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プロフィール
コメント数 170
性別 男性
年齢 43歳
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1.  恐怖分子 《ネタバレ》 
「この世界には恐ろしいことがひとつある。それは、すべての人間の言い分が正しいということだ」、言うまでもなくジャン・ルノワールの、というか映画史上の大傑作「ゲームの規則」でジャン・ルノワール自身が放った言葉だが、その言葉の恐ろしさを絶対零度の冷たさでもって体現した作品がエドワード・ヤンの「恐怖分子」だと言えるかもしれない。優しさなんて、この映画には1ミリもない。優しさをみせてしまった者には過酷な運命が待ち受ける。そんなゲームの規則が繰り広げられるこの恐るべき映画、にも関わらず、いや、だからこそ見終わった後に実感する生の充足。「生きる」ではなく「死にたくない」へと向かう方向性に、クリント・イーストウッドのこれまた恐るべき「ミスティック・リバー」が思わず重なる。ラストの嘔吐には、新たな恐怖分子の誕生を想起してもいいかもしれない。しかしそれよりもなりよりもこの嘔吐する女である。嘔吐する女といえば、これまた再び恐るべき「ヴァンダの部屋」において、ヴァンダが激しい咳をしていると突然ゲロを布団に吐きだすシーンが鮮烈だったが、この「恐怖分子」の嘔吐の場面もまた忘れがたい。布団から上半身を起こした時に見せる定まりのない目線、そして突然口元に手を押さえそのまま体を床の方へ折り曲げるまでの一連のアクション。こうして吐き出された吐瀉物は(といっても画面上には出てこなかったのだが)、風呂場にて自死を遂げた男の後頭部から脳漿とともに垂れる血液のような粘性を持っていただろう事は容易に想像できる。
[映画館(字幕)] 10点(2008-01-10 22:31:13)
2.  カンヌ映画通り
「書かれた顔」や「トスカの接吻」等を見れば一目瞭然なのだけど、ダニエル・シュミットの映画に登場する老人は凄い。単なる数字的な加齢では説明の付かない老いがそこにはあって、何か怪物的な雰囲気が、いや、怪物だって人間の創造物に過ぎず、なんというか、物理法則の影響下から解放された特権階級みたいだ。というのも、この映画に登場するキーラ・ニジンスキーという老女が小さい頃、彼女の父つまりあの偉大なバレエダンサーであるニジンスキーが空で止まっているのを目の当たりにしたというエピソードが印象的だったからで、それに加えてキーラさんも信じられない身のこなしでダンスを披露するものだから・・・また、彼女とこの映画の主人公であるビュル・オジェ(彼女は「天国の門」を観る事が出来たのだろうか?)とが交わす視線が作り出す空間や、この映画の中で進行しているカンヌ映画祭と、ビュル・オジェがオペラグラス越しに見る昔のカンヌ映画祭との距離にみられるいかがわしさ、つまり本来交わらないものが何食わぬ顔で交じりあうダニエル・シュミット的な邂逅。最高です。ビュル・オジェ、当時42才。見えん。
[ビデオ(字幕)] 9点(2007-06-22 20:07:09)(良:1票)
3.  ピーター・フォークの ビッグ・トラブル
カサヴェテスとは波長が合わない。というのは作品についてではなく、鑑賞機会についてである。何故かカサヴェテスの映画を借りると、その時に限って忙しく、結局見れずに返却というパターンが多い。彼の作品は総じて上映時間が長いのも原因の一つ(ちなみに、アントニオーニも何故か全然見る事ができない)。というわけで短い部類に入る「ビッグ・トラブル」をレンタルして意地で鑑賞、で、これがまたカサヴェテスの遺作でありしかも本人的には気に入っていないらしいのだが、いやいや、全然おもろいです。後半、思いっきり路線変更してるが、遺作にしてこの逸脱ぶり。しまいには最後にわけわからんパーティが・・・で、これがまた楽しくて。普通に撮ってるように見えて、全然普通でない。特に顔面のクローズアップが、なんというか、良い。うまく言えないが、要するにこの映画はビッグ・トラブル、極めて映画的なビッグ・トラブルなんだと思う。 【追記】自分で書いててなんだが、何書いてんのか意味わかんねー(笑)何だよ、映画的なビッグ・トラブルって・・・・・
[DVD(字幕)] 9点(2007-02-01 23:23:32)
4.  ラルジャン
魂消ちゃいました。
[映画館(字幕)] 10点(2006-08-04 19:18:01)(笑:1票)
5.  殺人に関する短いフィルム
キェシロフスキの作品で一番強烈な印象を残すのがこの「殺人に関する短いフィルム」。ちょっと前にテレビでやってたので久々に見た。内容はタイトルが全て物語っている。殺人に至るプロセスと、その後の行き着く先(ここでも「殺人」が執行されるのだが)を綴るという、簡潔ながらその簡潔さの余り鑑賞後はフィルム上で起きたことが理解できない、それぐらいにショッキングな映画であるとも言える。まるで映画の理由付けのように次々と連関していく運命の図式には少々うんざりするものの、ポーランドという北欧の質感に殺人を犯す青年の心象が溶け合ったような不安で悲しい風景と、対照的な2つの殺人が残す何ともいえない異物感はこの映画独特のものだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2006-04-12 12:45:59)
6.  右側に気をつけろ
話はよくわかんないけど、この映画を見るとなんか元気が出る。車や飛行機の黄色が良い。この映画を機にリタミツコのCDを聞いてみた。普通、サウンドトラックとして販売されているCDを聞くと、その場面が浮かんできたりするものだが、このCDに関しては「右側に気をつけろ」のあの音楽とは全く別物の気がした。リタミツコの曲はとても気に入ったけれど、「右側に気をつけろ」のリタミツコの音楽はなーんか違う。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-29 01:35:54)
7.  神田川淫乱戦争
「ココロ、オドル」という短編を見たことがある。山中に住む遊牧民らしき人々のところに浅野忠信がやってきて、そこで争いや理解が繰り広げられるという話だ。って、書いてて全然具体性がない。それぐらいに不思議な映画だったのだが、なんか忘れられない。この棘が引っかかったまま黒沢作品はその後見てなかった。で、これ見てみたんだけどその棘はさらに奥深くに入ってしまった。え、これピンク映画でしょ?なんでゴダールなの?あの浪人生の部屋なんてモロにゴダールっぽい。それ以前に全員キャラクターがぶち壊れてる。しかし、これで不思議なのは映画としてこの淫乱戦争が完全に成り立っているということ。ピンク映画だから当然カラミもあるが、この映画には性欲を発散させるものはこれっぽっちもない。むしろ発散するのは感性といっていいかもしれない。虚構とか破綻といったものが全部味方になっているように感じた。最後の格闘シーンなんて、これが意図して作られた絵だと考えると恐ろしい。何一つ無駄なカットも無かったし、違和感のある構図もなかった。あのテンションをカメラが追いかけているにもかかわらず、である。
[DVD(字幕)] 8点(2005-05-08 01:44:06)
8.  キング・オブ・コメディ(1982)
BSでたまに放送しているハリウッドスターのインタビュー番組で偶然にスコセッシが出演していて、「太陽は好きですか?」と聞かれて「大嫌いだ」と言い、「じゃあ南の島なんかも?」と続くと「気が狂ってしまうよ!」(ヤヤ誇張アリ)。これ聞いてスコセッシが好きになった。しかもこの時スコセッシはスゲーいい顔してた。非生産的な人間は手加減を知らない。ちょっとでも方向を間違ったらヤバイ。このエネルギーがスコセッシ映画では美学になる。抑えの利かない屈折したエネルギーが「タクシードライバー」のトラヴィスを創り出し、「一夜の王」ことパプキンを創り出した。どっちも根底には同じ人間性を抱えてるが、パプキンの狂気はより複雑に表現されている。それは笑いと狂気と恐怖が「一緒くた」にされている感じに近い。いや、この3つはある条件では同義ともいえる。戦争映画はこの条件に一番あてはまるだろう。例は挙げるまでもない。ホラーは笑いという意味ではちょっと薄いがあてはまるものはたくさんある。で、スコセッシはコメディの中にこの3つをあてはめた。結果的に芸能界というヤクザな世界とスコセッシの負の力は怖いぐらいに調和し、デニーロはやっぱり天才だった。それにしても、オスカーに焦がれたスコセッシが大作ばかり作るのも、この「キング・オブ・コメディ」の延長線上にある事なのかもしれない。
[DVD(字幕)] 8点(2005-04-14 07:49:41)
9.  ツィゴイネルワイゼン
どこかの映画館で「ツィゴイネルワイゼン」と「陽炎座」の2本立てという魅力的な企画があって、清順を未見のままにしていた甲斐があった!ということで飛びついた。が、その日は上映開始からすでに眠かった。これはちょっと無理かな、と睡眠モードに入ろうとしたが、映像がすでに夢うつつ。しかも強烈な切り絵を連続したような不可解な繋ぎと意味不明な登場人物たちに吸い寄せられてしまい、夢を見ながらギリギリ覚醒しているような状態で4時間を過ごした。そのおかげで、いまだにどっちがどの映画なのかよくわからない。言ってみれば「ツィゴイネル座」なのだ。ここのレビューなどを見て何とか分離させようとしたがやっぱりダメ。花束から綺麗に花びらが散ったかと思えば山奥へ原田芳雄の夫妻を訪ねるシーンが出てくるし、まつげを舌でなめられたのは松田優作だったような気がするし・・・でも、これでいいような気がしてきた。だってセイジュンだし。事実、「ツィゴイネル座」は私にとって最強の幻想映画なわけで。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-07 17:03:20)(笑:2票)
10.  サンタ・サングレ/聖なる血
スプラッタB級ホラーの香りをプンプンさせつつ、マザーコンプレックスを象徴する両腕の喪失と、父から与えられた胸の刻印による呪縛からの解放がストーリーの主軸となる。両腕の喪失と書いたが腕が無いわけじゃない。親父に両腕を切られた母親の腕代わりになっているのだ。母の仕草にあわせ息子が後ろから手を動かす姿は滑稽だがある意味怖い。主人公である息子は血を求める母親の代わりに殺人を重ねていく。メチャクチャな話ではあるが、ホドロフスキーは複雑な心理描写を排除してありのままの人間を描いている。奇形の人々や障害者が沢山登場するが、そこに違和感は全くない。欠けている部分が見えやすいかそうでないか、ただそれだけなのだ。見えやすいというのは明るさでもある。南米を意識したと思われる舞台の熱気と共に、彼らは激しく躍動している。とは言うものの皆さんがおっしゃるとおり、この映画は「エル・トポ」程の衝撃はない。ないのだが、僕はこっちのほうが感動した。スクリーンで見たというのもあるのだろうが、この映画にはとても気に入ってるシーンがあるからだ。胸にフェニックスの刺青を父親に彫られた主人公・フェニックスにひそかな思いを抱く少女が、傷ついた彼の胸に手を当て、鳥の翼のように羽ばたかせるパントマイムのシーンである。ちなみに少女は聾唖であり言葉を交わすことは一度もない。最初と最後に、見事なタイミングでこのシーンを持ってくる。映画が詩になる一瞬をここに見た。素晴らしい映画をありがとう、ホドロフスキー。
9点(2005-03-17 17:01:29)
11.  緑の光線
終盤出てくる「LA RAYON VERT(緑の光線)」の看板。思わず「おぉ」と声が漏れてしまいました。ラストは是非見ていただきたい。ロメール映画は食わず嫌いでしたが甘かったです。北欧から男目当てでフランスにきたブロンドの女や、主人公を慰める女友達とその家族など、ネタも存分にあふれてるし。この映画に限らず、彼の映画での登場人物たちの会話のやり取りは、リズムも間も天才的。そんな中でも「緑の光線」は特に好き。
[映画館(字幕)] 10点(2005-03-10 13:44:02)
12.  霧の中の風景
完璧。もう一度言っちゃおう。完璧。映像も音楽もストーリーも、とにかく全てが。個人的にはいろんな意味でぶっ飛んでるギリシャ現代史三部作とか「アレクサンダー大王」のほうがアンゲロプロスの人間性を感じられて好きだが、「霧の中の風景」はかなり特別な存在だ。これの前の作品は「蜂の旅人」という非常にパーソナルな映画で、この映画からは老いを疲れるぐらいに感じたのに、数年後の次回作がこれだ。一体何があったのだろう。時空をまたぐ歴史語りに疲弊して旅に出た老人が、沈黙の詩人になって帰ってきた事は確かだ。ちなみにこれ以降は国境線上の夢遊病者になる。「霧の中・・・」に関しては色々と書きたい事があるが、一番重要と思われるのは、アンゲロプロスもまたこの二人の子どもたちのように原郷を探していたのだろうということだ。そしてこれが一つの答え、なのかどうかはわからない。というのもあそこがその場所なのだとしたら、それはこの世にはない場所だから。それは昔はあったはずだが今ではすでになくなってしまった場所とも言える。だから正確には探しあてたというよりも元の場所に戻ったというべきか。フェリーニには「アマルコルド」という原郷があり、タルコフスキーには「ノスタルジア」という失った原郷がある。そしてアンゲロプロスは「霧の中の風景」についに帰ることが出来た。ただし、これ以降彼の作品を包む霧はそんなに優しくはない。「ユリシーズの瞳」はまさにそれを象徴する。苦しい映像体験になると思うが、これもぜひ鑑賞していただきたい。彼特有の「あえて見せない」演出は曇天の鉛空だからこそ発揮するという事がよくわかるはず。
[映画館(字幕)] 9点(2005-02-24 14:17:48)(良:1票)
13.  アレクサンダー大王
1936年の日々」や「旅芸人の記録」あたりから始まるアンゲロプロスの「歴史と時空の旅」を主眼に置いた作品群はその全てが規格外で度肝を抜かれる。それは神聖な巻物を紐解いた時に感じるであろう、背徳の感覚に近い。「アレクサンダー大王」はその巻物の、まあ王様みたいなもんだ。これを読み解くのはそれ故困難を極める。キーワードは結婚式と歌合戦と銃。あと黒くて重たいコートと曇天の空も必需品。「霧の中の風景」では全開だった叙情は一度頭から放り出したほうがいいかもしれない。ついでにこの映画に流れている政治思想も無視。大衆の習俗にこそ醍醐味が盛りだくさんなのがこの映画だし、なんちゃらイズムを語るアンゲロプロスはあまり面白味がない。真面目過ぎるからだ。いや、だからこそアンゲロプロスの映画には、実はたくさん笑うところがあるのだ。それは、懸命であることを彼が一切茶化したり皮肉ったりしないからでもある。懸命さが笑いを誘うのはその人があまりに純粋であることの裏返しである。そしてこの映画の主人公アレクサンダーはそんなアンゲロプロス的人間の、まあ王様みたいなもんだ。4時間にわたる彼の栄枯盛衰を、ぜひ見ていただきたい。70年代アンゲロプロスはちょっと神入ってるですよ。
10点(2005-02-04 12:21:33)(良:1票)
14.  友だちのうちはどこ? 《ネタバレ》 
この監督ってどうしてこういう表情を撮れるんでしょうか?大人も子供も表情をほとんどピクリとも変えない。唯一泣きじゃくる子供がいましたがそれ以外は、特に子供は無表情といってもいいぐらい。主人公の男の子の表情なんて「こうこう、こうして」と教えてできるもんじゃないでしょう。「ミツバチのささやき」のアナという女の子の無表情もとても印象的なのですが、その時の印象とは全然違いますね。アナは、普通の子供が背負うことはないグロテスクなものを本人は気づくことなく背負っています。一方、この男の子は私達が小さい頃に持っていたかわいらしい悩みを、それこそ人生の一大事とばかりに背負い込んでいます(笑)話は単純です。というか、普通なら誰もこんな部分から映画へと着想させようとは思わないに違いありません。それが何でここまでの素晴らしい作品になってしまったのかは、未だにわかりません。なんというか、この子が走っているのをカメラが追うだけで、今まで見ていた世界が一変して急に懐かしい気持ちになってくるんです。世界が変わる、と言うよりは昔いた世界に戻る、と言った感じです。キアロスタミのまなざしの奥にはこの男の子のような子供がいまだに存在しているに違いないです。
[映画館(字幕)] 9点(2004-12-25 03:34:08)
15.  台風クラブ
まず言いたいのは、相米監督万歳。見終わってメメント・モリという言葉がよぎった。三上君にとっての台風は、あの純粋すぎる魂を前触れなく奪っていってしまう類の死神だったのか。死でさえも消費の対象になっている時代にとっては彼の決意が遠すぎる(世の中に目を向ければ、死を実感してこなかった子供たちがそれを実感できないままに殺人を犯している)。そして居るはずなんだけど見えない家族。家族の不在というか家族を願望の中でいびつに歪めている感じを受ける。この物話は、都会でなくて郊外を舞台にしたのが大きい。性格がすれてないだけに彼らが味わう特別が日常として当然あるような、そういうあやうさが郊外とはとてもマッチする。台風は時には閉塞を生み出し時には開放的な気分にさせる。これって思春期の子供たちそのまま。台風はそれともつまらない大人になる為の通過儀礼だったのか。自分にも中学3年生という時期があったのだと素直に驚く。大切にしたい映画である。
9点(2004-08-05 00:26:23)
16.  ブレードランナー
「フランケンシュタイン」から始まる人造人間対人間というテーゼに対する一つの解答を試みようとした意欲的な作品としてだけでなく、うどん屋のエピソードから始まる魅力的な近未来世界を創り出した作品としても、つまりメッセージ性とエンターテインメントを両立させた稀有の映画といっていい。でも、ハリソン・フォードがどうも好きになれないのが残念。最後に白髪の人造人間が残すセリフが印象的だった。<追記>実にこのレビューから一年以上経ったつい先日、ディックの原作を読んでみました。はっきり言って原作の出来は別格です。この映画は何一つ勝ってないようにすら思いました。しかもディックは1968年の時点ですでにこの作品が映画になりえるということを考えていたそうです。リドリー・スコットの意匠は見事なんですが、ディックの前ではヒキガエルです。
[映画館(字幕)] 5点(2004-06-19 23:58:16)(良:1票)
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