1. アウトロー(1976)
ツバ汚っ!しかも黒っ!いくらアウトローだからって、ビーフジャーキー喰らい過ぎです。だが、この映画は相当素晴らしい。段々仲間が増えていく過程なんて見ているだけでワクワクするし(インディアンの女子が最高)、イーストウッドのギラギラ振りも相当なもの。ソンドラ・ロックが、清純そうに見えながらしっかりイーストウッドを誘惑しているところも面白い。場面としては中盤の川流しのくだりが堪らない。帽子をかぶったおばあちゃんのカッコよさ、南北の歌を歌い分ける漕ぎ手のオッサンの軽薄ぶり、イーストウッドの一発の銃弾でピンチを簡単に切り抜けてしまうというオチも効いている。「サンダーボルト」のジェフ・ブリッジスを想起させずにはいられないサム・ボトムズの繊細な表情の変化も良かったなー。見所のみで構成された実に豊かな画面の中を生き生きと動く人物、体内には映画の血が流れているとしか考えられない。中でも最も濃い血を持つであろうクリント・イーストウッドが監督した、傑作としか言いようがない作品。 [DVD(字幕)] 9点(2006-11-24 22:45:27) |
2. まわり道
《ネタバレ》 ヴェンダースの作品特有のまなざしである、いわゆる天使の視点は、「まわり道」においては見受けられない。曇天の空撮から始まり、リュディガー・フォーグラーが窓を割る時のあの音、そして拳から流れる血、これらは小説を書けない作家の過剰な自意識というよりは、作品全体を包み込む否定――「まわり道」の原題は「間違った動き」という意味のドイツ語である――として画面に焼き付いている。ロードムービーとして想起されるような典型事象は、「まわり道」では発生しないだろうし、発生してもそこには必ず「~ない」という否定が絡まりつく。どうやらドイツという場所が悪さをしている。旅というのは端的にいえば移動に他ならないが、リュディガー・フォーグラーの移動は旅へと再変換できないような不可逆性を前提としており、彼が途中で出会う人たちとの関係性の変化がそれを物語る。ドイツを巣食う地霊は、人物から旅がもたらすセンチメンタリズムを奪い、純粋な移動(ただし、間違った動き)へと人物を導く。やがてリュディガー・フォーグラーは出会った人々と別れ、ツークシュピッツェ山頂へと登り、そこで奇跡を待つも、結局何も起こらなかったと述懐する。そんな彼を突き放すように登場する真っ赤な「FALSCHE BEWEGUNG」という題字。隙のない暗さの連打がまず圧倒的なのだが、その暗さを画面として表出するヴェンダースのセンスにはウットリする。痛々しい終わり方ではあるが、曇り空の無い高所で途方にくれるリュディガー・フォーグラーを捉えたラストショットは、ヴェンダースのあの天使の視点だったように思う。 [映画館(字幕)] 9点(2006-11-22 20:11:47) |
3. 暗殺者のメロディ
赤狩りによって国外へ逃亡し、その後一度もアメリカへ戻らずに生涯を終えたジョセフ・ロージーが、裏切られた革命家レフ・トロツキーの最期を描くというフレーム外の凄みに対抗するように、豪華出演陣の熱演およびメキシコの鈍い大気がフレーム内でひしめいている。体感温度がどんどん上昇していく感じ。アラン・ドロン以上の存在感を出したトロツキー役のリチャード・バートンが良かったのはもちろんだが、妻役の人がこの映画では特に良かったように思う。トロツキーが自宅で自らの声明を録音している時に突然窓が開き、庭の風景と共にその窓を開けた妻が現れ、トロツキーは続けて妻への愛情を録音するという、おそらくこの映画で最も美しいシーンでも、慎ましやかに登場しながら笑顔で静かに画面から去っていくのだが、革命家の妻であるということへの絶望を背負いながらもそんな素振りを少しも見せずに良き妻であり続けるという姿勢が見事に表れていると思った。闘牛の衝撃的な死に様と政治状況を重ね合わせるような骨太演出もさることながら、上記で挙げたような繊細さや、他にもアラン・ドロンとロミー・シュナイダーが船の上で戯れるシーンの瑞々しさ等、本作は映画の誘惑で溢れており、アナーキスト:トロツキーの映画としてよりもむしろシネアスト:ジョセフ・ロージーの映画として見ることで記憶されるべき映画なんだろうと思う。 [DVD(字幕)] 9点(2006-08-20 03:10:50) |
4. 荒野のストレンジャー
西部劇異聞みたいな感じの不思議ラストである。西部劇という舞台が持つ場所感覚は魂の彷徨みたいなベクトルをすっぽりと受け入れるようだ。どこまでも広がる荒野は確かに地獄であり(COWBOY FROM HELLって歌もあるし)、この映画では小さな水辺の集落がその地獄の舞台となる。イーストウッドがならず者を撃ち殺しすぐさま女をレイプする野獣のごとき姿を見せるという冒頭からシャレにならない展開。そして村を赤く塗りたくって「地獄」と変えてしまうイメージ感覚もビックリだが、この映画が本当にシャレにならないのは切り返し構図の強烈さである。特に終盤の炎に囲まれた復讐シーンでイーストウッドが鞭を放つ画と叩かれる男の画はこれだけでご飯がすすむ、みたいなよくわからないがそれぐらいの鮮烈な画面であった。近年のイーストウッド作品がもたらす、開き直りともいえるぐらいの恐ろしい歪みがここにあるのかどうかはわからないが、イーストウッドイズムがとってもよく溢れた必見の作品だと思う。 [DVD(字幕)] 9点(2006-04-10 20:03:09) |
5. 緋牡丹博徒 お命戴きます
説明不能の面白さ。この映画がどうして面白いのかわからない。カッコよすぎる鶴田浩二が殺されて組の者たちが泣き伏している中、藤純子以外の照明が落ち、独白を始める。ここから先、この映画は奇妙な方向へと向かう。それまでは仁侠の世界と明治時代という背景がバランスよく進行していくのだが。この進行を一本の大きな幹とするなら、前述したシーン以降、ブワッとその幹が枝分かれする。陸軍大臣をブン投げるあたりからその枝分かれは一気に加速し、また絡みつきながら向かうべき終末であるチャンバラで再び一本の幹に収束する。こうやってダラダラ書いていっても何故面白いのかまでたどり着きそうにない。逆に言葉で説明するほど遠くなる。とりあえずわかったのは映画に思想も哲学も物語もいらないということ。映像美だって本来いらないものかもしれない。いや、ウソ。やっぱりこれらは必要なものである。ただ、私が言いたかったのは、そういうものがなくても映画を作れちゃう選ばれた人間はごく僅かに存在している/していた、ということだ。 [映画館(字幕)] 9点(2005-06-18 23:41:33) |
6. サンダーボルト(1974)
巨大な兵器を人に向けるのではなく、銀行の分厚い壁を破るためにぶっ放すというストイックさにやられた。アクション映画なのにカット数が異常に少ない。一発のカットだけで緊張感なり叙情を生み出せる力量を感じる。とにかく男の友情に対する描き込みが分厚い。それに対し対照的すぎる思春期の中学生ばりの画一的な女性観。とにかく欲求がストレートである。そしてクリント・イーストウッドのカッコよさ。ジェフ・ブリッジスも映画内で言っていたが牧師とはたいしたもんだ。祈祷とカーチェイスを同時に味わうという超映画的な悦楽がここにはある。ともするとこの映画からはホモセクシャルの香りを嗅ぎ取る人もいるだろうが、そう捉えるとこの映画は酷くつまらないものになってしまう。これは欠損の映画だ。何の欠損でもいい。金の欠損でもあるし、身体の欠損でもあるし、関係の欠損でもある。巨大機関銃を壁にぶっ放すという行為ですら欠損である。この映画をひたすら称えたいのは、アクションという強度を求めるジャンルの中からあえてこのような「弱さ」を提示したからである。「サンダーボルト」に西部劇の精神の継承を見た気がした。これが本当に長編1作目?ラストの高級車での二人の会話と、物語を見事に象徴するタバコの使い方にひたすら感動していただきたい。映画は女と銃と車があればできると偉人は言ったが、タバコも忘れてはならないね [DVD(字幕)] 9点(2005-04-18 07:48:15) |
7. 1936年の日々
観客から笑い声が聞こえる。あのアンゲロプロスが笑いを取るとは・・・これは、ブラックコメディとして捉えればいいんだろうか。どんな作品かというと、ギリシャの独裁政権がどのようにして成立したのかを描いた、ギリシャ現代史三部作の1番目で彼の劇場公開作品としては多分2番目。後に続く「旅芸人の記録」と「狩人」があまりにも凄すぎて、この映画はアンゲロプロスとしては物足りない。この人はブラックコメディに収まるような人じゃないわけで、本人もこういう形になることをあまり望んでいなかったのでは、と思う。(この映画以降の作品は、どれ一つとして見えやすい形としての政治を提示せず、まずは「別」を撮る。政治や国家といった具体的問題は見えない/見せない部分に突然現れてくるようになり、それが余計に主題を深めている。)話としてはあまり面白くないが、やっぱり映画としての絵を作る事には相当こだわっている。序盤の刑務所の広場を挙動不審に歩き回る大量の囚人達のシーンや、鉄格子を囚人全員がカタカタと鳴らすシーン、ラストの処刑シーンでの遠景、そして夜中の刑務所360°ショットの緊迫感。そして彼のカメラに収まる人間はやっぱり皆アンゲロプロス的人間になる。この貴重な映画をスクリーンで観ることが出来たのはよかった。 8点(2005-03-18 16:49:14) |
8. 狩人
歴史に対する静かな反抗をこの映画に見た。旅芸人にしてもアレクサンダー大王にしても、歴史から零れ落ちた者たちによる一大絵巻がそこでは繰り広げられていた。「狩人」ではそんな忘れ去られた亡霊が、止まったままの時と共にパーティーにおける最大のショーを演出する。生者と死者をいとも簡単に交錯させるセンスに震えが止まらなかった。「切り返し?そんなのカメラを180度回せばいいじゃん!」と、言ったかどうかわからないがアンゲロプロスはこだわりの人だ。そんな彼の精神の最も尖っている部分がこの映画には良く出ている。見る側に置いてけぼりを食らわすかのように不可解な展開が襲う。眠くなるのは大抵この瞬間である。でも、目の前にはどこでも見ることの出来ない贅沢なロングショットが・・・ って、久しぶりにこの映画を再見したけどやっぱりスゲー。ヒッチコックの「ロープ」をやっていたのには改めて驚いた。この人はやっぱり「映画の人」だ。 [映画館(字幕)] 10点(2005-03-17 12:52:13) |
9. 旅芸人の記録
時間はこの人にとってあまり重要ではないのだろうか。いつも同じことが起きていた(場所)こそが彼にとって重要なのだと思う。記憶から思い出されるのは時間ではなくていつも場所である。時間の旅行が伝えているのは常に不変だった場所だ。ただの場所ではない。記憶としての場所と歴史としての場所が彼の映画ではいつも混在する。そしてここから人物は登場しているかのようだ。人物が、場所から発生しているというのは非常に重要な事で、というのも、アンゲロプロスが生み出す神話的空間の磁場によって時間を越えた普遍性が彼らに与えられるからだ。旅芸人たちには神話の人物名が与えられている。長い時間をかけてさえ、場所が創り出すギリシャ的なものは変わることがない。だが、それではまだ半分足りない。ギリシャはギリシャという場所であると同時にバルカン半島という場所に包まれている。ギリシャ的なものが内なる力だとすればバルカン半島は外力だろう。バルカン半島は民族同士の争いが絶えず、当然ギリシャも巻き込まれた。この辺の歴史は、もう何が何だか分からない。政権交代、内戦、外からの侵略、虐殺・・ひたすらにこれの繰り返し。この凄惨な歴史を語るためにはそれなりの語り手が必要だった。アンゲロプロスが旅芸人に託したもの。それはまさに吟遊詩人の役目だったのだろう。「ヤクセンボーレ!」と叫ぶあの曲の悲しみはもはや言葉で表現などできない。吟遊詩人でありながら、ギリシャ市民が味わった悲劇を彼らも当然味わっている。[DADA]さんが指摘するように遠景の長回しでゆっくり歩く彼らはギリシャの一般大衆でもあり、ここから彼の映画で重要な要素となる大衆と音楽の交差が見えてくる。こんなに贅沢で思索にも富んだ娯楽映画はない。最初に時間はあまり重要ではないと言ったが、例外が一つある。冒頭とラストのシーンだ。全く同じ構図で同じセリフなのにもかかわらず、見る側は全く違う印象でこのシーンを見つめることになる。4時間の長丁場がまるでこのシーンでの時間と空間の再会の為に用意されているのではないかという位の仕掛けだった。映画叙事詩の最高峰。 [映画館(字幕)] 10点(2005-03-03 12:32:13)(良:1票) |
10. 特別な一日
誰もいなくなった団地。管理人のおばちゃんが大音量で流すナチスの集会の放送だけが聞こえるその団地での、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニとの出会いは、既に諦念によって包まれており、そこにはあらかじめ決められたかのような不可能性があるばかりだ。ラジオから流れる「軽さ」と、カメラの前で繰り広げられる特別な一日の「重さ」が同時進行していく、その緊張感は見事としかいいようがない。 ラスト、少しずつ電気が消され暗くなってゆく室内は、特別な一日が終わりを迎えた事を示すだけでなく、さっきまで「軽さ」であったはずの戦争は生活に直接影響する「重さ」へ変わり、二人の出会いは風船のような「軽さ」へと変わる。ソフィア・ローレンに残されたのは三銃士と修理された電球だけだったが、それは消えてしまいそうな軽さの為に欠かせない、錘なのだった。屋上でのシーンとともに忘れられない映画。 [ビデオ(字幕)] 9点(2004-12-07 01:22:26)(良:2票) |
11. アギーレ/神の怒り
例えばドラクエをやってて深いダンジョンに準備万端で突入したものの、凶悪なモンスターによって次々に仲間を失いながら、気がつけばリレミトを使うMPも残っておらず、それでも奥深くへと進んでいくときの孤独な勇者の心境。アギーレは決して狂ったわけではない。蜃気楼を追い続ける砂漠の旅人である。自分の大志の実現に1mmもの疑いを抱いていない。夢の実現と狂気の関係は笑いとホラーの関係と比例する。そして狂気は笑いの延長線上にある。しかし映画としての面白みはあまりない。これは「フィツカラルド」にもいえることで、ヘルツォークが作る人物にイマイチ魅力がない。こういう人はドキュメンタリーの方が面白いものを作れるんじゃないかと思う。 [ビデオ(字幕)] 8点(2004-08-31 16:33:56) |