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プロフィール
コメント数 170
性別 男性
年齢 43歳
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1.   《ネタバレ》 
「台風クラブ」の三上君がやってのけた”厳密なる死”の約20年前、この映画の主人公:国分主将は合宿最終日に胴着を着た格好で自殺した。三島由紀夫の原作をかなり忠実に映画化した本作品は、原作以上に(原作もとても面白い)異様で、息苦しい。文字と映像との比較から言っているのではなく、そこに至るまでの立ち上げ方というか、例えば映画が映画として成立する境界があるとした時、最初に挙げた「台風クラブ」なんかはその境界を綱渡りしているような、そういうスリリングさを感じるのだけど、小説の「剣」は三島由紀夫の高度な技術によってそれが小説として見事に立ち上がる分、そこまででしかないとも言える。翻って映画の「剣」は、撮影や照明の技術、あるいは原作では登場しない文学部の女によるサスペンス的展開を用意する事によって映画の世界を立ち上げるが、その立ち上がった映画的な何かがちょっとただ事でない。国分の存在は純粋な剣道の訓練と等価であり、心理がない。また、彼を取り巻く人物もその無心理にとりつかれ、やがて規律的な運動だけがこの映画の要素となる。とんでもない映画を見てしまった。
[映画館(邦画)] 10点(2007-05-06 00:38:22)
2.  荒野のガンマン 《ネタバレ》 
色々と問題のある映画だとは思うが、この処女作ならではのタガの外れ様は圧倒的だった。冒頭の首を括る拷問とか、主人公の誤射により死んでしまう少年の登場シーンなど、インパクトの強い画面構成が印象的で、この映画自体そういうインパクトだけで繋いだような感じがする。それが作品のバランスの悪さとなるのだろうが、本能的とも言っていい求心力に何故だか惹かれてしまった。「ガルシアの首」と正反対の展開も面白い。ところで「ガルシアの首」って、見るたびに「あぁ~」って唸るしかない映画なので困る。何なんだあの映画は本当に。で、こういう映画を処女作として撮るような人間が「ガルシアの首」のような映画を撮れるんだなあ、と変に納得してしまった。あと、強盗した金で南部に軍隊を作ろうと意気込むあのおっさんの倒錯的なキャラクターは凄い。
[DVD(字幕)] 9点(2007-02-14 16:43:33)
3.  召使 《ネタバレ》 
主人-召使の関係が、あるきっかけで逆転してしまうという、ありがちなストーリーではあるが、この映画の最後では主人-召使という関係すら消え失せてしまう。ジョセフ・ロージーの映画は、まず画面を覆う暴力的な雰囲気に圧倒される。とても同じ空気を吸っているとは思えない、突き刺さるように陰鬱な場所にしかし登場人物たちは抗う事を忘れて誘われていく。「召使」におけるその陰鬱な場所はあの屋敷であり、縦横無尽な撮影の為に作られたかのような室内の、グロテスクとしか言いようのない空間、そしてそれを分断する幾つものドアが、とにかくドアが怖い。こんな恐ろしい屋敷にダーク・ボガードみたいな奴を雇っちゃマズい。その上彼の相方であるサラ・マイルズの畸形的な性的魅力が加わる。唯一地味な存在であるウェンディ・クレイグがどんだけジェームズ・フォックスを引きとめようとも無理というものだ。しまいには彼女も負の連鎖に巻き込まれる(しかも自分から)。確かに、余りに救いのない展開には思わず辟易してしまうのだけど、人物が次第に主体性を失っていくプロセス、というより場所が彼らを次第に侵食していくプロセスは何度でも見たいと思わせる。
[ビデオ(字幕)] 10点(2007-01-09 21:00:08)
4.  少女ムシェット 《ネタバレ》 
「ドリーマーズ」で一番ビックリしたシーンは、「少女ムシェット」を引用した部分だった。その映画が「少女ムシェット」という映画だったと知らなかったので、調べてレンタル屋へ行ったら置いてなくて、どうやらセルDVDとしてしか存在しないみたいだったので財政は苦しかったが買った。それ以降ブレッソンという監督の名前が頭の中にこびりついて離れない様になってしまった。ゴロゴロゴロゴロ・・・失敗、もう一回。ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・・バシャーッ!つらい。なんでつらいかというと、彼女の自殺は回転運動の結果でしかなく、回転による衣服の擦り切れや、彼女が落下する事で生じる川の波紋のような物理的なものと変わらなく感じるからである。全編がこのノリで、ムシェットの薄幸ぶりが無機質的に描かれる。それゆえにムシェットがバンピング・カーで遊ぶシーンは忘れがたい。軽快なBGMの中、ガコン!ガコン!とぶつかる車。これだけの事なのに何故こんなに楽しいのか。自分の映画鑑賞スタイルにブレッソン以前と以後というボーダーが出来たのは間違いない。
[DVD(字幕)] 10点(2006-06-21 16:34:40)(良:2票)
5.  真田風雲録 《ネタバレ》 
佐助に惚れたお霧が決めた覚悟と、それに対して笑えるぐらいに絶望的な突き放し(千姫に「要は、捨てられちゃったってこと」とまで言われる始末・・・)のこの落差は何?あるいは「勇ましく死のう!」と声高らかに歌い踊る熱狂に対して、真田幸村、大野治長が見せる余りにもコミカルな死に様。でもこの映画に限らず、加藤泰の作品はとにかく感情が動く。しかも常にトップギアのテンションで。感情の変曲点でいちいち対応できない。スピードが速いんじゃなくトルクが凄いのが加藤泰(意味不明)。優しさと厳しさと激情が同居する(「いとしさと切なさと心強さ」じゃ全然足りん)加藤泰の映画はいつだって真剣勝負。ラストは「パリ、テキサス」もビックリの草原を一人で歩く中村錦之助。参りました、としか言いようがない。
[映画館(邦画)] 9点(2006-05-12 12:29:42)(良:2票)
6.  雁の寺
これって、ある意味で「おバカ映画」のジャンルに入るのでは?あるいはお堅い文芸映画に対する川島監督独特のパロディだったのでは?ラストなんて小沢昭一が俗悪坊主として登場するわ、おまけに母雁が貼りかえられているわでこの作品に対して「なんちゃってね」と言ってるようなものだ。いかにも、といった感じの物々しいテーマや寺の荘厳さと週刊ポ○ト・週刊現○の官能小説みたいなのがミックスされた過去のシーンは、真面目な話をしている校長先生が鼻毛を出しているみたいで、噴き出したくなってしまう。この「ごった煮」感(オフビートっていうよりごった煮という言葉が良いような気がする)。つまりこの映画ってどこを切り取ってもやっぱり川島雄三の映画なのでは、と思う。ロープの演出とか、ラストのふすまを使った大胆なカット割り。そして皆さんがおっしゃる若尾文子の存在。ただ、この映画を最初のカワシマ体験にするのはちょっとリスクが大きいかもしれない。
[映画館(字幕)] 8点(2005-11-06 21:39:39)
7.  秋立ちぬ
何となくネオレアリズモ映画のような雰囲気がある。子供たちを追いかけるカメラの映像からそれを感じる。晩年の成瀬監督の作風とは少し違う、若い頃のリズムが漂っているような。でも面白いのはここで描く子供の目から見た「大人の都合」は絶対に子供の視線じゃないことだ。子供にいじめられるお妾さんがかわいそうで思わず苦笑してしまう。だからこの映画で一番描けているのはやっぱり女で、乙羽信子にしてもこのお妾さんにしてもお互いに弱い立場ながら必死に生きる術を模索している。母と女の使い分けか・・・それにしても子供たちは余りにも可哀相だ(笑)こうやって大人になるんだ、というには酷過ぎる。それでも、デパートの屋上から空を眺める少年の背中はやっぱり力強かった。
[映画館(字幕)] 9点(2005-11-01 23:49:17)(良:1票)
8.  乱れ雲
成瀬監督の作品群の中ではかなり暑苦しい部類に入る脚本だと思う。もうメロメロのメロドラマ。だから(?)なのか、成瀬監督らしさが伝わってくるのは会話のない部分だったりする。視線劇は相変わらず。司葉子が朝帰りした時の森光子のあのイヤラシイ視線は凄い。「この下世話な○○女がっ!」と心の中で叫びそうになるぐらい(ウソウソ)。前半は司葉子(ホント綺麗。話が進む度に綺麗になってくる。) の悲しさばかりが引き立つが、後半は加山雄三の哀しさ、特にラホールのくだりは笑ってはいけないと思いつつその惨状には思わず笑ってしまう。「僕はついてる人間なんです。」ってあなた。最後の津軽節も司葉子のためだけでなく、自分のためにもという部分はあるのだと思う。よって後半は完全に加山雄三サイド。この時点で成瀬演出にしてやられてしまったわけである。もっと素晴らしい作品はたくさんあるけど、「乱れ雲」はそういうのとは別の意味で好き。これが文芸座でやっていた時、ちょうど司葉子のトークショーがあった。そこで出た話で印象的だったのはラストの十和田湖のシーンでのこと。これを撮る前日、撮影も終盤という事で特別に酒が振舞われたのだが、司葉子は自分のシーンが残っているし明日の化粧にも影響が出てしまうからと遠慮したそうだ。そうしたら成瀬監督が「今日はかまわないよ」とお許しを出し、その時は監督の人柄にとても心を打たれたそうだが翌日、いつもより一生懸命化粧していた司葉子に監督から一言「今日は正面のショットはないよ」。それがあの十和田湖の美しいシーンの正体。うーん、なんて人だ。
[映画館(字幕)] 10点(2005-09-02 15:30:01)(良:2票)
9.  乱れる
過ごしている時間の速度が全然違うな、と思った。東北まで1日以上かかる電車に二人で揺られたから高峰秀子は途中の温泉街で下車する決断を下せたのだと思う。「はやて」ではこの映画は成り立たないのである。電車のシーンからラストまでの展開は本当に息を呑むシーンの連続で、最後のクローズアップは呼吸が止まる。それにしても加山雄三よかったなー。今まで「サライ」とか若大将的なイメージしかもってなかったのだけど。加山雄三が飯をいっぱい食うだけで楽しかった。そして「ぼかぁ義姉さんが好きだ!」と言わせるほどの高峰秀子のけなげな後家ぶりに胸が痛くなる。あのシーンの時だけ茶の間の雰囲気はガラリと変わり、そこから物語は一気に転調する。だがこの映画、それまではドタバタ劇のような語りが進行する。スーパーの宣伝カーをまるで死神の襲来のように見つめる商店の人々のまなざしには思わず笑ってしまう。彼らにしてみれば笑えない事態なんだけど、笑えない事を笑いにする事にかけて、成瀬監督のセンスはとにかく冴え渡る。喜劇とか悲劇とかいう枠組みを越えて、人間の滑稽さ・あわれさや戦後の家族のあり方を背景におきながら、映画的興奮を常に喚起させるその圧倒的な才能。この映画は成瀬の映画の中でも飛びぬけてお気に入りです。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-21 14:41:43)(良:1票)
10.  パリところどころ
「ヌーヴェルバーグところどころ」と言ってもいいこの映画。オムニバス形式で、パリの人間模様を色々な視点から眺めるというのが表面にあるが、その中身はやはりヌーヴェルバーグの勝利宣言めいている。時代の寵児となったゴダールを始めとして、6人の監督が短編の中でやりたいことをやりまくり、怖いもの知らずの雰囲気が作品を包む。要はどの作品も凄くトンがってる。その中で圧倒的な出来だと思ったのは、ジャン・ルーシュという人の「北駅」という作品。わずか15分程度の小品ながら人間の(男と女の)本質に迫る、ワンシーン・ワンショットで撮られたこの作品は、「10ミニッツオールダー」のヴィクトル・エリセの傑作と同様に短編という制限がまったく枷になっていないどころか、その短い時間の一秒一秒が更なる強度をもち、息苦しいほどに映画のエッセンスが詰め込まれている。こういう映画をこそ、スタイリッシュな映画というのだろう。些細な事が次第に重大な意味を持ってくるようになる過程、そしてそんな出来事すらパリでは一風景として切り取られてしまうような無常感がたまらない。ゴダール、ロメールなどの作品もそれなりに面白いが、ジャン・ルーシュのこの作品は「パリところどころ」においては別格だろう。この人、2004年に交通事故で亡くなったらしい。
[DVD(字幕)] 8点(2005-06-20 01:51:28)
11.  からっ風野郎
やくざが主役の映画となれば、我々が注目するのは彼らが一体どれだけ壮絶な死に方をするか、だ。そして女たちが彼らにどれだけ激しく振り回されながらそれでも男を愛し続けるか。と、こういう外までにおいが届きそうなとんこつラーメン風の映画はあまり好きではなかったのだが、この映画はあっさり風味で、テンポが非常によい。とんこつラーメンの特徴である食ったら止まらない中毒性も備えたままだ。なんでそうなったかというと、考えられるのは三島由紀夫や若尾文子のアップが殆ど無かったことだろう。それが役を演じる人間だけが目立つのではなくて役そのものに魅力を与えていることにつながっている。ていうか三島由紀夫かよ!?と初めはビックリしたが、時間が経つととんこつの臭みが良いにおいになってしまうのだから増村マジックといったところか。ラストもお見事。御馳走様である。
8点(2005-02-08 18:01:23)(笑:1票)
12.  イージー・ライダー
自分はバイクにはあまり興味は無いが、この映画には大いに興味がある。というのもこの映画は全編通してうさん臭さが漂いまくっているからである。それにもかかわらずここで描かれるアメリカの暗部はマイケル・ムーアが暴くアメリカの暗部以上に、グロテスクに体内に入り込んでくる。田舎の町の喫茶店でのシーンなんかは、あれはどういう人たちかわからないが、明らかデニス・ホッパー一行を現実にも憎んでいたのではないかと思うぐらいの表情だった。そしてなんだかわからないうちに、衝撃的な結末へと向かう。空撮をボーっと観ながら、この映画がうさん臭いのではないことがわかった。むしろこの映画はうさん臭さを表現することに成功したのだと。
9点(2004-09-24 02:28:41)
13.  怪談(1964)
日本の中世は貴族の豪華絢爛さと同時に芥川の羅生門のような地獄絵図をあわせもっていて、この間の溝からはいつも何かが出てくるような、何かが出てきてもおかしくないようなそんな気にさせる。島国という地形的条件が外部との接触を疎くした分、内部を病魔が巣食ったのか。病魔はやがて異形となって見えるものたちには恐ろしい姿で、時には魂を奪っていった。それらは噂話となって荒廃した京都や貴族がひしめく宮殿に伝わった。当時の彼らにとってはそれが現実にはウソとしか思えないものであっても真剣な問題だったに違いない。全然映画の説明になってないが、この映画の素晴らしさはこういう時代を生きた人々の姿勢というか生き様がとてもよく伝わってくる。彼らの懸命さに痛々しさを覚えた。これがまず一点。次には時代を超越した美術がある。巨大セットで空までもセットの一部になっている。耳なし芳一ではこの点が凝縮されている。陰湿になりがちな日本の怪談をこれだけ幻想的にできたのは異形から美を見出したという美意識のこだわりのおかげだろう。そして音楽。この物語と視覚世界を装飾する音楽・音響には無類の映画好きでもある武満徹が担当している。これがまた絶妙。断続的に音楽が生成されていく。「怪談」をして、映画が総合芸術の結晶であることを認識する。
[映画館(字幕)] 8点(2004-08-15 01:02:48)(良:3票)
14.  気狂いピエロ
ゴダールをこの映画で初めて知った。借りてみようと思った動機は変わったタイトルとジャン・ポール・ベルモンドの青塗りの顔のパッケージ。何も知らずに見たため苦労し、また驚きもした。大量の引用されたテキストをサッと流すスピード。文字はこの映画ではヴィジュアルであり、文学臭や哲学臭がしない。というか自分がそれを拒否したからかもしれない。それよりもリズムという要素が強いと思った。2人の主人公と一緒に拍をとり続ければ、海と溶け合う太陽の見え方はきっと変わると思う。
[映画館(字幕)] 9点(2004-06-29 23:26:15)
15.  2001年宇宙の旅
高校時代に何かの授業でこの映画の前半の人類の夜明けを見せられた時、言葉では説明できない得体の知れない恐怖が襲ってきたのを良く覚えている。数年後、軽い気持ちでビデオで借りて全編を見た。鼻で笑うことによってまったく理解の出来なかった心境を取り繕うのが精一杯だった自分に、新たな映画の見方が必要としていることを悟らせた。その半年後、新文芸座の巨大スクリーンで観たときに待っていたのは映画館に居ながらにして宇宙空間を共有出来た開放感と、人類の起源やその回帰を瑞々しい程に表現した「ツァラトゥストラかく語りき」の音楽であり、要するにキューブリック抜きでは自分の映画史(そんなに大げさなものじゃないけれど)は語れないのである。
[映画館(字幕)] 10点(2004-06-15 23:44:43)
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