1. 麦秋(むぎのあき)
《ネタバレ》 超傑作。貧しい人々が集い、共同体となって農場を経営するという社会主義的な側面をもつこの映画は、大手スタジオが金を出し渋ったため結局自宅を抵当に入れて独力で作っただけでなく、発表後もその危険(?)な思想により批判を受けたらしい。この映画のどこが危険なのか、さっぱり分からないが、この映画が煙たがられるような時代は確かにあったんだろう。アメリカという国家が自由だと思ったことはないが、この偉大なアメリカ映画は限りなく自由である。ラストで、荒れた大地にぶっつかるように流れる怒涛の水があなた、ほんとに凄いんですから。まさに人間賛歌、大地讚頌。ぜひいつかスクリーンで観てみたい。 [ビデオ(字幕)] 10点(2006-05-30 20:51:00) |
2. 君と別れて
成瀬巳喜男松竹時代の作品。この時代にアイドル映画という概念があったかどうかわからないが、この映画は水久保澄子のための作品といっていいかもしれない。悲劇の女優、水久保澄子。その大きい目は「ミツバチのささやき」のアナのように曇りがなく、力強い。小津安二郎「非常線の女」にも魅力的な役どころで登場するが、この映画での水久保澄子の魅力はそれをはるかに凌駕している。佇まい、視線、感情の起伏。60分足らずの上映時間、ずっと釘付けだった。成瀬の演出が見事なのはもちろんで、特に素晴らしいのは電車の中で明治チョコレートを食べるシーン。ここは本当に素晴らしい。いわゆる悲恋物語であるものの、後期の成瀬のような大人の雰囲気とは一風違う爽やかさに溢れていて、これがまたいい。水久保澄子のその後を暗示させるような(考えすぎ)ラストに胸を打たれつつ、またいつかスクリーンで照菊に出会えることを祈る。 [映画館(字幕)] 10点(2005-11-25 00:57:27)(良:3票) |
3. 按摩と女
山道を歩く二人の奇妙なさま。やがて彼らが盲目であるということがわかるのだが、なんというか、自分はそのことに奇妙さを感じたのではなくて、ハンディを持つ彼らに対してこの映画は何の気も使わずに奔放に振舞わせていることに、それを感じ取った。平等という言葉を履き違え、均一であろうとすることを良しとする世の中でこそ生じる、あの吐き気を催す差別がここにはまったくない。この映画には「いき」を感じる。それはもちろん高峰美枝子が匂わす媚態にも。66分で終わってしまうには、あまりにも惜しい。でも「結局何も起こらなかった」美しい雨のラストに何度も立ち寄りたくなることは間違いない。 [映画館(字幕)] 10点(2005-09-13 01:28:57)(良:2票) |
4. 或る夜の出来事
登場人物は皆思い込みが激しい。彼らはキャプラのあやつり人形となりアンジャッシュのコント(例えが悪くて恐縮ですが・・・)のようにカン違いの渦を広げていく。見ているこっちはじれったいが面白くて仕方がない。すれ違うときこそ彼らはそのキャラクターを発揮するからだ。くっつきそうになれば当然ジャマが入る。これは完全な古典だ。古典は古い、当たり前だ。だが、古典は揺るがない。気がつくと見ているこっちがキャプラにあやつられていた。「素晴らしき哉、人生!」は正直見ていて疲れた。大団円のラストは必然としても、映画が内側から「そうでなければならない!」と、エネルギーを発散し過ぎているようで目が当てられなかったから。「或る夜の出来事」にはそんな力みが一切ない。これぞキャプラの様式美。バスの合唱シーンは最高ですな。 9点(2005-03-15 21:57:00)(良:1票) |
5. 大地
この映画、やばすぎる。この映画の主張としての労働者の苦しみや解放といういかにも共産主義的な感じの物語は70年過ぎた今、様々な形で表現されてきており、特にどうこうということでもない。しかしそんなことをはるかに超越する映像がこの映画を70年たった今もクラシックの名作として棚に残している。普段自分が自然として認識しているものと、このドヴジェンコという人が認識していた自然の格差にまず愕然とする。ドヴジェンコは間違いなく自然、大地に神を感じていただろう。アスファルトの上から大地を感じ取ることの困難、あるいは困難すら生じない現代では、この映像は既知のものであってももはや未知の映像だと思う。 [映画館(字幕)] 9点(2004-11-15 02:23:09)(良:1票) |