1. 勝手にしやがれ
結構笑えたのだけれど・・・。ミシェルもかなり愛しい男なのだけれど・・・。あわれなモラルを、あわれな常識を、あわれな合理主義を笑うような、いいかげん人間たらんとするツボが、自分とゴダールは一緒なのかもしれない・・・。それはそうと、とにかくジャン=ポール・ベルモンドがカッコイイ!このダメさ加減も、ブサイクさ加減も、甘さ加減も、女心をくすぐるよ~。くわえ煙草がめちゃくちゃ似合うな~。世の中禁煙ブームだけど、この世から煙草がなくなったら男の人の魅力は半減しちゃうよな~。そんな健全は淋しいだけ、やっぱり煙草を吸う男の姿はイイ! 8点(2004-07-27 18:25:09) |
2. タクシードライバー(1976)
タクシードライバーの冷え冷えとした視線を通してさらけ出されたアメリカの恥部。売春婦やポン引きを「クズ」と言い捨てるペシミスティックな主人公は、しかし端からみれば同様に、ポルノを見て自分を慰めているような孤独な「クズ」でしかない。しかし彼が周囲と決定的に違った点は、彼には「自分は何者でもない」という焦燥感があったことだ。私にはこの「nothing」という焦燥感が痛いほど分かる。そして彼は拳銃に執着する。拳銃を通して、病める社会に反撃し、自己実現していく。髪をモヒカンにしたあの一件で、みごと「男」になったのである。あっぱれ。「セックスの貪欲さ」という点では、ニューヨークも日本も然程変らないと思うが、このような批判的視線を持ち得、それがヒットするだけ、アメリカ人のほうがまだまともなのかもしれない。 9点(2004-07-24 18:18:20)(良:1票) |
3. 失われた週末
わかっちゃいるけどやめられないもの・・・酒、煙草、ギャンブル、ドラッグ、恋・・・退廃的なものには本当に抗しがたい魅力がある。常識人は、ルールを守ってその退廃を楽しんでいるわけだけれど、そのタガが外れて何かの中毒になる可能性は誰にでも潜んでいる。人間とは、この主人公の愚かさが物語るように、きれいごとでは片付けられない弱々しさを持った生き物だと思う。ここで堕落した男を支えた女の姿が素晴らしい。女の力とは、女の強さとは、母性に裏打ちされているからこそ美しい、と私は思う。男の懐など端から当てにせず、愛してしまったダメ男を包容できる余裕、う~ん、素晴らしい。ただし作品自体に文学的シュールさはなく、分かり易いキャラクター、勧善懲悪的結末まで含め、最も単純でありがちな一遍であり、コウモリやネズミの幻覚シーンなど、全体にコミック的。 5点(2004-07-19 17:52:07) |
4. 気狂いピエロ
まさにアヴァンギャルド。私の第一印象も「気取ってんなぁ~」である。もしこの映画がごく普通に作られたら、私は主人公の冴えない人生に涙することができただろう。しかし、ゴダールという人は、そういう単純な作りを許さなかった。色、音楽、会話、絵画、さまざまな不自然な断片を悪意かと思うほどにちりばめストーリーに集中させない。ランボーの詩に象徴されるような内面の葛藤を描きながらリリシズムを徹底して排除し、ピントをずらしていく。前衛といわれる芸術が得てして観客や既成概念に挑発的であるように、ゴダールという人もその存在自体に毒を持っている。他者に迎合しない、簡単には受け入れない、という頑なさの上に表現者の命であるオリジナリティを生み出している。決して好きな分野ではないにもかかわらず、そうこう思っているうちに私はだんだんゴダールに侵されてきた。面白い、には「fun」と「interest」があるが、ゴダールの面白さは後者である。なんだこいつ、と思いながらつい会いにいってしまう。結局私は、この憎らしいほどにつれないゴダールという男に興味津々なのである。 7点(2004-07-18 18:12:21)(良:1票) |
5. いまを生きる
この物語は、高い教育レベルを誇る進学校、つまり生徒は皆エリートで、将来官僚など人の上に立つ人間になるであろう人材に対する教育現場において、子供たちが受験勉強に血眼になり他人の痛みすら分からないような理詰めの知識人となることを危惧し、真の教養、知性、感性を育むことを説いた教師の話である。 [幸福について]二通りの考えがあり、一つはリスクを承知で周囲との摩擦を起こしても、自分らしくあることこそ幸せと考え、そのためには過酷な環境にも挑むタイプ、一つは不幸を避けることを第一に考え自分を失くすことに全力を注ぎ予定調和をもって幸せを感じるタイプ。そしてこの教師の持つ「幸福論」は前者であり、自分の生徒の能力を信じていたからこそ、あえて厳しい選択をさせるような幸福論を堂々と説くことができたのであろう。その理念は昨今もてはやされている武士道にも通じるような志の高さである。[職業について]評論家といわれる人間の批評精神の欠如が職業上致命的であるように、「先生」と呼ばれる人々(教師、医者、政治家、弁護士etc)、いわゆる指導的立場の人間の、主義主張の欠如は致命的である。この教師には確固たる主義がある。その上で、自らが汗をかき、痛い思いをして周囲と関わっている。理想的な指導者の姿である。なにがカッコ悪く、なにが恥ずかしいことかさえ分からない人間が教師になった不幸が、巷で性犯罪を起こすようなお粗末な教師の実態である。自殺した生徒が仮に親の言いなりに医者になったとしよう。彼は、親に言われたから仕方なく「先生」になったのである。自分が、どうしたいかすら分からず、確固たる信念も全くない人間が人の上に立って、良いドクターになどなれるわけがない。そして巷は、このような大人の押し付けた打算的な考えで偉い「先生」となり、教育レベルは高くとも教養が全く伴わない受験戦争の落とし仔たるエリートであふれかえっている。 8点(2004-07-07 13:53:16) |
6. 長く熱い夜(1958)
ポール・ニューマン、ジョアン・ウッドワード夫妻の最初の共演作で、この年2人は結婚(ポールは再婚)。テーマはずばり、村八分・・・渋っ。惨めな境涯から常に不運に見舞われ、不吉な噂と共にコミュニティを追われる主人公。南部の閉鎖的な農村を舞台にした泥臭いヒューマンドラマであるが、そこに陰湿さは微塵も感じられない。タイトル、テーマ曲、コミカルな脇役などが作品に暖かさと開放感を与え、風韻は一貫して古き良きハリウッド然としたロマンティシズムを湛えている。この作品でポールニューマンは燦然たる映画賞経歴の第一歩となる、カンヌ国際映画祭男優賞を初受賞する。果たして今のハリウッドにこれだけ野暮ったいテーマを実力で魅了できるスターなどいるだろうか?!パートナーシップが奏効してか、ジョアンがポールを平手打ちするシーンなどは見ているこちらが吹き出すほどの迫真力。社会の底を這いずり回りながら、タフに自分の居場所を求め勝ち取っていく主人公の姿は、いつの時代も普遍的に人々の心をインスパイアする力強さに満ちている。 6点(2004-07-05 21:35:59) |
7. GO(2001・行定勲監督作品)
うろ覚えなんだけど、「自分の手を伸ばして届く範囲で~~云々~~」「だっせ~!!」とかいうとこがすごく好き。深刻なテーマを恋愛や台詞の妙でバランスとって若者向けに巧く仕上がっている。窪塚君、あんたのこの演技にパワーもらった人間だっているんだよ。何があったか知らないけど、お姉さんはあんたみたいな世の荒波に上手く乗り切れないような繊細なはぐれ狼が大好きだよ~、がんばれ! 7点(2004-07-02 13:55:08)(笑:1票) |
8. 候補者ビル・マッケイ
現代の批判家マイケルムーアが直球勝負で、ある特定の個人を名指しで批判し、恥をかかせてしまっているのに対し、この作品では明らかな悪者が誰もいない。恥をかく人間も誰もいない。しかし確実に敵=「政治屋」を追い詰めている。その静謐で地に足の付いた批判的視線は見事である。間抜けな候補者も、レッドフォードのハンサムで聡明な個性によって決して滑稽には映らない。選挙の舞台裏を暴露し、武器を持たずに攻撃を仕掛けるその手口は、相当に知的なテロである。 6点(2004-07-01 14:44:40) |
9. 俺たちに明日はない
「ニュー・シネマ」という言葉を生むきっかけとなったアメリカの代表的映画であり、その歴史的役割は非常に大きかったと思う。旧ハリウッド的価値観を破り、暴力、セックス、残酷さを映像美として表現し、見る者をトランスさせるアートであったと思う。そこには時代背景(ベトナム戦争を背景とした強い閉塞感)が根底にあり、当時の若者のピリピリとした感性に鮮烈に訴え、エキサイトさせるに十分な作品であったことは確かだろう。しかし今もってなお我々に痛みをもって鋭く語り掛けてくる他の当時の作品群と比べると、失速感は否めない。個人的には、「ラディカルの美学」も生理的に受け付けない。 4点(2004-06-30 21:59:32) |
10. スケアクロウ
オープニングのピーンと張った静寂がこの映画の力を物語っている。遠藤周作の文章に「心がしーんとする瞬間」という一節がある。散文的でだらしなく薄汚れた日常生活にも、「しーん」とした何かが入り込んでくることがある。その「しーん」とした人生の時は、多くの場合苦しみと共に訪れる。そういう苦しみを多少でも持っている人間には、他の「しーん」としたものと、幸せに酔っている時には気付かない交流が成立する、といった内容であった。私にとってこの映画はまさに、辛く苦い「人生の時」に交流し得た心震える存在であった。辛さから回復してみると会話は少しずつ消えていった。しかし傑作であることに変わりはない。図らずもこのような人生の時が訪れた者にとって、この作品は、その心をふたたび覚醒させるような底力を持った「しーん」とした秀作である。 8点(2004-06-23 21:30:43)(良:1票) |
11. 熱いトタン屋根の猫
シンプルで阿りのない好感度作品。このシンプル素材がここまで魅力的に見えてしまうのは、ポールニューマンの演技のなせる技(勿論エリザベステイラーも一役買っています)。ポールニューマンのセクシーさというスパイスがなかったら、シンプルを通り越して地味で野暮な作品になっていたと思います。個人的にはDVDパッケージだけでも「買い」です。旧家の御家騒動を描いたありがちな人間模様は、当時としては見るものがあったのでしょうか。自分の殻に閉じこもってめそめそしてるボンボンには辟易してしまいましたが。「熱いトタン屋根の上の猫よ!」のマギーの台詞はツボ。 5点(2004-06-23 08:44:53) |
12. 大いなる勇者
ロバートレッドフォードはこの作品が一番自分に近いと言っていたそうです。静かでストイックな男の姿は、今の私には強すぎて逞しすぎて眩しすぎる人間像でした。でも人間は最終的にはジョンソンの様に、暇つぶしをするように淡々と孤独と闘って生きていかなければならないと思っている私にとって、もっと年をとって一人ぼっちになったとき、きっと傍に置いておきたい作品であり、さらに評価も上がるのだと思います。現代的な優男から無骨な山男までこなすレッドフォードの個性が見事。 7点(2004-06-21 07:19:24) |
13. 動く標的
ニューマンファンですけど・・・き、気持ち悪いです・・・作為の弊害・・こういう不自然な仕草とか表情って勘弁してってくらいカッコ悪い。ストーリーも語ることないくらいしょぼい(鬱) 2点(2004-06-20 22:37:57) |
14. テルマ&ルイーズ
この作品は表面上女に媚びていながら、その実女心を全くリアルに捉えていない。こんな幼稚な衝動で女は自らを解放するのか。女が死を選ぶほどの閉塞感とは、果たしてこんなお気楽なものか。女の絶望を描くなら、せめてトラウマのレイプ犯を憎しみの果てに殺して欲しい。裏切られるならアバンチュールの相手ではなく、最愛の男にして欲しい。金に困ったら、陳腐な強盗ごっこなどさせずに体を売るくらいして、挙げ句の果てに病気うつされ余命わずか・・・そのくらいがむしゃらで惨めで生きにくい様を私たち女が納得できるよう描いて欲しかった。もしこの薄っぺらさが時代の求める産物と言うのなら、その軽薄さを華美に飾りたて、どっかで見たような衝撃のクライマックスを取ってつけるような見苦しい真似をしないほうが好感が持てた。男に依存しながら、全て男のせいにして崖から飛び降りるヒロインは、決してカッコ良くなんかない。稚拙でしかない。女をなめている。なめくさっていながら媚びている。製作側のおじさま方、こんな形で女に媚びて、恥ずかしくないの? 追記:このような抑圧史観に立った女性解放というのは日本でいえば明治後期~大正初期に叫ばれたフェミニズムです。自分はフェミニストではありませんが、これではフェミニズム自体もなめられていると言わざるを得ません。この作品を好きな方、本当にごめんなさい。 3点(2004-06-19 17:10:51)(良:4票) |
15. 華麗なるギャツビー(1974)
上流階級の皆さんに、ものすごい俗物根性を見させてもらった。華やかな衣装やギャツビーとデイジーの見目麗しさに目を奪われてしまうけれど、その裏側に潜む階級社会の醜悪さに寒気がした。「バカが多いよ」と終始冷徹に彼らを眺めつづけるニックが印象的。そのバカの皆さんの前ではあくまでも感じ良く振舞っている彼の態度が、皮肉っぽくて好きだ。映画で見るより文学で感じた方が面白そうなテーマ。成り上がり者のギャツビーはもっと胡散臭い気がするし。原作を是非読んでみたいと思います。 6点(2004-06-19 14:42:14) |
16. 追憶(1973)
ハベルの人間性がすごく好きです。彼の一連の行動を、イージーで流されちゃってる人、とみる人もいるかもしれませんが(なにしろ当人のロバートレッドフォードがこの役柄に「芯がない」という理由で出演依頼をずっと拒んでいたというくらいだから)、ハベルはノンポリという確固たる主義の持ち主。そして周囲からの嘲笑の的であった偏狭の不美人(失礼!)を、嫌悪することもなく、かといっていい気にもさせず、時にはたしなめながら許容してくれていた。こんないい男、ちょっといないと思います。互いのスタイルを貫き愛し合いながらも別れを選ぶ2人は、恋愛としては悲恋だけれど、生き方としては私の理想です。ケイティーの髪振り乱したカッコ悪さは、自分の恥ずかしい日々とかなり重なり、赤面シーン満載でした。 9点(2004-06-18 20:10:50)(良:1票) |
17. ひまわり(1970)
ソフィアローレンとウクライナ娘の180度正反対の個性。見るからに性格がよく品行方正なウクライナ娘、善人であり偉いのは確かにこの娘だと思います。でも私はソフィアローレン扮するジョバンナの愚かさにこそ強い魅力を感じました。私も彼女同様の愚かな女だからかも知れませんが、私が魅力を感じる女性像って弱く脆く愚かなダメ人間なんですよね。私も最愛の男の生死さえ分からない状況で、理性的な判断をする自信はありませんし、取り乱すのが正常の人間らしい反応のようにも思います。現時点では少なくとも、戦争という運命に翻弄され苦悩する女性像を、戦争を知らない能天気な自分が非難することだけはできない気がします。私はこういう前のめりに情熱的に生きている、一般的には手におえないと言われてしまうような女性像が非常に好きです。最後には唇を結んで彼を見送る気丈さを見せたジョバンナは、十分偉かったと思いますよ。 7点(2004-06-16 18:56:30)(良:4票) |
18. ことの終わり
これは単なるAffairなんかじゃない。結局誓いを破ってしまったけれど、それがあの死という結末に繋がった気がする。でも死んでもいいから愛する人に会いたかった、地獄に落ちてもいいから会いたかった。そんな女心ですね。泣けました。 8点(2004-06-16 14:23:44) |
19. ハスラー
格好の良さではファッツに軍配。ポールニューマンは、熱くなるとすぐに冷静さや客観性を無くしてしまう未熟な青二才を好演(ピクニックに行ってサラに一生懸命玉突きの魅力を語るエディはカワイイ)。そしてサラよ、あんたは偉い!男のロマンが女に背を向けた男同士の勝負なら、女のロマンは好きな男のために死ねることよっ!思い知ったか、こんちくしょう!うわ~ん(泣)私も死んでもいいと思えるほどの男に会ってみたいもんだ。 7点(2004-06-16 11:39:15) |
20. 華麗なるヒコーキ野郎
とにかく私にとって、ジョージロイヒルとロバートレッドフォードとイーディスヘッド(スタイリスト)、このトリオは最強なんです。ジョージロイヒルの洒脱さと無頓着さ、ロバートレッドフォードの抜群のカッコ良さと知的な存在感、イーディスヘッドのシンプルで媚びのないセクシーな服装。私の思う「粋」を具体化してるというか、私の理想なんです。作品そのものは、That's男のロマン映画ですね。ちょっぴりセンチでユーモラスで。自然体で暖かいジョージロイヒル監督、大好きです。私は理詰めの知識人より、やんちゃで向こう見ずでおバカなこいつら、はっきりいって好きですね。でも男のロマンてのはどうしてこうも女に背を向けたところでしか成り立たないのでしょう・・・しょぼ~ん 9点(2004-06-15 22:41:54)(良:2票) |