1. 悪い夏
《ネタバレ》 貧困、生活保護不正受給。現代日本の社会問題を扱うシリアスなサスペンス。何処まで踏み込んで描くのか興味津々でしたが、残念ながら「腰砕け」でした。少し前別の作品の感想でも書きましたが、この結末は要するに「爆発オチ」に同じ。しかも全員黒焦げ頭チリチリだけどぴんぴんしているタイプのやつ。そんなお手軽お気楽な処理でお茶を濁していい題材ではない気がしますが。 主人公がハマった沼は決して他人事ではありません。誰にでも起こり得るレベルのトラブルです。死にたいけど死ねない。殺したいけど殺せない。そんなの生きてりゃ普通にある事です。ただし「絶体絶命」でもなければ「八方塞がり」でもありません。充分に正攻法での解決が可能な範疇です。上司に報告し判断を仰ぎましょう。警察や弁護士に相談しましょう。もちろん無傷では済みませんが、それが何だというのでしょう。痛かろうが、苦しかろうが、恥ずかしかろうが、今出来る精一杯の手法で難局に立ち向かうのみです。自暴自棄で包丁を持ち出し、周りが暴走した挙げ句に警察沙汰で強制終了なんて筋書き、手抜きもいいところでは。本当に「この選択しかない」ところまで追い込まれて初めて許される結末と考えます。スティーブン・キングの『ミスト』を参考にしてください。そういう意味で冒頭「腰砕け」と書きました。 実際問題、主人公の行動は軽率でした。ただしマネージャーがタレントに手を出した事例とは根本的に異なります。高野のように立場を悪用し関係を強要したのであれば論外ですが、原則として「自由恋愛」を咎める法はこの国にはありません。先のタレントの例は「食い扶持を失う」マイナスが組織として禁止されているだけであり、本作で主人公がシングルマザーと結婚しても責められる筋合いはありません。何なら生活保護世帯が減り課税世帯が増えるばかりか、人口増まで期待できて良いこと尽くめ。美人局紛いの不純な動機がキッカケだとしても、最終的に二人が、いや三人が幸せになれるのであれば良いではないですか。主人公が犯した最大の過ちは、シングルマザーに手を出したことではなく、窮地に陥った時に誰にも助けを求めなかったことです。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-07-17 10:54:22)(良:1票) 《新規》 |
2. 首(2023)
《ネタバレ》 北野武流「本能寺の変」は、男色系バイオレンス仕立て。言い換えるなら「リアリティ&悪ふざけ」。これが北野武監督の正常運転です。何ら問題ありません。ただしキャストには異議あり。信長と秀吉が親子ほどの年の差なんて悪ふざけにしてもデタラメが過ぎます。キャラのイメージに合うか否か以前の問題。監督自らが主演するのはいつもの事ですが、こと本作に限っては自重するべきでした。本作で監督が出演するなら光源坊役でどうぞ。でもホーキング青山氏は良かったので、2人で光源坊1号、2号で如何でしょうか(スーパーストロングマシン風に)。タイトルは『みんな〜や(殺)ってるか!2(痛)本能寺が変』でお願いします。これなら10点です。 それにしても劇団ひとりは念願の北野映画出演でさぞかし嬉しかったでしょうね。おめでとうございます。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2025-07-12 17:24:52)(笑:1票) |
3. フォールガイ
アメリカ版「蒲田行進曲」?こりゃ例えが古い。裏方にスポットを当てたみんな大好き"映画愛"映画ですが、基本はしっかり小粋な(らしい言い回しが冴える)会話劇を愉しむアメリカンコメディ。もちろんスタントマンが主役ですから派手なアクション盛り盛りですし、しっかりお馬鹿映画でもあります。内容は意外なほどシリアスなんですけども。見終えてみれば何ともお洒落な後味で。タイトルはそういう意味なんかい。お見事です。こういう感じの映画はアメリカならでは。邦画ではあまり見かけません。ちなみに悪役のハリウッドスター「トム・ライダー」は「トム・クルーズ」から引用されているのは明白ですが、劇中ちゃんと「トム・クルーズ」の名を出すことで「間違いなく別人です」の保険を掛けています。こんなことでクレームを付けるほどトム・クルーズのけつの◯は小さくないと思いますが(うん●が太いという意味ではなく)、訴訟リスク管理は映画制作上欠かせぬポイントなのでしょう。 [インターネット(吹替)] 6点(2025-07-09 17:49:01) |
4. ミッシング・チャイルド・ビデオテープ
《ネタバレ》 これから書くのは私の勝手解釈。毎度の話で恐縮ですが、誤読や頓珍漢あると思いますがご容赦ください。またネタバレありますので未見の方はご注意願います。 山の怪異。神隠し。物語の発端は主人公の弟の失踪でした。13年前のこと。また主人公の同居人(塾講師の男性)も弟君と同じシチュエーションで姿を消しています。この2人に共通するのは「ビデオで撮影された」ということ。ここからひとつの仮説が浮かんできます。 ビデオとはいわば「活動写真」。ご存じのように写真が普及するまでは「魂が抜かれる」という噂話がありました。もちろん迷信。ですが、全くのデタラメではなかったとしたら。2人が消えたキッカケとして「ホームビデオに写された」が考えられないか。もう少し突っ込むなら、カセットテープに音声を吹き込んでいた大学生パーティも同じく姿を消しています。ビデオやカセットテープは自己の複製品。魂も複写されるため「魂が抜ける」=「あの世に連れて行かれる」のではないか。と自分で振っておいて何ですが、これは必須条件ではありません。あくまで「魂が抜けやすくなる」だけ。例えるなら「寒空で薄着だと風邪をひきやすい」程度の話と考えます。ビデオが発明される遥か昔から神隠しは存在しますから。 では「神隠し」=「あの世に連れて行かれる」必須条件とは何でしょう。それは「人外の者が見えること」では。弟君言うところの「ぷよぷよ」であり、おそらくは神の類と思われます(以降、人外の者=輪郭がぼやけたヒトガタを神と呼びます)。神を認識したことで、2人は連れて行かれた。旅館の倅も山で神の視線を感じ取ってしまい連れ去られています。そういう意味では「見える」女記者は廃墟に辿り着いた時点でほぼ詰みでした。しかし彼女は助かった。いや助けられた。彼女の腕を掴み、2階に上ることを阻んだ手は神ではなく男の手でした。おそらくは主人公の父親。父親はずっと彼女に「息子を助けてやってくれ」と懇願していましたから。もし彼女があのまま2階に上がっていたら、間違いなくアウトだったでしょう。では主人公が二度に渡り、廃墟から生還できたのは何故か。それは「神が見えていなかったから」もう少し正確に言うなら「見たくないものは見えない」状態だったから。強烈な自己暗示。これは母親の死体に気付けなかった事実で裏付けられますし、おそらく13年前も同じことが起きています。絶対に見たくない弟の死体には気付けなかった。なお「見たくないものは見えない」を裏返すと「見たいものはよく見える」とも言えます。冒頭のエピソードで迷子を発見できたのはこの能力が活かされた為かもしれません。 最後にラストの解釈。女記者は「署名記事」という、ビデオやカセットテープに近い「自己複写」作業をしていますので、魂を抜かれ易い危うい立場にあります。また自室で同居人の気配を感じとった主人公は、ビデオに撮影されていました。撮影者は同居人でしょうか。残念ながら連れて行かれるフラグが立ちました。以上です。 BGMで過度に煽ったり、いわゆる「お化け屋敷」系の脅かし演出が無いのは好印象。地味といえば地味ですが、終始画面から緊張が消えずホラー作品として品質の高さが窺えます。この作風を今後の邦画ホラーのニューノーマルにして欲しいとさえ思います。ただあまりに「卒がない」ため面白味には欠けるかもしれません。例えば「日本ホラー映画大賞」内で比較するなら『みなに幸あれ』より断然本作の方が完成度は上ですが、手堅く万人に7点の本作に対し『みなに幸あれ』は刺さる人には10点の価値があると感じます。どちらが魅力的かといえば、個人的には後者を推したいのです。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-07-08 22:26:35)(良:1票) |
5. 名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊
《ネタバレ》 ミステリー好き小学生だったかつての私。イメージの中のエルキュール・ポアロは"灰色の脳細胞"搭載の卵型お顔に口ひげ小男。まさにオリジナル『オリエント急行殺人事件』のポアロ(アルバート・フィニー)がどんぴしゃり。オリジナル『ナイル殺人事件』や『地中海殺人事件』のポアロ(ピーター・ユスティノフ)は大柄だし太り過ぎ。でも「こんなん違う」と思ったことはありません。基本供されたものは文句を言わず美味しく頂く性分ですから。とはいえ、ポアロと言えば前述のお二人のイメージが根強く、新シリーズのケネス・ブラナーを受け入れるまでに多少時間が必要でした。さっきと言ってることが違いますか。要するに刷り込みって影響大だって話です。そんな新ポアロも本作で3作品目。もう違和感などありません。立派な段々口ひげが何とも愛おしい。今回は探偵業リタイア状態から始まり、最終的に名探偵復活というファンには嬉しい仕立て。物語の方もアガサ・クリスティらしい着眼点のトリックで満足。これ、原作が発表された当時なら結構センセーショナルな動機とトリックだと思うのですが、現在だと割とよくある話だという。それだけ現代社会の方が刺激過多で荒んでいるのかもしれません。現代視点でみると「滅茶苦茶面白い!」ってことはありませんが、古典ミステリーとはそういうジャンル。なんせマイベストミステリーは子どもの頃読んだ「アクロイド殺し」ですが、今読んであの頃と同じ衝撃を味わえるとは思えませんもの。ですから、やや物足りない部分はあれど、古典ミステリーの映画化としては充分なクオリティを担保していると考えます。もちろん続編期待します。(余談その1)冒頭で「ミステリー好き小学生」と自供しましたが、そんなに読書家ではありません。私のミステリー知識の拠り所はポケット百科。小ぶりなのに、めちゃ厚。名探偵図鑑とか、トリック大全的な。昭和の小学生必携のアイテムでした。その挿し絵のポアロに一番近かったのがアルバート・フィニーだったという話です。(余談その2)日本の名探偵といえば、明智小五郎と金田一耕助が2大巨頭でしょう。ミステリー界の馬場猪木という認識。で金田一耕助役で真っ先に浮かぶのは誰でしょうか。石坂浩二?それとも古谷一行?どちらも「金田一耕助らしい」と感じますが、渥美清や西田敏行も金田一を演じているんですよね。前述したピーター・ユスティノフもそうですが「明らかにイメージが合わない役者が名探偵をやる」のは映画界の「あるある」なんでしょうか。あっ明智小五郎は満島ひかりもやってますね。これはイメージ云々を超えた規格外ですが。(余談その3)WOWOWさん、吹き替え版の提供ありがとうございました。 [CS・衛星(吹替)] 6点(2025-07-04 20:28:47) |
6. JUNK WORLD
《ネタバレ》 監督執念の家内制手工業により生み出された1作目は異様な迫力を湛えた怪作でした。それに比べると、豊富な資金が投入され制作された本作はシリーズ映画でありながらまるで別物の装いです。まずもって「観やすい」。確実に洗練されました。それに加えて世界観は更なる進化を遂げ、ゴリゴリのSF仕様に。とはいえ難しい理論はありません。有りもしない専門用語の羅列とトンデモ展開で観客を煙に巻く「正しい」大衆SFの様式美です。監督の悪ふざけや趣味趣向も輝きを増し、1作目より"外向きな"タイトルに相応しい『JUNK WORLD』が誕生しました。 それにしても驚くべきはその変化です。「洗練」とは角や粗を削ぎ落とす作業。一緒に旨味や魅力が失われる事例も珍しくありません。アクもまた味のうち。しかし本作にはきちんと旨味が残されているばかりか、深みと奥行きを感じさせる仕立て。まさに進化にして深化です。ある意味「全て自分のもの」であったパーソナルな『JUNK HEAD』を大勢の手(資本)に委ね、パブリックとなった訳です。監督には、まるで手塩にかけた娘を嫁に出すような寂しさもあったのではないか。でも内向きのままでは、進化の高は知れています。やはりクリエイターならば更なる高みを目指さなくては。そのために必要なのは「外向きの力」=「資本の助力」であったと思うのです。異なる視点にアイデア。技術と労力の提供。監督一人の力では到達出来なかったであろう地点にまで『JUNK WORLD』は飛翔したと考えます。1作目とは異なる種類の感動が本作にはありました。いたく感銘を受けたため前作以上の点を付けなければ気が済みませんが、それが出来ないのがもどかしいです。 [映画館(吹替)] 10点(2025-06-28 16:38:50)(良:2票) |
7. ザ・メニュー
《ネタバレ》 大相撲における最上位階級、横綱。またの名を日下開山。その地位はまさに神に匹敵します。成績優秀な力士を横綱に推挙するために開かれるのが横綱審議委員会で、必ずと言っていいほど出でくるフレーズが「心技体」であります。横綱に求められる3要素。頂点に君臨する力士に「技」と「体」が必要なのはよく分かります。しかし「心」って何でしょう。いわゆる品格でしょうか。基準が曖昧でいまいちピンと来ません。「技」と「体」があれば充分では?そんな風に考えていた時期が私にはありました。でもこれは見当違い。大切なのは横綱の重圧に耐えうる「心の強さ」でした。すみません。前置きが長くなりました。本作は超高級レストランで「神」と崇められるシェフがプレッシャーに押し潰され狂ったお話。 特にタチが悪いのが他責思考です。私を悩ませた周りが悪い。美食文化にはうんざりだ。何なら犯罪者まで一緒に排除してしまえ。しかるに「技」は超一流。ゆえにカリスマ性を発揮し弟子(信奉者)を巻き込んでの自爆テロを許してしまいました。これは横綱審議委員会、失礼、オーナーに見る目が無かったというしかありません。やはり一流、いや超一流は「心技体」を兼ね揃えなくてはいけません。 ヒロインの脱出劇について。機転を利かせ見事に窮地を脱した主人公ですが、救われたのは彼女だけではない気がします。他でもない、テロ首謀者であるシェフも救われたのではないか。彼自身認めるように、この自爆テロに彼女は関係ありません。殺される理由もなければ、殺されるのを承諾してもいない。そんな者を殺していいはずがありません。狂っていてもシェフに分別は残っていました。だから彼は甘んじて彼女のスペシャルオーダー(チーズバーガーのテイクアウト)を受け入れたのです。ある意味では「渡りに船」の提案で、船にて脱出。地獄行きは覚悟しても、後悔は少ない方がいいでしょうから。ハンバーガー屋から神ポジションのシェフへ登り詰めた男。大出世ですが、幸せになれるとは限りません。適材適所で人は輝く。人生はなんと難しいのでしょう。ところで新横綱となる大の里。異例のスピード出世ですが心技体は満たされていますでしょうか?(すいません。話の調子で書いたまでで他意はありません。応援しています。頑張ってください。) 「リアリティ?何それ美味しいの?」なファンタジー仕様ですが、そこは寓話と割り切れば問題ありません。話題作『教皇選挙』でも存在感を発揮しているレイフ・ファインズの怪演を愉しむ映画でもあります。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-06-28 08:16:34)(良:1票) |
8. せかいのおきく
《ネタバレ》 本サイトきっての良識派レビュワーを自負し、目隠シストと書いて「道徳」と読ませる私がこんなことを言うのは百害あって一利なしであることは重々承知しています。だけど言いたい。レイザーラモンRG並に早く言いたい。でも、多分、きっと、こんなことを言ったら「あんたバカぁ」(惣流アスカラングレーの口調で)あるいは、「目隠シストさんのえっち」(しずかちゃんの心で)もしくは「きめえんだよてめえ!」(とゆうちゃみに罵られたらと想像するとゾクゾクしませんか)と皆様から集中砲火をうけること必死の戯言であるのは間違いありません。だから本当に迷っています。思いついたことを言えばいいってもんじゃないと。おきく=お菊、おしりのあ、えーと、なんと言いましょうか、マムゲート的な意味合いが込められていると考える奴は「下衆の極み」(ハマカーン最近見ないな)であると私は強く訴えかけたい。危ない、危ない。本当に危ないところでした。ギリギリで回避しました。これはタイトルに隠された罠ですので、皆様も充分にご注意頂きたいと思います。こんな良い話に何言ってんだ。 すみません。前置きが長くなりました。感想は、カラーパートは無くていいと思います。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-06-22 19:29:05)(笑:1票) |
9. リバー、流れないでよ
《ネタバレ》 これから書くのは私の妄想的解釈です。すでに考察サイトや監督インタビュー等で真相は周知されており「そんなの知ってるよ」あるいは「全然違う的外れ」な見方かもしれませんが、映画の受け取り方は十人十色と言う事でご容赦いただければと思います。では以下ネタバレ含みますのでご注意ください。 タイムパトロール隊員=未来人ヒサメの態度に違和感あり。彼女はタイムマシンが動作不良に陥り、タイムパラドックスを防ぐため「2分ループ」が発動していると説明します。でも、それにしては落ち着き過ぎていませんか。もっと慌てていい。またトラブル解消法も実にあっさり。それでいいならもっと早く(早いループターンで)復旧できたでしょうに。彼女の言動には、どうにも裏がありそうで・・・。 ここで本事件で影響をうけた人物を考えてみます。明らかに得をした人、人生の決断をした人。都合2人です。前者は作家さん。ループ事象からインスピレーションを受け、作品のプロットが完成しました。彼の子孫が悩める作家を助けに未来からやって来てループを仕組んだなんて仮説はどうでしょう。悪くない気がします。が却下です。浪漫、いやロマンスに欠けます。タイムマシンの動力源をみれば分かるように本作はかの名作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をオマージュしているのは明らか。ならばマーティが両親の仲を取り持ったように、本作もロマンス寄りで解釈したいです。 ループ現象で影響を受けた2人のうち、後者は旅館の仲居さん、ミコトでした。「料理修行3年だといいな」「それは無理でしょ」フランスへ旅立つ板前との恋愛関係に彼女はケジメを付けた様子。これこそが未来人ヒサメが過去に来た目的ではなかったか。本騒動は"子孫がご先祖様の人生の決断を促しにやってきた"が真相と考えます。ちなみに縁結びのお守りは"新たな恋の始まり"を暗示しているのでは。タイムパトロールも、タイムマシーン故障も方便であったと。これならヒサメの落ち着き払った態度も、不必要に繰り返されたループの謎も説明がつく気がします。 最後に「雪」について。時間がループしているなら気象もループして当たり前。なのに何故気象は変化しているのでしょうか。しかもこれ、基準点(セーブポイント)より前から変化が見られます。いわゆる「マルチバース理論」ですか?劇中でも「この世界線」なんて台詞が出て来ますし。もちろんその解釈で差し支えありませんが、別解もありかと。例えば"誰かが気象を変化させた"。そんな芸当が出来る人間は一人だけです。理由はその方が「ロマンチック」だから。ご先祖様の決断を後押しするため、彼女は精一杯シチュエーションを整えたのかもしれません。 20代未婚女性にとって時間の重さは計り知れません。「3年なら待てる」でかなりの譲歩です。それを男が蹴るのであれば、もう縁は無かったと思って間違いないでしょう。本件では子孫が「その恋は諦めな。次行こう次」とお世話を焼いてくれましたが、実際はそんなこと起こりません。流れる川は誰も止められない。だからこそ、一瞬一瞬を大切に生きなければ。勉学にせよ結婚にせよ人生の「適齢期」を疎かにしてはいけません。 エンドクレジットに「こども家庭庁」があればこの仮説で確定!と言いたいところですが、ありませんでした。ということであくまで妄想解釈でお願いします。それにしても上田誠氏のこの手の脚本のクオリティの高さは異常ですね。『サマータイムマシン・ブルース』に『ペンギン・ハイウェイ』、『ドロステのはてで僕ら』どれも文句なく素晴らしい。難しい理論をさも単純に見せるあたり本当に「手練れ」だと思います。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-06-18 00:25:35)(良:2票) |
10. ショウタイムセブン
《ネタバレ》 先にご投稿されているレビューで『テロ、ライブ』のリメイクと知りました。かの作品は鑑賞済み。ですが記憶が曖昧な為自身の投稿を見返し結末を確認です。えっ全然違うじゃん。何とこじんまりしたことでしょう。これが日本流アレンジなのでしょうか。流石電化製品をコンパクトにするのが大得意なお国柄。良く言えば奥ゆかしく、悪く言えば遠慮が過ぎる。物語の「常識的な」スケールダウンは日本らしいかもしれませんが、キャラクター造形の方は全くもって日本人ぽくありません。というより言い方はあれですが薄気味悪い。主人公の思考がさっぱり分かりません。気骨があるのか無いのか。芯にあるのは正義か我欲か。「奥の手」であり「保険」でもあるはずの「不正の証拠」を出すタイミングは其処で合っていますか?ちょっとイケイケ過ぎる気がしますが。TVショウにおける高刺激エンタメ至上主義は破滅と引き換えの大花火。確かに主人公は狂っています。いやTVショウが彼を狂わせたということ。言わんとすることは分かりますが、少々この美学(主張)は「型」が古い気がいたします。令和の作品ですよ。テリー伊藤でもあるまいに。それが本作から溢れ出る大いなる違和感の理由であります。総じて「何だかなぁ」(by阿藤快)な感じ。いやいや私が一番オールドタイプだわ。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-06-15 08:26:03)(良:1票) |
11. 凶気の桜
《ネタバレ》 ヤクザ、右翼、ナショナリスト。喩えるなら、うどん、ひやむぎ、そうめんってことですね。分かります。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-06-08 20:25:34) |
12. 高速道路家族
《ネタバレ》 本作を理解(解釈)する上での重要シーンは「クソデカこおろぎ」と考えます。警察から逃亡中の父親が見た幻。ここから次の2点が導かれます。①父親は幻覚を観るほど心身が摩耗していたこと。おそらくは統合失調症。リアリティゼロの「高速道路生活」に父親は精神疾患を患っていたという理由が加われば、少しは腑に落ちるというもの。②明らかな幻覚は「目にしたものを信じるな」の意。これは当然ながら結末にも当てはまります。「本当に母親は助かったのか?」「赤ちゃんは無事産まれたのか?」残念ながら答えはNOです。あの状況で母親が無事な訳ありませんし、超未熟児と言われていたお腹の子がふくよかなはずもありません。現実は泣き叫ぶ姉弟が再び映し出されるラストカットの示すとおり。父も母も焼け死んでいるでしょう。 興味を引く設定にインパクトある結末。前述した「クソデカこおろぎ」は見事な伏線であります。テクニカルな映画で間違いありません。ただ好きかと問われるならNOです。いや、ハッキリ言いましょう。大嫌いだと。これは後味の悪さに文句を言っている訳ではありません。何でしょう「理念の無さ」に対する反感でしょうか。例えば鬱映画として知られる『ミスト』。後味の悪さなら本作以上です。でもかの作品には結末に至る必然性がありました。さらには教訓も。だから最悪な気分なのに、何処か清々しいのです。その一方、本作は刺激を求めただけに思えます。そもそも設定が荒唐無稽が過ぎますもの。せっかく社会問題を提起したのに真摯に向き合うことなく、燃やして終わりなんて手抜きもいいところでは。これもある種の「爆発オチ」であり、シリアスドラマで用いて良い手法ではありません。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-06-05 23:19:59)(良:1票) |
13. さよなら ほやマン
《ネタバレ》 ホヤは幼体期には自由に海中を泳ぎ回るものの、成体になると岩などに付着し移動力を失うと同時に脳も無くなるそう。劇中明確に示唆されるように「人の一生」になぞられます。島から出たことが無いお婆さん然り、主人公兄弟然り。 一般的には成人になるまでに見聞を広め様々な体験を積むことを推奨されます。多様な価値観に触れ自身の器(キャパシティ)を大きくするのが肝要で、人生の選択肢が広がるばかりか苦難への耐性や対処法も身に付くので良いこと尽くめ。昔から「かわいい子には旅をさせよ」とも言いますし。ただこれは、あくまで理想論です。泳ぎ出せない者もいれば、目の前の大海に気づけない者もいる。お婆さんの言葉「これで良かったと思い込むしかない」「ばばあだって悩みながら生きている」に胸が痛みます。旅に出られる環境自体が恵まれているのです。ただしこの言葉をもってお婆さんを憐れむのは違います。断じて違う。子どもを育て上げ、隣人を思いやれるお婆さんの人生が上等なのは疑いようもありません。きちんと根を張り立派に生きてきたと誇って欲しい。ただ兄弟の方は少し事情が異なりました。彼らはまだ泳ぐ力を失っていません。考える頭も無くしていない。まだ存分に泳いでいないなら、泳いでみるしかありません。結果的に同じ場所に戻るとしても、です。さしずめ青髪の漫画家は神様、いや亡き父と母が遣わせた「キッカケの女神」といったところでしょうか。少々傍若無人なところはありますが。果たして兄はトラウマを乗り越え泳ぎきり、居るべき場所を見つけた様子。憑き物が落ちたかのような清々しい兄の表情をどうぞご覧ください。なお寓話のルールに則り役割を終えた女神は島を去ります。いやもしかしたら戻ってくる気かも。彼女はちゃっかり自身の居場所を確保していきましたから。本当に救われたのは、実は女漫画家の方だったかもしれませんね。 基本的な体裁は寓話と言ってよく、今なお深い傷跡が残る東日本大震災の後日談を描いた映画でもありました。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-06-01 21:49:00) |
14. 怪獣ヤロウ!
《ネタバレ》 市役所観光課職員である主人公(芸人・ぐんぴぃ)が「ご当地映画をつくれ」という市長からの無茶振りに奔走するお話。タイトルやビジュアルパッケージの印象から河崎実作品のような脱力系コメディを想像していましたが『僕らの未来へ逆回転』的な怪獣映画愛溢れる『映画づくり映画』でした。常識も固定観念も怪獣愛パワーで打ち破れ!という至極真っ当な主題であり、オフザケ要素はほぼありません。ただ個人的にいまいち乗り切れず。理由はキャラクター造形に魅力を感じなかったことと考えます。主人公は生粋の怪獣オタク。彼のスキル(特性)を活かして難題を突破する流れを期待したのですが『ナポレオン・ダイナマイト』のような陰キャのキラメキや逆襲みたいな展開は見られず無難に着地した感じがします。何でしょう「エモさが足りない」でしょうか。折角芸人さんを使ったのですから、芸人さんならではの濃い目で奇抜な役作りがあっても良かった気がします。清水ミチコさんもお得意の現都知事丸パクキャラで攻めてくれたら良かったのに。流石に怒られるか。また破損した怪獣の着ぐるみの代替手段についても、頑張って頑張ってアイデアを捻り出して欲しかったとも思います。なお、製作にタイタンが入っているため、ぐんぴぃ以外にもタイタン所属の芸人さんが沢山出演しています。 [インターネット(邦画)] 5点(2025-05-31 11:43:41)(良:1票) |
15. 無法松の一生(1958)
《ネタバレ》 原作小説は昭和13年発刊。劇中の舞台設定は明治30年。実に100年以上前のお話です。当然ながら常識や価値観は現代日本と異なります。とはいえ「時代劇」と呼ぶほどかけ離れてもいません。まだ当時から地続きにあるのが現代です。ゆえに(私を含む)年配者の口からは「あの頃は良かった」「古き良き」といった感想が漏れがち。顕著な例が芝居小屋の一件です。松五郎は親分さんに詫びを入れた事で騒動を不問とされています。今では考えられない決着でしょう。でもこれが心地良いのです。理由は明快。私たちが幼い頃最初に叩き込まれた「悪いことをしたらごめんなさい」に他ならないから。もちろん言われた方は「もういいよ」許すのがお約束です。超基本的な対人ルールが厳密に適応されている点が心地よく感じる所以かと。逆に言えば、現代日本では謝ったくらいでは許されない厳しい社会になったとも言えます。とはいえ当時の価値観を無条件に肯定したり、現代を簡単に否定したりするのも違います。あくまで「あの頃はあの頃」「今は今」です。 決して成就しない恋に一生を捧げた松五郎。最期は野垂れ死に。現代で置き換えるならアイドルにガチ恋の挙げ句、勝手に失恋して引きこもりになったオタクってところでしょうか。どちらも憐れには違いありませんが、受ける印象はまるで違います。前者が「切ない」後者は「アホか」です。この違いはまさに時代の価値観に紐付くもの。当時の価値観に照らし合わせれば、松五郎の生き方を否定する者等いないでしょう。もちろん傍から見れば奥様以外の誰かと所帯を持つ方が幸せだったと思いますが、夫を亡くした奥様を支え続けた松五郎は讃えられて然るべき。でも、あまりに不器用で報われぬ献身に胸が締め付けられる訳です。一方、現代の引きこもりオタク君の場合はどうでしょう。同情心など一切湧きませんよね。ただのアホです。当時と現代の社会背景で大きく異なるのは、人生の選択肢の数、教育の質と量、そして多様な幸せのかたち。極論すれば、あの時代の松五郎にはあの生き方しか出来なかった(考えられなかった)ということ。如何に現代の私たちが恵まれていることか。ですから「あの頃は良かった」はピンポイント事例に対する心証に過ぎず多分に思い違いであり、客観的に、あるいは総合的に考えれば今の世の中の方が良いに決まっています。少なくとも今を生きる私たちは「そう言わなければいけない」義務があると考えます。でなきゃ、ご先祖様に申し訳ない。 最後に。「松五郎にはあの生き方しか出来なかった」と書きましたが、もし奥様が松五郎を頼らなければ話は変わります。それこそ奥様が再婚話を受け入れてさえいれば松五郎は自由になれた訳で、野垂れ死ぬ事も無かったかもしれません。奥様が松五郎の好意を利用したのは間違いなく、そういう意味で奥様は罪深い。ただし一人息子を育てるために必死だった奥様の「母としての強かさ」を責めるのも酷な話です。当時の社会情勢を考えれば尚更のこと。やはり今の世の中の方がいいですよ。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-05-29 01:13:48) |
16. インビジブル・ゲスト 悪魔の証明
《ネタバレ》 これは凄い。『ユージュアル・サスペクツ』級の傑作ミステリーでは。かつて私が『チョコレートファイター』と『ベイビーわるきゅーれナイスデイズ』の感想で使用した褒め言葉を再び使わせて頂きたい。「1食抜いてでも観てください」。いや劇場公開はとっく(超とっく)に終了しているので、抜くのはおやつくらいで構いませんが。 アイデア自体が特別目新しい訳ではありません。思い返せば、いくつも類似作品が浮かびます。ただ組み合わせの妙と丁寧な描写に唸らされるのです。ネタバレ厳禁映画ですので、余計な情報を仕入れずに速やかにご覧になられる事をお勧めします。以下はどうしても褒めたいので要点を絞って記述しますがこれも「余計な情報」ですのでご注意ください。 「ヒントの出し方が丁寧」髪型が変わると印象が変わる。当たり前の話ですが、きちんと例示している点に好感が持てます。「そういえばそんな事言ってたなあ」な余談もそう。サブリミナルに刻まれた微かな記憶がタネ明かしと同時に甦り、はたと膝を打つ仕組み。気持ちよく騙されるのは快感です。 「ここぞの演出が冴え渡る」ライター水没と車廃棄を重ねる描写。息子を奪われた父親からの乾坤一擲の「かまかけ」は犯人の動揺を見事に引き出しました。多分ほんの僅かな揺らぎで構わなかったでしょう。疑惑を確信に変えることができれば計画を実行に移せるのですから。 「犯人側から描かれる物語」所謂『コロンボ』『古畑任三郎』スタイルですが、これら定型ミステリーと違うのは、あくまで犯人が主役であること。刑事が出てきてバトンタッチではありません。そう本格的なクライムサスペンスです。どうにかして逃げ切りたい。犯罪を隠ぺいしたいと観客が無理矢理「思わされる」のは厄介な話ですが、その分極上のスリルが味わえます。もちろん再鑑賞で逆サイドから検証し直す楽しみもあります。 このように「絶賛」と言いたいところですが、実は残念なポイントがありました。詳細は伏せますが「それをしなければスマートなのに」が一箇所あり。怪人二十面相でもあるまいに。犯人を騙すだけなら多分無くても良い仕掛けですが、映画なので観客も同時に騙さなくてはいけません。ここがもどかしい。日本人である私たちにも多分不要な仕掛け。そんな手間を掛けなくても見分けなんてつきませんもの。そういう意味では、もし日本でリメイクするなら配役には相当神経を使いそうですが。それにしても面白かった!劇場公開当時は話題になったんでしょうか。よく分かりませんが、邦題で損をしている気がします。タイトルだけならまるで典型的なB級サスペンスです。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-05-20 18:20:38) |
17. 教皇選挙
《ネタバレ》 伊集院光氏と大学2回生の長女。信頼出来る2人のススメにより劇場鑑賞。多分これが無かったら観ていないと思われます。それほどに教皇と言われてもピンと来ませんし、何より敷居が高い。ところがどっこい。全然大丈夫。いや本当は大丈夫じゃないかもしれませんが、問題なく楽しめました。かなりエンターテイメント色強し。それでいて問題提起もメッセージもある骨太な映画でした。 選挙自体は、民主主義を選択した私たちにとっては身近な制度です。とはいえ、教皇選挙=コンクラーベは単純な多数決ではありません。有効得票数を獲得するまで何度でも、何日でも、投票を繰り返します。少数支持者は有力候補者へ強制的に投票を促されるルールもありません。長年培われてきた技法は、議論を尽くせという意味でしょうか。あるいは求心力と人間力を示せという意味でしょうか。果たして今回のコンクラーベは歴史を変える画期的な結末を迎えました。この結果をどう捉えたらよいのでしょうか。ほんの少しでも野心をみせた者、すなわち自分自身へ投票した有力者は皆脱落しました。テロによる爆発はまるで神の怒りを買ったかのよう。いや、いや、いや。そんな訳ありません。最初から最後まで前教皇の描いたシナリオ通りに進んだとみて間違いないでしょう。秘密裏に加わった最後の枢機卿を受け入れること。不適格者をきちんとふるい落とすこと。そして新教皇の素性を知って尚、受け入れる度量をみせること。主人公はまさに前教皇の期待に応えた選挙管理者でした。この選挙結果をもって、大失態と罵られるか、英断と讃えられるか。これからカトリック教会14億人の真価が問われます。 [映画館(字幕)] 8点(2025-05-18 06:24:36) |
18. お母さんが一緒
《ネタバレ》 「親を見たけりゃ子を見ろ」と言いますが、確かに3人娘の言動をみれば母親がどんな人物か容易に想像がつきます。劇中母親は姿を見せませんが、みなさんはどんな母親が目に浮かぶでしょうか?私は松金よね子さんで再生されました。それにしても3姉妹の長崎弁、素敵ですね。 基本的に「他所様の家の話」ですので野次馬気分で傍観するのがお勧め。大人向けの会話コメディとして楽しく見られます。ラランド・サーヤの「お母さんヒス構文」も確認できますし。なお「育て方が悪い」とか「親離れできていない」など批判をしてはいけません。それは一歩間違えば自分自身に返ってくるブーメランですから(失礼しました。私のことでした)。反省は必要ですが、人生の基本戦略は肯定でなければならないと考えます。そんな私でも看過できない言動あり。三女(古川琴音)の彼氏(青山フォール勝ち)がバツイチ子持ちと姉達に明かされた際のこと。いざこざの最中、三女は勢い余って「あんたに子どもさえおらんかったら良かったのに」と口走ります。これはアウト。審判の判断を待つまでもありません。明らかな失言であり、核ボタン級に触れてはいけない、取り返しのつかない一言でした。それを誰よりも分かっているのは三女自身のはず。ドラマでは彼氏が度量の広さ(天然を装う匠の技)をみせつけ、事なきを得ましたが、この一件は尾を引くと考えます。仮に彼氏が失言を忘れたとしても三女が忘れることはないでしょう。それが問題。結婚生活で、息子(龍馬くん)と折り合わなくなった時、彼女はこの言葉を思い出すでしょう。それはあの伝説の「千年殺し」にも似て。自分自身に暗示をかける呪いの言葉でした。口に出したことで、自分の気持ちに裏付けを与えてしまいました。本当はそんなこと微塵も思って無かったとしても、です。あとは龍馬くんが底抜けに良い子であることを祈りましょう。あのお父さんの血を引いているのですから希望は持てそうですが。 最後にキャスティングについて。もともと芸達者な3人娘は言わずもがなですが、予想以上に良かったのが「青山フォール勝ち」。素晴らしい。『いざなぎ暮れた。』でも好演していましたが、ドラマの邪魔にならない自然体の演技に好感が持てます。おそらく芸人俳優としては、東京03角田や原田泰造クラスの逸材だと思います。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-16 23:16:14)(良:2票) |
19. オオカミ狩り
《ネタバレ》 私は脚本家の土屋亮一氏が代表を務める『シベリア少女鉄道』の舞台をよく観に行くのですが、感想は毎回ほぼ決まっています。「一体私は何を見せられているのか?」勿論これは褒め言葉。予想の遥か斜め上を行き、とんでもない(基本的にしょうもない)着地点に感動(あるいは馬鹿負け)する次第。とくにSNSではネタバレご法度なので、これ以外の感想を書きようもないという事情もありますけども。なお土屋亮一氏が気になった方は、映画『おそ松さん』で氏の才能の片鱗が味わえますのでご鑑賞ください。おっと前置きが長くなりすみません。言いたかったのは本作の感想も「一体何を見せられているのか?」だということ。ただ、本作については褒め言葉ではなく、純粋な困惑であり落胆が含まれています。 洋上の貨物船というソリッドシチュエーション。極悪囚人集団vs護送役の警官隊。サバイバルスリラーとして上質な設定です。外部との情報伝達、水や食料の確保、機関部や操作室の制圧等々、戦いを有利に進める為のポイントは多岐に渡り、戦略の重要性が伺えます。長期戦も予想され、肉体的にも精神的にもタフな戦いが見込まれましたが、蓋を開けてみれば輩が暴れ回るだけのバイオレンス映画でした。勿体ないし、雑だなと。しかも「囚人vs警官」という当初用意されたアングルもいつの間にか有耶無耶に。最終的には怪物同士の異次元バトルを眺めることになります。何?このバイオハザード。ホント、一体何を見せられているのかと。期待感は急速に萎んでいきました。もっとも血飛沫の量だけは水芸並に大量なので、スプラッター映画好きな方の需要を満たす可能性はあります。ただし一本調子なので盛り上がりには欠けると感じます。喩えるなら、大技の応酬に終始する大味なプロレスのよう。これは一般的に「塩試合」と呼ばれます。血だらけ映画が鉄味ではなく、しょっぱいとはこれ如何に。あれ?お後がよろしくないようで。 [インターネット(吹替)] 5点(2025-05-14 19:58:02)(笑:1票) |
20. 愛に乱暴
《ネタバレ》 ミステリー要素ありの作品です。ネタバレしていますのでご注意ください。 「丁寧な暮らし」をする女の実は乱暴な愛のかたち。ダライ・ラマであろうが、マザー・テレサであろうが、不倫をしたら即アウト。さらにでき婚で略奪婚のトリプルコンボとくれば、そりゃ一生「後ろ指を差される人生」となっても仕方ないが世間の常識です。それでも愛する人との間に出来た子どもが居れば耐えられたでしょう。我が子はこれまでの不幸や過ちを帳消しにしてしまう最強の免罪符ですから。しかし彼女はそれさえ失った。残されたのは、熱の冷めた夫と、決して快く思っていない姑との半同居。夫の不倫発覚を待つまでもなく、彼女は地獄の中に居ました。「丁寧な暮らし」は辛い現実を紛らわし自分自身を騙す演出だったのでは。そもそも不倫する男が、二度目の不倫をしないなんて考える方がどうかしているのに何故自分だけは例外と考えてしまうのでしょうか。それが「愛」の魔法ですか?知らんけど。主人公の行き着いた先は「因果応報」の「自業自得」であり同情の余地はありません。が、全てを失っていく様は憐れではあります。いや住まいだけは残りましたか。でもあの家でそのまま暮らすのなら無限地獄から抜けられない気がしますけど。「丁寧な暮らし」から、二郎系ラーメン&ガリガリ君へ。もう自分を騙す必要はなくなりました。ただ食は心と身体をつくる基本中の基本です。姿かたちが別人となってしまう未来が来ませんように(注:二郎にもガリガリ君にも罪はありませんのでお間違いなく)。さて「業」のバトンは次の女性に渡されました。魅力的に思えた優良物件が、じつは欠陥住宅だと女教師が気付くのは何時なのでしょう。主人公にとっての救いは「感謝の言葉」を言ってもらえるようになったことかもしれません。 最後に床下の謎について。「子の亡き骸を隠した」では無さそうなので「後ろめたさ」が陽の当たらぬ地を求めたと見て取れます。いわば「日陰者」のメンタル。また女教師への言動や床下の残留物をみるに主人公の妊娠及び流産は狂言だった可能性高し。ただ狂言であろうとなかろうと、この一件で女は心に傷を負いました。狂うに足る深い傷です。それでも夫との間に強い絆があれば乗り越えられたかもしれませんが、不倫男にそれを望むのは無理な話です。結局のところ略奪婚を選んだ時点で主人公は詰んでいたということ。もっとも妻帯者が最初から素性を明かして浮気するとは考え辛いので、おそらく一番の悪人は男と思われます。当初素性を隠され「もう戻れない」状況に追いやられた後の略奪婚であれば、主人公や女教師もまた被害者と言えます。放火が不倫の暗示と捉えるなら、この見立てが成り立ちそう。一番「愛に乱暴」だったのは男だったかもしれません。いや、これは「愛」ではないですね。「欲望」です。 [インターネット(邦画)] 6点(2025-05-10 18:23:40)(良:1票) |