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1.  2001年宇宙の旅 《ネタバレ》 
人類の叡知を遥かに越えた未知の高度知的生命体がある。「神」に近いが、「神」では誤解を招くのでXと仮称する。Xは400万年以上前に地球に飛来し、第1モノリスを設置。Xが地球に生命の芽を植えつけたのかは不明。BC400万年に原人が第1モノリスを発見し、触れた。これでモノリスが原人の意識に作用し、原人は知的進化を遂げ、道具を使うようになる。道具の象徴である骨を投げると瞬時に宇宙船に変貌する。Xにとって数百万年は一瞬のこと。月で第2モノリスを発見。人が触れると(太陽に触れると)木星に信号を発した。第2モノリスは、人類が月に到達するレベルにまで進化したことを第3モノリスに知らせる発信機。木星探査の宇宙船が木星に近づく。探査目的はモノリスだが、添乗員には秘密。パニックを恐れたためだ。探査目的の秘密と、添乗員の命令に従うことは相反するので、宇宙船を制御する万能コンピュータHALは矛盾を抱えた。故に異常をきたし、エラーを起こす。添乗員が自分の抹殺を企んでいるのを知ると、逆に彼らを抹殺しようとする。ボウマンはただ一人生き残り、HALの切り離しに成功。そのとき本当の探査目的を知る。宇宙船が第3モノリスに近づくとスターゲイトが開き、異次元空間(他銀河)に移動、ボウマンは肉体を離れ、意識だけの状態に。そこでは時間軸がゆがみ、高齢の自分、死の直前の自分もいた。来世では宇宙を漂う赤ん坊に。人類は新たなる進化の段階を迎え、肉体を持たず、意識だけの知的存在に。それの象徴としてスターチャイルドが映し出される。HALの反乱は、万能を誇る人類の叡知もいまだ不完全であることの象徴。だから進化しなければならないのだ。この映画の最大の特徴は、神に近い知的生命体が人類を産み、進化させているという概念の提示。これは衝撃的。鑑賞後そら恐ろしいほどの畏敬の念に打たれるのは、それが同時に神の存在も身近に感じさせるからだ。会話や解説は極力廃し、映像と音により無意識に直接働きかける斬新な手法。数百万年単位で繰り広げられる、人類の誕生と進化の壮大な物語。美しいデザインと高い芸術性。宇宙船が子宮なら、HALは母。母を越えて、新しい人類の誕生。象徴性に富む内容。Xの概念が、実際の人類の意識の進化に貢献しているように思える。今もなお観る者に衝撃を与え続ける。映画を越えた映画、傑作中の傑作。最大の賛辞を込めて言おう。この映画がモノリスそのものなのだ!
[DVD(字幕)] 10点(2009-09-24 09:00:15)(笑:2票) (良:8票)
2.  古都(1963) 《ネタバレ》 
近代化によって変化する京の伝統や町屋の風景など、「失われゆく美」に対する愛惜の情を数奇な運命を辿る双子に託して表現している。 美を象徴するのは双子姉妹。別々に育った二人だが、共に実の両親を知らない。これは切れた凧のように運命に抗うことができないことを意味している。 千重子は呉服問屋の一人娘として両親の寵愛を受け、何不自由なく育った。自分が捨て子だったのを知り、両親の云う事には何でも従う覚悟がある。父親から幼馴染の真一の兄・竜介を婿養子にする話を持ちかけられると結婚をすんなり承諾する。自立していないのではなく、受容的な性質なのだ。意志が弱いのではなく、番頭に帳簿を質すなど、芯の強さは持っている。相手が自分のことを愛しており、両親も勧める結婚ならば、反対する理由などない。その胸底には、昔ながらの商売の伝統を守ろうとする決意がある。 苗子は両親の元で育てられたが、物心がつく前に両親を亡くして孤児同然の身だ。北山杉の製材所で働き、自活している。彼女は、双子の姉妹・千重子を知って喜ぶが、育ちの違い、身分の違いを自認しており、千重子を「お嬢さん」と呼び、自分の存在が少しでも彼女の幸せに支障をもたらしてはいけないと考えている。だから西陣織職人の秀男から求婚されても断わろうと考えている。何故なら、、秀男は自分に八重子の幻を見ているのであり、万一結婚した場合、自分の存在が八重子の周囲に知られてしまうのを恐れているからだ。その背景には、双子を不吉とする迷信がある。 苗子が八重子を思い遣る気持ち、自分を勘定に入れずに献身的に相手に尽くす気持ちこそが「失われゆく美」だ。苗子が望んだのは、八重子の呉服屋で共に一夜を過ごすというだけのもの。それも周囲の目を慮って、夜に来て、早朝に帰るという慎重さ。雪の残る町屋を早足で去っていく苗子の姿こそ原作者の理想の姿で、「謙譲の美」とでも呼ぶべきか。幻想的ですらある。 音楽も映像も端麗で、四季を通じての古都の美を堪能できる秀作である。 ただし、スッポン料理は若い男女が食べるものではなく、不似合いだ。老年だった原作者の趣味を持ち込んだだけである。
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-13 15:34:38)
3.  愛と死をみつめて 《ネタバレ》 
軟骨肉腫という難病に冒され、21歳で散った女性ミコと彼女を支えた恋人マコの悲恋の物語。二人は病院で出逢い、淡い恋心を抱き合い、二年間文通が続いた。病気が悪化したミコがマコに別れに手紙を出したのは、相手を思い遣ってのことであり、それを読んで激怒したマコが上京して真意をただしたのは純粋であればこそだ。この一件があって、二人の絆は深まった。しかし若き生命を燃やして愛し合う二人を病気が無残にも引き裂いていく。やる瀬なくも暗鬱たる内容だが、何と言っても特筆すべきは病魔の恐ろしさで、 怖じ気がひしひしと胸に迫り、気鬱になった。肉腫が眼球と鼻骨の間に出来、何度か手術を受けるが肉腫の浸潤は止まず、それが頭蓋骨の底部に広がらないように、左眼と左頬骨、上顎の左半分を摘出する外科手術が必要になる。これは左の顔のほぼを半分を失うことを意味する。手術が成功しても、2年生存率3割程度、5年生存率ゼロに近いという厳しさだ。女性が顔半分を失うのはどんなに辛いことだろうか。想像を絶する。自分の身に起ったと考えるだけでぞっとする。この激烈たる悲劇性が、万人の心を打つ要因となっているのは皮肉なことだ。彼女が自殺を考えたのも無理からぬことだ。恋人の前では美しく居たいという気持ちは痛いほど分かる。いっそ一緒に死んでくれたらと、思いつめる気持ちも理解できる。しかしマコは自殺を断固否定し、ミコに最後まで病気と戦うように諄諄と説得する。情に流されない立派な態度だ。これで二人の絆の強さは決定的となった。だから彼女は死を受け入れることができた。死を覚悟し、身の回りの整理をする為に人形を燃やすときの静穏な顔は神々しい。。観葉植物を老患者に譲る心根の優しさにも感じ入る。彼女は、この世に恨みや未練を残して死に赴いたのではない。十分に生き、愛し愛されたという充足感に抱かれながら永眠したと思う。力を尽くした生き方が胸を打つのだ。老患者の「わしが変わって死にたかった」という絶叫は本心だろう。乙女の死は悲痛だ。主演女優の熱演は認めるが、関西弁はなっていなかった。ミコを脅して、化け物扱いした女優の演技が光っていた。憎まれ役は必要だ。原作を読んで映画化を熱望したという吉永小百合。彼女が映画撮影の合間を縫ってミコの実家を訪れると、両親と妹の歓待を受け、請われてミコの着物を着て、丸一日彼女の代りをして過ごしたという逸話が残されている。 
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-12 03:45:06)
4.  猿の惑星 《ネタバレ》 
SF映画史上燦然と輝く屈指の名作。衝撃の最終場面がつとに有名だ。 戦争を繰りかえす人類をこれほど痛烈に、辛辣に、壮大な規模で批評した作品は他に知らない。冒頭の独白は、最後を見てから振り返ると、胸締めつけられる。「宇宙では、人間のエゴが空しい、寂しくなる。宇宙の奇跡である人類、偉大な生物人類、相変わらず互いに戦い、子供を飢えさせているか?」悲しいことだが、現代にも通じる箴言だ。 テイラーを科学者肌の温厚な性格にせず、やや粗暴で闘争心旺盛な性格にしたのは、人間の愚かさを強調する演出だろう。彼が戦争で滅亡した先文明人の象徴となっている。 作品が面白いのは“驚き”が連続するからだ。宇宙船の墜落事故。女性飛行士の死。人間による服を奪われる。馬に乗った猿による人間狩り。喉が傷つき話せない。もう一人の宇宙飛行士の脳外科手術。銃、カメラ、宗教など人間に類似する猿の文明。ザイアス博士は頑迷蒙昧なのではなく、すべてを知っていた。高度文明の危険さを理解していたからである。そして、衝撃の最終場面。畳み掛ける展開で飽きさせない。時代背景も重要だ。当時世界は冷戦の緊張下にり、核戦争の恐怖が蔓延していた。そこにこの映画は、戦争の愚かさと文明滅亡の恐怖を示し、人類に警鐘を鳴らした。その意義は大きい。核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかもしれない。そうなら、世界文明遺産に指定する価値がある。 不備な点もある。二千年にしては猿の進化が早すぎる。人間が話せない理由が不明。調査で土壌は何も育たないというが、植物はある。調査で放射能汚染は無いというが、核戦争はなかったのか?猿が英語を話すなら、地球とすぐ分る。これが最大の疑問点だが、これは原作を改変した功罪だ。原作との違いを挙げる。不時着した星は地球ではない。ロケットは湖に沈まない。猿は猿語を話し、姿は地球の猿と違う。自由の女神は出て来ないが、別の衝撃の最終場面がある。 最後に、「『猿の惑星』は原作者ピエール·ブールが日本の捕虜になった経験を基にして書かれた」は、都市伝説である。仏語版ウィキペディアに、彼は、仏領インドシナで、親ナチス・ヴィシー政権への抵抗運動に参加したが、1942年に仏軍に捕まり、重労働を課せられ、2年後に脱走したとある。「戦場にかける橋」が実状とはかけはなれた内容であることもこれで説明がつく。捕虜の経験は無いのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-12 16:49:51)(良:1票)
5.  去年マリエンバートで 《ネタバレ》 
人の記憶の曖昧さ、存在の不確かさを表現した前衛作品である。幾何学的図案の庭園、大型の鏡、動と静、雑踏と静寂、移動するカメラ、繰り返される映像と語り、噛みあわない記憶と会話、男女彫像の解釈の違い、女の写真の説明の違い、物語が本編と入れ子になっている劇中劇、ゲームに勝ち続ける男、挿入される射撃練習の場面、挿入される女が死ぬ場面、不穏な音を奏でるオルガン、そのどれもが不安を駆りたてる、それでいて不快さはない。物語の意味は不明でも、静謐で硬質な映像美は心の深層に滲み込む。傑作だ。 壁、扉、廊下が続き、幾何学的庭園を持つホテルは、記憶が迷宮であることの象徴。 たびたび服装が変わることで現在と過去が交差していることが示される。 男女彫像の背後の風景に泉水であったりなかったすることで、男女の記憶に大きな相違があることが示される。 夫が男にゲームに勝ち続けるのは、夫が女(妻)の支配者であることの象徴。 一年前の場面で「一年目に会った」という会話があるように見える。時間がループしているのか? 女が射殺される場面は、不安が嵩じた女の悲観的幻覚。 男は女に記憶を思い出させようとするが、二人が結ばれた場面になると、男の記憶も曖昧になっていく。強姦か同意か?しかしそのことが重要でなくなるほど事態は緊迫している。 女の着る羽毛の服は、現実から飛翔したいという願望の象徴。 男が乗った石の欄干が崩れる場面は、女が過去を思い出した瞬間。幾何学の迷宮の一角が崩れた。女が落して割ったコップの欠片を給仕が拾う場面は、過去を拾い集めることの象徴。過去を思い出したことで、女は男を受け入れ、駈け落ちを決意する。夫には妻がいなくなる予感がある。女は、夫が駈け落ちを阻止するだけの時間的猶予を与える。二人が去ってから夫が現れる。夫は何を思うのか?二人はどうなるのか?ループから抜け出せるのか?すべては死者の世界の物語なのか?すべて不明、明確な答えのないまま映画は終る。まるでだまし絵のように、現実の世界が虚構の世界に、虚構の世界が現実の世界につながる。重畳たる虚構により現実が創造される稀有な作品。その構成と技法は芸術の域に達している。 合理的な解釈すれば、「因習に満ちた社交界と愛のない家庭生活に倦んだ女性が、不安を抱えながらも、愛を見つけて、自らの殻を破って新しい世界に飛び出していく」のを表象的に描いた作品となるだろう。
[ビデオ(字幕)] 9点(2014-08-17 01:49:36)
6.  キューポラのある街 《ネタバレ》 
眉目秀麗で成績優秀のジュンだが、貧しくて高校に行けないという不条理な現実が重くのしかかる。楽して高校に行ける人には負けたくないという負けん気でバイトをしながら受験勉強に励んでいたが、父が仕事を再び辞め、母が酒場で男に抱かれながら働いている姿を見て気持ちが折れてしまう。修学旅行を取りやめ、悪友とバーで踊り、酒を飲んで寝込んでしまう。不良達に乱暴されそうな所を辛うじて逃げ出せたのは幸いだった。登校拒否を続けていたが担任の説得により復学し、卒業後は就職して夜学に通う道を選ぶ。自分で選んだ道だから安易に変えたくないという彼女の気持ちは健気だ。 弟タカユキは幼いので貧困はまだ切実ではなく、笑い飛ばしている。それが一服の清涼剤となって作品に彩りを添えている。 ジュンと同様に不幸な境遇にいる朝鮮人の友人が北朝鮮に帰郷するとき、もっと話をしたかったと言い交すのは泣かせる。 牛乳配達の少年が牛乳を盗んだ子供らに対して、お前らのせいで病気の母の薬代が消えると泣きながら石を投げるも忘れがたい。 結局のところ真の貧困や悲惨さは描かれておらず、父親が都合よく職場に復帰できるなど予定調和で終っている。それでいいのだろう。少女が逆境にめげず、明日を信じて自分の進む道を探しだす姿を描くのが眼目だ。苦境から抜け出そうと懸命に頑張る姿を見ると応援したくなるものだ。頑張る人が成功すると爽快になる。スポーツを見ているようなものだ。それがこの作品の成功の要因といえるだろう。 それにしても主演女優の美少女ぶりには目を見張るものがある。まさに掃き溜めに鶴だ。体を張った演技も好感が持てる。例えばジュンの友達役の誰かが主役を演じていたとしたら、この作品はさほど注目を集めなかっただろう。また子供達に自然な演技をさせた監督の力量も賞賛に値するものだ。脚本に無駄がなく、工場や学芸会の場面など一つ一つ、丁寧に手堅く描かれている。窓を開けると夕陽に染まる街並みが見えるなど印象深い場面がいくつかあった。これが初監督作品で、脚本も自分で書いている。才能のある人だ。 
[DVD(邦画)] 9点(2014-06-24 01:58:31)
7.  僕の村は戦場だった 《ネタバレ》 
映像表現に秀でた傑作。画に象徴性をもたせ、映像で語る。芸術の領域だ。主題は、戦争の犠牲となる弱い子供。無理心中を強いられたゲッペルスの子供達の実写映像を出すことでそれを補強している。少年の思い出で始まり、思い出で終る循環構造。冒頭、どこまでの健やかに延びる若杉を俯瞰でとらえ、疾走する少年を遮断する黒く歪んた老木を仰視でとらえて終る。少年の顔をすっぽり囲む若杉の蜘蛛の巣が少年の未来を暗示する。戦争という蜘蛛の巣に捕まった少年。戦争は彼から家族を奪い、子供らしい心を剥ぎ取った。憎悪に燃え、復讐の鬼と化す。最後に登場する老木は、奇形化した少年の心の投影でもあるだろう。自らの歪んで怪物化した心に殺されたともいえる。少年を変貌させたのは戦争で、戦争の邪悪さ、悲惨さが浮き彫りになる。思い出の場面は、半裸の少年、夕立を浴びる兄妹、微笑む母、収穫の林檎とそれを食む馬と、あくまで甘美でまさにエデンの園。兄妹はアダムとイブだ。生命の象徴としての水の映像が鮮烈だ。母が運ぶバケツの水、少年が屈んで飲む水、眠る少年の指に滴る雨漏り、昼でも星を映す井戸水、林檎を運ぶトラックに降る夕立、浜辺の陽光の綺羅を放つ水面、地下壕の中でもしばしば水滴の音が響く。戦争場面では雨は降らず、渡川後の大尉は雨さえ降れば少年の足跡が消えるのにと悔しがる。代わりに初雪が降り、最後の捕虜収容所では焼却灰が降る。蓄音機を修理した古参兵はレコードを聴けずに死に、マーシャ軍医をめぐる大尉と中尉の恋の鞘当ても虚しく終り、少年も落命する。戦争は何も生まず、物質だけでなく、心も破壊する。傾いた十字架、燃える木、剥げた聖画像、壁の落書き等がそれを象徴する。カッコー、キツツキの声、銃弾、照明弾の音が効果的に使われる。特筆すべきは、偶然を装って人物を活写する演出法。少年の尋問中にランプが爆ぜて中尉がそちらを向く、女軍医が机に触るとメモが落ちる、白樺林で大尉と会話中の女軍医が突然蜘蛛を振り払う、中尉が塹壕でよろめき大尉に笑われる、大尉が小舟に乗ろうとして尻餅をつく、少年ら三人が渡川中に木が倒れる、レコードをかけた大尉が振り向くと顔にコードが当りよける、捕虜収容所で置いた少年のファイルが階下に落ちる。観る者に、あたかもその場にいる居るようなリアリティを与える効果がある。女軍医が浮いているのが残念だが、宙ぶらりでキスされる場面は印象的。
[DVD(字幕)] 9点(2013-09-18 21:10:03)
8.  奇跡の人(1962) 《ネタバレ》 
三重苦を克服することは可能か、考えたことがある。結論として、生まれながらの三重苦の場合は、どう考えても無理と思った。言葉があるということをどう教える?ましてや話せるようになるなど。2才で三重苦となったヘレン・ケラーが克服したことになっているが、信じられないでいた。自伝を読んでも、釈然としなかった。水に触れさせ、今触れているものの綴りがWATERで、発音がウォーターってどうやって教える?ましてや手には触れられない物や抽象的な概念をどうやって?長年の疑問の一端が本作で氷解した。方法はこうだ。先ずふたりだけで生活する環境を整え、相手に自分を頼らせる。その意味が分からずとも、とりあえず指と指で文字を伝え、自分の顔に手を触れさせ、表情や首の振り加減で、うまくできたか、嬉しいなどの感情を伝える。躾は、ちゃんとできるまでは食事をさせなほど厳しくし、うまくできた場合は褒美のケーキを与えたりして誘導する。これを何度も何度も繰り返す。決して諦めない。そして最難関は「ものには言葉があって、今触れているものの綴りが指文字で伝えられているもの」と理解させること。これは本人が気づくのを待つしかない。 サリバン先生の熱意、母親にも勝るとも劣らない愛情には頭が下がる。体ごとぶつかり、決してくじけない、その鬼気迫る姿は胸を打つ。彼女自身かつて盲目であり、孤児として救貧院で悲惨な生活を過ごし、盲学校時代に二重苦を克服した人と出会っている。これらの経験が活かされている。逆にこれらの経験がなければ”奇跡”は成し得なかったろう。二人の出会いは神の祝福だ。 ヘレンの野獣児ぶりには度肝を抜かれた。ホラー映画顔負けの怖さがあった。エクソシストの少女のように、いまに首を180度回転させ白目を剥いて「WATER!」と叫ぶんじゃないかと想像したほど。食事を教えるシーンは屈指の名場面。 The Miracle Workerは「奇跡的な職人」で、ヘレン・ケラーのことではなく、アン・サリバンのこと。史実では先生20歳でヘレン7歳だから、役者の実年齢とはだいぶ違う。映画では触れられていないが、発音を教える方法は、生徒の指を先生の唇と喉もとに当てさせて、振動を覚えさせる。これを実際にアンとヘレンが実践説明している動画を見た。ヘレンが来日したときサリバンは既に帰らぬ人となっていた。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-21 16:30:05)
9.  アラバマ物語 《ネタバレ》 
原作者が少女時代を振り返るという設定。郷愁とは不思議なもので、米国の田舎町の物語なのに、子供たちが遊んでいる姿を見ると郷愁を覚える。このことがこの映画を親しみやすいものにしている。誰でも子供時代の思い出は宝物だ。 主人公スカウトは直情径行型。何でも思ったことを口にするし、納得できないことに対しては抵抗し、喧嘩も辞さない。父親似です。見ていて清々しい。子供の世界は世情の動きに関係なく、周囲の大人から守られています。ですから天真爛漫に振舞えるのであり、それを見る我々も癒される。それでも大恐慌の影響は忍び寄ってきていて、お金のない人や子供が登場する。少女は少しずつ厳しい現実を知って成長していく。前半のブーの居る隣家への冒険は重要な伏線。あれがあるのでブーは子供達のことを知り、好きになり、宝物を密かに贈る。ここで絆ができる。厳しい現実の最大のものは、無実の黒人が「白人娘強姦」で有罪にされること。公民権もなく、黒人差別が当たり前の時代ではよくあること。真相は娘が黒人を誘惑したのを知った父親ユーエルが娘を殴った。子供の世界から、法廷劇へと移るので少々とまどった。子供は裁判所に入れないはずだが、目をつぶる。少女は、白人から嫌がらせを受けながらも正義を貫く父親の姿に感動する。退出時黒人達が敬意を表して立ち上がるのは誇らしい。その後、被告は逃走して射殺されるというショッキングな出来事が起こる。そして最も長い夜が訪れた。裁判で嘘を暴かれたユーエルは逆恨みして、卑劣にもスカウトと兄を襲った。原作ではナイフを所持している。それを助けたのは、それまで姿を現さなかったブーだった。ユーエルはブーに刺殺される。保安官と父親は協議して、ユーエルを事故死として扱うことにする。正当防衛だし、内気すぎて世間の目に晒すのは不憫だし、責任能力もなさそうだ。少女もこれに同意する。「妥協とは話し合いで分かり合うこと」という父の言葉を理解したのだ。そして「相手の立場になるとは、相手の靴を履いて歩き回ること」と教えられたが、ポーチに立っただけで理解できるまでに成長した。「良い音色を奏でるMockingbirdは決して殺してはならない」のMockingbirdはブーのこと。ちなみにスカウト達は一度黒人の命を救っている。白人達が留置所の黒人を襲おうとしたときに、割り込んで入って、一席ぶったあの場面だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-21 00:41:24)
10.  ウエスタン 《ネタバレ》 
「もしルキノ・ヴィスコンティが西部劇を作るとすれば」をコンセプトに作られたらしい。道理で、カルディナーレを起用したり、歴史劇要素を盛り込んでいるわけだ。観客の期待を良い意味で裏切る。冒頭、永々と三人の無頼者の”顔芸”をクローズアップで魅せたあと、満を持して主人公ハーモニカが登場。言葉の言いがかりによる撃ち合いで、あっという間に全員倒れ、しばらくして、ハーモニカが起き上がる。次にアイルランド移民のブレッド一家が登場。が、三人は突如射殺される。殺し屋が登場すると、その顔は”アメリカの正義”ヘンリー・ホンダ!残った子供が登場して、そこで初めて音楽が流れる。それまでは生活音のみ。音楽も素晴らしいが、このじらしにも似たタメが見事な効果を上げる。ここまでは芸術品。子供をも殺す残虐性を見せつけ、映画の方向性が決定する。ブレッドの妻が登場して中だるみするものの、馬車が休憩所に入ってから再沸騰する。外でけたたましい馬のいななきと拳銃音が響いたあと、のそっと入ってくる一人の男。酒を飲む手がアップとなり、囚人と知れる。何と不気味なことか。そしてハーモニカとの息づまる初対面。ケレン味に満ちた演出で、十分に時間を使った序章は完璧。監督は才能を出し切っている。この緊張の糸が最後まで持続しなかったのは悔しい。一見して主題は「復讐」にみえるが、実は「夢」ではないか。ブレッドの夢は、自分の土地に鉄道が引かれ、町が建つこと。それを夢見て、十数年も待ち続けた。妻の夢は、娼婦をやめ、田舎で暮らし、普通の家庭を持つこと。鉄道王モートンの夢は、鉄道を海の見える太平洋にまで引くこと。病気で余命の少ないことが、彼を犯罪にかりたてる引き金となった。悲劇である。ハーモニカの夢は兄の仇討ち。複数の夢は交差し、死ぬ者は死に、去る者は去り、残るものは残った。そして新たな町に新たな歴史が刻まれる。わかりづらい部分がある。冒頭、ハーモニカがフラスコの部下三人を殺すが何故?事故なのか?フラスコがハーモニカを雇ったはずだが。もう一つ、山賊のシャイアン一味がモートンを襲う場面が省略されている事。シャイアンがモートンに撃たれたにしては、戻ってきた姿が元気すぎる。ここと、ハーモニカが死にゆくフラスコにハーモニカを銜えさせるところがリアリティに欠く。尚ブレッドの娘がダニーボーイを口ずさむが、この歌詞は1910年のもので時代が合わない。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-13 06:22:03)(良:1票)
11.  赤ひげ 《ネタバレ》 
「貧困+病気=不幸」だが、不幸の様子は人によって様々。ここで描かれる不幸模様は通り一遍のものではなく、大不幸と呼ぶべきもの。底辺に生きる人々の姿を描く事で人間の真の姿、エゴ、死の荘厳さ、人と人の絆、人間愛等を浮き彫りにする。不幸だから可哀相という皮相的な描き方はしていない。人間が自分の力ではどうすることもできない運命や不幸にみまわれた時、それをどう受容するか、どう考えるか、どう行動するか、いくつかの切り口で見せてくれる。不幸には多面性がある。不幸を背負った者にしかわからない事、味わえないものがある。不幸になって初めて幸福だった自分を知る事もある。もしかしたら不幸は、人間らしくあれと神様がお授けになったものかも知れない。不幸があってこそ偉大な人生が歩める。そんな感傷的な考えが思い浮かぶほど、考えさせられる映画。名作です。何より無駄が無いのが心地よい。例えば、おとよの着物の使い方。まさえがおとよに着物を贈る。心を病むおとよは着物を溝に捨ててしまうが、やりて婆が迎えに来て「着物がうちにいたときのぼろのまま」となじると、「私はこんな佳い着物を持っている」と服を見せる。着物一つでまさえの優しさ、おとよの病気、その回復ぶりが顕かとなる。巧いです。いちいちおとよ目元にライトが当る職人芸も満喫。気になる点もある。それは赤ひげが遊郭の用心棒を叩きのめすところ。赤ひげをスーパーマンする必要はない。人間味ある医者としての赤ひげに弟子の保本が心酔し、成長する姿を描くのが主軸。他の要素を入れず、医者物語で終始してよいと思う。他にも気になる点がある。保本が手術に立ち会い失神するが、これはまずない。保本は長崎で蘭医学を3年以上修行している。蘭方医と漢方医が覇を競いあっている時代で、蘭方医が出来て漢方医が出来ないものが外科、内科手術。手術は念入りに実施研修する。左八とおなかの挿話だが、おなかは佐八との生活を「幸せすぎて怖い」と感じていたところに地震が起きて、罪意識から佐八の許を去る。ミステリアスな展開だが、再会後おなかは自責の念にかられ「強く抱いて」と佐八に短刀を突かせて自死する。乳呑児を持つ母が自殺するとは思えないし、最愛の男に殺人をさせるのも疑問。相手を苦しめるだけ。看病日記だが当時は全て候文で、「おとよははっきり意識を回復した」等と口語では書かない。これは完全なミス。
[DVD(字幕)] 9点(2012-07-12 01:44:40)
12.  サイコ(1960) 《ネタバレ》 
女(勤務十年のオールドミス)が会社の金を横領するのが事件の発端。動機は恋人がいるが、お金がなくて結婚できないから。人生で魔が差した瞬間だ。女は恋人の町へ逃走するが、途中で社長に目撃され、警察官に尋問され、車を替えてもパトカーに追尾される。車中で横領が発覚した状況を想像し怯える。上質のクライム・サスペンス。 ◆大雨に遭い、車はモーテルへ。「人は罠にかかったらそれから逃げられない」「人は時々おかしくなるときがある」「一度だけでたくさんね」経営者との示唆に富んだ会話で女は改心し、金を戻す決心をする。使ったお金を紙に書いて計算。しかしシャワーの最中に老婆らしき人物に刺殺される。主人公が死んで驚く仕掛け。犯人が分ってから考えると、犯人との会話で改心し、そして殺されるところが皮肉。無辜の人でなく、横領犯が被害者なのに同情してしまう。大金の行方も気にかかる。経営者が死体を処理し、車ごと沼に捨てるが、途中で止る演出にはらはらする。感情移入が女から経営者に転移する瞬間だ。 ◆ミステリーとして読むと倒叙形式。最初に犯人と殺害方法が提示される。後は探偵役によく謎解きパートだが、犯人がラストで大どんでん返しになるという斬新さ。二重人格が知られていないので、医者に説明させるという丁寧な作り。 ◆謎解きはパートは淡白。探偵が切れすぎるのだ。その場で筆跡鑑定、経営者の様子で女が経営者に会ったと確信。女の妹と恋人に連絡してから家を訪ねる。そして殺される。死体処理は時間の都合で省略。 ◆当時は映画規制が厳しく、陰惨な場面やヌードはご法度。それで観客に想像させる画面作りに徹している。細かいカットをつないだシャワー場面は本当に惨殺されているかのよう。滲んだ血が流れる排水溝の渦、死んだ眼のアップが回転しつつ、カメラはそのまま大金へパンする。音楽は神業。地下室での揺れる電灯、サングラス警察官のアップ顔、覗き見する経営者の横顔、不気味な鳥の剥製、沈むのが一瞬止まる車、闇に浮かぶ高台の家、印象深いショットが多い。 ◆サイコという言葉を世に知らしめた名作で影響は計り知れず。日本では話題にもならなかった。キネマ旬報洋画ベスト(30位)ランク外。最大の瑕疵は母になりきった経営者の声が女性の声である事。次に横領の動機が弱い事。美男美女の理想的カップルで、お金に困っているように見えない。昼休みにHするのはどうかと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-20 19:19:01)
13.  気狂いピエロ 《ネタバレ》 
物語本位で観せる従来の映画を解体し、脚本、映像を独自の感性と即興で再構成させた作品。時系列の操作、ジャンプ編集、観客に話しかける俳優など、映画の約束事を破り、多解釈が可能。詩や映像の豊かなイメージと喚起が、男女が閉塞した現実から逃避行するというストーリーと相まって、爽快さと開放感をもたらす。体験する映画。◆男にとって女はファム・ファタール、魔性の存在。犯罪と事件を運んでくる。その神秘性を崇め共にいたいと願う。ドル札を燃やしたり、奪ったばかりの車を川に沈めるのはそのため。金があると女が逃げるとわかっている。◆女にとって男は夢ばかり見ている存在。一緒にいても退屈。「僕を捨てないでね」「もちろんよ」騙されているとも知らないで詩ばかり書いている男は道化師にしか見えない。◆女は何をしても明るく、生き生きと描かれている。倫理観を超越した神々しさがある。一方で男は、つねに閉塞さを感じている。思想を言葉でまとめようとしているが、うまくいかない。◆多くが記号化されて表現。舞台装置に近い。裸で箱に入ればお湯がなくとも風呂、流れる照明で車中、死体と武器があるので武器商人の家、木の棒だけどダイナマイトと書いてあるなど。女が上機嫌のときはミュージカル風になる。◆事故に見せかけて車を燃やす場面で、高速道路が一部しかない。これは行くことも戻ることもできない絶体絶命の象徴。◆犯罪はコミカルに描かれる。盗むつもりの車の台車が上がったり、ギャングが小人だったり。犯罪も舞台装置でしかないということ。◆音楽が頭の中で鳴り続ける男。鳴っているのは音楽ではなく「あなたは私を愛していますか?」の言葉が鳴っている。本当に愛されているかわからない状態。◆逃避行は町から海へ至る道程。海が近づくにしたがって青色が画面を支配するようになる。車、服、椅子、ボーリング場、ペンキ。青は空と海が溶け合った色で、永遠の象徴。永遠=永遠の安楽=死でもある。◆男はダイナマイトを顔に巻くが死ぬつもりはなかった。「言いたかったのは、何故……」「バカだ、こんな死が」消そうとして爆発。死んだのは観客の心の中の道化師。誰にもこんなバカ(現実からの逃避行)をやってみたい気持ちがある。◆監督のプライベートな作品とも解釈可能。離婚したばかりで、分かり合えない男女の様を描いた。男は監督の分身。ウィリアムウィルソンのように男が死んで監督が生き残った。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-11 19:57:09)
14.  冷血(1967) 《ネタバレ》 
1967年の米映画でモロクロは珍しい。監督にはこだわりがあるのだろう。1954年の「雨の朝巴里に死す」 ではカラーだ。深い陰影の演出が印象的。窓を打つ雨の反射を顔に受けながら、最後の告白をする場面は特に印象的。煽情的にならずに抑えた演出は好ましい。◆刑務所仲間の二人ディックとペリーが合流して被害者の家に押し入るまでを描き、次は犯行後の場面となる。殺害の場面を謎とし、クライマックに持ってくるドラマティックな構成だ。観客は悲惨な結末を知っているので、背筋が氷るような恐怖を感じるという仕掛け。意地悪で切れやすいディックと親切で常識的なペリーならディックが発砲したのだろうと思わせておいて、実際はペリーが実行犯だったという意外さもある。徹底したリアリズムで絞首刑の瞬間までも描く骨太の映画。原作がノンフィクションだ。◆二人は囚人仲間のガセネタにより犯行に至った。本人はほんの冗談で悪気は無かったのだろうが、バタフライエフェクトで、最悪の結果がもたらされた。反省しているのだろうか、それとも懸賞金をもらってほくそ笑んでいるのだろうか。運命のはかさなを感じる。◆平和に暮らしていた被害者四人の様子、二人の殺人犯の生い立ちが丁寧に描かれている。観客は十分に共感できるだろう。二人は共に悲惨な境遇で育っている。特にペリーは酷い。母にも父にも見放され、養護施設で育ち、軍隊に入り、戦争により負傷している。死ぬ直前でも父親を憎んでいるという。愛しながらだ。彼らが犯罪に染まってもおかしくない。環境が犯罪を作るのは真実だろう。だからといって彼らを擁護は出来ない。自分の撒いた種は自分で刈らなければならない。◆テーマの一つに動機無き殺人がある。彼らは最初から殺人をする気だったのか?そうではあるまい。覆面用の黒のストッキングを探していたころからも分る。被害者の父親の言動がペリーの父親がペリーを殺そうとするフラッシュバックを生んだのが悲劇につながった。極度の緊張感と疲労で彼の精神が悲鳴を上げてしまったのだ。ほんのちょっとしたキッカケが悲劇を生む恐ろしさ。ガセネタが本当だったり、黒のストッキングが買えていれば違う展開になっていた。◆救いようのない冷血な犯罪。心根は優しい二人、死刑を下すのにも冷血にならなければならない。二重の意味で悲劇だ。命の大切さを透徹な精神で描ききった稀有な作品と思う。
[DVD(字幕)] 9点(2011-02-12 11:58:41)
15.  天国と地獄 《ネタバレ》 
犯人は貧民街の三畳間アパートから丘の上の豪邸を見上げる生活を続ける中で、豪邸の主である権藤に対する歪んだ憎しみを熟成させ、遂に憎悪が生き甲斐にもなった。犯人が憎んだのは権藤という個人ではなく、貧困という不幸な境遇と社会の不平等、不条理。◆犯人は不幸な境遇に負けたわけでは無い。それどころかインターンで、成功の一歩手前、もうすぐ貧困から脱却できる状況。それにも拘らず犯行を決行したのは、世間に対する挑戦状。天国にいる者を地獄につき落す快楽もあるが、誰よりも知力に長け能力がある自分に対して冷たい仕打ちしかしてこなかった世間に対する挑発行為であり、途方もない自己実現の方法。◆人の命を救うべき医者が、人を殺すという矛盾。絶対善と絶対悪の逆転。天国から地獄への転落。犯人が望んだものは、上辺だけのきれいごとを並べ立てる世間に対して、人生の不条理をいやという程見せつけること。◆だが所詮犯人は世間知らず。犯人が天国の住人と思っていた権藤の生活も決して甘いものではない。彼は見習い職人から身を起こした苦労人であり、成功した今でも会社の権力闘争に巻き込まれ、安住した生活を送れていない。憎しみの対極として想定した相手は、実は似た者同士だった。◆計画は用意周到でトリッキーだが、甘さも目立つ。ジャンキーは殺すが子供は殺さない。子供に顔と車を見られ、窓からの景色や道も覚えられている。ジャンキーの死亡を確認せず、金も回収しない。車は目立つ場所に放置。電話で声色を使わない。◆犯人は権藤に何を伝えたかったか。死ぬのは怖くないと強弁。震えは恐怖ではなく、拘禁症状。憐みの気持ちで見られたくない。「私が死刑になって嬉しいでしょう」と挑発。みじめな死にざまであったと思われたくない。最後の強がりだが、心の弱さが露呈して絶叫。敗北を認めた瞬間である。彼の主張は一人よがりに過ぎなかった。死の残酷さを強調して終了。余韻が残る。【気になった点】①新聞社が警察に要請されて犯行のお札使用という偽情報を発表のはあり得ない。報道の両親に反する。②犯人に犯行を再現させるために泳がせる事はあり得ない。そのせいで第二の殺人が行われた。警察の大失態だ。警察は犯人の刑期が軽いから死刑にさせる小細工などはしない。③親父(社長)が最後まで登場しない。④会社での様子が描かれてないので、権藤の凋落ぶりが伝わらない。⑤尾行や麻薬街のシーンが無駄に長い。
[DVD(邦画)] 9点(2011-01-10 05:32:03)(良:2票)
16.  日本のいちばん長い日(1967) 《ネタバレ》 
日本首脳は戦争を止めようと考えた。理由は勝てる見込みが無く、戦争維持能力もなくなったから。無差別空襲と原爆とソ連参戦が大きい。だが陸軍の考えは違った。「補給戦や小さな局地戦で負けただけ。本格的な開戦はやっていない。本土決戦をすべき。敗戦は英霊に申し訳ない」「もうあと二千万の特攻を出せばかならず勝てる」いわば現実を直視できない妄想家のようなもの。海軍は連合艦隊がほぼ全滅しているので冷静だった。そこへ英断下って、終戦決定。陸軍大臣は受け入れたが、一部の軍人は反乱を企てた。名付けて天皇人質作戦。かなり無茶な作戦で、天皇激怒必死、成功確率1%未満。陸軍らしいといえば陸軍らしい。市ヶ谷台(陸軍省・陸軍参謀本部)の将校全員自決計画もあった。自決する自決すると言って自決しないのも陸軍の伝統。 ◆不思議なことに反乱将校は、逮捕されておらず、鎮圧後もビラを撒くなどしており、陸軍の身内への甘さがよく出ている。誰も責任を取ろうとはしないのだ。戦争で多くの兵や民間人を死に至らしめても、最後には自決すれば申し訳が立つと考えている。だから一億玉砕(たとえ全滅したとしても、日本民族の美名は永遠に歴史に残るだろう)などと主張する。本土決戦で何百万人の人が犠牲になろうが、そんなことは眼中に無い。彼らにすれば臣民は隷属者でしかない。お国の為と言いながら、「体面、天皇、英霊」しか見えてない。厳しく言えば自己防衛。自決も天皇、英霊に対する責任感で国民に対してでは無い。戦争の生んだ化け物のようなもの。皮肉だが、ある意味戦争の犠牲者。戦争しか知らない子供達の哀れな末路だ。平和を知らず、国家神道、軍事教育一辺倒で育ったのだから。 ◆反乱将校がまるで狂犬のように描かれ、理性の無い駄々っ子のように見える。これは演出上の都合だろう。実際は陸軍大学出のエリートであり、もっと冷静に行動していた筈。彼らは終戦の後に平和がくるとは考えなかった。隷属されると考えていた。日本が満州にしたように。人生の総てだった陸軍が崩壊するのが怖かった。閣議で戦後のビジョンを誰も見いだせなかったのも悲劇の一因だ。 ◆8月14日日本軍は特攻隊を送り出し、米軍は熊谷、伊勢崎、秋田・土崎を空襲した。映画では特攻隊が美化され、空襲は無視。反乱はこれで終了したわけではなく、厚木基地では更に徹底交戦を主張、24日には反乱の生き残りが川口放送所占拠事件が起こす。
[ビデオ(邦画)] 9点(2010-12-28 05:57:08)(良:2票)
17.  明日に向って撃て! 《ネタバレ》 
切ない映画である。ブッチとキッドは男の子なら誰でも漠然とあこがれる夢を具現したような存在。「幸福な子供時代」の象徴といえる。アウトローの集まる古き良き西部に住み、銃を華々しく撃ち放し、列車強盗や銀行強盗で大金を掴み、気の合う友達を持ち、女性にはモテまくり、長旅をし、ときに国外にも逃亡する。自由気ままに生きるとはこういうことだろう。だがいつまでも子供ではいられない。いつかは夢から覚めて、大人にならなければならない。決して顔を見せない追っ手が大人の象徴。逃げても逃げても追ってくる。追っ手は自分の内面の影でもあり、いつかは向き合って対決しなければならない相手。ラストで追っ手に向かって銃を撃ちつつ飛び出すのは、子供から脱却して大人になることの象徴、通過儀礼だ。誰もいつかは子供時代とは永遠にさよならしなければならない。映画は、その瞬間を鮮明に切り取った。ブッチは初めて人を殺したとき、夢の終りが近いのを悟った。それでもブッチは「次はオーストラリア」などと夢を語る。何度見ても心がひりひりする。過去を表す手法としてセピア色が随所で効果的に用いられている。一方未来は自転車として登場する。馬や馬車は最早時代遅れ。旅立つシーンで、ブッチが自転車を捨てる。自転車はよろよろと倒れ、車輪が空転するのをカメラが追う。二人の未来を暗示した見事な手法だ。二人は死んで、子供の夢も滅びた。だが、滅んだのはそれだけではないだろう。子供が自由に夢を見ることのできる社会そのものが滅んだのだ。映画の製作された時代の社会の現実は、ベトナム戦争、黒人差別、学生運動、麻薬の氾濫、ヒッピー運動、価値観の多様化、親子の断絶など、混乱を極めていた。もう子供が、子供らしい夢を見ていられる社会ではない。なんと嘆かわしいことか!映画の意図はそこにあると思う。キッズの登場シーンはずっとキッズのアップが続く。朝日を浴びて自転車に乗る二人の美しいシーン。写真だけで描かれるボリビアへの逃亡の旅。音楽と映像だけの銀行強盗シーン。印象に残る場面はいくつもあり、映画の技法の宝庫でもある。この映画を単にあまり賢くない悪党の逃亡劇として見ると面白みにかけるだろう。憎めない二人に乾杯。女性の心理が描けてないのが残念。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-19 02:45:58)(良:3票)
18.  さらば友よ 《ネタバレ》 
派手さはないが、良質のミステリー。 男は女に会社に無断で流用していた債権を秘密裏に金庫に戻してほしいと頼まれる。 金庫の中には多額のお金が入っていることもわかる。 ひょんなことで、もう一人の男も仲間に加わる。 苦労の末金庫をあけるが、金庫の中はからっぼで、金庫室に閉じ込められてしまう。 壁を破り、金庫室から抜け出ると、警備員の死体がころがっていた。 すべてが罠だったのだ。 新聞には強盗殺人の犯人として二人の写真が載っている。 警察に追われながらどうやって無実をはらしてゆくか…。 「禁じられた遊び」の名子役ブリジット・フォッセイが十六年ぶりにスクリーンに登場 した作品でもある。 しかも汚れ役で。 男二人の熱い友情が事件を解決に導く。 悲劇で終わる女性二人の最後。 ブロンソンの小粋なコイン技。 ドロンの軍服姿と医者姿のコスプレ。 みどころはたっぷりです。
[DVD(字幕)] 9点(2008-06-04 05:27:17)
19.  神々の深き欲望 《ネタバレ》 
土着の風俗・因習の色濃く残る孤絶した島での近親相姦を主題に現代の神話を描こうとした野心作。近親相姦の禁忌が作られる以前の人間の営み、生命の根源に迫る。太山盛、根吉父子は驕傲勃勃として神の怒りを買うような狂気を孕んでいる。山盛は自分の娘と肉体関係を持ち、根吉は妹のウマと恋に落ちる。ある日島に暴風雨と津波が襲来し、巨岩が神田に乗り上げるという椿事が出来した。村人はこの凶事の原因が太一家の近親相姦にあるとし、一家を村八分にし、根吉に巨岩排除を命じ、ウマは村長の妾とされた。それから20年、根吉は足を鎖に繋がれたまま巨岩を埋めるための穴掘り作業を続けている。巨岩は男根の、穴は女陰の象徴だ。両者が合体したとき祈願は成就した。すなわち村長が腹上死し、自由となったウマと根吉は舟で理想郷である西ノ島に向かう。しかし村人に追捕され、撲殺された根吉は鮫の餌となり、ウマは舟の帆柱に括られ流されてしまう。島に漲る野生の生気が文明を受け付けない。都会から来た技師の一人は仕事を辞めて村の寡婦と結婚し、一人は根吉の白痴の娘トリ子の肉体の虜となった。しかし時代の流れには逆らえず、やがて島には飛行機が飛び、機関車も通るようになった。神話が終焉したのだ。目覚しい着想と行動力、困難な作品に挑むその意気込みや良し、演技、美術、撮影技術も高評価だ。しかし看過できない短所がある。それは男と女の情愛だ。二十年もの粒粒辛苦の果てに結ばれる男と女の情愛の深みが充分に描かれていない。ここでの情愛とは正邪、道徳を超越した性的欲望のこと。状況説明の科白ではなく、より感情的に訴える場面が欲しかった。二人の死は禁忌を犯した罰ではない。村長の老妻がウマに嫉妬し、油小屋に火をつけ、村長が根吉に殺されたと虚偽の申告をしたからだ。この執念深い嫉妬も描かれていない。鮫は神の罰だが、嫉妬も神の罰で、共に重要な役割なのに、老妻自体が描かれていない。だから観客は置いてきぼりを食うことになる。神話はもう一つある。トリ子が都会に帰った技師を磯で待ち続けて死んで岩となったというもの。これはとってつけたようなもので精彩を欠く。神話に昇華させるにはトリ子の死を荘厳に描く必要がある。兄亀太郎が肉感的な妹トリ子に近親相姦的感情を持って懊悩するという設定は意味があった。亀太郎は神話を見守る役目で演技が光っていた。名作には到らないが渾身の力作である。 
[インターネット(字幕)] 8点(2014-07-03 15:13:59)
20.  欲望(1966) 《ネタバレ》 
抽象画風のやや難解な映画だ。現代人の「虚無と孤独」が主題だと思う。主人公の写真家は、「現代人、特に男性」を象徴する。経済的に恵まれ、仕事も成功しているが、心は空虚である。移り気で何をしても満足できず、熱中しやすく、冷めやすく、時に人道主義的で、時に冷淡で、女性に惹かれながらも蔑視し、日常生活に飽き、どこか別の世界に行きたいと願う。写真家の人物描写が興味深い。底辺の労務者を撮るが、同情はしない。飛んで階段を登ったり、スライディングして電話をとったりと落ち着きがない。モデル撮影に熱中したかと思うと、さっと止める。静寂を感じると車のクラクションを鳴らす。骨董屋ではプロペラを欲しがるが、スタジオでは見向きもしない。二人の少女と戯れるだけ戯れると、まるで別人となり殺人事件の写真解明に向かう。ライブハウスではギターネックを欲しがるが、通りにでると捨てる。自分というものが無く、周囲の刺激や雰囲気に大きく影響を受けてしまう。殺人事件は事実だ。拡大写真に消音器付拳銃が映っているし、死体も触って確認している。注意深く観ると、デモのプラカードを乗せた写真家の車を追跡する男女同乗の車に気づく。男はレストランを窺っていた怪しい人物で、殺人の実行犯だろう。女は唐突にスタジオに登場したのではなく、追ってきたのだ。スタジオが物色されて写真とネガが奪われたのも、事件が事実であることの証明だ。だが写真家は事件を目撃したという事実に確信が持てなくなる。写真とネガはないし、語るべき相手がいない。抽象画家の恋人と編集者に話すがまるで通じない。画家の恋人には「まるで抽象画」といわれるし、編集者に「何を見た」と訊かれて、「何も」と答えるしかない。「伝達の不毛」「人間関係の不毛」だ。虚無を象徴するのが「無音世界」だろう。無音に耐えきれず、クラクションを鳴らすし、ギターネックに執着したのも音に惹かれたから。公園の死体が消えた後、彼は自分を失って彷徨う。カメラだけを信じて生きて来たのに、それさえも信じられなくなった。そこでパントマイム・テニスの無音世界に出遭う。影響されやすい写真家は、パントマイムに参加し、見えない球を投げ返す。すると聞こえるはずのない打球音が聞こえてくる。無音世界が真実になったとき、写真家の姿は消えた。意識ともども無音世界に行ってしまった。60年代ロンドンの現代アートを刻み込んだ貴重な作品。
[DVD(字幕)] 8点(2013-09-15 14:42:03)
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