 年に一度の“パージ”の一夜、その12時間だけはどんな悪事をはたらいても罪に問われない、ということなのですが、どの行為が正確に何時何分に行われたのか、アウトなのかセーフなのか、後から確定できる訳もなく、このルールはアカンでしょ、と思ってたら案の定、ルールが形骸化しちゃった、というこの第5作。モラル維持のために導入された劇薬とも言うべきパージ法が、かえってモラルの低下を招き、というかモラルを壊滅させ、パージ信奉者たちが終了時刻を過ぎてもパージを継続。収集がつかなくなったアメリカを後にして、隣国への国境を目指すサバイバルが描かれます。トランプ大統領の訴える「国境の壁」の、裏返し。 もともと、アメリカ社会の分断を描いていたのがこのパージ・シリーズですが、とうとう分断もここに極まって、今回描かれるのは、「危機からの脱出」どころか、「アメリカからの脱出」。もはや、諦めの境地、のような。 社会の分断を、ここまで徹底して二陣営間の対立として描くと、結局は、作品の賛否がそのまま社会の分断に輪をかけるだけ、だったりしないか、ちょっと心配になります。見たいもの、知りたいことだけ受け入れ、それ以外は駄作だとか偏向だとか言って拒絶する今の社会に、この作品は一石を投じることになるのか、それとも分断を批判することで分断を深める、自己撞着に陥るのか? ちなみに、私もこれまで、“駄作”なる言葉を全然使わなかったとは言いませんが、極力、使わないようにしています。ただ、思ったこと感じたことを書きはするけれど、ある映画が駄作かどうかを判断する力が自分にあるとは、思っていないので。 それはともかく。この作品では、パージが終わらない世界が、描かれます。パージの一夜が明けてもそれは本当の夜明けではない、もはや真の夜明けがやってくることのない世界。 昼間が舞台になり、メキシコ国境近くの荒野なども舞台になってくるのが、新趣向。閉塞感みたいなものはちょっと希薄。多彩な登場人物が織りなす逃亡劇、だけではなく、集団抗争劇っぽい内容にもなっています。長回し(あるいは長回し風?)の演出もあったりして、緊迫感も充分。 先住民の長老っぽい人物も出てきたりして、西部劇の世界を逆サイドから描いたような要素も。 結局、アメリカを突き放すように終わってしまいましたが、トランプ政権が復活した今、パージシリーズも、復活するのか、どうか。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-26 19:14:03) |
9. ノー・セインツ 報復の果て
《ネタバレ》 アクションシーンがただただゴチャゴチャしていて全くうまく撮られておらず、もちろんこれは本当にヘタなのではなくって意識的な演出なのだろうとは思う(思いたい)のですが、でもやっぱりアカンでしょ。これでは。 というこの一点で、いくら減点されてもしょうがないと思う一方、それでもなお、この作品には無視できないもの、心を惹かれるものが、あります。 元殺し屋の主人公が、誘拐された息子を救うために再び暴力の世界に身を投じていく物語。主人公にはイエス・キリストのイメージが重ねられている……と言うにはあまりにやっている事がかけ離れていて、他の人々の原罪を背負って磔刑に臨んだイエスとは逆に、この主人公は行動すべてが凄惨な暴力へと繋がり、罪を作り出してしまう。いわば人類の原罪そのもののような存在。そういう意味では、作品の背景にイエスの存在というものがあったとしても、それを真逆から、裏返しに描いたような主人公像となっています。原題はThere Are No Saints. 聖人などいない。 その息子というのがこれまた、イヤミなほどの美少年で、どうしてまたこんなムサい親父にこんな息子が?などと人を見た目で判断してはイカンのだろうけれど、無垢のイメージが強く感じられます。 息子の行方を追い、助け出すためには手段を選ばない主人公。行く先々で、血の雨が降る。息子を救うためとは言え、本人のこれまでの荒んだ半生が招いた事態でもある訳で、過去の暴力が新たな暴力の連鎖を生み続ける無間地獄のような世界が描かれています。 で、その終着点に待ち受けている、悪の権化のような男。ロン・パールマン演じるこの男は、まるで中村文則氏のいくつかの小説に登場する悪そのものを体現したような怪人物(「掏摸」「王国」の木崎とか、「悪と仮面のルール」の久喜幹彦とか、「教団X」の沢渡とか)を彷彿とさせます。もはやそこには悪意すらない、形而上学的な純粋の悪。その存在がロン・パールマンの姿をもって、我々の眼前に現れる。 クライマックスにおけるこの圧倒的な絶望感たるや、作品に瑕疵はあってもやはり、無視できんなあ、と思うのです。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-04-13 08:40:20) |
10. SISU/シス 不死身の男
フィンランド映画はアキ・カウリスマキだけでは無いんです・・・にも程がある、という映画。 寡黙なジジイが、ナチスの小部隊と淡々と戦い続ける、本当にそれだけのオハナシで、章立ての構成(各章にタイトルあり)になっているのが、なんだかコミック調、劇画調。いや、単に私がゴルゴ13を思い起こしただけなんですけれども。しかし何だか、タランティーノあたりに気をつかった構成のようにも思われて、そういうの、ヤだなあ。いいけど、なんかヤだ。でもまあ、いいか。 繰り広げられるのはひたすら荒唐無稽な戦いで、でもそれを大真面目に映像化している。ジジイひとりで強敵に立ち向かう設定なもんで、意表をつく攻撃も登場すれば、「そんな攻撃に耐えられる訳ないやろ」という攻撃にもしっかり耐えてみせる(そしてそれをしっかり映像で見せつける)意外性もあって、いや、なかなかの楽しさ。 ただ、飛行機のくだりはさすがに荒唐無稽にもほどがあり、真面目が取柄だった作品が、一気に不真面目になっちゃった。これは残念。 はっきり言って、主人公のジジイについては、「不死身の(またはそれに準ずるほどの)強さ」という以外、何もわからない存在なので、大して興味も湧かず、この人がいつ死のうがどうでもよくなってきて、唯一の心配は「もしもこの人が途中で死んだら、映画が途中で終わってしまう…」という程度のもの。それとて、映画が途中で終わる訳がないので、ますます主人公に興味が持てない。でも、「ヒールの魅力」って、そういうもんですよね。勧善懲悪とかではなくって、ヒールvsヒールの闘い。 これは、デスマッチ、なのです。 で、そういう作品がなぜか、フィンランド映画。ってことなのですが、確かにというか何と言うか、広がる荒野はの映像はいかにも北欧っぽく、アメリカ映画には無い独特の雰囲気を感じさせます。こういうのも魅力。 一応、夜のシーンもあれば昼のシーンもあるようですが、全体的に夜明けとも夕暮れともつかない薄明の雰囲気が漂っていて、こういうのも北欧らしさ、ですかね。独特の味わいがあります。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-05 05:10:44) |
11. インフィニット 無限の記憶
転生、がテーマですね。人類の中に、前世の記憶を持って生まれ変わりを続ける連中がいて、2大勢力同士が戦っている、という。 ところで超常現象ネタとしてこのリインカネーションってヤツが話題になったりするのですが、地球人としての前世記憶はあっても、宇宙人としての前世記憶の持ち主がいなかったとしたら、宇宙人の存在を否定することになるような気もするが、超常現象ビリーバーとしてはOKなんだろうか?(とか言ってると、自称“元”宇宙人がそのうちワンサカ出てきそうな気もするけど)。 それはともかく、転生をくりかえす一族(?)の一人である主人公、演ずるはマーク・ウォールバーグ。この筋肉男、「何やら過去を後悔しているようだけど、実際は中身空っぽで全然後悔なんぞしていないようにも見え、しかしそういう人ほど意外に後悔を抱えてたりするのでは」ってな事を感じさせる雰囲気がありますよね。そうでもない? とにかく、何となくそれに類する感じがするのが、この人の魅力。 そしてもちろん、アクション俳優としてちゃんと「動ける」魅力・・・という点で言うと、この作品ではもう少しガンバって欲しかった気もするけれど、メンタル面で不安を抱えた役どころでもあり、アクション一辺倒という訳でもなく。 日本刀での殺陣あり、カーチェイスあり、飛行機内の無重力チックな格闘あり、SFとしての自由さを活用したごった煮的なアクションが散りばめられた作品にはなっていて、マーク・ウォールバーグ云々よりもむしろ、アントワーン・フークアがこういうのを撮りたかったりするんだなあ、と。 輪廻転生がテーマとして取り上げられているもんで、断片的な記憶、と思しき映像が登場し、それが後々、焦点を結んでいく展開が(それなりに)面白い。正直、ゴチャついた印象もあるのですが、ゴチャついた内容をゴチャつかせて描き切るのも、意欲的と言えば意欲的。意外性もある。 だけど結局、作品全体の印象としてはもう一つ弱く、同じく輪廻を取り上げた『リトル・ブッダ』なんかの余韻を思うと、いくらこちらがSFアクションでアプローチが異なるとは言え、この余韻の無さ、味気なさは、ちょっと奇跡的。。。この作品を「無限に記憶」しておくことは、ちと難しい。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-04-05 04:37:24) |
12. モータルコンバット(2021)
タイトル前の映画冒頭、およそ日本らしくない「日本の光景」が出てきて、ついでに真田サンも出てきて、ああ、このパターンだと、真田サン出演作と言ったってどうせこのシーンにしか登場しないんだろうなあ、とか思っちゃうのですが、実際にそうなのかどうかは見てのお楽しみ。役名はハサシ・ハンゾウ。もちろん違和感はあるけれど、いちいちツッコまない。ということで、一つよろしく。 一応、この冒頭で、「妻子を守れなかったハンゾウ」ってのが提示されて、それから時は流れて現代。よくわからんがきっとコイツはハンゾウの子孫なんだろう(ハンゾウの子供は何やら怪しい坊主に救出されたので、きっと今でも子孫がいるんだろう)、と思われる男が主人公で、やっぱりコイツにも妻と娘がいる。だから、最終的に、彼が妻子を守る話にはなるのだけど・・・ それにしちゃあ、その要素が随分、薄味。冒頭のハンゾウの家族の描き方が簡潔だったから(雑、とも言う)、現代パートでもバランスをとって簡潔に描いたのか。はたまた、格闘映画一色に染めるために、そういうまどろっこしいファミリー描写は省いたのか。 正直、映画を見終わっても、主人公の妻と娘の顔が思い出せないくらい印象が薄くって(笑)。敵や味方の怪しい格闘家(?)連中のキャラの濃さを前にしては、主人公の家族の存在感など、風前の灯。ストーリー上の要となるべき「家族愛」が、この程度の描かれ方でよいのだろうか? 映画を格闘色で染めきるために削ぎ落した、というのであれば、さて映画の全編が格闘シーンで埋め尽くされているんだろうか、というとこれがそうでもなくって、何やらモタモタとよくわからないやり取りが続きます。あまりスピード感が無い。では映画が退屈なのかというとそうでもないのが不思議。なぜかズルズルと映画に付き合ってしまう。。。 クライマックスはちゃんと、格闘シーンのオンパレードです。敵味方入り乱れ、闘いがこれでもかと繰り広げられます。 ただし、やたら画面が暗い。ただでも細切れで見にくいアクションが、さらに見づらくって。CGの都合で暗くしているのか?と疑いたくもなるけれど、もし、この闇を描くのが主眼なのだとしたら、光があってこそ、闇が生きるのでは。暗いだけでは芸が無い。手から炎を出すキャラがいて、この炎だけが唯一、画面上で目を引きます。 残念ながら、肝心の格闘シーンの、見せ方が今一つ、という印象。。。 結局、格闘大会だか何なんだかよくわからない乱戦となりますが、見ててふと、かつて『バトル・マスター/USAサムライ伝説』というそれはそれは面白い(?)映画があったことを思い出しました。どうせダメダメなんだったら、いっそああいうのをリメイクしてはどうでしょうか。 あと、これは大抵の人がそうかも知れませんが、真田サン繋がりということもあり、『魔界転生』も思い出してしまいます。いつの日か、ハリウッドでリメイクされないですかね~。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-02-23 06:33:20) |
13. グラディエーターII 英雄を呼ぶ声
復讐心を胸に抱いた一人の剣闘士が、さまざまな敵との闘いに勝ち残り、ついにシリーズ最終戦を迎えるというプロレス的サバイバルは、前作で充分に描きつくされ、完結しているので、もうこの後何をやっても蛇足にしかならないのだけど、蛇足には蛇足の味わいがある、というのが続編映画の醍醐味。 前作の後日譚、という位置づけですが、前作の主人公マキシマスからの繋がりを軸に置きつつも全体的には、ローマ帝国自体のその後、その斜陽自体を描いたような作品となっています。今回も一人の剣闘士にスポットを当てつつも、必ずしも前作のマキシマスほどの存在感は示しておらず、どちらかというと群像劇としての性格が強まったようなところがあって。 今作でもド迷惑な皇帝が登場するも、今回は二人に増殖。カラカラ帝・ゲタ帝の時代。映画の中で「悪」を体現する二人だけど、二人であるがゆえに、悪としての求心力よりは、バランスを欠いた危うさを感じさせ、悪よりも「退廃」のムードが濃くなっています。 主人公はローマを呪い、二人の皇帝を呪いつつも、その最大の矛先は自分たちにとって直接の侵略者である将軍アカシウス。主人公とアカシウスとの対立関係、というのがこの物語においても重要な要素となっていて、映画冒頭の戦闘シーンがまさにそれ、スペクタクルとしては最大の見せ場になっているし、中盤の二人の対峙は、わたし個人的には一番盛り上がった場面。 さらにそこに、マクリヌスなる怪しげなオッサンの暗躍が絡んでくる。演じるはデンゼル・ワシントン、かつては優等生的な役を任されることが多かった彼も、こんなタヌキ親父を楽しげに演じる時代になったんだなあ、などと思ったり。ニヤっと笑った顔が、人懐っこいような、しかし腹に一物ありそうな。だけど彼の表情を読ませないような撮影のシーンも多く、謎めいた人物として表に裏に登場し、物語をかき回します。 今回の作品でもまた、主人公がいくつかの闘いに臨む訳ですが、そこに登場するのがどういう訳か、「人間ではないもの」が多く、サルだか宇宙生物だかよくわからんヤツだったり、まるで恐竜みたいなサイであったり、模擬海戦でまるで罰ゲームのネタのように仕込まれたサメであったり。「んなアホな」感があるのもまあ、確かなんですが、動物頼り、ということで、前作ほど人間自体が強くないというか、マッチョ感が薄れた印象があり、こういう部分でも末期的、退廃的なものを感じさせます。 とは言え、混乱の中、ローマ帝国はまだまだ続く。3作目は無い、とは思っているのですが、さて、どうでしょうか。 [映画館(字幕)] 7点(2024-11-30 06:57:52) |
14. エスター ファースト・キル
《ネタバレ》 1作目で提示された未知の「驚き」が、2作目となると既知の「前提」となってしまう。その点で、続編ってのはそもそも不利、何なら、なんでわざわざ続編なんか作るんだよ、ということになっちゃう。 では、なぜわざわざ続編を作るかというと、わざわざ続編を見たがる我々がいるからですね。すみません。 しかし単にそれだけではなく、この「エスター」なる人物を、前作をほぼ完全に踏襲しつつも、少し違う角度から描いて見せたのが、この『ファースト・キル』のモチベーションであるように思われます。 それにしても。 当人がまだ若かった頃にはちっとも面白いと思えなかった漫才師が、その後芸風を変えた訳でもなさそうなのに、今見るとえらく面白かったりして、そこにはいろいろな理由はがあると思うんですが、やはり「芸に年齢が追い付いてきた」ってのも、大きいのではないかと。若い頃にやっても難しいネタ、ってのは、やっぱりあると思います。もちろん、その逆もあるだろうけど。 それとこれとを一緒にするな、と言われそうですが(ははは・・・)、今回も「エスター」を演じるイザベル・ファーマン、ようやく、役に実年齢が追い付いてきたような。って言っても、前作は前作で、別の意味での「役≒実年齢」が物語の意外性に一役買っていた訳ですが、今作は絶妙な特殊効果の助けもあり、全編を通じて不思議な雰囲気をもたらしています。「エスター」という人物が持つ、体格と表情との間のアンバランス。違和感があるのかないのかよくわからない、という違和感。とでも言いましょうか。 正直言うと、シーンによって「エスター」の身長が違うんじゃないの?とか思っちゃったりもするのですが、そんなのは些細なことだとも思えてきて。微妙な違和感は、作品を貫く不安感へと昇華されていきます。 後半の展開は、賛否両論あるところだとは思いますが、ゴジラだって2作目からは怪獣対決ですから、まあ、アリなのでは。前半でいかにも伏線ですよ、とチラ見せしたアイテムを、終盤あわてて再投入する伏線回収も、ご愛敬。 全体的に、表現としては抑制されていて、引いたカメラがかえって邪悪さをあぶりだすような効果を上げています。ただ、「階段」とか「屋根の上」といった平衡感覚を狂わせるシーンをやや無造作に挿入するのが、不安を誘うというよりは視覚的な混乱に繋がっているようで、ちょっと残念な気がしました。 [インターネット(字幕)] 7点(2024-10-06 06:26:12) |
15. アオラレ
《ネタバレ》 この作品にはいくつかの疑問点を感じますが、最大の疑問点は、おそらく皆さんと同じく「ラッセル・クロウはどうしてこんなに太っちゃったんだろう」と。この疑問に比べれば、他の疑問点なんておよそ、些細なもんです。 むしろ、疑問点が少なすぎることこそが、問題なのかも知れませぬ。青信号で動かない前のクルマに対しクラクションを鳴らしたら、そのクルマの運転手にひたすらつけ狙われる、という、基本的には、理不尽で不条理なサスペンス。『激突!』を思い出したりもすれば、『ヒッチャー(1986年)』を思い出したりもするのですが、これらと同じような映画をまた作るモノマネには陥るまい、ということなのか、違う趣向でアプローチしてきています。で、その一環として、不条理さも極力、排除する。もともと土台が不条理な世界なのに、何とかそれを理屈で補おうとする。 どう考えてもこの題材で映画が面白くならない訳がない、と思っちゃうし、現に、それなりに面白くそれなりに楽しめるんですけど、しかし、この不条理さを何とか糊塗しようとする理屈、「説明」めいたものが、やや映画を失速させてしまいます。 まず冒頭から、くだんの男が凶暴でアブナイヤツであること、が示され、これ自体は必ずしも悪くないと思います。で、寝坊した上に渋滞に巻き込まれイライラした主人公が、前のクルマに対し盛大にクラクションを鳴らしてしまう。もちろん運転席には例の男、我々は「ああ、やっちまったな」と思う。こちらのクルマの窓が不調で閉まらなかったり、男を見るなと言われても主人公の息子がつい相手を見たり、という我々のイライラ感を誘う演出にも事欠かず、この辺りもいいと思う。 ですけど、主人公がスマホにロックをかけていない、などという設定を持ち出すあたりは、これ、いかにも「伏線でございます」といった感じ。この伏線を突破口に、例の男は奇蹟のごとき聡明さをもって先回りし、主人公を追い詰める。狡猾、ってのとも違いますね。聡明と言って悪ければ、奇跡のような勘の良さ。こんな冴えないオッサンがここまでする訳ないでしょ、という不条理感はどうやったって避けられず、この作品の「説明」の部分との間が、チグハグで中途半端なものになってしまいます。 男が主人公を追い詰める手段の「説明」はこれで何とかできたとして、次の問題は、どうやって主人公が警察に駆け込むことを物語の上で阻止するか。警察に保護されてしまっては、物語が終わってしまいかねない訳で、これも何かと手を打ってきますが、何よりもまず、主人公にそのヒマを与えないくらい速く、物語を動かすこと。この辺りは、この作品、微妙なバランスを保ちつつ突っ走って行って、割と成功しているような。 派手なクラッシュシーンを挿入して見せるのなども、そういうバランスに一役買っています。 ただ、主人公とその息子が何やら作戦めいた会話を始めると、ああまた「説明」が始まったな、と、失速してしまい、どうもいただけない。さらに、クライマックスこそサスペンスの見せ場、追い詰められた挙句に男と格闘する母子と、駆けつけるパトカーの姿とを交互に描いて盛り上げるのですが、女性と少年がこの大男にこれだけコテンパンに叩きのめされて無事である訳がなく、それでも男に遮二無二向かって行く様は、勇敢とか何とか言うより、単なる意匠に過ぎない暴力を形だけ見せられているような気がしてきて。 と、まあ、「面白くないはずがない」という作品なもんで、気になる部分にはついケチも付けたくなるのですが、「それでも結構、楽しんでたくせに、そりゃ無いでしょ」という気が自分でもしてきたので、点は甘めに。これはいつものことか。 [インターネット(字幕)] 7点(2024-09-23 07:08:06) |
16. エイリアン:ロムルス
中学生の息子に見に行くか訊くと「行く」とのこと、しかしシリーズを一本も見てないはずなので、とりあえず前日に1作目だけ見て予習する。私は私で復習(?)しながら「やっぱり、この映画、好きだわー」などと思って見ており、何しろ、映画の良し悪しなどではなくただ「好きだわー」ということなので、1作目とこの「ロムルス」を比べる気にもならない。いや、そうは言っても結局は、比べちゃうんだけど。 いや~、この「ロムルス」、面白かったですよ。楽しませていただきました。息子はというと、これまでもさんざんエゲツない映画を見てきたはずだけど、よほど集中していてよほどコワかったのか、中盤以降ずっと、両手を口にあてたまま凍り付いており、どんだけ楽しんでんだよ、と羨ましくなったりもしつつ。 1作目って、「エイリアンが宇宙船の中で暴れる話」と思わせて、しかし実は、そこに至るまでの描写が結構長い。謎めいたモノ、不可思議な現象を次々に画面に登場させ、我々をぐいぐい引っ張っていく。後半、エイリアンが宇宙船内に解き放たれてからも、意外な展開が待ち受け、我々の意識の的を一点に絞らせない。 今さらまたこれと全く同じことはできないので、「ロムルス」ではエイリアンの襲撃、エイリアンとの戦いに、だいぶ比重が置かれてます(さらにちょっと、『悪魔の受胎』テイストもあったりして?)。1作目の、どこかにエイリアンが潜んでいるのではないかという緊迫感、あれって、部屋にゴキちゃんが出て「キャー」とか言いつつも今のうちになんとかやっつけなきゃいけない、と部屋の隅々に目をやりながら殺虫剤片手にウロウロする心境に繋がるものがありますが、今回はモロにゴキちゃん退治のノリ。冷凍タイプの殺虫スプレーです。 1作目以降、映画に登場する大抵の施設には自爆装置が備えられてクライマックスではカウントダウンが始まるようになりましたが、今回も、カウントダウンは踏襲しつつ、土星のわっかみたいなヤツ(1作目の空に浮かんでた天体か?)にぶつかるまでのタイムリミットが描かれる。この、迫ってくるわっかが、宇宙船の窓から見えるシーンの、見事さ。美しく、不気味で、怖い。 今回も1作目の「アッシュ」が登場。いや、「アッシュ」は文字通りashと化してしまったので、そっくりさんですね。イアン・ホルムはすでに他界しているはずですが、それでもなぜか登場します。シュワ型ターミネーター同様、量産型なんですねー。シュワ型同様、どうしてこいうい顔を量産しようと思ったんですかねー。 のみならず、今回はアンディというアンドロイドが登場します。コイツが、いつも困ったような顔をしている。アンドロイドだから別に何も考えていないのかもしれないけれど、とにかくこの困り顔が、何を考えているのかわからない雰囲気を漂わせています。普通なら、「無表情」でそういう雰囲気を出すところでしょうが、この困り顔が、彼の独特の存在感に繋がってます。 最初にも書いたけど、1作目と比較しての良し悪しは言いたくない。んだけど、一点だけ言ってしまう。限られた登場人物たちが繰り広げるサバイバル、なんとかもう少し、彼らのそれぞれの顔をしっかり画面に、印象付けてあげることはできなかったものかと。1作目の7人は、ぞれぞれ個性的な顔立ちで、映画はそれをしっかり印象付けていましたと思います。今回は6人ですが、ちょっと印象が弱い。冒頭の舞台が闇に閉ざされた星、ということもあって暗めのシーンが多く、それゆえ宇宙空間に出て光が差し込んでくるシーンが一つの見せ場にもなっているのですが、全体を通して見ると、もう少し彼らの顔をしっかり映し、描き分けてあげる場面があってもよかったんじゃないかなあ、と。五分刈りのアジア系の女性はさすがに目を引くけど、イマイチ目立たないまま死んでいくヤツもいて。ヒロインを演じたケイリー・スピーニーは、あの高身長のシガニー・ウィーバーと対照的で、多かれ少なかれ似たようなシチュエーションに置かれるヒロインを演じつつも、新たな魅力を開拓していたと思います。が、例えばあの、ストロボ光の中、怯えた表情のシガニー・ウィーバー。何かこれに匹敵するような印象的なシーンを用意してもらえたならば。 とか何とか言いつつも、この、どこまでも続くサバイバルと、「画面の奥に蠢くエイリアン」等の、必ずしも残酷描写に頼らない緊迫感(PG12止まり)。面白かったです。満足。 [映画館(字幕)] 8点(2024-09-22 06:32:26)(良:1票) |
17. 太陽は動かない
《ネタバレ》 この原作を映画化するんだったら、最初の方のスタジアム爆破計画のエピソードは丸々カットするしかないんじゃないか、物語の構成としてイビツだし、イデオロギー的なキナ臭さもあって某国への興行展開に対し足枷となる可能性もあるし・・・と思っていたら、まさにその通りで。 後者の件はともかく、前者の「物語のイビツさ」という点で、このやたら登場人物の多い原作小説、ちょっと違和感があります。一種のスパイ小説である以上、それらしく錯綜した物語にしようということなのかどうなのか。一過性のエピソードと後に繋がるエピソードとをわざと混在させて読者の的を絞らせないようにしているのか、どうなのか。ただ、正直、やや散漫な印象を受けるし、まさかとは思うけど、全体の骨格が無いまま小説の連載を始めちゃったんじゃないか、、、とか。 で、この映画。登場人物もバッサリと削ぎ落して、複数の人物の役柄を限られた登場人物へと統合し、原作を徹底的に整理して、いや、実に見事。お陰で、竹内涼真演じる田岡君、大活躍の巻、となりました。しかも、この映画を見ると、主人公の鷹野にとって、田岡君の存在は、幼少時に救えなかった弟の姿と重なっているんですね。これがクライマックスの沈みゆく貨物船からの脱出劇の場面で示唆される。と同時に、水責めのこの場面と、かつての鷹野を火の中から助け出そうとする風間の姿が並行して描かれ、両者がオーバーラップすることで、血の繋がりは無くとも鷹野にとって風間は父であり、この作品が、親が子を、兄が弟を命がけで守ろうとする物語であること、が伝わってきます。 そこにはまた、育児放棄による悲劇への怒りも感じられるし、子供を失った親の悲しみ(鶴見辰吾と宮崎美子)というものも活きてくる。オムライスの役割まで、活きてくる。 原作をすっかり再整理しているとは言え、基本的には原作に沿っている訳で、そう思うと、やや散漫に思えた原作小説も実は、「これだけのポテンシャルを備えていた」という風に捉えるべきなのかも知れませぬ。 映画はアクションも盛り沢山で、海外ロケがまず雰囲気を出してますが、それだけじゃなく、これだけのアクションシーンをよく現地で撮り切ったもの。CGの使い方も巧みで、違和感を感じさせません。また、CGを使ってもなお描写が難しそうなシーンというのもどうしても出てくるのでしょうが、そこはシーンの切り替えなど、演出上の工夫でうまく省略したりして、スムーズに物語を紡いでいきます。 藤原竜也という人は若く見えすぎるところがあり(貫録がない?)、この鷹野の役、合うんだろうか、と心配してたら、うむ、やっぱりちょっと合わないか。でもスタントシーンもしっかりこなして、だんだん違和感が無くなってくる。 満足度の高い映画でしたよ。 ところで原作の中で一番、読んでてひっかかったのが、「新型の太陽電池の性能が従来の100倍くらい」というくだりで、それだと地表に届く太陽光エネルギーよりも発電される電力の方がはるかに高くなっちゃって、もはやオカルトの世界(どうしてこんな荒唐無稽な設定を入れてしまったのか)。細かいことをあげつらってもしょうがないとは言え、さすがに読む手が止まってしまいます。で、映画化の際にはさすがにまずいと思ったのか、「10倍」に値切ってますね。まあ、大差ないですけど。。。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-09-01 08:59:32) |
18. 炎のデス・ポリス
まず冒頭、あのやたらカッコいい(その割に必ずしも頻繁に引用されている訳でもない)『ダーティハリー2』のテーマ曲が流れて、気分はノリノリ、つかみはOK。ただ、またこうやって過去の作品に寄りかかってていいんだろうか? こうやって後の作品に引用されてニヤリとさせられるようなテーマ音楽が、今の映画でも作られていってるんだろうか? ってなことも気になったりしつつ。 で、この作品、内容はというと、『ジョン・カーペンターの要塞警察』みたいな。設定もそうだし、映画開始からしばらく続く断片的な描写がある瞬間にカチリと嵌まって焦点を結ぶような印象も、ちょっと似てます。ただしこちらは過去作品の再利用というより、その発展形。『要塞警察』が『リオ・ブラボー』を下敷きにしつつ、新たな世界を切り開いたように、この作品も『要塞警察』の、その先の世界を展開してくれています。 『アサルト13 要塞警察』って、あれ、作る必要あったんだろうか? ま、いいけど。 さてこの『炎のデス・ポリス』、投げやりな邦題がまた好感の持てるところですが、このタイトルがなるほど言い得て妙、デスマッチ系の映画になってます。デスマッチの定義は何なんだ、と改めて訊かれると困りますが、凶器使い放題、敵殺し放題、どこへ話が転がっていくかわからない無制限バトルは、やっぱりこれ、デスマッチだなあ、と。 砂漠の中に孤立した警察署。冒頭の砂漠の光景からして、ヤバいものを感じさせます。実際、警察署は修羅場と化し、悪夢の一夜が繰り広げられる。 暴走を続けるオヤジどものジジイ臭さの中、その戦いの中に放り込まれるのがアフリカ系で短髪の女性警察官。こういう人物配置がまたカッコいいし、ステレオタイプなヒーロー/ヒロイン像ではないところがまた、意表をついていて、物語の自由度を高めています。転がり出したら止まらない物語、どこへ転がっていくかわからない物語。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-08-18 10:27:03) |
19. ダークグラス
ダリオ・アルジェント監督は1940年生まれとのことで、ウチの両親とほぼ同じというか、少しだけさらに上ですぜ。そんな爺さんが殺人鬼モノの映画撮ってるなんて、想像を絶する話で、もうそれだけで眩暈がしてくる。。。 まあ、一般人と比較してもしょうがないのであって、さすがアルジェント、としか言いようがありません。相も変わらず映画の中で血をぶちまけ、人を殺し、女性を襲わせる。相変わらずエゲツない。正直、特に目新しい点も無いのですが、奇をてらうこともなく、変な色気も出さず(ハダカは出てくるけどそういう意味ではなく)、もはや枯れた味わいとでもいいますか。奇妙な印象を残す要素をしっかり盛り込みつつも、それが過剰にならず適度に抑えられていて、自己主張し過ぎないのがよろしいかと。もはやショック映画を褒めてるのか懐石料理を褒めてるのかよくわからん文章になってきましたが。 冒頭、ヒロインの周りの人たちが皆、空を見上げていて、日蝕が起きる、というシーンですが、日蝕だから別にどうしたという訳ではなく、どうという伏線がある訳でも無く、ただ、何だかイヤな予感がする、という場面。彼女の服も口紅もやたらと紅く、そういうのが妙に印象に残る。日蝕なのでサングラス。ココは何となく、彼女が視力を失うこの後の物語を暗示してます。 で、ラストの空港のシーン。彼女はすっかり地味な出で立ちですが、やっぱり、少年のカバンとか、彼を迎えにきた女性の服とかが、やたらと紅かったりする。やや悪趣味な色彩がやっぱりアルジェントらしさ。 イヌが人間を襲ったりするのも、ああ、そういうのあったよなあ、とか思いつつ。 蛇がウジャウジャ出てくるのも、わけがわからなくって、イイじゃないですか。蛇でもいいし、ウジ虫でもいいし、針金の山だってかまわない。 結局、こういうのを一般には、マンネリとか劣化版とかいうのかもしれないけれど、こんな映画に、爺さんが生涯かけてここまで一生懸命取り組んでるのを、見過ごすわけにいかないですよね! [インターネット(字幕)] 7点(2024-08-14 18:22:46) |
20. マッシブ・タレント
というわけで、時々ニコラス・ケイジの顔が発作的に見たくなるのですが、彼の出演作は無数にあり、さらに見るより作られる早さの方が上なので、ニコラス・ケイジ切れを起こす心配が無いってのは有難い話です。 そのニコラス・ケイジという俳優の、集大成、というか、彼を総括したような、この作品。 思えばかつてのシュワは紛れもなくシュワという隔絶された存在であったので、つきつめればその姿は「ラストアクションヒーロー」にまで昇華されるのですが、今のニコラス・ケイジはというと、中途半端の極致、とでもいいますか。これも一種の「隔絶」と言えなくもないけど、存在自体がパロディみたいなこの人が自身をパロって見せたとて、ほぼ出オチにしかならないのが、作品の弱さ。 いや、彼だって幾つも超大作アクションをこなしているし、この作品でも言及されているのだから、ラストアクションヒーローのごとく本気モードのアクションを繰り広げるべきだったのでは? こんな自虐的なノリだけでお茶を濁すのではなく・・・? いや、それは、無いですね。今のニコラス・ケイジには誰もそんなこと期待してない。「また今回もやらかしちまったか」と思わせつつ、時には意外な当たりで我々を楽しませてくれて、時にはそのやらかし具合で我々を楽しませてくれる。今回も、その一本。 変化球も、打者がそれを待っていたなら、打たれてしまう。というレベルの、いまいち煮え切らない緩~い変化球どまりの作品で、もうちょっと意外性があればなあ、と思いつつ、やっぱりこれは、他の人には作れない特異な作品、ジャンルとしてはニコラスケイジ映画と呼ぶしか無い作品。我々のニコラスケイジ切れを防ぐ貴重な一本です。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-14 07:06:19)(良:1票) |