1. 蝶々夫人
《ネタバレ》 あるインタビュー番組で八千草薫が青春時代の思い出として口パクとはいえ懸命に役作りをして歌詞も全部覚えたことをあまりに懐かしそうに語ったのでDVDを探しまくって国際通販サイトを通じてスペインから購入しました。八千草薫にこだわらなければ名指揮者、名男性歌手(蝶々夫人の相手役のアメリカ人は贔屓の歌手にはあまりやってほしくないけれど…)、主演は中国人女性歌手だったり白人の名女性歌手だったりとか各種ありますがこの版では(明治維新直後の日本の状況の説明がスペイン語なのは仕方がないとして)東宝が美術と日本人のキャスティングを担当しているだけあって、これがカラー作品だったらとため息が出ました。そのせいか台詞・歌唱のない日本の伝統音楽を次々とオーケストラ演奏で聴くことができ、その合間合間に歌われる蝶々夫人とアメリカ人士官ピンカートンのアリアやデュエットはあくまでも甘く、はたまた糸引きモッツアレラチーズのようでした。ストーリーは改めて紹介するまでもなく、元武家の娘の蝶々さんとアメリカ人士官の文化を超えたラブストーリーがアメリカ人の方の裏切りで蝶々さんの武家のしきたりに従った自害に終わるという悲劇です。なんだか日本の異国情緒をてんこ盛りにして舞台にのっけるためにストーリーを作り、「純心で高貴な日本女性を欺く薄情男はアメリカ人にしちゃえ!」みたいな作品で、そのせいかイタリアでの初演は不評だったそうですが、まあそれでもいいじゃないというのが感想です。一応、日本の高い文化や美意識は表現されているし、若き日の八千草薫は純心で高貴な雰囲気をよく出しているし…、ということで八千草薫のファンにはお勧めです。初演は不評ながらいろんな主演女性歌手で再演され続けている理由は納得できます。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2021-09-01 18:20:58)(良:1票) |
2. 地獄門
わたしの母が「芥川龍之介の『地獄門』の朗読を聞きたかったのにYouTubeで出んかった。何でやねん?」と言ったことから中国語字幕付廉価版値段並DVDを再度プレイヤーに……。カンヌ映画祭のグランプリ受賞ということで期待して購入したんですけれど……。アカデミー賞では美術賞か何かの受賞だけに止まったのも当然です。惜っしいです。盛遠が袈裟御前にしつこく言い寄って競馬で彼女の夫に挑むだけではなく、歌、蹴鞠、奏楽、舞踊、その他諸々の競技と学芸全てで袈裟御前の夫に挑戦して悉く打ち負かされてボコボコにされて「袈裟ちゃんなくしてまろの生きる意義はいかに?」と自問自答しながら死んでいくという日本平安時代版「若きウェルテルの悩み(ゲーテ作)」のストーリーにしていればきっとアカデミー外国語部門賞を取っていたはずです。これじゃまるで長谷川一夫と京マチ子のプロモーションビデオです。だから今後に期待します。因みに対応する芥川龍之介の作品は「袈裟と盛遠」と「地獄変」です。 [DVD(邦画)] 5点(2021-02-20 21:33:12) |
3. 炎の人ゴッホ
《ネタバレ》 長かった。しかも前半ではゴッホの絵はほとんど出てきません。オランダで炭鉱労働者に同情して説教師の傍ら彼らの生活を描くことから画家として出発したゴッホは一説によると売春で自分と子供との生計を立てていたという貧しいシングルマザーに振られ、ものの本によるとイギリスでも誰かに振られ、他人に対する共感性多過だと返って女性には振られやすいのかもしれませんが、彼自身それほど頼り甲斐のある男だったかというとそんなことはなかったわけで、どうせ一夫一婦の誓いを立てて身を捧げるなら、例えば画家に転身する前のポール・ゴーギャンのような稼ぐ男の方が絶対にいいです。そして弟テオの誘いで流れ流れてフランスのパリから南仏のアルル、パリ郊外のサンレミとゴッホの長い長い忍耐の旅が続くのですがこの旅に付き合って退屈させられないのはゴッホと同じくらい共感性の高い人だけかもしれず、そういう人ならこの作品に10点満点をつけるかもしれませんが、わたしは残念ながらそうではないのでこの点数です。アルルでの開放感とゴーギャンとの共同生活と苦い喧嘩別れを起点としてゴッホ特有の数々の名作が生まれるわけですが、ここに至るまでに本作品の鑑賞者が強いられる忍耐はゴッホ自身の忍耐とは比べものにならないはずなので我慢して鑑賞しましょう。絵画に生命力を爆発させたゴッホの生涯を演じたカーク・ダグラスには「迫真の名演技」を超えるものがあります。なぜならゴッホ自身が自殺を遂げてその肉体が滅びた後もゴッホが描いた数々の絵画はこの世に残り、それらに感動を覚える俳優ならゴッホの精神の軌跡を言動で表現することは絵画を見ることと同等なのです。 [DVD(字幕)] 8点(2020-06-01 02:32:11) |
4. 聖衣
この作品を初めて見たのはまだ小学生の頃だったと思います。イエス・キリストの生涯については新約聖書を子供向きに書き直したものを読んでいたものの本作品とオーバーラップする箇所はロングショットで映されるイエス・キリストの磔刑のシーンしかなく、世界史(ローマ帝国)についての知識は皆無でしたがなぜか子供の頭にもすんなり入る内容だったことを記憶しています。もう一度鑑賞してみてその理由を探るとやはり若き日のリチャード・バートンの西洋流チャンバラの負うところが多いのではないかと思います。兜のてっぺんの赤い飾りが特長的なローマ武将(護民官)がキリストの磔刑の警備に当たっていたと思ったら次のシーンで同じ格好の同僚とチャンチャンバラバラ。。。視覚的に非常にわかりやすかったです。この映画が作られた1953年にはチャールトン・ヘストン主演の「十戒」が制作され、1959年には同じヘストン主演のハリウッドの記念碑的作品の「ベン・ハー」が作製されます。日本にとって戦国時代が汲めども尽きないドラマとスペクタクル源泉になっているように、キリスト教国のアメリカではまずは聖書がスペクタクルとドラマの源泉と映画界は捉えたようです。そして日本の戦国時代を舞台とする映画作品がカオスによってその後三百年弱の江戸時代の太平の礎(いしずえ)が築かれる様を描いているように、聖書を題材とする多くの映画作品はイエス・キリストが生きた時代に原始宗教が主流だった世界に唯一絶対神の下での統一された道徳観を人類の大半にもたらす礎石が築かれる過程を描いているのです。 [DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2020-04-13 12:51:52)(良:1票) |
5. 白鳥
《ネタバレ》 結婚は誰にとってもプライベートな苦しい道のりです。相手を批判したり、自分の包容力に照らして許容したり、短所や長所、価値観などを天秤にかけたり。。。それがこと他人事、特にセレブのことになると外野の声援や批判の喧しいこと! 日本では某なんとかの宮様の娘について噂がやかましいけれど、かの王女様の立派な伯父様(はっきり申し上げてすみません。今上天皇陛下です)が皇后陛下に求婚中だった時には宮内庁職員が運転するワゴン車の後部座席に乗って皇居を脱出して雅子様とデートされたとのことです。その間、「あの皇居から出てきたワゴン車を終え!」などという事態になったら、わたしの想像では当時の皇太子殿下は登山の時に被られる縁なしのチューリップ型登山帽を目深に目のすぐ上にまで下ろし、車が赤信号で停車する度に後部の窓から覗かれても大丈夫なように座席で身を曲げて。。。 外野から見ると「ピッタリなお二人やん。行け行け!」なのですが、お二人にとっては引き返すことができない橋を渡るか渡らないかの瀬戸際で周囲の声を聞くよりは自分の心の声に耳澄ます必要があるのです。本作品のアルバート皇太子はお妃探しでヨーロッパ中を巡り、アレクサンドラの館にたどり着いた時にはすでにアレクサンドラを自分の伴侶で未来の王妃と定めていたらしいのですが、到着と同時にセレブ同士の求婚につきもののコメディーが始まるわけです。アレクサンドラの母の兄か弟が俗人ではなく修道士で皇太子のズッコケの真意を見抜いているらしいのが人物配置として面白いです。終わり近くで修道士が皇太子に「殿下の人格に敬服します。」と言い、皇太子が「加えてわたしは嘘つきでマヌケです。」というところなど、2人がくっついたら領地や屋敷はどうなるなどという俗物の関心が皆無の修道士、そしてアレクサンドラに対する愛情をひた隠しにした嘘つきでアレクサンドラの自分に対する愛情に気づかなかった自分のマヌケさを告白する純粋な人間同士の触れ合いが花火のように目に見えました。 [DVD(字幕)] 7点(2020-04-09 01:45:36) |
6. 裸足の伯爵夫人
初期テクニカラー映画に共通な映像美が見られる作品です。でも中身はというと微妙です。のっけからシーンは語り手である劇作家兼映画監督のハリーの回想ナレーションが入る薄幸のヒロインの告別式で次のシーンはスペインのマドリッドの場末の、流しのフラメンコダンサーがギタリストを連れてやってくるようなレストランということになっていますがハリー以下ロケでスペインに滞在しているらしい映画人はタクシード、女優らしい女性はイブニングドレス着用で多編成のバンドが演奏していて結構ゴージャスでした。わたしがスペイン旅行で流しのフラメンコショーを見たのはグラナダの小高い丘陵地にある本当に場末のレストランでマドリッドの高そうなところのレストランには行ったことはありませんが、ほぼ確実にアンダルシアの場末のフラメンコの方が良いと思います。ヒロインのマリアは美しいし英語もできるので権謀術数で自分のダンスを披露する縄張りを確保したのかもしれませんがそれにしても英語が上手過ぎます。平均的スペイン人の英語力は平均的イタリア人よりもずっと下手だという印象があります。インバウンド擦れしてないのです。白亜の像が墓所に捧げられる告別式のシーンと場末(?)のレストランとの対象でマリアが尋常ならぬ人気か名声を博して亡くなったことが示唆されていて以降、鑑賞者はそのアップ・ダウンの経歴を追うように誘導されるのですが、それにしてもスペイン人(もしかしたらジプシー)という設定のマリアの英語はネイティブでハリーとテキパキとやりとりし、運命に翻弄される薄幸の美女からは程遠くアヴァ・はこの役割を知的に演じすぎたきらいがあります。「北京の55日」の中で彼女が演じたロシア貴族の外交官夫人の方がはまっていました。南フランスのリヴィエラ(カンヌやニースがある地方)などの背景は文句なしに綺麗です。 [DVD(字幕)] 7点(2020-04-08 07:28:18) |
7. 十戒(1956)
むかしむかしあるところに… ヘブライ人という人々が住んでいました…。とお話を始めるのが本来なら適当かと思います。本作品はエジプトナイル川のほとりで「ファラオ(王)がわたし達ヘブライ人の男の子を皆殺しにする命令を出したけれどこの子だけは。。。」と母と娘が生まれたばかりの男の子(後のモーゼ)をバスケットに入れて川に流すシーンから始まります。ヘブライ人(ユダヤ人)はナイル川の恩恵で生産性が上がったエジプトに労働力として移住してきたようですが、この民族は他民族と異なり、原始多神教ではなく唯一絶対神を信仰し、後年世界宗教となるキリスト教とイスラム教の間接的な始祖、ひいては法律や科学の基礎を築く民族になるのです。さて、お話しはほとんど終盤までユル・ブリンナー演じるファラオがこれでもかこれでもか、と言わんばかりにモーゼとヘブライ人を弾圧する内容に終始しますが、その過程でモーゼの杖が毒蛇に変わったり、モーゼが神の声に導かれたり等々、それはモーゼとヘブライ人達が「そうだ。われわれは神に選ばれている。われわれは世界の創造者たる唯一絶対神を敬う民なのだ!」と民族の自覚を獲得していく過程なのです。そして最後近くで神からの十ヶ条の戒めを与えられたモーゼが「規則なくして自由はない!」と宣言しますが、これこそ現在、宗教を問わず国家の基本となっている法治主義の起源なのです。数々の奇跡のスペクタクルが目を楽しませてくれる作品ですが、現在先進国に住むわたし達が当然と受け取っている考え方の源流を探ってみると面白いです。 [DVD(字幕)] 8点(2020-03-29 01:17:12)(良:2票) |
8. めまい(1958)
男性と女性の脳の働きで最も異なるのは男性は思考に当たって右脳と左脳を別個に使用するのに対して女性は左右の脳の連携プレーに長けているとのことです。そのせいか女性が「彼こそわたしの運命の人!」と思って追いかける相手は大体ハズレのことが多いとか(笑)。左脳データベースに貯まっている「こういう人は誠実」とか「こういう人がわたしのタイプ」という客観的(?)情報が情動を司る右脳に影響するからだからだとか。。。 そういう目でこの作品の高所恐怖症の主人公スコティを見るとかなり女性的な感性の持ち主のような気がします。そして依頼人の妻マデリンの尾行を開始した後に彼女を追って入場した美術館で彼女そっくりな女性の肖像画の前のベンチに打ち捨てられた、肖像画の女性が持つのと同じピンクの薔薇のブーケと肖像画の前でたたずむマデリンの美しく結い上げられたプラチナブロンドの髪の渦巻。。。 監督のヒッチコックは「何の意味もなく打ち捨てられたものに恐怖が感じられるように映画を撮影する」と言ったそうですが、確かに黒猫や髑髏や短刀などのうわべだけの怖さを与えるものよりも一層恐ろしい世界が再現されていました。モノクロ映画を卒業してテクニカラーの時代に入ったモノクロの巨匠の面目躍如たるものを見ることができます。でも恐怖の源泉をカッコで括ってマデリンを追うことに専念するスコティの行動は男性的でやはり元犯罪捜査官です。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2020-03-26 11:41:00)(良:1票) |
9. 昼下りの情事
- [ ] 数年前にDVDを購入して直ぐに見て、オードリー・ヘップバーンが演じる若い音大生の女の子が奥さんと上手くいっていないらしい金持ちのおじさんに弄ばれているのか弄んでいるのかわからない展開をくだらないと思い感想のかきこみははほったらかしになっていました。そして多くの名作・秀作・佳作・駄作を見た後に再び本作を見てストーリーのくだらさを通常投稿としてクソみそに書いてあらすじも投稿しようとして「あれ!」ということになったわけです。この作品に2度目に接するまでに見た映画の中で一番影響したのは例のアカデミー賞四冠の韓国映画「パラサイト」と直前に見た「市民ケーン」だったのです。本作をもうご覧になった方で「パラ」と「市民」のどちらか若しくは両方をご覧になった方は似ても似つかない作品だとおっしゃるでしょう。その通りです。「パラ」の方は主人公が手にした風水の石がどうの、「市民」の方は薔薇のつぼみがどうので正直言って疲れました。「パラ」の石に至っては3回見たというYouTuberの動画で指摘されてやっと存在自体に気付いた始末です。そして今回の本作品の鑑賞では、白状しますが、原作者のクロード・アネという人が気になってタブレットでアマ◯ンのサイドを見たりする間に聞こえる素晴らしいBGM、そして時々顔を上げる度に画面に展開するモノクロの美しい構図の画像。。。これぞちまちました小道具に意味を持たせて解説者を頼りにする必要もない、映画が総合芸術である由縁だと感じ入ったので当初の予定より高い点数を献上。。。 ただ原作のタイトルは「ロシア少女アリアーヌ」になっていたのにどこがどうロシアなのかわからなかったのが減点ポイントです。 [DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2020-03-25 07:53:13) |
10. 蜘蛛巣城
巻頭の蜘蛛巣城跡の史跡と背後に流れる能の謡(うたい)が純日本的な雰囲気が醸し、画面は一気にタイムスリップして蜘蛛巣城があった頃の迷路の様な原始林を駆ける二人の武将の騎馬の姿に焦点を合わせる。。。ここまでを事前の情報なしに見たならばこれがシェイクスピアの戯曲に基づいていた物語だとは誰も思わないでしょう。でもわたしが読んだシェイクスピアの「マクベス」の解説書には本作品が「マクベス」の映画化作品、しかも英語圏で作られたどの舞台・映画作品よりも原作のテーマと雰囲気を再現しているといる作品として紹介されているのです。そして二人の武将が運命のお告げを聞くシーン、原作では荒野で邪教のぎしきを行う魔女、本作品では原始林で系を紡ぐ山姥。。。どちらもイギリス(スコットランド)と日本の風土と文化を反映した設定ですが魔女はヨーロッパの原始宗教の産物でイングランド人はもちろんカトリックに染まった近代スコットランド人は「おやおや、こんなのが言うことを信じたらまずいのでは。。。」と思うはず。。。でも清教徒の天地だったアメリカでも魔女狩りが行われたほど土着の異教は英語国文化の根底に巣食っているのです。かたや山姥は日本古来のアニミズムの象徴的存在です。近代の自意識や秩序への信頼感と潜在意識に巣食う原始宗教のせめぎ合いが伏線として提示され、物語は武将鷲津(マクベス)と主君との関係に象徴される近代的秩序と山姥に象徴される原始的野望のせめぎ合い、そして運命をテーマとして展開していきます。舞台を前近代のスコットランドから戦国時代の日本に移したからこそシェイクスピアが意図した人類共通の真実がより効果的に炙り出されたのかもしれないと思った次第です。 [DVD(邦画)] 9点(2020-03-13 05:18:19)(良:1票) |
11. 汚れなき悪戯
《ネタバレ》 市場に積まれたリンゴの山の中程からマルセリーノがひとつを掴んだせいでリンゴの山が総崩れに、そして驚いた家畜の牛たちが暴れ出して市場全体がドミノ効果のようにめちゃくちゃになるシーンを何十年も昔、子供の頃に見た時には見過ごしていました。そして、周囲の大人達に冷たくされた寂しさの中でマルセリーノと屋根裏の痩せたおじさんとの交流が始まるのですが、それは子供心にただただ不気味にしか感じられませんでした。 今、大人として鑑賞してもやはり不気味さは拭えません。中南米系のカトリック教徒は奇跡を信じて例えば涙を流したことのある彫刻みたいなものを拝んだりしますが、カルチャーの違いかわたしには到底理解できません。劇中のフランス兵の帽子の形からナポレオン時代(19世紀前半)以降の物語だと推測できますが、マルセリーノの死因は奇跡ではなく心臓麻痺とかじゃなかったんでしょうか?まあ、今なら明らかにもなるし話題にもなるそういったことは不問に付して神様の意思といった宗教がらみの要因だけを問題にするとしても、12人の父親よりも1人の母親のほうがいいというマルセリーノの願いがいとも簡単に叶えられるのは、市場の騒動の件で一時的に冷淡になっていたとはいえ、マルセリーノを一生懸命育ててきた修道士さん達にとってはあまりにも不公平です。 でも鑑賞後にわたしは「人は皆、理由があって生まれ、理由があって死ぬ。」というある宗教家の言葉を思い出しました。乳幼児のうちに天に召される者は周囲の人間に何かを教えて去っていくのだそうです。マルセリーノが修道士達に何を教えたのか、宗教の違いを超えて考えてみてはどうでしょうか? [DVD(吹替)] 10点(2015-06-08 00:02:25) |
12. カラマゾフの兄弟(1958)
個性的な禿髪で多彩な役柄をこなすユル・ブリンナーのファンは多いはずなのに本作品ではわたしが一番のりです。どうしても先に見たフジテレビ版と比較してしまうのですが、フジテレビ版では次男が主人公に近いのに対して本作品ではユル・ブリンナー演じる長男が中心です。特筆したいのはグルーシェンカを演じたマリア・シェルという女優さんで金髪がきらきら輝いて圧倒的な存在感と魅力がありました。フジテレビ版のグルーシェンカ(久留美)はちょっと暗すぎです。そう言えば長男ミーチャ(ドミトリー、満)もフジテレビ版では軟派すぎました。原作に重ねた場合、次男がちょっと年を取りすぎに見えるほかはすべての配役に関してこちらのほうがわたしが得たイメージに近いです。全編、言葉は英語ながらロシアの雰囲気がよく再現されていると思います。 [DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2014-09-12 08:29:27)(良:1票) |
13. アイーダ
お色気たっぷりで肉体美を見せつける女優として有名なソフィア・ローレンの天賦の美しさにもまして彼女の女優としての努力と才能を見せつける作品です。マリア・カラスに匹敵する実力を持つオペラ歌手の吹き替えに合わせた口パクは完璧で音楽の修養が稼業の中心になっている歌手とは比べようがないほど奴隷の身に余んじる悩み多き高貴な姫君の役柄を表情やしぐさを含めどんな要素を取っても、また大写しになっても完璧に演じ切っています。音楽も凱旋行進曲など超有名なもの目白押しでソフィア・ローレンとオペラファンの両方に必見の作品になっています。もちろんソフィア・ローレンの美貌と肉体美に酔いしれても結構です。劇場で見る術もなく、劇場で見たらさすが古色そうぜんのスペクタクルになってしまうかもしれないので点数は少し辛目です。 [DVD(字幕)] 7点(2014-05-23 03:06:42) |
14. 夏の嵐(1954)
ヴィスコンティ監督の作品の中では未熟という意見もありますが、なんのなんの、荘厳なBGM、貴族の邸宅の内部、ヴェニスの風景、戦闘シーンなど全て秀逸です。憎みあう敵味方の間に生まれた愛情というのはシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」以来、何度も文学や演劇の作品で表現されてきましたが、この作品では中盤頃からアップになるリヴィアの表情、特に眉間に深い皺が刻まれたハイミスの彼女の年輪とオーストリア軍人フランツの小悪魔的な童顔が何か単なる敵味方ではない、新旧勢力の象徴のように描かれている気がします。とろけるような官能を描き切ったこの作品は新旧交代をよりリアルかつ重厚に描き切った後年の「山猫」の布石になっていると思います。 く知られているようにシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」では愛し合う二人の恋は死によって完結しますが、本作品の似て非なる結末も新旧対立という観点からいろんなことを考えさせます。 [DVD(字幕)] 9点(2013-10-27 08:07:56) |
15. 炎上
「新平家物語」でさわやかな好男子としての平清盛を演じた市川雷蔵が醜い吃りの学僧をどうやって演じるのか興味津々で鑑賞しました。さわやかな目鼻立ちなど暗い演技で消えてしまう演技派俳優の面目躍如たるものがあります。原作は何度も読み返しましたが主人公が金閣寺に放火する経緯を明らかに書いたのでは面白味がなくなるし、主人公が破滅に進む経緯が丁寧に再現されていなけれは読む価値がなくなるそのバランスとお語り口がすばらしい作品です。映画のほうも負けてはいません。 [DVD(邦画)] 9点(2013-07-22 07:57:36) |
16. 白痴(1951)
映画会社の都合で大幅にカットされてしまったことが返す返すも残念な作品。特に悲劇のヒロイン那須妙子を演じた原節子の真に迫った演技は「原節子は美貌だけのダイコン」あるいは「いつでも意味不明な薄笑いを浮かべて演技する女優(注:わたしが知る限りでは小津安二郎監督の作品ではそうでも黒沢明監督の作品ではそうではありません。多分、小津の指示で作らされた表情だと思います。)」などの酷評を払拭して余りあるものです。原作未読で鑑賞した後、目下原作を約半分読破したところですが、優れた文学作品というものは優れた映画監督と俳優の手にかかると背景、音楽などが文字による説明の欠如を補って原作と対をなす別種の芸術作品になります。もしも、松竹映画会社が先々ディレクターズカットのDVDなるものが一般家庭で堪能されるようになるとわかっていたら・・・編集前のフィルムが全て残されていたら・・・黒沢に編集のチャンスが再度与えられていたら・・・その作品は10点満点になっていたと思います。嘆いても甲斐のない幻の作品と本作品それのみに対する大方の鑑賞者がつけている点数のちょうど真ん中の点数を進呈します。 [DVD(邦画)] 8点(2013-01-12 12:48:37) |
17. デジレ
《ネタバレ》 英語の原題 “Desiree”を見た時、この単語は英語の”desire(熱望する)”のフランス語の過去分詞で「熱望された女」を意味し、ナポレオンが跡取を産ませるために苦労を共にした妻ジョセフィンを離婚して一緒になったドイツ貴族の娘マリア・ルドヴィカ(フランス名マリー・ルイーズ)のことなのかと思いました。映画の内容として当たらずとも遠からずですが実は題名はナポレオンの初恋の人で彼に終生愛された女性の名前で、ヨーロッパ史上こんな人がいたとはそれまで知りませんでした。冒頭はまるで若草物語、そして田舎娘が婚約者を追ってパリに行く話・・・そしてストーリーは歴史の波に乗ってあれよあれよという間に展開します。ナポレオンの戴冠式など同題のダヴィドの絵が動いているような華麗さ!!特記したいのはデジレの夫ベルナドットの寛容さと賢さです。デジレに近づいたのは婚約者に振られた田舎娘への同情からだったかもしれませんが、その後ナポレオンを愛し続ける妻を許し、包容し続け、ナポレオンの将校として戦略上か政治上でかで誤りを犯した際は妻のとりなしでお咎めなしで終にはその自由主義の言動と人望が中立国として歩み始めていたスェーデンの王室の目にとまり、夫婦そろって国王の養子となりましたが、二人の直系の子孫が今、世界最高の学術賞ノーベル賞の授与式でのメダル授与役として毎年世界中に存在を示しているわけです。かたや跡継ぎほしさのあまり苦労を共にした妻と別れてドイツ娘と結婚したナポレオンは跡継ぎに恵まれはしましたが、自らの失脚と死の後、学究肌で真面目だったその子はドイツとフランスの両国から疎まれ監視され、不遇のうちに早逝してボナパルト朝は途絶えました。歴史っておもしろいです。 何を演じてもセクシーなマーロン・ブランドと対照的なベルナドット役の控え目な演技が光っています。 [DVD(字幕)] 7点(2012-12-12 04:02:25) |
18. 河(1951)
印象派絵画の巨匠を父としフランス映画の祖と呼ばれるジャン・ルノアール監督・製作した映画の原点と言ってもいい作品です。娯楽作品のフレンチカンカンでルノアールが試みた大胆な色彩の乱舞は姿を消し、河と埃っぽい大地の渋い色合いを基調とする画面に花や緑や光の祭りの灯火、そして生きて活動する登場人物の衣服が色彩を添えます。ストーリーも淡々としていてご都合主義の作為は全くなく、登場人物に仰々しく語らせることもありません。いや、主人公格のハリエットが劇中劇の形で語りメラニーが演じる単純なストーリーがあるのですが、結局この世界全体の全ての人生がこの劇中劇のバリエーションだというのが作品全体に流れる思想なのではないでしょうか?哲学に色彩を添えた文句なしの満点の作品です。 [DVD(字幕)] 10点(2011-09-05 22:47:50) |
19. われら巴里ッ子
《ネタバレ》 庶民から財界の大物まで多彩な役をこなすジャン・ギャバンがボクシング・コーチとして登場、コーチの奥さんは「天井桟敷の人々」で多くの男性を魅了するガランスを演じたアルレッティ、ボクサーのアンドレ役の男優も金髪の端正な容姿なので貴公子役なんかもやっていそうな感じですが、全員が上下ジャージーのトレーナーやら下町のおかみさん役や汗まみれのボクサーなんかにぴったりはまっています。ストーリーの鍵になる手の形をした金属製のチャームですが、女性が車窓から投げたようにも見えるし、右腕にしたブレスレットからポロリと落ちたようにも見え、どちらに取るかによって女性のアンドレに対する気持ちの解釈は違ってくると思います。でもそれはどちらでもいいことなのかもしれません。アンドレがうっかり落としたチャームを一度は拾って「お守りなんだろ。大切にしろ。」と言って渡したヴィクトルがラスト・シーンで同じチャームをアンドレの手から取り上げてセーヌ河(?)に投げ捨て、エッフェル塔に向かって彼を追い立てていくところなんか、「俺たちパリっ子にはいつでも未来があるさ。」と言っているようでとても好きですし、同じ監督の「嘆きのテレーズ」の非情な内容と比較してこの作品の楽天観が数倍好きです。 [DVD(字幕)] 9点(2010-06-15 07:16:56) |
20. フレンチ・カンカン
深いことは何も考えずに色彩と音楽、軽いストーリーを楽しみたい作品。ジャン・ルノアールの父の画家オーガスト・ルノアールの作品に触れたことがあれば倍楽しめるかもしれません。 [DVD(字幕)] 8点(2010-06-14 09:46:26) |