1. ROMA/ローマ
モノクロームは事物の内面を写すと言われている。 情報としての色は本質ではなく表層的なもので、意外と洞察力を鈍らす。 逆説的に言えば、色の処理に使われている脳の領域を解放することにより洞察が増すとも言える。 鋭敏になった思考はじわじわと漠然と眺める客観視から共感への主観視へとたぐり寄せられ、 映像も広く写し雑多な出来事を長回しで見せ、無秩序的な現実世界を再現している。 情報量があるシーンでも色を抜くことによって色に目が奪われず、観る人をROMAの世界へいざなう。 映画は家族の絆、人の成長が丁寧に描かれている。 皮肉なことに、人間は望まなくとも不幸や困難によって成長するという普遍性があるようだ。 満たされた幸せだけだと人の絆は脆いのか、助け合いの状況の中で人の素晴らしさが明白になるのは本質なのか。 理解しなくてはいけないのかもしれない。幸も不幸も人間には必要なことだと。 [映画館(字幕)] 10点(2019-06-09 00:56:19) |
2. トゥモロー・ワールド
夢を見ている時、とても強くリアルを感じているときがある。 後から考えてみれば、細部のディテールは甘く内容も支離滅裂で現実でないのは明白なのだが、 その時は文字通り頭が没頭している。 この映画はこの時の感覚に似ていて、非現実世界なのは明白なのに没頭してしまい、 さながら夢の中を漂っているかのような、ある種の郷愁を感じてしまう。 夢に完結はない。人生も同じ。終わりの時、その世界から切り離されたらおしまいなのである。 [ブルーレイ(字幕)] 10点(2017-11-04 08:11:46) |
3. 沈黙 ーサイレンスー(2016)
エンドクレジットで流れるのは、自然の音、虫の音。日本人はそれらに風流を感じ情緒を刺激されるが、欧米人などはノイズだといって忌みきらうと聞いたことがある。 本作は感情に訴えかける常套句的な音楽がほぼ皆無のために、ダイナミックな欧米的な映画ではなく、静的で堅実な作品となっている。 そもそもタイトルがサイレンスなのだから自然といえば自然なのだが、このようなわびさびを呈するような映画をよく日本人ではない欧米人監督が撮れたものだと感嘆しきりであった。 内容も内外どちらかに比重を置くことなく公平に描いてるのも素晴らしく、エンターテイメント性を追い求めることなく、深い人間性をえぐり出す実直な作品に仕上がっている。 そして物語の骨子が宗教であるため、否が応でも宗教について考えてしまうが、得てして多くの日本人は宗教の存在を軽んじ忌み嫌う節がある。そのような人はこの映画を観ても、上から目線でしか見れず退屈と疎ましさで嫌になるだろう。 宗教には実に多種多様な要素が含まれており一概に決定論的に語れない複雑さがあるため、ある種のタブーがある。それは相手の宗教観に自分達の宗教観を持って対峙しないこと。当然ながらどちらが正しいなどと決められないからだ。もちろん無宗教も立派なひとつの宗教観だ。 このような扱い難いデリケートな宗教観の対峙をこの映画は避ける事なく真摯に描ききり、この相克が作品にリアルと説得力を生みだしていた。 この映画を見終えたあと、今までに感じた事のない妙な感慨深い気持ちになったのは、ひとえにこの作品の特異性なのだろう。 [映画館(字幕)] 10点(2017-01-21 23:42:03) |
4. ラスト・ナイツ
冒頭から落ち着いたカメラワークと美しいライティング、そしてクラシックな音楽と、過去の作品とはまったく雰囲気が違う。 これは重厚感のある作品だなと思いゆったりと観賞していると、ふつふつと水が沸騰してくるかのように底から何かが沸いてくる。 それは雪深い静的な景観と、温もりを感じさせない静謐な空間の中に揺らめく信義という名の炎。そのコントラストに醸成される緊張感なのではないかーーー。 あのCASSHERNから十年以上たった。映画批評家から辛辣な評価をされた過去作とは全く毛色の違う作品を世に出した紀里谷監督。 今作はそんな世間に向けて意地で撮った映画ではない。そんな幼稚じみた人に撮れる映画ではないのだ。十年もあれば人も状況も変化する。 自分のやりたい事を最大限に実現する為にやることはもちろん、映画に対する謙虚さがあるからこそ柔軟に作風を変えられるのだと思う。 しかし彼の作品には変わらないスピリットがある。 それは、生きることよりも大切なものがあるという信念だ。 死は敗北ではなく、敗北とは生きるために大切な何かを捨てることだと。 生きることが目的ではなく、生きて何をするのかが人生だと。 『Last Knights』はそんな美しい魂が描かれている作品だった。 [映画館(邦画)] 10点(2015-11-14 19:45:58) |
5. インターステラー
《ネタバレ》 人の存在理由は真理探究だと思った。人の本能は真実を強く求めている。 神秘の源泉は真理欲求が生み出すものと仮定し、その現象は人の限界を突破しうる可能性を持つ。 科学的に相反するオカルトの存在も無意味では無く、直感も真理を目指す為に必要な要素なのだ。 全てに意味がある。なぜなら、起こりうる事は起こり、偶然は必然なのだから。 人類の命題が真理究明ならば、人はその為に誕生した事になり、 誕生以前に存在していた事物は、人が真理に到達する為に用意されていたと考えられる。 では何が用意したのか? 太古の昔から人知を超えた存在を神と呼び、現在も神が万物を創造したと考える人は多い。 作中では人類は異常気象や疫病により危機に瀕している。 誰もが神に救いの祈りを捧げていてもおかしくないのだが、そのような人たちはこの映画には登場しない。 即物的な救いを求めている人類に呼応したのは神ではなく「彼ら」だったーーー。 一般的に神とは聖書に出てくる神を指している。 この神は全知全能で完璧な存在であり、ある特質を持っている。 それが「愛」である。 聖書は分厚い本であり一読するに労力を必要とするが、教義は一言で説明ができる。 それは隣人愛である。自分を愛するように他人を愛しなさい。ただそれだけである。 ただし究極的に隣人愛を実践するということは、自分を殺しにくる相手も愛しなさいということである。 普通の人間なら理解も実践も難しい。しかし神はそれを望んでいる。 最初は愛を反理性的な本能からくる非科学的なものと考えていた男は、彼らの導きによって愛の本当の意味を知る。 愛は人を破滅させず救いをもたらすパワーであると。人類の次のステップである進化に必要な力であると知る。 彼らは神と同じく愛の重要性を教えてくれたのだ。 男の中で点と点が繋がり「彼らは我々だ」言った。三次元的思考が五次元空間を介する事で慧眼したのだろう。 その言葉を聞いて私は、もしかしたらこの世の全てを造ったのは我々自身なのかもしれないと思った。 宇宙は超ミクロな一点から始まった。その中に全てが詰まっており、全てが一つだった。 万物の根源は同じであり、優劣など無い意味ある存在なのだ。 直感は訴えかけてくる。いま理解ができないからといって存在しないとは限らない、いつか分かる時がくるかもしれないと。 起こりうる事は起こるのだ。 [映画館(字幕)] 10点(2014-12-31 19:18:07) |
6. ゼロ・グラビティ
この映画は可能な限り森羅万象を模倣して創った記念碑的な作品だ!! 「GRAVITY」が素晴らしい点は大きく分けて2つある。 まずは圧倒的な「映像美」。 徹底的な写実描写が有無を言わせぬリアリティを生み、観ている者を宇宙空間に引きずり込む。 本物はそれだけである種の神秘性を内包するが、それに近い感覚を喚起されるほど作り込まれた世界は圧巻である。 つぎに「普遍的」なストーリーとメッセージ性。 国家、人種、宗教が違えどこの映画は誰しもが楽しめる。 なぜならば襲いかかる脅威は自然現象であり(きっかけは人間だが)そこに善悪は無く敵が不在だからだ。 当然だがどこに住もうが規模の大小問わず生命を脅かす物理現象は偶発的に発生してしばし人間を苦しめる。 大切なのはその現象に対してどう人間として振舞うのかである。 この映画の素晴らしい所はそれを明示していることである。 すなわち人間が人間たるゆえんは、理性をもって思考することだと。 これを放棄し本能に流されるままの人間にはなるなと訴えているのだ。 まだ未見の人はぜひ劇場で観賞してほしい。この映画に限らず宇宙を題材にしている映画は劇場の暗くて広い環境が最適なのである。説明は不要だろう、百聞は一見にしかず。 映画史に名を刻むに恥じぬ「GRAVITY」観て損は無しと保証する。 [映画館(字幕)] 10点(2014-01-12 09:10:00) |
7. クラウド アトラス
クラウドアトラスそれは世界を紡ぐ旋律。人とはその一つ一つの音でしかない。 善人と悪人の相違は世界から見れば優劣はなく、厳然と流れるクラウドアトラスの節の一点にすぎない―――。 事象の価値を決めているのは人間の都合であり、世界にとっては何の意味も持たない。 しかし全ての音階には意義がある。だがその本質が認識できない。言うなれば我々は真意が分からないのである。この演奏の意味がそして行きくつく先が―――。 人は真実が存在しているのは知っているが、客観的な真実は知れないという原理を忘れやすい。 たとえば隣にいる人に何かを尋ねてみる。その答えの真実はその人には分かるが、あなたはその人の答えを「信じる」しかないのである。 この世になぜ神が存在するのか。それは絶対的な真実を人は欲しているからであろう。 絶対的な真実とはクラウドアトラスに他ならない。 ひとつの音符が他の音符との断絶感に嘆き、関わりを断ち切って孤立していては、この豊饒で壮大なクラウドアトラスの調べは奏でられない。 全てを知っている神の存在とはクラウドアトラスシンフォニーの指揮者であり、人とは神が調律した楽器のようなもの…なのかもしれない。 [映画館(字幕)] 10点(2013-03-17 11:53:47) |
8. ツリー・オブ・ライフ
この作品の評価は二分するでしょう。それこそ映画の冒頭で語られる「世俗に生きるか神に委ねるか」のように、低評価を下す人は世俗型で、高評価を推す人は宗教型と類型化してみても満更でもないかもしれない―――。 飴を渡されそれを直ぐに口に入れ甘さだけを味わう人にこの映画の良さは伝わらないと思う。与えられた飴の意味を思索する人に見てもらいたい映画だ。 [映画館(字幕)] 10点(2011-08-13 00:31:15) |
9. 2012(2009)
《ネタバレ》 ローランドエメリッヒ監督の過去の作品を列挙すれば分かることだが、 全体的に「極限状態での人間」を力点に置いた映画作りが多い。 本作もしかり。監督の伝えたいメッセージはシンプルで、 「極限の状況に追い込まれてもなお人間に残っているモノは何ですか」 「生きることよりも大切なモノはありますか」 という問いだと思われる。 妥当な解答は愛とか家族とか希望であることは、この映画を見なくとも簡単に想像できる。 これは人間の尊厳であるが宗教的な価値観が多分に含まれる内容でもある。 しかし終末が近付くにつれ現代にはびこっている幻影はことごとく打ち砕かれるのだが、 なんと驚くことにこの幻影の中に一般的な宗教観の「神」が入っており、 逆に幻影かと思われていた「現代社会」が幻影ではなく最後には人類に救いと希望を与えたのである。 ここである論理的な思考をしてみる―――。 もしある宗教的な教義が世界的に実践されていたならば、 現代の科学力は間違いなく質素だと思われる。 宗教的な神を否定してたアインシュタインの相対性理論は生まれず、 その影響と功績で確立した量子論や素粒子物理学も実用性は皆無であったはず。 言うなれば現代のIT社会は訪れなかったのである。 となると2012年で起きるカタストロフィは映画のようには回避することができず、 人類滅亡は必然であり換言すれば「神が望んだ」シナリオそのものである。 しかし映画では宗教の英知を包み込んだ人類の英知が神の作った宿命を跳ね除けたのであった。 だから私はこの映画を見て「神は死んだ」とニーチェの言葉が喚起され、 願わくば映画の最後で「夢オチ」に似たフィクションの中のフィクションを求めたが、 監督はこれまたニーチェのように「力への意思」を訴え、 「徹底的に運命を受け入れ今ある生を肯定せよ」と「超人」になることを観客に提示するのであった。 人類滅亡の危機を神に救われることなく自力で生き抜いた人間達の宿命は、 究極の自己責任のもとで希望ある未来を創造することではなかろうか。 [映画館(字幕)] 10点(2009-12-06 09:23:33) |
10. マイケル・ジャクソン/THIS IS IT
歌がうまい人は沢山いる。ダンスがうまい人も沢山いる。 しかし彼ほどの天性の「魅せるスター」はいない。 「THIS IS IT」は公共の劇場で観ることによってマイケルが目指したライブを疑似体験できる趣きがあった。そのため自宅での観賞はナンセンスであることを付け加えたい。 [映画館(字幕)] 10点(2009-11-07 10:02:14) |
11. 仏陀再誕
映画は批判はでなく他者への想像力を試されるモノだと私は思っている。 共感できぬのならそれでいい。理解できぬのならそれでいい。 神を知るより人を知ることのほうが困難なのだから。 だから深く思慮せよ。浅はかな物言いは災いの元になる。 人を知る者は神だけだが、神を知る者は大勢いることを忘れてはいけない。 [映画館(邦画)] 5点(2009-10-25 08:46:14) |
12. ザ・ムーン
始まり―――世界は母の胎内だった。そして生まれ出て世界が家になった。 歩けるようになり外に出ると世界が町になり国なって、最後は世界が地球になった。 現在大多数の人類の世界は地球。それより大きな世界を体感してきた者はごく僅か。 言うなれば彼らは世界が宇宙まで拡張した「新人類」たち。 彼らから見たら地上しか知らない人類は鳥かごの中の小鳥のようなものかもしれない・・・。 ――私は願う。 この先誰もが宇宙空間に飛び立ち、全人類の世界が宇宙に広がることを。 そして世界が地球だった私達の頃よりも大きく進歩した明るい未来を。 そんな可能性を与えてくれる宇宙。――この世は美しい。 [DVD(吹替)] 10点(2009-07-02 01:37:40) |
13. 死ぬまでにしたい10のこと
私は彼女の行動に共感できない。それは至極当然だ。 なぜなら彼女は死を受け入れたことで「本物の」いち個人として生きているから、 誰であっても彼女の本物の魂を触れたり汚す事が出来ないのだ。 第一共感なんて言うモノはこの先「独りで」死に行く者とって何の意味があろうか? 世間で言う道徳とは生きる者にとっての道であり、死に行く者にとっては懐かしい道である。 本物の道徳とは、己にとってのただひとつの正しい道である。 その道が世間とズレているならそんな世間など無視をすればいい。 なぜなら世間に正しいも間違いも無いからだ。 私は私の「正しい道」を進む。そうすればこの世は悪くなんかならない。 人間とはそういう存在だと私は信じている。 人はみな違う。この当たり前の事実が真理として輝くのは己が死ぬときだ。 ある意味人生とは協調と妥協の中で生きる宿命を負わされている。 そんな中で自我の輪郭はボヤケ「自分とは何か」とゆう愚問に人は陥る。 死とはそんな自我を確立させる力であり、唯一の私だけの真理なのである。 [DVD(字幕)] 5点(2009-05-09 18:04:37) |
14. GOEMON
前作「CASSHERN」はよくも悪くも前衛的過ぎたため万人に薦められる映画ではなかった。 しかし「GOEMON」は見事なまでに一級の娯楽作品に仕上がっている。 まず前作では音楽の使い方が漠然的で浮いていたが、本作は映像と音楽の調和がとても素晴しく、驚嘆するほどダイナミックでドラマチックな作品になっている。 そして物語の展開が一本調子ではなくなりカットのタイミングや場面切り替えが絶妙で飽きさせない。 映像も情報量が増えたことにより立体的になり、衣装や美術の奇抜さも相まって映画としての重厚感が増した。 そのおかげでケレン味な演出にも説得力が増し、独特の世界観を見事に構築しきっている。 CGはリアルさを追求するのではなく表現や演出を第一に作られており、それゆえ大資本ハリウッド映画に劣らぬ先進的で個性的な映像を生み出している。 映画に流れるメッセージ性は有史以来人類が逃れることの出来ない因果に真っ向から立ち向かい観る者に訴えかける。 これは前作「CASSHERN」と同じく業(カルマ)に対する足掻きであり、その主張は解脱への道を示しているかのようで興味深い。 ある意味紀里谷ルックな独自の映像よりもこの変わらぬアジア的な?哲学に深く感動したのであった。私にとってこれほどカタルシスを強く感じた映画は滅多に御目にかかれない。 監督2作目にして己のもったオリジナリティ、ビジョンを崩すことなくここまで作品のレベルを正統進化させた人は珍しい。今後目の離せない日本を代表する映画監督が誕生した。 [映画館(邦画)] 10点(2009-05-01 22:57:14) |
15. イントゥ・ザ・ワイルド
人は知りえぬことを勝手に解釈し構築する生き物。 現代の情報化社会はそのことに無自覚な人を生み続ける。 荒野を知らずに荒野を語るべからず。 私はこの映画を観てなに不自由なく生きている自分はなんと無知で傲慢かと思い知った。 彼の言行は現代人が放棄した真理の一端を垣間見せる。 [DVD(字幕)] 10点(2009-04-14 22:46:30) |
16. ドーン・オブ・ザ・デッド
本作を劇場で見たとき、あまりの恐怖とスピード感そして問答無用のアグレッシブなゾンビ達に度肝を抜かれ、気が付いたら映画が終わっていたほどとてもエンターテイメント性に優れた傑作だった。 たしかレーティングはR-15だったはず、はたして地上波でノーカット放送できるのかと見てみれば、 あらゆる残酷描写をピンポイントでカットしてあるために編集が破綻しており目も当てれぬほどの酷さであった。 これは大袈裟でなく映画、芸術に対する冒涜だ。 まあ、放送したテレビ側の理由や言い分はだいたい想像付くが、それならば映画の冒頭なのでことわりの一文でも添えるべきであろう。 よって点数は劇場で見たオリジナル版でつけるのが道理である為、 ここではテレビディレクターカット版『ドーン・オブ・ザ・デッド』は除外する。 私はこれに懲りて二度とCMを挟んだ映画は見ないだろう。 [地上波(吹替)] 10点(2008-10-23 23:41:00) |
17. スカイ・クロラ The Sky Crawlers
無駄のない展開と強いメッセージ性、そして地上の閉塞感(静)と空の開放感(動)との映像の緩急は見事だ。 音響も素晴しく、スカイウォーカーサウンドの緻密にして繊細なサウンドデザインは、その場の空気を感じさせる。 とくに、日常の些細な物音や環境音などの録音が素晴しく、アニメ空間にリアルを描き出していた。 声優陣も素晴しく、スイトは他を寄せ付けない圧倒的な存在感があり、ユーイチはどこか傍観者的で無垢な感じがうまく出ている。 とくにトキノとミツヤの声はキャラクターとのズレを微塵も感じさせなかった。 川井憲次の音楽も素晴しくハープの調べは観る者の情感を強く刺激し、オルゴールの旋律は無機的で、何ものにも制約を受けない絶対的な摂理のようである―――。 【最後に】 スカイクロラを系列の違う劇場で三度見たが、とても残念なことがあった。 それは画面(映像)が縦に揺れる(ブレる)のである。原因はフィルム焼付け精度の低さ。 出回っている全てのプリントがこのような粗悪品ではないと思うが、 ブレの強弱を抜きにしても、どのプリントもこの傾向はあるに違いない。 この現状を何より遺憾に思うのは監督を含め、作品に関わった人達であろう。 演出上、カメラをフィックスで長回しが多いこの作品にブレは致命的だ。 このような事からスカイクロラは、ブレの心配の無いDLP上映が望ましいのだったのだが・・・。 [映画館(邦画)] 10点(2008-08-03 02:39:08) |
18. スピード・レーサー
また新たなる歴史に残る作品が生まれた。久しぶりだ、これほどミラクルな作品を体感したのは。まさにファンタスティック!! 世界の映像クリエーターが驚嘆と嫉妬する映像を生み出したウォシャウスキー兄弟に賞賛を贈りたい―――。 私は原作を知らないが、現代において「スピードレーサー」のストーリーや設定はいたってシンプルである。 即ち、この映画を普通に撮ってしまったらとても緩慢な作品になることは予想できる。 そこでウォシャウスキー兄弟は、原作のエッセンスを脳内のルツボに垂らし、 そこから抽象的なビジョンを抽出、映画という媒体に収めるべく具現化した。 いわゆる、イメージをCGを使って表現できる数少ない天才である。 ここで着目するのは、彼らの想像力は既存の枠に納まっていない事である。 ものごと何でも、限度の枠が有るほうが収拾が利いて楽なのである。 それがデジタル化時代に入って曖昧な枠が消え去った。 CGの可能性は無限になり、その中で未開の地を開拓するウォシャウスキー兄弟の偉業はとても大きい―――。 絢爛豪華なビビッドな色彩と光の軌跡は、もはやアートの境地。既視感は何ひとつ無かったのではないかと思えるほどオリジナルティに溢れている。 編集も秀逸で、玩具を組み立てるように様々な素材のピースを巧みに繋ぎ合わせ、しっかりとある一点に収束させている。 その中でも特筆すべきは、映像のカットやエフェクトに普通場面転換等に使われるスライドトランジションを多用、未知のリズムと軽快なテンポを生み出したことであろう。 それらが醸しだすコミカルな展開とスピーディーな映像はこの題材に見事に調和している。 めくるめく刺激のオンパレードに陶酔しながらも、笑い・信念・葛藤・愛がしっかりと描けているのにも脱帽だ―――。 圧倒的な情報量の多さから何度も楽しめる映画「スピードレーサー」。 それ故に思うことは、この映画の幹である数多の作り手の意図や思慮を僅かしか計り知れないことである。 「マッハGoGoGo」は日本の大切な遺産である。 これを時代を経て、国の違う人たちが「スピードレーサー」として蘇らした。 鑑賞後、この事が一番の意義あることの様に思え、深く心を打たれた。 [映画館(字幕)] 10点(2008-07-06 10:36:30) |
19. サンシャイン 2057
見るもの全てが奇跡のような現象であり、 生命を否定しているかのような深い闇のなかで、 母なる地球から離れたヒトは、 何を想い太陽へ向かうのか・・・ 宇宙空間とは、地上にいる人間の既成概念では計り知れない場所だということを前提にこの映画は見るべきだ。 [DVD(字幕)] 10点(2007-12-13 14:34:24) |
20. ボーン・アルティメイタム
文句なしの10点満点。ほとんどの人が前作の「スプレマシー」を超えたと判断するだろう。(私は前作のほうが好みだったが)まさに徹頭徹尾抜かりのない作品に仕上がっている。特にボーンシリーズファンにはたまらなく楽しめる映画だ。「アルティメイタム」はそういう意味でも前2作を観てからの観賞をお勧めする。 ―――グリーングラス監督の卓越した演出力は健在で、畳み掛ける映像と音で観客の目を引きつけ離さずグイグイと映画に引き込む。これがとても手馴れなのは、ひとえに映画の質を支えるカメラマンと編集マンが前作の「スプレマシー」から変わっていないのも上げられるだろう。音楽のジョンパウエルも続投しているのでシリーズとしての一貫性があり安心して楽しめる。そしてジェイソンボーンの頭脳プレイは本作の見所であるが、これがとてもよく練られボーンの非凡さを遺憾無く発揮している。様々な小道具や美術セット等を応用した攻防はドラマを大いに盛り上げ、アクションシーンは見せたいショットが明確になり、それを軸に素早くカッティングされ前作よりも成熟されている。カメラの高速ズームイン/アウトの使い方も上手く、シーンのテンポが上がり良いスパイスになっているのも見逃せない。特筆はグリーングラス監督のお家芸でもある、カメラと役者の間に遮蔽物を入れ、被写体を大きく遮ってしまう映像だ。乱暴に見えるこの演出が、独自の臨場感を生んでいるのは明白だ。恒例となったカーチェイスは既存に捕われないまたひとつの新しいスタイルを確立している。ぜひ大画面大音響の劇場で確認してほしい。「アルティメイタム」は前作の良さを踏襲しつつ、さらにアクション性とドラマ性を見事に昇華させ、素晴らしくクオリティの高い作品に仕上がっている。これは映画館で見て損なしの映画だ。 [映画館(字幕)] 10点(2007-11-06 08:10:00) |