1. 関心領域
《ネタバレ》 久々に、自分にささる映画に出会いました まずは、絵柄がとてもきれいです 描く対象の深刻さゆえに、もちろん映像には最新の注意をこめて撮影や処理したのだと思いますが、それにしても美しく、かわいらしく、素敵な映像です カメラワークやライティングや、様々なテクニックのおかげなのでしょう この映像に、ちょくちょく不気味な音や、不気味な絵が入る、というのが、とてもささります そして、私的には、ここで描かれている「関心領域」は、①自分たちの生活が豊かで描いたものであるかどうか、②自分の社会的地位や自分たちの国家・民族が誇りを持てているかどうかというところにあり、それが虐殺するユダヤ人によってもたらされているという非人間的な状況に全く無関心な状況がこの映画の描くところだとすると・・・どこまで意識されてつくられているかどうかが分からないが、最後のアウシュビッツ博物館における③日々生活が淡々と流れる様子(だって、ユダヤ人の大量虐殺という圧倒的な悲劇なんてなかったような淡々とした日常なので)だって、十分関心領域なんだな、と勝手に納得しました なお、私的にはヘスの嘔吐は挿入すべきではなかったと思います むしろ、しっかりと「凡庸な悪」を演じさせてほしかったです 嘔吐するなんて、なにか罪悪感を感じているみたいで、そんな救いのある描写は不要です [インターネット(字幕)] 9点(2025-03-14 00:17:37)《新規》 |
2. イベリン 彼が生きた証
《ネタバレ》 この映画をもとに、ノルウェーではゲーム依存症が精神科の診断基準から除かれたらしい、という実に不確かな情報を耳にして視聴 まずは、心をゆすぶられた そして、なるほど、世の中こんな風になっていくんだなあ、と感心 「性同一性障害」が治療の対象でなくなったように、ゲーム依存も治療の対象とはいえないという考え方が、それなりに感覚的に理解できた とくにASDの息子と母親がメタバースの中で邂逅するという話は、これが実話だけに、大いに感心した しかし疑問が2つ残った 1つは単純な疑問 主人公のイベリンのように現実世界での活動が制限されざるをえない人、そして生活するうえでの支援を全面的に受けられる人には、ゲーム依存症なんていう言い方が適切でないとしても、現実世界で経済的にも身体的にも自立することが可能な人については、やはりゲーム依存は治療の対象になるのではないか、ということ これが、ASDやADHDをもちゲームの世界で生き長期的に引きこもりになってしまい生活保護で暮らしているというケースになると、問題がややこしい 少なくとも、現在の日本の一般の感情的には、ゲームの依存をなんとかして減らしましょう、と考えるのだろうと思う 「性同一性障害」の問題と同様、将来は違う考え方になるという見方もあろう 一方で、「性同一性障害」は人類というか動物が誕生して以来もともともっている特性の1つであると考えられるのに対して、ゲーム依存はそうではないから、そうはならないだろう、という見方もあろう もう一つの疑問は、もうちょっとややこしい 人間の尊厳という問題 イベリンはDMDのために現実社会では引っ込み思案で多くのことをあきらめ「友情も、恋愛も、誰かの人生に影響を与えることも」経験しない生活をおくり(父親の表現)、眠るように去った(母親の表現)そうだ しかし両親の知らないメタバースの世界のイベリンは、情熱的で女性にもよくモテて(恋愛もして)、その発言はいつも場を明るくするような人だった そして、自分がどほど周囲に影響を与えるかに気が付いていなかった、と語られる つまり、主人公は、体は自由でないために現実社会においては静かに臆して生きていたが、メタバースにおいて魅力的で、かなり他人に影響力を発揮するような人として生きていた このメタバース空間で発揮する「本当のイベリン」の魅力が、私の胸を打ったわけである そこに「人としての尊厳」というものを感じたのである ただ、私はイベリンが自分のことを「聴覚や知能に問題がない」と語ったときにドキッとした なぜドキッとしたのかと、映画を観終わった感動とともに考えた そうして、「身体が全く不自由であったとしても、知能に問題がないから、人に影響を与えるような「本当のイベリン」が存在していた」という事実に、ドキッとしたことに気がついた 例えば最重度の知的障害がある人は、イベリンが与えたであろうような能動的な影響力を示すことは難しいだろう(その人をケアする人への深い喜びや感動を与えることはできたとしても、能動的な影響力とはいえないと思う) ●●はできないけれど、●●はできる、という考え方だけでは、結局、できないことが多いほど価値がないという考え方に陥ってしまいかねないということだ こういう感動モノの映画に潜む落とし穴みたいなものと言ってもよいかもしれない まだ、未消化なのだが、とりあえず、感じたことを書いておくことにした(2025.3.9) [インターネット(字幕)] 8点(2025-03-09 12:30:53) |
3. どうすればよかったか?
《ネタバレ》 ポレポレ中野で鑑賞 とにかく混んでいたのでびっくり 基本中高年の人々で、何に興味があってこの映画を観に来たのか不思議に思った この映画?を評価するためには、色々な時代的な経験や知識が必要と思う 監督の姿勢は父母を断罪しているようにしかみえないのだけれど、まず本当にこの人に父母を断罪する権利があるのだろうかと疑問に思う 後知恵で一刻も早く治療を受けてもらえれば、という感想を多くの人が思うのではないか しかし、本当に当時の精神病院に彼女を入院させて、早期の寛緩や治癒がみこめたといえるのだろうか? 映画の中では、父は母が入院を拒んだと言い、あたかも両親が精神病に対する偏見があったからと捉えられるように描かれている。 しかし、両親が受けた医学教育の時代には、精神病院はアサイラムでしかなく、そこには荒廃した人々がいたはずだ 当時は結核同様シュープという概念があった 何回かの安定期の後の増悪期を経て人格が荒廃するという考え方であり、CPが用いられるようになってもそういう人々が精神病院の中に沈殿していたことは、当時の医療関係者の肌感覚で染みついていたに違いない(そもそも、医療関係者であればあるほど、精神疾患に偏見があるという、よく知られた事実は、沈殿してしまった人々に触れる機会が多いことが原因なのだろうと思う) つまり、父母が医学教育を受けた時代(なにせ二人とも基礎の医学者なので、臨床現場の経験は若い時に限定されるだろう)には、「娘は精神病だから精神病院に入院させて治療を受ければ、症状の改善、寛緩、治癒が期待できる」などとは考えられもしなかったのだろう だとすれば、まともな治療が期待できない精神病院に入れるより、自分たちのもとにおいて、なんとか平穏な日々を送らせたい」と考えるのは、当時とすれば、むしろ子どもを思う親の気持ち(そしてその親は、基礎医学研究者である医師)としては、十分理解できる気がする 長年治療放置されていた姉は、投薬に敏感に反応して、短い期間ながら、人生を取り戻したようにみえた 短い期間ではあったが、本当に、ほっとした だからこそ、長年治療放置していた両親を断罪するのは当然のことではある しかし、弟である監督が傍観者・評論家のように、この映像を大衆に晒すことの意義はなんだろうか? 映像に残すことだけで家族の一員として、この問題に真摯に向き合ったといえるのか? 父母が何をどう考えていたのかのにそういう点の考察もなく、一方的に父母を断罪してる行為こそが「家族の闇」なのではないだろうか? 本当にもやもやのたまる映画だった どうしても当時の精神医療(「精神科医療」とも呼んでいなかった。精神科病院ではなく、「精神病院」だった)のことを語らない限り、この映画をまともに評価することはできない 当時の精神医療がひどかったらから両親の対応はしょうがなかった、というのではない この両親は、当時のひどい精神医療を知っているからこそ、それに抗おうとしたのではないか 病気の偏見から子どもを自宅に閉じこめた親は当時は珍しくない しかし徹底して子どもを(自分たちなりに)守り抜いた親も少ない とはいえ、この両親は、ある時点から、完全に時間に取り残された 精神障害者をめぐる治療やケアの進化を知らずに娘を閉じ込めた そこは徹底的に断罪されるべきである そういう映画にしない限り、こういう映画は作るべきではないだろう [映画館(邦画)] 5点(2025-01-17 01:25:09) |
4. コーダ あいのうた
大変ベタなストーリーで展開が読めすぎてしまうのだが、それでもなかなかよいお話で、心が洗われた気持ちになります 親の気持ちの変化がうまく描けていますね [インターネット(字幕)] 7点(2024-12-18 22:33:59) |
5. L.A.コンフィデンシャル
あろうことに、ラッセルクローとケビンスペイシーが、自分の中でかぶってしまって、途中までかなり混乱してみてしまいました。 吹き替えなんかでみたのがよくなかった・・・ そんな風なことさえなければ、ものすごく楽しめそうな作品でした。 [3D(吹替)] 6点(2024-12-18 19:21:25) |
6. 情炎の女サロメ
キリスト教的知識や西洋文化の実感がゼロだとちょっとなんだかわからない映画なんだろうと思います リアヘイワースの悪魔的な魅力について考えさせられました なぜ、神はこのようなものを生み出したのでしょうか [インターネット(吹替)] 5点(2024-12-17 21:47:28) |
7. オッペンハイマー
長い長い映画なのだが、そんな時間をかけても、歴史的背景や、登場人物の内面が薄い膜の向こうにある感じで伝わってこないため、ものすごい未消化で疲労感だけが残った 何が悪いのか分からない、ひょっとしたら見ている側(私)の察する力や理解力が弱いからかもしれない だけど、歴史が趣味でそれなりに当時の史実の背景を勉強してきた私がしんどい映画なんだから、そうでない人がみると、もっともっと未消化なんじゃないかと思うけど、どうなんだろう。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-12-17 21:07:58)(良:1票) |
8. 人間革命
無宗教でもちろん学会員でもない私が、こんな長尺のビデオを飽きずに見てしまったのは、CSでたまたま一部をみてしまったから。 暇つぶしに半分ネタで見ていたのだが、これが結構面白く、話の前後が気になり、結局Amazon primeでレンタルしてみることになった。 なによりもストーリーとして面白いうえに、主人公であり二代目会長の戸田先生のことを信念の人ではあるものの俗物として描き切っているところに、誠実さを感じた。 最近、2時間の映画をみようとしても30分くらいで飽きてしまう自分としては、この長い尺を一気に見終えたのは、それだけで自分的には大いに評価に値する [インターネット(邦画)] 6点(2024-11-27 14:28:18) |
9. 顔のないヒトラーたち
真実や正義に敬意が払われるということは、本当に大切なことだと思う 映画的には、後半のヨハンの心の動きについていけず、息切れした感じがする [インターネット(字幕)] 5点(2024-11-22 01:19:31) |
10. すばらしき世界
もうこういうステレオタイプでお金も時間も人も無駄に投入するのは、いい加減やめんといけんね こういうの信じられる人、ある意味幸せで不幸とおもうよ こんなもんじゃないよ、ほんとの世界は 邦画がダメになったのは、リアリティの問題でなく、ステレオタイプでしか物事をとらえられなくなった映画人や俳優たちのせいなんだね そして、映画を安定した投資にしようとした資本の人たち、俳優や女優の名前だけで映画をみる人たち、こういう人たちが邦画を貶めてきたんだね チーン [インターネット(邦画)] 0点(2024-11-14 23:23:21) |
11. 落下の解剖学
《ネタバレ》 そもそも凶器もなければ思い込み状況証拠しかないのに、なぜ起訴され裁判になるのかで混乱 フランスはそういう国なのか? 身長180cmの夫を高さ120cmの手すりを超えて、体格が劣る妻がどうやって突き落せるのかという最大の理不尽はさらっとしか触れられず、もっぱら夫婦の心理面の話になるのも、これもフランスだからか? そして、夫の死の前日の夫婦のいさかいは、夫がだめだめ人間っていうことが分かるだけで(しかも録音してるから、夫もわざと挑発しているわけだよね)、あの程度の喧嘩が殺人を裏付ける証拠として重視されるのは、これもフランスだからなのか? かずかずの疑問は、この作品をサスペンスだと思ってみるからで、心理描写に重きのあるフランス映画なのだから・・・と何度自分を諫めたか分からない 最終的には、私的に、説得力のないひどい脚本を、演技力でなんとか形にした作品、でしかなかった 色々賞をもらっているようですが、こんなひどい脚本を、よくぞまあ一応作品にしたなあ、ということでもらえたんだと思う。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-11-14 21:27:01) |
12. グロリア(1980)
「水車小屋のネネ」にしつこく出てきたので見てみた。 子役の演技が不評らしいけれど、私は、あの緊張したにらみつけ顔があったこその、この映画だと思う そして、ビル・コンティの音楽 ジーナ・ローランズの演技は、これらがあってこそ引き立てられているんじゃないかと思った そして、1980年代のアメリカはこんな感じの、もう滅びゆく世界だったんですよね この映画をみたことで、「水車小屋のネネ」の作者がどういう意図でネネを書いたかが透けて見えて、なんだつまらない小説だったな、と思うに至った。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-09-13 21:47:46) |
13. 快楽の漸進的横滑り
タイトルの不条理さの割には、わかりやすいサスペンスが始まるのかと思いきや、やっぱり不条理。 面白かったのだけど、わかりやすいサスペンスが始まるのとみせかけたのを、もうちょっとうまく使えるんじゃないかと思った。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-09-13 21:36:26) |
14. 名探偵コナン 緋色の不在証明
コナンの魅力の1つはは、あらゆるところにちょっとした伏線が落とされていて、それが一つとして矛盾なく、少しずつ回収していくところ。 その代表が、赤井さんの存在。その登場時点では、今の存在や家族の展開まではとても想像できなかったが、いろんな伏線を回収しまくって、いまや赤井さんはコナンを凌ぐ存在となっている。 この映画は、そういう巧妙な構造を上手に映画としてまとめて、「名探偵コナン 緋色の弾丸」の予習編と呼ぶにはもったいないくらいの出来となっている。 [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2023-12-31 16:01:15) |
15. Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼
《ネタバレ》 作品のプロットはとても面白いし、大きな筋書きもよくできているのに、脚本のつめの甘さと俳優陣の役どころへの理解の薄さで、だいなしになった作品。 脚本のつめの甘さは、例えば、「ミスタースミス」が現場でおしっこしたらトレイシー刑事の夫を殺すことが台無しになってるはずなのにトレイシーが逮捕されそうになってしまったり、「ミスタースミス」がアールブルックスを殺そうとする理由があまりにも脆弱(しばらく一緒に殺人を味わったり手口を学んだ方がメリット大なのに)すぎる、などなど トレイシー刑事が大富豪っていうのも、ちょっと無理やりすぎるし。 そして、なにより、ケビンコスナーがシリアルキラーの内面や苦悩をものすごく浅くしか理解せず演じているので、作品全体が薄っぺらになっていた。 別の人格と対話する手法も影響しているように思うが、デクスターやビューティフルマインドではそれが成功しているのだから、やっぱりケビンコスナーが大根なんだと思う。 シリアルキラーをアディクションの1つで遺伝するものとして単純化してるのも、この作品の浅いところ。 [インターネット(字幕)] 5点(2023-12-30 12:20:38) |
16. ナイル殺人事件(1978)
生まれて初めて女の子とデートした時に観に行ったと記憶しているのですが、どうしても年齢が合わない。リバイバル?の時でも観たのだろうか? 当時観たときは、犯人は分かったが(この人が犯人にしないと、お話として成り立たないなという理由で)どうやったのかは分からなかったけれど、久々に観たら(内容は全て忘れていた)、犯人も手口も分かった。 年齢を重ねることの意味を見出した作品だった。 ただ、最初に観たときは、すごくきれいな映像で記憶があったのだが、アマプラで観た映像は決してキレイという感じではなかった。 これもまた、時間というものの意味のような気がした。 [映画館(字幕)] 6点(2023-12-29 15:13:50) |
17. 私がやりました
オゾン監督の、ひさしぶりにシンプルにメジャーっぽい造りになっていて、気楽に楽しめる作品。 何よりも、オデット役のイザベル・ユペールの、ヒステリックで大袈裟な感じの演技に魅せられた。このオデットの解釈は、イザベル自身のものらしいが、これがなければ、オゾン監督の他の作品のように内省的過ぎて凡庸な人々には凡庸にしかみえない作品にしあがったであろう。 それにしても、ピアニストのエリカから、このオデットまで演じるというのは、驚嘆の限りだ。 [映画館(字幕)] 7点(2023-12-24 15:57:09)(良:1票) |
18. アルゴ
作品自体はとてもスリリングで面白いのですが、そもそもアメリカの謀略でパーレビが残虐非道の限りを尽くしていたからこんなことになったとに、という気持ちがぬぐえず、しかも外交官の人々(彼らもパーレビに大なり小なり加担していたはず)が何らそれを内省していないというのは、今の時代の鑑賞にはとても耐えられない。 [インターネット(字幕)] 5点(2023-12-13 09:34:53) |
19. 過去負う者
邦画でもメジャー作品でないと、こんなにいい役者さんがいるんだなあ、としみじみ思いました。 ただ残念ながら、低予算も原因なんだろうけど、脚本、監督、役者、みんなこの問題に対する現実の理解が浅すぎる。 被害者支援の観点からみても現実から離れすぎたことが描かれていて、愕然としました。 おかげで、「名優はレストランのメニューを読むだけで人を泣かせる」という話を思い出しました。 レストランのメニューを読まれただけで泣く人は少数なんだけどな、とも思いました。 とはいえ、最初から最後まで1秒も寝ないで見られた映画は久しぶりです。 [映画館(邦画)] 6点(2023-12-11 00:26:30) |
20. 月(2023)
磯村勇斗は、説得力のある演技をしていると思います。 宮沢りえもセリフ以外でみせる演技はすばらしいです。その分、セリフが入ると、もうなんだか浮ついてから回っていて残念です。 オダギリジョーと二階堂が下手くそなのは「ボランティア出演」だからなのでお愛想。まあもともとうまい俳優さんではないが。 俳優陣がそこそこ頑張ってるのに全体として全く評価すべきところがなくなっているのは、結局、この重いテーマを扱うには、原作と脚本が、力不足ということなんだと思う。 例えば、洋子がさとくんに「あなただって生命を選別しているじゃないか」(不正確)と指摘された場面で洋子は慌てふためいていたが、本来洋子はさとくんの言葉を否定し里君の気持ちを引き寄せることも可能だったはず。 うん、結局、この問題の本質を原作者も監督も1mmも理解することができず、「なんだかんだ難しいことあるよね~」的な感じでモヤモヤしたままで示せば、「映画」になると思った、、、というところにこの映画の駄作ぶりと、邦画のダメダメぶりが表現されているんでしょうね。 もうちょっとみんな考えようよ。 [映画館(邦画)] 4点(2023-12-03 14:39:24) |