Menu
 > レビュワー
 > fero さん
feroさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 204
性別 男性
年齢 46歳
自己紹介 専門は邦画とヨーロッパ映画(特にフランス)。気に入った監督や俳優がいればひたすら観つづけるので、どうしても同じジャンル・国に集中してしまうようです。(だからあまりハリウッドを観ない。)

最近引っ越してしまい、なかなか映画を気軽に観ることができなくなりました。撮りためたビデオとDVDばかりになりますが、観たものは書き込んでいこうと思っています。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 1990年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順123456
投稿日付順123456
変更日付順123456
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  テヘラン悪ガキ日記 《ネタバレ》 
90分間に、笑いと、感動と、見終わってあとひくような奥の深さを含んだ佳作。ストーリーはわかりやすく、子供や家族と見るのに最適な一作。テンポ良くストーリーが展開し、メヘディ役の少年のコミカルな演技が、観ている者を飽きさせない。メへディの強引とも言える愛の希求と、無茶とも言える思い込みには、最初どうしても苦笑してしまう。それが、彼の必死さに、自分もどんどん真面目になって応援するようになっているのがわかる。 「子ども達には愛が必要なんです」と言いつつ、まったくそれを自分の言葉ともできなかったケースワーカーの母親がやっと少年を受け入れる事ができるようになったとき、少年は新たな母を探してか、それとも現実を知ってか、姿を消す。過剰にならないエンディング演出と、母親役の女性の心配する表情が、ウエットや無理なハッピーエンドになりがちな子供主役映画を上手く持っていっている。 私事ではあるが、最近非常に「路上で生きる子供」を見る機会が多くなり、今回の映画は考えさせられるものがあった。路上生活者にお金を恵む事を強く拒む人は多いが、彼らもたくましく、けなげに生きている。コインの一つ、明日は渡してあげようと思った一本である。
[DVD(字幕)] 8点(2005-05-29 10:09:57)
2.  ネネットとボニー 《ネタバレ》 
プロットも、カメラワークも、俳優の演技もいい映画だと思うけど、やっぱり地味なのかな。一緒に観ていた彼女が見事に寝てしまって、ダメなビデオ借りちゃったのかなと思いました。僕はかなり満足だったんですけどね。ボニの涼しげな目が、最後に満足の笑みを浮かべた瞬間、「なかなかいい映画じゃん」って思いました。ここ映画の中で特に好きなシーンは、ピザ生地にパン屋の奥さんへの想い(というか、欲望)をぶつけているシーンです。指の荒々しい動きに童貞の不器用さと若さ、粗暴さが表わされています。自慰シーンを生温いと感じる方も多いと思いますが、自慰のカメラ表現って本当に難しいんじゃないかと思います。これまで、男女含めて感心するような自慰シーンにあったことがない。あのくらいで勘弁してもらって良かったんじゃないかと思います。少しだけ文句を言わせてもらえば、パン屋の奥様の情事だとか、親父のエピソードだとか、お皿に色味をつけるだけに終わってしまった内容をもう少し削って、二人の会話の部分、メインディッシュの下味となるような内容を増やして欲しかったと思います。見た目はとことん地味にして、味で勝負してもぜんぜんいけてたと思うんだけどな。
6点(2004-12-28 01:38:36)
3.  忘れられない人
さて、まずもって普段観ない映画を観てしまいました。ハリウッド+恋愛。しかも病気もの。あああああ、レンタルビデオ屋でも絶対に手に取らないセットだよ。それなのに、それなのに観てしまったのは彼女から薦められたから。すいません、まったくレビューとして成り立たない背景です。点数つけるのも相当迷った。絶対に私情が混じってる。公平なレビューができない。というわけで、だいたいこれまでの自己平均の7点をつけました。映画は面白かったですよ。クリスチャン・スレーターの演技も好きですし、マリサ・トメイのオーバーなアクションもなんだか解りやすかった。といってもストーリー、俳優の演技、映像技術、音楽等は公平に観たら可もなく不可もなくといったところなのかもしれません。ハリウッド映画には最近まったく信用していなくて、彼女からかなり強く勧められたもののダメ映画だったらどうしようと真剣に考えていたので、その反動もあったのかもしれません。けっこう感動して、いい映画観たなーと思ったんですけどね。観ていて感じたのは、変な技巧とか、複雑なカメラワークだとか、時間軸のズレだとか、そんなテクニック的なことをほとんど放棄して、しかも常識的な恋愛だとか当り前の感情だとかにもこだわらずに、単純明快に「愛」一本で最初から最後まで押し切っているということ。直球と言う言葉が散見されますが、あえて剛速球と言わせていただきます。緩慢に見えるスレーターの腕から観ている人の胸にズドンと力強い球が投げられている感じです。これを受け止められる時と、つい避けてしまうときと、もろに打ち返してしまうときがありますが、それは観る側の問題。この映画はこれでいいんじゃないかと思います。映画って一緒に観る人や、その時の体調、観る側の意気込みとか、とにかく受け取る側の問題も強くあるんだなとしみじみ思いました。
7点(2004-11-14 21:27:54)(良:1票)
4.  メルシー・ラ・ヴィ
いやー、奇妙な映画だった。もうわけわからなすぎ。メタファーなのかただの思いつきなのか、時代も設定も画面の構図も色もコロコロ変わる。たぶんある程度のルールはあるのだろうが(良いエピソードはカラー、悪いエピソードはモノクロ等)、とにかく奇想天外すぎてよくわかりません。最初はそのメタファーの意味を必死で考えていたのですが、どんどんわけわからなくなって、後半でふっきれてドーンと面白く感じ始めました。線路での「黙れ!」「まだ何も言ってないだろ!」「喋ろうとしただろ!」のナンセンスな会話とか、細かく笑いを提供してくれます。この映画は真面目に観ちゃダメね。自由に、各フラグメントごとを楽しんで観ていれば、結構楽しめる映画だと思います。けど、ぜったい万人受けしない。興行成績すごい悪そう。どんなに映画評論家が誉めても(誉めたかどうか知らないけど、)ぜったいヒットしない。確実。けど、この映画なかなか凄いと思います。まず、カメラワークは秀逸。浜辺でシャルロットが歩くシーン、車の爆破シーン、お父さんが車椅子で坂を下ってゆくシーンなど、なかなか見応えのある撮影です。いい撮影だなーと思っていたら、カメラマンはディーバのフィリップ・ルスロじゃないですか。たぶん、僕の好きな映像表現だったんだと思います。あと、俳優陣もなかなかやります。ジェラール・ドパルデュー、仕立て屋の恋のミシェル・ブランなど有名どころもありますが、お父さん役の爺ちゃん、お母さん役のオバちゃんもいい演技してます。(実はけっこう有名な俳優さんなのかもしれない。)若き日のお母さん役の女の人も、何かの映画で観たんだけどな、忘れちゃったな。ま、なんだかんだで奇特な人は観るべしって感じの映画。
5点(2004-08-14 23:19:14)
5.  とまどい 《ネタバレ》 
『老い』というテーマが入ると、映画はどうしても黄昏の雰囲気を持ちます。引退した老人と、若く美しい女性の友情とも、恋情ともつかない心の交流。女の心は別れた夫、新しい恋人、そして老人のそれぞれに、移るとも移らないともいえない微妙なブレを持ちながら揺れ動きます。ネリーの言動は、相手が老人だという勘定をしなければ、明らかに誘っていると言ってもいい。それでも、老人アルノーはヴァンサンとの関係を嫉妬する心をじっとこらえます。正直に言って、僕はアルノーにネリーを抱いて欲しかった。あの晩、なぜ彼は彼女の手を握るだけで一晩を過ごしたのでしょう?躊躇?自制?それを、「人間の成熟」と言うのなら、僕はそんなものいらない。ストーリーは唐突に終わりますが、僕はこの結末に愛着を持ってしまうのです。
6点(2004-08-13 21:18:37)
6.  スワロウテイル
映画とは不思議なメディアだと思う。明らかに映画とはフィクションであるはずなのに、そのフィクションを「リアリティがない」と叩かれる。あまりに話が込み入ると「そんなことありえないよな」ということになるし、単純だと「ありふれてる」ということになる。そんな中で、岩井俊二という人は、奇妙な形で綱渡りを続けていると思う。「リリィ・シュシュ」にしても、「アンドゥー」にしても、この映画にしても、明らかなフィクションとしてストーリーはある。序盤はあくまでありふれたシーンの積み重ねであるが、その中に「何かあるぞ。」というタネがたくさん蒔かれている。そのタネはある時一気に発芽して、物語をドラスティックに変えてゆく。様々なストーリーが絡み合いつつ成長し、ある時は予想もつかない方向に枝を伸ばしながら、上へ上へと観客を持ち上げてゆく。そして、非常に唐突な形で成長は止まり、枯れてしまう。このフィクションへ観客を引き込み、没頭させる能力において岩井俊二は非常に優れていると思う。
7点(2004-07-25 00:01:54)
7.  ガンモ 《ネタバレ》 
この映画に「リアル」を感じている方々ってどんな日常を送ってらっしゃるんでしょうか?なんだか、人それぞれってしみじみ思いました。 ある映画評で「メディアが握り潰す"リアル"を開放した名作」だとか、「社会の暗部に光を照らす」だとか書いてありました。なんだかなーと思いました。 だって、こんな"リアル"身近にないじゃないっすか!?僕のこれまでの一生の中で、猫を殺したり老人にモデルガン撃ったりするような人間に出会ったことはないし、僕にとってこの映画は"リアル"でもなんでもないわけですよ。そりゃアメリカの新興住宅地なんかに住んで、クソガキがグレる所を間近に見てりゃこの映画が"リアル"なんでしょうけど、そんな場所に僕はいないわけです。だから、この映画は僕にとって"リアル"ではありえない。 それにこういう「自分達から遠い現実」ってメディアが握り潰してるわけでも、隠してるわけでもなくて、ただ人に不快感を感じさせるからテレビだとか映画だとか娯楽性の高いメディアに載りにくいだけなわけです。ドキュメンタリーのビデオだとか社会底辺を扱うルポを探せば、そんなに珍しい題材でもない。 この映画に"リアル"を感じられる方もいるかもしれませんが、それは衆人の"リアル"じゃない。そして、多くの自分で経験したことのない遠い現実はフィクションと同等の"リアル"しか生まない。もっと書けば、僕らの想像するフィクションを、現実は軽く越えてゆく。 ダラダラ関係ないことを書きましたが、映画として映像、ストーリー(の無さ)は落第点、僕の思考回路をかき回したパワーを加味するちょうど平均点といった所でしょうか。  
6点(2004-05-15 18:14:32)
8.  愛を止めないで
うーん、うーん、うーん。フランスではこれはアリの部類に入るの?日本とフランスの文化の違いをまざまざと見せつけられた作品でした。具体的にはストックホルム症候群の映画ということになるのですが、拉致された運転手・教師はともかくとしてラジオを聞いている一般の人たちの反応がなんだか薄い。「恋人に会う為に・・・」ということには好意的ですらある。なんだかなー。国民性の違いというわけですが、僕にはちょっと救われない映画に思えました。シャルとイヴァンの共演ですが、なんとイヴァンが主演ということで、貴重な作品とも言えるかもしれません。
5点(2004-05-13 23:15:02)
9.  バッファロー'66
ああー、これって日本でいや"ヤンキー・純粋・不器用"だよな。島田紳助がよくいってるんだよね、「ヤンキーって不器用なだけやねん、けど純粋やん」みたいに。この考え方が昔から根強く残っているのは元ヤンの方々が社会に出て活躍して、その自己肯定の一つとして使用されているんだろうな。そういう考え方もあるんだなー。と、共感もせず淡々と観て思いました。この映画、元ヤンの方とかズバリはまるんじゃないですか?「虚勢・神経質・暴力的」って綺麗にダメ男を作り上げていて、ターゲットにはまったらこりゃ泣くだろうなという演出でした。(意図的ではないにしても。)共感はできないんですが、「いるいるこんなヤツ!」みたいな楽しみがあります。特にレイラがビリーに惹かれていく過程は興味深く観てしまいました。日本でも、どうしようもなくダメな男にばかり捕まってしまう女っていますよね。肉体が豊満で、露出が高くて、ちょっと勝気な女、まさにこのレイラのタイプです。アメリカにもいるんだと面白くなりました。あれを「優しい」と知覚してしまうのは、悲しい性というところでしょうか。しかし、結局ダメ男は自分で沼から這い上がれないんですね。レイラの慈悲にすがって幸福になる。なんだか悲しい物語です。幸福な結末だから悲しくはないのかもしれないけど、やっぱりなんだか悲しい。やっぱり人間ウソついちゃいかん。人に迷惑かけちゃいかん。自分をコントロールできなくなると悲惨だ、なんて思いました。音楽と映像は良し。
6点(2004-05-09 03:51:49)(良:2票)
10.  F.I.S.H 世紀末人形伝説
B級SFと言う表現が最も正しいのだが、これをBとすると他のBがAくらいになってしまうのでC級とでもしたい。見慣れたAV女優が数人出ていたが、なんだか虚しさが倍加してしまった。僕が借りたレンタルビデオのタイトルには「ディレクターズカット」と書いてあったんだけど、普通のバージョンよりもシーンを増やしたのならもっと削れと言いたい。古田新太も藤木直人も痛いです。ヒロインの女の子も痛いのできつい。
2点(2004-04-27 21:15:02)
11.  ポーラX 《ネタバレ》 
残念ながら、僕はこの作品に対してまだまだ理解ができていない。そこで自分なりに考える手段として、いくつかのフラグメントを書き出してみる。 ピエールを愛するマリー(母であり姉と呼ばれる)、イザベル(姉と名乗る)、リュシー(恋人)の3人の女性。血縁のある2人の女性は自殺し、恋人はピエールを待つ。同様に血縁のあるティボーも死亡。 ピエールの最初のペンネームは"アラジン"作品名「光の中へ」、後に"ロック"と名乗る。 イザベラの出身地は「東側、内戦、黒髪」を考えると旧ユーゴ? 外交官の父は栄光を掴むが、のちに失脚する。 「人間は臭い」がきっかけで少女は死亡する。ピエールは「よかれと思った。」 3人が身を寄せた集団は"音楽"と"軍隊"を基礎とする。指導者は「世の嘘を見抜く男」。 ピエールの構想は編集者からは「古い」「ピエールの本質は未熟」「世間を断罪すると、必ず自分に返ってくる」などと否定される。 "ロック"の作品は「混乱と妄想の産物で、模造」と批判される。 これは、映画のプロットで重要と思った部分のみ挙げてみたものです。他に気になったのは、セックス描写に力を入れていた事と、集団に対して批判的な描写をしていない所、集団の住居で扉の描写に力を入れていた事。まだ理解できていないが、この3つは大きなヒントになりえるのではないかと思う。現在の自分の理解はまだまだ中間地点なので、いくつかの作品との相互関係を考慮して、ゆっくりと頭の中でこねまわして理解が深まってゆければいいなと思う。個人的に、僕は難解な作品を「監督の自己陶酔」と片付けるのだけは嫌なのでどうしても理解したいと思っている。なんだか、わからないものをロジックもなしに批判すると馬鹿っぽく見られそうで嫌だ。映画の観方・楽しみ方なんて人それぞれなんで、一度観て終わってもいいし、ずーっと考え続けてもいい。一度で終わる人が多くて、その総意でこの作品が「駄作」と片付けられても別にいいし、この作品が平均5点でもしょうがないかな、と強がりを言ってみたりする。
8点(2004-03-15 18:10:57)(良:1票)
12.  ジェイン・エア 《ネタバレ》 
これで何本目かのシャルロット出演映画かわからないけど、ここに来て初めて王道のエンタメ映画という作品です。これだけお金がかかってて、シンプルなプロットな作品は彼女の出演作には他にないと思われます。まったく考える部分がないほどシンプル。善悪の判断もシンプルだし、ハッピーエンドでまとまっているし、結局ロチェスター卿と仲直りという筋も古典的だし、そんな内容なのに最後まで楽しく観ていたのは僕がシャルロットファンだということ以外に説明つかない。映像に凝った部分もないし、作品的に見所もないし、なんとも言えません。手紙を読ませる手法も安直だし、牧師が夫婦じゃなく兄妹だったのは何の意味があるの?(というか物語省略した?)、叔母の死の床での改心もありきたりだし、その後のジェインにローウッドの影響もほとんど見受けられないし、シャルロットのフランス語も活かされてないし、ヘレンの死亡も反映されないし、テンプル先生も後半で出てこないし。そういえばー!ジェインの画の才能は何だったんだ?あれだけ大きく告知しておいて実際に何の影響もナシ?こういうデカイスケールの映画って小さい所を観ていったらまったくダメ映画にしちゃうんだよな。僕の映画の観方は小さな事柄を少しずつ拾っていって、その小さなベクトルの加算で映画の示したい方向が見えてくるって思っているから、こういう映画って苦手です。とりあえず、何が言いたかったんだろうな?
4点(2004-03-10 13:27:45)
13.  ルナティック・ラブ/禁断の姉弟
まず一番最初に言いたい。邦題最悪。そしてこの作品を輸入した奴ら、お前らが映画に携わるんじゃねー!僕は怒っている。なんでこの作品がアマゾンで検索すると年齢認証を受けにゃならんのだ!オイコラ、映画なめとんのか!この作品はベルリンで賞とってんだぞ!しかも監督賞、今で言う銀熊賞だ!それをポルノにしやがって。くそー、泣けてくるぜ。そんなんでこの作品が世に出れないんだぞ、近所のレンタル屋さんソフトエロスのコーナーに置きやがって。さらに「LOVE etc.」なんて18歳未満禁止のコーナーに置きやがる。くそー、こんな奴らのためにシャルロットの日本の評価が低くなってんだよ!下手糞なハリウッドスターなんかの下にしやがって、ベッドシーンなのに下着つけたままセックスする根性のないアイドル女優の下にしやがって。もう怒り心頭だ。   ここまでは感情で書いたからここからは冷静に書くが、これをポルノにするのなら、日本はあまりに文化水準が低いと言わざるを得ない。それは、映画を真面目に作っているスタッフ、真面目に演じている俳優に対する冒涜に他ならない。この作品は、近親相姦という少々難解なテーマを一つの軸としているが、もう一方で郊外の一戸建てに住む人々の閉塞感や愛する者を失った幼少ない者の迷走、それを受け止めることの出来ない姉、兄の弱さなど、実に難しい問題を取り扱っている。それを暗くジメジメとしたものにせず、一部颯爽とさえもしてしまうあたりは、話す言葉が英語であること、子供たちが制服を着用していることも重要であるが、何よりイギリス映画の持つ(フランス映画にない)明るさがあると思う。この作品では一人一人が本当に苦悩にのた打ち回ることはなく、ジリジリと焼け付くような重い空気の中にも、一瞬爽快な風の吹くシーンを設けている。それが、この映画に良いリズムと心の余裕を与えてくれて、観るものにその異常さを忘れさせてしまう。もちろん、その事柄の重さは変わらないのだが、観ていてその世界を普通に受け入れざるを得ない心境にさせてしまうあたりは、監督の巧みな演出によるものであろう。シャルロットとジュリアンに共通する、大人と子供の境界、その大人側に立つシャルロットの純粋さ、子供側に立つジュリアンの汚らしさは、絶妙のバランスを保って、観ている者に溜息を漏らさせるはずだ。邦題に惑わされず、是非観賞を薦める作品です。
7点(2004-03-08 11:59:08)(良:2票)
14.  日曜日の恋人たち
これはセックスを通して愛、そして生と死を描いた作品です。エロディが熱演しており、ジャン=マルク・バールも非常に巧みな演技をしていて、見応えのある作品になっています。しかし、この映画を観ると「死」が少々乱雑に扱われている事が気になります。屍姦や検死所でのセックスが死への冒涜だと感じる部分もありますが、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、僕が言いたいのはこの映画は「死」に対する定義付けが甘いんじゃないかということです。この作品は「死」というデリケートな要素を間近に置く事によって、生や愛を描こうとしていますが、その「死」が曖昧だとどうしてもあやふやな感じがします。「死」については人間は長い間、宗教的にも科学的にも考えつづけてきたわけで、いくつもの「死」観がありますが、それを踏まえて映画を作る上での思想が欲しかったと思います。エンディングでは突然「生きるもの」と「死に行くもの」を対比させてしまいますが、それまで死を即物的に扱っていたのが、急に観念的に扱われているので面食らいます。 それに、この映画では「死」と「生」を対比させているように見えますが、本来「死」と「生」はセットにはなっても反対語ではないわけで、時には類義語にさえなるという不思議な関係なので、なんだか浅いなぁといった感じがします。それとは関係ないのですが、この映画を観ていて、エロディはまだまだロマーヌ・ボーランジェには敵わないと思いました。作品としても「野性の夜に」の方が数段上だと思います。さらに話は飛ぶけど、もう解散してしまったサニーデイサービスというバンドの1枚目のアルバムに「日曜日の恋人たち」という曲があって、それはまったく関係ないんだけど、観ていて頭の中で勝手にBGMになって困った。  
6点(2004-03-02 23:25:53)
15.  ベティ・ブルー/インテグラル<完全版> 《ネタバレ》 
これはゾルグとベティの愛の物語である。ゾルグの受難でもベティの破滅でもない。ゾルグはベティを受け止めたのではなく、ベティは自己崩壊を起こしたわけでもない。そんな事じゃない!ベティはゾルグを愛する事で生きた。そして、それと同様にゾルグもベティを愛する事で生きた。ベティと出会うまでのゾルグはゾルグではなかった。アドルフの回想録を書き、人生に横を向いた傍観者でしかなかった。そんな彼が、ベティを愛すことで人生に真正面からぶつかってゆく。それまで道なりだった人生は一変する。人々はみな善良で、滑稽で、愚かである。日々は退屈で、虚無に満ちている。そんな中で、ベティとの愛だけが輝いている。しかし、その至高の愛はその純粋さ故に食い荒らされ、朽ちてゆく。ベティは心を病む。3人の警官、雇い主、白皮症のボブと妻、さらにリサとエディでさえも、彼らの愛を食い荒らす愚かな人々に過ぎない。そして、ゾルグは気付く、自らもその愚かな一人に加わっていたことを。ベティの純粋さと、自らの愚かさの狭間でゾルグは悩む。ベティはあまりに純粋で、張り詰めて、二人の愛にはどんな夾雑物も許されない。この愛は内側から崩れたのではない。全ての愚かな物が二人の愛を朽ちさせたのだ。ゾルグは自らの手で、愚かな人々に汚されたベティの息を止める。しかし、決して後悔はしない。何故なら、それをベティが望んでいることを知っているから。"信じる"とは別の次元で、彼は二人の愛が永遠であり続ける事を"知っている"から。だから、彼は自らの命を絶ったりなんかしない。彼は虚無から立ち上がり、ベティに捧げる小説を書き始めることができる。ベネックス監督は愛の対極に「愚かさ」を置いた。そして、ベティは、あまりに純粋すぎた、それだけである。
10点(2004-02-23 21:34:25)(良:1票)
16.  いちばん美しい年齢(とし)
とりあえずいちばん最初に書いておくことは、デルフィーヌ役のエロディの”いちばん美しい年令”はこの映画の撮影時じゃないということです。「スタン・ザ・フラッシャー」であれだけ輝いていたエロディを思い起こすと、悲しい気分になってしまいます。「あの時、なぜ彼女を調教できなかったのかい?セルジュよ、君は致命的なミスをしてしまったようだ!」と心の中で考えました。(こんなこと口に出したら変態だし。)そりゃヴァネッサにも負けちゃうよ。それにこの映画は、残念ながらフレンチ・ロリータというジャンルには適さないようです。どちらかと言えばサスペンスがかった青春映画と言うべきでしょう。ここもちょっと不満な原因になっています。と、ここまでは批判ばかりでしたが、きちんと評価してやると、そう悪い映画とも思えません。デルフィーヌには不満が残りますが、相手役のアクセルがなかなかいい演技をしています。彼のキャラクターがシニカルで、若くて、カッコいいのでそれで緩衝されている感じです。(関係ないが、カウボーイビバップが実写化されるのならスパイク役に彼を推薦したい。)ストーリーとしての面白さもありましたし、そこに方向性もはっきりしていて、良く出来た青春映画だと思います。もう少し、画としての美しさにこだわりが欲しかったところですが、全体として若い映画と言えるでしょう。しかし、この映画から感じる「もう一歩」は決定的に遠いのかもしれませんね。
6点(2004-02-15 21:25:09)
17.  髪結いの亭主
ルコントの女性に対する想い、もっと言えば信仰のようなものが感じられた。彼にとって女性は太陽であり、蜂蜜であり、何より闇である。そして愛しく感じながらも、決して理解できないブラックボックスのようなものだと考えているのかもしれない。だから、手を入れて触るのだ。彼は女性の服を脱がせたりしない。目を瞑って服の下に手を差し込む。そこにあるのは柔らかな、丸みをおびた体。目を瞑って、その手に感じられる世界がその全てである。マチルドを失ったアントワーヌはどうやって生きていくのだろう?シェーファー夫人が亡くなったとき、彼には新しい髪結いの女性を探す夢があった。しかし、今の彼には10年という長いマチルドとの思い出ばかりしか残されてはいない。ルコントは何も語らずに物語を終える。語るべきことは何もないと言わんばかりに。この映画は、まさに傑作と呼べる作品であろう。
9点(2004-02-15 19:20:17)(良:2票)
18.  極道修行 決着(おとしまえ)
韓日共同制作のこの作品、なかなか面白いです(たぶん)。主役は(たぶん)韓国の役者さん。舞台はほぼ日本。それで笑いあり、痛快あり、愛ありのいいストーリーなんですよ。哀川のアニキだとか、大杉の親分だとか、日本側のキャストもなかなかのもんです。ここで僕が(たぶん)を連発しているのは、ひょんなことで韓国語で観てしまったから。日本語には字幕つきで、韓国語はとうぜんわからない。もっかい日本語字幕で観たいんだけど、なかなかビデオもみつからないんだよな。
6点(2004-02-15 18:02:16)
19.  夜ごとの夢 イタリア幻想譚
短編3本がそれぞれ素晴らしいプロットを持っていて、予想以上に楽しめた映画です。特に気にいったのが「青い犬」で、主役の靴修繕屋さんが最後に嬉しそうに悪態をつきながら走っているのが印象的です。青いシミを「ゴルバチョフみたい」と表現するのにも笑ってしまいました。犬と人間ですが、愛って素晴らしいなと思った映画です。
6点(2004-02-05 14:57:25)
20.  イヴォンヌの香り 《ネタバレ》 
パトリス・ルコントという著名な監督の作品を今まで観ていなかったということに、ちょっと後悔しました。冒頭からの緊張感のあるスタート。音楽が効いていて、始まった瞬間から熱中してしまいました。しっとりとしたイヴォンヌとの湖畔での情事、はっとするほどのヴィクトールの冷たい笑いと顔を照らす炎、また繰り返す甘いイヴォンヌの体の描写。何度も繰り返す現在と過去の映像の断層が、こちらを麻痺させるような力を持っています。そして、何よりのエロス。服の中に手を入れる感覚は、驚くほど官能的です。ラストは、驚きとともに予定されていたかのごとき悲しみで秀逸です。イヴォンヌという女性の性癖を上手く表現して、「悟った男」リシャールに語らせるという方法も粋です。ルコントの力をまざまざと見せつけられました。
8点(2004-02-01 22:16:27)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS