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1.  メトロポリス(2001)
印象的なセリフがほとんどなかったなあ。唯一重要っぽい「アナタハダレ」も、全然心に響かなかった。これがラピュタなら、善玉・悪玉の主役級はもちろん、些細な脇役でさえ記憶に残る魅力的なセリフの宝庫なのに。ただ、巷にはびこったAIが賢くなりすぎて人間界の一歩先を解析し、自動的に作動するような世の中が間近と言われている昨今、この作品の中で語られる憂慮も別世界のたわごとと呑気に構えていられない気はする。  とはいっても、テーマが「ロボットの反乱」なら、『人造人間キャシャーン』(あくまでも実写じゃなくアニメ)の方が超シンプルで分かりやすく、ロボットの愛犬や乗り物のワクワク感も見どころがいっぱいあって、何より素直に喜怒哀楽を楽しめる。 本作は、無理やり政治を詰め込んで話を大人テイストにしあげている上、超美しいメトロポリスに見合うだけの、洗練されたデザインのロボットが登場しない。アルバートⅡのような、簡単に壊れてしまうもろさがあり、朴訥で、懐かしさを感じさせるロボットは確かにかわいくて私も好きだけど、いかんせん街自体が高次元なテクノロジーを駆使して造られているので、これらの不釣り合いさはどうしても違和感が残る。視聴しながらあちこちでバランスの悪さを感じていた。 映像美は素晴らしいので、視聴しなければよかったという後悔は全くないけれど、手放しでは感動できない。ジブリの実験的短編アニメ『On Your Mark!』のようにレイ・チャールズの音楽だけでセリフなしのアクションものとして、ぎゅっと縮めた作品にすれば、すごく見ごたえのある作品になった気がする。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-02-13 15:46:59)
2.  静かなる叫び 《ネタバレ》 
ヴァレリーたちが受講している熱力学の講義で、講師が話す内容が恐ろしいほどこの凶行を言い表している。   〝エントロピーとは無秩序性の尺度である。  外界からの圧力を受ける系は変化し、エネルギーの移動や不均等が生じる。  鍋の水は火にかけると運動が始まり水蒸気に変わる。  鍋にフタをすると水蒸気がそれを上下させ、  熱源や水がなくなるまでそれが続く。  分子運動が増えるほどにエントロピーは増大する。  エントロピーが最大になると秩序が戻る〟  レピーヌは満足するほど人を殺傷したのち自殺して、ようやく凶行は終了する。 エントロピーは、彼の狂気(エネルギー)が荒れ狂うことのメタファーなのだと思う。  Wikiによると、レピーヌがこの事件を起こしたのは25歳のとき。7年前、自分の人生をフェミニストに台無しにされたと告白しているが、なるほど、大学入試に失敗したことを女子のせいにしているのかと察しがついた。あまりに薄っぺらく、バカバカしくて拍子抜けする。犯人の動機を深く掘り下げていないのも、ある意味納得。 また、この作品は、信じられないほど多くの興味深い矛盾点を見つけることができる。   ・レピーヌは女性を激しく嫌悪しているにも関わらず、冒頭、いきなり男女を撃つ。  ・レピーヌの自室には、男を誘うようななまめかしい女性のポスター、寝室にはネクタイを締めた男勝りの女性のポスターが貼られている。  ・レピーヌの向かいのマンションに住む女性の部屋は、電灯を消すと真っ暗になり時刻は夜のようなのに、レピーヌの部屋には明るい日差しが入っている。  ・理工科大学内というのに、両目をテープでふさいだアインシュタインのポスターが、少なくとも2回は映像に入ってくる。  ・レピーヌは、フェミニストが女性の特権を手放さないことに怒りを感じているが、ヴァレリーは、将来出産を望めば就職活動に障りがあることを屈辱的に思っている。  ・レピーヌは、母親だけは女性蔑視の対象外とみなしている。  レピーヌの犯行に一切ためらいがなく、情け容赦なく学生たちを撃っているシーンの数々。観る人によっては、モノクロで画面が引き締まって見える効果もあるせいか、ぞっとする美しさを感じることもあるという。 ただ私は、フィクションではなく現実にあった惨劇を映像化した作品として観ているので、どう転んでも「美しさ」を感じることはできない。無抵抗な人間を絶対的優位な立場で次々と殺戮する様子は、兵士同士が大義名分から死を覚悟して戦う戦争よりいっそう救いがなく、卑劣だ。美を感じる以前に、自分の子供がその場にいる錯覚に陥ってしまう。夢や希望をいきなり奪われる恐怖を味わう学生たちは、過去の話ではすまない。今、このときも世界中のどこかで、どうにもならない理不尽に向き合わされ命を絶たれる若者がいる。改めて、モントリオール理工科大学の犠牲者のために深い哀悼の意を表したい。
[インターネット(字幕)] 8点(2021-07-15 01:19:08)
3.  スカイ・クロラ The Sky Crawlers 《ネタバレ》 
紙面を真ん中で折り、爪で丁寧に紙面をしごき、読み終わった新聞を静かに机の上に置く。死んだ男と同じクセを持つ男が現れたとき、これは一体何を表しているんだろうと思ったけれど、まさか、戦死したパイロットが輪廻で生まれかわったと言いたいのだろうか。そして、主人公のカンナミは映画の最後に現れた男に生まれ変わったとか? 草薙がその男を前にして、待っていたわと微笑むのを見て混乱した。もしカンナミの生まれかわりだとしたら、その男はカンナミと同世代であってはおかしい。でも、キルドレたちは永遠に年をとらないわけだから、もしかしたら、ここは草薙の容姿に惑わされず、カンナミが死んでかなりの年数が経っていると理解すべきなのか。 でも、そこまで年数の帳尻を合わせて、練られたストーリーとも思えない。なぜなら・・・・・・何年も何年も同じ容姿で生き続けてきたキルドレの特質を、話の中でうまく活かしきれておらず、ともすればこの作品がSFであることを忘れそうにさえなるからだ。キルドレと非キルドレの対比があまりにお粗末で、この映画の中盤まで見ても、いったいどういう世界観を描いた話なのかわからなかった。  それに、年を取らないシチュエーションがなぜ必要なのかもよくわからない。戦争で戦って無意味に死ぬ。その虚無感で充分じゃないかと思うのに、さらに永遠に生き続ける虚無感をプラスするから、観ている方はどちらに焦点を合わせて話を追えばいいのか、集中力が続かない。人の手によって死を迎え、輪廻ゆえか新たな生を受け、再び戦争のため空へ駆け上がっていくキルドレたち。ということはつまり、「スカイクロラ」とは、子供たちが戦争を永遠に支え続けている世界なわけ? パン屋でパン作りに励む生き方もあろうに、軍人として空で壮絶な死を遂げたにも関わらず、せっかく別の体で生まれかわっても、性懲りもなくまた戦場に戻ってくる彼らの融通のきかなさが謎。キルドレの元締めが遺伝子操作でもしてるんじゃないかと思うほどだ。そもそも、一体どういう大義名分で、彼らも敵も互いに戦っているのだろう。  でも、自分の解釈も全然自信がない。何といっても絶望的にセリフがわからない。途中からスピーカーを諦めイヤホンを試してみたが、それでも聞き取れないってどういうこと!? 戦闘機のパイロットは血の気が多い輩のイメージがあるが、人を殺すほどの所業をしている彼らが、どうしてぼしょぼしょ呟くの。冷静沈着な声の低さは、まるで潜水艦の乗組員のようだ。いくらなんでも、もう少し腹に力入れて話そうよ。
[インターネット(邦画)] 3点(2019-09-13 23:14:18)
4.  フード・インク
 10年前に堤未果氏の『ルポ貧困大国アメリカ』を読んだとき、貧困者になぜ肥満体の人が多いのかを初めて知って衝撃を受けたことを思い出す。映画評論家の町山智浩氏の語るアメリカ事情にもこの手の話が絡むことがあり、もちろんこのドキュメンタリーを含め、問題の本質が異口同音で耳に入ってくると、さすがにアメリカの食事情の深刻さを信じないわけにいかない。この映画で一番ぞっとしたのは、食問題で集まった人たちを相手に、家族に糖尿病患者がいる人に挙手させていたところ。ほぼ全員が手をあげ、「2人いる人」「3人いる人」と質問が続くけれど、誰も手を下げない。鳥肌が立つほど恐ろしかった。いつのまに、この国は糖尿病大国になってしまっていたのだろう。欧米人はインスリンの分泌力が優れていて糖尿病になりにくい体質だと聞いていたのに、一家族に複数人もの患者がいるなど、とても信じられない。   大腸菌に汚染された食材が商品に紛れ込んでいたとしても、企業は謝罪しないどころか、声をあげる消費者を次々と告訴していくという。日本でもO-157感染で国中が大騒ぎになったことがあったが、被害を受けた限定消費者だけではなく、一般人もマスコミも社会をあげて感染経路の特定と予防対策を求めた。この一連の動きがどれほど正常な流れだったのかを改めて思い出した。  また、『インサイダー』『エリン・ブロコヴィッチ』『フィクサー』など、巨大企業を相手に国民の命を守るため戦う映画を何本も見たが、遺伝子組み換え大豆の話が本作で出てきたときは、真っ先に『ゴルゴ13』の「害虫戦争」を思い出して、これまたぞっとした。遺伝子組み換えとは、あくまで気象条件に耐え抜く強い作物を生み出すための技術だと思っていた。それでも何やら落ち着かないのに、人為的に作物の特性を、それも明確な方向性をもって遺伝子レベルで操作するなど冗談がすぎる。そんな物騒な話はコミック上にとどめておいてもらいたい。   思うに、資本主義、共産主義など諸々のイデオロギーを問わず、アメリカ、中国、ロシアなどの大国は、一国民の小さな声をいちいち拾い上げるには図体が大きすぎるのかもしれない。巨大な富と権力が集中する一握の輩が政経を動かしている以上、怪しい加工食品しか口にできない貧困層は、今後どうやって健康を維持していけるのだろう。それでも、声をあげようと活動している人たちの勇気と行動力に深く感動せずにいられない。
[インターネット(字幕)] 9点(2019-08-18 23:08:54)
5.  茄子 アンダルシアの夏 《ネタバレ》 
ドーピングに染まった女子チャンピオンが主人公の「レーサー/光と影」という映画を観たことがあるが、本作とを絶えず心のどこかで比較しながら鑑賞していた。ペペたちが追い込みに入ったシーンは、これが原作者の構成した架空のレースだと忘れそうになるほど、緊迫したすばらしい走りだった。ゴールを超えて各選手が息も絶え絶えに徐行している様子が爽やかで清々しい。放心状態の牛馬となり果てた者や、「やるだけのことはやった」としゃがれ声で漏らす者。彼らは姑息な手段を一切使わず、全力を出し切って戦った。そこには粘着質な嫉妬や悔しさ、怒りすらないように見える。ただ完全燃焼の疲労感あるのみで正しく無我の境地、ペペと言わずヘトヘトにくたびれた誰も彼もがカッコいい。「レーサー/光と影」もドーピングの恐怖が生々しく描かれ、それはそれで興味深く観たけれども、二度三度と見直したいと思うのは間違いなく「茄子~」の方だ。 カルメンが兄を選んだ悔しさ、哀しさをレースにぶつけたペペは、挫折を乗り越えた穏やかな表情をしていた。彼の精神的な成長を垣間見れる深いシーンで、濃密な時間の経過を感じさせる。巨大な牛の看板が裏向きになっていて最後まで表を見なかったのは、ペペの未知数な伸びしろを暗示している気がする。 最後に、ペペが小さな茄子をまるごと口に入れようとしたとき、何となく両目の入った小さなだるまのイメージがきた。つまり、何か1つ達成した証のようなもの。もしくは、辛い思い出の残る地元の名物。それをパクっと食べてしまう。この茄子はいろいろな読み方ができて面白い。その後、唐突に流れてきた忌野清志郎の調子っぱずれな歌がまた最高! 本当に面白かった。今まで見てこなかったのが悔やまれる。
[インターネット(邦画)] 9点(2019-08-12 00:29:36)
6.  ブタがいた教室 《ネタバレ》 
動物好きの小学生相手に、哺乳類に「名前をつけるな」というのは、まず無理なんじゃないかと。中学生でも無理な気がする。高校生なら、なんとか名前なしで、家畜としての哺乳類を世話できるかも。  ペットとして育ててしまった豚を、食べる、食べないと論争になってしまった。それでいいじゃないかと私は思う。もし家畜として育てたのなら、そもそもこんな論争になっていない。花火大会に豚を連れ出したりしないし、楽しい思い出をわざわざクラス単位で作る必要もない。教師だって、それを許さずに「餌やりと掃除だけしなさい」と命じなければならない。それで、本当に食育になるのだろうか。いや、食育以前の問題だと思う。「命」という概念を、これだけ真剣に子供たちが自発的に考えることができたのは、名前をつけて、愛情をかけて、一生懸命に育てたブタを、名づけ親である自分たちが、殺さなければならないから。このことの、何が間違っているのだろう。現実に、子供たちは、Pちゃんの命に責任を持つことで、命の重さ、尊さを、いやというほど学んだ。3年生に世話を委ねようとしたり、反対意見を言う相手に全身でぶつかっていったり、失敗、希望、挫折を、何度も何度も繰り返した。その悩みの深さ、出口の見えないしんどい思いを、半年近くも引きずってきた。社会人顔負けの悩みっぷりだ。その半年間で、彼らがどれほど精神的に成長したことか。ブタを飼育せずに過ごした無難な小学生ライフと比べて?  人や動物を問わず、救うことができない命があるという不条理な真実を、彼らは苦しみながらもしっかり学んだ。  また、Pちゃんがブタだったからよかったのだ。魚釣りでは、完全にエンターテインメントになってしまうし、ふだん私たちが食べない(食べる国もあるけれど)犬や猫なら、そもそも命を奪うわけにはいかない。人が食べる動物を、「可哀そうだ」と言って通らない残酷な世界があることに、子供たちは気づかなければならない。そこを乗り越えないと、感謝して命をいただき大切に生きる、ということが理解できないし、謙虚な心が生まれない。この作品では、どの子供たちもPちゃんの短い命を思って涙を流した。いっぱい泣いて、他者が受ける痛みを肌で感じて、子供たちは強くなればいい。
[インターネット(邦画)] 9点(2019-03-30 00:21:40)(良:1票)
7.  あなたになら言える秘密のこと 《ネタバレ》 
クロアチアの国情とはいいながら、この話はどの戦争でもあてはまる。国から無理やり出兵させられた男たちは、殺らねば殺られる戦いを前線で強いられ、精神を病んだ者が大勢出たと思われる。ハンナを始めとする女たちは、彼らの狂気を文字通り体中に浴びたのだ。ハンナは、「親友は自分とは正反対の性格の子」と言った。つまり惨事が起こる前までは、彼女は陽気で明るい笑顔をふりまく女の子だった、ということ。親友の名前が「ハンナ」なのだから。「(親友が)早く死ねるように祈った。彼女の悲鳴を数え、うめき声や痛みの深さを推し量った」という言葉から、ハンナが幽体離脱の感覚を味わっていたことがわかる。体を痛めつけられている間、狂気から逃れたい一心で意識が宙に浮いたのかもしれない。男女の別なくこうした人格破壊は、世界大戦を経た国の如何や時制を問わず、大量殺戮が行われる地なら当然のように起こり得るだろう。  ハンナが工場内で、リンゴとライスの味気ない昼食を取っているとき、彼女の背後の壁に、「健康への5ステップ」と書かれた栄養学の知識が掲示されている皮肉。また、彼女が海岸で海を眺めているとき、岸壁に「NO PARKING」とペイントされている。この「NO」という文字は偶然映像に入ったはずがない。生を拒否する彼女を強く暗示する演出だ。  ハンナがジョセフを受け入れたキー・センテンスは、「泳ぎを練習する」。このひと言は、とてつもなく深い。海上での労働者が泳げないといって、ハンナが初めて声をあげて笑ったシーンがあった。「泳げない」は彼女の唯一のツボ、そこをジョゼフはいく通りも意味を含めて見事に突いた。キスも、まず唇が重なるのではなく、互いの肌のぬくもりを確かめるように額や鼻が触れ合う。私は顔全体が重なるキスを見るといつも、どちらか一方、あるいは両者が深く傷ついているように感じてしまう。それほどに寂しく心に沁みとおるキスだ。2人が結ばれ、ハンナの架空の娘も、本物の子供ができてからは存在が希薄になりつつあるよう(完全に姿を消すことはないだろうが)。しかしこの症状は、統合失調症ではないのか。  ただ、この作品でひとつだけなかなか納得できないことがある。ハンナはなぜ、男性恐怖症にならなかったのか。看護師とはいえ、あんな目に遭わされれば男の股間など触るのも身の毛がよだつだろうに。ましてやジョセフは大男。この点だけはちょっと無理がある気がする。
[インターネット(字幕)] 9点(2019-03-28 00:22:06)
8.  容疑者Xの献身 《ネタバレ》 
石神の人となりが最もよく表れていたのは、湯川から託された問題を解くシーン。背中を丸めて一点に集中する姿は、逆に他のことは目に入らない、つまり極端に視野が狭いことを暗示しているよう。それでも旧友の寝姿にはちゃんと気づき、風邪をひかないか心配する優しさもある。不遇の親のため夢を諦めて仕事に就く孝行心もある。石神は、自分に少しでも関心を持ってくれる人間に対しては危害を加えることはできないが、自分に無関係な人間、例えば、数学に関心がない生徒たちやホームレスには、彼ら自身に五感があることすら忘れているようだ。このシーンには、ヒントになるメッセージがたくさん込められている。  花岡母子のために、明確な殺意をもって石神は湯川を冬山に誘った、にもかかわらず、旧友をどうしても殺せなかった。冬山のシーンはそう解釈したい。ホームレスの男性には容赦なく石で顔をつぶせたことの対比となって、石神の屈折した複雑な人間性が垣間見える。  もし、石神に柔軟なコミュニケーション能力があり、社会的に広い視野が効き、自分に自信のある人間だったら、隣室で乱闘の気配を察した時点で警察を呼ぶか、部屋へ飛び込み、被害者の蘇生をして救急車を呼び、母子を殺人者にしない配慮をしたはず。 それが最も正しく彼女たちを救う手段だ。なのに、数学には解答へのいくつもの道があると言いながら、事件に関して彼は選択肢を1つしか持たなかった。 なぜなら、彼女たちの悲劇のヒーローになりたかったから。 彼の犯行は、見た目には母子への捨て身の献身だが、私にはやはり相当歪んだエゴに見える。 自分の得意分野で、好きな女のヒーローになりたいというエゴがあるからこそ、彼女たちの正当防衛を証言する気はさらさらなく、目的のために無関係な人間も殺害できた。 ただ、巧妙にアリバイを作ることはできても、靖子が自分に無関係な死者を出されたことを知ればどんな気持ちになり、どういう行動に出るかという、いわゆる「人の心」が読めなかった。ひとえに、視野が狭かった。 また、自殺を厭わぬ者と、娘を守って生きねばならない者という、両者の生の執着の差も、齟齬の出た原因の一つだろう。 ラストで石神が号泣したのは、靖子が自分を救うために名乗り出てくれたことよりも、自分のひそかな誇りが台無しになってしまったからだ。 他者への優しさとそれ以上に自己犠牲の陶酔が混在した、そんな石神の涙と、石神を理解できないにもかかわらずむせび泣きながら謝罪する靖子の涙は、全く質が違う。  小説・映画は道徳的である必要はないと私も思う。石神のように、良かれと思ってしたことがただの偽善にすぎず、不条理な結果を生む事例は、現実にいくらでも転がっているし、悪人だけで成り立つ魅力的なドラマもたくさんある。 問題は、湯川が登場しているにもかかわらず、その不条理(特にホームレスの殺害)に充分な光が当てられていないこと。 湯川が石神を哀れむだけで激しい怒りを感じなければ、彼の正義など、何ほどのこともない(『相棒』右京のキャラクターと比較すれば一目瞭然)。 話は面白くて深いのに、小説も映画も、この辺がとても弱い。そのため、石神や母子の登場するシーンは強く惹きつけられたが、湯川や内海は、物語の進行を促す程度のキャラクターにしか見えなかった。
[インターネット(邦画)] 7点(2018-05-13 22:26:09)(良:5票)
9.  シングルマン 《ネタバレ》 
同性愛の偏見が強い時代の割には、いとも簡単にそれらしい相手に遭遇できるのが不自然だった。パートナーにはなかなか巡り合えないゲイだからこそ、相手に先立たれるショックははかりしれないと思うのだけど、次から次へといい男が向こうからやってくる。それこそバスのように。この辺の違和感が少し引っかかったが、上質ないい映画を見たという余韻があった。 別れた元妻は、今でも心の友。マイノリティであるゲイと知りながら、師のために銃をわが身に隠す美しい教え子。渋いなあ・・・。口数の少ない主人公をコリンが抑えた演技で演じているから、画面から彼の気持ちがにじみでているように思えた。
[インターネット(字幕)] 8点(2017-11-14 00:25:39)
10.  メメント
見始めて1時間までは何ともなかった。しかし、徐々に体調が悪くなってきた。胸がむかむかし、画面を見続けるのが辛くなってきた。見始めて1時間半ごろ、ついにディスクを一時停止して、トイレに駆け込む。強い吐き気があったが、しばらくすると治まったため、恐る恐る再び視聴。見終わると、倒れ込むようにして就寝、吐き気をまぎらわせるために、ラジオをつけて眠りについた。  後で考えると、あの症状は画面酔いだったとしか思えない。視覚から入る情報と体感している感覚のずれから起こる「酔い」という症状。各エピソードの推移が前後に激しく揺さぶられたので、話についていこうと躍起になっているうち、吐き気が起こってきたものらしい。体調不良を引き起こす映画なんて、びっくりだ! 本作の話をじっくり見て考えたいのに、再視聴するにはものすごく勇気がいる(涙)。もし『リング』の呪われたビデオが現存して、それを視聴したら、こんなふうに体調不良を引き起こすんだろうかと妙な方向に連想してしまった。
[DVD(吹替)] 8点(2017-09-03 14:05:06)
11.  バンク・ジョブ 《ネタバレ》 
うわ、これって本当に実話!? 舞台はロンドン、ベーカー街、地下を掘って銀行の金庫室へ・・・って、まるっきりシャーロック・ホームズの、ある作品に出てくるクレイ一味そっくり。 なによりすごいと思ったのが、三つ巴の思惑が絡んでいながら、刻々と変わる主人公たちの窮地がどういう状況なのか、もつれることなく手に取るようにわかること。全ての勢力がバランスよく引き合い押し合いしていて、その真ん中にテリー一味がいる。ここら辺の拮抗具合が妙にシェークスピアっぽい。イギリスが誇る2大文学のテイストが感じられて、うーんすごい、これ、本当に「イギリスで」あった話なんだと唸りつつ、かなり脚本が練られていると思った。  ただ、この作品に対する矛盾点が3つほど。 一味は素人集団かもしれないが、テリーの手腕はハンパじゃない。さすが元裏社会で生き抜いてきただけあって、どの勢力のプレッシャーにもつぶされることなく相手の弱みを鋭く突き、かえって有利な交換条件を相手側に呑ませるあたり、駆け引きがうまい。それに、緊急時に別の車を用意しておくなど隙がない。これだけ企画力があって、交渉術にたけ、リスク回避の勘どころも冴えている。臨機応変に動けて、ここぞというときの決断を下す度胸もある・・・・・・ビジネスマンとしては最高の人材だと思われる。しかるに、なぜ本業の中古車販売が繁昌しない? 表の仕事ちゃんとしろよ、テリー! それに、厄介な写真ネタを世間に公表しないための騒動が起こったというのに、今さら王女の実名をあげてエンターテインメントに仕上げるって・・・・・・どうなの? 薨去後に映画化しているから時効ってことかもしれないけれど、現代風にいうなら、完全にリベンジポルノでしょこれ? でも、その作品に9点も計上する私も私か・・・・・・
[インターネット(字幕)] 9点(2017-07-28 23:06:08)
12.  列車に乗った男 《ネタバレ》 
それぞれの人間関係や過去は、全て語られるわけではなく、視聴者が想像できるぎりぎりの流れだけを見せてくれる。そのぼかし方が絶妙に上手い。マネスキエがジグゾ―パズルをいじっているシーンがあるが、この映画自体がまさにパズル。映像の端々や台詞で垣間見せてくれるヒントを頼りに人間関係を解けとでも言っているようだ。  たとえば、強盗仲間であっても心を許して抱擁するほどの、実は人一倍人情の深いミランだからこそ、ルイジをかばって撃たれてしまうわけだし、マックスとドライバーのサドゥコは、警察と司法取引でもして仲間を売ったと思われる。初め、マックスは警察の潜入捜査官なのかと思ったが、ミランが彼に「太ったな」と昔馴染みをうかがわせる言葉を出しているから、違うだろう。抜けようとしたミランを無理に引き込もうとしたマックスのタチの悪さは計り知れない。  また、マネスキエもミランも、土曜日にのっぴきならない「用事」があり、この時間制限が、ドラマの明確な設計図でもある。自身の死を賭けたXデーを控えて、2人が次第に互いの人生を「隣りの芝生」視点で眺め始める。彼らの思いが、じわじわと交差していく。その流れが、小憎らしいほど自然で、台詞がまた上手い。ジョークを挟んだり、しないと公言していた質問をするなどして、饒舌と寡黙の単調なリズムが、少しずつナチュラルに変化していく。それは食事風景にも言えることで、最低限の料理と酒しか載っていないだだっ広いテーブルだったのが、ラストデイには、驚くほど小さな食卓となり、その上に果物、水差し、ヤカンとぎっしり物が載った状態となる。初日にはミランが酒を遠慮しており、最終日にはマネスキエが湯?ティー?を断る。しかも、ホスト側ではなく客のミランが最後の食事を用意しているのだから、2人の関係の変化もここまできたかというユニークさがある。こうした細々な仕掛けが台詞・映像を問わず、さりげなく張り巡らされている。何度見ても何かしらの発見がありそうな作品だ。   ラストの一見不可解な映像は、2人の叶わなかった願望をファンタスティックにシミュレーションしたもの、つまり演出家による、視聴者へのサービス映像に見えた。また、ミランが乗ってきた列車は、単なる交通機関である車両に過ぎないが、マネスキエが乗り込んだのは、ユーラシア大陸から直接北米の、例えばワイアット・アープが活躍したトゥームストーンへでも向かう夢の列車だったろう。ただ、ミランがこの街に来なければマネスキエの乗車に繋がらないわけで、タイトルの「列車に乗った男」はやはり両者を指すのだと思う。しかし、2人同時の乗車はありえないので、「男たち」ではなく単数形なのだろう。
[インターネット(字幕)] 10点(2017-06-10 02:14:18)
13.  マザー・テレサ(2003) 《ネタバレ》 
冒頭の、混み合っている駅のホームで、誰にも看取られずに命尽きようとしている男性のそばに、マザーテレサがうずくまるシーン。そのとき、すっとカメラが引いて、周囲の人々が姿を消す。貧しい人に愛を注ぐのに、周囲の雑踏が全く目に入らなくなる、これが彼女の類まれな集中力。1人1人の頬を両手ではさみ、声をかけるマザーの慈愛のこもったしぐさは鳥肌ものだった。彼女が亡くなった当時、世界各国に散っていた元孤児たちが「マザー、マザー」と実母のように嘆き悲しんでいた報道を思い出す。 イギリスやスペイン等のキリスト教がらみの時代劇を観ると、宗教と国家権力がどろどろと癒着した残酷極まりないエピソードがいくらでも出てきて、そのたびぞっとさせられてきた。本来キリスト教は、貧しき隣人を愛せよと人類愛に満ちた教義で説くはず。それなのに、神に仕える神父や修道女が虐げられた人々に直接奉仕することが、どうしてこんなにも難しいのだろう。マザーが修道院を出て、自ら神の家を設立する過程を初めてこの映画で見て、そこからしてガツンと大きな衝撃を受けた。つまり、冒頭から私は驚かされっぱなしだった。真の意味で、神に自らを捧げている聖職者が、どれほど存在するのだろうか。 3ドルの水の価値に言及する彼女は、『シンドラーのリスト』で「これだけあれば○人救える」と人の命を金に換算して苦しむシンドラーの姿と重なる。神の鉛筆になる者の苦悩は凡人にははかりしれないが、彼らは何と尊い存在だろうと深く考えさせられた。
[インターネット(字幕)] 9点(2017-05-18 01:21:40)
14.  ミスト 《ネタバレ》 
後味が悪いとか下らないとか、あまりいい評判を聞いておらずほとんど期待せずに見たら、意外に考えさせられることの多い作品で、けっこう拾いものだった。今年(2016)5月に、年端もいかない1人の小学生が北海道で1週間近くも孤独に耐えて、生き延びた。いかに体力を温存して、1日でも長く助けを待つことが大切かということを、彼は小さな体で証明してみせた。映画の中では、閉じ込められた大勢の人々がうろたえおびえ、言葉は悪いが、勝手に騒いで自滅していった。非常時のパニックが、もっとも命を縮め、何の益をももたらさないことを、この映画は強く訴えている。  この映画に出てくる人々は、自分たちがこうむっている災難を、人のせいにせずにはいられない人たちだった。彼らの信仰は、信じた者だけが救われるというお得感や優越感、排他的な狭い視点に裏打ちされている。  また、この集団が私たち日本人であったなら、どういう流れになっただろうとも考えた。まず、義務感満載の旧約聖書を延々と説き続けるマダムを前にして、きっと誰かが代表して彼女にこう言っただろう。  私たち日本人は、正月に神社へ初詣でに行き、彼岸や盆には墓参り、厄がついたら宮司にお祓いをしてもらい、結婚式は教会で、死んだら戒名をいただきます、そうそう、クリスマスには救い主の誕生をお祝いするよりサンタの方が魅力です。あと、八百万の神さまも捨てがたいですが、まだ続けますかと。  特定の宗教の色に染まりにくい国民性は、本当にありがたい。もちろん、他の国の人々は短絡的だというつもりは毛頭なく、ただ、さまざまな宗教観にとらわれる手間もなく、いち早く一致団結して強者が弱者を守る知恵と勇気を絞る方が、よほど災厄を免れやすいと思うだけだ。深刻な地震に遭い、閉鎖的な環境に長時間閉じ込められた人々が、パニックをさけ、自分にできることを自ら探し出して、積極的に他者に奉仕する姿が、阪神淡路大震災、東日本大震災など、これまでにも何度も報じられてきたが、本当にこれはすごいことなんだと、この映画を観て改めて日本の被災者たちの辛抱強さ、たくましさに気づかされた。
[インターネット(字幕)] 8点(2016-09-14 02:18:52)
15.  重力ピエロ 《ネタバレ》 
重力をときはなち、一家の幸せを願う母、弟を守りたい長男、兄に気づいてもらいたい次男、息子たちを見抜いている父。皆さんのおっしゃるように突っ込みどころ満載だったが、この深い家族愛が貫かれている以上、何もいうまい。 レイプされて生まれた子供たちは、世界中に星の数ほどいる。彼らが人に愛され、愛することができる人間に、どうか成長してほしい。そう願わずにいられなかった作品。
[インターネット(字幕)] 7点(2016-02-28 00:46:27)
16.  ソラリス 《ネタバレ》 
何の予備知識もなかった人には、さぞかし辛い視聴だったろうと思う。ソラリスという惑星が、飛行士たちのイメージから人間らしき 「生物」 を創り出してステーションに送り込んでいるなんて、この映像ですんなり納得できるのだろうか。また、身内を亡くして喪失感に苦しむ遺族が、宇宙の奇蹟によって再び故人と遭遇したら、気が動転して相手を宇宙に放り出したなどと、この感覚だけはどうしても受け入れられない(つまり原作から文句を言いたい)。夢でも会いたいと思う相手なら、何者に姿を変えていてもしがみつきたいほどの喜びではないのか。  ただ、不思議なことにこの作品は、どこか能に通じるものを感じる。言葉数や動きの少ない、俳優たちの抑えた演技が、力強い気を放っているようだった。特にレイアを演じるナターシャは、目が異様に大きく邪悪なものを秘めているようで、観ているこちらは不安をかきたてられた。しかし、まばたきのほとんどないその目は、能役者がかぶる面のようだ。表情が乏しい面の下では、自分が何者なのか、愛されているのか、夫とともにいられるのかといった、自己の存在を懸けた疑問にもがき苦しんでいる。もともと幸せを素直に受け入れられず、プロポーズも、妊娠も躊躇するなど、彼女は生前から自分の存在が希薄だと思いこんでいたのだろう。最初の自殺と違い、クリスを地球に帰すために自ら死を選ぶ彼女の愛は、たとえソラリスの生成物の立場であったとしても、深く胸をえぐられる。死生観あり、オカルト性ありと、『ソラリス』は能の演目向きのストーリーかもしれない。
[DVD(字幕)] 8点(2015-09-06 21:26:47)
17.  ペネロピ 《ネタバレ》 
この映画ほど「レリゴー♪」の歌が似合う作品もないのでは。「美女と野獣」の逆バージョンで、さすが現代版だけあって、他力本願ではなく「自分で呪いをといた」と胸を張るペネロピが最高にかっこいい。自分の顔を世間に公表するあたりから、彼女の勇気に感動しっぱなし。あの失恋の落ち込みレベルは自殺を考えても不思議じゃないのに、そこから始まった彼女の行動は、「死ぬ気ならなんでもできる」を地でいっている。人から愛されるより前に、まず自分自身を愛する気持ち、心の声に耳を傾けることが大切だということを、この映画から教えてもらった。
[DVD(吹替)] 8点(2015-09-05 15:24:52)
18.  ハッピー フィート 《ネタバレ》 
あまり楽しめなかった。タップの音と脚の動きがぴったり合ってない気がしたし、そもそもあれだけ短い脚じゃリズムを細かく刻むのが難しそう。ただ歌と踊りであれだけ盛り上がれる作品を作れるのは、やはりアメリカならではだと思う。もっとも私はあのノリにはついていけなかった。いくら声や体で情感たっぷりに歌っていても、目があずきみたいに小さくて無表情な皇帝ペンギンは、生理的に合わなくて辛かった。アクションシーンは面白かったけど、マンブルだけ成鳥の姿になれてないし、いつのまにか魚が減少して何の予兆もなくコロニーが飢えているし、マンブルとグロリアは結ばれることもないし、マンブルが人間にセンサーを取り付けられていつ外されたかうやむやのままエンドロールが流れちゃうし、何もかもが中途半端ですっきりこない。唯一声に出して笑えたのがシャチのシーンの 「バドミントンか」 だった。
[インターネット(字幕)] 4点(2015-05-18 12:53:56)
19.  運命のボタン 《ネタバレ》 
途中からSFネタになる作品は苦手だが、これは相性がよかった。他人の命と引き換えに大金を得るという究極の選択は、さまざまなことを考えさせられる。たとえば、私たちは普段からニュースで災害地、異国の戦場など、対岸の火事として人の不幸を右から左へと聞いている。キリスト教でよくいわれる「無関心の罪」だ。この感覚が「運命のボタン」の存在と結びつくとき、人はどう行動するかということ。おそらく「想像することのプロ」である赤毛のアンなら、決してボタンを押せはしないだろう。ところが、職場の事情でヒロインは手当を打ち切られ、経済的な苦境に立たされた直後に甘い誘惑を持ちかけられる。この時点で、「パーフェクト・ストーム」のイメージが来た。長期間の不漁続きの果てにやっと大漁を得、嵐を突っ切って港に帰ろうとする漁師たちの判断ミスが、ヒロインのそれとダブって見える。彼女のボタンの押し方は、まるで猫の手のようだった。初めから押したくてたまらなかったからだ。ところが、大金を手にしたとたん、今まで全く見えていなかった不穏な気配がまざまざと広がり始める。その矛盾した感覚の生々しさがダイレクトに伝わってきて、不謹慎ながらこの映画はけっこう面白かった。こまごまとしたSFの設定は、つまり私にはどうでもいい。これは近未来版の「ファウスト」だ。人間がいかに誘惑に弱いか、非合法で楽に幸を手にしたとたん、とてつもない不安がしのびよってくる。最後には、その価値を味わう余裕すらなくなり破滅する。これが決してこの映画だけの事情にとどまらないのは、人を殺害する可能性のある危険ドラッグを、一時の快楽と引き換えに楽しむ輩が現代に多いことからも明らかだ。心のすきを突かれても誘惑を払いのけ、退屈で平穏な日常を選ぶ勇気のある人がどれだけいることか・・・・・・ということではないのだろうか。
[インターネット(字幕)] 7点(2014-11-24 00:34:48)(良:1票)
20.  フラガール
日頃の入力生活がたたりドライアイのひりひり痛む目で鑑賞。泣ける映画はストレスの浄化作用に加えて二重にお得。
[DVD(邦画)] 9点(2014-11-10 20:49:12)
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